読   書   日   記

私が日々目を通す書物に対して、私の今の視点と、了解できない観点を書き抜き、それをどの
ように理解すると、私の了解になるかを目的に、日記風に綴っていきたいと思います。
−−−−−−−−−−−−2002年03月27日−−−−−−−−−−−−−−−

論理学入門 仲本章夫 創風社

第一章 伝統的形式論理学
 論理学の対象:推理という形態である科学的思考で、定言三段論法と呼ばれているものが対象となる。
       全ての東洋人は人間である。−−−−−−(1)
       全ての日本人は東洋人である。−−−−−(2)
       ゆえに、全ての日本人は人間である。−−(3)
(1)と(2)の既知から、経験的に確かめてはいない(3)の未知が、確かめずに既知と成るのです。 このような事が、論理学と言う推理の学によって出来るのです。それが出来ないと、新たな確かめを必要 とするのです。
(1)(2)(3)の各々を<判断>と言い、名詞の事を<概念>と言う。ただし、名詞以外の形容詞等 は、すべて名詞の形になおして考えられる。
  この花は赤い。−−−>この花は赤いものである。
形容詞、動詞等を、いったん名詞化することで、<概念>を得ると言う事、しかし助詞には概念が無い様 に見えると言う経験をどうするのかと言う事になる。

論理学度言う、概念とは何か
 概念:対象や現象をその本質的徴表において反映する思考形式
    対象そのもの−−対象そのものの思考上の像 と言う区別(家と「家」と言う概念)
    対象が含んでいるもののうち、その本質的な徴表だけを反映しいる。
この区別については、全て言葉に出して示されていると言う事を前提に考えるべきであり<「家」>も< 家と言う概念>もと言う時、この両者は言葉であり、概念が言葉として表現されていると言う事になりま す。<家そのもの−−家と言う概念>は言葉として、表現される事で、その言葉を読む者は、そこで何が 言われているのかを理解するのです。「家そのものと家と言う概念」と言う区別は、概念化したものを言 葉として表現したものなのです。<そのもの>と<概念化>と言う区別、しかし言葉で表す限り、概念化 の向うに有るものと言う言葉さえも、概念化の結果であると言う事に成る。言葉から独立しているものを 言葉を介して理解しようとする事は難しく無いが、<言葉から独立しているもの>と<それを認識し概念 化して言葉に表現されたもの>とを区別して、言葉にする事が難しいのです。言葉と言う表現には、対象 のあり方がそのまま出ている訳では無く、あくまでも認識し概念化されたものが、表現されているのであ り、だから実物をだして見ればいいものを、<この様に実物を>と言う言葉にする事でしか無いと言う言 葉のあり方が、まず理解される事で、言葉にした時の内容と、言葉に出す事の理解が自覚されるのです。

本質的徴表:対象の本性、対象の本質を表す。その対象を他の対象から区別するものであり、その対象の       徴表は、他の対象の徴表も明らかにされると言う事に成る。
しかし、対象をその徴表において反映するものは、概念ばかりでは無く、表象もまたそうである。概念は 対象の本質的徴表において反映に対して、表象は対象をそのすべての徴表において反映する。表象は概念 より豊かであるが、概念は表象より深く反映している。−−表象において<全て>をつかっているのである から、そのほかとして深さがでてきているのであり、経験的な違いに認識が有る事に対して、その違いを 区別として出しているだけにすぎない。−−

概念の形成
比較、分析、総合、抽象、概括(一般化)と言う論理的手段によって作り上げられる。
あらゆる対象は、大量の性質と徴表をもっている為に、概念を形成するためには、分析によって取り出さ れた諸徴表から本質的諸徴表だけを選びだす必要がある。だから、概念が形成される過程においてはつね に、抽象と言う論理的手段が用いられる。
概念の内包と外延
  内包:概念に反映されている対象の本質的徴表の総体であり、他の対象から区別する徴表
     例えば「家」と言う概念の内包とは、家が家である為に必要な諸性質である。
  外延:概念に反映されている対象の範囲、これまでに存在した、また現に存在し、これからも存在す
     るであろうものが、対象になる。
概念の定義
  概念の内包を明らかにする事で、対象の本質的徴表を明らかにする事である。
  甲と言う対象の本質的徴表とは、乙と言う対象では無いと言う規定を含み、甲にとっての他者との境
  界を示す事である。

判断とは何か
 我々を取り巻く世界の諸対象を認識するにあたって、世界の諸対象の中のなんらかの徴表を取り出して
 判断を行う。客観的世界の対象について、なんらかの事が肯定され、否定される思考形式である。
    (1)定言判断:主語は述語である。
         主語:対象を示す概念、述語:主語について肯定、あるいは否定する概念
         連辞<である>:主語と述語との連関
日本語の場合、<は、が>があり、その<は、が>がつくことで、前の語が主語となる。英語の場合には 語彙の位置によって主語であることを示すのです。ただ日本語の場合、主語の次に付く語である<は>か <が>によって、主語の特性が変化するのです。
例えば、<私がサラリーマンである>と<私はサラリーマンである>の違いは、<は>と<が>の違いに よるのだが、この違いは<私>についての違いであり、私<が>の場合、個別という把握であり、多数の 人々の中の一人としての私である。私<は>の場合、その私と言う個別に対して、個別の中の多様な側面 を取り出し、それぞれの特性として規定するのです。

    (2)仮言判断:二つの定言判断が「ならば」で結合されて出来た判断
    (3)選言判断:二つの定言判断が「または」で結合されて出来た判断