小泉首相最後の施政方針演説(吉田松陰)
2006年1月20日 |
2002年5月7日、小泉内閣が発足し、最初の所信表明演説のむすびで小林虎三郎の「米百俵の故事」を引用し、「今の痛みに耐えて明日を良くしようという『米百俵の精神』こそ、改革を進めようとする今日の我々(われわれ)に必要」と演説した。 それから4年後の1月20日、小泉総理の最後といわれる通常国会の施政方針演説のむすびで、吉田松陰が好んで用いた孔子の言葉を引用し、「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず」と演説した。 |
幕末の時代、吉田松陰は、「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず」、すなわち、志ある人は、その実現のためには、溝や谷に落ちて屍(しかばね)をさらしても構わないと常に覚悟している、という孔子の言葉で、志を遂げるためにはいかなる困難をも厭(いと)わない心構えを説きました。 私は、「改革を止めるな」との国民の声を真摯に受け止め、明日の発展のため、残された任期、一身を投げ出し、内閣総理大臣の職責を果たすべく全力を尽くす決意であります。国民並びに議員各位のご協力を心からお願い申し上げます。 |
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小泉純一郎首相 | ||||
象山塾の二虎(にとら) |
佐久間象山 | 歴史とロマンの上田市 | 吉田寅次郎 | 小林虎三郎 |
小泉総理の演説で、佐久間象山に学び「象山塾の二虎(にとら)」と並び称された二人が登場することになった。 |
小林 虎三郎 | 文政11年(1928)、長岡藩士小林又兵衛の三男として誕生。河井継之助より1歳年下。 佐久間象山に学び、吉田寅次郎(松蔭)と「象山塾の二虎(にとら)」といわれる英才である。 ペリー提督の黒船を見て、下田より神奈川(横浜)開港が良いとの意見書を、老中であった藩主に差し出し、国許の長岡で蟄居を命ぜられた。 継之助とは縁戚関係にあるが、藩の政治に対する考えはことごとく違った。 戊辰戦争の敗戦後、復興を目指す長岡藩の文武総督に任命され大参事となった。 明治3年(1870)、三根山藩(巻町)から救援の米百俵が届いた。虎三郎は反対を押し切って、これを藩士に分配せず、国漢学校の建設資金にあてた。 虎三郎は生来病弱で、国漢学校が開校した翌年には「病翁(へいおう)」と改名し、明治10年(1877)信念を貫いた50歳の生涯を閉じた。 |
吉田 寅次郎 (松陰) |
天保8年(1830)長州藩士杉百合之助の次男として生まれ、吉田家に養子に入り吉田寅次郎と名のる。山鹿流の兵学を教える家柄で、11歳で藩主に兵学の講義をする程の秀才である。江戸に遊学し佐久間象山の門に入る。 ペリーの浦賀来航の時は米国への密航を企てた。このため幕府に囚われ、身柄は長州の野山獄に収監された。のち出獄し松下村塾で久坂玄瑞、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、山県有朋などの明治維新の中心となる人材を育てた。 過激な倒幕思想家に変身した松陰は、再び野山獄に囚われ、安政の大獄で江戸に送還され、死罪となる。享年30歳。 |
信長の次は志士となった小泉総理 小泉総理は時代ものが好きである。自らを織田信長にダブらせて「非情」といったり、今回は幕末の吉田松陰だといってのけた。 演説の中で小泉改革により景気が回復したと自画自賛している。しかし小泉劇場といわれるように、その周辺には危うさが漂う。 朝日新聞によれば、小泉チルドレンの新人議員でつくる「83会」に、「施政方針の際、要所要所で拍手をお願いします。米国の大統領演説終了後行われるように、全員が立ち上がって、30秒ほどの間、拍手をしましょう」と指令をだしたが、さすがに不発に終わったようだ。 「格差ある社会は活力ある社会」といって、昨年の衆議院選挙で自民党は「刺客」と「ホリエモン」を最大限に活用し圧勝した。 「人の心は金で変える」、「大衆の7割は馬鹿で無能」、「ずるい手でも法律に触れなければ勝ち」など、ホリエモン語録は数々知られている。 ホリエモンは一国の総理大臣が、最大限の賛辞を与える人間であったのか。自民党の改革を推進する大臣は、「小泉総理とホリエモンと竹中の三人で日本を変える」と言い切った。 演説前の16日にライブドアに強制捜査のメスが入り、株価の暴落や東証が機能停止に落ち入り大きな社会問題となっているが、演説では一言も触れていなかった。 その後の記者会見でも、総理や幹事長は事件を他人事のように話していた。広島で「改革の寵児」、「可愛い弟、息子を宜しく」とホリエモンを褒め上げた選挙は何だったんだろうと疑問が残る。 施政方針演説のあった翌日、安倍官房長官が就任後初めて山口県にお国入りした。ここで小泉総理と同じ吉田松陰の言葉を引用した。 「『至誠にして動かざる者は、いまだこれあらざるなり』、私も至誠をもってことにあたり、動ずることなく日本のために頑張っていきたい」と後援者の前で語った。 また、「勝ち組、負け組を固定化させてはいけない。階級社会をつくっていくことになってもいけない」、今度は小泉劇場と違う一般庶民に優しい政治を願うばかりである。 |
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