ELRANTY さん<3>

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 ◆「Yahoo!掲示板」より転載 (幸福の科学の教えについて)

1518 件目  自分の頭脳を大川さんに預ける   ELRANTY    1999年12月15日 17時33分

funaba_tufsさん、こんにちは。

わたしとの直接のやりとりではありませんが、『方便の時代は終わった』の
引用などをされていますね。わたしがそれをまさに批判しているのだ、ということを
おわかりでしょうか。「自分の頭脳を大川さんに預ける」とわたしが言っているのは、
物事の真偽を判定するのに、確認できない霊的な世界の観点からの説明を受けて、
それを教えられるまま信じてしまう、まさにその姿勢、態度を言っているのです。
それともご自身で霊界を探索し、アール・エル・ランティーが幸福の科学をかき乱そうと
してきたのを、実際にその目でご覧になってきたのでしょうか? 
もともと幸福の科学ではある時期まで高橋信次の評価は高かったのです。そして「表」
の存在とされていました。会員たちはそれを受け入れて、「アールエルランティー様」
「信次先生」と言っていたのに、大川さんが「信次は裏です。これこれこういう霊的な
事実があります」と言えば、「右向け右」で信じてしまい、「信次」だのと呼び捨てに
する。それがわたしの言う、「自分の頭脳を大川さんに預ける」ということです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1517 に対する返信です )


1519 件目  脱会者の疑   ELRANTY    1999年12月15日 17時34分

94年に多くの脱会者が生まれた理由はなんでしょうか。仰る通り、信次さんに共感して
いた人が、信次さんの評価の変容にショックを受けたからです。そして疑が芽生えました。
しかし、疑=悪では必ずしもない、というのはもうすでに他の方も書いてあります。
オウム真理教の信者が麻原氏に疑念を抱くことを「疑」だと誰も批判などしないでしょう。
つまり、疑念が正しいものであるか、間違ったものであるか、ただそれだけのことです。
では、高橋信次への評価の変容に疑念を抱いた場合の「疑」は、是か非か。
それはまさに生前の高橋信次さんへの評価によってなされるべきところなのです。
さあ、高橋信次さんはいったいどんな人だったのでしょうか。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1518 に対する返信です )


1520 件目  高橋信次の教義   ELRANTY    1999年12月15日 17時49分

まずは、教義の観点から見てみましょう。
高橋信次さんの説いた正法神理の特徴としては、やはりなんといっても、釈迦の八正道を
「反省の方法論」として捉えたところでしょう(かなり、めずらしい捉え方です。そして
幸福の科学はこれを踏襲しています)。釈迦の八正道によって自らの心を見つめ反省し、
心にかかった曇りを取り除くことで、内在する神と同通して守護・指導霊と対話する
ことができるようになるということです。その判断の基準が、両極端を去った中道であり、
それによって心に大調和が生まれてくる、というものでした。
また、人間がこの世に生まれてくる目的についても説明をしました。すなわち人間は
あの世とこの世を永遠に転生輪廻しつづける存在であり、玉石混交のこの世に生まれる
ことで自らの魂修行をし、さらにはこの世をあの世と同じような仏国土・ユートピアに
することを目的として生まれて来ているのだ、ということです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1519 に対する返信です )


1521 件目  高橋信次の教義2   ELRANTY    1999年12月15日 17時50分

その証明として霊道現象がありました。霊道を開かせて、過去世のことを思い出させ、
異言を語らせることで、かつて人々がイスラエルやインドの地に生まれていたことを明か
したのです。この霊現象をもって裏としたがるようですが、証明のためにやってきたこと
であり、見せびらかすためではありません。しかも晩年信次さんは病気治しなども含めて、
「わたしひとりにこんなことができるからと言っていったい何になろうか。人は誰にでも
できることによってしか救われないのだ」として、それ以前ほどには霊現象を見せたがら
なくなったというのですから、なおさらです。
また、科学的な観点から仏教を説明したのも信次さんの特徴だと言っていいでしょう。
物理学の法則を、そのまま縁起の法の説明に用いた「作用・反作用の法則」は、
その中のひとつの特徴的な言葉だったと言えると思います。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1520 に対する返信です )


1522 件目  高橋信次の人柄   ELRANTY    1999年12月15日 17時54分

次に人柄の点から見てみましょう。
わたしは信次さんを知りません。しかし、どのような人であったかは、幸福の科学にいた
元GLAの人たちのお話を聞いたり、中立的立場の新宗教の研究を読んで知りました。
彼は決して奢り高ぶらない人であったというのが共通の意見です。先生と呼ばれることを
決して好みませんでした。「高橋さんでいいんです」というのは霊言でもありましたね。
研修のときなど、皆が去ったあとの会場で会員が脱ぎ捨てたスリッパをそろえたり、
ひとりでトイレの掃除をしていた、ということも元GLA会員から聞きました。
生き神信仰を否定し、「実るほど頭をたれる稲穂かな」と教えた信次さんらしいですね。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1521 に対する返信です )


1523 件目  自分を偉しとしたかったのは・・・   ELRANTY    1999年12月15日 17時55分

これらのことを考えてみれば、幸福の科学が当初高橋信次さんに与えていた評価がいかに
正しいかが明白です。そして『方便の時代は終わった』以降の高橋信次さんへの評価が
いかに滅茶苦茶かがわかります。そして、これらを考えれば以下の、

>『エルカンターレ』より『エルランティー』の方が「偉い!」ってことにしたかったのですね。信次さんは。

という説明がいかに的外れかわかるでしょう。あれほど謙虚で奢り高ぶら ネい人が、
どうして大きな心境の変化が起こらないとされるあの世に帰って、突然自らを「偉し」
としたがるわけがありましょうか。逆でしょう。大川さんが、高橋信次さんと比べて、
「わたしのほうが偉い!」ということにしたかったのです。指導霊としていたイエスを
「わたしに帰依した」と弟子にしたてあげるなど、すさまじい自己顕示欲です。
「この心に芽生えた“疑”は正しい疑念である」。これが脱会者たちが出した結論でした。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1522 に対する返信です )


1524 件目  幸福の科学設立の目的   ELRANTY    1999年12月15日 17時57分

>これで中に入って、砂漠の神の方が次第に勢力を拡張して、仏教教団を乗っ取りに来ているのです。(略)
この言葉を読み何も感じないのが不思議です。なぜ幸福の科学が設立されたのでしょうか。
地上では宗教同士互いに争っているが、天上界は、個々の宗教の創始者や、その弟子達が
宗派を超え手を取り合って学んでいる大調和の世界である、ということを明かすためです。
「勢力の拡張」だの「仏教教団の乗っ取り」だのそんなことを、あの世の「神々」が
やっているなどという教義をもって、どうして地上の宗教同志の争いを食い止めることが
できるでしょうか。そんなことができようはずがないではありませんか。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1523 に対する返信です )


1526 件目  信じたい教義の選択   ELRANTY    1999年12月15日 18時6分

そもそも、『方便の時代は終わった』以降の「裏」の説明は、ほとんど地獄界と同じです。
信次霊が自らを偉しとしているなら、たとえ裏だろうが、天国に住めるわけがありません。
「仏教教団を乗っ取る」などという攻撃性を持っていて、天国に住めるわけがありません。
天国も地獄もごちゃまぜにしてしまったところに、脱会者達は「疑」をもったのです。
すべて事実なのかもしれません。しかし、攻撃的な心を持っていても天国に住めるなどと
い 、矛盾ある教義を、そして高橋信次は仙人だなどという説得力のない教義を、そして、
この世を離れた天国でも宗教同志は派閥争いをしているなどという魅力のない教義を、
わたしは信じたいとは思いません。魂に暖かいものが何も流れてこないからです。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 1525 に対する返信です )


1527 件目  『幸福の科学原論@』の読み方   ELRANTY    1999年12月15日 18時9分

こんにちは。レスをありがとうございます。

>事実といわれているのは「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ!」ではなく、
>イエスが行われた仕事の結果と復活について不安に思われたとあります。
わたしは「エリ、エリ、レマ、サバクタニと叫んだのは事実です、と書いてあります」
とは主張していません。「そうだろうと信じたいと思います」という曖昧な言葉の真意を
はかるため、続く文を読めば、死の間際に不安を感じていたことが事実として語られて
いるのだから、それは「エリヤとラファエルを呼んだ」可能性よりも、「神よ、なんぞ
我を見捨てたまいしや、と叫んだ」可能性を示唆する、というのが、わたしの主張です。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 1490 に対する返信です )


1528 件目  『幸福の科学原論@』の読み方 2    ELRANTY    1999年12月15日 18時10分

>大川総裁が「そう信じたいと思います。」と発言されたのはこの時点では
>エル・カンターレ宣言をされる以前ですね。ですから、この段階では(略)
「エルカンターレ宣言」をしてはじめて「エルカンターレ」になるのではありません。
宣言をする前から大川さんは「エルカンターレ」です。イエスの死の間際の心境に
ついて「事実です」と断定できるのに、最後の言葉についてだけ断定を避けている、
この極めて不自然な言い回しは、「エルカンターレ宣言」云々では説明できません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1527 に対する返信です )


1530 件目  フライデー事件   ELRANTY    1999年12月15日 18時13分

>どうして問題の本質からそれた見方をされるのでしょうか?
なにが「問題の本質」なのでしょうか?

