ツルネンマルテイ米百俵で首相をただす

 2006年1月25日の参議院本会議において、各党の代表質問を聞いていたら、民主党のツルネンマルテイが、小泉総理の所信表明演説で引用した米百俵の精神が、単なる掛け声でないかとただした。以下そのやりとりである。

【議長扇千景】
 「ツルネンマルテイ君」

【ツルネンマルテイ】
「民主党のツルネンマルテイでございます。 〜(中略)〜
 次に、教育問題について質問します。
小泉総理は平成13年5月7日の所信表明演説の中に、一躍有名になった米百俵という言葉がありました。その言葉に含まれているメッセージを再び思い起こさせるために簡単に説明します。


 『それは、明治の初め、戊辰戦争で焼け野原となった長岡城下に救援米として送られてきた百俵の米にまつわるエピソードです。時の長岡藩の大参事小林虎三郎 は、この百俵の米を藩士に配分せず売却し、その代金を学校の資金に注ぎ込んだのです。その出来事に含まれている教えは、国が興るのも町が栄えるのもことごとく人にある、食えないからこそ学校を建て、人物を養成するのだ、つまり目先のことばかりにとらわれず明日を良くしようというものです。

 初めは、小泉総理もこのような精神を込めてこの言葉を使ったと思いました。しかし、それからおよそ五年経過し分かってきたことは、このすばらしい精神が小泉総理にとって単なる掛け声にしかすぎなかったということでした。
総理、小泉政権の下で日本の義務教育に対する公的支援は一貫して低調に推移しています。公教育の財政支出は対GDP比率2.7%、OECD諸国中最低の 水準です。小泉総理は、教育改革の中身については全く関心を示していません。
結果として、児童生徒をめぐって、いじめ、殺傷事件などが続発し、学力、体力など、子供たちの生きる力も急速に低下しています。
 
 小泉総理は、こうした教育現場の惨状を一切顧みることなく、全く教育論がないまま、一昨年来、三位一体改革の名をかりて義務教育費総額の削減を強引かつ巧妙に推進していると考えます。
一方では、文部科学省も、教育現場に対する中央管理統制主義を改める意思を明確には打ち出しておりません。
 一体、政府としては、今後の教育についてどのような方向を目指そうとしているのか、全く不透明ではありませんか。まず、総理の義務教育に関する基本的な理念をお聞かせください。」


 【小泉総理】
 「ツルネンマルテイ氏にお答えいたします。
同じ神奈川県民として、はるばるフィンランドから日本に永住されて、歴史や伝統、文化、習慣の違いがありながら、湯河原町議会議員に住民から信頼され当選された。
その後、現在、参議院議員として、外国人として日本に永住され活躍されることに対して注目しておりましたし、敬意を表している次第でございます。 〜(中略)〜

 義務教育の基本理念についてでございますが、米百俵について、長岡藩小林虎三郎のことについてもお触れになりましたけれども、私は、教育は国の発展に とって一番重要なものだと思っております。日本を支えていくのは人であります。資源のない日本にとっては、教育、幾ら重視し過ぎてもし過ぎることはないと 思っております。

 また、教育について、私は、江戸時代からそれぞれの藩が地域として独自に教育活動を展開して多くの人材を輩出しております。
義務教育について、国がその教育の重要性、その根幹を保障するということは極めて重要だと思っております。教育現場の権限と責任を拡大するということも必要ではないかと思っております。
 
 今後とも、国として義務教育の目標設定、費用負担などの基盤整備等、これはしっかり行っていかなきゃならないと思っております。また、地域の自主性、裁量権も拡大していくことも重要だと思っております。

 義務教育費国庫負担金については、政府・与党で国の責任を引き続き堅持するとの方針の下に、約8500億円の税源移譲を求めた地方六団体の案を生かす方策を検討した結果、負担割合を三分の一とした上で、約8500億円の税源移譲を確実に実現することとしたものであります。」 〜(以下略)〜

米百俵の群像
 小泉総理は5年前の所信表明演説で米百俵を引用したが、これは教育の重要性ではなく改革の痛みを国民に覚悟させることだったのだろうか。
総理の熱い教育への想いを期待していたツルネンマルテイは、答弁書の棒読みでは歯がゆい想いをしたことだろう。

 小泉政権下で新学習指導要項に基づき「ゆとり教育」が定着した。詰め込み教育や過度の受験競争を容認するものではないが、ゆとりの名のもとに教育の平等が失われつつあるように思えてならない。
土曜休日で学ぶ場がなくなった子供たちと塾通いの子供たちに二極化された。機会の平等であるべき教育の場にも格差社会が迫ってきている。教育時間の短縮や円周率πを「3」と教えることがゆとり教育であってはならない。
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