創価学会は邪教 ?

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 ◆「創価学会亡国論」(まえがき)より

いま、マスコミや国会で、創価学会の問題が盛んに議論されている。論点は多岐にわたっており、「宗教法人としての的確性の問題」「政教一致の問題」「選挙違反の問題」「脱税疑惑の問題」「犯罪性の問題」等々、それぞれが創価学会の特徴をよく表している。 しかも、国会の場で審議されるということは、創価学会の問題が、国民にとっても無視することができない由々しき問題であることを示している。それは『創価学会亡国論』のタイトルの通り、創価学会が日本を滅ぼしかねない大きな国難を招くからである。 特に、選挙制度が小選挙区制に変わり、創価学会が金と票の力を頼んで国政を壟断しようと虎視眈々とねらっている今、その悪影響は国家全体に及びつつある。これは他人ごとではすまされない重 蜴膜盾ナあり、国民は創価学会による国政壟断を断じて許してはならない。 なぜ、創価学会には、異常な事件や世の批判を浴びるような行為が多いのか。 それは 創価学会の行動規範となっている生前の日蓮の教義そのものがおかしいからである。 今までの創価学会批判において、最も欠落しているのが教義の点検、しかも、宗祖・日蓮にさかのぼっての教義の点検なのである。 「悪しき果実は、悪しき木から生まれる」―――日蓮の教えの間違いが、世間を騒がす邪悪な活動につながっているのである。 「亡国の徒・創価学会を許すまじ」 創価学会は最悪の邪教である。悪しき宗教に対する正しい批判は、本来、宗教の中からこそ、出てこなければならない。悪を押し止め善を推し進めるのが、宗教の使命なのである。
幸福の科学  広報局 1995年1月

 ◆「創価学会負け犬論」(まえがき)より

オウム事件以来、宗教法人の公益性に関する論議が、白熱化してきている。 ひるがえって、なにゆえにこのような議論が必要とされているのか、その問題の ケを探ると、創価学会問題にゆきつく。 戦後日本最大といわれ、政治力も備えた創価学会は社会的な指弾をあびる数々の犯罪行為をおこなってきたが、それが国会等で取り上げられるたびに、彼らは「宗教弾圧」を叫び、旧公明党の議員などを使って政治的裏取引をし、事件そのものをうやむやにしてきた。 このため最近まで、宗教界全体がうさんくさい目で見られながらも、同時に「治外法権」のような扱いを受けるという、奇妙な社会状況が生み出されてきたのである。 しかし、今回のオウム事件の衝撃は、宗教の名のもとになされる、いかなる反社会的行為、公益をそこなう行為も、もはや是認されえないという、宗教に対する「認識の転換」を社会にもたらしたといえよう。 歴史的に見れば、仏神の言葉を伝える宗教は、いずれの国においても、もっとも「聖」なろもの、倫理性を高めるきわめて公益性の高いものとみなされ、社会の尊敬を集めてきた。それが社会と宗教の本来の健全な関係であるといえよう。 創価学会の存在と その積年の影響によって、一部にせよ、宗教界のなかに「治外法権」から無法地帯へと急激に堕落する動きがうまれて来た以上、まず、宗教自身が内部批判、相互批判をおこない、宗教界の浄化へ向けて建設的な自助努力をしなければならないと考える。そして、それはなによりも、戦後における宗教界堕落の最大の原因であり、今なおありつづけている創価学会批判へと向かわねばならない。 戦後50年、ながらく宗教は日陰におかれてきた。世間の良識の光が当たり始めた今こそ、現代日本にかけられた邪教団の呪縛を解き放つべき時である。 
1995年5月 幸福の科学広報局

 ◆「創価学会ドラキュラ論」(まえがき)より

前著『創価学会亡国論』『創価学会負け犬論』では、主に創価学会の教義にひそむ危険性を指摘してきた。本書では、この誤った教義から生まれた果実、創価学会が実際に行なってきた反社会的行為の数々をつまびらかにしていく。これほどの不法行為を繰り返す創価学会が、新進党を隠れ蓑にして、今や日本を題目ファシズムという恐怖政治へといざなっているのである。 本書をお読みいただければ、反創価学会の急先鋒であった東村山女性市議の怪死事件疑惑に暗示されているように、創価 w会の本質がオウム教となんら変わりないことに気づかれるはずである。否、暗々裏に活動してきた年月がより長期にわたるだけに、創価学会の反社会的行為は、わが国の邪教による犯罪史上、最悪のものといってよい。 戦後日本の宗教界の権威を失墜させ、日本人を異常なまでの宗教不信へと導いた似非宗教団体の罪は決して許されるべきものではない。創価学会を「宗教」と認めること自体が誤りなのである。 なぜなら、彼らはその本質において節税対策のために観音像を立てて宗教法人化したタクシー業者となんら変わるところがないからである。既に多くのマスコミが、創価学会の罪を追及している 。本書が史上最悪の邪教教団・創価学会の解散を促し、日本の宗教界が久しく失っていた真なる宗教の輝きを取り戻すための一助となれば幸いである。 そして健全な日本を取り戻すためにも、良識ある国民の方々が、創価学会に対し断固とした姿勢を示してくださることを切に願う次第である。
1995年10月 幸福の科学 広報局

 ◆「Yahoo!掲示板」より転載 (幸福の科学の教えについて)

372 件目 ekushuyさんへ nishida77 (36歳/男性/群馬県) 1999年9月13日 11時32分
>「信仰は主観」という立場を取るならば、他宗の信者の主観も認めてあげ、決して他宗攻撃はすべきではありません。

もちろん「信仰は主観」という立場をとっていると思います。しかし「黙認は認めたと同じ事」ですから、社会的に悪影響のある思想を持った団体等には、「批判」をします。その批判内容も感情的なものではなく、理に沿ったものとなるようにしなければならないでしょう。
>私は真理の探究のために、幸福の科学の本、精神世界の本や、その批判本、トンデモ本批判などこれからも読んでいきたいと思います。

そうですね、たくさん本をお読みになって。多角的視野から真理を探究なさるのも、良いことだと思います。その上で、「幸福の科学」を選ばれる事を期待しています。(^^)


378 件目 ekushuyさんへ nishida77 (36歳/男性/群馬県) 1999年9月13日 13時59分
>社会的に悪影響を持っているというのは、なにか基準があるのでしょうか。

あくまでも「幸福の科学」サイドの主観に依る基準でしょう。その「主観に依る基準」が正しいかどうか、という判断は、人それぞれの主観に依るものではないのでしょうか。物理的に「毒ガス」を撒こうとした様な団体は「論外」(当たり前過ぎ)ですが、人の心に「毒」を撒く様な思想も、「社会的に悪影響」があると見なして批判しているのだと思います。
>正邪の基準は社会に適合しているかどうか、なのでしょうか。

それも基準の一つになると思います。やはり、ある程度は「社会に適合」していなければ、「問題がある団体」と見なしても良いと思います。


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