新選組のふるさと多摩(V)

多摩と聞くとあまり歴史がなく、新選組が活躍した幕末に、突如として歴史に登場するように思われがちであるが、決してそうではない。
武蔵国分寺があった国分寺市や国府が置かれた府中市では、市内のいたる所から遺構が発掘されている。

武蔵国分寺は奈良時代の天平13年(741)に、聖武天皇の詔により諸国に建立された国分寺の一つで、東西約900m、南北約500mは諸国の国分寺の中でも最大規模である。
ここに金堂、講堂、七重塔、鐘楼などが建っていたが、鎌倉幕府の滅ぶ原因にもなった元弘3年(1333)の「分倍河原の合戦」(府中市)で消失したと伝わる。この一帯は大規模な発掘調査が続いており、史跡公園に生まれ変わりつつある。

国分寺跡の石碑 国分寺の柱跡 石碑と柱跡
七重塔跡 はけから湧き出る清水 分倍河原の合戦の新田義貞像

近武蔵国分寺の一角に、現在の国分寺がある。国分寺薬師堂は、新田義貞が建武2年(1335)に建立したものを再建したと伝わる。また仁王門は宝暦年間に薬師堂再建の時に、薬師堂の材料を使って建てられた由緒ある建物である。

国分寺の境内と庭には、万葉の昔に歌人が好んで詠んだ約160種の植物が植えられており、植物の傍に歌の立札が立っている。

国分寺市は鉄道との関連が深い街でもあり、かって旧国鉄の中央鉄道学園があり、数多くの鉄道マンが学んだ所でもある。都立武蔵国分寺公園の一角に、動輪を模った記念碑がある。 
現在の国分寺 国分寺薬師堂 仁王門
万葉植物園 近くの都立武蔵国分寺公園 鉄道の街国分寺

 都立殿ヶ谷戸庭園
JR国分寺駅から歩いて2〜3分の所に、三菱財閥の岩崎家の別邸だった殿ヶ谷戸庭園がある。昭和40年代に開発計画が持ち上がり、庭園を守る住民運動が発端で都が買収した。
園内には武蔵野の湧水を利用した池があり、野草や樹木が豊富にある。特に岩崎家が好んで植えたモッコクは300本を超えるという。
庭園の名になっている殿ヶ谷戸は地名に由来し、平成10年には東京都の文化財に指定されている。

庭園入口 日本式庭園 湧水の池
鹿おどし モッコクの林 ロウバイ

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