司馬遼太郎「峠」発刊におもう

 司馬遼太郎「峠」は昭和41年(1966)11月から昭和43年5月まで、1年半にわたり毎日新聞に連載されていた。掲載が終わった年の昭和43年(1968)10月10日、満を持して新潮社から発行された。
奇しくも慶応4年(1868)河井継之助が、只見で亡くなってから100年目にあたる節目のことである。

 「よろしく公論を百年の後にまって玉砕せんのみ」という。いずれが正しいか、その議論がおちつくのは百年のちでなければならない。
歴史は百年たてば鎮まるであろう。その百年の後世に正邪の判断をまかせるべきである、というのが東洋の価値観であった。
その百年のちの理解をまって、いまはただ玉砕せんのみ、というのである。全藩戦死することによってその正義がどこにあるかを後世にしらしめたいという。」(司馬遼太郎「峠」より)


 価格は「前編」が500円、「後編」が480円であった。
長岡では継之助や西軍を称える「長岡城の歌」が流行していたころであり、地元では大きく盛り上がったが、全国的には河井継之助の名前は「峠」で知った人が多かったと思われる。
さっそく弟が入手し、これを一気に読んで長岡の英雄に感動したことが思い出される。
昭和43年「峠」刊行 司馬遼太郎サイン 昭和50年文庫本

 昭和43年に発行されたものはB5の大きさで、昭和50年に文庫本が発行された。
平成5年には超豪華版というべきB5版ものが発行され、価格も3200円である。
峠をイメージしたような帯封もちょっと格好が良い。
現在本屋に並んでいるものは平成15年の文庫本で、カバーが富岡惣一郎から有元容子に代わっている。
富岡惣一郎は雪深い越後高田生まれの芸術家で、雪国を体験した人でないと描けないような山の絵のカバーが気に入っていたので少し残念である。
管理人が現在持っている「峠」は、昭和50年の文庫本と平成5年の本である。 
平成5年 平成5年の帯封 平成15年ふたたび文庫本

 河井継之助は次々と作家が取り上げ、多くの書籍が発行されているが、もとになっているのは、今泉鐸次郎著の「河井継之助傳」(象山社)である。 管理人も河井継之助や長岡藩に関わる書籍を沢山読んでいるが、必ずといっていいほど原点の司馬遼太郎「峠」に戻ってくる。
そのため「峠」文庫本は磨り減ってしまった。しかし、平成5年のものは購入から開くことがなく、ずっと本棚の肥しである。
今回は帯封を公開しよう。

表紙 裏表紙
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