蒼柴の杜のなりたち
長岡市民のいこいの場所である悠久山の一帯を蒼柴の杜と呼び、その一角に蒼柴神社が鎮座している。 この付近は市民から「お山」と敬われ、鎮守の森、市民の心のふるさととして親しまれている。 かっては長岡駅から栃尾電鉄が通っており、電車に乗って訪れた体験を持つ人も多いことだろう。 蒼柴神社の御祭神は、牧野忠辰命(まきのただときのみこと)と八意事代主命(やえことしろぬしのみこと:えびすさま)を祀っている。 むかしはこの山を三官山(さんがんやま)とよんでいたが、長岡城内からの御遷座と、蒼柴大明神の神号を賜った祝典にあたり、悠久山と改められた。 戊辰戦争、太平洋戦争で長岡市内が灰燼に帰する中で、蒼柴神社の焼失を免れたことは奇跡に近いできごとである。 |
悠久山の入口 | 蒼柴神社 |
蒼柴の杜の変遷 |
年 号 | 西 暦 | できごと |
寛文 2年 | 1662 | このころ中沢戸左衛門新田の開墾なる |
享保 7年 | 1722 | 三代藩主牧野忠辰没し池上本門寺に埋葬。蒼柴霊神の神号が贈られ、社殿を城内に造営 |
16年 | 1731 | このころ杉、松を植林し、中沢戸左衛門新田御林成る |
18年 | 1733 | 蒼柴明神の神号が贈られる |
明和 3年 | 1766 | 牧野忠精が三代藩主となる |
8年 | 1771 | 忠辰の50回忌。蒼柴大明神の神号が贈進される |
天明 元年 | 1781 | 日光東照宮を模した権現造りの新社殿竣工。長岡城内から蒼柴神社遷宮 |
天保12年 | 1841 | 三方領地替で川越への移転準備 |
慶応 4年 | 1868 | 戊辰戦争。三の鳥居の光格天皇の勅額により神社焼失を免れる |
明治 7年 | 1874 | 戊辰戦争、西南戦争の戦死者を祀る招魂社を建立 |
大正 6年 | 1917 | 令終会が中心になり、長岡開府三百年祭の記念行事として悠久山の公園化が進む |
7年 | 1918 | 長岡駅前の河井継之助碑、山本帯刀碑が悠久山に移転 |
8年 | 1919 | 令終会は長岡市に公園を寄付 |
昭和20年 | 1945 | 太平洋戦争。長岡空襲、近くの悠久山房は焼失するも神社焼失を免れる |
43年 | 1968 | 郷土資料館の開館 |
58年 | 1983 | 東京・三田済海寺から歴代藩主の墓石が移転 |
平成 7年 | 1994 | 東京・池上本門寺から三代藩主忠辰の墓石が移転 |
16年 | 2003 | 中越地震の被害に遭う |
招魂社 | 令終会の碑 |
三官山(さんがんやま)から悠久山へ 9代藩主牧野忠精は、人の道を教えた「中庸(ちゅうよう)」の一節から、 風光明媚なこの地を悠久山と命名した。 |
博厚配地 高明配天 悠久無彊(むきょう) |
はっこうはちにはいし こうめいはてんにはいし ゆうきゅうはかぎりなし |
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