DIARY

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 とりとめもなく、いろいろと。私自身の覚え書きのようなものですが、
 お気の向かれた方、どうぞふらりとお立ち寄りください。
 絵にならない日々がならんでます・・・。

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2007年7月8日(日)

 今日は早朝6時台より、町内会で堤防のゴミ拾い(私の町は花火会場の堤防のそばです)をする日だったのに、起きられなくて、忘れてしまう。覚えていたとしても、起きられたかどうか怪しいくらい、昨日の日差しでへばってしまった。
 しまった・・・かくなるうえは、納涼会で頑張って芸をしなくては・・・。
 何とか起きて、溜まっている家のこともし、福乃友会場へ。今日は初めて、やっと会えたお客様もあり、感激の対面の日となったのだった

2007年7月7日(土)

 じゅんさい摘みに。私も2年目なのでかなりうまくなり、形の良いのを選べる余裕もでてきた。阿部農園のおそばも去年よりおいしい。摘む右腕は濡れるので袖をまくっていたら、真っ赤に日焼けしてしまった。
 今日の日差しはジーンズ越しにも膝がヒリヒリするほどで、帰って脱いで見たら本当に赤くなっていた。ジーンズ越しなのに、おそろしい・・・。
 やらなくちゃならない事もちゃんと出来ていない、忙しい今日この頃だけど、それは単純に自分の能力不足。じゅんさい摘みをやめなくて良かったと思う。

2007年7月6日(金)

 出産を間近に控えた友達の壮行会。私は大曲から、「パン屋かとう」のパンをかかえていく。負担をかけないように、と彼女の家に集まった筈の私達だけど、結局、いつも以上に彼女を動かしてしまった・・・何やってんだか〜。
 明るい午後。晴れ晴れした皆の笑顔。美味しい食べ物。妊娠が判明したばかりのホヤホヤ妊婦さんも2人。今日のメンツ6人のうち、5人が妊婦さんということで、超目出度い。(残りの一人は私です。いや〜ははは)。こうして皆で笑い合っていると、幸せの中で時間が止まったような感じがする。この先私が妊娠するとしてもしないとしても、それは私の身にのみ起こることで、小さな事だという気持ちにすらなる。この先誰の身にも、悲しい事も良くない事も、決して起こりませんように、と心から願う。

2007年7月5日(木)

 福乃友会場にいる時、私が問い合わせたハガキの件で二ツ井のコメリから電話が入る。先日二ツ井に行った時、二ツ井コメリに、私が気に入って使っていたハガキ用紙で、今はどの店舗からもどんどんなくなっているある銘柄のが大量に残っていて、喜んで買い占めた。ふと、「もう入らないのかしら」とレジでつぶやいたところ、店員さんたちがいい人で結集して調べてくださり、詳しい結果は後日ご連絡してもよろしいですか、という事になったのだった。取り寄せは出来るとの事。ただその場合値段の点で折り合わないので、注文するには至らなかったけれど、その熱意と親切さとキビキビした仕事ぶりに感激してしまう。
 6/26のDIARYにもあるように二ツ井では本当にどの方にもよくしていただき、また、他の所で私が存じ上げている二ツ井の人もめちゃくちゃいい人で、私の中で二ツ井は、西木町と並んで燦然と光り輝いている。そのほかにも小坂町や鹿角、大館など県北の人からはすごくよくしてもらった経験がいっぱいあり、秋田県北はいい人の宝庫だと思う。
 逆に人が「悪い」のはどこでしょうか・・・私の中で。ははは、もちろん大阪市天王寺区で決まりでしょう(出身地)。住んでいて、片時も気が抜けない感じ。まぁ、キタエあげられたその緊張感が、良いと言えば良い・・・かなぁ・・・(心優しい、ちゃんとした天王寺区民の方には、すみません・・・)。

2007年7月4日(水)

 昨日あれから、映画「300(スリーハンドレッド)」を観にいった。いや、もう、最近観た中で一番我を忘れて没頭した映画だった。でも、人が傷ついたり死んだりする映画が苦手な人には、絶対にオススメできない。なぜなら「スパルタ」の物語だから。
 たった300人でクセルクセス王率いるペルシャ軍に立ち向かったという物凄い、でも切ないお話。映画の中でクセルクセス王は「お前の名は埋もれ、スパルタは歴史から永遠に忘れ去られるであろう」とか何とか言ってたけど、今じゃ「スパルタ」とか「スパルタ教育」って、誰もが知って使える言葉となっている。それにしても、クセルクセスの衣装(と言うのか?)は凄かった。
 観ているこっちのアドレナリンもかなり分泌されていたみたいで(推定)、私は夕方から頭が痛かったのだけれど(なら行くなよ)、薬なしでも観ている間は全然痛くなかった。帰る途中も余韻で(?)ギンギンに元気。
 もちろん、家に帰ってからが痛かった・・・あほですね。

2007年7月3日(火)

 大曲の画廊喫茶ブランカへ。小野崎 晶さんという大曲養護学校高等部3年の方の絵の個展を見に行く。
 3歳の頃より絵を自己表現の重要な手段としてたゆまず描き続けてきた人の「線」の、気迫と、伸びやかな明るさに圧倒されて立ち尽くす。観るこちらの背筋も伸びるような、ためらいのない表現力。この世の他の事あれこれに気を取られがちで、停滞しがちな自分を恥じてしまう・・・。
 小野崎晶さんは、「akipon」という通称で個展・ポスターその他多方面で活躍していらして、私が今個展をしている「福乃友の蔵」でもされたことがある。そのご縁で晶さんのお母様が今回の私の展示にも来てゲストブックに書き込みをして下さったということもあり、距離がぐっと縮まった感じ(私が勝手にそう感じてるだけですが・・・)。
 今さら言うまでもないことだけれど、人の生き様というのはさまざまで、何がいいとか悪いとか、何が幸せとか不幸とか、なかなか、決めつけられない。
 ところで・・・関係ないけど、7月になったのにこの日記のページを替えるのを忘れたので、しばらくこのままいきます。また長いページになってしまってすみません・・・。

2007年7月2日(月)

 「今周期、移植どうするかな」と思いつつ朝から病院へ。ところが、実は今日は友達の妊娠判定日でもある。経過を見てきただけに、こっちまで物凄くドキドキしてしまう。待合室で強いて他の話題で話そうとする私達・・・でもやっぱり話題はここに戻ってくるのだった。そして、彼女はみごと陽性(妊娠)。
 いや、もう、泣けた・・・常々「もらい泣き大王」と呼ばれる私はひとたまりもなし。ハッキリ言って自分の陽性の時以上の感動だったかも(バカ・・・)。
 こんな日に自分の診察券を出してる場合じゃなく(そうか?)、また、私は予約患者さんじゃないので今日の混みようを見てびびってしまい、そのまま一緒に帰ってしまう(これまたバカ・・・)。
 恥ずかしいのでいつもの医療スタッフに見付からないよう、誰とも目も合わせずうつむきがちに隠れて出てきたのに、廊下で、これまた駆けつけた他病院患者の友達と立ち話していたのが失敗。私は気付かなかったけれど、
 「きっそー、いじめてやるぅ」(こらこら)と息巻く私は、ドクターに後ろから、 しっかり見つかって笑われていたという。
 いっしょうけんめい隠れたの、無駄じゃん・・・・・。しかも、そもそも私、いいトシしてあほじゃん・・・。
 でも今日は、人は本当に嬉しい時、こんな風に笑うんだぁ、という顔を間近に見られて、そしてその瞬間を共有できて、(多分)一生忘れられない日となった。転勤族であってこの地に来た事、そこでガラにもなく不妊治療なんてものに足を踏み入れた事、そんな偶然で、今ここにいる友達とこんな瞬間を共有している、という不思議。
 う〜ん、運命って不思議。しかし現実はキビしく忙しく、
「今日のアンタは一体、秋田まで一日、何しに行ったんでしょうねぇっ!」と夫にまで叱り飛ばされて、身の置き所のない今日の私でした・・・。
 それでも今日は、わけもなく(なくは、ないか)幸せ。人の幸せって、意味もなくこっちにも伝染するような気って、するしね。(←お調子者?)

2007年7月1日(日)

 昼から福乃友会場へ。「サエラ」からもご夫妻でいらしてくださり、たくさん、お話もできた。私がいない時に知人が来て下さったらしい書き込み(ゲストブックの)もあったりして、そんな時こんな時、しみじみした気持ちになる。
 お父さんお母さんに連れられて来た小さなお客様がゲストブックに記帳(落書きともいう?)してくれるのも面白い。どうぞ叱らないで・・・。そんなのも、人生のほんのいっとき。貴重な貴重な、人生の黎明期。
 お客様の合い間をみて、今日は「福乃友」と打出の小槌に書かれた古い琺瑯(ホーロー)の看板と、庭の花菖蒲を描く。

2007年6月30日(土)

 朝から博物館。館外研修の企画などを詰める。今回、大仙市ツアー(払田の柵跡・埋蔵文化センター・六郷湧水群・県立農業科学館など)、まさに私の地元なので、色々下調べして頑張る。といっても、今日私の提供した情報の中で最も役立つ情報は、「六郷湧水群は上から毛虫が落ちてくるので、帽子を忘れないで下さいね〜」という涙ながらの訴えだったかも。
 そのあと館の横、水心苑のあずまやで、菖蒲を見ながら持ち寄りの昼食おべんと会。うっかり手ぶらの私は皆様から食べ物を恵んで頂いて、ひもじいお腹を満たすのだった・・・。なんか、あまし役に立たなくて、お世話ばっかりかけてしまうメンバーの私・・・申し訳なし。でも、戸外で、大勢でいただくゴハンはすごく美味しい。ごちそうさまでした!
 いったん大曲に帰り、夜はhalosのライブに行く予定をしていたところ、体の感じが、ものすご〜く体力的にダメっぽい雰囲気。涙をのむ。このほかにももう一つ、予定を流してしまい、今日の後半は、体力は無限ではないと思い知ることになったのだった。さみしい・・・。

2007年6月29日(金)

 午前中は溜まった家事(衣類の手洗いや掃除など)に忙殺され、福乃友会場に行くのは午後からになってしまった。今日はスケッチブックを用意し、腰を据えて蔵展示物などを次々に描いていく。今まで、ホームページなどからお知り合いになり、メールだけでお話していた方とも、こういう機会にはお会いできるので、大変うれしい。
 眠くなると銘水コーヒーをいただき、今日は頑張る私だった。
 でも眠い。こんなに寝てなくて、凍結胚移植なんて、やめておいたほうがいいかも。やはり今周期は。
 「take-up(テイカップ)」7月号は無事発行され、県南のあちこちに置かれている。新聞の折込にも入った。素敵な蔵でしょう。(でもここであまり大きく載せるとおこられると思う)。

2007年6月28日(木)

 久しぶりに友達にゆっくり会える。もちろん多くの仕事は積み上げたまま。こういうこと、つまり仕事の残量と人と会うこととのバランス、時間配分はどうしているのか、という質問を受ける。もちろん、私の予定の多くは日程的には調節可能なので、こういう時も「あ、行く行く」と簡単に時間を開けられる。
 問題はそのあと(または前)。ぎゅぎゅぎゅう〜っと詰まった忙しさが待っている。
 でも、やはり私は、それでもいいと思えるからこそ、こんな風に生活しているのだと思う。人と会うのは、私の最愛のライフワーク。その他のいろいろなことは、このライフワークの充実のためにあるのかも。
 そう考えると、私の生活の中には色々な物事が優先順位の順にキチンと収まっているとも言える(ハタ目にはとてもそうは見えないだろうけど)。
 と、いうことで(どういう事なんだか)、夜は夜で夫の仕事場の人々と焼肉。大曲にもちゃんとしたバーボンなど飲ませてもらえる所はあるもので、ポットスティールにてさらにカクテルの会。夫の仕事場の人々は一緒に遊んで楽しい方々なので、私はご一緒できる機会は逃さない(単なる遊び好き?)。
 こうしてこの一日、私の「ライフワーク」とやらの為に費やされたのだった。

2007年6月27日(水)

 異論もあろうけれど、薬というものの即効性威力はやはりすごくて、毛虫の刺し跡の赤いブツブツは急速に引いていった。痒みも。とても助かる。それとともに、なんとなくだるかった体調も好転したような。痒みが薄れて眠れるようになったのも大きい。
 この機会に、塗らなきゃならない絵、刷らなきゃならないハガキ、書かなきゃならない書簡、更新しなきゃならないホームページ、などがサクサク片付くかと言うと、それはそうでもないのだった。仕事が積み残され、溜まっていく。
 対処法は・・・気にしないこと!(こらこら)

2007年6月26日(火)