>エルランティさんがもしその様にされて嫌だなと思ったらどうしますか?
>辞めて下さいと言いますか?それとも泣き寝入りしますか?
当然抗議に行くでしょう。あなたは、一般人と宗教団体とをごちゃまぜにしています。
あなたが怒っているのは、大川さんがプライベートな写真を撮られたことですか?
団体の名誉を傷つけられたと思うのならば、会員有志が行けばいいことです。
それも温厚に、です。誰もそんなことはしませんでした。団体が指示してはじめて
腰をあげたのです。職員の中では、「あんな写真週刊誌の言うことなど無視しよう」
という意見が圧倒的だったそうですね。神理をきちんと学んでいれば当然のことです。
騒ぐほどのことではありません。しかし一部の攻撃的な職員が抗議をすべきと怒り、
おまけに師自身が抗議を実際に指示してしまいました。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 1491 に対する返信です )


1531 件目  フライデー事件2   ELRANTY    1999年12月15日 18時14分

>また裁判でも結果が出ていますね。
おそらくあのような非常識な抗議の方法は、相手側にそれを訴えられれば
敗訴になると思います。ahokusaiさんがすでにリンクを張ってくれています
(正しくリンクできていませんが)。判例を調べればわかりますね。

>もし幸福の科学の会員が立ち上がらなければ泣き寝入りして嫌な思い
>をされている方が増えていたことでしょう。
抗議の目的はなんですか? 世間の幸福の科学への誤解を解くことですか?
泣き寝入りしていた人たちに勇気を与えることですか?
仮に泣き寝入りをしていた人に勇気を与えたとしても、代償が大きすぎましたね。
彼らは「抗議する」という勇気は幸福の科学を通して学んだかもしれませんが、
「幸福の科学は非常識な抗議をする恐ろしい団体」ということも学んだからです。
あんな非常識な抗議行動を見て「よくやってくれた」などというレベルの人たちの
賛同をえていったい何が嬉しいのでしょうか? 誤解を解くどこ ・ゥ、会の愚かな
一面を却って自らの抗議行動、その非常識な戦法で曝け出してしまったのです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1530 に対する返信です )


1533 件目  フライデー事件3   ELRANTY    1999年12月15日 18時23分

>何れにしても悪質きわまりない手口で仕掛けてきたのはあちらです。
情けない言葉です。はじめにあちらが悪質極まりない手口で仕掛けてきたから、
こちらも同様に悪質極まりない手口でやりかえしてもいい、と?
「悪に対しては悪をもって闘え!」、それがiroiroarimasuさんが幸福の科学で
学んできたことですか? それが「悪いことは悪いといえる勇気」ですか?
レベルの低い三流週刊誌がどんな見下げ果てた編集理念を持つかなど誰でも知っています。
抗議文を書いたのちはただ静観をしていれば、皆どちらが真実かを見分けることくらい
簡単にできたでしょう(すでに東京ドームのバカ騒ぎを放映されたあとですから、誰も
幸福の科学には見向かなかったかもしれませんが)。同じ土俵にのせられ同じように
悪質な手口で闘うことで、幸福の科学は自分たちで自分たちの首を絞めたのです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1531 に対する返信です )


1534 件目  フライデー事件4   ELRANTY    1999年12月15日 18時24分

裁判で勝つことと、相手を悟らしめることとは、まったく別のことがらだというのに、
「勝訴した」などと喜んで、あちこちに名誉毀損だなんだと裁判を吹っかけていた当会は、
通行人にやたらと吠えかかる犬のようで、真の勇気も実力もないといわざるを得ません。
それこそ「怖がりや」です。もっと自分たちの信じる教えに自信を持つべきだったのです。
すべては自分たちが有する教えや人々の神性に対する信頼の欠如、「わかってくれる人は、
ちゃんとわかってくれる」という信念の欠如です。それが、あのノルマ形式の伝道を生み、
そして失敗し、大きな借金を作り、御真影や三種の神器などといういかがわしいものを
つくりださなければならなくなった理由でもあります。「発展についてこられなくなった」
など、子供だましな説明です。脱会者はみな自分が求めていたレベルに、会がまるで
達しえない現実にただただ絶望して辞めていったのです。いま程度の幸福の科学で満足の
人はそれでいいでしょう。脱会者が幸福の科学に求めたレベルはこの程度ではありません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1533 に対する返信です )


1535 件目  最後に注釈   ELRANTY    1999年12月15日 18時25分

なお、「神理」という言葉は、94年の教義の変更前の教義内容を示すものとして使用し、
その立場から会を批判するというもので、現在のわたしの真理観??とは必ずしも
同じではありません。たとえば、高橋信次さんの仏教解釈は特殊すぎて「仏教としては」
おかしい、という気がします(もちろん、彼の教えを土台にしている幸福の科学の仏教解釈もです)。
もちろん、それはそれとして信次さんの教えや、幸福の科学の神理は、価値あるものと思います。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1534 に対する返信です )


1536 件目  『幸福の科学原論@』の読み方 、最後に    ELRANTY    1999年12月15日 18時30分

私もiroiroarimasuさんに無理矢理わたしの意見を認めろとは言いません。

>しかし、本文を正しく読めば結論はついています。
その「正しい読み方」を教えてください、というのがこちらの主張でした。
しかし、これ以上説明のしようがないようでしたらここまでにしましょう。
本当に長いあいだ、この問題につきあってくださりありがとうございました。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 1532 に対する返信です )


1547 件目  iroiroarimasuさん   ELRANTY    1999年12月15日 20時42分

こんにちは。レスありがとうございます。

>これも良く教義を読めば理解できることです。
>どうもエルランティさんは自己流に解釈して
せっかくここまで言っていただけるのでしたら、
どのような解釈が自己流でないのかまでを教えて頂けないですか?
部外者や他の会員・元会員たちのためにも。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 1537 に対する返信です )


1548 件目  shihan23さん   ELRANTY    1999年12月15日 20時55分

ご意見ありがとうございました。

>外に対して内部のものがごく個人的な私見としてであろうと批判することは個人の解釈の難しい「仏陀再誕」のときはよく考えてしなさい。

ちょっと説明がわかりづらかったです。
外部のもの(部外者)が、仏陀の再誕を批判したときに、
それに対して内部のもの(会員)が逆に批判しかえすのはよくない、
という意味でしょうか?(ぜんぜん違いそうですが、文章の意味する
ところがよくわかりませんでした)
ごめんなさい。もういちどお願いできますでしょうか?
 (これは shihan23 さんのMsg 1542 に対する返信です )


1549 件目  FlameTongueさん   ELRANTY    1999年12月15日 21時2分

こ cmちは。レスをありがとうございます。

>ヨブ記を見れば,何の罪も無い人を訴える者がいますが,その様な者が,もしもイエス様が不信したとしたならそれを見逃す筈がありましょうか?

