読   書   日   記

私が日々目を通す書物に対して、私の今の視点と、了解できない観点を書き抜き、それをどのように理解すると、私の了解になるかを目的に日記風に綴っていきたいと思います。

−−−−−−−−2002年08月04日−−−−−−−−

文法と語彙 大野 晋 岩波書店 1987年2月19日 第一刷

4 助詞の機能と解釈
1)古典語の助詞の解釈
助詞は日常で極めて度数多く使われるが、我々はこれに反省を加える事が少ない。
−−助詞や助動詞などの付属語と区別される自立語の場合、その語と語が指し示す対象とがハっきり捕らえられていて、例えば<幽霊>と言う言葉に対して、それが実在などしないから対象が無いのでは無く、あくまでも頭脳の中の想像されたイメージとして成立しているものが、指示対象になって居るのテである。<山>と言う言葉は、今目の前にしている「それ」を指し示しているのです。つまり、対象が確認されるのである。それに対して、付属語である助詞の場合、自立語の様な対象が見当たらないのであり、ただ自立語に付着して自らの働きを、例えば主語にするとか、目的語にするとか、話題にするとか、主題にすると言うことで表しているのだと判断しているのです。
<歩いて行く>と言う活動があり、その活動の主体として<私>がおり、何処かの方向へ歩く事を<学校>とすれば、言葉としては<私は、学校へ歩いて行く>が成立する時、私<は>の「は」は、歩いて行くと言う述語に対する<私>が主語である事を表している。さらに、<へ>は、方向を表している。私達はこれらの言葉の使い方を身に付けており、間違った使い方であるとか、その訂正とかを覚えて行く事で、他者とコミュニケーションを行うのです。

古典の解釈に際して、助詞の理解がどんなものであるか、そして助詞の機能を知るにはどのような道から入るのがよいかに説き及ぶ事ににする。
「故郷は遠くもあらず一重山、超ゆるが<からに>思ひそ、我がせし」の「からに」を「故に」と解釈する事と、「ちょっと・・・しただけで」と理解する事との、意味の違いを理解するのです。

5 助詞ハとガの機能について−−現代日本語の基本構文の意味−−
「私は花山です」の「は」は、その上の物事を提示して、下にその物事の説明を求める役目をする。
「私が花山です」の「が」は、「私が」と言った時、すでにその下にくる「花山」についてその場の人々に知られているものとして取り扱う。