DIARY

トップページへ

 とりとめもなく、いろいろと。私自身の覚え書きのようなものですが、
 お気の向かれた方、どうぞふらりとお立ち寄りください。
 絵にならない日々がならんでます・・・。

<<前のページ | 次のページ>>
2007年3月31日(土)

 hMGの注射を続けてきても、何らかの理由で体外受精がキャンセルになる事がある。その周期の通院や服薬・注射の一切が灰燼に帰す(おおげさ?)ばかりでなく、注射の影響がとけるまで2〜3ヶ月、次の体外受精まで空けなければいけないのが何とも悔しい。
 私の年若い友人(20代)も、最近キャンセルを経験し、いつもどおりに穏やかに微笑んでいたけれど、さぞがっかりしたろうなと思う。ある療法ですでに時間(周期)を使ってしまったばかりだったし。こういうカッガリ感に年齢の差はない(ちょっとはあるか・・・)。むしろ、若い方がつらいものかも。
 「若いんだから、まだまだ先があるわよ」などといった言葉も、おそらく今迄にあちこちで言われているんだろうなと思うとそんな月並みな気休めも言えず、ただただ、
 「病院やっぱし混んでた?ひえ〜」などとつまらない事しか言えない非力な私だった・・・。

2007年3月30日(金)

 それで、昨日は最終日で、夕方は搬出。最終日もいろいろな人が来てくれて、驚いたり再会を喜んだり別れを惜しんだり。
 「宴のあと」といったおもむきの搬出も、殿方に手伝って頂いてさくさくと終り、額をターセル坊やに積み込み、何だか胸が(ター坊の後部座席も!)一杯になってしまって、しずしずと帰る。
 2週間・・・長かったような、あっという間だったような。
 改めて、この場を借りまして、お世話になったすべての方々に、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。

2007年3月29日(木)

 朝から病院に行く。博物館での作品展の最終日だけれど。こっちの話(繁殖関係)も、これ以上放っておくわけにもいかない。私の(勝手な)計画では、今回は東京に行って、4分割段階で凍結してある卵を子宮に移植してもらう。移植できるのは排卵の翌々日で、その為には正確に排卵日を特定することが必要になってくる。でも、私は市販の検査薬でLHサージをキャッチできたことがない。病院のなら、キッチリ陽性反応が出たことがある。
 「あのう、排卵をみてから東京に行きたいので、LHサージ検査薬をいただきに来ました。ムダに東京に何泊もしたくないんです・・・」
 そして、もう一つ、今日ここに来たわけがある。詳しくは言わないけれど、とある人事異動のため、私は、今日ここで、診察を受けたかった。
 初めてこの病院に来たのが、もう、ほぼ2年前の、やはり木曜日。いろいろ思い出す。今日までに、私はついに結果(妊娠・出産)を出す事ができなかったなぁ。こんな事になるとは思わなかった。でもまあ、人生にはいろいろあるので、仕方ないです。
 「きょう検査薬を出すよりも、もう一回、ちゃんと診てからの方がいいと思いますよ。」という先生のお見立てにより、来週もう一度来院することになる。月曜日に。
 もう、来週は現実逃避してプールでぷかぷかしている訳にもいかない事態となったので、ハラをくくって、予約票をにぎりしめつつ、博物館へと向かう。

2007年3月28日(水)

 たとえば、今日のことなど。
 今日は、私が以前広告カットを描いた、とあるお酒の会社の社長が来て下さって、お会いできる。とても嬉しい。途中から知人とテレビ局のカメラさんが来られていたので、お帰りの際にご挨拶できなかったのが心残り。
 ん?なぜここにTVさんが、って?ほほ、私の取材ではありません。切り絵作家鎌田沙織さんが来てくれてて、その様子を映しておられたのですわっ。(ちゃっかり一緒に映る私だっ)。
 こうして、年若いながら私が尊敬しまくっている人とも、いろいろお話できて今日はとても良かった。彼女の立ち居振る舞い、話す事、話し方。私には学ぶべきことが多い。彼女のお父様とも少しお話できた。う〜ん、この人にして、この子ありっ!
 帰りは駐車場まで御一緒する。沙織さん「かすみさんの車どれですか?」私「これこれ、この大阪ナンバーですよん」
父上「おお、これがター坊ですか!」
 ひー。HP(のDIARY)で見られていたんですね・・・やはし・・・。ター坊もこころなしか恥ずかしげ。照れて、赤面していた(ように見えました、確かに!)。もう、悪い事はできませぬのう。(今迄も、大した悪事は働いておりません)

2007年3月27日(火)

 おとつい、25日の話題で出たので、ついでながら公開(暴露)すると、これ、この絵が今回の展示中もっとも紙が波打っている(でも、一応ストラスモアを使っているので、よく見りゃわかる程度ですが)。
 まあ・・・描いてるブツも「波」なんで、いいか・・・いや、よくないか・・・。この絵が我が家に帰ってきたら、絶対水張りするっ。
 もし、お客様の所にもらわれて行ったら?その場合はアフターサービスとして、出張水張りさせていただきたいのですが・・・。

2007年3月26日(月)

 17日朝日、23日読売と、新聞に絵のことを載せて頂いた時、どちらも、私のHP(このDIARY)の事にも言及して下さった。不妊治療のこともぽつぽつと話す私に、相談メールを寄せて下さる方もある、と。
 で、ここからが、どちら様もさすがに表現正確で「えらいなぁ」と思う所なのだけど、どちらの記事にも私が相談に「乗っている」とは書いていない。
 もちろんです。私なぞに、何が言えましょう。私にできる事は、「唐松温泉行きました?」なんてたわいのない世間話と、あとはせいぜい自分の行ったことのある病院の事(それも客観的事実のみ)くらい。もし何らかのちゃんとした勉強をしていれば、「あぁ、ここで、もうちょっとコましな事を言ってあげられたのに・・・」と嘆息することも多いし。
 それでも、ちょっと話せるだけでいいのね(お互いに)。その後私の行ってる病院に行かれて、「うん、ホントいい所(先生)だった。さー、がんばろっと」などど喜んで頂けたりすると、「そーでしょ、そーでしょー(なんで、私が自慢を・・・?)」と、ほっとする。
 し、しかし・・・。いや、私のせいじゃないとは思うけれど。でも私のせいもあって病院が、今迄にも増して混みまくっていたらどうしよう・・・。待合室に坐りきれない人が、廊下にまであふれていたりして・・・。
 ひいぃ。コワくて・・・というか申し訳なくて、自分は行けない・・・。
 私は現実逃避して、プールにでも行きますか・・・。プールも妊娠に良いって言うし(←言い訳)。

2007年3月25日(日)

 水彩で色を着けるので、作業中、紙が水分を含んで波打ってくる。それで、完成後、「水張り」という作業をして、絵をピンとさせる。
 完成した絵を下に向け、紙の裏を上にしてベニヤ板にピッタリ貼り付ける。刷毛で絵の裏に水をつけながらぎゅ〜っと伸ばして紙の「水張り用テープ」なるものでぴっちり留める。この瞬間、毎回、「絵が溶けて流れてるんじゃないだろうね・・・」と不安に駆られるけど、それはガマンして。
 あとは、水平に置いて一晩自然乾燥させるだけ。ドライヤー乾燥する人もいる。テープはビリビリと剥がすのではなく、ちゃんと絵のサイズでカッターで切ってはずせば、あ〜ら、不思議。アイロンをかけたようにピンとした絵の出来上がり。これで3割がたレベルアップして見える(本当です)。今回、時間がなくてこの「水張り」の工程をパスした絵が何枚かあり、多少胸が痛む。
 「個展前に水張りは絶対必要ですか?」という読者の質問に、ある人がこう答えているのを目にしていたく感心した事がある。
 「あなたは、人前に出る大切な用、例えば受賞式に臨む時にくしゃくしゃのシャツで行きますか?それと同じ事です!」と。うまいこと言う!
 ストラスモア・インペリアル(厚くて、ほとんど波打たない紙)だから大した波うちでないとは言え、水張りしてあげなくてごめんね、私の(一部の)絵たち。
 でも、自分のキャラを考えてみると、もしたいそうな受賞式があったら(ないと思うけど)、わざわざタケオ・キクチの穴あきジーンズなんかで行っちゃう気もする。こんな私の絵としてこの世に生まれてきたのだから、絵たちも、「仕方ねーなぁ」と納得してくれているかも・・・?してないかも・・・?

2007年3月24日(土)

 水曜日はああ言ったけれど、その辺にごろごろしているものだから、つい夫も乗っけて館に連れて行ってしまう。まあ、今日は一部、これで最後の展示替えもしたので、人手として重宝する。
 ・・・なんか私としては照れくさくて落ち着かないけれど。
 そして今日は、お引き合わせ下さる方あり、「スギッチ」を作った方とお会いして、大感激してしまう。自分が「すごい」と思う方にお会いし、かつ絵を見られて、恥ずかしい所のない自分でいたいと切実に思う。今後の精進をひそかに誓う・・・けど、まあ、それって、完全には、無理かも。事あるごとに、
 「ひー」とか言ってあせっているのが私・・・。

2007年3月23日(金)

 先週の土曜日は朝日新聞に載り、今日は読売新聞に・・・面映ゆくも、冷や汗が背中を伝う今日この頃。日頃から、行いを正しくしよう・・・。
 さて、今日は、やっと薬を飲めば効くくらいには回復したので薬を飲んで元気になって博物館へ。私にとって人とお話しするのは理屈ぬきに好きな事なので、時々、こういう日々がある事を、有難いことだと思う。
 モチーフに関しても、いろいろな秋田県内の場所やまだ私が手を出したことのない素材など、今後につながるワクワクするようなアドバイスいただくこともあり、夕刻を迎えてまだ話し足りない気がすることも。ついナンパしちゃいそう・・・?

2007年3月22日(木)

 昨日から前触れはあり、今日からは本格的に生理中となる。お腹と腰がどうしようもなく痛い。博物館に行くのはお休みしてしまう。ところで、ここのところ私、「早めに始まったらどうしよう・・・」とずっと怯えていた。
 それというのも、こうしていても繁殖活動のことは頭を離れることもなく、今度こそ凍結胚を移植してもらおうと思っているから。やはり秋田の胚盤胞の凍結卵はとっておいて、今周期は東京の4分割卵を先に使いたい。私の卵はこの2つ。
 で、いつおナカに戻すかを正確に決めるため、生理開始から12日目あたりに病院に行って診て貰う。当然ながら、作品展が終わってないと東京には行けないので、
 「あんまり早く始まりませんように・・・」
 と祈りまくっていたわけで、今日でやれやれ。考えてみれば生理が始まったということは、今回も自然妊娠はしていなかったという事になるけれど、もうそんなゼイタク言ってても仕方ない。前だけ向いて生きて行きましょ。

2007年3月21日(水)

 やっと夫が大曲を離れられる休日になったので連れて行ったけれど、博物館に着いてすぐに後悔した。なんか・・・気恥ずかしすぎ。前にも何かの時に書いたけれど、普段自分一人で行動している場ではそういう顔で行動しているみたいで、こうして夫がその場にやって来ると、どっちの顔でいればいいのかわからない。それほど顔を使い分けているつもりもないんだけれど、そんな私でさえ、なんか、とまどう。
 お世話になった方々にご紹介申し上げて挨拶した後は、結局、あんまり博物館にいないで周辺を回遊して過ごしてしまった。やっぱり今度からは置いていこう。荷物がいっぱいあるとき以外は。

2007年3月20日(火)

 こうして普通に生きているだけでも毎日毎日、いろいろな人や組織にかかわりつつ過ごしているものだなぁ、と最近しみじみ思う。そして、時にはここにご登場いただいて、日々の話にふくらみがでる。その事に関しては、私なりの内規を設けたり、許可を頂いたりしてクリアするようにしているけれど、おおむねネットの世界で他者に言及するのはむつかしい。
 まあ、こちとら逃げも隠れもしねェ実名報道なので、なにかあれば言っていただけるという点が、さいわいかも。みなさま何でも言って下さいね、受けて立ちますわっ!
 ・・・と、口だけは威勢の良い私だけど、いざとなったら
 「ひ〜すいませんすいません」ってアタマをかかえちゃうトホホな根性の持ち主です・・・。だから安心して喧嘩売ってね(!?)

