朝日新聞『天声人語』

2004年11月15日付
 「雪が来る。もうそこまできている。あと十日もすれば北海から冬の雲がおし渡ってきて、この越後(えちご)長岡の野も山も雪でうずめてしまうにちがいない」。長岡藩を舞台にした小説「峠」は、城下の冬支度の描写から始まる(『司馬遼太郎全集』文芸春秋)。
 その雪の季節が、新潟県中越地震の被災地に迫っている。復旧の加速を願うが、最大震度7という猛烈な揺れの割には住宅被害が少なかったとの見方があるようだ。壊れた家々の姿は実に痛ましいが、全半壊した住宅は、これまでの震度6強の直下型地震より少なかった。
 それは豪雪への備えがあったからとの推測がある。雪の重みに耐えるよう柱を太くしたり、屋根を軽いトタンにしたりした住宅が耐えたのではないかという。雪との長い付き合いから生まれた知恵や伝統が、被害を減らしたのだろうか。
 「峠」の主人公は幕末の家老、河井継之助である。戊辰戦争に際し、何とか戦いを避けようと尽力したという。藩主の嘆願書を携え、官軍軍監と談判したが断られ決裂する。
 その談判が行われた小千谷市の慈眼寺の被害が、地域版に載った。市指定文化財の「会見之(の)間」は、壁が崩れ落ち床が抜けた。「『峠』に感銘された方々に、もう一度訪れていただけるように、力を尽くしたい」と副住職は言う。
 地震は、人々の暮らしを大きく揺さぶり、断ち切っただけではなく、人から人へ伝えられてきた大事な記録や記憶をも揺さぶった。厳しい季節を目前に、人々の心の支えになるものが断たれず、つながってゆくようにと切に思う。
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