 「ケムたんの呪い」は、放っておいていいものでは、全然なかったようだった。体の他部分にも広がっていくという・・・そういえば、増えている。左腕にも首にも。ということで、岡田皮膚科で塗り薬や、飲み薬をもらう。有難や、有難や・・・。普通の虫刺されより、ずっとタチの悪いものらしい。やはし怒っているのか?「次はもっといいものに生まれてくるといいけど。『よーし。あの女の子供となって生まれて、仕返しにグレてやろー』とか思ってたらどうしましょう・・・」「謝っといたから大丈夫じゃないですか?」とWさん。
 そのあと、二ツ井へ。Nさんとお会いする。おいしいお店、いい人たち、あちこち引き回してご紹介いただく。丘の上の、素敵な別荘のようなステンドグラス作家のご夫妻の所にもお連れいただく。感激のあまりぼうっとしてしまい、いつもの私より言葉が出なかったかも(いつもかも)。美しい蝶の待ち受け画面を分けて(?)もらったり、いろいろな作品の数々を見せてもらったり。万華鏡もすごかった・・・。とりとめない雑談が、なぜかとても心地よい。
 手ぶらの私に、いろいろ持たせて帰らせて下さる。皆さまありがとうございます。わらしべ長者のようで、私はちょっと恥ずかしいですね・・・。

2007年6月25日(月)

 私の車を薪能会場で見掛けた知人が、「あっ、多分綱島さんだ、来てるんだ〜」と思ったけれど、「でも大阪ナンバーだし。もし違う人で、いちゃもんでもつけられたら困るな」と思って、すみやかに車から離れたのだという。
まぁ、肝心の私はその日採卵のために大学病院に入院していたので会場にはいなかったんだけど。それはいいけど。
 「大阪ナンバー」→「いちゃもん」という図式は、もう、人の心に定着しているのね。しくしく。

2007年6月24日(日)

 昨日は秋田西武の地下で福乃友のお酒の試飲があり、ちゃっかりいただく。なんでわざわざこっちで飲むんだよ!って感じですね。いつも神宮寺の蔵でお会いする人にデパ地下で会うのって、何か不思議。で、今日は朝からその同じ人にいつもの蔵で会い、いきなり意味もなく照れる私達だった。
 今日はマジメに店番(?)していると、ポツポツとお客様が来られて楽しい。ホームページからメールを交わしてはいたけれど、実際にお会いするのは初めての方あり。ある所では私が一応「お客」なんだけど、今日は立場逆転、となる方あり。「すこやかさん」やニューシティのハガキで私を知っていて下さってて、初めてお会いする方あり。
 「ケムたんの呪い」は、ますますかゆい。

2007年6月23日(土)

 先日、所要時間を計る為に六郷湧水群を歩いていた時、多分、木の上から私の肩に毛虫が落ちて来たのだと思う。ひとしきり歩いてトイレに入り、手を洗うためにカバンを横の台に載せたら、なんとその持ち手の頂上部分にっ!断末魔の毛虫がっ!
「ごめん!私、つぶした?痛い?」と大あわてで毛虫をティッシュに載せるも、「もうあきまへ〜ん」と毛虫。かわいそうな事をしてしまった。そのせいかどうか、丸一日たった頃から、妙に右肩・右腕の曲げる辺・右手の平が痒い。まっかなブツブツも多数出現。一応、これを我が家では「ケムたんの呪い」と呼ぶ。
 それにしても、毛虫も気の毒だ。私の肩とカバンですり潰されるなんて。美しい毛虫だったのに。まるっきり犬死にじゃん(毛虫に「犬死に」ってことはないか・・・)。

2007年6月22日(金)

 国道13号線沿いの売土地。それは、協和のあたり、パンダのマークのラーメン屋さんの近くにあって(・・・って、秋田の人にしか分らなくてすみません)、私が秋田にやって来た3年前から、既に「売土地」の看板があった。要するにそれ以来、売れてないってことなんだろうけど、このほど、その看板に手書きで「格安」という一言が追加された。「格安」って、いくらだ?次ぎ通るときによくよく見たら、「1u10,000円」と。坪3,3万ってことか。
 ゴハンの時にその話を披露する。「それは確かに安い」「いや場所が。きっと下水も来てない」「こまちの停車駅が遠い」「でも空港はここからより近い」などと、大曲との比較を始める私達。行けと言われれば国内(海外は希望しない。私が英語はからきしダメだから)どこへでも行かなきゃならない身の上だって事は、忘れているのだった。
 まぁその場合(ってどの場合だよ!)、私は秋田に置いていって貰おう。もうすでに同期の多くは(異期も)単身赴任、が世のならい。珍しい事ではない。
そして「協和の人」となる?ん〜、それだったら「大曲の人」でいいような気もする。・・・と、誰も聞いてないのに延々一人で悩む、平和な私・・・。
 でもその看板、秋田から大曲に帰るときにしか気付かないのはなぜかしら。反対車線からでないと、近すぎて見えにくいのかなぁ。

2007年6月21日(木)

 県立博物館の書庫の資料整理をする日。そのあと、いろいろな打ち合わせ。特に今度の館外研修は払田の柵や農業科学館など、私のシマ地方。ここは私が頑張らなくてはっ。と、午後から夕方にかけて、六郷湧水群なども含めて、ルートを、時間を計りつつ歩いてみる。このところ忙しくて運動不足だったので、良い運動になった。道の駅に立ち寄って、その人数が食事できるかも聞いてみる。
 ところで、ちょうど次の号の「take-up」に酒蔵探訪として「福乃友の蔵」が載る。なかなかよい風情でもあり、こちらもオススメしたいスポットではある。私の絵は別に見なくてもいいから!(見てもらってもいいけど!)

2007年6月20日(水)

 仙台の佐々重Pはスロープがキツく、何かで停まると坂道発進が大変。(はい。私はへたっぴいです)。一台あたりのスペースも秋田じゃありえない狭さ。それでも場所が便利なので愛用しているけれど、昨日は停めちゃってから夜9:30に閉まることに気付き、「ひいぃ。それは絶対ムリ」と、ベルモースP(フォーラスには一番近いオススメ物件)に入れ替え。車でエレベーターに乗るのって、楽しいですね。車高の(とても)低い車でよかった。でも仙台は駐車料金って高い(涙)。
 そんなこんなで夜中前にやっと大曲に帰り、それからいろいろな事をしていたので、今朝はさすがに起きるのがイヤだった。
 不思議な事。よく鶴巣P.Aで給油する。昨日は「じゃっ。秋田までお気を付けてっ」と 送り出してもらったけれど、ん?なんで秋田に帰るって分ったんだろう。大阪ナンバーだよ?前にそんな話したかなぁ・・・。超能力者かも。

2007年6月19日(火)

 昨夜。指名手配され、とっ捕まって病院(状の所)に収容される夢を見た。やはり気にしていたとみえる。
 とか言いながらも今日も病院へは行かず、せっかくの定休日(福乃友さんの)なので遠方の街仙台へ。目的は「倉橋ヨエコ」。(敬称略)
 昼過ぎまでプリンターと格闘していたので出遅れ、急いで泉のJ−WOODで誕生月割引でバリ雑貨を買い、幹線道路は混むので抜け道を開拓しつつ佐々重まで行って駐車。自然食品を買い白洋舎でクリーニングを出し、阿部蒲鉾のひょうたん串100円で立ったまま腹ごしらえし、ウンナナクールで下着アイテムを買い(秋田にはウンナナがなく、サイズ面で苦労するのです)、フォーラスのオーガン、ブッダパームスなどでスタッフと再会を果たす。どこへ行っても「おや、今日はお一人?」と聞かれるけれど、平日だよ・・・平日はいつも一人じゃないですか。
 この日記の、今年1月6日でもご紹介したけれど、キャスロンのジンジャーエールはすごい。本当に生姜をしっかり搾ってつくってある。スープセット(パンがお代わりできる)ももらって夕食。ゆっくりしてからライブハウスへ。
 ここ、JUNK BOXは部屋がタテ長で後ろだと遠いので、一番前で。
 倉橋ヨエコという人は、本当に変わっている。三田佳子をもう一段階美人にしたような外見と、曲から受ける印象が微妙に、合ってるようで合ってないような・・・(合ってない)。きっとハマるとやめられない(でも人に勧めても意見が分かれるようだ・・・)。歌う人というものは、トークの時の感じと歌い始めてからだと、目つきが一瞬にして変わるので、怖い。怖いけれど、その瞬間を捉えるのがライブの醍醐味ともいえる。生で聴く「夏」はよかった。それにこの人のキーボードはすごい。最近、「うわぁ」というような演奏を、クラシック以外の所で聴くことが多いのはなぜでしょうかしら。3月にもチケットを買っていたけど大雪のため秋田道〜東北道が通行止めで行けなかった裏日本人なので、今日は来られてよかった。「秋田にも来て下さい!」などとお話もでき、握手もできてしまった。いじらしいファンの私なのだった。 

2007年6月18日(月)

 朝から大急ぎで新人プリンターと格闘・・・じゃなかった、仲良くすることに精を出す。でも時間切れ。友達と久しぶりに会える予定の場所へ急行。このところ隠居宣言をしていたので、本当に久しぶりで、ものすごく楽しみにしていたし、事実とても楽しかった。ネタはアイスコーヒーのおいしい淹れ方。焙煎工房麻布珈琲さん、南太平洋さん、ありがとうございました。やはり、こういう時間も持たないと生きていけないかも。(←大げさ)。
 ところで土曜日、「田なか」から帰ってきてから出血を見た私。今回は胚移植できないほど子宮内膜が薄い月で、ひょっとしたら自力では生理は始まらないかも、と思っていたので、一安心。でも退院時の書類の「次回来院日」の欄に今日の日付をいちおう書いて出したし、次の移植のためにも病院には行くべきだろうなと思いつつ、出頭せずに今日という日は終わってしまう。実は気になるけど・・・。まぁ、なぜか今周期は心も体も疲れてるし・・・。休養しましょ。
 解散後も3ヶ所ほどに寄り、またまた大慌てで大曲に。「take-up」に載せていただく絵の画像ファイルをメールで送るのを忘れていたので、夕方までにはそれを送らなくてはならない。なんとか2枚選んで送り、やれやれ。
 折り返し、校正するためのゲラが来る。な、なんと蔵もお酒もカッコよく写っていることよ。私の写真なんぞ、はっきり言って実物よりいい・・・ので、電話の時そう申し上げたら、ウケてしまった。
 県南中心に出回る「take-up」(テイクフリーの情報誌。あちこちに置かれています)は多分25日が発行日だったと思います。みなさま、お楽しみに(?)

2007年6月17日(日)

 6月2(土)3(日)と2日間、採卵のため入院していた。後から薬を追加してもらったからなのかどうか、とにかくその2日間は、こんなの生まれて初めて、というくらい穏やかにぐっすり眠った。
 それ以来、どうも体に力が入らない。きっと私の体は、「寝るのってラクで幸せ〜」と学習してしまったのだろう、この機会に。
 昼間は、こまごました用やいろいろな人と会ったりで、やはり出掛ける日が多い。なので、帰ってからの、夜の時間が使えなくては話にならない。すごく困る。なんで朝8時まで寝たのに夜10時にまた眠くなるのか?
 これではちゃんと絵を描く時間が作れない。ホームページは更新できないしメールのお返事書きは溜めてしまう。家の中の様相といったら・・・。忙しいときは2〜3時間の睡眠でぜんぜん平気だった私は、入院以来、タマシイを抜かれて別人になってしまったとしか思えない。そう、それだな。きっと。
「X−ファイル」みたいに・・・。
 こんな私は家の者から、今度は「カプグラちゃん」と呼ばれている。

2007年6月16日(土)

 昼は秋田市内でランチその他いろいろ。3時には神宮寺の福乃友会場に帰って来て「take-up」(テイカップ。秋田県南のクーポンマガジン)の取材をうける。次の号に、福乃友の蔵と私の作品展のことが掲載されるらしい。ありがたい事です。以前にもお会いした方でもあり、話が合う人なので、スムーズにすすむ。カメラの方も女性で、もちろん私はすかさずナンパ(名刺交換とも言う)。さくさくとタコヤキパーティーの計画を練る私達なのだった。
 それが終わると、また秋田に取ってかえして人と会ったりプリンターを見に行ったり。大曲の店舗には現物を置いてない機種もあり、つい臨海十字路まで来てヤマダ電機とMAXデンコードーをはしごしてしまう(余力があれば卸町のコジマにも行きたかった)。今日びはほとんど複合機になっていて、とまどうばかり。でも今のプリンターはもう働ける状況ではないので、引くに引けない。なんとか決めて一つ買う。何でこんな忙しい時につぶれますかね・・・。
 もうとても、これから大曲に帰ってゴハン作れない・・・と、美味しいものをいただきに「酒庵田なか」へ。座ったとたん、驚いて立ち上がってしまう。なんと、メニュー表の表紙が私の個展の案内状だ・・・。ありがとうございます!あ〜びっくりした。そして、後ろの「小泉バス停」・横の「ももさだカエル」に囲まれておいしいものをもらう。照れますなぁ、このシチュエーション。帰ったら、お風呂だけ入って、メールボックスすら開けられずに寝てしまう。
 ここのところ、夜は寝てしまって、何も出来ないのが悩み・・・。