2007年3月19日(月)

 博物館の定休日で、久しぶりに家で過ごす。家の事、彩色途中の絵のこと、遅れている遠方へのお知らせのこと、書けていないメールのお返事のこと、更新できていないHPのことなど、色々な事が山と積まれている。
 夜は、夫の職場の、とあるチームの解散会。本当はウチですればよかったのだけれど、私がこんなで・・・。しかも、この私が飲まず、最後までもいないなんて(普段はどんななんだ)・・・。
 時間が有限であるということが、しみじみ悲しい。・・・って、仕事の遅い自分が悪いんです!

2007年3月18日(日)

 今日は博物館のホールで「根子番楽」の催しがあり、私も今日は館のボランティアとして、ボランティアジャケットを着用して活動する。
 「いらっしゃいませ。空いてるお席にどうぞ。お足元段差がございますのでお気をつけ下さい」と。でも、お客様の邪魔にならずに、さりげなく的確に誘導差し上げるのも難しいものだと思う。やっぱり、ホールとかのプロの人はすごい!

2007年3月17日(土)

 今回の絵の展示は即売方式であり、昨日の理由から「補欠ちゃん」がいなくなったので、絵の補充に奔走する。この間に来て下さった○○さん、○○さん、ごめんなさい!
 おもわぬ自転車操業となったしまった自分の準備力を反省しながらも、でも、展示が変わって行くのって、見て下さる方にはいいかも知れない・・・。

2007年3月16日(金)

 そして初日。今日来て下さった方々、ありがとうございました。
 開催前はいろいろな用事、お知らせ、連絡のことなどもあるけれど、いつも絵そのものの事にエネルギーや時間を割かれる私。でもこうして人様に絵を見ていただくと、いまさら言うまでもない事なんだけれど「はじめに絵ありき」なんだなぁ、と実感・・・。
 昨日展示パネルを追加して下さったので、自分の中で「これは補欠ちゃん」としていた絵達も並んでくれることになり、嬉しいような、冷や汗が出るような。白日の下にさらされる作品の数々・・・。
 今後一層の、精進を誓います。

2007年3月15日(木)

 そして搬入。
 今回のこのお話は、私としては、一時期「ああ、あれは、きっと立ち消えたものなんだな」と解釈していただけに(うっかりものです)押し詰まってからが忙しく、引越しの混乱とあいまって、大変な事に・・・。よくぞここまで。
 ご尽力くださった関係の方々には、お礼の言葉もありません・・・。私が至らない為に色々と余計なご心配をお掛けすることもあると思うと、身の縮む思いも・・・。今日の搬入に際してもすごくお手伝い頂き、もう、なんと申し上げてよいやら。この場を借りて、もう一度、お礼を述べさせてください。ありがとうございました。
 そして、額装などのことでは本当にお世話になった秋田の笈川美芸堂さん、彩画堂さん、大曲のブランカさん。急いでいただいたりして・・・ありがとうございました!
 今日は搬入口の方にまわり、シャッターを開けてもらって車をつけ、台車に積み込んでガラガラと移動するのが、とても新鮮な気分。でも、これは、改めて緊張する瞬間でもある。怖いような、気が引けるような。
 ここまで来て四の五の言ってても仕方ないので、反省点は以後に生かすことにして、今日は頑張るのみ。

2007年3月14日(水)

 ホワイトデーの今日、パティスリーストーブの前は「車だかり」で、整理の人が大忙し。横目で見ながら額・画材屋さんに走る。ホワイトデーに孤独なのって、女の子(?)としてはツラいものが・・・なんて、言ってる場合じゃなくて!
 無事予定枚数をクリアし、帰りには私もその中に混じる。ちょうど夕刻、仕事帰りの紳士方が、「これからチョコの彼女とデート」な雰囲気を漂わせてぎっしりお店の中に。デートは、あるいは、あたたかいお家のなかで、奥さんと、かわいい子供たちとで、なのかも知れない。
 目に浮かぶ、それぞれの幸せな光景。みんなみんな、お幸せに!

2007年3月13日(火)

 今日は読売新聞の記事用の取材をうける。今日の取材は、来週の金曜日に記事となって、やはり地方面に掲載される予定。
 来て下さった方々は、縁あって私が今住むこの家をずうっと以前から知ってらして、お風呂場の中に階段がある(面白いでしょ)ことまでも先刻ご承知。奇遇だ・・・。
 今までにも他の事でメールでお話した事が何度もあり、初めてお会いする気がせず、ご夫婦のなれ初めなんて訊くうちに短いながらも楽しい時間が流れる・・・って、私が「逆インタビュー」してどうするねん!?またゆっくり一緒に遊ぶことにして解散。はい、毎日ご婦人をナンパしています・・・。
 その後、額装などの準備のため、大いに働き、かつ走り回る。
 どうしても睡眠不足ぎみになる昨今。でも、ある時は、開催時間になっても作品がぜんぜん揃わない悪夢にうなされ、またある時は人から「数ばっかりやたらにあってもなぁ・・・・。」なんて言われてる夢を見てショックを受けたりしたので、あまり寝ないようにした方が、精神衛生上、いいかも知れない・・・。
 みなさま、来週の金曜23日には、読売新聞を買いましょうね!

2007年3月12日(月)

 朝日新聞社の取材を自宅にて受ける。記者の方にお会いすると、西の方の出身の方だったので、ものすごぉ〜くコテコテ関西弁のやりとりでのインタビューとなり、ほとんど漫才だったかも。観客がいないのが惜しい・・・。
 あまりに楽しかったので、温泉に行こうとか花火を見ようとか、仕事以外の話も盛り上がってしまったのだった・・・あ、女性の方ですからっ(誰も聞いてないですね・・・)。
 今日の取材は、今週土曜日17日、朝日新聞の秋田地方面の「がんばれ秋田」の記事となって掲載される予定です。朝日新聞をとっている方は見てくださいませ。とってない人は・・・できればコンビニでお買い求めいただければ・・・なーんて!?ぺこり。

2007年3月11日(日)

 「倉橋ヨエ子」のライブのため午後から仙台に行く予定だったけれど、東北全域が吹雪。吹雪だけならひるまないけど、ライブのチケットを予約した時にはまだ影も形も計画のなかった作品展の用意で、やはり忙しい。あまり寝てない私が往復運転するんでしょうか・・・するんでしょうね。
 と、いうことで、中止を決定。後で見たら、ちょうどそのころ秋田道の該当区間が事故で閉鎖。やがて東北道も広い範囲で通行止めとなったので、思い切り良く諦めてよかったかも。私の大切なターセル坊やに何かあっては大変ですわっ。

2007年3月10日(土)

 県立博物館の、本年度最後のボランティアの総会。もう一年かぁ・・・ここでも、色んな事があった・・・。一年前は、まさかここで自分が作品展をするとは思わなかった・・・。
 もともとこういう所が好きで、学生時代には美術館・博物館関係のコースも取っていた私。当初は別に絵・イラストの事も特に言ってなくて、ただただ、久しぶりに博物館のウラ(資料庫・収蔵庫など)を見られる機会にわくわくしていた。その時から、ボランティア仲間の人々にも館の人々にも、お世話になった、そしてこれからもお世話に・・・しみじみ。
 間に立って下さった方に、角館プラザホテルの事をご報告しに行く。憩7にも行き、ヤマダ電機にインターホンの事などで行ったり。教えていただいた笈川美芸堂さんで額を買ってほくほくと、秋田市内、縦横に駆け巡って、ようやく大曲へ帰る。

2007年3月9日(金)

 角館プラザホテルへ。社長にお目にかかり、色々お話をうかがい、観光シーズンの作品展示(物販)のお話を。
 そして、4月の桜の時期と、7月の夏休みと、2回のお話が決まる。桜の時期は沢山のスペースは取れないので、7月に、4月よりは少しゆったり目の展示を行いましょう、と。
 良い感じで、とても楽しみ。この私が本県の観光のお役に立てるならば!
 さー、角館モノを増やさなきゃ・・・。
 西木村のKimotoさんに報告に行く。今度は近くなので見て頂けそうで、嬉しいなぁ。

2007年3月8日(木)

 忙しい合間をぬって仲良しの人々にたくさん会えた一日。作品展のDM、沢山刷っておいてよかった!
 ところで、忙しいのは、本当に自分のせい。個展前に、なぜ忙しくなるのか?それは、数は手持ちの作品で足りているのに、ここに至って欲が出て、
 「今からつくる作品は、これよりもカワイイ、良いのが出来るかも・・・」
 とか、思ってしまう欲深さのせい。でも確かに毎回、直前に駆け込みで作成した作品から出払っていくのもまた事実。
 ああ、どっかで線を引かなくては・・・・。制作以外の数々の準備も沢山あるのに。そういうの、後回しにしちゃってるのに。遠方の人への連絡とか、メールのお返事とかも・・・。
 さ、悩みつつ、今日もまたもうひと頑張りですわっ。

2007年3月7日(水)

 県立博物館の人と、横手の県立近代美術館へ。
 作品展に使う額の調達の為だったのだけれど、額のサイズなど条件があわず、お世話になるのは今回は見送りとなる。

2007年3月6日(火)

 ところで、木曜に通院して以来、忘れた振りしているところの凍結胚問題。忘れてはいないんだけど、今移植して、これからの、普段よりはハードな日々を過ごすのって、卵さん的にはどうなんでしょう?
 今日は通院の予約が入っているけれど、高温期でもないのに少し熱もあり、これは、もう、話の流れ的に「断念」ムードかも。今回は。
 ギリギリまで迷った。迷って結局病院に、行けない旨の電話を入れる。
 う〜ん。これで良かった・・・のでしょう!と、いう事で、来月に対決!(何と?)