なるほど、ご意見として頭の片隅にとどめておきます。
なにせ、不勉強なので、あれこれコメントできるほどではないのです。
「復活」はいまのところ信じています。

>今やインターネットの時代ですよ
そうですね。調べてみますが、なにかよいサイトがあれば
よろしくお願いします・・・。
 (これは FlameTongue さんのMsg 1546 に対する返信です )


1551 件目  masshi_26さん   ELRANTY    1999年12月15日 21時8分

こんにちは。レスをありがとうございます。

>悪意がなかったからと言って、すべてを是認できるかと言えば、
>そうではないでしょう、ということです。
>それだけのことです。
わたしもそう思います。わたしも「悪意がなければいいだろう」とは
どこでも書いていません。順番をおって「まず悪意があるかどうか」、
次に「悪意はないが、誤認かどうか」を話そうと思ったということです。
 (これは masshi_26 さんのMsg 1500 に対する返信です )


1552 件目  仏教解釈   ELRANTY    1999年12月15日 21時10分

>そう畏まって言われると、考えるものがありますが^^;、
>私は一応、自由気ままに、許される範囲で話したいと思ってますし、
そうですね。大袈裟過ぎました。申し訳ございません。
しかし、名指しよりは「このような仏教解釈は間違っている」
というような書き方がいいのではないかとは思います。
今後もよろしくお願いします。
 (これは masshi_26 さんのMsg 1501 に対する返信です )


1554 件目  真理と幸福   ELRANTY    1999年12月15日 21時15分

>「幸福を得させるものが真理である」という言葉は、
>訊いたことがありません。
この言葉そのままはないですが、基本的に幸福の科学は
このような考え方ではないでしょうか。
「信者の人格を見て、その教えが真理かどうか判断しなさい」
というような考え方があるのではないかと思われます。
記憶違いであれば申し訳ございません。
 (これは masshi_26 さんのMsg 1502 に対する返信です )


1559 件目  ありがとうございます。   ELRANTY    1999年12月15日 21時51分

レスをありがとうございます。

>さて幸福の科学では地獄では無い領域にある仙人界や天狗界という
>場所について説明があります。この領域に住まわれる方たちについての
>教えもあります。それを理解すると上記の解釈は出ないはずですね。
>如何でしょうか?
書き方が手抜きでしたね。すみません。
まさにこここそがわたしが「信じない」という部分です。
攻撃的な心を持っていて、なぜ地獄に落ちないのか、ということです。
重いものは沈み、軽いものは浮くが如くに、天上界と地獄界の住み分けは
自動で決まるのであり、たとえ裏といえども、天 曹ナある以上は彼らの心は
調和されているはずだ、というのがわたしの理解です。裏の特徴とは、
心の不調和ではなく、ただ単に物質化現象などを専門としている、
というだけだということです。もしこれが誤りで、
「そうではない、最初から幸福の科学では裏は攻撃的世界とされていた」
というのならば、わたしの理解不足ですね。申し訳ありません。
しかしそれならば、わたしは信じません。直感に響きかけませんので。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 1556 に対する返信です )


1560 件目  みなさまへ。   ELRANTY    1999年12月15日 21時54分

みなさんに、答えていない質問がたくさんあります(おそらく・・・)。
流れが早すぎて把握しきれないので、もし「これに答えてないよ」というものがあれば、
お手数ですがみなさま再度よろしくお願いいたします。申し訳ございません。


>映画「ノストラダムス・戦慄の啓示」を御覧になりました?
観ました。エルカンターレの意識とイエスの意識の大きさの違いなどは、
まったく記憶にありません(映画というのは作り物ですからそこで意識の
大きさの違いがあったからといってなんだということもないと思います。
教義に併せて作ればいいわけですから・・・)。CGは前評判通りでしたが、
内容はまったくダメでした。言葉は悪いですが精神分裂病の人が作っている
かのようでした。ストーリー展開も支離滅裂で、何が言いたいのやら、という
感じでした。「一回観るだけではわからないから何回も観なさい」(一般向け
の映画だというのにそんなものを作るな、といいたいところですが)と言われて
いましたから、一回観ただけのわたしにはわからないのも当然なのでしょうね。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1559 に対する返信です )


1561 件目  映画『太陽の法』   ELRANTY    1999年12月15日 21時55分

>来年の春、映画「太陽の法」がアニメーションで上映されます。
そうですか。間違いなく見ないでしょう。真実を知るには本が一番です。
映画は大事な部分を顕わしてくれ ワせん。わたしが問題にしているのは、
まさに書きかえられたわずかな部分なのですから、本同士を比べるしか
ありません。ちなみに旧版をこないだ通して読んだら、心が爽快でした。
新版はもはや二度と読みたくありませんが。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1560 に対する返信です )


1562 件目  モーゼ五書中のアラー?   ELRANTY    1999年12月15日 21時56分

>さて内村鑑三霊示集について特にアラーの神の件ですね。
これは別にわたしとのやりとりではないですが、旧版黄金の法にも、
「(マホメットの呼んだ)アラーの神とは、モーゼ五書中、『創世記』
に出てくるアラーですが」という下りがありますね。
(さすがに新版では書きなおされているでしょうけれども・・・)、
記憶が間違っていなければ、『幸福の原理』?かなにかでも、
同じような下りがあった気がします。間違いならごめんなさい。
当時から「?」と思っておりました記憶があるもので・・・。
これは、「うっかり」というよりは、もっと別の 竭閧ナしょうね。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1561 に対する返信です )


1563 件目  funaba_tufsさんへ   ELRANTY    1999年12月15日 22時0分

funaba_tufsさんには、答えていない質問がたくさんある気がしますが、
特に、佐倉さんについての「究極的真理(を名乗る宗教の教義)」云々の
話は、ちょっとわたしの書き方が悪くて、反論が難しい方向にいきました。
funaba_tufsさんの、
>貴方にとって「真理」とはなんでしょうか?

とちょっと関わりを持たせることができそうなので、
そのときにまとめて、ということでよろしいでしょうか。
ちなみに、具体的に質問を書きなおしてくださるのか、
それとも「そのままちょっと答えてみてください」ということなのか、
というのをよろしくお願いします・・・。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1562 に対する返信です )


1607 件目  フライデー事件の判例   ELRANTY    1999年12月16日 17時39分

ahokusaiさん、リンクを張りなおしてくださってありがとうございます。
しかし、リンク元の情報がどうやら混乱して間違っているようです。
判例時報の1521号44頁は、幸福の科学の正会員達の講談社などに対する、
その記事により宗教上の人格権が侵害されたことを理由とした損害賠償請求が
棄却された事例でした。これは、平成6年10月18日の、大阪高裁の判決であり、
平成5年2月26日の大阪地裁判決への控訴審での敗訴でした。
しかし「決定」とないので、上告して係争が続いているのでしょうか。
同様の事件は全国7地裁に起こされたそうですが、いずれも会員側が敗訴している、
と書いてあります。
 (これは ahokusai さんのMsg 1566 に対する返信です )


1608 件目  フライデー事件の判例2   ELRANTY    1999年12月16日 17時41分

ところで、幸福の科学が「勝訴」と月刊誌?に掲載していたのを記憶しているのですが、
いつの、どの判決を指していたのかを残念ながら思い出せません。これはもちろん、
調べればわかるようなことですから、まさか嘘を掲載していたわけはありません。
ですから、会員の方で月刊誌(リバティ?)にそのような記事があれば、いつの判決かを、
教えていただけますでしょうか。これは、わたし個人のマスコミ・出版と宗教に関わる
名誉毀損・損害賠償という法律問題への興味です。
また、例の非常識な抗議活動に対する判決は、最終的にどうなったか、
幸福の科学のほうでは、どのように伝えられているのかも、
教えていただけますでしょうか。よろしくお願いいたします。>会員さん
 (これは ELRANTY さんのMsg 1607 に対する返信です )


