西軍聴かず我が歎願「長岡城の歌」

 「司馬遼太郎が「峠」の取材中、河井継之助については新潟県中越地方でしか知る人がいなかった。新潟や高田(上越)の人に聞いても、長岡のことは良く分からなかった。しかし小千谷の人は長岡や継之助のことを良く知っていた。

 取材に窮した遼太郎が芸者を呼んだ。すると継之助の歌をうたい踊りをするではないか。坂本龍馬や西郷隆盛は全国どこに行っても知られている。でも継之助は長岡とその周りの人にしか知られていない、実に不思議な人である。
歌まであるのに、全国にあまり知られていない。このことに感動し「峠」を書くことにした。

 長岡には会津のような怨念はないし、西軍に降伏する道はあったが、それを選ばなかった。日本の歴史に、河井継之助がいて良かった。日本の歴史を厚くしてくれた。長岡を悲劇的な集団にしたが、長岡の人は継之助を大事にしている。」


(1971年長岡高校創立百周年記念行事の司馬遼太郎講演より抜粋)


長岡城の歌 小林虹冬作詩
川崎正吉作曲
1.

砦のかがり   影ふけて
月陣営に傾斜きぬ
西軍聴かず   我が嘆願(ねがい)
無念やるなき  継之助

西軍聴かず 我が嘆願
2.

大儀に生きん  武士(もののふ)の
道一筋の心意気
いかで友藩   討たるべき
遂に立ちたり  長岡勢

ガトリング砲 長岡勢の兜
3. ころしも文月  宵闇の
八丁沖を押し渡り
奪い返さん   兜城
白刃かざす   長岡勢
八丁沖 兜城

あたまもる  砦のかがり影ふけて
夏も身にしむ  越の山風

4.

嗚呼星移り   月かわり
悠久山の碑(いしぶみ)に
名をば留めて  永久(とこしえ)に
花爛漫と     匂うなり

悠久山の碑 長岡の桜
(桜クリックで拡大)

むかし流行した
「長岡城の歌」
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