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6時20分、起床。
窓から外を眺める。
曇っているなぁ・・・。
6時45分、レストランで朝食をとる。
7時40分、宿を出発する。
道道26号線、R38を約103km走り、9時25分、道の駅「しらぬか恋問」に到着する。
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道の駅「しらぬか恋問」
10回目以来、4年ぶりである。
(いつ来ても曇っているか、雨が降っているかだなぁ・・・。)
スタンプブックにスタンプを押す。
恋問館で売られている海産物を物色する。
9時40分、道の駅「しらぬか恋問」を後にする。
R38、道道53号線、R44、道道142号線等を約54km走り、
10時45分、釧路町難読地名訪問の出発地、仙鳳趾(せんぽうし)に到着する。
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仙鳳趾(せんぽうし)
仙鳳趾(せんぽうし)は「小魚が多くいるところ」を意味するそうだ。
仙鳳趾の看板は公園に設置されていて、その脇にはこれから訪ねる難読地名の案内板があった。
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釧路町難読地名板
読めない地名ばっかし・・・。
北海道にはアイヌ語を語源とする地名が多い(っていうかほとんど)が、
ここまで当て字というか、読めない地名はスゴイ!
雨が降りそうだけど、気合い入れてがんばろう!
(ってか何をがんばるのか?)
10時50分、仙鳳趾を後にする。
道道142号線を約5km走り、10時57分、古番屋(ふるばんや)に到着する。
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古番屋(ふるばんや)
そのまんま読める地名だが、語源はアイヌ語のようだ。
「フル(丘)+パン(川下の)+ヤ(陸・陸岸)」となり、「川下の陸岸が丘になっているところ」を意味するそうだ。
解説が書かれており、昔は陸岸がかなり広く、江戸幕府の税庫(幕府に納める品の保管庫)や会所があったり、
アイヌの砦跡があって、ここから対岸の厚岸まで船で往来していたそうだ。
また、明治から大正にかけてのニシン漁最盛期には大きな漁舎があったそうだ。
(今も建物の基礎杭跡が海中に残っているとのこと。)
へぇ〜。
(地名めぐりも面白いなぁ・・・。)
11時、古番屋を後にする。
道道142号線等を約6km走り(ちょっと迷子になったりして)、11時10分、知方学(ちぽまない)に到着する。
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知方学(ちぽまない)
これは読めないねぇ・・・。
知方学(ちぽまない)は「河口に魚がたくさん集まるところ」を意味するそうだ。
語源はアイヌ語のようで解説が書かれているけど、所々消えていて読みづらい。
(雪解け後の5月だし、まだ直されていないんだろうなぁ・・・。)
11時12分、知方学を後にする。
尻羽岬(しれぱみさき)方面に約2km走り、11時15分、去来牛(さるきうし)に到着する。
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去来牛(さるきうし)
これも読めないねぇ・・・。
去来牛(さるきうし)は「よしの群生しているところ」を意味するそうだ。
(ザルキ(よしorあし)+ウシ(群生している))
この看板の500m東の沿岸に「マンベの穴」と呼ばれるところがあり、
ハルトリアイヌの村長の持浜と言われていたが、現在では浜は無くなって、自然の岩穴だけが残っているとのこと。
11時18分、去来牛を後にする。
約1km走り、11時21分、尻羽岬(しれぱみさき)に到着する。
駐車場に車を置き、尻羽岬の看板を探すが・・・。
高台になっている方が岬なのか、散策路の方か・・・。
散策路の入口付近ではキャンプをしている人がいた。
(寒そうだなぁ・・・。)
とりあえず散策路を歩く。
雪解け後のため、散策路は荒れていて、どこが道なのかわかりづらいなぁ・・・。
(往きはいいけど帰りは迷子になりそうだなぁ・・・。)
行けども行けども何も見えてこない(視界が広がらない)・・・。
(きっと高台の方が岬だなぁ・・・。)
霧(海霧)で濃くなってきて、だんだん不安になってきた・・・。
戻ろう!
案の定、途中、迷子になりかけるが何とか駐車場までたどり着く。
(ホッと一安心・・・。)
気を取り直して、高台の方に向かう。
(風が冷たく寒いなぁ・・・。)
高台を超えたところに尻羽岬の看板発見!