2007年6月15日(金)

 午前中に道の駅「雁の里せんなん」へ。個展と体外受精で忙しく(ものすごく違うものを同時にやっている私が悪いんです・・・)、またプリンターの調子が悪いこともあって、なかなか販売用のハガキを夏物に交換できなくて申し訳ないと思う。思うあまり、行きにくいほどだ・・・。でも、いよいよもう全然ダメっぽいプリンターは買い換えることにして、それやこれやを、お話に行く。そして食菜亭で日替わりランチ。今日は牛丼、ワンコイン(500円)でお腹満足のすぐれもの。昼から福乃友会場へ。ちょこちょこ額を整備したり、手紙類を書いたり、お庭をスケッチしたり、仕込み水コーヒーを飲んだりして4時。
 会場を出て、お世話になっている大曲市内の印刷所へご挨拶がてら寄らせていただき、それから西木村の友達の所へ。今日お会いしたのは正確には母子のお母さんの方で、「友達」と呼ばせていただくには私より年上なのだけど、年齢の差を感じないくらい、私達は気の合う友達。お互いに「なんか好き〜」と言い合うアブナイ私達なのだった。
 バラやクレマチスを見せてもらい、ここ「Kimoto」のお惣菜を買い(やれやれ。これで今日のゴハンの仕度がラク)、大曲に向かう。途中で電話が入り、7月に由利本荘市の小学校の臨時授業で絵のお話(&実演?)をすることになる。さあっ。45分の授業でどこまでできるか、やってみよう。若き日、教育実習とやらにも行っておいてよかった。・・・でも、よく考えたら、あれは高校で、しかも国語だったなぁ・・・とほほ。

2007年6月14日(木)

 用があって秋田市内に行き、そのあとベイパラダイスのカフェラテでお昼。なんと!感激の再会もあり、この機会にと、2回分もの県北デート(女性同士です!)のお約束をさくさくと締結。さあ〜忙しくなる〜。鹿角花輪・関善展のこともあり、夏後半は県北を中心に徘徊する予定の私。何枚描けるか?
 カフェラテのあとは県立博物館へ。前回展示時のお世話になったご挨拶を改めてし、あわせて今回の案内を申し上げる。
 それから山王の生涯学習センターにお邪魔する。こちらでも入ったところのホールに1ヶ月ほど展示するお話があり、それをいつにしようか、何枚くらい、展示用パネルは何枚、どこに置くか、吊り金具の事、など、いろいろお話を聞いて打ち合わせ。
 そのあと3ヵ所に寄ってから大曲に帰る。最近、なぜか用のほとんどは秋田市内。いちいち大曲に帰ってくるのはムダだと夫は言う。だからって、どうしろと・・・?

2007年6月13日(水)

 初日。記録的猛暑となったこの日、どこを見ても人っ子一人出歩いていない・・・。蔵はこんな日でもしのぎやすいのが驚き。早めに出て久しぶりにイーストモールのZEN(美容室)へ行く。髪を整えてもらうのも嬉しいことだけれど、大坂さんはじめ、ここのスタッフの人たちはみな明るくパワフルに面白いので、会うのが楽しみでもある。ちょっと早く着いたのでミスタードーナツに入ったら「東さん!(私はここじゃ旧姓)」と呼ばれ、見れば大坂さんがお茶を終えたところだった。「じゃ、始めますか」とぞろぞろZENへ移動。これって・・・これがハナシに聞く「同伴出勤」ってヤツね!(ちがうって)。

2007年6月12日(火)

 搬入。福乃友さんの、もと文庫蔵だったというこのギャラリースペースは、少し暗いけれど落ち着いた雰囲気がよくて、福乃友スタッフの方々と言葉を交わすようになる以前から「いいな」と思っていたスペース。
 こうしてご縁ができ、展示に至ったことは不思議なような気がする。
 社長自らが運ぶのを手伝ってくださり、恐縮しつつも無事搬入完了。
 搬入の時はいつも、全く化粧はせず、服装もジーンズにTシャツ、スニーカー。この格好で多くの人に会ってしまうので、カナシイといえばカナシイけれど、今日も滝の汗だったので塗っていたらもっとひどい事になったと思う。こういう時はどうしても、顔をさわった手でいろんなものにさわってしまうことにもなるので、スッピンはさけられない。日頃のお手入れが問われますなぁ。
 でも、虫さされ・日焼け・シミそばかすは、スケッチャーの職業病なので、仕方ないです。(←ひらきなおり)

2007年6月11日(月)

 病院に電話する日。私の卵が無事凍結できたかどうかを。ああ心臓に悪い。こんなに心臓に悪い事はもうやめようと、いつも思う。(思うだけ)
 電話そのものは、「凍結できました」ということで、一瞬で終わる。ちょっと待てーっ。いくつ?で、私はいつ病院に行けばいい?と、思っている間に電話は終わる。もういいや。木曜の話から考えても、きっと1個だ。病院に行くタイミングは・・・もう、私の好きな時に行かせていただく。
 こうして、新宿御苑を見ながらお茶を飲んでいた間も、盛岡で平原綾香を聴いていた間も、絶え間なく私の心を悩ませていた「電話問題」は終了。

2007年6月10日(日)

 平原綾香のライブ、盛岡にて。私はこの人のCDは一応全部持っているので、ファンと呼んでもらってもいいと思う。しかも、時々車の中で、一人もらい泣きしたりもしている・・・(恥ずかしいので内緒です)。
 あまりにも忙しくて途中からしか行けなかったけれど、一番通路側の席だったので助かった。静かに聴く。
 平原綾香という人は、本当に、「悲しい気持ち」というものがわかっている人だと、いつも感じる。音楽一家に生まれ、自分も才能があって、若くてかわいくて、そんな人になぜこんなにも悲しい気持ちがわかるのか、と思うけれど、天才とはそういうものかも。そして、人の心の底は、誰にも見えない。
 それにしても、やはりレスピーギのメロディーラインはすごいものだと思う。
もうかれこれ、ながいこと残ってるもんなぁ。
 盛岡は大曲に近くて帰りが楽ちんなので、各アーティストの人たちは、もっと盛岡でライブして欲しい。秋田ならもっといいな。(大曲ならもっといいけど、さすがにそこまでは望みません・・・。)

2007年6月9日(土)

 世界堂に額装する絵を持って行き、いろいろ頼む。出来上がるまで2時間位あり、その間ウロウロする体力は今の私にはないので、5Fの喫茶室でゆっくり休ませてもらう。眼下に新宿御苑のはじっこと新宿高校(すごくカシコイ学校らしい)が見える。明るく、くつろいだ雰囲気の空間で、お店の人もやさしい。新宿中、いや東京中捜してもこんなに空いた(失礼!)快適空間があるだろうか。
 テーブルいっぱいに仕事道具を広げて作業させてもらいつつ、煮出しミルクティー。一段落してお腹が空いたので頼んだえびピラフもおいしかった。

2007年6月8日(金)

 昨日は、それを訊きに行ったわけではないけれど、私の受精卵の「その後」も教えて貰えた。2つのうち1つは分割のスピードも落ちてきて雲行きが怪しくなってきたけれど、もう1個はすくすくと、明日あたり胚盤胞になりそうだ、と。と云う事は今ごろ凍結されつつあるのかな。
 今回は遠征してないし、注射もかなり少なかったので、経費は今迄で一番少なかったと思う。麻酔もあって、入院もして、ラクに楽しくできたし(「楽しく」という言い方はちょっと違うか・・・)。すごく、トクをしたような気分。
 体調も戻りつつあり、やっといろいろな事がはかどり始めたけれど、どう考えても、「はかどり始める」のが遅かった・・・。しかもこの土・日は予定がびっしり入っていて、何も進められない。でも、時間も体力も、精神力も能力も、なにもかもが有限なので、仕方ないです・・・。できるときに、できることを、できるだけする、もうあんまりな無茶はしない、と自分に言い聞かせて。
 (いつとは言わないけれど)もうすぐ私の誕生日なので、当然ながら年齢も一コあがる。おとなしく生きて行こう。
 (あっ、そか、「双子座」って事はプロフィールに書いてましたね。)

2007年6月7日(木)

 久しぶりに外出してみると、やはりお腹が痛い。歩くと響くし、シートベルトが当たるのも痛い。木曜は不妊関係の外来は休診の日だけど、一般婦人科の先生にでもいいから診て貰うべきかも知れない、でもどうだろう、ちょっと訊いてみようか・・・と、とりあえず予定はキャンセルして病院へ。うまい具合に外来受付の人と廊下で遭遇、訊いてみると、今日は先生がいらっしゃるので診て貰いましょう、とのこと。きっと本当は予約患者さんだけの診察なのに、と、肩身狭く待合で待つ。
 診察の結果、とりたてて異常は見当たらないとの事、よかった。ばい菌など入ってるかも知れない、と、抗生物質と消炎剤が出る。今日びは電子カルテになっていて(紙のもある)、モニターには今迄の受診記録の欄もある。
「他科受診歴も全部見れるんですね・・・」。先生、「見ようと思えばね」「老眼だの五十肩だの書いてあるからすごくイヤ」「えっ。じゃあ見てみよっと♪」
先生・・・忙しい筈なのでは?一度閉じた画面をまた開いて・・・。
 五十肩は関節周囲炎と。老眼(老視なんとか)は、しっかり書いてあった。先生は嬉しそうに
「あっ、でも綱島さん、近視ってのも書いてあるよ」思わず突っ込んでしまう。
「よけい悪いですっ!」
 新しい医師臨床研修制度のせいで地方の(地方の大学病院の)医師不足が声高に叫ばれている昨今、この病院でも例外ではない(みたいだ)。シロウト目にも、「うそっ」てくらい忙しいことはわかる。なのに、この病院では誰もトゲトゲした所もなく、忙中閑ありというか、こうして私のようなあほな患者にもキッチリ付き合って下さるわけで、これって、ものすごい事だと思う。
 かくも楽しい病院なので、行っただけで治ったような・・・。薬が効いてだいぶ楽になったような・・・。こんなにも薬が効きやすい私は、仲間(家族)から「プラシーボちゃん」と呼ばれている。

2007年6月6日(水)

 このところ、たとえようもなく切羽詰っているスケジュールの私。実は入院する時も、荷物の中に秘かに仕事道具を忍ばせていた。でももちろん、それどころじゃなかった。
 入院で2日を費やしたのみならず、帰ってからもずっと体調があやしく、寝てばかりいる。私としたことが、退院以来、家から出掛けてもいない。
 明日は出掛けようと思うけれど、お腹と腰がこのところ、少しだけど痛い(腰はだいぶ痛い)。ものすごく困る。でも、まぁいいの、私の事は。今周期、子宮内膜が薄くて移植できなくて、かえって良かったかも。私は弱っていても、卵たちは暖かいところですくすく育ててもらっているなら。

2007年6月5日(火)

 ところで、我が家に住み着いたセキレイ夫婦。その後どうなったんだっ、と、思うでしょ。巣を作ったはいいけれど、なかなか、卵を産んだ様子も抱卵している様子もない彼ら。
 「おいおい、この家。ひょっとして鳥まで不妊か・・・?」(失礼!)と、セキレイに容赦ない突っ込みを入れていた私達(それでも私達が話すと嬉しそうに聞いている)。
 そうこうするうちに、巣をかけたのが窓の桟のすぐ上で、開け閉めの振動で次第に緩んだのか、巣が落ちてしまった。こんなにも精巧な巣なのに・・・。
戻してやろうかとも思ったけれど、どこに、どのようについていたのかよく解らない。作り直してもらうしかないと思う。彼らはよっぽど私達(というかこの家)を気に入っていたようで、また同じ所にと考えているようだ。でも、夫は、
 「まだ卵がなくて不幸中の幸いやった。ここに作らしたら、また落ちると思う。今度は卵とか、ヒナとかおったら、かえって、すごい可哀そうやで。別のとこを考えるように、言うたほうがええと思う。」と言う。
 そこで、泣く泣く、セキレイたちを説得・・・というか、つまり、心を鬼にして追い払う。お互いに、だいぶお互いの存在に慣れてきていた。鳥が巣を掛けて子育てする、というのは大変縁起のいい感じもするし、そればかりでなく、やはり、小さなものが生まれ出て成長するのは、それがひとごと(鳥ごと?)であっても心あたたまることだ。さびしい。せめて写真があって、よかった。

2007年6月4日(月)