1609 件目  名指しの批判について   ELRANTY    1999年12月16日 17時42分

masshi26さん、レスをありがとうございます。

>たしかに名指しの批判はお互い痛みを伴いますので、
>私としても、なるべく気を付けたいです。

よく考えてみたのですけれど、名指しの批判それ自体がいけないということは
ないのではないか、と思うようになりました。そんなことはどこでも(ネット
に限らず、マスコミにおいても)されていることで、当たり前に保障される
表現の自由の範囲内のことであろうと思うようになりました。
なぜ、わたしがfunaba_tufsさんに対してその批判をしたかを考えてみると、
もともと佐倉さんはHPを持っていて、こちらがメールさえ出せば誰でも、
“直接”対話ができる状況にあるのに、それをしないでこちらでやる、
ということに対して納得がいかなかったからでした。
 (これは masshi_26 さんのMsg 1596 に対する返信です )


1610 件目  名指しの批判について2   ELRANTY    1999年12月16日 17時43分

しかし、こちらで一方的に書くのも、それはそれで一つの批判の仕方であり、
(ご本人に連絡くらいは入れたほうがいいのではないかとも思いますが)
認められるべき範囲内のことだと考えるようになりました。
ここで名前を出してやったほうが、もしご本人がご覧になられたときにも
考えを改めやすい(または自説への確信をさらに強めやすい)でしょうから。

どうやら深く考えすぎたかもしれません。申し訳ございませんでした。
funaba_tufsさんも、お望みであれば、そしてわたしの今回の意見に賛成であれば、
どうぞ、佐倉哲批判を今後もこのトピックでお続けになられてください。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1609 に対する返信です )


1611 件目  真理と幸福について   ELRANTY    1999年12月16日 17時53分

>上の言葉そのままではないですが、聖書にもありますように、
>実った果実を見れば、その木が善いか悪いかの判断材料になりますね。

その木、つまり教義がよい(この場合の「よい」とは、世間の判断からして
「よい」ということ)かどうかは、信者の行動や人格などによってある程度
判断が可能(この説にも実は大きな矛盾があるのですが、それはいまは無視)
ですけれども、その教義が「真理」(真なる言明)であるかどうかは、
まったく無関係なことだと言えます。そして佐倉さんの主張はまさに、
そのことです。「人を幸せにするからといって、その教義が“よきもの”
であることはあっても、真理(真なる言明)とは限らない」ということです。
 (これは masshi_26 さんのMsg 1597 に対する返信です )


1612 件目  共通点   ELRANTY    1999年12月16日 17時55分

>たとえば佐倉さんや高橋信次さんにも、どこかしら共通点はあるはずだし、
>ELRANTYさんと私も(抵抗あるかもしれないけど(^^;)共通点はあります。
>時には論争することもあるでしょうけど、

「共通点」・・・・曖昧な言葉で難しいですが、抵抗はまったくありません。
数ある新興宗教のなかから、幸福の科学を選ぶ(それも無名の時代に)のですから、
間違いなく、わたしたちの間の、どこかしらに共通点があるでしょうね。
(と勝手に無名時代に選んだと決めていますが、masshi26さんは、いつからの会員さんでしょうか?
 ちなみにわたくしは、1990年からの会員でした。まだ無名でした・・・)
 (これは ELRANTY さんのMsg 1611 に対する返信です )


1613 件目  幸福の科学の音楽について   ELRANTY    1999年12月16日 17時59分

iroiroarimasuさん、お返事ありがとうございます。

>最近発売された幸福の科学のCDで「観」を聴けば
>随分幸福の科学も成長したんだなあと思われるでしょうね。
作曲者は水沢さんでしょうか?
曲を聴くだけで「幸福の科学も成長したんだなあ」
と感じることは決してないはずです。曲を聴いてそのような感想を抱くのは、
幸福の科学が成長していった、ともともと考えている人が、
その曲のイメージに絡めてエピソードを思い浮かべるからこそだと思います。
わたしが聞けば、間違いなく「ああ、ダメになっていったなあ」と思うはずです。
わたしが思い浮かべるのは、思い描いた夢が、目に見える現実によって崩れ去る姿だからです。

>私は音楽が大好きですが、幸福の科学の音楽はどれも素晴らしいですよ。
CD『誓天奏』は家のどこかにあると思います。曲としてはいいと思います。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1612 に対する返信です )


1614 件目  裏の世界とスポーツ選手   ELRANTY    1999年12月16日 18時1分

>戦闘性の強いという例を地上で行われるスポーツで見てみると
しょせん「攻撃的」と「戦闘的」というのは、言葉のあやにしか過ぎません。
スポーツの例などは、まったく問題が違います。彼らは常日頃から戦闘的でしょうか。
違います。スポーツをしている間だけです。スポーツをしていないときでも
戦闘的だとしたら、それはその人の性格であり、その人は、「重いものは沈み、
軽いものは浮く」、「波長同通」の法則にしたがって、地獄行きの可能性があります。
そもそも、この例はおかしいとわたしには思われます。もし、戦闘的というのが攻撃的
とは別の要素であり、それが裏の特徴なのである、そして、スポーツ選手は戦闘的だ、
というならば、スポーツ選手は裏だと主張なさっているのも同じことです。
ですから、これは、そもそも出すべき例が違うといわざるを得ないと思います。
(存じませんが、もしかして幸福の科学では「スポーツ選手は裏」という教義があるのでしょうか。
 これは皮肉ではなく、質問です。あるのであれば、出すべき例は間違っていません)
 (これは ELRANTY さんのMsg 1613 に対する返信です )


1615 件目  裏の世界について   ELRANTY    1999年12月16日 18時4分

さて、わたしは今回さらに確信を強めました。裏と地獄界がごちゃまぜであることを。
わたしが幸福の科学の次元構造を「なるほど!」と思って受け入れたのは、
科学的である(というのは、かなり語弊がありますが)、と思ったからです。
すなわち、「重いものは沈み、軽いものは浮く」、「波長同通の法則」、
これらのシンプルなシステムの説明に、納得をして感動をしたからです。
まず先にあるのは「重いものは沈み、軽いものは浮く」法則です。
天国的な心か、地獄的な心かで上下(天国・地獄)に別れて、その後は
「波長同通の法則」にしたがって、似たもの同士や、同じ光の系統に属する霊人が
あつまってひとつの地域を の世で形成しているのだ、ということです。
これに従えば、天国である裏の世界とは、心が調和した天国の住民の中でも、
霊能力に長けた人などが、「波長同通の法則」で形成した一つの地域である、
という程度のことだとわたしは考えます。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1614 に対する返信です )


1616 件目  裏の世界について2   ELRANTY    1999年12月16日 18時6分

そしてわたしの記憶の中では、裏の世界と表の世界は、「どっちが正しい」というような
性質のものではありません。時代によって、どちらを主流にするかは総意で決められる、
というもので、表と裏とは完全に対等な関係である、ということです。

では、教義改変後の霊的世界の説明はどうでしょうか。シンプルさがまるでありません。
なぜ、「自己顕示欲が優勢」で、「戦闘性の強」く、「自我が非常に強」く、
「非常に調和に欠け」、「協調性が非常に足り」なく、「仲良くやっていけな」く、
「人間としての温かみにかける」人たちが、たとえ裏と 「えども天国にいられるのか。
「重いものは沈み、軽いものは浮く」という法則に反するために、それはまったく
わたしの直感には働きかけず、わたしはこの改変後の教義を信じられないのです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1615 に対する返信です )


1617 件目  裏の世界について3   ELRANTY    1999年12月16日 18時10分

実際にストーリーとして描かれている、裏の住人や、砂漠系統の神々、
高橋信次さんの姿などは、まさに地獄霊といっていいものです。

教義が「地獄界の一部が裏である」と変更されたなら、わたしはまだ納得がいきます。
不調和な人たちの集まる地獄界の中で、地上にいるときに霊能力に長けた人たちが、
集まっている、というのならば、裏の特徴にも納得がいきます。「波長同通の法則」や、
「重いものは沈み、軽いものは浮く」法則に、これらは反しないからです。

しかし、そのように教義が変更されることはありませんでした。なぜでしょうか。
理由は簡単です。これらはすべて信次さんを ネめるために作りかえられた教義だからです。
これまで九次元大霊としていた人をいくらなんでも地獄界住人にするわけにはいきません。
天国にいる、というのをそのままにし、なおかつ会員の目を信次さんから背けるためには、
この折衷案?のようなおかしな、直感に訴えない教義を創り出すしかなかったのです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1616 に対する返信です )