2007年3月5日(月)

 友達とゴハンを食べる。連日2〜3時間しか寝ていなくても、大喜びで出てくるヤツ、それが私・・・。でもけして無理してる訳でもなく、断れないタチって訳でもなくて。
 人と会ったり、話したり笑ったり、やっぱり私はこういう事が本当に好きで、このために生きて働いたりしてるようなものなので、「これをガマンして何の為の人生でしょうか?」と思ってしまう。
 日々がキツい時こそ、こうして精神的にもエネルギーを補給していかないと。・・・と言い訳しつつ、たっぷり遊んでもらってしまった。
 行った先の一軒が南通亀の町の「Tooi」、輸入玩具と雑貨の、とてもかわいいお店。ここで私は、マッチ箱よりも小さい絵の具箱を発見!開けると豆粒のような固形水彩が8色並んでいて、ほのかにちゃんとした絵の具のニオイがしている。えらいなぁ、こんなに小さいのに。これは、絵仲間に自慢できそう。私より小さい絵の具セットを持っている人がいるでしょうか?
 私の作品展のDMも置いて下さり、いろいろお話もして、人と人とのつながりや、一つのつながりから別のつながりが生まれたりする事に想いをはせつつ辞する。(絵の具箱その他は、また絵にしてアップします。お楽しみに!)。

2007年3月4日(日)

 私の描く絵には、しばしば、空がたっぷり入っている。で、ラクできるかというとそんな事は全然なく、実は空には一番手間も時間もかかっているのでした・・・。
 別の所でも時々お話する事だけれど、まず、「マスキング」作業がしんどい。ガム状のもの(液)を空にかぶる看板・建造物・花などあらゆるものにスキマなく塗って乾かす(青く染まらないように)。雲にしたい所にも。ほとんど一回色塗りした気分。筆がマスキング液でガシガシになるのと戦いながらなので、この時点でけっこう時間経過。
 マスキング液が乾いたら薄く溶いた青を、紙の一番上にザーッと横に塗り広げ、そこより下は水だけでのばす感じで空にグラデーションをつける。ドライヤーで紙を裏表両面から充分乾かす。
 んで、この「塗る→乾かす」を、実に10回位繰り返してようやく、透明感のある空の色が出来上がる。はあはあ。
 さて、マスキングをはがす。時にはマスキングと一緒に紙の表面、ペン描き部分もはがれてのっぺらぼうになり、「今までの手間は、何・・・?」と、呆然としたりして。
 そして雲に影や色をつけ、やっと空が完成。・・・ここまで来て完成したのは空だけだっ!空の面積が多いから手抜きだとは、誰にも言わさんっ!
 はあはあ。妙にチカラ入った今日、言いたかったのはこれでした・・・。

2007年3月3日(土)

 戦後、進駐軍が秋田に置いてったピアノが県立博物館にあり、今日はそのピアノを使ってのリサイタル。早川泰子さんのジャズピアノ。今日博物館に来た人は、幸せです。
 その後、猛スピードで私の作品展の打ち合わせ。短時間でさくさくと色んな事を相談して決めてゆく。展示パネルの場所と枚数、絵の号数と枚数。値札のこと。販売方法(値段)、販売ハガキの検討。案内状や広報の事。搬入の日時と、その時車をどこにつけるか。
 帰りにはぐったり疲れ、秋田中央ICに行く途中、ミスタードーナツのドーナツでも買おうと某マックスバリューを歩いていたら、お懐かしい人に会ってしまった。この近くの病院で、よくお世話になった先生。
 連れてらしたお子さんが「ププッ」と笑えるくらい似ていて、可愛かった。私、事実、笑っちゃったかもしれない・・・。感激のあまりさっそく夫に電話。
 「へぇ〜、そんなに可愛かったんなら、ドーナツでもあげたら良かったのにぃ〜」 いやいや、医師&患者間の金品の授受は禁じられておりまする。
 それにしても、私はその場所でその人にバッタリ会うことに別に違和感はなかったのだけれど、夫は、実は凄い確率だという。
 「考えてもみいや〜。今現在、一人は大曲の住人で、一人は○○市(大曲より、さらに秋田から遠いある市)のヒトやねんで〜」
 おお。そう言われればそうだ。この近くでいつも会ってたので、当然のような気がしていた。実は長いことずっと、9月にいろいろ病院のこととか教えてもらってから、何の報告もしていない事が気に掛かっていたので、すごく会えて良かったと思う。
 そういう、気に掛かっていた気持ちが、マックスバリューの神様(?)に通じたのかも知れないなぁ〜。
 でも当然ながら、この近くの、古巣の病院で今の私の状況もお聞き及びだったらしく、私がシドロモドロしながら報告したような事は、だいたい分かってらしたみたいだった。ま、そりゃそうか。
 おかげさまですっかり、仕事の疲れも取れて元気良く大曲に帰る。

2007年3月2日(金)

 (うっく。昨日ページ替えるの忘れたので、3月もこのページで。)
 昨日は病院に行ったので。いま生きてる私の子供はこれだけ、という貴重〜な凍結卵を、使う事について考える(いまさら)。「あれがこの世からなくなったら?」を考えてめそめそしたのはついこの間、お正月のこと。でもこのままじゃあ永遠にタマゴのまま(そのうち捨てられる)。
 私は、どうしたい?
 私のカラダにも凍結卵の保管にも、タイムリミットはあるし、煎られるような焦燥感はある、確かに。けど、それに対して、私に何が出来ましょう?
 どうしたいのか、本当は、わからない(おいおい)。思い通りになる事なんて何もなく、欲しいものほど、私の手には入らない。
 不妊治療してなかったら、こんな思いをすることもなかった。
 あっ・・・今、すごく後ろ向きな考え方しちゃった。

2007年3月1日(木)

 おととい、ふと人生初めての不妊外来行きの日を思い出したこともあり、今日で「周期」10日目であることもあって、初めての時と同じ木曜日の今日、病院へ。思い出す、何となくビクビクしながら、来た日の事を。だって、大学病院って、一般人にとってはやはり「白い巨塔」のイメージ(古いなぁ)。
 でも、その日の帰りには「何となく、通うのに、イヤじゃなさそうな所だった」とほっとしたし、その印象は、その後も基本的に変わらない。変わったのは、私の状況、こっちの問題。(単に2年分トシ取っただけとも言う?)
 さて、私達夫婦が秘かに「我々の事実上の仲人さん」と呼ぶ(in2005.3.10)先生はそんな勝手な私の感慨とは関係なく今日も元気一杯、さくさく診察。さくさくとこれからの数日のプランを立てて下さり、LHサージを測定する試薬が沢山出される。
 と言うのも、今回の私の用事というか、繁殖プランは、凍結胚移植。それには、正確に排卵日をキャッチする事が絶対必要(先月聞いた)。自分で決めた事ながら、「これでいいのか、私・・・」と、ぼんやりしながら帰る。
 ところで、お金を払う時、思ったよりもあまりに安かったので驚いた。LHサージ測定グッズって、薬局で買うと、7日分で3〜4千円するのに。これが保険の威力か。でも妊娠検査薬の時は、あんまり、市販価格と変わらなかったような気がする。どっちにしろ、今後排卵日検査薬をふつうに薬局で買うのはやめよう。どうせ、好奇心を満たすだけに終わってるし。
 でも何と言って病院で貰おう?今回のように凍結胚移植の時はともかく。
 「てめー、今更タイミング法、って段階(andトシ)かよ〜」
と、言われはしないまでも、思われること必至・・・?

2007年2月28日(水)

 昼から鹿角花輪へ。行きは角館から46号線で盛岡に抜け、盛岡から高速東北道。あのう、同じ秋田県内なのに、大曲→仙台の、倍の時間がかかるのは、納得いかないんですけどっ!
 目的地は、今、難病と闘いつつ切り絵画家として活躍される三浦清志さんの個展会場である「旧関善酒店屋敷」。古屋敷好きの私でも、今まで見たことのない程のさまざまな工夫が凝らされた、凄い建築。その中に、深いまなざしで秋田の、懐かしい農村風景を切り絵で、文字通り切り取った三浦清志さんの数々の作品。うっとり・・・。
 今は「NPO関善賑わい屋敷」(ホームページもあります。見てみましょ!)としてNPOの方が建物の保存・補修に尽力され、3と8のつく日にはこの前は花輪朝市で賑わう。もちろん花輪ばやしのときも。
 そして、その鹿角花輪ばやしの日(8/19,20)を含む8月8日(水)〜23日(木)、私もこちらで個展をさせていただくのです。わくわく。
 道の駅「あんとらあ」でお酒や「けいらん」を買い、帰りはまず大館に出て西回りで帰ったけれど、こっちの方が絶対、ヒマかかる・・・。いったん県外に出る方が早いなんてなぁ。早く国道341号が通れるように(冬期間一部閉鎖)なって欲しいです。

2007年2月27日(火)

 道の駅「かみおか」の駐車場にて。私の家から下道(国道13号)で秋田市へ向かう時、途中にある道の駅。この絵を描いた時は、秋田に来てからの思いがけずの妊娠→流産の直後。今は昔・・・。
 家の中には当然「たまごクラブ」だの名付け辞典だのマタニティ服だのベビーカーのカタログだのあって(いや、買うのが早すぎた私がオロカなんですけど)、見るのも嫌で、家から遠くへ行きたくて。でも手術後の体でそんなに遠くへも行けず、ここに車を停めて「しくしく」していた暗い私・・・。今は食事にトイレに買い物にと重宝に使っているけど、そんな時代もあったのね〜。
 時は流れ、この駐車場は、実は最近ある事件の現場となった。秋田県の方なら(秋田でなくても)記憶に新しいかと。現在の時点ではわが子を手にかけた、という容疑のその女性は、住所は私の本当〜に近所。小さい町のことなので、きっと、彼女と私は夕方には同じスーパーで買い物し、同じレジに並び、同じ空を見上げ、同じ山が雪で白くなるのを眺めて暮らしたはず。
 彼女が子供を連れて買い物している所などを、暗かった頃の私は「羨ましい」と見つめたかも。
 人生はさまざま。少なくとも、彼女の心に何らかの苦しさが宿っていたであろう事は間違いなく、起こってしまった事件、その今後の行方はともかく、かかわったすべての人々の心と魂に、いつかは平安が訪れますことを・・・。
 さてさて、この駐車場で泣いていた私ですが。
 二週間後の流産後検診で、大曲の通院先で「大学病院に行ってみますか」という話になり、事態は急転直下で大学病院での不妊治療、というこれまでの人生では思いもかけなかった展開に突入し、現在に至る・・・。
 2005年、3月1日のことです。そして、この長い日記は、その日から始まっています。

2007年2月26日(月)

 今日は、「じゃあ私は、なんで子供を持とうと思ったのかな」と、心の中では一日中考え続けちゃった日。
 勿論それには、一つじゃない、いろいろな理由があって、このDIARYでもたまに小出しにポツポツ語っちゃうけど。そんな、「流産したのが悲しかった」「妊娠したとき夫が嬉しそうにした」とか、「この縁側にベビーベッドを置きたい」とか、そういう小手先の理由じゃなくって。
 たぶん私は、死ぬのが怖いのかも知れない(あ、だいたい誰でもですか、そうですか・・・)。自分が死ぬ時や夫が死ぬ時、子供がいれば、なんか、この命がこの先もずっと続くような、そういう気がして。同じ「死ぬのがイヤ。悲しい」でも、その気持ちは、ずっと落ち着いた悲しさになるような気がする。
 でも。今日は、「それって、私の了見が間違ってるかも」とも思った。
 自分の子供は自分じゃない。親側からの自己投影的考え方は、子供には迷惑なものだろう。子供はDNAは継承してくれても、私の自我(アイデンティティという言葉はなんか気恥ずかしい)までは継承してくれない。結局、死ぬのが怖ければ(つまり自我を温存したければ)、自分自身が永遠に生き続けるしかなく、ど〜したってそりゃムリなんで、その点に関しては子供ってのは居ても居なくてもいっしょなのかも。
 自分を(自我を)残す方法ってない。いつの間にか現れて(空中とかに?)、いつかは消え去るだけ。夫「ははは。残らんでもいいようなヤツに限ってそーゆーコト考えよる。」。えへへ。そーですね。
 でも、周りの「赤ちゃん待ち」の人々は、実にナチュラルに、明るく素直に「子供を持とう」「赤ちゃんが欲しい」と考えてるような気がして。偉いなぁ。それは、かしこく正しい事だという気がする。
 それにしてもなぁ。この日当たりの良い縁側が惜しい。子供の友達なんかが来たら、破って遊ぶとスゴく楽しそうな障子もあるし!(あとで貼るのはどうせ私。破る時には参加しよう)

2007年2月25日(日)