 あの6月2日、こんなにも多くの人に祈ってもらっていたという事を知って、感激する。私が直接お知らせした人もそうでない人も、伝聞とか、このHPで見たりとかで採卵の事を知り、心に留めて下さっていたようだ。メールもいっぱいもらう。ありがとう、みなさま・・・。直接ことばをくれたひとも、そうでない人も、みんな・・・。私は孤独ではなかったのね。
 体調はあまり良くなく、腰が痛くお腹が痛く、眠くて眠くて、ひたすら寝る。
みんなのくれた祈りのパワーが、卵に届いているといい。今ごろすくすく分割しているかなぁ。2つとも戻して双子になるといいな、スターウォーズみたいだ。名前はルークとレイアで決まりだな・・・などと、うつらうつらしながら愚にもつかない事を次々に考える。

2007年6月3日(日)

 昨日、診て貰った後はまた幸福にうつらうつらして(クスリ好きな体質?)、一気に回復、夕食は完食。さっきまで「吐き用」のビニール袋を握りしめていたというのに、お調子者・・・。ちなみに朝も完食。ここの病院食は、病院にしては暖かくて美味しい。食器も使いやすい。特にご飯は、さすがは秋田、きっとあきたこまちだろう。以前は病院食ですら塩辛く感じた元大阪人の私も、今じゃすっかり秋田人なので、がっこも味噌汁も、お茶の子さいさい。
それでも、やはり、お醤油の小ビンが付いてくるのは謎だ・・・これ以上、何に掛けろと言うの・・・?
 ウトウトもあわせると17時間くらい寝てしまった。処置と食事、洗面のほかはずうっと寝ていた。消灯後、眠れなかったら散歩したり1階の自販機コーナーでカップコーヒーを飲んだりしよう、きっと普段と違う感じがするだろう、などと計画していたのに、部屋の電灯が消されると同時に意識を失い(9時ですよ、9時!)、翌6時に再び点けられるまで昏々と眠ったのだった。普段は睡眠2〜3時間が続いてもへっちゃらなのに、なんで・・・。
 9時から10時の間に先生のお話があります、と聞いていたのに、8時過ぎに枕元のスピーカーから呼ばれる。驚きのあまりしばらく返事するのを忘れてしまった、昨日と同じ人だ・・・。週末ですよ週末、一体いつ休むんですっ!
(はい、私達患者のせいでございます・・・)
 3つの卵のうち、2つが受精(もう見てきたのか・・・)したという。ううむ、やるなぁ、私の分身たち。ただ、やはり私の子宮内膜が薄く、今期は移植できないので、胚盤胞まで育てて凍結する。この、胚盤胞まで、行くかどうかがわからない。来週の月曜日に電話をして、凍結の確認をすることとなる。この電話が、心臓に悪そう・・・。お話の後少し休み、片付けたり書類を書いて出したり。迎えが来るというのでまた寝る。
 やがて回収され、あまりスッピンの妻と出歩きたくなさそうな夫と(まぁ、ムリもなかろう)、さくさく帰る。くらくらするような日差しの中、病院近くの道のべでは、ルピナスが満開だった。帰ってからまた眠る。食事と入浴の他はずうっと眠っていて、11時頃からは本格的にぐっすり。そのまま翌7時まで・・・。一か月分くらい眠ったのじゃないかと思う。

2007年6月2日(土)

 膣壁のみ麻酔の採卵・東京での全くの無麻酔採卵、どちらにも懲りて、今回は点滴でも麻酔を入れてもらえる入院採卵にしたので、とても安らかに臨めた。回を重ね、当然ながらそのぶん年齢も上がってきて、複雑な思いがないとは言わない。それでも、今回、採卵してもらえてよかったと思う。
 今回の採卵は、今迄で一番、採卵自体が楽で早く済んだ(麻酔も十分だったし、卵巣がいい位置にいてくれた)。針を刺す時に「はい〜、ちょっと頑張ってね〜」と言われるので、その時はちょっと頑張る。これを数回繰り返して終了。結果、3つもの卵が採れた。今回は強い注射は控えめで、クロミッドでの緩やかな排卵誘発だったのに、今の私の卵巣実力(←今作った言葉)からみても、これはすごいと思う。
 病室で、夢と現のはざ間をうつらうつらする。幸福な気持ち。今まで生きて来て、こんなにも幸福な気持ちだったことがあるだろうか、というくらい。これが麻酔薬の作用によるものだとすれば、薬物依存に陥る人の気持ちも少しはわかるかも。いつもいつも使っていたいと、やはり思うだろう。
 昼食が配られ、お箸を家に忘れて来ていたので、売店の開き時間(土曜は昼迄)の内にと急いで買いに行く。立ってみた感じで「楽勝楽勝♪」とスタスタ歩いていたら、やがて脂汗がふきだし、気持ちが悪くなって別の階の他科(どうやってそこに行き着いたかは謎)の前で行き倒れてしまう。単に、まだ麻酔が効いていただけだったのだ・・・(バカ)。車椅子で3階に引き渡され、もうとても食べられない(お箸を買いに行った為に・・・)ので、また寝る。
 今度は3時頃(かなぁ)、ふと電話を掛けに行ったところ、思いのほか遠くて途中で腹痛、気持ちも悪くなり、またまた行き倒れ・・・。看護師さんが先生に連絡を取って下さり「も一度診てもらう事になりました」と運ばれる。大事はなく、痛み止めなどの点滴追加。もう一度針を刺される事となり「ごめんね」と言われるが、いや、私こそお仕事を増やして申し訳なし。麻酔の冷め際は要注意。反省。うろうろするのはやめます・・・。
 楽できた事。いつも、採卵の後の夕方、自分で医療用のタンポンを抜くのだけれど、これがまぁ、本当に抜きにくい。汗だくで引っ張っても引っ張ってもびくともしない、って感じで、今回も「あれが嫌だなぁ」と考えていた。今日は行き倒れて診て貰ったので、その際先生に抜いてもらえた。しかしまぁ、自分じゃ苦労するはず、先生の手にかかっても、なかなかなのだった・・・なんか・・・絵的にかなりトホホな状況かも・・・。でも、この期に及んで今さら中途半端に恥らってみても、まったく無意味なのでした。

2007年6月1日(金)

 明日は朝一から入院して採卵だというのに、今夜の私はライブハウス(スカイホテル地下のClub Swindle)へ。今年20周年になるJOY STICKというバンドがあり、5月19日のレッドハウスでのライブの時に今日のチケットは確保してあった(←言い訳?)。結成20年、というからには、皆様それなりのお歳の筈なんだけど、いくら目を凝らしても、誰一人そうは見えない!すごいものだと思う。
 気持ち良いほどに伸びのあるボーカル、声量、安定した音程・確かなセンスでメリハリの利いた演奏を堪能させてもらえる楽器の数々。ほれぼれと元気をもらえる、そんなバンドです。これで明日の採卵はバッチリ!?
 もう絶食時間帯に入ってるし、さすがに今夜の私は最後までいられなくて、ひたひたと帰る。
 帰ってみれば、大曲でもいろいろあったらしく、夫は仕事におおわらわしていた。気の毒に・・・一晩中仕事?明日の朝は大丈夫なんでしょうか?週末は大曲から出られない事となったみたいだし、私はまた一人で入院して一人で退院するのか・・・。

2007年5月31日(木)

 という事で、朝一で病院。今にも降りそうな曇り空。木曜は、先生が病棟と外来を行ったり来たりでお忙しいから待ってもらう事になるかもね、と言われたので、心して早目に来て、待合の長椅子でジッと待つ。
 結果、あさって採卵。今日が切り替え日となり、夜11時、排卵を促す注射を打ってもらう事になる。いつも大事な時に腸のウラに隠れてしまう左の卵巣も、今日は前にいるようだ。く〜。今日が採卵日だったら採れたのに。
 3つくらいは、採れそうとのお話。ただ、大きさにばらつきがある。未成熟卵は使えない。以前よそで、採れた未成熟卵を数個、成熟させてから顕微で受精させてもらった事もあるけれど、結局その卵たちは胚盤胞になる一歩手前で全滅したので、まぁ私も未成熟卵に未練はない。3つくらいなら普通の人は入院せず外来採卵するのか、「どうしますか」と聞かれるけれど、いや、私にはムリです。もうシラフでの採卵はこりごり。我慢のカケラもないヤツと思われてもいい。
 「入院します」
 と、いうことでさくさくと書類を渡され、2日の入院が決定。協和の薪能は、もう行けない。でも、たとえ日帰り採卵にしても、採卵した夜にそんなの、私には絶対ムリ。採卵のダメージには個人差があるけれど、今までいつも熱は出すし痛みには弱いし、私はかなりダメなほうみたいだ・・・。
 夜更けの注射に行くのは、心細いような気合が乗るような不思議な気分で、いつも静かにひたひたと行く。朝からそのまま秋田市内にいる時もあるし、いったん大曲に帰るときもある。今の時期はカエルの鳴き声が最も盛んな時なので、ちょっと田んぼの脇に車を停めて降りてみると、耳が「ウワーン」となるほど鳴いている。田植えの済んだばかりの水田に月が映っていて、夜風は肌寒く、こうして真っ暗なあぜ道をゆっくり歩いていると、本当に子供が欲しいのか何なのか、もうわからない。
 ・・・ま、考えても分らない事に頭を使うのはやめて、とりあえずあさっての採卵、頑張ろっと。
 ふたたびター坊に乗り込んで、注射に向かう。

2007年5月30日(水)

 病院。今日も経膣エコー検査。強い注射を打っても卵胞の反応は鈍くなって来ていた私だけれど、今回は「クロミッドなのに反応がいいですね〜」と、先生に嬉しそうに言ってもらえる。
 一日おきに注射を受けたのだけれど、月曜日11ミリだった卵胞が今日は16ミリ。「この計算でいくと、あさってには20ミリ越えちゃってますからね」
 ということで、あさってではなく明日も、朝一で病院。我ながらご苦労なことだと思う。先日夫が
 「あんたが、これほどまでに何かに執着するところを、初めて見た。」としみじみ言っていた。一見凝り性だけれど実は、竹を割ったように引き際のよい(よかった)私。こんなことになるなんて、予想も出来なかった。
 なんでこんなことに・・・。

2007年5月29日(火)

 実は私は「手洗い名人」。ドライマークでも、特殊なもの以外、何でも洗面台で洗ってしまう。そしてまた、私が手洗いすれば、「ほとんどサラになった!」と驚かれる仕上がりになるのだった。コツは「全身全霊で目の前の洗濯物に集中すること」これに尽きる(精神論的だ・・・)。
 ・・・ということで今日は手洗い。そして昼過ぎから来客。
 昭和48年築の借家である今の住まいは、縁側や床の間といった空間も多く、増改築で2階が2箇所にあるという不思議な間取り、アップダウンの多い(つまり階段が多い)構造、と、面白いことがいっぱいなので、誰に見せてもウケてもらえる。家、というものはそれぞれ、言葉に出来ない雰囲気を持っているもので、それは、客観的な新しさとか機能性とか立地とかとは関係ない。
 今の住まいは、はじめて一歩入った瞬間に、ひとめぼれしてしまった。理屈でも条件でもなく、そうさせる雰囲気を(少なくとも私に対しては)持っていたと言える。
 紆余曲折あったけれど、こうして住めることになってよかったと思う。
 家のほうでもそう思ってくれているといいな。
 夕方は仕事(のようなもの)で角館へ。

2007年5月28日(月)

 そして病院。
 大病院というものはどこでも患者数が多く、一人一人なんていちいち覚えられていないだろう、と思いがちでしょう。けれども、聞くところによると、患者さんの8割くらいは覚えられているのだとか。すごいですね。
 ところがっ。私は、多分しっかり、その残り2割に入るようなのだった・・・。詳細は書かないけれど。思わず突っ込みを入れてしまう。
 今日の診察の全てが終り、待合でぼんやりしていると、中のスタッフの間で
「いやぁ、カオ見たら、まぁ思い出すんだけどね・・・」
 と(私の事らしい)話されるのが漏れ聞こえてくる・・・ははは。
 きっと私、知らず知らずのうちに気配を消して隠密のように行動しているのでしょうかね(なんでや・・・)。どうも印象の薄い患者のようだ。色の着いた空気以下の存在感なのかもしれない。
 まぁ、「見たら思い出す」んだから、いいか・・・。
 卵胞はまだ小さく、注射は追加。

2007年5月27日(日)

 昨日からなんとなくどんより。わけはわかっている。
 わかっているけどどうしようもないので部屋の隅でただじっとしているだけ。
 そして、明日も病院だなぁ、とか、思っているだけ。

2007年5月26日(土)

 病院に行く日。夫が「一緒に行っていい?」と起きてくるので、「え゙〜っ、来るのぉ?」と仕方なく(?)乗せて運ぶ。卵胞がまだ小さかったので、採卵に向け注射を追加していくことになる。
 それはいいけど、どうも、私は顔と名前を覚えられていないようだ。
 そうなのか・・・。まぁ、凍結卵があることもついでに忘れてもらってるみたいな気がするので、このままとぼけていられて、いいかも知れない。
 病院に行く途中は、「終わったら福寿草(秋田から青森に入った所の海沿いの食堂)に行ってイカ焼きを食べよう!」と息巻いていたのだけれど、いざ病院が終わってみるとすっかり気抜けしてしまって、広面のナガハマコーヒーでぐったりする。お昼を静かに「ファームハウス旬菜」で食べただけで帰ってしまった、私にしては気勢の上がらない一日でしたとさ。