1618 件目  「批判を口にしてはならない」とは   ELRANTY    1999年12月16日 18時12分

shihann23さん、『仏陀再誕』の解説をしていただき、ありがとうございます。

>全然違うと思っていると思うことを踏まえてそんな書き方で返すなんてちょっとひどいですねぇ。害意を感じるんですけど

違うだろうと思ったからと言って、「もう一回書いてください」とただ書くよりは、
自分がどのように読んだかを書いたほうがいいと思います。なぜなら、「この文章を、
わたしは、こう読んでしまいました」ということをshihann23さんに伝えることができ、
わたしに誤解されないような書き方をしてくださることを促すことができるからです。
「ぜんぜん違うとおもいますが」というのは、shihann23さんの立場を考慮に入れると、
わたしの書いたような解釈では、意見としておかしいから違うだろうという意味であり、
shihann23さんの立場を無視すれば、日本語としては、そうとしか読めませんでした。

いずれにせよ、なにぶん急いでレスを書いたもので、失礼しました。
改めて書いていただいたのは、前回よりはわかりやすいのですがやはりわかりません。
 (これは shihan23 さんのMsg 1564 に対する返信です )


1619 件目  「批判を口にしてはならない」とは2   ELRANTY    1999年12月16日 18時14分

>逆に内部にいるものが,学びの薄い段階で仏陀再誕という,(略)

という文章を縮めると、「内部にいるものが、外部者に対して内部の批判をするのは
危険である(つまり、してはいけないことである)・・・・」ということですね?
これは、「内部者の内部批判」とは具体的にはどのように違うのでしょうか?
「内部にいるものが、内部者に対して内部の批判をする」のが「内部者の内部批判」の
意味でしょうか? よくわかりませんが、解釈としては無理がある気がします。
そもそも、書籍で述べている「批判」というのは、仏陀再誕という事実についての
批判のことではなく、教義全般・信仰全般についての批判のことだと思います。
ですから、funaba_tufsさんの解釈が妥当ではないか、とわたしには思われます。
すなわち、あらゆる批判について、(外部者に対してはもちろん)内部者に対しても、
内部の批判をせずに、仏陀への感謝と己の反省によって批判を避けよ、ということです。
そしてその教義にわたしは賛同できません。funaba_tufsさんへのレスをご参照ください。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1618 に対する返信です )


1620 件目  「批判を口にしてはならない」とは3   ELRANTY    1999年12月16日 18時16分

funaba_tufsさん、『仏陀再誕』の解説をしていただき、ありがとうございます。

>まず文章というのは、【文全体】の中にあって初めて、その文章の【真意】が解るのですね。(略)

わたしがあまりにも端折ってしまいましたので、御迷惑をおかけしてしまいましたが、
まさにfunaba_tufsさんが書いているようなことを言っているのだ、とわかっております。
そしてそれがわたしの批判の対象です。「信仰に迷いを持ったとき」とは抽象的ですが、
要は「疑問が浮かんだとき」というときですね。そのとき、疑問を感じた部分について
正面を向いて対峙するのではなく、「どれだけ多くの光を、愛を与えられていたかを
感謝する」とか、「心を平らにして過去の人生を振りかえる」とかまるで関係のない
ことがらをもって、直接の問題点から目をそらす、ということです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1619 に対する返信です )


1621 件目  「批判を口にしてはならない」とは4   ELRANTY    1999年12月16日 18時17分

もしある人が○○教にいて、批判すべき点を感じて、信者仲間にそれをぶつけたときに、
仲間が直接批判に答えずに、「○○先生にどれだけの愛をもらったか、考えたことが
ありますか?」とか、「心を清まして人生を振り返ってご覧なさい」などと返してきたら、
それはまさに「洗脳」と言っていいと思いませんか? 幸福の科学は違うのでしょうか。
もし、「幸福の科学では直接批判に答えます」あるいは「疑問をもち、批判をぶつける
ことはまったく否定されません」というのなら、それは大変結構な考え方ですが、
すると逆に、この「批判を口にしてはならない」という主張がわからなくなってきます。
改めて、ご説明をよろしくお願いいたします。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1620 に対する返信です )


1622 件目  世界宗教を包括できる教えを説く前に・・   ELRANTY    1999年12月16日 18時19分

>実際そういった派閥争いがあるからこそ、地球系霊団の長であられる『エルカンターレ』が全ての世界宗教を包括できる教えを説くために、この地上に出たのではないでしょうか?

わたしが言っているのは、天上界の話です。天上界でそんな争いをしているのに、
地上界での争いを止めている場合ですか?ということです。まず天上界を整理してから
出てきなさいよ、ということです。砂漠系の“黒幕”が天上界にずっと残っているのでは、
教えなど地上でいくら広めたところで、“黒幕”にかき乱されて元の木阿弥です。
尤も、わたしは、そんな争いのある天上界など絶対に信じません。「調和ある天上界の
ように、この地上も調和させよう」として出てきた、というのが従来の解釈です。

>幸福の科学の霊界説明は平和ですよね?でも実際はもっと激しいのかもしれませんね、、
激しい霊界などわたしは信じません。何が「大調和の世界」なのでしょうか・・・。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1621 に対する返信です )


1623 件目  「わがアヴァ」そして指導霊   ELRANTY   1999年12月16日 18時27分

>92年3月福岡の講演会「信仰と祈り」では『イスラエルに於いて、イエス・キリスト>が我がアバ、我が父と呼んだ存在であるのは私であること 告a[なければならない時が

この文章では、イエスが自分の弟子的な存在であることを主張していません。というのは、
仮に天上界では対等な立場であっても、地上にいるときは、天上界にいるときと比べれば
意識レベルが格段に落ちるものであり、天上界の九次元霊の指導を仰がなくてはいけない、
と従来解釈されてきたのであり、イエスがカンターレ意識を「父」と呼んだのは方便で、
実際にはイエスとカンターレ意識とは対等として教えられてきたからです。
したがって、このような幸福の科学の従来の教義においては、イエスが地上で父と呼んだ
存在がエルカンターレだというだけでは、イエスがエルカンターレの弟子ということには
ならないのです。地上にいて意識レベルの落ちるイエスを指導していた、というに過ぎません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1622に対する返信です)


1624 件目  指導霊から支援霊へ   ELRANTY    1999年12月16日 18時31分

そして逆に、エルカンターレが地上に生まれたので、今度はイエスが w導する立場になり、
最高指導霊として支持を仰ぐ対象として、イエスは教義上、位置付けられていたのです。

それが突然、「イエスはエルカンターレに弟子入りした」として、自分の下に置いて、
「指導霊」という謙虚な言葉をなくしてしまい、「支援霊」としてしまったのですから、
おかしいと言っているのです。これは「魔が入ったな」という直感的なものです。これは、
信次さんへの評価の変化や、特定の霊人の「謹慎」、など一連の動きすべてに共通します。
(謹慎などというものが、大調和の天上界になじみのない言葉であることくらい、
見抜けないようでどうするのでしょうか。「謹慎を命ずる」など地下の言葉です)

>94年当時も現在も両者を比較した場合、宗教家として為された仕事の差がはっきりしすぎているので、
大川さんが変わってしまったのは、推測によれば、『虚業教団』のせいです。
93年末発刊のあの本では、関谷さんが、大川さんと信次さんをいろいろ対比して、
大川さんには霊能力がほとんどまるでなかったことを書いているからです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1623 に対する返信です )


1625 件目  臥竜の時代   ELRANTY    1999年12月16日 18時32分

あれこれと小さな予言をしたが全部はずれたとか、人の心を完全に読み違えるなどは、
桁外れの霊能力を持った信次さんとは正反対であった、ということが書かれています。
そういった本を会員が読めば、間違いなく「ああ、信次さんってすごかったんだな」
と思い、会を離れていってしまいます。そこで自分で自分をすごい、というしかなくなり、
すぐあとの94年前半に教義の改変に手をつけたのです。自分のプライドを守るために。
『太陽の法』の最終章の臥龍の時代などは読んでいて、情けない反面、涙が出ました。
自分で自分をすごいと言わなければ誰も言ってくれないのでは、という不安におびえ、
学校のテストの点数まで具体的に書いてみせる、そのプライドの呼び寄せる苦しみが、
まるで手に取るように伝わり、わたしの心がとても痛んだからです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1624 に対する返信です )