 時々夫に、「アンタって人は、この世に怖いモンはないのか、怖いモンはっ!」と詰め寄られる私だけど、もちろん怖いものはある。ありますとも。
 じゃ〜ん。それは、採卵。あれは、どうしたってコワい。3回目の採卵のとき、自分でも「もう大丈夫だろう」と思ったし、卵の数が少なかった事もあって、入院ではなく日帰りできる局所麻酔採卵に臨んだ。がっ。怖い・・・。静脈点滴による麻酔もあれば、少しは意識もふんわりするのだけれど、「モロにしらふ」状態の採卵は初めてで、勿論そんなものに挑戦した事をすぐに後悔した。
 あまりのコトに足まで震えてくるので、蚊の鳴くような声で
「あのう・・・日帰り採卵は初めてなんですけど・・・や、やっぱり、スゴく怖いんですけど・・・」と、足の間の先生の頭に向かってささやいてみるも、
「そうですか」とあっさり流され、もちろんいまさら点滴麻酔を追加してもらえるハズもなく、「しまった・・・いまから30分、本気で気絶したい・・・」と真剣に祈ったものだった。
 そんな私なので、人工授精へ、さらに体外受精へとステップアップすることを、「怖さ」を理由にためらう人の気持ちは、実に良くわかる。それも、大切な感情だとも思う。以前、あるネットで、そういう人に助言(?)として「本気で子供が欲しいならそれは甘えだ」「真剣味が足らん」という叱咤激励のお言葉があるのを見掛けたけど、いやまぁ、それが正論かも知れんけど、私には言えないなぁ。自分がこんなで。
 その後さらに愚かなことに本当〜の「無麻酔採卵」(全くなしですよ、まったく!)の病院へ、出来心でふらふらと行ってしまった事もあるけれど、いやもう、ここで語ることすら出来ません・・・。もう行けないと思う。あ〜怖かった!そしてもちろん、すご〜く痛かったのでした。
 更に、いらん事に私は「痛がり」の度合いもサイアクなものがあり、こんな患者さんも来たら診なければならないとすれば、自分がお医者さんにならなくて良かったと(いや、なりたくてもなれませんけど)、運命に感謝してしまう。
 あ、ところで、ぜんぜん怖くも痛くもない人も(無麻酔採卵であっても)いるらしいので、「これから・・・」と考えている人は、私の例なんか見ておびえないで下さいますように・・・。

2007年2月24日(土)

 朝から秋田県立博物館。実は私、3月16日(金)〜29日(木)まで、博物館で個展をさせていただくので、そのお話もする。定例会と報告会も。朝から働いた気分。(気分だけかも?)
 引っ越したばかりで家の用事も多く、急いで大曲に帰るのだけれど、どうしても、少しだけでもお顔を見たくてサエラにも寄らせていただく。仕込み中、お邪魔しました・・・。
 「サエラさん」ちでも、お孫さんが生まれたばかり。いやぁ、やっぱり子供って宝。天使!
 そおねぇ〜、私も、も一回、根性仕切りなおして頑張るよ!と、力こぶ作って、いつもの病院を横目で見つつ、帰途につく。

2007年2月23日(金)

 昨日カフェ「憩7」でearwig(和訳・ハサミムシ)という高校生2人のユニットが写真・イラスト展をやっていた。二人の個性の違いも面白い良い展示、聞けば二人とも、この春にはそれぞれ美術や写真の勉強のため秋田を離れるという。そおか〜頑張れ〜。
 「私の家の近くなんです」という写真ファイルも見せてもらう。夕日にそびえる鉄塔、川沿いの土手に上がっていく道路・・・。あれ、見覚えが。「あの〜、ひょっとして、お家って、牛島西のへん?」と訊いてみたら、だいたいバッチリだった。どんどん秋田に詳しくなる自分が怖い・・・。こんなにも秋田市に詳しいモト大阪人の現大仙市民がいるだろうか、いや、いない(←反語)。でも別に自慢にもならないし。
 ん?あなたたち、美大とかに合格したって事は、デッサンだのスケッチだのの試験もあって、それに合格したって事だよね?「ハイィ〜!」
 うわっ、マブシい。まぶしいぞ。道理で、既に私より上手いハズだ・・・。

2007年2月22日(木)

 インターホンを買ってくる。現行では呼び出しチャイムだけなので、どんな訪問者にもまず戸を開けなければ話が出来ない、という点を変えたいと思って。臨海十字路のMaxデンコードーとヤマダ電機をはしご。後者では、どこへ行っても\24,800の機種を\19,800(明日までの値段)でGETする事に成功。
 「取り付けは10,500円からになります」
と聞いて、迷わず自分ちで付ける事にして持って帰った私は大阪人・・・。

2007年2月21日(水)

 今日の「秋田さきがけ」の夕刊に載っていた。
 昨年10月、妊娠わずか21週、体重284グラムで生まれた赤ちゃんが、順調に成長していよいよ退院出来そうだと。
 あくまでも奇跡的・例外的な事例であり、新たな医学的傾向を確立したとは言えないらしいけれど、それにしても、すごい。
 結論。赤ちゃんって、育つ時には育つし、育たない時には育たない。(←ちょっとイジケてます、私)

2007年2月20日(火)

 ただいまです。やっとパソコンを整備し終えて、帰ってまいりました。このホームページに。ご覧頂いていました皆様方には、ご無沙汰の段、申し訳ありませんでした・・・。
 こうして復帰しましたので、また、いろいろなこと、折にふれ、絵、その他でコマメにお伝えしてゆければと、思っております。
 今後とも、手持ち無沙汰な時、お暇な時(逆に忙しすぎる時)などの徒然のなぐさみに、当ホームページにてひと時を過ごされ、気分転換していって下されば、幸いに存じます! 

2007年2月19日(月)

 引越しから一週間。さすがに全身が痛い。先週火曜日病院(不妊外来)に行った時、
 「そんな時は温泉ですね」と先生に言われ、何だか筋肉痛の相談に来たみたいになっちゃったなあ、と思ったものだ。その日は、不妊治療的には何もする事なかったし。
 そろそろ肉体労働は大概にして、パソコン方面を何とかしないと。行方不明説が流れてしまう・・・。(もう流れてます)。

2007年2月18日(日)

 大物を買いに、パワーコメリとホーマックをはしご。コメリでは、乗用車(ター坊)に載らない台所のコンロ台を買ったので、軽トラの貸し出しを受ける。私の方が免許証を出し、手続きをしたので、お店の人は心なしか不安そう。
 「乗り慣れない車ですのでね、お気をつけて・・・」とついて来て下さる。
 おおっと。軽トラなのにオートマじゃん。え〜と、これって、パーキングとやらに入ってるギアをドライブとやらに入れて、えっと、左足が空振りしてて・・・とやっていたら、お店の人がニコニコと窓から覗き込んで、
 「大丈夫ですよ、今日びはこういうのもオートマですからね」
 あのう、まさにそれで、まごついてるんです・・・。
 でも軽トラは、楽し。かわりばんこに乗って、「ウチにも一台欲しいなぁ」といいあう、お調子者二人だった・・・。何に使うねん?

2007年2月17日(土)

 今回住む事になった家は、少し前まで大家さんが長年住んでらした家なので、あちこちに、
 「この器具は、これこれ、こう使うものです」とか、「この器具で困った時はこの人に電話する(以下連絡先)」など、心配りのメモが貼られていて嬉しい。
 こちらはもちろん、ご近所回りとは別の日にご挨拶に行く。
 数々のメモから類推した以上に素敵な良い人がたで、ひょんな事からこうしてご縁が出来た不思議な巡り会わせを思う。
 今残してある物は何でも自由に使っていい、邪魔なら捨てちゃってもいい、アンテナ・お風呂その他の工事も、(壁に穴開けでも何でも)好きにして構わない、という超太っ腹な数々のお許しも頂き、二人、ニコニコと家路につく。
 「なんか、秋田にまた一軒、親戚が増えたようで嬉しいねぇ」
 と言い合い言い合い、つい、つぼ八へ行って祝杯を挙げる。

2007年2月16日(金)

 少し前、秋田駅前のイトーヨーカ堂のエスカレータ横で、「秋田の昔の写真展」というのをやっていて、各階に数枚ずつ、昔の写真が並べられていた。
 昭和45年の広小路の歩行者天国。S46年には千秋公園にも動物園があったり(?)。S52年やS56年の秋田駅前。色々な季節の通町、仲小路、金座街、大町商店街、幸橋、平和通り、八橋油田。
 いちいち、「その頃、私はいくつで、どこで何してたかなぁ」と考えながら見入ってしまう。今ここで、遠く離れた秋田で、こういう写真を見ている不思議。
 驚いたのはS45年の明田踏切の混み具合。当時、まだまだマイカーなんてさほど多くはなかった筈。なのにこの混みようは凄い。開かずの踏切だったのか?平成19年の今、
 「明田地下道って混むんだよね」

 なんてブツブツ言ってたけど、反省。やはり、地下道の存在は有り難いものです、合掌。

2007年2月15日(木)

 永遠に続くように思われる片付けの中、電話が鳴り、秋田市の友達が、これから東京の友達と「六郷の竹打ち」に行くと言う。
 「今、大曲駅〜。吹雪で東京からの新幹線遅れてて。」
 私は片付けとゴハンつくりと、挨拶回りの残り2軒(前回も前々回もお留守だったお宅)があるので、行くとしたら、8時に現地で合流する事にし、再びフル回転。
 帰ってきた夫と夕食をとり、挨拶に行き、疲労困憊している彼をうち捨てて(非情だ・・・)、 「いや、もう、こんな時こそ気分転換!」と、吹雪をついて出掛ける。竹うち見物、天筆焼きには参加。う〜ん、冬祭り。
 ところで、東京からのお友達という人は実は山本寛斎氏で、よくよく考えれば、服か帽子か、何か「YAMAMOTOKANNSAI」のものを持ってた筈なのに、ユニクロの服で行ってしまった私って愛想なしの女・・・。
 だって・・・天筆焼きに参加すると、ぜったい全身の服、ススが付いて焦げ臭くなっちゃうんだもん・・・。

2007年2月14日(水)

 引越し翌日の昨日、無謀にも出掛けたおかげで今日は全身が痛い。家はまだまだ混乱のさ中。はたらかなくちゃ。
 今日は、いちおうバレンタインデーという事になっているけれど、今年の私では、手も足も出せない。人生には、私には到底、歯も立たないことが用意してあって、無力感におそわれるなぁ。
 パソコンはまだつながってないし(この文はちびパソコンで作成中)。取り残された気持ち。

2007年2月13日(火)

 と、言う訳で再燃してしまった繁殖意欲を持て余し(?)、病院に出頭。
 実は、引越しがあると決まって(転勤もあるかなぁと思って)、ちょっと改まって「お世話になりました」とか挨拶しちゃったのが去年12月。それが火曜日だったので、またノコノコ行くのも何か気恥ずかしく、「絶対火曜日だけは避けよう!」(失礼な患者ですな)とも考えたけど、昨日は祝日それも引越し当日、排卵日は多分引っ越してる間に済んだくらいのぎりぎりのタイミングなので、病院に行くとしたら今日しかないのだった。
 診て貰うと、卵胞もす〜っかり黄体化していて、引越しどころかその前に排卵は済んでいたもよう。またまた、
 「いまごろ何しに来てん?」てな顔をされる、切ない患者の私だった・・・。
 と云うことで今周期もする事もなく、子宮内膜も9oとまあまあの厚みなので飲む薬もなく、昨日の威勢はどこへやら、青菜に塩を振ったようにシュンとなって病院を後にする。子宮が・・・ヒマ。
 とはいえ実体としての私は忙しく、病院のあとは挨拶回り品を補充しがてら秋田西武デパートに。と!驚いたことに、バレンタイン特設売場が大賑わい。私の中では、引っ越してる間にバレンタインデーが終わってしまっていたので、世間じゃまだバレンタイン期間である事におどろいてしまう。まだ間に合う?(何が・・・)。
 こうして、私の新しいご近所さんたちは、全員、今夜はチョコを食べることに。

2007年2月12日(月)

