長州8人目の総理大臣

 2006年9月20日の自民党総裁選挙は、得票率66%で安倍晋三が総裁に選出され、内閣総理大臣に就任する日も近い。70%の得票を期待されていたことからしても圧倒的な勝利であった。
初代の伊藤博文から数え、90代57人目の総理になるが、注目されるのは52歳の若さと長州から8人目の総理が誕生することである。過去長州からは、伊藤博文、山県有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤栄作を輩出してきた。

 明治18年の初代総理から長州、鹿児島、佐賀、京都のいわゆる戊辰戦争に勝った県から総理が選出され、敗れた県から総理を出したのは、大正7年に岩手県の原敬が最初である。

 若さの点では、初代伊藤博文の44歳、昭和12年近衛文麿の45歳、明治21年黒田清隆の47歳、明治22年山県有朋の51歳に次ぐ5番目となる異例の若さである。
また宰相を待望されながら志半ばで倒れた安倍晋太郎が父であることと、岸信介、佐藤栄作の二人の総理をおじに持つ毛並みの良さや、拉致事件で見せた芯の強さにも注目が集まり国民の期待が大きい。

 一方、最も高齢で就任した総理は、備中松山藩の山田方谷の弟子である三島中州が創設した二松学舎から育った犬養毅の76歳があげられる。
ちなみに新潟県の田中角栄は54歳で総理になったが、会津の流れをくむ福島県から総理の誕生はまだない。

吉田松陰 2006年9月場所

 安倍晋三は山口県の下関市、長門市を地盤にしているが、生まれも育ちも東京である。
尊敬するのは幕末の思想家である吉田松陰で、その言葉をよく引用する。

 「士たる者、その志立たざるべからず。それ志ある所、気もまた従う」
 (武士は志を持たなければならない。志がしっかりとしていれば、気力もついてくる)

 「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人といえども吾いかん(孟子)」
 (自らを省みてやましいところがなければ、千万人の反対があってもわが道を進もう)

 今年の1月、小泉総理の後継者と期待されてお国入りしたときも吉田松陰の言葉を引用し、
『至誠にして動かざる者は、いまだこれあらざるなり』、私も至誠をもってことにあたり、動ずることなく日本のために頑張っていきたい」と後援者の前で語ったのは記憶に新しい。

 武蔵野の成蹊大学に学び、高杉晋作の一字を名前に持つ安倍晋三には、松陰が残した辞世の句が脈々と流れ受継がれているのだろう。

 「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも、留めおかまし大和魂(松陰)」
 (わが身体はたとえ武蔵の野辺で亡びようとも、自分の大和魂はこの世に残るだろう)
武蔵野から若く、志の大きな総理の誕生を期待する。

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