米百俵の学校
「米百俵の学校」の沿革
明治2年5月1日、
四郎丸の昌福寺に国漢学校が開校国漢学校は藩士だけでなく、
町民、農民も受け入れた↓ 明治3年6月15日、米百俵の支援で(現)大和デパートの敷地に移転。洋学局と医学局を併設 ↓ ↓ ↓ 明治7年10月15日、
阪之上小学校となる明治5年11月23日、
長岡洋学校設立明治6年5月、
長岡病院となる↓ ↓ ↓ ↓ 明治33年4月1日、
長岡中学校となる↓ ↓ ↓ 昭和6年5月、
日本赤十字社に移管↓ ↓ ↓ 昭和20年8月、
長岡空襲で全焼昭和23年4月1日、
長岡高等学校となる昭和20年8月、
長岡空襲で全焼↓ ↓ ↓ 平成16年 2月、
創立130年記念式典平成13年10月、
創立130年記念式典↓ ↓ ↓ ↓ 阪之上小学校 長岡高校 長岡赤十字病院
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