 今日は主にこれから住む家に運び入れ作業。室内気温0℃、ぽんぽんに着込んでの作業。わかさぎ釣りじゃないっつうの。
 さてさて、今回の引越しが淋しくないのも道理。なんと。私、今回の引越しでは、市内→市内の移動なんですね〜。こんな引越しは、生まれて初めて。
 今度の家は、自力で探した借家で、築年数は古いけれど日当たりの良い広い縁側があり、ベビーベッドを置くのにすごく良さそう。子供の友達が来ても(・・・気の早い話だ)思いっきり遊べそうで、少しずつ力を失っていた「繁殖気力」が再燃しそうで困っちゃうな。
 我が家には、もう隠しようもなく、「妊娠百科」「名付け辞典」「育児書」の類、マタニティや赤ちゃんの体重計などがあるので、
 「お子さん、まだ、お小さいんですね!」と明るく言われ、「いやっ、実はまだこれからですっ!」と言うも、相手が怪訝な顔になるので、
 「妊娠だけなら今迄に4回もしたんですよね・・・」と自慢(これ自慢か?)してみる。「ま、せっかくなんで、秋田県民、ひとり増やしていきますっ!」と力こぶ作って豪語し、
 「おお〜」「頑張ってね〜」「未来の納税者ですねぇ」「というか、未来のお客さんだ〜」などと励ましてもらって、あたたかい気持ちになる。
 そろそろ、もうアキラメよう(それが順当と思う)、とか思ってたのになぁ。
 こんな前向きなキモチになっちゃって、どうしましょう。私の真意はどこに・・・。誰かおしえて・・・。

2007年2月11日(日)

 朝から引越し。家の中が一変する。当然、家はほとんど開け放しての作業となり、北国で2月に引っ越す事の無謀さをひしひしと実感・・・。クロネコの人たち(人間ですよ、もちろん)も寒いだろうと、暖房器具はがんがん焚く。でも皆さん、「いんや〜、去年に比べれば!」と明るい。「確かに。去年の今時期だったら引越しそのものが、不可能ですよね」。
 でもやはり、妊娠してたら無理だったと思う。12月に、胚移植を見送っといて、よかった〜(胚移植してたら今ごろ妊婦になってると、ちょっとでも思ってる所が楽天的?)。
 いつもいつも、寂しがりやの私をぐぐ〜っと悲しくさせる筈の引越し。今回は、不思議と悲しくなく、面白いばかり。 

2007年2月10日(土)

 忙しいせいか(?)ここんとこ話題がキャラかぶってますけど。伯爵夫人レディ・ゴディバのこと。
 重税にあえぐ人々のため懇願するレディ・ゴディバに対する夫の返事は、
 「おまえが一糸まとわぬ姿で街中を廻ったら、税を軽くしよう」と云うもの。
 慎み深い彼女は大変悩んだが、ある日本当に一糸まとわぬ姿で白馬に乗り町中を駆けた。その犠牲心に心打たれた町の人々は、その行為に敬意を表し、窓を固く閉ざしてその心意気に応えたという・・・。
 私「でもさ、その夫、ヤなやつだよね」
 夫「ほんまや。おかげでこの話、感銘を受けたらええんか、ムカついたらええんか、落としどころのわからん話になってるで」
 私「しかし、美しく慎み深いレディが夫の横暴に耐えて貞淑に妻やってるってモチーフ、洋の東西を問わず、結構あるねぇ〜」
 夫「あるね」
 私「ひっひ。えっちなオトコどもの、隠れた願望があらわれてるのかねぇ〜。ひっひっひっ・・・」
 夫「なぜアンタがいやらしく喜ぶ・・・?」
 そんなわけで、ゴディバのシンボルマークは、一糸まとわぬ姿で白馬にまたがるレディ・ゴディバの姿が冠され、今も受け継がれているのです。
 右手前の、金の箱です。

 ところで、明日から私事、引越しの為、しばらくパソコンを接続できません。数日後、無事にお会いできる事を期待しまして、今日の日は、お休みなさいませ・・・。
 (まさか永の別れにはならないと思います!)

2007年2月9日(金)

 さてさて、ゴーサインが出たのでやっと書くけど、我が家は、今週末2月11日12日で引越し。ナゼここんとこそんなに忙しいのかという事がお分かり頂けたかと。
 こんな時に、潰れたトップページの修復でパソコンに張り付いていたのみならず、ぺたぺたチョコの絵に色塗りまでしていた私は、パーペキに夫に嫌われてしまった。でも大丈夫。ふっふ、こちらにはゴディバのチョコという隠し兵器が。しかし絵のモデルにしていたので、夫は
 「蓋開いてるやん。既にかじられてるし(ほほほ)。これで本命チョコと、言えるんか?」とギモンを呈していた・・・。
 一見仲良しさんの私達の、実態でしたとさ。
 そうこうするうち、トップページの問題点はちょっとわかって、少しずつ修復は進む。進まないのは引越しの準備・・・。ふー。しんどい・・・。

2007年2月8日(木)

 あっちを向いてもチョコ、こっちを向いてもチョコのこの季節。私のような、とっくの昔の現役引退選手でもふと甘ずっぱい思いに捉われることも。
 ・・・と、言っても、バレンタインデーに良い思い出など一つもなく(威張れる事でもないけど)、思いっきりばかにされて鼻で笑われた(おそらく・・・)過去が一度だけ、あるばかり。人知れず胸の内で泣き明かした、超みっともない私です。
 でも、ま、嘆かずに、マジメに地道に生きていれば、いつか死ぬまでに一回くらいは、お茶でも飲めるかも知れない。とか思って、元気を出して生きている毎日です。
 ん?そんなもの、飲まなくっていいって?そ〜ですか。そ〜ですね。
 ・・・百万年くらい、ムカシのお話ですってば。

2007年2月7日(水)

 昨日、トップページ、クラッシュの大事故。しかも、まだ公表できないんだけど個人的にすご〜く忙しく、かつパソコンの接続を繋げない日々がこの後に控えているので、「こんなときに・・・」と夫には怒られまくるし、踏んだり蹴ったり(とりあえず、怒ってる夫は無視。えへへ)。今回のは特に、何が何やら分らない。最悪、サイトごと、白紙に戻して一から作り直すかもです。しくしく。
 そうこうするうちに鎌田沙織さんの個展も最終日。今日は憩7のスタッフR子さんの、憩からの卒業の日でもあり、沙織さんの個展も、実はこのために、特に力の入ったものだったのだ。私達も夕刻大曲より駆けつけ、名残を惜しむ宴中の人となる。夫も写真に撤収作業にと、なかなかの働き。よしよし。
 こうして、いろんなことが、うつろう。春は私にとって「出会い」というよりは「別れ」のイメージ。何かをする為に巣立っていく人の輝かしさの前に、取り残されたような気持ちになるのは間違っている、と知っているけれど。
 でもでも、春に新しい一歩を踏み出す全ての人に、あたたかい毎日が約束されていますように!

2007年2月6日(火)

 昨日午後から会った人々。
 切り絵の高校生作家、鎌田沙織さん。個展会場の憩7に行ったら、ちょうどNHKの取材中だった。いよっ、さすが!話の流れで私も通行人(観客)Aとしてちょろちょろすることに。NHK、2月13日(火)のpm6:00〜の「ニュースパークあきた」でオンエアされるので、これを見たアナタ、ぜひ、録画の用意を調えてTVの前で待ちましょ!彼女は、物凄い線描写の才能を備えていながら、まっとうな普通の高校生。そしてやはり、普通ではない人(どっちなんだよっ!)。彼女が私に、どれほどの活力を与えてくれているか、知れない。
 なので昨夜、「ふとんを引っかぶって寝ちゃった」のはアナタのせいじゃないってば!この日は、朝から自分の繁殖生活の事を考えて「ず〜ん」となりがちだった私を、沙織さんが浮上させてくれたとも言える。
 それから、メイクの専門家Sさん。昨日は、顔色にもイエローベースとブルーベースがある話を聞く。判定してもらったら、やはり私はブルーベースの人(静脈の色が勝っているタイプ)。ブルー系の人は、橙系などの強い色を持ってくると色が混ざって全体の色調が濁りがちなので、知ってか知らずか淡い色を選ぶ人が多いらしい。そういえば、この日も私の服は淡い色で、白とラベンダー(ともにユニクロ。誰もきいてないけど写真添付)。なる程〜。
 他にもこの日お会いした、た〜くさんの人々。憩7のスタッフ、憩7のおなじみさんやクリエイターさんたち。NHKの取材関係の人たち。少しだけど午前中お話できた○○ちゃん、Kさん。フォーラス・アルスのおなじみのスタッフ。
 すべての人々に、胸いっぱいのありがとうをおくります。

2007年2月5日(月)

 友達と会う予定やお見舞いなどあり、病院へ。今日は患者さんでない私が駐車場所をふさぎ、待合室のイスに坐ったりしちゃっていいのかしら、などといたたまれないので、どの場所にもちょっと間づつ。
 今日時点での自分のお腹の中身(子宮内膜とか卵胞とか)の事も頭をよぎるけれど、いえいえ。いつもながら月曜は混んでいる事でもあり、緊急でもない私は奥ゆかしく(?)身を引いてとぼとぼ帰る。
 このHPでは言ってないけれど、私的な事などもあり、いずれにせよ今周期は見送り。こうしてまた1ヶ月、ムダにトシをとるのね。もういいですけど。
 午後からも何人かの人に会う。
 勝手に一人で悲しくなる気持ちと、とてもいい出会い、人との楽しい語らい。今日は心情の振幅が大きく、昨日ほとんど眠れていない事もあって、晩ゴハンのあとはふとんを引っかぶって寝てしまう。

2007年2月4日(日)

 新宿の世界堂でマットカッター(額装用のマットをくりぬく道具)など、財布の中身と相談しつつ幾つかのものを買う。原宿の「泥棒日記」本店を見た後、お昼は、また、表参道の「茶茶の間」に行く。ここを時々訪れる永沢一門の絵描きの何人かがやはり私を知ってくれていたらしく、でも、「秋田に行って秋田の人と結婚した」という話になっていたりして面白い。それもいいかも。
 東京のあちこちを見ていると、はしたない事ながら、「お金って、あるところにはあるなぁ〜」と実感する。でも、そやって、お金持ちがいっぱいいっぱい使ってくれるお陰でいろんなものが建って、いろいろ売ってて、その恩恵にあずかれるので、嬉しいことだと思う。お金持ちさんたちは、使ってくれないとね!貯め込まずに!
 さあ秋田に帰ろうと東京駅に行ったら、東北・秋田新幹線は強風の為運休、再開の見通しも立っていないので、「ご旅行を中止して下さるようお願い」のアナウンスが流れていた。風速39kmと言われては、文句のいいようもなし。急遽ANA便を確保して羽田に向かう。
 行きは新幹線だったので当然秋田空港に車は置いてなく、ひーひー言いながら深夜大曲に帰り着く。 

2007年2月3日(土)

 夜はROCO。三軒茶屋のライブハウス「グレープフルーツ・ムーン」にて。
 私は、この人の声の、裏声に変わるあたりの響きや裏声が好きで、なんでこんなに好きなのかと思うほど。低い声もいいし。
 そして、当然ながら曲も好き。明るいメロディー、澄んだ伸びやかな響きなのに、こちらの心の中の、ものすごく悲しい部分をやさしくなでてくれるような。暖かい手のひらのような。
 つらい時は人間けっこう頑張りがきくのに、優しくされたとたんに心の堤防が決壊して泣いてしまう、そんな原理(?)がはたらいて、このやさしさは、けっこう、キます。
 ライブは本当〜に、(当然だけど)CDを聴いているより、ダイレクトに体の中に入ってくるので、来てよかったなあと、思う三茶の夜。

2007年2月2日(金)

