河井継之助と外山脩造 志のリレー

新潟テレビ21で9月13日に「河井継之助と外山脩造 志のリレー」が放映された。
継之助の志を受け継いだ脩造が、どのような生涯を送ったかを、放送に先立ち募集した急造タレントが好演し、なかなかよくできた作品であった。
阪神電鉄や朝日ビールは、脩造が設立した会社としてよく知られているが、NEC(日本電気株式会社)の創業者の岩垂邦彦をスカウトしたのが脩造だったとは、管理人も関係が深い会社なので、これには驚ろいた。
NECも河井継之助の息のかかった会社だったということである。
阪神電鉄の初代社長に就任することになる脩造は、就任に当たり無報酬を条件としたという。

幕末を共に走り、只見で志を受け継いだ

「志」のリレー NEC創業者の岩垂邦彦

継之助がそうであったように、脩造は門閥にとらわれないで人材を登用する。
阪神電鉄では技師長に三崎省三を抜擢し、三崎は大阪電燈(現関西電力)の設立にも係わるが、やがて社長に就任し、甲子園球場を造り阪神タイガースの生みの親である。
岩垂がNECを創業するのは明治31年(1898)である。パナソニックに松下幸之助があるように、岩垂はNECでは神様のような存在である。

住友系のNECの新入社教育では、「利を追うな」と教えられる。これは住友に流れている創業精神と思ってきたが、住友系になるのははるか後の昭和7年である。
アサヒは脩造が創業した大阪麦酒の銘柄名であるが、NECで飲むビールは必ずアサヒである。これは住友との繋がりと今まで信じてきたが、脩造との関連であったのであろうか。
数年前にNECがネットで、河井継之助の生涯を特集していたが、これは偶然であろうか。また謎が生まれてきた。

 
志のリレーは岩垂邦彦にも 大阪ビールの登録商標がアサヒ

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