読   書   日   記

私が日々目を通す書物に対して、私の今の視点と、了解できない観点を書き抜き、それ
をどの様に理解すると私の了解になるかを目的に日記風に綴っていきたいと思います。

-------------2002.02---------------
2002年2月18日

牛は実在するのだ!
インドの実在論哲学「勝宗十句義論」を読む 宮元啓一著 青土社 


インド哲学の源流 AC8−7世紀頃に作られ始めたウパニシヤツド文献群に求められる。
宇宙の根本原理ブラフマンと個体の根本原理アートマンとが同一であるとする梵我一如説。
唯一無二の有(ブラフマン)から宇宙の森羅万象が出現したとする流出論的一元論。こうし
た一元論にあっては、いわば存在論的ともいうべき唯名論が自ずから主張される成りゆきに なってくる。

「有の哲学」


 金の塊から、様々な金細工、例えば指輪、イヤリング、ブレスレット、ネックレスなどが
 出来るが、これらの様々な金細工は、本質的には金にほかならない。
 これらの指輪、イヤリング、ブレスレット、ネックレスと言うのは、ただの「名のみの存
 在」であり、真実には金としてのみ存在するものなのである。これと同様に、この世の森
 羅万象は、ただ名のみの存在であり、真実には、唯一無二の有たるブラフマンだけが存在
 している。

金の存在にたいして、其の金の、見た目の形の違いが、指輪であり、ブレスレットである事
     金の存在−−本質的存在、真実の存在
     指輪、ブレスレット−−名のみの存在、現象的存在、
金は物質としては、ゴツゴツしたものとして発見されるが、その物質は、AUと言う原子の
結合体として出来上がっている。その原子の結合体は、地下の圧力でゴツゴツした形として
見つけられるのである。その金塊を熱して流動体にして、はじめて望みの形にするのです。
金の形は、高温時にあった流動体のものを、常温下に置く時に固まる一つの形であり、だか
が、どんな形をとるかは、流動体が触れる他の物体の形に規定されるのであり、AUという
原子にとって、あくまでも外部的なものなのです。
だから、AUと言う原子で成立している金の存在は、原子のレベルでは、独立したものであ
り、他の物を必要としないが、そしてそれだけで存在するものを、本質的と規定しているの
です。それに対して、指輪は、AUとしての金が人間の指の形に規定されて生ずるものであ
り、AUとしての金が、他者を必要とする事で成立すると言う意味で、それだけの存在=本
質存在に対して、他者との関係から生ずる存在、媒介された存在というのでする。

名のみの存在とは、媒介された存在としての金の存在をいい、直接の存在と区別して言って
いるのです。直接の存在は、物質としての存在であるので、<これ>と指示できるのだが、
媒介された存在は、<これ>と指示されても、直接の存在なのか、媒介された存在なのかは
解らないのです。それに対して、<指輪>と言う言葉は、金の存在とは区別されているもの
を指示しているのであり、それを言葉で言えば媒介された存在というのです。

金の存在こそが<存在>であり、あえて指輪が存在すると言う時の<存在>は、人間の指に
はめられる金の存在を指示しているのです。そうすると、指にはめられるのであれば、銀の
存在でも、ダイヤモンドでも、銅の存在でもいいのであり、その点だけからすれば、指輪の
存在が、名のみ存在であると言う結論は、今回はたまたま金の存在であり、銀の存在でもい
いような存在と言う事を示しているのです。