2005年5月25日、BS2で「山田方谷・奇跡の藩制改革」が再放映された。おりしも高梁市では方谷生誕200年の記念行事で、第4回全国藩校サミットが開催されており、地元の方谷に寄せる熱い思いが伝わってくるようである。
河井継之助が歩いた備中松山を訪ねた。
JRで全国唯一人名が付いた伯備線の「方谷駅」は山間の小さな駅だ。
駅舎の蛍光灯のところにツバメが営巣していた。駅舎を出ると案内板があり、「この年、後に藩政改革で功績を上げた長岡藩士河井継之助が訪れている」という字句が見える。
方谷駅の線路敷地には山田方谷の長瀬塾があった。長瀬塾の裏手に方谷の旧宅があったという。そこで継之助は方谷に師事し、経世済民の神髄を学ぶとともに、三島中洲らと知り合う。継之助滞在中、方谷が江戸に呼び出されたため、その機会を利用して継之助は長崎など西国を訪れる。帰路、ふたたび長瀬に戻った。越後長岡に帰る日、継之助は師の山田方谷に送られ舟に乗り、高梁川をわたる。川向こうの榎のあるところで、継之助は対岸の師に対して三度、跪き頭を下げたという。
そのエノキの木はいまも残っている。当時からあったから、もうすこし大きな榎だと思ったが、そうでもなかった。途中から枝分かれしているため、遠目では大きく感じない。しかし、根元は大きな株になっており、幕末の目撃者としての風格を漂わせている。川面にはセグロセキレイが飛んでいた。カジカガエルも鳴いており、その涼やかな声を継之助もきっと聞いたはずである。
山田方谷は方谷駅からさらに奥、西方川の上流の西方の農民の子として生まれた。 |