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尻羽岬(しれぱみさき)
尻羽岬(しれぱみさき)は「地の頭の出ている岬」を意味するそうだ。
他に「ノトロ岬(人のアゴに似ている岬)」や「ノテド岬(アゴと鼻に似ている岬)」とも呼ばれていた。
尻羽岬の帆掛(ほかけ)岩には伝説が残っている。
日高から船で逃げてきた源義経主従がこの沖合で猛吹雪に遭い、座礁し、
源義経は崖を登って石像となり、船は岩になった・・・。
その岩が帆掛岩である。
内地寄りの沿岸地域に残る源義経伝説の1つかな。
また、帆掛岩には鳥居が建っているそうだ。
(霧(海霧)のため、何も見えないが・・・。)
明治後に誰が建てたか不明な鳥居があり、その後、朽ち落ちてしまったが、
1978年(昭和53年)に自衛隊普通科第27連隊重迫中隊の協力で再建されたものとのこと。
何も見えなく、おまけにめちゃ寒いので、足早に駐車場に戻る。
12時30分、尻羽岬を後にする。
道道142号線等を約10km走り(看板探して迷子になったりして)、12時50分、老者舞(おしゃまっぷ)付近?に到着する。
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老者舞(おしゃまっぷ)付近?
このあたりに看板があると聞いていたが・・・。
あちこち(海沿いの集落も)探したが看板は見つからなかった・・・。
雪解け後なので、看板は朽ち落ちてしまったかな?
だけどこれも読めないねぇ・・・。
老者舞(おしゃまっぷ)は「川尻に倉の形をした岩山があるところ」を意味するそうだ。
12時53分、老者舞(おしゃまっぷ)付近?を後にする。
道道142号線を約1km走り、12時55分、円山(まるやま)に到着する。
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円山(まるやま)
そのまんま読める易しい地名。
(それもそのはず和名だそうだ・・・。)
標高205mの釧路町で一番高い山である。
(高山(たかやま)とも呼ばれているそうだ。)
12時57分、円山を後にする。
道道142号線を約1km走り、12時59分、分遺瀬(わかちゃらせ)に到着する。
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分遺瀬(わかちゃらせ)
これは読めないねぇ・・・。
分遺瀬(わかちゃらせ)は「水が滝となって落ちているところ」を意味するそうだ。
(ワッカ(みず)+チャラセ(飲水ちりばり落ちる))
昔は下に人家が7、8戸あって、滝水を使っていたそうだ。
13時、分遺瀬を後にする。
道道142号線を約1km走り、13時2分、賤夫向(せきねっぷ)に到着する。
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賤夫向(せきねっぷ)
これも読めないねぇ・・・。
賤夫向(せきねっぷ)は「はげ山で、石落ちるところ」を意味するそうだ。
何でも道内でも珍しい地名だそうで、チエプヌルンケプ(石落ちること小魚の川を下る如し)とのこと。
雪解け後で看板は倒れている。
(早く直してあげてね・・・。)
13時6分、賤夫向を後にする。
道道142号線を約1km走り、13時8分、入境学(にこまない)に到着する。
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入境学(にこまない)
これも読めないねぇ・・・。
入境学(にこまない)は「川尻に流木の集まる川」を意味するそうだ。
地名の由来は2つあって、1つは「ニオッケ・オマ・ナイ(昔、桶が流れついたところ)」、
もう1つは「ニ(より木・流木)+コ(…に向って)+オ(川尻)+マ(泳ぐ)+ナイ(川)」とのこと。
13時10分、入境学を後にする。
道道142号線を約4km走り、13時19分、冬窓床(ぶいま)に到着する。
(あれっ、次は初無敵(そんてき)だったんだけど・・・。通過しちゃったかな?)