2007年5月25日(金)

 珍しく夫が休みをとったので、太平のあっけら館でお昼を食べ、太平中関のつつじ園に行く。個人の方、Kさんの所有によるものだけれど、こうして咲いているところを無料で開放されている。昨夜の雨に叩かれた花も多かったけれど蕾もいっぱいあって、まだまだこれから。
 ついでに千秋公園のつつじ状況もチェックし、あずまやでおやつを食べ、なぜか出来心で佐竹資料館を見てしまう、まるで観光客。
 佐竹資料館前の前の牡丹は花盛り。でももう描けない・・・疲れた・・・。
 夜はフォーラスで映画を観て帰る。家族サービス(?)の一日だったかも。

2007年5月24日(木)

 県立博物館の用の日。今年度からやり方をいろいろ変えていかなければならない、ということになって、知恵をだしあう。工夫するのって好き。でも、私が忙しくて、十分な働きが出来ないことを申し訳なく思う。ボランティア仲間のSさんと飯島のサエラでランチをし、頑張ろうねと励ましあう。
 そのあと、かねてより目を付けていた国道13号線沿いの紫木蓮をスケッチに行く。ここは船沢バス停の近くで、ちょっと先に登坂車線がある。当然、このへんからはドライバーたちがギアを3速くらいに落とし(加速し始めてからダブルクラッチする人を除く)、舌なめずりしながら前方を覗う、という地点なので、静かにスケッチする私の頭の後ろでは、車たちがせめぎあっている。今日ばかりは、「まぁ、みなさま・・・そんなにお急ぎになって・・・はしたないですわ・・・」と余裕の微笑みで見守る私だった・・・。
 ここの紫木蓮は夕刻早く日の蔭る所にある為か花もちがよく、よそではだいたい終わっている今時期も咲いている。まだ蕾もある。ここのお家の人に「きれいですね」とか「ここのは花もちがいいですね」とか、「お手入れ大変ですか」とか、ちょっと話してみたいけど、さすがにピンポンを押してまでお呼び立てするのも気が引けるので、ガマンして黙々と描く。
 夕刻、ニューシティの秋田贔屓に絵ハガキ納品に。Iさんが昨日行かれた同じお店に、私が今日これから行こうとしていることがわかって、驚き合いながら、オススメ料理など教えてもらう。

2007年5月23日(水)

 「おや、凍結卵がもう一個あったのでは?それは置いといて採卵を?」
 というお声をちらほらいただく。そうです。置いとくんです!
 先月、東京まで行っての凍結卵胚移植でしっかり撃沈した私。時間が経つほどにさらに、あの卵のことがもったいなく思えてくる・・・。
 こんな気持ちがもし2回続いたら、と思うと、怖ろしくてとてもとても、なけなしの凍結卵なんて使えないです。
 もうこのさき卵なんていくらも採れないのに。

2007年5月22日(火)

 昨日はうっかり行きそびれたので、今日こそはと病院へ。そして、子宮内膜、ぺらっぺらの薄さ。
 自分でも何となく、生理の量の少なさから見てもそんなことじゃないかと思っていたので、通院が気ぶっせいだったとも言える。やっぱり・・・。
 採卵を希望するなら今日からクロミッドの服用が始まる。ただクロミッドを飲むことで、子宮内膜がさらに薄くなる可能性もあるので、
 「採った卵は凍結しておいて、別周期にホルモン剤で調えてちょっと内膜厚くしてから移植しましょうか」と、いう事になる。今日びはなんとでも、打つ手があるみたいで、ありがたいことです。
 このような日でも、我が家の軒下では西洋オダマキがちゃあんとけなげに咲いている。誰も見てくれてなくとも。

2007年5月21日(月)

 けっきょく病院には、行かなかった。水の入った田んぼが続いているようすを、意味もなく見に行く。細い山道を車で慎重に上がって行き、金沢の柵跡にも行った。
 誰もいない山などに一人で入るとき、足でもくじいたらどうしよう、とか思う。とりあえず携帯が圏外でないことを確かめれば、「死後○日経っての発見」なんてことにはならないだろう、とちょっと安心。
 一日、静かに過ごす。

2007年5月20日(日)

 幼い頃から超虚弱児だった私は学校も休みがち、中学生のときひどいぎっくり腰をやってそれはそのまま後遺症となっているし、高校でも肝炎・生理痛のあまりのショック状態など、救急車で運ばれる常習者だった。大学生・社会人となってももちろんそれは変わらず、「体の弱い人」で通っていた。
 それが!ここに至って、最近「タフですね」と人様から言われることが増えて驚いている。秋田に来てから車に乗るようになったことも一因かしら。元々筋肉の「き」の字もないのに(ないから?)ぎっくり腰を繰り返した結果、私の背骨は真っ直ぐではなく、らせん状に回転してしまっている。なので、荷物を持って歩く、というのは辛い。東京では電車なんてまず座れなかった。車は座ってりゃいいので、たいへん有難い。スポーツにも制約がつくけれど、秋田ではプールの競争率が低いので、適度な運動も出来る。
 でも、「タフ」と言われる本当の原因は性格にあるのかも。そう、実は「強がりさん」なんですよ〜。顔の基本形がなんとなく「ニコニコ顔」だし。
 本当は、やらなきゃいけない事の、半分も出来ていない毎日(かも)。せめて元気そうにしていないと、崩れてしまいそう。
 でも、けして体そのものが丈夫になったわけでは全然ないので、自重しようと思います。明日は病院に行こうっと。病気ではなく繁殖のためだけど。
 実は虚弱なこの体とこの年齢と周りに一人も親戚のいないこの環境で子育てできるのかっ!?という問題はひとまず棚に上げます(こらこら)。

2007年5月19日(土)

 八峰町の手這坂に行く。能代東インターからそのまままっすぐ農道を経由すれば早い。ここは、江戸期の文化人・菅江真澄が「(中国にあるという)桃源郷のようだ」と書き残した集落。今は無人で、ボランティアの丹精で桃が美しく咲き、ここだけ時間が止まったよう。
 困ったのはブヨ。秋田はまだ寒く、普段は蚊なども見ないので油断していたら、ここ無人村では血に飢えたブヨ(ハエより一回り小さい。綺麗な水辺に棲むから、都会の人は知らないでしょ)が群がってくる。防虫スプレーなんてまだ買ってない。軍手などでしのぎつつスケッチ。でも、彼らも必死で、服の中にまで入ってくるし、髪の中に入って私の頭皮をかぷかぷ噛んでいるヤツもいる。目にも耳にも来る。首もやられた。寒いし小雨はそぼ降るし、「地上の楽園」の筈の桃源郷で、思わぬ苛酷な目に遭ってしまった・・・。
 良かったのは道の駅みねはまの梨ソフトと石川そば。ソフトはラ・フランスの砂糖煮付き、濃厚なクリームにコーンはちゃんとワッフルコーン。石川そばは平たい麺で、ちょっときしめん風の外見。いつも「ゼニス」(道の駅のちょっと北。国道の反対側)を愛用していて、そこもとてもよいけれど、これからはこちらにも来ようと思う。
 夜は8時半よりRed houseにてJoy Stickのライブ。私以外にも一人で来ている女性はいて、いろいろお話するうちにだいぶ仲良くなり、アドレス交換(ナンパともいう?)成立。お互いにライブ友達ができたことを喜び合う。

2007年5月18日(金)

 顔文字の事なんか考えてる場合じゃなかった。一応「生理中」、と言ってもいいのかな・・・な状態となり、今周期どうするか、決断を迫られる私・・・。しかも悪いことに、今日の外来にはもう間に合わない時間に始まったので、「とりあえず病院」という手を封じられたまま週末を過ごすことになる・・・。
 私の心中に関係なく(当然)、我が家の玄関前の藤が咲く。通るたびにいいにおいがする。巷では紫木蓮もおわり、ハナミズキも咲き始めた。
 たとえ私が死んだって、こうして季節は巡っていくのね。
 (それも、ものすごく当然のことだ・・・)

2007年5月17日(木)

 ここに顔文字、という一つの文化がある。ネットとかでよく使われるやつ。日本人は古来、絵を「線描写」のものとして捉える嗜好というか傾向があるので(欧米なんかだと石膏デッサン調の、立体的陰影あり絵、が主流ですよね)、これは日本人の趣味に合ったのだと思う。限りなく二次元的で線のみ、の世界がかえって想像力をかきたててくれるようだ。
 これは、ちょっとあれと似ている。能。能や狂言で使われる能面に、場面場面で別な表情があるように感じ取れる日本人(&そういうのが好きな外国人)の感性。
 ちょっと年齢のいってる人だと(私くらいかそれより上)、絵文字の入ったメールがくるとがっくりする、という話もまま聞くし、確かにそうパブリックなものとは言えないだろうけれど、こういうものも発達する余地がまだまだある日本の文化って、好きです。文化の底力よ(^^)。

2007年5月16日(水)

 昨日言った事といきなり矛盾するけれど、本当に自分がここまでして子供を持ちたいかどうかは、もう、わからない。わからないまま、流されるようにフラフラと病院に行ってるような気もする(ハタ迷惑な患者・・・)。
 でももう、これは自分の決める(決められる)事じゃないっていう気もする。私は、秋田にいるこの1年、あと10ヶ月程、淡々とあと数回の採卵とか移植とかをこなそう。あとは運命のコウノトリさんが決めてくれる。
 これで子供が出来るなら、私の人生はやはりそういう運命だったのだということ。余計な事は何もかも忘れて、子供を慈しむことに自分の残りの体力も時間も捧げることになると思う。
 コドモができなかったら?う〜ん・・・。

2007年5月15日(火)

 子供のいる人生はどんな人生だろうと、考えてしまうことをやめられない。どんな笑いやどんな怒り、どのようなイヤな気持ちだの、幸せ感だのがあるのか、とか。それは、たとえ不妊治療をやめても、そしてそのことにはキチンと納得していても、日常が十分に幸せでも、やりたいことが一杯ある充実した日々を送っても、子供がいない限り、永遠に思い続けるのかもしれない。
 やだなぁ、なんか後ろ向きな感じで。

2007年5月14日(月)

 浅草では三社祭の準備をしていたというのに、北東北はこの寒さ・・・。
 今日は盛岡に。中島美嘉のライブに行く。昔はライブが苦手だったという彼女が、すっかり変わっているのを見て(相変わらずハダシだったけど)、改めて畏敬の念を強くする。あんなに年若くて、忙しくなってから歌の技術も本当に向上する、というのは出来そうで出来ないことで、えらいものだと思う。
 「I LOVE YOU」は、CDで聴いた時は、「やっぱり尾崎豊のオリジナルの方が・・・」と思ったけれど、ライブでは越えていた・・・。自身でも、会心の出来だったと思う、その後の歌からぐぐっと変わったのがシロウト目(耳)にもわかった。
 何かをしている誰かを尊敬してしまう瞬間は、年齢とか、性別とか人種とか、本当〜に関係なくぶっ飛んでしまうものだし、その瞬間を味わいたくていろいろ見たり聴いたりするのかも。
 ところで、盛岡では「ダニーハ」というカフェが好き。カフェというよりはバールに近く、実は昼でもちょっと飲める。窓側にずらっとマニアックな哲学書(その他)が並んでいて、解りもしないのにホコリをはらい、時間を忘れて読みふけってしまう。ウラには駐車スペースもたっぷりあるし、美味しい「ぱんはうすエーワン」も近くにあるし、「rakra(ラ・クラ)」2006.12号に載っているので是非。あ、パン屋さんの方は2006.10号です。

2007年5月13日(日)

 「こまち」で帰ってくる。こまちも3月18日より全面禁煙になった。そのせいか、待てど暮らせど空かないトイレに時々出会う。突っ立っていると、キャビンアテンダントのうら若きお嬢さんが気の毒そうに「タバコだと思います・・・」と、別の車両のトイレを教えてくれる。事実そうとしか考えられないにおい。困るなぁ。
 よいこと。温かいお茶をたのむと、紙カップにお湯を入れ、お茶のティーバッグを持たせてくれる。飲み終わって空になったカップにティーバッグだけが残っているのを見ると、次回ってきた人が「お湯入れましょうか」と声を掛けて下さるので、200円ぽっきりで延々一人お茶会が楽しめちゃう。気持ちが嬉しいよね。

2007年5月12日(土)

 合羽橋の道具屋筋を歩く。初めてここへ来た時、いろんなものがあるのに興奮して、その頃食べ物の手作りに狂っていたことでもあり、
 「ああ、私が大富豪ならケーキの型もル・クルーゼの鍋も全部買うのに!」と思ったことを思い出す。大富豪なのに買い物がケーキの型と鍋ってのが情ないけど。
 今、なぜか十数年前のその頃よりお金があるという実感もない・・・あの頃は体外受精なんてしてなかったからなぁ。
 夜、ホテルの部屋でおやつのゆで卵を割っていたら、その音がノックかなんかに聞こえたのか(また、やたらに固い卵だったんですよ)、隣の人がしきりに壁越しにノックを返してきてくれる。ははは。すごく面白いけど・・・いや、私、何の合図もしてませんってば!

