粕谷の畑や山林からは時々黒曜石の鏃が見つかっていました。
また南隣の廻沢(現千歳台)の青林山 東覺院の近くには湧水も有ったと言うことです。
この東覺院の周辺でも石器や鏃が見つかっています。
また、南東側には八幡山遺跡があり、住居跡や石器等が見つかっています。
石器時代・縄文時代から、人の痕跡はあったようです。
鎌倉時代には粕谷三郎兼時の所領でした。粕谷一族は野良田(現玉川中町)で帰農し、その一帯の開発をしました。粕谷姓の家は玉川中町に多く有ります。しかし現在の粕谷の地には、粕谷一族が粕谷に住んだ記録も、その子孫粕谷姓も粕谷にはいません。
粕谷は江戸時代は幕末まで天領でした。水争い等、村々との争いごとがあった場合天領は強かったらしく、昭和のはじめまで、粕谷が勝ったそうです。
文政9年粕谷30戸
明治2年粕谷村は品川県に入る。
明治4年東京府に入る。
明治5年神奈川県に編入。
明治17年粕谷26戸。
明治22年市町村制が実施され、東京府北多摩郡千歳村大字粕谷となる。
明治40年2月蘆花が粕谷入村。蘆花の「みみずのたはごと」によれば粕谷26戸。
大正9年第1回国勢調査では粕谷33戸。
昭和2年9月蘆花伊香保で死す。藍(愛子)夫人によると粕谷27戸。
昭和11年東京市に編入世田谷区粕谷町となる。
北多摩郡千歳村は現在はありませんが、千歳村は府中の大国魂神社の例大祭に三ノ宮として参加していました。この記録だけが残っていたらしく、今大国魂神社の三ノ宮に北海道の千歳市が千歳という名前から間違えたのだと思いますが、入っています。
平成19年2007年2月27日は明治40年蘆花が粕谷に来てから100年目に当たります。神社の境内に記念碑を立てました。粕谷の26軒と蘆花関係地図が表示されています。蘆花の兄の蘇峰が先生の新島譲から記念にもらった「カタルパ」の子孫(4代目)を神社の境内に植樹をいたしました。