 さて、私、2月3,4の両日、東京です。いろいろな目的・用事があるけれど、メインテーマは「ROCO」のライブ(アーティスト「ROCO」は、当HPの「MY FAVORITE」ページでご覧下さい)。
 あれもこれも積み残して、なにがライブ・・・と思われることでしょうが、私も、せめて「ROCO」が仙台、福島などにも来てくれたらなぁ、と思います。あ〜お金に羽が生えること生えること。
 このHPを見て下さっている方には容易に想像がお付きでしょうが、私達に貯金といえるものは、・・・ほとんど・・・。
 生まれてくる(かも知れない)子供には、とってもメイワクな親ですよね!
 (だからウチにはこないんだな)。

2007年2月1日(木)

 今日は、ある人とお会いする。初めてお会いする少し前から、さる場所にこの方の残した足跡をたどる機会があり、
 「どんな人だろう・・・」と、想像(妄想?)はふくらむふくらむ。
 実際にご一緒すると、共通の話題部分は盛り上がれるし、お互いがすごく違っていて「へえぇ〜」なところは、それはそれですごく面白いし!
 そしてお互いが、一緒にいて「くつろぐ、癒される」と感じていたのだ、という事が後でわかり、また一つ、ステキな出会いが増えたことに、感謝。
 自分とは違う物の見方を与えてくれる、本当に人生、「自分以外はみな師」ですなぁ。
 あ、ちなみに。念のため言い添えておきますと、その方も女性ですのよ。
 (誰もアンタの心配はしてないって!←by 夫)。

2007年1月31日(水)

 もちろん、自分の所業を考えると、恥ずかしさのあまり消えてしまいたい時って、あります、私にも。我ながら「いくらなんでも、それはあんまりだろう・・・」な事をしたことも、思ってしまうこともあり。
 でも、本当〜に恥ずかしいのは、そういう所業を許していただいた時。
 「あ、私、許された・・・?」と感じた瞬間が・・・ミジメというか・・・いや、もう、ほんと。穴を掘って入りたい、という表現は、この瞬間のためにあるのですね(なら、そんな所業、するなよ!)。
 でも、ふと、「私一人が恥かけばいいだけの話だよね、これは」と思ったがさいご、即行動しちゃうので、仕方ないです・・・。
 「恥ずかしい気持ち」のやっかいなところは、もう、それは、ずう〜っと心に居座り続ける、と云うところ。たとえば、怒りなら、発想を転換すれば、納得したり、忘れたりすることも出来るけど。
 「恥ずかしい・・・」と思いながら耐えて坐っていたり、話さなければならない時は、悲しい。でも、こういう悲しさとは、この先もお付き合いが続くのね。しくしく。
 で、どうするか。私の対処法は、一切、なぁ〜んにも「恥ずかしいことも悲しいことも御座いません!」てな顔して、豪快に笑っていることです。それしかないじゃん・・・しくしく。

2007年1月30日(火)

 今どき貧乏自慢もはやらないけど。 
 それに、「ウチには、すごーく貧乏な時代があったなぁ・・・」と、しみじみ思うほど今お金持ちじゃないけどっ!ぜんぜん!でもまぁとにかく、ウチには「共働かず」時代まであった訳です、それも世間がバブルに沸いていた時期に。なにしろ二人してワンルームに9年住んだのだから。
 そのころは主に夫が家事をしていて、私は帰宅したらお風呂とゴハンを選べる状態。お風呂上りに、私の着替えが用意されてなかったら「ムカッ」としたりしたなぁ(ほほほ、ウソウソ)、なにせ、自分じゃパンツがどこに入ってるか分からないんだから。まるっきり濡れ落ち葉オヤジだ・・・。
 その、先の見えない生活の中、私は、「もうきっと、私が一生この人を食わせることになるんだ・・・。」と覚悟を決めつつあった。なにかのお店など、大阪に根を下ろして商売を始める計画も立てていた。
 出かけるお金もないので、部屋にこもって、ドラクエは何回もクリアしてしまった。
 そうやって、二人してそんな日々を暮らしてきた歴史が、一応あって。
 もしこの先、私達のどちらかに、何か(!)あって「くらっ」と来た時に、その歴史が、「ぐいっ」と現実に引き戻してくれるのだろうか。
 い〜やっ。そんな時には、そ〜んなもん、一瞬で吹っ飛ぶと思います。
 別にそれでいいや。私は夫に、(どんな大切な過去であれ)過去に縛られてミョ〜なガマンをする、なんてさせたくない。好きなように楽しく生きて欲しい。納得して私のもとに帰ってくるならよし。帰ってこなくても・・・よ、よ、・・・よし?ちょっと困るか・・・。ま〜なんとかしますかっ!
 私ですか?私のことは聞かないで・・・。わかりません・・・。

フレーム
2007年1月29日(月)

 印刷所へ、お預けしていた原画を(そしてイラスト料も)もらいに行く。この広告主の酒屋さんでは、すっごく喜んで下さったとか!お酒の販売予約も、このチラシを手に手にお客さん♪〜な感じであっという間に予定数を越えて終了、などと。
 嬉しい。描いた者として、こういうのがすごく嬉しい。「上手な絵ですね」と言われるより、「あれで、商品がよく売れたよ!」と、言われる方が。つくづく私は大阪商人の子。
 今回は、少し資料をもらって描いた(ラベルなど、自分流にアレンジしないよう気を付けた)けど、描き下ろしってやはり楽しい。気に入ってもらえればやりがいもある。でも、当然ながら描く手間と時間がかかるので、ワリは・・・あいにくい。2回目から使ってもらうとき(二次使用)は、こっちもあるものを出してくるだけなので、割りはいいと言える。
 う〜ん。やりがいかおカネか。描き下ろしか二次使用か。ココロはゆれる、しがないカット描きの日常のひとコマでした・・・。

2007年1月28日(日)

 ・・・などど一人でドキドキしていたら、昨夜より夫が発熱。私が出掛けている日が続くと熱出すヤツ・・・。(因果関係の有無はわかりません)。
 かあいそうなのでベッタリ家にいて、おかゆを食べさせたり黒豆ほうじ茶を煮出したり。あれこれしていたら、あっという間に治ってしまった。
 あのなー。子供じゃないんだから。「かまってもらいたくて熱出し」かいっ!

2007年1月27日(土)

 朝から県立博物館。いろいろな事を決めたり相談したり考えたり。毎日、いろいろな人に会って話すことが、私は本当に好きなのだと思う。
 そういえば、先日、「もうほとんどチカラが抜けていて、妊娠にいいと言われてやっていたこともあまりせずにいたら、その回(の治療)で妊娠!」という人の話を聞き、いたく感銘をうける。う〜ん。よく考えたら、今の私も、ちょっとそうかも?
 漢方薬とか唐松神社とか早寝早起きとかサボりがちだし。基礎体温も毎日測り忘れてるし(思い出したように10日に一回くらい測るけど・・・それって全然意味ない!)。プールの回数券も余らせちゃってるし。子宝草に水やるの忘れてるし。
 おお。これは。今の私は実は妊娠に近いかも。弱気にたりたりしてないで、今こそ採卵してもらいに行くべきでしょうかっ!?

2007年1月26日(金)

 寝ぼけまなこで起きてくると、折り込みチラシに、まさに私の描いたカットが・・・。そう言えば、入るの今日だった。反省点多々目に付き、一気に目が覚めてしまう。私の繊細な(?)心臓が・・・あやうし・・・。
 昨夜は「酒庵たなか」で数人で飲む。世の中には、自分の人生に対する態度を問われるような、まさにそういう仕事もあり、従事する人のキモチを聞いていると切なくなってくる。いや、職業とは、多かれ少なかれ、どれもがそういうモンなのかも。ここでも自分を反省すること多し、そおいう、心臓に悪い一日だったようだ・・・。

2007年1月25日(木)

 昨日の私、珍しく、ちょっとイカってました?では、気持ちも新たに話題を変えて。
 人工授精・体外受精などのため容器に入れた夫の精液を運んで運転している時。(・・・って、話題ぜんぜん変わってへんやん!)
 冷めないように、ブラジャーの胸の間に挟んでいくのだけれど、
 「今・・・今、もし覆面パトカー(またはネズミ捕り)にスピード違反で捕まったら、どうしたらエエんやろ・・・」と、もちろん思う。冷めるで!
 容器を見せて(見せられる方もイヤだろう)、ナミダながらに事情を語るか・・・。
 夫「ああ。事情を説明したら、ひょっとしたら赤色灯まわして、先導してくれはるんかもよ。目的地まで。」
 おおそうか〜。いや、でも、それって、鳴り物入りで登院・・・?
 あかん、恥ずかしすぎる・・・。

2007年1月24日(水)

 日本にも、ついに卵子バンクが出来、「日本人卵子」を前面に押し出して営業しているらしい(今日の朝日新聞より)。
 ほ〜ら〜ね〜。
 日本には、生殖医療を規制する法律がない。なので、いい悪いの議論の前に、既成事実として、いろいろな事が起こってしまう。学会とか、どこそこの倫理委員会とかで、個別に指針は決められているけれど、そこは
 「法律なき条例」状態なので、なんか、無計画に増改築を繰り返した古い家みたいな感じになっちゃってる。(あっ、よく分からんタトエですみません)。
 別にいい悪いじゃない。ただ、こ〜ゆ〜のって、やっぱり生殖医療のさ中にある患者にとって、いろいろな事を期待させられたり絶望させられたりするぶん、辛いと思う。
 「やってみれば出来るかも」「強く言ってみればイケるのかも」「やっぱりダメかも」。そして、イケてもイケなくても、双方に釈然としない気分を残す。
 どうして、生殖医療関係のことって、事実のあとを追うようにしか整備されていかないのか。原因は誰にある?犯人探しをしよう。

2007年1月23日(火)

 なんかここ2〜3日似たような話が続くけど。(しかも前にも一度書いたことですが)。
 私は、病院通いのことも書いちゃうので、自分に課した義務の一つとして、「イニシャルを使わない」というのを掲げている。(他の所の話題では使う)。
 そのかわりに「〜曜日の先生」とか言うんだから意味ねーだろうって?ふっふ、さにあらず。「〜曜日の〜」という呼称は人物を特定するものではなく、襲名制になっていて、例えば、もし水曜日に行って、ふだんなら木曜日担当の先生が診察に当たってらしたら、その人は、その日は「水曜日の先生」。としてご登場頂く。
 現に、○曜日はある時先生の異動により違う先生にかわられたのだけれど、その呼称はここでは完全に襲名されて現在に至る。これは便利で、特定できたりできなかったり。その時により色々なので、特定性がソフトでいいかも。「玉虫色の判決」ってこんな感じ?あ、ちょっと違うですか、そうですか・・・。

2007年1月22日(月)

 昨日の今日ですが!「マメに掲載許可を頂くように心掛けてる」なぁんて書いた、その舌の根も乾かぬうちに、私のポカが・・・。
 先月のこと。あるお店に行き、お休みだったので「しくしく」と引き下がり、「私、これで2回連続だなぁ」と思ったのでついそのことを書いてしまった。ら、そのお店の方が波間を漂ううちに私のサイトを見つけて下さり、
 「お休みしててごめんなさいね、これこれ、こういう事情だったのです。遠いけれどまた来て下さいね」
 という有難い内容のメールを下さる。すっ、すみません・・・。ダッシュでお返事、猛ザンゲ。頂いたHPアドレスからさっそくお店の事、そのご事情の事を読ませて頂く。そ、それほどのご事情だったとは・・・。重ね重ねすみません。のうのうと生きている自分が恥ずかしい。
 でも、これをきっかけに、今迄より少しだけどお近づきに(と、言えるんでしょうか、メールとHPだけど)なれたのだとしたら、望外の喜びです。
 一層のファンになってしった私、リンクさせて頂いちゃいました!見てね!
 そのお店とは。秋田県お蕎麦の食べ歩きスタンプラリーでもおなじみの、由利本荘は「石碾屋」さんです!