2007年5月11日(金)

 稲住温泉に浸かりにいく。ここは卓球で有名な福原愛ちゃんのご親戚だという事で、至る所に愛ちゃんのポスターが貼ってあるのが微笑ましい。
 新緑の山ふところに抱かれて、せせらぎを聞き、木や草の匂いをかぎながら入浴する。ちょっと足を伸ばせばこういうことができるところに住んでいる不思議。
 田舎に住みたい住みたいと、言い続けながらも状況が(母が?)許さず、大阪の都会の真ん中で死んでいった父がいま存命であれば、どんなに喜んだことかと思う。鮎の友釣りは名人級だったし。
 でも、第二次大戦中フィリピンやニューギニアで戦闘機に乗っていた父なのでそのへんで死んでいたとしても全然不思議じゃない。大阪でタタミの上で死ねるまで人生がもったのだから、「まぁいいか」と思ってくれているかも知れない。私たちも生まれたことだし。
 (すいません、イノチ次へつなげるべく鋭意努力しておりますっ!)。

2007年5月10日(木)

 牛島西、という地区に縁のある日で午前中お茶を習い、午後は別件でお昼ゴハン。この辺は、私の好きなアイテム変電所の鉄塔があったり、雄物川の土手がすぐ近くにある。土手に上れば遠くに新屋の風車が望め、川風・海風両方を感じる。で、勝手にこの辺を「風のまち牛島」と名付けている。
 この、私の勝手で個人的にキャッチフレーズをつけちゃった街は他にもいっぱいあって、害のないものでは「砂のまち新屋」(私が勝手に海岸で埋まっただけ)、とか「フェリーのまち土崎」、「サエラのまち飯島」「木もれ陽の仁井田」「ヤンキーの向浜」などなど・・・。
 夜は大曲に帰って夫の職場の飲み会に。新しく来られた方の歓迎会なんだけど、もう5月半ばですよ。今まで歓迎してなかったんかいっ。
 「いやぁ、彼がここに慣れるまで待ってたんですよ」
 当の「彼」はすでに、百年前からここにいたかのようなご様子だよ?

2007年5月9日(水)

 セキレイの夫婦が一緒になったのは、たぶん最近のことだと思う。少なくとも軒先を貸している私達よりも後だ。で、もうコドモができる(でき婚かも知れない)らしい。「なんか、考えてみたら、ハラたってきた」。
 「うん、焼き鳥にしよう」と夫も即答。
 「串、串・・・っと」などと言いつつも、今日も換気扇の下はそうっと通る私達なのだった。完全に鳥に負けてる・・・。

2007年5月8日(火)

 ナンパの話の続き。
 私には、偶然喫茶店など、どこかで居合わせただけ、といったきっかけの友人もたくさんいる。(以下の記述は相手がご婦人の場合に限ります!)。
 「なんかステキだ。どういう人だろう」と思ってしまう時は、時々ある。そういう時は、ちょっとしたきっかけ、何気ない話題、軽い挨拶、何でもいいからちらっと話してみる。こちらがそう思っている時は不思議と相手もこちらに対して「???」と思っている、という事もあって(もちろん違う時もある)、どちらからともなくナンパ。(しつこいようですが相手はご婦人ですっ)。
 たいてい、「この人と友達になりたい」と思ったら、ダメもとで、意思表示はする。恥ずかしいこともあるけれど、それは、本当は恥ずかしいことではないと思う。自分にそういう気持ちがあるのにフタをするほうが、ホントは恥ずかしいことかも。
 こうしてキチンとした自分の意思によってできた友達は、子供時代の「席が(家が)隣」「名簿の淳の続き」といった状況に流された結びつき以上の友達になれることも多い。人生の宝、と言っていいと思う。
 えっと、殿方がお相手の場合はどうするかって?ナンパしません!それに、誇張でもウソでもなく、「ナンパ」されたことも電話番号やアドレスを訊かれたことも痴漢にあったことも異様に少なかった私・・・。どうも、女性のほうにモテやすいタチのようだ。
 「う〜ん。アンタはいつもニコニコしてて、それはええねんけど・・・フェロモンとか、そおゆうのが足らんのとちゃうか?」と夫(←ちょっとハラたつ)。
 いや、いいんですよ、いいんですけどね。そんなモンないほうが。どうせ殿方にそうそう気軽にお声をお掛けする訳にも参りませんし。でもこの世の貴重なもう半分は男性。ちょっとこのへんで、何とかしますか!(しません!)。

2007年5月7日(月)

 セキレイの巣作りは進む。音の響く箇所なので(ハッキリどこかは分からないけれど)、とてもうるさい。それに、あまり人間がちょろちょろしても巣を放棄するかも知れないので、なるべく日中は出掛けておく事にする(←言い訳)。
 今日は初めてお会いする人がお二方。春らしいお天気の今日、見晴らしの良いところで明るくお話しする。もちろんマメにアドレスを交換し、さくさくとナンパを進める私だった・・・。

2007年5月6日(日)

 最近我が家にいつもいつもセキレイがいる。至近距離からまじまじ見ても逃げないし、それどころか「アンタ!何かしたら、タダじゃおかないからねっ!」と気合の入った目つきで仁王立ち。
 ありとあらゆる動物(人間を含む)の、この目つきには見覚えがある。それは、子供を守る親の目。ひいい。ウチで巣作りしてるんかいっ!
 どうりで、縁側の換気扇ダクトあたりが日がな一日、カンカンとうるさいと思った。もうこれでウチでは、ヒナの巣立ちまで縁側の換気扇は使えないってこと・・・?子育てしていないヒケメのある私、セキレイに対して完全に気合い負けしてしまった・・・。

2007年5月5日(土)

 雄和の「ゆう菜家」でお昼。充実の農家ゴハン。その後秋田市内のサンウェーブの近くでコーヒー。こちらでは何だか最初から最後まで意味不明の、シュールな時間を過ごせた。いま考えても何だったのか・・・。なんだかんだでケーキを食べそびれたので、多恵要蔵でむちゃ買い(しかもすぐに車の中で食す飢えっぷり)。いけませんなあ。
 このゴールデンウィーク、珍しく遠出はしなかったけれど、秋田県内、どこに行っても子供、子供、子供の山。赤ちゃんや妊婦さんも、すごく多い。
 「二十年前の大阪とか十年前の東京とかの、10倍くらい、いてはるで」と夫も言う。冷静に考えたらそんなはず、ないやろっ!
 暗黙の内にも二人とも、もうかれこれ2年になる繁殖生活の中、人様のそういうのが目に付くようになってしまっているのね、口には出さずとも・・・。(↑じゅ〜ぶん、口に出してるって!)

2007年5月4日(金)

 ずうっと行きたいと思っていた小玉酒造蔵見学。私はここのお酒「天巧」を、秋田犬のぬいぐるみと一緒に描いた事があり、ずっと気になっていた。甲子園球場より広い敷地、文化財と呼んでもいい建物・設備。それなのに皆さんとても気さくに暖かく、充実したひと時を(試飲を)いただける。ありがとうございました。例によって運転手の私は「天巧」・・・ではなく「天巧アイス」「醤油アイス」「味噌アイス」を一気攻め。
 それから大潟村。いいお天気と満開の菜の花の中、サンルーラル大潟でも、何組もの結婚式が行われていた。人生はいろいろだけど、みなさんがお幸せに、添い遂げられますように・・・。
 秋田市内に帰ってココラボラトリー「スダタカミツ」展。憩7で知り合った須田さんの、年齢を私は今日新聞で初めて知った。聞けば「ふ〜ん、そうか、そのくらいか」と納得できる気もするし、「いや、その年齢は彼に合わない(高いような気も、低いような気もする)」とも思う。要するに、須田さんには「年齢」という概念が合わないのだと思う。須田さんの絵は、いろいろなイメージを喚起してくれるところが好き。絵、とは言っても、自分とは全然ジャンルの違う絵、絶対に自分には描けないタイプの絵を見るのっていい。
 夕暮れてゆくココラボラトリーからの旭川、秋田駅に向かって流れる車のテールランプの赤の列。今日も、いろんなことのあった一日だった。

2007年5月3日(木)

 切り絵作家鎌田沙織さんも早いものでもう短大生、帰省の夜行列車が朝9時頃に秋田駅に着くので、改札前のカフェガーデンで待ち合わせ。こまちロール(ここだけの逸品)でお茶して、私が額装品を受け取りに文園堂へ行くのにつきあってもらう。ニューシティの秋田贔屓にも一緒に行き、「あと憩に行けたら思い残すことはない」(おいおい)と言う沙織さんと憩7へ。
 彼女と解散してから麻布珈琲で豆を買い、秋田まるごと市場で食品をいろいろ仕入れる。

2007年5月2日(水)

 秋田ニューシティに補充の納品に行ったついでに、近くなので「ビアカフェあくら」でお昼。ここの牛ホホ肉料理があまりに美味しかったので、ある時大体のつくり方を聞いて、牛スネ肉でやってみた。私にもこんなものが作れるなんてっ、と世界が開けた感じがした。
 でもやっぱり、こうして時々食べに行く。美味しいものは、家で似たものを作れても食べに行くものだし、結局人は、教えて下さるお店にまた行くものだと思う。多少の品がある人間なら何でもそう根掘り葉掘り訊かないんだし。
 土崎にカフェラテの布ぞうり展を見に行ったり、新屋の運転免許センターで免許証の住所変更をしたりする。2月中旬に引っ越して以来、ずうっと気になっていたので、ほっとする。なんで地元警察に行かないのかって?いや、ちょっと、それにはわけが・・・。訊かないで・・・。

2007年5月1日(火)

 家から一歩も出ずに過ごす。こういう日もないと掃除洗濯をはじめ、片付け連絡、なにもかもの用事が溜まりまくってしまう。でも、やらなければいけないことがありすぎて、呆然としているだけで一日が終わってしまった・・・。
 カレーを作る。私は、カレーにはじゃがいもを入れない。次の日のカレーって美味しいけれど、その中でじゃがいもはちょっと味が変わるから。代わりに里芋や山芋を入れると、煮崩れも少なくて良かったので、以来そうしている。
 肉は何でもいいけれど、必ずカタマリで買ってきて好きな大きさに切る。大した手間でもないのに、これだけのことでけっこう味が違うので、やってみてソンはないです。

2007年4月29日(日)

 おとといの金曜日よりまた2週間の、「なんちゃらかんちゃらメラノなんとか」と云ういけないシミとの戦いが始まり、左頬にバンソウコウ生活。面白いのは、最近先生まで、私に合わせて「さぁ、なんちゃらかんちゃらを・・・」などと言って下さること。先生はお医者様なんだから、ちゃんと言えるのにねぇ。私の左頬の一部は今、ちょうどヘビ皮の財布のようになっています。
 さて今日はうんと早く起きて西木町へ。「Kimoto」にて借りていたカウネットのカタログを返し、カタクリなどの絵ハガキ納品。それから角館。このくらい早い時間でないと、角館に近づくことすらできないから。いろいろ、お世話になっている方々にご挨拶したりモノを整理したり。
 ところで、カウネットというのは主にオフィス向けの事務用品の通販。数がまとまれば、これで買うと安いし、種類もいっぱいあって選べる。よいものです。現実のお店では(いや、カウネットも現実のものですが)大曲にあるパッケージプラザが、モノが豊富で重宝。
 夕方には、大町の秋田ニューシティ1Fのデザインショップ「秋田贔屓」へ。27日より本格的にオープンしていて、ハガキの動きが気になるところ。意外なものが売れて品切れになっていたりして、驚いてしまう。ま、ここで作者自らが驚いては、品切れたハガキの絵に対して失礼というか、可哀相なんだけど。5柄ほど補充することになる。

2007年4月28日(土)