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冬窓床(ぶいま)
これも読めないねぇ・・・。
冬窓床(ぶいま)は「海の中の立岩」を意味するそうだ。
ここは跡永賀(あとえか)の一部で、アトエカ、ブイマを合わせて跡永賀と呼ばれ、
地名も元々、ブヨマ、アドイカだったそうだ。
雪解け後で看板は倒れている。
(早く直してあげてね・・・。)
13時21分、冬窓床を後にする。
通過しちゃったかもしれない初無敵(そんてき)の看板を探して、走ってきた道を戻る。
道道142号線を約2km走り、13時25分、初無敵(そんてき)に到着する。
(冬窓床から走るとわかりやすいが、入境学からは絶対に見つからないところにあるなぁ・・・。)
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初無敵(そんてき)
これも読めないねぇ・・・。
初無敵(そんてき)は「沼のような静かな浦」を意味するそうだ。
地名(語源)の由来がいろいろあるそうだ。
13時27分、初無敵を後にする。
道道142号線を約3km走り、13時31分、跡永賀(あとえか)に到着する。
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跡永賀(あとえか)
これは何となく読めるなぁ・・・。
跡永賀(あとえか)は「昔、海であったところ」を意味するそうだ。
(アトウイ(海)+オカケ(跡のところ))
コンブ、タコ、タラ、サケ定置の好漁場だったとのこと。
13時34分、跡永賀を後にする。
道道142号線約3km走り、13時37分、浦雲泊(ぽんとまり)に到着する。
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浦雲泊(ぽんとまり)
これは読めないねぇ・・・。
浦雲泊(ぽんとまり)は「舟がかりが出来る入り江」を意味するそうだ。
(ポン(小さい)+トマリ(港))
13時39分、浦雲泊を後にする。
道道142号線を約2km走り、13時42分、十町瀬(とまちせ)に到着する。
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十町瀬(とまちせ)
これは何となく読めるなぁ・・・。
十町瀬(とまちせ)は「エゾエンゴサクが広く群生しているところ」を意味するそうだ。
(トマ(エゾエンゴサクの塊茎)+チ(群生)+セプ(広くある))
13時44分、十町瀬を後にする。
道道142号線を約2km走り、13時46分、来止臥(きとうし)に到着する。
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来止臥(きとうし)
これは読めないねぇ・・・。
来止臥(きとうし)は「きとびるの群生しているところ」を意味するそうだ。
(キト(行者ニンニクの球根)+ウシ(群生))
このあたりは三方を山や崖に囲まれ砂浜になっているところで、
暖かい南風を受け、昆布森沿岸でも早く春が訪れるそうだ。
13時47分、来止臥を後にする。
道道142号線を約1km走り、13時50分、幌内(ぽろない)に到着する。
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幌内(ぽろない)
これは何となく読めるなぁ・・・。
幌内(ぽろない)は「深い沢の川」を意味するそうだ。
(ポロ(奥深い)+ナイ(谷川))
幌内(「ほろない」と呼ぶものも含め)という地名は道内には結構多い。
13時51分、幌内を後にする。
道道142号線を約1km走り、13時55分、伏古(ふしこ)に到着する。
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伏古(ふしこ)
これも何となく読めるなぁ・・・。
伏古(ふしこ)は「古い村」を意味するそうだ。
(フシコタン(古い村・元の村))
このあたりには旧昆布森役場の戸籍では「フシコ昆布森」という集落があったそうだ。
しかし、1955年(昭和30年)頃からの海岸浸蝕によって浜が決壊し、住むにも難しくなり、
1978年(昭和53年)に昆布森市街に集落移転したとのこと。
結果的に本当の意味で伏古となってしまったそうだ。
13時56分、伏古を後にする。
道道142号線を約2km走り、14時、昆布森(こんぶもり)に到着する。
(昆布森の市街地を抜けたところの旧道(新道はトンネル)の坂道に看板はある。)
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昆布森(こんぶもり)
これは読めるなぁ・・・。
昆布森(こんぶもり)は「昆布の浦」を意味するそうだ。
(コンプモイ(昆布の浦))
道道142号線沿いで(一番?)大きな集落である。
14時1分、昆布森を後にする。
しばらく旧道を走り、山を降りたところで新道に入る。
昆布森から先は旧道から新道への付替えが所々行われている。
嬰寄別(あっちょろべつ)の看板が全然見つからない。
おそらく旧道に看板があるのだろう・・・。
旧道にあると思われる嬰寄別の看板は断念・・・。
(嬰寄別(あっちょろべつ)は「楡の皮を漬けておく川」を意味するそうだ。)
道道142号線等を約5km走り、14時10分、宿徳内(しゅくとくない)のバス停に到着する。
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宿徳内(しゅくとくない)
宿徳内の看板も全然見つからない。
おそらく旧道に看板があるのだろう・・・。
これは何となく読めるなぁ・・・。
宿徳内(しゅくとくない)は「エゾネギの群生している沢」を意味するそうだ。
14時12分、宿徳内のバス停を後にする。
道道142号線等を約3km走り(看板探して迷子になったりして)、14時20分、又飯時(またいとき)のバス停に到着する。
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又飯時(またいとき)
又飯時の看板も全然見つからない。
おそらく旧道に看板があるのだろう・・・。
これは読めないねぇ・・・。
又飯時(またいとき)は「海の瀬の荒いところ」を意味するそうだ。
この又飯時が釧路町難読地名訪問の終着地である。
あ〜、面白かった。
見つけられなかった看板が心残りだなぁ・・・。
アイヌ語の地名の発音に漢字を当てているから、地名の由来が全然わからないし・・・。
でも、アイヌ語での意味を知ると納得する地名だとわかるなぁ・・・。
14時25分、又飯時を後にする。
道道142号線、道道113号線等を約12km走り、14時44分、港文館に到着する。
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港文館
港文館は1908年(明治41年)に建設された旧釧路新聞社の社屋を
1993年(平成5年)に復元したものである。
1階には休憩スペース(喫茶あり)と釧路港に関する資料が展示され、
2階には石川啄木に関する資料や郷土資料が展示されている。
(入館は無料。)
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港文館前の石川啄木像
石川啄木は1908年(明治41年)1月21日から4月5日までの76日間、旧釧路新聞社の記者として活躍した。
霧笛が響く中、港文館付近を散策する。
![]() 釧路フィッシャーマンズワーフMOO |
![]() 幣舞橋 |
釧路に来るといつも曇っているか、霧に包まれているなぁ・・・。
MOOと幣舞橋は6回目以来、5年ぶりだなぁ・・・。
15時15分、港文館を後にする。
約3km走り、15時21分、釧路市立博物館に到着する。
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釧路市立博物館
釧路市立博物館は春採湖畔の高台にある。
入館料は大人360円である。
観覧券
1階には釧路の大地、生物、海に関する資料が展示されている。
(マンモスの骨格標本や動物の剥製等がたくさん展示され、見応えあり!)