2007年1月21日(日)

 さてさて、絵・文両面でいろいろな方々や食べ物、お店などに登場していただくこのホームページ、私が心掛けているのは、なるべくマメに掲載許可を頂くこと。それは、オススメ、という感じでご紹介する時であっても。こうして、皆様のおかげで徐々に賑やかになってきた当HPだけど、心の隅に常にふうわりと引っ掛かっている事もある。とある登場組織に、一度も、このHPのことをお話していないなぁ、と。
 その組織とは、私が不妊治療で行ってる病院です。だーっ!一番先に言わんかい!ってな感じだよね。
 病院に行き始めた頃は、本当に、「秋田に引っ越してきた混乱期」→「激しいつわりの妊娠期」→「流産とその後の失意・療養期」のジェットコースター人生の直後で、本当〜に何にもしていなかった。だから特に言う事もまるでなかったし。全くの専業主婦状態。
 そのころ一人で孤独にポツポツと通院日誌的なものを綴り始めたのは、ひとえに、この治療でいつか産まれてくる(かも知れない)我が子に、かれを待っていた日々のことを伝えたかったから。歳とってから産んだ子とは、早く死に別れるのが世のならい。かれが、自身も繁殖可能な位の物思う年齢になった時、私はもういないかも。そんな時に・・・。と、思ったのだった。(今じゃ日記もすっかりバラエティ番組化してるけど)。
 それから数ヶ月、今度は「治療(人工授精)での妊娠」→「また流産」→「失意」のジェットコースターの中で、「このままでは腐ってしまう!」と、05年10月に北海道で個展したのをきっかけにまた動き始め、HPも、休止していたものをアドレスも新たに再編成。まだページ数も足りないので、賑やかしを兼ねて通院日記も入れて・・・、などと。
 思えばその時に病院にカミングアウト(?)するべきだったのかも?でも、まさに北海道での個展最中に、初めての体外受精の為の通院・注射の日々も重なり、それどころじゃなかったというのが正直なところ。
 そしてそのまま現在に至る・・・。
 いや、もう、いまさら言えない気が・・・する・・・。
 それに、あまりにもしょっちゅう、しょ〜もないことをしゃべりまくっているので(例えば昨日みたいな)、これを見られたら、もう私は生きて再び病院の土を踏めません!お澄ましして待合室で本読むフリなんて、出来にゃい〜。
 なので!これをご覧の方で、秋田は広面の病院に行ってる、って方がもしおられましたら。けして当HPの事をチクらないようにね!
 あ〜、あの病院に「すこやかさん」が置いてなくてよかった〜。

2007年1月20日(土)

 不妊治療をするようになってから(つまり、しょっちゅう内診、などを受けるようになってから)つねづね「ヘンだ・・・」と思っていること。それは・・・。
 ど〜して、繁殖のために使う器官は、排泄の為の器官の近くにある(又は・・・完全に兼用されている)のか、ってこと。ヘンじゃん!?不便だし。
 こう見えても(・・・って、どう見えてるのか知りませんが)、意外と、衛生面などで、医療関係者の方々にたいへん気を使ってしまう私。生殖の為のあれこれの器官が、たとえば手の平、とか、肩、とかにあったら、準備が、もっと気ラクなのになぁ〜。
 下着をとり、内診台に仰向けになって、足を広げた格好で天井を見上げ、診察を受けながら「やっぱり、なんかヘンだよなぁ・・・。」と思う。私の足の間で忙しく働く先生の頭とか見ながら、
 「いつもすまないねェ、おまいさん・・・」(時代劇の口調で)とか考えたり。
 「おっと、そいつァ、言わねェ約束だぜ」なあ〜んて、言ってくれないだろうなあ。
 ちなみにある時、この疑問を夫にぶつけてみたところ、
 「でも、男女お互いの器官が手ェとかにあったら、他人さんと握手する時が危険やん!」
 という、極めて合理的な答えが返ってきた・・・。
 ・・・なんか今日は、あほな話題で失礼しました・・・。

2007年1月19日(金)

 昨日の仕事ですか、無事もって行きました、車を雪の中から掘り出して。県南の民って、先ず雪をどけないとどこにも行けない・・・。
 何だったかというと、まだ公表はしちゃいけないんだと思うけど、要するに酒ビン。秋田に来て、酒ビン描きもだいぶ慣れた・・・もう、「酒ビンの女王」と呼んで!?(永沢まこと門下生の間で「〜の女王」呼ばわりがはやっている)。
 さて、昨日から食べているおもちは、黒豆もち。道の駅「雁の里せんなん」で買ったもので、すごくおいしい。このおもちを作っている「美郷サンファーム」では、原料のもち米から栽培していて、そのもち米の名は「きぬのはだ」。なんとまぁ、おいしそうな名前・・・ちょっと色っぽい響きもマル。
 秋田県南には、このように、地元で作られ、主に地元で消費されるおいしいものがたくさんある。でも、あんまり積極的に他県に打って出ちゃうと、また、そのありようが変化しちゃうんだろうな。遠くの人に紹介できないのは残念だけど、少なくとも私は、今ここでローカルな幸せを享受できているので、まぁいいか。

2007年1月18日(木)

 おもちを焼いて食べながら作業。
 おもちが「腹もちがいい」と言うのは、真っ赤な嘘だと、いつも思う(ただの語呂あわせか?)。おもちは、食べれば食べるほど、もっと欲しくなる。で、作業机と焼き網の間を忙しく往復しながらの作業。今日、いや今日だけじゃなく、この年末年始、一体、何膳分のお米を餅として食べただろう・・・。
 年明け、秋田まるごと市場で「みかん餅」なるものを見つけ、買って食べてみた。みたけど。う〜ん。確かに、「みかん」は、おいしいものだ。「もち」というのも、おいしいアイテムだ。けど、けど、「みかん餅」ってのは・・・ちょっと・・・別々に食べたかったなあ。

2007年1月17日(水)

 大曲は乳白色の霧に包まれ、東山魁夷の絵のように幻想的に、西山をバックに雄物川の土手、トンビの住む杉木立が浮かび上がる。
 眠いけれど早起きし、それを見ながら歯磨き。
 することが沢山あるので、絵をひろげたり、掃除したり、パソコンに向かったり。
 文明の利器、といえばそれまでだけど、メールって、へんなものだと思う。顔を見ないで話せるって、いうところも便利だけど不思議(アナログ人間です、はい)。私は人とは、なるべく、直接会って、会話したい。それが叶わないときにはいいかも知れないけど、真意は、伝わりにくい気がする。会話よりは、ずっと。
 「送信」をクリックする時がまた、コワい。
 「これを押したら、行ってしまうんや・・・」と思う。核戦争のボタンを押すときの気持ちって、こんな?ちょっと(!?)ちがうか・・・。手紙はまだ、ポストのところで取り戻せる(らしい)。メールは、そうはいかない。
 今までに、出して後悔したメールがあるか?それは、とりあえず今は、ひとつもない。どれも、真意だったから。
 でも今日、出さなかった一行のメールあり。私も保身的な臆病者になった?イヤイヤ、分別がついたと言ってもらおう・・・。
 ところで今日、とある所からお仕事が来て、その期限が明日。
 私・・・こんなところでつまんないことをウダウダ言ってる場合でしょうか・・・?

2007年1月16日(火)

 明日は、何の日。忘れもしない、あの大地震の日。たまたま(?)大阪に住んでいた私達も、早朝、下から蹴り上げられる衝撃に目を覚まして以後、生涯忘れられないものをたくさん見聞きしてしまった。
 私達の住んでいたところの京阪電車は動いていたので、夫(当時はただの同居人)は、「来られへん人もいてはるやろから、僕、ちょっと早めに行くわ」と職場に行ったものの、じきに、
 「あのう・・・あまりに誰も来ぇへんから、何にもする事ないねんけど。給料も(当時は現金支給。その日は給料日)今日は出ぇへんみたいや・・・。」と電話。電話も通じたのはその時までで、その後はもう、通じなかった。
 神戸はすごかった。灘の酒蔵も、時期から、仕込みの最中だったので、杜氏さんがたくさん亡くなり、こぼれて地面に滲み込んだお酒の匂いがあたり一面に漂って、供養をしているようだった。
 今でも、リアルタイムの大火事の怖ろしさ、よかった報道、悪かった報道など、この日になれば妙にしんとした静かな気持ちになって、さまざまな事を思い出してしまう。

2007年1月15日(月)

 とある行事の為の見積もり、というのに来て貰う事になる。ところが、当日になって、なんか事情が変わったような、変わってないような・・・。来れないような・・・。こっちからは連絡もついたりつかなかったり。
 「忙しい」と口に出すのは自分の能力のなさを露呈するようで嫌だけれど、このところ色々な事で本当に忙しかった(このあとも数日忙しい)私は、困り果ててしまった。この分では、明日も来て貰えないかも知れない。
 で、もう、「言ってみるっきゃない!ダメもと!」の精神のもと、強く言ってみて、来て頂く。
 本当は私だって言いたくない。モトは商売人の娘、ヤのつく所(○くざとか?○くしょとか?)に出入りする苦労は知っている。その話(言い訳?)も、前日に、又はせめて約束の時間前に聞いていたら、私だって「夜中でもいいから今日中に来て欲しい」なんて言わない。絶対に。思い通りにならなきゃイヤ、って性格でもないし。
 でも、ここがまた、大阪で商売を張っていた者の娘(それに今も、私は一応自由業だ)、自分の規準に照らして、聞けないハナシは聞けない。言ってどうにかなるものならば、ダメもとの精神のもとに、こちらの希望は言ってみる。
 ああ、でも向うはイヤだろうなぁ。元々気の進まない(みたいだった)仕事、何とか逃れようとしてるのに、そこの奥さん(誰の事やねん)が出てきて大阪弁でポンポン言うし。あ〜恥ずかし。今後は穏やかに生きて行こう・・・。

2007年1月14日(日)

 もちろん自分が不妊治療を始めるずっと前のことだけれど、私は、「妊娠中毒症」って、「妊娠せずにはいられない」人の事かと思っていた・・・だって、〜中毒って、だいたいそういう意味だったじゃん・・・。あほでした。どんな人だよっ、一体!
 今じゃ「妊娠高血圧症候群」と改名され(私みたいな人がいるから?)、ほかの「〜中毒」も「〜依存症」と置き換えられるようにもなった。
 さて、今度妊娠したらしようと思っている事がある。それは宝くじを買うこと!私はまだ宝くじを買ったことのない「宝くじ処女」で、初めて買う人はよく当ると言われるし、妊婦はくじ運が強いとも言われるので、「妊婦の時に初めて買う」を実現しようと思う。いままで4回も妊娠したけど、いずれの時もそれどころじゃないままに終わってしまったので、今度こそ!
 それに、もしまた流産しても、妊娠中に3億円とか当たったら、ものすごく価値ある妊娠だったと言える・・・かも知んない・・・。(←あほ)。

2007年1月13日(土)

 雪に朝日の当たる美しい冬の一日、秋田県立博物館へ。
 セッティングして下さる方があり、県立博物館のミュージアムショップの人とお会いする機会に恵まれる。いろいろお話していると、さすがに工芸品や民芸品に深い造詣のある方とわかり、興味深い話は尽きない。何年も前から、私は札幌でも東京でも、そうとは知らずにこの方の扱われた品々に触れたり購入したりしていたことも判明。そして時は巡って、こうして秋田は金足にてお会いすることになろうとは。いや〜ご縁です・・・。
 いろいろ、進みつつある話もあり、またこのHPにてご紹介出来るようになれば嬉しい限り。
 そしてすぐに地下の学習室、冬博ゼミ「甘粛省との友好交流」。前半でお話された盧(る)燕玲さんとは、博物館の行事としては、今日でお別れ。もうすぐ帰国される。挨拶や記念品の贈呈などあり、別れを惜しむ。名残は尽きねど、盧さんはこれでやっと、中国のお子さんやご主人と合流できるわけで、ご無事のご帰国をと、お祈りする。
 彩画堂でF6の絵を額装してもらった後、憩7に行き、スタッフといろいろなお話して(今日は驚きの話もあり)、帰る。

2007年1月12日(金)

 突然ですが、私は胃下垂です。以前、胃の調子が悪くてバリウム検査を受け、その結果を聞きに行った時の事。
 なんと、照らし出された写真には、私の胃は、ひとかけらも写っていなかったのだった・・・。
 「え〜っ、私、胃がないぃー!!」
と騒ぐ私に、先生は「ぷぷっ」と笑って、「じゃーん」ともう一枚の写真を出し、
 「ほらね。あなたの胃は、普通の高さだと写らないんですよ。こっちのは、ぐっと下がってこのへん(指し示し。胃にしてはものすごい下)。まぁその、いわゆる胃下垂ですね、筋力ないほうでしょう?」
 いや、ショックだった。でも先生がニコニコ顔だったので、「まぁそんなに大層な事じゃないのか」と思えて、気を取り直したけど。
 それにしても、楽しそうだったな〜、先生。まぁ、激務の合間のひと時、アホな患者が来て「私の胃がない〜!」なんて騒ぐのをからかって、一服の清涼剤になったのなら、嬉しゅうございます。楽しくなって、そのあとの患者さんも笑顔で診察されたのなら、私だって医療の役に立ったってことだよね!