 午前中の窓外の、光の様子を見たかったので、頑張って午前中にベイパラダイスの「カフェラテ」へ。海側を、じっくりスケッチさせていただく。そして、季節の絵ハガキを10種類納品。
 大曲に帰る前に角館へも廻りたかったけれど、桜の咲いている晴れの土曜の今日、角館へ向けて46号線に突入するのは自殺行為のようだったのでやめて13号線をゆく。神宮寺の、福乃友酒造の蔵で吟醸アイスと仕込み水のコーヒー。こちらでは、よいご縁があり、私が季節企画品のお酒の広告のカットを担当したこともあって、皆様とのお話も楽しく尽きない。蔵では、6月13日より作品展示をさせていただくので、どうぞお越しくださいませ。
 5時からは町内会の総会に出席。夫は出られないので、私が我が家を代表してゆく。引っ越して2ヶ月ということで、改めてご紹介いただいたり、いやいや既に読売新聞や朝日新聞、「すこやかさん」などで私を見知っていて下さった方もあったりと、ワイワイガヤガヤ、お寿司を頂いたりビールを注がれるままにガンガン飲んだり、するうちに夜は更けゆくのであった・・・。

2007年4月27日(金)

 このところ、付箋(ぺたこ)片手に「カウネット」のカタログとにらみ合う夜を送っている。主な悩み事はハガキ用紙。
 あちらこちらで販売用の絵ハガキを置いて頂けるようになり、やはり、今迄よりちゃんと工夫したくなる。「KOKUYO」とか入ってないもので。印刷屋さんや紙屋さんで、無地の大きい紙をカットしてもらうことも考えた。切手貼り部分や郵便番号欄も自分でかわいくアレンジしたい。
 今までにも何種類も試したけれど、色はとにかく、真っ白でないと、絵を印刷するのに困る。紙の滑らかさかふちのカットのせいか、紙送りが滞るものもあって困る。反っているもの、反りやすいものも当然避けたい。高価なのは論外の外。今までで、一番白くて発色が素晴らしくキレイだった紙は、トラブルの率も一番だったなぁ。
 とりあえず何種類か注文して様子をみる。

2007年4月26日(木)

 また採卵をしてもらう、ということは、自分でも信じられないことのような気もする。今ある凍結卵を使うだけにしておこうと思っていたのに。なぜ・・・。
 一つには、先日撃沈した凍結卵があまりにもよくて、まだまだこんな卵が私の中にいたんだ、と感涙した気持ちの余韻。
 一方では。そもそもは習慣性流産でこちらの病院に送り込まれてきた私。卵のグレードは年齢の割にはおおむね良いのだから、私の問題は卵そのものじゃなく多分その先(またはもっと以前。染色体とか)にある。卵が良いからって、これ以上続けても同じことだろう、という醒めた思いもある。
 もともとどんなことにもあきらめの良かった筈の私が、こんなことになろうとは。人生ってば、あちこちに思わぬ落とし穴を作ってくれちゃって。
 まだまだ翻弄されます。

2007年4月25日(水)

 秋田の病院へ。もう、ガンガンに注射を打ったところで、採卵数は1コか2コしか採れない私の体。聞けば、東京の病院でやってもらったような薬の少ない採卵方法を、ここ秋田でもやってもらえるという事なので、もう少しだけ採卵という事をやってもらうことにする。負担の大きかった東京行きを、もうしなくてよいと思うとそれだけで、ちょっと気が軽くなる。
 終わってから、待合室で会った友達と枸茉莉でカレー。
 この友達と私は、誰が見ても妙な組み合わせだと思う。女のコ同士の仲良しはだいたい服装も似通っているものだけど、かわいい中にもいつも「キチンと感」のある彼女と大阪・通天閣風の私。ふだんから性格もかなり違う。
病院のかかり方も全然違って、自分の中でしっかり主治医を決めて信じてついていくタイプの彼女と、こだわらず何曜日にもプラッと行く、ゆえに印象の薄い患者の私。そもそも今日だって、かたや妊婦検診、かたや不妊(生殖内分泌)外来。何もかもが違うやん!
 私といると「つい気が緩んで(?)秋田弁が出ちゃう〜」という彼女と大阪弁の私とで、かみ合っているようなかみ合っていないような会話を延々続けるのであった・・・。楽しいんだな、これが。ヘンな二人だ・・・。

2007年4月24日(火)

 ミズバショウをスケッチに行くと、周りの「ハンノキ」という札のついた木から粟の穂のようなものが下がっていて、土地の人に聞くと(って、私も土地の人ですね、よく考えれば)、これが花だという。新芽が出る頃にはなくなっているので、やはりそうなのか。
 花らしくないけれど、それをいうならミズバショウだって花は真ん中のトウモロコシみたいので、白いところは「苞」という葉っぱの一種だというし。
 植物たちも、生き方はさまざま。ご苦労さま。
 「はんの木のそれでも花のつもりかな」(←小林一茶。私じゃありません)。

2007年4月23日(月)

 近々、出産のため遠方の実家に里帰りするという妊婦さんを送る集まり。
 妊娠、出産、子育てと続く一連の行事(?)の中で、実家が遠い人はたいへんだと思う。ちょっと頼める、手を借りられる身内が近場にない。
 でも、夫婦両方の実家が近い人や、夫婦どちらかの実家だけ近くにある人、それぞれに、それはそれでいろいろな事があるようだ。このような幸せの行事の中にも、人生ってヤツは、ちゃんと苦労も用意して待っている。
ヤなやつ・・・。帰りに見たら、千秋公園は夜桜見物のにぎわい。

2007年4月22日(日)

 やはり今日も角館へ。少しウロウロした後、土崎のベイエリアへ。「カフェラテ」に絵ハガキのサンプルをお持ちして、販売品目を選んで頂いたり、オレンジ・ジンジャー・ミントを飲んだり、海側の風景をスケッチしたり。
 この時期、花があちこちで一斉に咲くので絵が追いつかない。今日はレンギョウも紫木蓮も咲いているのを見て、もう、嬉しいのを通り越してぐったりしてしまった。セリオンでは小柳ゆきやMAXが来ているという事で大変な賑わいだったけれど、なんとかゴハンを食べて帰る。

2007年4月21日(土)

 展示用のプロフィールを持って角館の会場に行く。桜はもう少し。しばらく会場を出たり入ったりウロウロしたのち、秋田市内へ。農道は便利だ〜。
 ご報告を兼ねて、「陶彩サエラ」へ。色々お話できたし、博物館の展示に来て下さった方やステンシル作家の方とも再会できてよかった。秋田市内の美味しい所や、要注意(?)の所など教えてもらう。
 夕方からは「酒庵田なか」に。博物館展示の時の一番人気「小泉バス停」は今こちらにあり、酒席の壁で可愛がって頂いているのがうれし恥ずかし。
 私の作品は、名所旧跡を描いたものより、「ただの道」といった普通の風景を描いたものの方が評価をいただくことが多いし、自分でも気に入ってたりする。描いていても気合が入る。・・・売れセンから遠いんだってば・・・。

2007年4月20日(金)

 初日となる今日も、追加の作品や葉書類など、荷物多し。ひょんなことから最近知り合った友達が大曲から同行してくれたので、とても助かり、有難い。
 長年、いつも頑張って一人で孤独にあれこれやってきたけれど(というとまるでしっかり者みたいですが全〜然違います)、最近人さまに助けて頂くことも増えてきた。この地で、良い出会いに恵まれていることを思う。一つの土地にこんなに長く住んだこともないし(大阪をのぞいて)、こんなに愛着を抱くに至るところはなかったなぁ。
 いずれにしろ、友達と一緒に走る道は、何だかいつもと違う風景に見える。余勢を駆ってかたくりの里にも行ってスケッチ。
 実は今日はちょっと動揺することもあったのだけれど、若いながら考え深い彼女といたことで、落ち着いて自分の結論を出すこともできた。
 カタクリへの行き帰りに西木町の友達にも会える。そちらは実は今、プラザの展示にも絵が出ているところのKimotoお惣菜やさん。角館から105号線北上10分ほど、右側。角館に行かれるのであれば、ぜひ足をお伸ばしになって・・・。とっても美味しい、ステキなかわいいお店です。

2007年4月19日(木)

 本格的に出血。今日は角館で搬入する日ながら、体が動かず、全く起き上がれない。先様に電話をして、昼過ぎ、2時半くらいからの搬入にします、とお話しする。
 それにしても、自力でちゃんと出血が始まってくれてよかった。妊娠反応も出ないまま、いつまでも始まらなかったらどうしよう、とか、恐怖のネタには事欠かなかったので、ひとまずステージクリアした気分。
 搬入が始まってみると、先様でもこの場所での絵の展示は初の試みだったので、展示資材もあまりなく、知恵を出し合い、既成概念は捨てての準備作業となる。いたずらに嘆いているヒマもなくてよかったと思う。

2007年4月18日(水)

 以前、判定日の朝お風呂に入ってから病院に行った時、バッチリ陽性反応(妊娠)を頂いたことがあった。それ以来、判定日には、入浴剤も同じもの(資生堂フェルゼアのフローラルの香り)を入れて、しっかり30分くらい入浴してから行く。もちろん今日も。
 でも陽性反応はもらえなかった。化学的流産というヤツかもしれない、と。
 受精卵が子宮内にくっついて(又はくっつきかけて)いたけれど、「あ〜れ〜」とばかりに、ペリッとはがれた・・・のかも。そう言われると、今回は何となく(あくまでも何となくだけど)妊娠の手応えはあったので、「そうかもなぁ」と思う。まぁ、結果は同じなので、どっちでもいいです。
 携帯電話を家に置き忘れていたので、病院の公衆電話から友達に電話して結果を伝える。と、何人かが比較的近くにいるので会おうよ、という事になり、急遽集合。そして、いつもながらの大笑いのおしゃべりが延々展開されたのであった・・・。
 今回、本当に妊娠成立しかけていたのかどうなのかは、まだはっきりとはわからない。でも確実に、4月4日、胚移植してもらう時には私の子(受精卵)は生きていた。今日は、言うなれば、その卵ちゃんのお葬式かも。こうして楽しく笑って、賑やかに送るのは、とても理にかなっているね。
 今の私と一緒にバカ笑いしてくれている友達の存在が、とても有り難く胸に迫るけれど、それは「いわぬが花」かな。でもいつか本当に妊娠しても、今日のことはきっと忘れないでしょう・・・。

2007年4月17日(火)

 先週の水曜日(11日)の夕方、急に具合が悪くなって、あっという間に治ったことについて。
 自分でも「妊娠したのかなぁ」という感じが(感じだけですが)したし、あちこちから、「妊娠した時、そのような事があった」というお声をいただき、ますますその気になる。ただ、金曜の夜、さらに土曜の日中あたりからお腹の痛みがあって不気味・・・。あさってはもう角館に搬入だってのに、準備も絵の色塗りもすすまないし、お腹は痛いし眠いし、でも寝たほうがいいよね〜とか思うし、もうどうしましょう。明日こそホントに判定。

2007年4月16日(月)

 やはり眠れなかった。目の下のクマとともに病院に出頭。手が震えるほど緊張しながら待つことしばし。
 東京に行く直前に診て頂いたわけだけれど、2週間も前のことなので(忘れているのがふつう)、一応いろいろ説明して、東京の病院でもらってきた書類も出し並べて経過を説明する。と、驚くほどあっさりと
 「じゃ、妊娠してるのかもしれないね」という意味のことを言われ、紙コップを渡され、「うそ・・・ホント?」とふわふわした足どりで尿を提出。でも考えてみりゃわざわざ東京まで妊娠しに、胚移植しに行ったのだから今更驚くこともないでしょう・・・(←セルフ突っ込み)。
 結果は、まだ陽性反応は出なかった。ちょっと早いのかも知れないので、水曜日にもう一度来て下さい、という事になる。私のオシッコの滲み込んだ検査キットを手に(すみません)、ためつすがめつ、
 「う〜〜〜〜〜ん。祈りながら見てたんだけどねぇ〜」と先生。
 ありがとうございます。ついでに水曜日まで祈っててください。
 ところで診察後、自分の足がつっているのを発見。なんで・・・?先々週(2日)、はげしく足のつったブーツはやめたし、内診も今日はなかったのに。
「通院→足がつる」って、お約束になったのか・・・?