1626 件目  イエスを自分の下に置こうとも・・・   ELRANTY    1999年12月16日 18時34分

だから、イエスを自分の下に置いてしまったのも、『虚業教団』への反動として、
「わたしが一番上である」ということを主張したいがために生まれた説にすぎず、
大川さんが何を声高に主張されようとも、イエスは相変わらずエルカンターレと対等で、
エルランティーは相変わらず表にいるのであり、裏の世界は心の調和された世界である、
それがわたしにとって、これら一連の動きをもっともすっきり説明してくれる解釈です。

なお、関谷さんに対する会の説明はすでに知っており、そのうえでの判断ですから、
わたし宛にはレスは必要ありません。もちろん、諸会員の方が見ていらっしゃるので、
わたし個人の解釈のみが影響を与えぬよう、会の説明をだしたほうがいいと思いますが。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1625 に対する返信です )


1627 件目  素晴らしい事と恐ろしい事のミック X   ELRANTY    1999年12月16日 18時35分

わたしの現在の教義(または教団)に対する印象は、freddy99さんの以下の言葉、

>素晴らしい事と恐ろしい事のミックス

に集約されているといます。モーゼは悪霊と神の声の区別がつかずに一部間違いを犯した、
という説明がありましたが、それと同じです。教義や会の活動への指針・指令のなかには、
天上界の指導以外のものがまざっているだろう、ということです。フライデー事件や
東京ドームの御生誕祭などの91年や、教義改変の94年は、特に地下の世界の指導が、
多く混ざってきた、というのがわたしの印象です。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1626 に対する返信です )


1628 件目  信仰を捨てよ   ELRANTY    1999年12月16日 18時45分

>素直とは色眼鏡をかけないで物事を見ることですよ。
まったくその通りです。だから、釈尊は「信仰を捨てよ」と言ったのでしょう。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1627 に対する返信です )


1643 件目  訂正します   ELRANTY    1999年12月16日 23時57分

>同様の事件は全国7地裁に起こされたそうですが、

事件というのはおかしいですね。
裁判、という言葉に訂正させていただきます。
申し訳ございませんでした。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1607 に対する返信です )


1990 件目  日本語解釈   ELRANTY    1999年12月22日 19時29分

お久しぶりです。いくつか、頂いたレスへのお返事を書きます。
わたしもFreddyさんを追って、そろそろ切り上げようと思っています。

まずは、shihann23さんから。

>本気ならちょっとびっくりなんですが。はなっから理解を示そうという姿勢が見られません。
わたしには、貴方の書かれた文章がわかりやすいものであるとは、とても思えません。
以下の、

>外に対して内部のものがごく個人的な私見としてであろうと批判することは個人の解釈の難しい「仏陀再誕」の ニきはよく考えてしなさい。

という文章から、わたしが貴方の真意を理解するのにどれほどまでに苦労したか、
そのプロセスをここに掲載してみせたいくらいです。上のこの文章を読んで、
いったい何を言っているのかが一瞬でわかる人というのはほとんどいないと思われます。
 (これは Rikimaru7 さんのMsg 1989 に対する返信です )


1991 件目  「害意を与える」とは?   ELRANTY    1999年12月22日 19時30分

>害意を感じたというのは僕に対してではなく、これをご覧になっている多くの方に害意を与えたと感じたのだといったのが読み取れませんでしたか。

「害意を感じますよ」と書かれたら、「僕の文章を理解しようとしない害意がELRANTY
さんにはあると僕は感じた」という意味に捉えるのが普通で、それ以外の解釈の方法は
ありえません。たとえば、説明していただいた「害意を与えたと感じた」という意味が、
すでにわかりません。「害意を与える」という言いまわし自体が相当に不自然な日本語
です。害意とは ^えるものではありません。「害を与える」という意味なのでしょうか。
それとも、なにかもっと別の意味でしょうか。

>そんな害意は止めたほうがあなたの心に毒を作りませんよ。
忠告はありがたいですが、わたしにそのような“害意”はまったくありません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1990 に対する返信です )


1992 件目  横レス、マインドコントロール   ELRANTY    1999年12月22日 19時31分

>もしあなたがなにも疑わずにマスコミ等の情報を鵜呑みにして批判をなさっているのな
>らあなた自身マスコミにマインドコントロールされてるんじゃないかって思いません?
横レスです。驚きました。統一教会の人たちとまったく同じセリフをいうのですね。
内部情報と外部情報の両方が必要なのは仰る通りです。ではいったいなぜ両方の情報が
必要なのか。それは対立する二つの情報を自分の中で闘わせる必要があるからです。
外部が会の内情を暴露したとき、「それは事実ではない」という見解を内部が有して、
はじめてこれら両方の情報を闘わせる必要性がでてきます。会がその暴露された情報を
否定しないのであれば、外部情報と内部情報は一致するのですから、どちらかひとつで
事足ります。この掲示板ではわたしたち元会員が会の内情を書いています。そしてそれら
の事実を会員のかたがたが否定しません。したがって、その情報のみで、判断可能です。
フライデー事件へと突っ走っていったこと、ノルマを課した勧誘・献金・献本・・・。
これを批判するのは、決してマスコミによるマインドコントロールの結果ではありません。。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1991 に対する返信です )


1993 件目  横レス、マインドコントロール続き&出口王仁三郎   ELRANTY    1999年12月22日 19時32分

一方、幸福の科学はどうでしょうか。たとえば『虚業教団』をK本と呼び、読ませない
ようにしたこと、過去の霊言集の軽視など一定の情報をシャットダウンするように
策をめぐらします。これをマインドコントロールではない、とはいえません


funaba_tufsさん。

>裏マニア必見の出口先生霊言集を読まれなくて裏は語れない!!
>第二章に『裏の系統の方はどういった職業に就いてるか』をご説明されてます。

あの本は一回しか読んだことがないですし、そもそもうちにはありません。
わたしは初期の裏の説明には反論していません。すでに述べたように、
94年から突然変わった説明がされるようになったことに反論をしてきたのです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1992 に対する返信です )


1994 件目  信じるということ   ELRANTY    1999年12月22日 19時36分

masshi_26さん。

>しかし,解釈する自分はそう解釈したいからするのであって、
>客観的にどうだとか言っても仕方がない面もあるのでは。
まったくその通りだと思います。天上界がどのようなシステムであるのか、知り得ません。
したがって誰もが自分が信じたいと思うもの、信じられるものを信じます。
「仏教教団を乗っ取る、かきまわす」などという、サタンの所業に酷似するや 閧ゥたを
する神霊が、裏といえども天上界にいるという説を、わたしは信じようとは思いません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1993 に対する返信です )


1995 件目  思考停止とは   ELRANTY    1999年12月22日 19時47分

>その構築に挑むことなく、「断定を控える」ことで「矛盾を解決した」
>つもりになって思考停止しているのが佐倉氏だと思います。
自分で判断しようのない事柄について、断定を避けることを思考停止とはいいません。
知り得ないということ、知る必要がないということを思考によって判断したからです。
逆に自分で判断しようのない事柄について、ただある教祖の説明を唯々諾々と信じこみ、
まるで知っているかのように振舞って、「事実だ」と主張してしまう人たちこそが、
思考停止の人たちです。冷静に事実を見ることができない、ということです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1994 に対する返信です )


1996 件目  公称信者数1000万人   ELRANTY    1999年12月22日 19時50分

>信者数公称1000万人、そんな訳ないでしょう。
公称の信者数については、会員ですらそれを信じていないふしがあります。
1991年に世間を騒がせた東京ドームでの御生誕祭、聖エルカンターレ祭において、
信者数の発表がありました。7月の御生誕祭では皆が100万人達成という比較的
“現実的”な数値に向かいノルマを達成(注)してきたため、「会員数157万人達成!」
という数値が本部職員の口から告げられると、東京ドームは割れんばかりの拍手と歓声に
包まれました。しかし、その数ヶ月後の12月の聖エルカンターレ祭に向けての目標は、
500万人(300万人?)を達成しよう!という途方もない数値であったため、
実際に12月になって聖エルカンターレ祭において本部職員が東京ドームで、
「会員数562万人を達成しました!」と叫んでも拍手は疎らで、「ああ、みな嘘の
数値だとわかっているのだな」と実感しました。これらを考えれば、1000万人という
信者数が嘘だということは、ほとんど疑いようのない アとです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1995 に対する返信です )


