蘆花の来た道

蘆花が千歳村粕谷へ行き来した道について、蘆花の著述にある道を検討してみました。

みみずのたはこと  より

青山高樹町の家をぶらりと出た彼ら夫婦はまだ工事中の玉川電鉄の線路を三軒茶屋まで歩いた。
唯有る饂飩屋に腰かけて、昼飯代りに饂飩を食った。松陰神社で旧知の世田谷往還を世田谷宿の外れまで歩き、交番に聞いて地蔵尊の道しるべから北へ里道に切れ込んだ。余程行って最早千歳村であろ、まだかまだかとしばしばあう人ごとに聞いたが中々村へは来なかった。

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青山高樹町の家
赤坂区青山高樹町20番地    (明治40年)
港区南青山7丁目5番地      (現在)(常陸宮邸東側道路反対角あたり)
  巡礼紀行の旅で明治39年8月ロシアから帰国した蘆花はここに仮住まいの家を家賃20円で借りた。あくる明治40年2月粕谷にやってきました。約6ヵ月の仮住まいでした。

国学院大学の前から渋谷へ246号線沿いに三軒茶屋、そこから世田谷通りに入り大場代官屋敷の前から東急世田谷線沿いに上町駅から豪徳寺駅方面へ進み、常徳院の前から滝坂道へ入り、経堂駅、すずらん通り、明治大学グランド横、千歳台環八交差点、東京中央農協前と辿り、ここから品川用水(現千歳通り)沿いに北へ曲がり粕谷へ、東京中央農協の北側に当時千歳村役場がありました。そして粕谷延命地蔵から西へ曲がり千歳教会へたどりついたものと思われます。(約17Km)

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