2階には釧路の先史時代の遺跡から発掘された品々や近世・近代に関する民俗資料が展示されている。
(土器類の資料の展示数が多い。土器類は2階だけでなく、1階の正面玄関脇の展示室(無料)にも収蔵されている。)
2階の特別展示室では常設展示されていない新しい資料(春採湖の野鳥や昆虫資料等)が展示されていた。
(4月29日から5月28にかけての展示だそうだ。)
4階にはアイヌ民族に関する民俗資料やタンチョウに関する資料が展示されている。
展示されている資料が豊富で、しかも入館料は大人360円。
オススメの博物館だよ!
記念スタンプ
満足しきったところで、16時35分、釧路市立博物館を後にする。
約4km走り、16時47分、今日の宿である「釧路東急イン」に到着する。
JR釧路駅前にあるホテルである。
チェックインを済まし、部屋に入る。
荷物を整理した後、17時10分、夕食を兼ねた散策に出かける。
初めにJR釧路駅に立ち寄る。
みどりの窓口で入場券を買う。
釧路駅
釧路湿原駅
何を食べようかなぁ・・・。
あっそうだ、1度も行ったことがないけど、近くの和商市場にでも行ってみよう!
(こんな夕方でも市場ってやっているんだっけ?地元密着の市場であればやっているんだろうなぁ・・・。)
JR釧路駅から2、3分歩いたところに和商市場はあった。
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和商市場
和商市場は1954年(昭和29年)にスタートした歴史ある市場である。
観光客の方には「勝手丼」の方が有名かな?
「勝手丼」は市場内をまわって、好きな海産物を少しずつ買って、
ご飯にのせてもらって食べるオリジナル海鮮丼である。
閉店間際ということもあって、様々なお店の方から声をかけられる。
「夕飯まだかい?」「閉店だから安くしとくよ!」
う〜ん、どうしようかなぁ?
実は勝手丼って、そんなに安上がりじゃないんだよね・・・。
(思い出にはなるけど・・・。)
勝手丼はやめて、市場内の「市場亭」でいくら丼(しかも値引きあり!)を食べる。
美味しいねぇ・・・。
夕食を済まし、和商市場を後にする。
夜食用に六花亭のお菓子を買いにMOOまで歩く。
MOOのガラス張りの建物、EGG内の緑地を散策する。
(EGGとは「エバー・グリーン・ガーデン」の頭文字をとった名前。)
MOOの六花亭でお菓子を買い、宿に戻る。
持参したノートパソコンで撮影した画像の保存、バックアップを行う。
バックアップしている間にシャワーを浴びる。
六花亭のお菓子を食べながら明日の予定を考える。
明日は天気が良いので、厚岸に立ち寄った後、道道123号線と道道142号線
(なぎさのドライブウェイと北太平洋シーサイドライン)を走って、花咲岬まで行こう。
(3度目にして、初めて晴れ渡った景色が眺められるなぁ・・・。)
そういえば明後日(8日)、知床峠が開通するようだ。
花咲岬に立ち寄った後、北上するかぁ・・・。
別海か中標津あたりで泊まりたいなぁ・・・。
温泉教授として有名な松田忠徳先生が書いた「決定版 北海道ホンモノの温泉」に紹介されている宿に電話してみる。
「中標津保養所温泉旅館」の予約をとる。
(明日は正しい温泉だぁ!)
明日は結構走るなぁ・・・。
しかも明後日は久しぶりの羅臼・・・。
楽しみだなぁ・・・。
22時頃、床につく。