2007年1月11日(木)

 やっと左頬のバンソウコウが取れたというのに、お調子者の私はホイホイと、右頬の「なんちゃらかんちゃらメラノなんとか」も治療してもらうのであった・・・。これでまた、あと10日ないし2週間はバンソウコウ顔です。でも、慣れればどうってことないし。岡田皮膚科の皆さんに会うのは楽しい事だし。いつも有難うございます。「病院」が楽しい私って、恵まれていて、幸せ者かも。
 秋田市民市場の味利食堂で海鮮丼を食べて帰る。
 今冬は晴れの日が多い。私が秋田から大曲に帰る午後は太平山に西日が当たり、夏につけ冬につけ美しくそびえているのを見ながら秋田中央I.C方面に走るのが常だけれど、今日の太平山は特にすごかった。白く雪を頂く山の真正面から「ばーん」という感じで日光があたり、双子尾根の、その神々しさと言ったらなかった。
 たまたまの偶然ながら、秋田県に住むことになってよかった、と実感した瞬間が、またひとつ。

2007年1月10日(水)

 今は毎日、何かしらやっていて、忙しくしている。確かに。その中で、ちょっとした善い事を小まめに拾い上げて、人生を少しでも良いものにしたいと思う。
 で、子供がもし私のところに産まれたら。
 今やっている色んな事、おそらくほとんど全て、捨てることになると思う。モトモトない体力がさらに翳りを見せる年齢(自覚はないけど)、加えて血縁家族・古い友人は千数百キロかなた、という条件の子育てで、出来ることはそう多くない。
 そして、子育てが終わったあかつきには、年も取ってヨレヨレになっちゃってるの。うわぁ〜っ。でもまあ、それでいいかも。今、こうして毎日拾い上げているいろんな事を、見せてあげたり、バトンタッチする相手ができるなら。彼(または彼女)と一緒に拾い上げられる範囲の「拾い上げ」でいい。子供が産まれたら、そうすると思う(いま思ってるだけ?)。
 ・・・ってゆうか、それしかないじゃん!私に、選択肢はないのだった・・・。

2007年1月9日(火)

 ちょっと理由があって、このところ家の片付けに追われている私達夫婦。今日も今日とて朝から本の整理。お正月働いたからか、せっかく平日に休みを取っていた夫ともども、「も〜イヤ!」と、昼過ぎから出掛けて温泉に行くことにする。
 行き先?ココはやはり、唐松温泉でしょう、当然!近辺じゃ有名な「子宝の湯」。それに、今日は平日なので、とあるスタンプブックを持っていくと、無料で入浴できるの。ここは600円なので、これは大きい。このブックは980円なので、何軒かですぐにモトがとれる。
 お湯から上がって併設のレストラン「東兵衛屋敷」で太い梁を見つつ、はたはたの鍋や串カツなど、お腹一杯食べて帰る。
 夜はもう真っ暗で、雪道はツルツルだったけれど、ホントにおととい、スタッドレスタイヤ替えといて良かった。命は金で買えるのね。(そうか?)

2007年1月7日(日)

 車の点検&シャフトなどの部品替えに行く。トヨタカローラ秋田の大仙市店。いつもお世話になっているココは、大曲西道路の飯田I.C近くで、我が家からも歩ける距離。絵を描いたこともあるので、また彩色してアップしよう。
 ところで私、しょっちゅう車を点検・修理したり部品替えたり洗車したりしているように見えるらしいけど・・・うん、確かにしょっちゅうしてます。だって私のターセルは14年選手。加えて高速長距離・雪道・砂利道・砂浜・峠道など、すごくいろんな所をガンガン走らされるので(誰のせいやねん)、なんかあったらコワいじゃないですか・・・。
 そして今冬に入ってから、どうもスタッドレスタイヤの効き目が弱いように思うので診てもらったら、やっぱり「よくもって今シーズン一杯」の減りようらしい。硬くもなってるみたいだし。
 で、今度は大曲タイヤ館で冬タイヤを履き替える。まあ〜なんと!私・・・ここんとこ、「横滑りは当然」と思って平気で滑りながら走っていたけど、それは大いなる間違いだった・・・タイヤが減ってただけだった・・・。反省。がっくし。
 そしてさらに。車のスピーカーの調子もずっと悪いので、イエローハットでスピーカーも取り替え。「右のリアスピーカーが変?」と思っていたのも間違いで、全部が悪かったんじゃん!音、全然違うじゃん!
 と、いうことで、ター坊のお手入れだけで貴重な(?)一日が暮れゆく、今年最初の日曜であった・・・。しかもすっからかんに。

2007年1月6日(土)

 今年GETした福袋は、「ちきりや」「泥棒日記」(どちらも、和柄好きの人にはわかりますね)、「ベネトン」の3つ。このうち前者2つは仙台で購入したので、当然仙台に遠征。(いや、他にもちゃんとした用事があったんです!)。
 そして、仙台と言えば!フォーラスの少し南、caslon(キャスロン)のジンジャーエールが、すごくすごく、おいしい。これは、この店の手作りで、最初は、
「人によっては少しからいかも知れません・・・本当〜にたっぷり、ショウガをしぼっているので・・・」
 と心配して貰ったのだけれど、私はとても気に入って、年末に行った日などは、まず冷たいのを飲んだあと、おかわりでホットもたのんでしまった。お店の人もプロ、って感じでキビキビ、でもやさしく明るくて、仙台に来たら寄らずにはいられない。
 キャスロンは、生産者とのつながりを密に、「自分たちが食べたいと思うものを作る」ことをテーマに頑張っているお店で、パンだって、天然酵母パン。白神酵母とライ麦ルヴァン種酵母。白神酵母ってとこが、秋田県民には嬉しいじゃん!スープもすごくおいしい。

2007年1月5日(金)

 2日の日、一人で初詣をしたうちの一ヶ所、太平山三吉神社という所は、実は私の子供(完全胚盤胞凍結卵)を預けてある病院の近所にある。
 当然、行き帰りなどに見えるわけで、見えると気になるわけで、「おか〜さんですよ〜、あけましておめでと〜」などと、フラフラといつもの駐車場まで行ってしまったりする。
 今はいい。そこに卵があるということは、だっこは出来なくても、この世のどこかに自分の子供がいるということだから。(大げさだなぁ)。
 これを移植して、使ってしまって、なおかつ子供として産まれてこなかったら?もう一つ東京にあるけど、それは、これほど良くはないだろう、4分割卵だし。それもなくなったら?
 今の精神状態(と言うほど大したものではない)は、保てるのだろうか。
 やっぱり、ガックリ来ちゃうのかな?
 一人で、停めた車の中で、ハンドルを握ってそんなことを考えていたら、泣けてしまった。新年早々、エンギの悪い女だなぁ・・・。あーみっともない。
 ナミダをふいて、憩7に行ってお茶して、気を取り直して大曲に帰ったことでした。本日は、景気の悪いお話で、失礼しました。

2007年1月4日(木)

 家中のカレンダーを替える。2年前からトイレのは「たまひよカレンダー」と決まっている。2年前の年末年始、その半年後の6月、と、ベネッセの「たまごクラブ」(妊婦雑誌ね)に付録でカレンダーがついてる月に限ってたまたま(?)妊娠していた私・・・。
 それ以来、カレンダー欲しさに、カレンダーの付いている号は「たまごクラブ」を買うのだけれど、やっぱり、買うときのキモチはなんか変。
 でも、かわいいし、このカレンダー。書き込みもできるし。

2007年1月3日(水)

 今年のおみくじ。
「今は人の知らぬ胸の苦しみがありますが、さわがず信神して時の来るのを待ち身をつつしんで行いを正しくすれば必ず幸いを得る時が来ます」
 ウラ。
「波立たぬ平らかな心の海には、神の御光が澄み入って清々しい。(中略)波立つ心は、先ず我が胸を焦がして炎となり、刃となって先方を傷つける。それがまた木霊のように再び自分に返り来つて身をそこなう。まずは(中略)心の波を静めよう」
 あのぅ・・・。「中吉」とは名ばかりで、これってほとんど内容的には「凶」の文面じゃないでしょうか。神様から、叱られています・・・。

2007年1月2日(火)

 大曲密着型のお正月に飽きた私は一人で初詣&初売りの旅に出ることにする。夫は玄関で、
 「福袋でも買って遊んでおいで」
 と、ポチ袋にお年玉をくれた。なんか、手の平で転がされてるような気がするなぁ、正月早々。でも、くれるものはもらっておく。
 初詣は秋田人のメッカ(?)、太平山三吉神社と彌高神社。昨年も、夫は大阪に帰っていたので一人でここに初詣した。夫には、仕事がないお正月は大阪の親元に帰らせてあげたいし(雪国じゃ冬におちおち二人とも留守には出来ないのでその場合私は残留)、仕事があれば彼は大曲から出られないので、お正月はついバラバラになる運命の私達。
 彌高神社の屋台は、今年はあまり出ていなかった。去年の大雪の苦労で、うんざりしたのかなぁ、みんな。今年は大仰な雪囲いが空しく思えるほどの少雪。

2007年1月1日(月)

 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 この三が日、夫は仕事で大曲から離れられないので、地元の古四王神社におまいり、道の駅雁の里せんなんでお年始、と、地元密着型の元旦を心静かに過ごす。
 着飾って(着膨れて)ぽんぽこになっている小さな子などを見るとかわいい。不妊治療を始めてからは、お互いに腹蔵なく
「かわいいね」「欲しいね」と言い合えるので、気楽。
 それまで長の年月、子供、の件に関してお互いがどう思っているのか、腹を探り合っていたような感のある私達。秋田に来てから、もうだいぶ年を取ってしまった私が思いがけなく妊娠した時、私の頭にまず浮かんだのは、
「彼がこの妊娠を喜ぶだろうか?」という事だった。でも、その妊娠のあいだ中、彼が楽しみなような顔していたのが今でも思い出せる。そのせいで流産後、不妊治療、なんてものに突入することになっちゃったんだけど。
 2年前のお正月のことです。
 いま、ぜんぜん違う気持ちと状況の中で、同じ道を歩く、これもまた正月。