なってくる。
「有の哲学」
金の塊から、様々な金細工、例えば指輪、イヤリング、ブレスレット、ネックレスなどが
出来るが、これらの様々な金細工は、本質的には金にほかならない。
これらの指輪、イヤリング、ブレスレット、ネックレスと言うのは、ただの「名のみの存
在」であり、真実には金としてのみ存在するものなのである。これと同様に、この世の森
羅万象は、ただ名のみの存在であり、真実には、唯一無二の有たるブラフマンだけが存在
している。
金の存在にたいして、其の金の、見た目の形の違いが、指輪であり、ブレスレットである事
金の存在--本質的存在、真実の存在
指輪、ブレスレット--名のみの存在、現象的存在、
金は物質としては、ゴツゴツしたものとして発見されるが、その物質は、AUと言う原子の
結合体として出来上がっている。その原子の結合体は、地下の圧力でゴツゴツした形として
見つけられるのである。その金塊を熱して流動体にして、はじめて望みの形にするのです。
金の形は、高温時にあった流動体のものを、常温下に置く時に固まる一つの形であり、だか
が、どんな形をとるかは、流動体が触れる他の物体の形に規定されるのであり、AUという
原子にとって、あくまでも外部的なものなのです。
だから、AUと言う原子で成立している金の存在は、原子のレベルでは、独立したものであ
り、他の物を必要としないが、そしてそれだけで存在するものを、本質的と規定しているの
です。それに対して、指輪は、AUとしての金が人間の指の形に規定されて生ずるものであ
り、AUとしての金が、他者を必要とする事で成立すると言う意味で、それだけの存在=本
質存在に対して、他者との関係から生ずる存在、媒介された存在というのでする。
名のみの存在とは、媒介された存在としての金の存在をいい、直接の存在と区別して言って
いるのです。直接の存在は、物質としての存在であるので、<これ>と指示できるのだが、
媒介された存在は、<これ>と指示されても、直接の存在なのか、媒介された存在なのかは
解らないのです。それに対して、<指輪>と言う言葉は、金の存在とは区別されているもの
を指示しているのであり、それを言葉で言えば媒介された存在というのです。
金の存在こそが<存在>であり、あえて指輪が存在すると言う時の<存在>は、人間の指に
はめられる金の存在を指示しているのです。そうすると、指にはめられるのであれば、銀の
存在でも、ダイヤモンドでも、銅の存在でもいいのであり、その点だけからすれば、指輪の
存在が、名のみ存在であると言う結論は、今回はたまたま金の存在であり、銀の存在でもい
いような存在と言う事を示しているのです。