読   書   日   記

私が日々目を通す書物に対して、私の今の視点と、了解できない観点を書き抜き、それをどのように理解すると、私の了解になるかを目的に日記風に綴っていきたいと思います。

−−−−−−−−2002年07月17日−−−−−−−−

意味の世界と日本語 平澤洋一 桜楓社

第1章 意味の世界と語彙
言葉や意味の問題:近代の諸科学によって様々に研究されて来た。
カルナッブの哲学、タルスキーの論理学的意味論、コージブスキーの一般意味論、ブラウンの心理学的意味論、グディナフやナイダの分化人類学的意味論、ソシュール(概念説・対立説)、サピア(概念・イメージ説)、ハリス(分布説)、スティブンソン(傾向説)、ウルマン(相互関係説)などの言語学的意味論をあげる事ができる。
言葉の意味の問題:具体的な扱い方、どの分野で成果をあげたか、ネックが無かったか、語彙と意味をどう関係づけたか

哲学的意味論は、論理実証主義の意味論と日常言語学派の意味論に分けられる。
前者は(1)言語に多義性があること、(2)言語に同義性があること、(3)部分の意味の合計は必ずしも全体の意味の合計にならないこと、を判断根拠として「日常用いている言語は曖昧で不正確である」と言うような前提から出発して、一つの記号は一つの意味を表し、複数の記号の意味の全体は各記号の意味の合計になる様な体系を立てようとする。

タルスキーの論理学的意味論では、指示の野論を始めて論述とた。「信濃川」と言う一つの表現形式は一つの川を指示しているのに、その被指示体をその表現の意味と呼んだ。
−−富士山と言う言葉は、一つのヤマを指示しているのだが、この場合個別的個体を支持している。幽霊と言う言葉は、何処に指示するモノがあるのかと言う事になる。<富士山>と言う言葉の意味は、今私の目の前にある<それ>の事である。ただ<それ>の何が指示対象なのかと言う事になる。例えば私の目の前にいるものに対して、<人間>と言う言葉で指示するか、<瑞季>と言う個有名で指示するのか、<女の子>と言う言葉で指示するのか、<長女>と言う言葉で指示するのか、と言う事になり、<私の目の前にある>と言う言葉さえ、一つの指示の言葉になつてしまうのである。とすると、<それ>と言う言葉で指示されるものに対して、どんな言葉で指示するのかは、<それ>が持って居る諸関係を考慮に入れなければ成立しないのであり、だから単に指示対象が意味であると言う事では無くて、諸関係を入れなければ指示にならないのです。その諸関係のうち特定の関係だけが取り上げられた認識が指示の言葉としてせいりつするのです。