2007年4月15日(日)

 夜、大曲に帰る。明日は妊娠判定。眠れるわけないって。
 「今回はいけてるかも」と思う時と、「あ、やっぱしお腹痛くなってきたかも・・・」と思う時が交互におとずれる。もうどっちでもいいっ。
 体温は一応高値安定。黄体ホルモンは経口で補充。

2007年4月14日(土)

 朝から県立博物館の総会。その後が、文字通り「おいしい」持ち寄りの茶話会なのに、後ろ髪ひかれつつ、抜けて出掛ける。
 今宵の宿泊先のホテルは横文字系の外人さんがとても多い。スペイン語の人たちとフランス語の人たちは、お互いは英語で会話している。すごい。日本語の中でも「大阪弁」という、たいへん地域限定版の言語しかしゃべれない私はただただお口あんぐり・・・。
 思い出す。学生時代、いわゆる紅毛碧眼の旅行客らしき人に天王寺警察の場所を聞かれた(それは何とかわかった)私は、
 「あのですね(と指差して)、今レッドのシグナルを、ライトにターンするんですわ」と教えてしまったのだった。文法が大阪弁のままやん・・・。
 でも、その人はニコニコ手を振りながら「レッドのシグナルをライトにターン」して行ったので、きっと分かったのだろう。よかった、よかった。

2007年4月13日(金)

 明日から泊まりで出かける用があり、今日は一日中わけもなく(?)忙しい。きっと時間の配分が間違っているのだとは自分でもわかるけれど、私にも削れないものはあり、それで他の事がおしてくるのならば仕方ない。・・・でも、いま妊婦なのかも知れないのに、睡眠時間を削るのはやはりまずいか。
 ああ、判定(妊娠の)。今回妙に勝手な期待値が高いせいか、判定日が怖い。もう一生、月曜なんて来なければいいのに。
 話はかわるようですが。私が高校生の頃、確か「ブルーマンデー」とかいう曲がはやった。アメリカのハイスクールで、ある子が銃を乱射し、捕まって理由を問われ、「月曜だから」と答えたという、ある有名な事件からインスピレーションを得た曲だったと思う(記憶があやふやなので、どっか違ってたらごめんなさいです)。判定日を月曜に控えた私にはその気持ちがわかるかも(いや、だいぶ違うやろ!)。
 でも日本には銃刀法というありがた〜い法律があるので、私が銃を乱射するわけにもいかないのでした。(別にアメリカでも乱射はいけません)。

2007年4月12日(木)

 今日も秋田市内に用があり、済んでからカフェラテでお茶。こちらの方が、私の個展にいらして下さっていたこともあり、少し改まってご挨拶できて、よかった・・・。天気も良く、土崎の海は美しく青い。
 夕方は駅前で買い物をし、夜は憩7でゆっくり過ごす。スタッフのお一人と私とのコラボレーション展示をする計画を熱く語り合ったり、我が家でのお泊り会を計画したり。(私の卵の写真を披露したり。うふふ)
 今日もたくさんの人からエネルギーを補給してもらった・・・ありがとうございました、今日会ったすべての方々!
 ところで、DIARY4月4日にお披露目した私の受精卵写真、クリックして拡大して見たい、というお声もいただいたのでやってみたのですが(DIARY上ではサムネイルに出来ないので作品ページでやってみた)、画像が粗くなりすぎてよけいに何が何だかわかりませんでした。このページので我慢して下さい・・・。どうして作品ページで試したか、って?ま、これもれっきとした私の作品かと思いまして・・・。

2007年4月11日(水)

 夕方4時ころ、なぜか突然、全身寒気がするのに脂汗が流れ、あごからもポタポタ・・・。手近なミスタードーナツに駆け込む。すごく苦しい。頭はもともと痛く、それに腹痛も加わってトイレに数回、もう、腸が空っぽです・・・って感じ。暖かいものを飲んでも、顔は真っ青なまま。
 5時から背中をマッサージしてもらう予約だったので、キャンセルするにしてもとにかくこの状態を見てもらって、と思って顔を出す。
 話すうちに少し落ち着いたこともあり、なにより、とてもマッサージしてもらいたい気分だったので、お願いする。
 結果的には、これがとてもよかった。いい匂いのするものをいろいろつけてもらっての施術、きっとリンパの流れとかも良くなったのだろう。どんどん気分がよくなって、帰るころには普段より良いくらいになっていた。ありがとう、ゆかりさん・・・。
 それにしても、あれは一体なんだったのか?私の仮説。
 「漂っていた受精卵がこの瞬間、ぴちょっ、と着床して、カラダがびっくりした」です。お調子者?

2007年4月10日(火)

 秋田市にて人とお会いする用事2件。そのあと友達とお昼ごはん。一度は待ち合わせ場所の彼女らの目の前を車で通り過ぎてしまい、いきなり笑いをとってしまう。ゴメンね、そそっかしくて!おうちにもお邪魔し、そのあとは別の友達を迎えに行って、ター坊にお乗せして大曲に帰る。
 私の車に乗るにあたって遺書を書いてこようと思ったという彼女。「私こと○○。これから綱島かすみの運転する車に乗ります。皆さんさようならお世話になりました捜さないで下さい・・・」実際には私の運転はわりと安全なので驚いていた・・・ようだ・・・。おうおうっ。どんなのを想像してたんだよっ!
 大曲の人たちと合流、女の子(?)4人の語らいに、終りころター坊を回収しにきた夫(みな飲んでるので)もちゃっかり混ぜてもらい、大曲の夜は更け行く。私はなぜかほとんど飲めなかったので、日頃から気になっていたノンアルコールカクテルの制覇に燃える。
 帰りは新幹線で帰った○○さま。遠路お疲れさまでした・・・。大曲組はもう少し飲んで解散。また、こんな機会があるといいね、と言い合いつつ、お休みなさい・・・。みなさまありがとうでした。

2007年4月9日(月)

 根拠もなく、今回の胚移植は、着床してるよう〜な気がする・・・使う勇気もないくせに妊娠検査薬だけは買ってしまった。
 東京の病院で面白かったこと。血液検査の結果が出るまでの間に西新宿のビル街で昼食をとったのだけれど、それがパンバイキング(料理を一品頼み、飲み物とパンは食べ放題になる)の店。パンの種類は多くふかふかと美味しく、当然ながら食べられるだけ食べて病院に帰る。と、血液検査の結果、今日これから凍結胚を解凍して移植します、という事になり、看護師さん
 「お食事はとらないで下さいね」
 「え〜っ!今パンバイキングで倒れるほど食べてきたところです・・・」
 「ああ、あそこですね!ほほほ。まぁ、食べちゃったものは仕方ないので、これ以降は、何も召し上がらないで下さいね。」「はい・・・。」
 麻酔もしないし、結果的には吐いたりはしなかったけれど。移植直前、術衣に着替えて待っていた間に気の小さい私は緊張のあまり吐き気がしてきて、深く後悔した。
 それにしても、あそこの手術室はこわい。台も。もう行くこともないだろう、とは思うけれど、私の繁殖すごろくは、これで「あがり」・・・だろうか?
 頼むよ、妊娠検査薬!(・・・妊娠検査薬に頼んでどうする・・・)

2007年4月8日(日)

 判定日には、たとえそれまでに出血を見たとしても必ず検査に行き、血液検査もしてもらい(項目の指定まであり)、結果を電話してください、と東京の病院で念を押される。きっと、遠方の人とかだと、その後どうなってるのか、そのまんま、って人も多くて困っちゃうんでしょう。
 私ですか、行きます、行きますよ、何でしたら証文いれましょうかっ、と言いたくなるくらい詰め寄られてしまった・・・。
 今日は大曲タイヤ館で夏タイヤに履きかえる。混んでいたのでター坊は預け、近くのガストまで歩いていって、そこでゆっくり友達と連絡を取り合う。昼の約束、夜の約束と、複数の計画をまとめ終わってみると、不思議な事にすっかり元気がわいていたのだった。変わり身はやすぎ・・・。
 (ちゃんと県議会議員選挙は行きました!)

2007年4月7日(土)

 めまいと風邪で、パソコン画面を見るのもつらい。どうしても、なにもかもが滞りがち。
 気分転換に助手席に乗せてもらい、大曲駅北側の「加藤パン屋」へ。今まで行ってなかった事を烈しく悔いる、とても美味しくて素敵なパン屋さんだった。コーヒーを頂いて窓際の席で食べ、持ち帰りも。今日の食事はこれらのパンだけ。弱ったカラダに嬉しい、やさしいパン。
 おかげでなんとか、今日一日、もちましたです。

2007年4月6日(金)

 昨日遅く帰ってきて、今日は朝からめまい。東京の人混みで風邪をもらって来た感じもするので、一日中何もせずに過ごしてしまう。
 振り返れば、結局この一週間は胚移植のために潰れたようなもの。繁殖で遠方へ行く、というのはなかなか、続くものではないと改めて、疲れた体で思う。(財布もたいへん疲れています)。
 子供って、こんなに小さな時から、親の時間&体力を奪って成長するのね。

2007年4月5日(木)

 で、昨日のその卵ですか。客観的事実のみ並べても、発育速度良好・フラグメントほとんどなし・割球大小は均一・割球の形は整。堂々のグレード1。目で見ても、本に載ってる「良い卵の例」みたいだった・・・。まだ私からこんな卵が採れるなんて。感涙。4分割卵と思って甘く見ていて悪かった、卵よ。
 今日の移植費用10数万の請求書(涙)を貰って出たら夕方。雷とバケツをひっくり返したような雨に、すっかりこれから秋田まで帰る気をなくして投宿。昨夜寝てないし、急に母の自覚(?)にめざめて、体を休めることにする。
 秋田では観そびれた映画「パフューム」を池袋で見つけ、ちょっと気分をかえようと観ていったら、気分かわりすぎ・・・。卵のことは、いきなり忘れた私だった。「母らしい母」への道は遠い・・・。

2007年4月4日(水)

 東京はもう春でしょうと思っていたら甘かった。すごく寒くて、人々はコートに毛糸の襟巻き、ロングブーツで闊歩している。変に春らしい格好でこまちから降り立ってしまった私は、かえっていかにも東北人。でも口を開けば大阪人。でも、歩き出せば周辺の地理には明るいモト都民。一体、本当はなに人なのか、アイデンティティが心細い・・・。
 そんなことより。診察の結果もう排卵が済んでいたので、いきなりの胚移植決定。月曜には排卵はまだだったと、キチンと判明しているのがよかった。ちょっと待っててね、という感じで凍結卵が解凍され(電子レンジにでもかけたのか?みたいな・・・)、手術着に着替えてベッドで待った後、手術室へ。
 いつもながらの恐怖の足バンドで足を固定され、名前を確認され、壁の大きなモニターを示される。シャーレに載っている私の卵。グレードの確認。4分割。ひゅっと管に吸われていくところ。
 いままさに生きている、まぎれもない自分の分身を見ていたら、小さな体で頑張っているのがあまりにけなげに思える。「もうどーせ(胚盤胞でなく)4分割くらいで、私の子宮につくかなぁ」と、ある種いい加減な気持ちで軽〜く秋田からやって来た自分が、すごくひどい母親だったように思えて心苦しい。
 自分でも「えっ。うそっ・・・」と呆然とするようなばかなところもあったりするのに、そんな親だってことも、この子は、まだ知らないで。
 今からでも間に合うのならば、心を入れ替えたい・・・。
 やがて台の上で卵の写真と子宮に入ったところの超音波写真を手に持たされ、それを見ていたら、泣ける泣ける・・・これが初めての胚移植ってわけでもないのに(ということは、今回は、いけてたりして)。
 カーテンを引き回し、回復室のベッドでしくしく泣く私・・・外のスタッフに漏れ聞こえていたことだろう、恥ずかし・・・。でもきっとみんな、そんな患者さんにも慣れっこなのでしょう、みな優しかった・・・。

2007年4月3日(火)

 で、今日になって気がついたら、卵があるのがどっちだったか訊き忘れたし(どっちでもいいけど一応気にすることにしている)、LHサージを測る試薬もこの機会にもらっておきたかったけどもらい忘れたし、ほかにも昨日済ませた(はずの)用事にはことごとくミスがあって、今日はすごく忙しい。く〜。
 今日に限らず、朝いちのこまちで出かける時はいつも眠りそびれてしまう。なんやかや、しているうちに中途半端に夜は更け、今から寝たのでは絶対5時なんかに起きられない、という時刻になってしまうから。
 電車で眠るってのも、はしたない話なんですけれど・・・。

2007年4月2日(月)

 そして病院へ。卵胞はもう16ミリ、明日にでも東京へ行った方が良い状況とのこと。あさって朝一で行くことにする。
 病院が終わってからぼうっとしている間に2時頃になってしまったので広面の「暖」でお昼を食べ(暖はランチ3時まで)、東京行きの手配をし、大曲にとってかえす。夜は夫の職場の飲み会(一応壮行会?)へ。
 内診前にあせりながらブーツを脱いだせいかどうか、足載せに足を載せるとき(またはおろす時)みょうに力を入れてしまったのかどうか、病院を出てからずっと足がつっている私はお座敷なのに正座できない・・・。
 不自然な姿勢のまま「すみません、こんな時にお行儀わるくて・・・。」とあやまると、夫の会社の人は笑って
 「うんっ、いいですよっ。期待してませんからっ」 と許して下さるのだった。私のキャラって、一体、どんななの・・・?
 もうこれから、内診があるときはブーツはやめよう!

2007年4月1日(日)

 大曲にも面白いものがあって、その一つが緑のオムライス。
 これは、ゴハンをおおう玉子焼きの方にほうれん草を練りこんである。えび風味のあんかけ。
 ある日の友人夫婦と私達夫婦、けっこう平均年齢の高いダブルデート(!)なのに、全員がこれを食べたのだった。プチデザートもいっぱいたのんで、みなですこしづつまわし食べ。やってることだけ見れば、大学生と言っても通るだろう・・・。面白かったね。ありがとうでした!