西軍聴かず我が歎願「長岡城の歌」
「司馬遼太郎が「峠」の取材中、河井継之助については新潟県中越地方でしか知る人がいなかった。新潟や高田(上越)の人に聞いても、長岡のことは良く分からなかった。しかし小千谷の人は長岡や継之助のことを良く知っていた。 取材に窮した遼太郎が芸者を呼んだ。すると継之助の歌をうたい踊りをするではないか。坂本龍馬や西郷隆盛は全国どこに行っても知られている。でも継之助は長岡とその周りの人にしか知られていない、実に不思議な人である。 歌まであるのに、全国にあまり知られていない。このことに感動し「峠」を書くことにした。 長岡には会津のような怨念はないし、西軍に降伏する道はあったが、それを選ばなかった。日本の歴史に、河井継之助がいて良かった。日本の歴史を厚くしてくれた。長岡を悲劇的な集団にしたが、長岡の人は継之助を大事にしている。」 (1971年長岡高校創立百周年記念行事の司馬遼太郎講演より抜粋) |
むかし流行した 「長岡城の歌」 |
長岡の歴史を集めた郷土 資料館(長岡・悠久山) |
桜の美しい福島江 (長岡・今朝白) |
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