河井継之助の友だち度ランキング

 継之助を取り巻く人脈の中で、友人といわれる人物にスポットを当てた。
外山寅太(脩造)、大崎彦助や山本帯刀は友というよりは、継之助を師と見ているので除外した。
「勉学好き」、「清廉」、「金にきれい」などが共通項として見られる。
管理人が付けた一方的なランキングで、違うと言う継之助の声が聞こえそうだ。

順位 名前 所属 年齢 継之助との関係
1位 小山 良運 長岡藩士 同年 継之助の幼なじみ。大阪の緒方洪庵の適塾で福沢諭吉と同時期に学ぶ。長崎遊学で得た西洋の知識も豊富。藩医という違った立場で冷静に判断できるので、良き相談相手。継之助も良運の意見を重要視した。
2位 鵜殿団十郎 長岡藩士 4歳下 号は春風。年下ながら全てにおいて尊敬できる友。長岡の生んだ洋学研究の逸材で幕府の蕃所調所教授。勝海舟と恭順を唱えるが、藩の危機を知り一路長岡に向かう。明治元年病没は新政府にも惜しまれた。
3位 三島億二郎 長岡藩士 2歳上 幼なじみの親友で東北地方を一緒に旅行。佐久間象山に学ぶ。一時非戦派で継之助から離れるも慈眼寺会談後は全てを託す。敗戦後は大参事となり長岡復興に尽くす。晩年は北海道開拓に最後の夢をかける。
4位 村松忠右衛門 長岡藩士 9歳上 三間利兵衛の子で村松家の養子。継之助の改革を助け絶大な信頼をおいた同志。財政に強く藩主、領民からの信頼も厚く、藩校崇徳館教授から郡奉行に抜擢された。各地に転戦した長岡藩の潤沢な資金を作る。
5位 花輪馨之進 長岡藩士 ?歳下 名家の生まれで幼なじみの親友。三間市之進、渡辺進と長岡の三進と言われた秀才、軍事掛として第二軍を指揮。敗戦後は長岡藩の少参事となり、廃墟の長岡復興に尽くす。明治5年東京で病死する。
6位 三島 中州 備中松山
藩士
3歳下 山田方谷の高弟であり、継之助が備中松山を訪ねた時に親しくなる。悠久山の継之助碑建立では、恩師方谷が辞退するなかで中州が揮毫した。二松学舎大学創設者として、首相をはじめ多くの人材を育てる。
7位 三間市之進 長岡藩士 8歳下 幼なじみで江戸での遊学仲間。長岡の三進の一人。軍事掛として第二軍を指揮。維新後は陸軍に入り初代憲兵司令官となる。後年は石川県知事となって活躍。継之助股肱で中央で活躍した異色の人物。
8位 秋月悌次郎 会津藩士 3歳上 備中松山や長崎で継之助と意気投合し遊郭にも遊ぶ。昌平黌に学ぶ。戊辰戦争では会津と長岡の連携に活躍。維新後は東大教授、熊本五高教授では小泉八雲と同僚となり、神のような人と言われる。
9位 立見鑑三郎 桑名藩士 18歳下 昌平黌に学んだ文武に優れた桑名藩の若き隊長。朝日山では勇猛果敢に奇兵隊を攻め同盟軍に大勝利をもたらす。西南戦争や日露戦争の活躍で、薩長閥を押しのけ陸軍大将となる。朝敵から異例の男爵に昇進。
10位 小林虎三郎 長岡藩士 1歳下 遠縁関係にある幼なじみ。学究肌でたびたび衝突するが、お互いはそれなりに認めあっている。終生のライバルで米百俵で名高い。佐久間象山に学び、人を育てることでは吉田松陰も虎三郎には遠く及ばない。

2位:鵜殿団十郎 3位:三島億二郎 4位:村松忠右衛門 6位:三島中州 10位:小林虎三郎

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