1997 件目  公称信者数1000万人 2    ELRANTY    1999年12月22日 19時51分

いくつかの新宗教関係の書籍を読みましたが、宗教学者たちの間では、
「幸福の科学の公称信者数は、実数と大幅に違う」というのが共通した見解のようです。


注:ノルマ達成といっても、実際には数字上のものであり、実質は伴いません。
  わたしの支部では、末端会員から上げられた勧誘の名簿にしたがって、講演会の
  連絡を回しましたが、ほとんどの人が「いや、“名前だけ貸してくれ”って頼まれた
  だけなので・・・」とか、中には勝手に名前を使われた人もいて、「会員になった覚
  えはないぞ!」と怒られたこともありました。そういう人が名簿の九割を越えました。
  おそらくわたしの支部だけではないでしょう。実際に157万人も会員がいたならば、
  借金をきちんと返せた(月2000円の会費で約30億円の収入)であろうからです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1996 に対する返信です )


1998 件目  作曲者の成長と教義の真偽は無関係   ELRANTY    1999年12月22日 19時55分

iroiroarimasuさん。

>私が言いたかったのはですね曲のイメージの絡めるのでなく、
>作曲者が初期に比べどれだけ進歩されたかと言うことです。
そうですか。「幸福の科学が成長した」と書かれていたら、
普通は「作曲者の成長のことではないだろう」と考えますね。

>そして、この教えが本物かどうかは彼の信仰心からの努力
>の結果を聴けば解る
「ある音楽家の音楽的才能の進歩から、当該音楽家の所属する教団の教義が
本物か偽物かが判断できる」とは、かなり変わった考え方をされるのですね。
そこには論理的なつながりがまったくありません。サザンオールスターズの
ギタリストは創価学会員だそうです。彼は初期に比べるとかなり才能が上達
している、とファンの言葉をききました。さあ、創価学会の教義は本物でしょうか。

才能の進歩・技術の向上というものには、数え切れない要素が絡むものです。
わたしは少なくともこんな方法で、教義の真偽を判断しようとは思いません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1997 に対する返信です )


1999 件目  非常識なファックス・電話攻撃   ELRANTY    1999年12月22日 19時58分

>これは短い時間帯における話ですが幸福の科学の活動は
>そのような短い時間で判断できるものではないしょう。
>10年20年という時間のスケールで判断しないと判断を間違えて
>しまうでしょうね。
「“幸福の科学の運動は”10年、20年という時間のスケールで判断しないと、
判断を間違えてしまう」という、判断対象を幸福の科学に限定した考えかたは、
幸福の科学に対する、きわめてたちの悪い盲信であると言えると思います。それは、
オウムの殺人事件を考えてみればわかります。オウムは、この世界での法律や道徳、
目の前の“小さな”世間的判断を越え、輪廻という“大きなスケール”で物事を考え、
「批判者の命を奪ってあ ーたほうが、これ以上彼らに罪を犯させないゆえに
正しいのだ」という極めて“壮大な”見方で、あれらの事件を起こしたのです。
彼らは短いスパンでの善悪判断を退け、長いスパンで見た善悪判断をしたつもりなのです。
しかし、世間からは非難されました。単純に社会倫理に反するからです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1998 に対する返信です )


2000 件目  非常識なファックス・電話攻撃 2    ELRANTY    1999年12月22日 19時59分

では、幸福の科学はどうでしょうか。91年の講談社フライデー事件を考えてみます。
あの非常識な電話・ファックス攻撃を、「もしあれがなかったら、幸福の科学は
つぶされていた」ということで正当化をしています。要するに、「長い目で見れば、
あれらの非常識な行動も、『幸福の科学』を守るためには仕方がなかったのだ、
とされるはずである」というような論理です。

幸福の科学はオウムと本質的には何も変わりません。講談社を含む、自分たちの
批判者に対する自分たちの攻 b、「これ以上彼らに罪を犯させてはいけない」
という論理で正当化してきたのですから。それを、殺人という方法で行なうか、
業務妨害という方法で行なうか、その反社会的行為の“程度の違い”しかありません。
幸福の科学のあの方法があちこちで非難され、裁判でも敗訴するのは何故でしょうか。
これもオウム同様に、社会の倫理にまったく反するからです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1999 に対する返信です )


2001 件目  サタンの言葉   ELRANTY    1999年12月22日 20時1分

過去レスに興味深いものをみつけました。
フライデー事件を霊的観点から見事に皮肉ったものです。

>はっはっはっ!! 私はサタン。1%の間違いとは何か教えてやろう。それは自分を高しとすることだ!。そこに我ら、魔が入る余地が生まれるのさ。レベル高い教えを説くなんて簡単さ。なにせ、俺はもと7大天使だからなあ!。教えのレベルの高さに感動している人間どもは、何々の神だと言われれば、「これだけレベルの高い教えを説けるんだから当然事実だろう」と考え、簡単に受け入れてしまうのさ!。そして、そこから先は簡単簡単!!。教えをちょいちょいと変えていけばいい。闘争と破壊の方向になあ!!。msg347
 (これは ELRANTY さんのMsg 2000 に対する返信です )


2002 件目  サタンの言葉 2    ELRANTY    1999年12月22日 20時2分

>邪教をなくせ!といたずらに闘争をしかけることも、その地獄的な心を「空心の怒りだ」と説明し、簡単に正当化してしまえば、信者は自分の心なんぞみつめようともせん。怒りが心を乱さぬわけがなかろうに!!。こうして攻撃しあわせて、人の心をかき乱し、この世に地獄を創り出すのさ! 講談社にサタンが入ったと思っているようだなあ。ふふふ、違うねえ。私は、講談社フライデーで、幸福の科学をつぶそうと思ったのではないのだ。フライデーに反応させて、幸福の科学を怒らせることで運動をつぶしたのだ。そう。幸福の科学側に、私が入れる隙間を作るのが本当の目的だったのさ。講談社に入ったのは、俺の子分。私が入ったのは、信者が崇拝する師のほうさ。 セいたい相手に悪魔の姿が見える時点で、お前たちの心は我らの支配下。神に悪魔は見えないのさ。悪魔だけが相手の中に悪魔を見ることができる。 msg348
 (これは ELRANTY さんのMsg 2001 に対する返信です )


2003 件目  サタンの言葉 3    ELRANTY    1999年12月22日 20時3分

>そうして、私は幸福の科学に、常識ハズレの抗議行動や裁判をたくさんしかけさせた。裁判に勝つのと、講談社を改心させるのは同じではなかろうに、7が神の数字だからといって一人7万円などという意味不明の損害賠償金を要求し、勝った勝ったと、はしゃいでおる。私の子分に踊らされていることも、講談社の人間を救う気もない己の心の地獄に気づくこともなく。こうして人心から幸福の科学が離れて行くのが、本当の目的だったのさ!。幸福化運動はこうして計画倒れになってしまったな。信者はいっぱいいる? 関係ないねえ。師を崇拝しきった愚か者ばかりさ。教えが巧妙に変えられていることにも気付かずになあ。初期の本を廃刊にしておいてよかったわい。比べられずにすむから ネあ。msg349

この人(おそらくは、元会員の方でしょう)は、何がフライデー事件の本質であるか
見抜いていたのでしょう。ほぼ同意できる意見です。

ところで、裁判の話ですが、幸福の科学が勝訴したのはどの相手とのどの案件なのか、
会員の方、お答えになってくださいませんでしょうか? よろしくお願いします。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2002 に対する返信です )


