米百俵の学校

 戊辰戦争で敗れた長岡藩に、三根山藩(新潟県巻町)から百俵の米が贈られた。
小林虎三郎は米の分配を迫る藩士を説得し、この米を売って教育に充てた。

「百俵の米も、食えばたちまちなくなる。教育にあてれば明日の一万俵、百万俵となる」。
米百俵の教えは、今も阪之上小学校、長岡高校そして長岡赤十字病院に受け継がれている。

岩室の「米百俵誕生の地」。三根山藩は巻町
(現新潟市)
と岩室村(現新潟市)に分かれた
米百俵の群像
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「米百俵の学校」の沿革
明治2年5月1日、
四郎丸の昌福寺に国漢学校が開校
国漢学校は藩士だけでなく、
町民、農民も受け入れた
明治3年6月15日、米百俵の支援で(現)大和デパートの敷地に移転。洋学局と医学局を併設
明治7年10月15日、
阪之上小学校となる
明治5年11月23日、
長岡洋学校設立
明治6年5月、
長岡病院となる
明治33年4月1日、
長岡中学校となる
昭和6年5月、
日本赤十字社に移管
昭和20年8月、
長岡空襲で全焼
昭和23年4月1日、
長岡高等学校となる
昭和20年8月、
長岡空襲で全焼
平成16年 2月、
創立130年記念式典
平成13年10月、
創立130年記念式典
阪之上小学校 長岡高校 長岡赤十字病院

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