西軍本営の物見の松

西軍(新政府軍)は、山道軍と海道軍の二手に分かれ高田を出発した。参謀山県狂介(後の有朋)は長岡城の西側で、信濃川を挟んだ関原に本営を置いた。
そして本営近くの松の大木に登り、長岡藩の動きをうかがった。

物見の松があった場所に建つ記念碑 信濃川を渡って長岡城を急襲した

      本営跡に建つ「物見の松」の記念碑 拡大

記念碑の篆額は山県有朋、撰文はこの碑も河井継之助の学友である三島毅(中州)である。悠久山の「河井継之助碑」、栃尾・小貫の「外山脩造碑」そして「物見の松碑」も、元備中松山藩士の三島毅が記している。
現在は本営跡は北越銀行、そして交差点を挟んで関原酒造である。関原酒造の売店に車を置き、「物見の松」碑を見学し、帰りに売店でちょっと変わった包装の清酒「長岡藩」を購入した。

「物見松」碑の後ろが近藤家であろうか 山県有朋による「物見松」の篆額
交差点の対角が関原酒造       越後長岡藩

    包装の内側に小林虎三郎と河井継之助

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