牧野家のふるさと(御津周辺)


豊川市は平成の大合併で、三河国一の宮の砥鹿神社がある宝飯郡一宮町と合併したが、牧野家に縁のある宝飯郡御津町も新豊川市になった。御津には筆者は以前訪れているが、今回の牧野一族展の旅では、日程の関係で行くことを断念した。最寄の駅は東海道本線の愛知御津駅である。
牛久保からは西にかなり離れており、松平(徳川)の勢力が強い所に位置する。
豊川周辺図(クリックで拡大

大恩寺

御津山大恩寺総門

以前の寺名は大運寺であるが、松平親忠の時代に現地に移り、家康の父の広忠の代に浄土宗の御津山大恩寺と改称した。 寺の名前は、松平家(後の徳川家)に大恩ある寺という事である。江戸時代には家康から100石の領地を与えら、亀姫寄進の徳川家康公木像も伝わっている。
この大恩寺は牛久保城主・牧野氏の菩提寺でもあり、県指定文化財の山門は、忠成公の娘の嶺秀院が嫁いだ大垣藩主戸田采女正が建立した。
また本堂の前に、牛久保城主牧野保成が寄進した念仏堂跡があり、国の重要文化財にも指定されていたが、1994年に焼失した。牧野家縁の遺産で、重要文化財の指定取消は誠に残念なことである。

県指定文化財の山門 本堂
鐘楼堂 需要文化財だった念仏堂跡

念仏堂跡に建つ碑

本堂に隣接した左隣の傾斜地に、牧野家と徳川家の墓が並んである。手水鉢の大きさで比べると徳川家の墓がかなり小さいことがわかる。
牧野家の墓地に初代忠成公の長女で、大垣藩主戸田采女正氏信に嫁いだ嶺秀院の墓があることは注目される。山門を建立したのは夫の戸田采女正である。また牛久保の光輝院の牧野忠成公廟も、嶺秀院が建ててが、他家にありながらも、牧野一族の繁栄を願っていたことがわかる。

牧野家とその奥に嶺秀の墓が並ぶ 嫁いでも牧野一族だった嶺秀院の墓
嶺秀院の右に牧野家の古い墓が並ぶ 松平家(徳川家)の墓
徳川家の墓 徳川家の墓


御津神社

御津神社の境内

創立年代不詳であるが、祭神は大国主命で延喜式の古い神社である。掲げてある由緒記には、天文15年牛久保城主平朝臣保成御社殿屋根葺替を成し奉れとある。
境内の中間にあるケヤキノキは樹齢千年以上で、天然記念物に指定されている。

御津神社の鳥居 もう一つ鳥居とクスノキ
祭神は大国主命 天然記念物のクスノキの巨木

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