2004 件目  横レス、不思議な雲   ELRANTY    1999年12月22日 20時8分

>「それは仏をお迎えするのだから祝福してくれたんだろう。」と答えました。
>すると「そうね。」とえらく納得して頷いていました。
おそらくその日にその不思議な雲の存在を知った、日本中の多くの宗教関係者が、
同じように勧誘や、権威付けにその自然現象を利用したことでしょう。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2003 に対する返信です )


2005 件目  カルトとは   ELRANTY    1999年12月22日 20時9分

>カルト教団は終末思想でまず「恐怖」を植え付け、その恐怖を土台にして
>人々の考え方をある方向に限定させて従わせます。これは幸福の科学とは
>まるで正反対方向であると言えましょう。
『アラーの大警告』、『ノストラダムス戦慄の啓示』という終末思想の予言書籍を
前面に出して宣伝し、会員の獲得に奔走していたのはどこのどの団体でしょうか?
キーワードは、「この教えが広まるかどうか」でした。この教えが広まらなくては、
この恐怖の予言は回避し得ない、というのがこれらの書籍のポイントです。
正反対どころか、まるで同じ方向を向いています。幸福の科学は充分カルトです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2004 に対する返信です )


2006 件目  「生かしておいていいことではない」   ELRANTY    1999年12月22日 20時10分

『仏陀の証明』第6章の以下の言葉も、恐怖を与えるに十分な、波動の悪い言葉です。

「仏法僧(幸福の科学)への誹謗中傷をして、それをつぶそうとするようなことをした
場合には、人間として生まれるのはもう最後です。これはその通りです。人間として
生まれるのは最後というのはどういうことかというと、悪魔になりますよ、ということ
です。生きている人間が死後に悪魔になったら、もう地獄から出られません。」

「ですから、三宝を誹謗し攻撃してくるということは、もう存在根拠(レーゾンデートル)
そのものがなくなることを意味しています。本来生かしておいていいことではないのです。」
 (これは ELRANTY さんのMsg 2005 に対する返信です )


2007 件目  言葉の持つ意味を大切に   ELRANTY    1999年12月22日 20時11分

>エルランティさんが言われる「攻撃的」と言う言葉で裏は表現
>されていませんね。エルランティさんは一応このような真理あるいは
>宗教にたいして批判をするのであれば、言葉の持つ意味を大切に
>して頂きたいと思います。(以下略)

そのとおりです。誤った解釈をした批判は「言い掛かり」です。
蜴魔ネのは、「攻撃的」というそのままの言葉が書いてあるかどうかではありません。
攻撃的という言葉で表現するのが適当だろうという内容が書いてあるかどうかです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2006 に対する返信です )


2008 件目  攻撃的とは   ELRANTY    1999年12月22日 20時12分

わたしは裏の世界の住人についての、諸々の書きかえられてきた説明をたくさん読み、
それを「攻撃的」という語で説明するのは適当であると考えました。以下です。

“裏の住人”であるという高橋信次さんが「仏教教団を乗っ取ろう」とする姿勢は、
「攻撃的」なのでしょうか、「戦闘的」なのでしょうか。

iroiroarimasuさんは、信次さんが裏であることを示す例として、元GLA会員の、
「信次さんは反省で攻めて攻めて、反省にならないんだ」という言葉をあげていましたが、
その高橋信次さんの傾向は、「攻撃的」なのでしょうか。「戦闘的」なのでしょうか。

わたしはこれを「攻撃的」という言葉で表すのはまったく適切であると思います。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2007 に対する返信です )


2009 件目  仏教教団乗っ取り   ELRANTY    1999年12月22日 20時20分

「攻撃的」という語のiroiroarimasuさんの説明として、以下の御主張があります。

>攻撃的という表現はいつもそのような状態であるように思います。
>戦闘性という表現はもう少し違い、有る状況において同じ様な
>状態で並列比較したときの性質を言っているように思います。

つまり、「戦闘的」という言葉と「攻撃的」という言葉の違いは、
心が、「誰かを攻撃するような気持ちでいる状態」が、「いつも」であるか、
「特定の状況下に置かれたとき」であるか、という差ということですね。
天国に住めるようなスポーツ選手は、特定の状況(スポーツをしている間)に
そうなるのであり、普段はまったく攻撃性を有しない心だ、ということですね。
それを指して「戦闘性」という、と。では、仏教教団を乗っ取ろうとする砂漠の
神々の姿勢は、「ある特定の状況」においてのみの性質でしょうか。違います。
「謹慎処分」というくらいですから、認められないような行動だということです。
したがって、わたしの使った「攻撃的」という言葉は、まったく正しいと思います。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2008 に対する返信です )


2010 件目  鬼や妖怪、調和を乱す荒神・・・   ELRANTY    1999年12月22日 20時21分

>何処を読むと地獄霊とよめるのでしょうか?
iroiroarimasuさんがすでに掲載してくれたものほとんどがそうです。
さらにいくつか付け加えておきましょう。

「天上界に戻っても、一部の人たちは天狗や仙人、鬼、妖怪などの姿に
変化していきました」

「光のエネルギー総量は多いものの、わがままな荒神、祟り神的要素を
持つものも出てきて、調和を乱したので、これを裏側に封じ込め・・・」

「ベータ星から来た人たちというのは、かなり自我の強い人たちでした。
(中略)多少猛禽類に近い心も持っていたので・・・・」


「霊能力を誇示し、目にもの見せんとして、勢いはすごいのですが、決して大成せずに
悲劇を生む神です。悲劇を生むことで歴史に名を残す、祟り神という、たちの悪い神が
いるのです」
 (これは ELRANTY さんのMsg 2009 に対する返信です )


2011 件目  嘘をついて人々を騙す神・・・   ELRANTY    1999年12月22日 20時22分

「最後のしっぺ返しで人間を不幸にする神です。裏側の仙人・天狗の特徴です」

「ところが(高橋信次さんは)主宰先生のやさしさにつけこみ、自分には復活する
使命があったとか、大神霊のバトンタッチ計画だったとか、(略)霊になっても
嘘をつき、人々を騙したことで、今また責任を追及されています」


鬼や妖怪、調和を乱す荒神、猛禽類に近い心を持つ霊、悲劇を生むたちの悪い“神”、
嘘をついて人々を騙す霊、人間を不幸にする存在までも天国の住人・“神”としてしまう、
そのゆがめられた教義に、これまで学んできた会員が疑問を感じるのは当然のことです。
 (これは ELRANTY さん フMsg 2010 に対する返信です )


2012 件目  「一定の距離を取らせていただく」   ELRANTY    1999年12月22日 20時23分

ついでですから、大川氏を指導する霊がなにものであるかを示す言葉をあげましょう。

「当会は毘盧舎那仏、エル・カンターレを中心とした団体である。これに対して
帰依しないものは、人間であっても、霊人であっても一定の距離を取らせていただく」

「一定の距離を取らせていただく」という表現が、天上界のものでないことなどは、
明々白々です。もはや人を救いたいという願いなど無いも同然で、衆生無辺請願度を
単なる言葉の遊びにすぎないものにしています。このような波動の悪い言葉を平気で書く
人の指導がどちらの世界に住む霊によるものか、幸福の科学できちんと学んだ人々ならば、
考えずともわかります。だから脱会者があの時期に多く生まれたのです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2011 に対する返信です )


2013 件目  努力を怠る   ELRANTY    1999年12月22日 20時32分

>昔に拘りすぎて今を正しく見れられないのは、全て自分の問題なんですね。
昔に拘るか否かで、その人の初期の幸福の科学への共感度がわかります。
初期の幸福の科学に真に共感した人が、今の幸福の科学に共感するわけがありません。
変わり果てた幸福の科学についていった人を誉め、ついていかない人を脱落者の
ように言うのは、まったく愚かな見方であるといわざるを得ません。変貌に平気でついて
いく人は、「右向け右」だということです。「脱会者は努力を放棄したのだ」とは、
いったい何を根拠に言っておられるのでしょうか。そもそも幸福の科学は精神修養という
努力を怠ったからといっていづらくなるような会ではありません。人格攻撃などはありえない
からです。いづらくなるのは献金や、行事参加という“努力”をしない人です。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2012 に対する返信です )


2014 件目  頑な   ELRANTY    1999 N12月22日 20時32分

また、真に幸福の科学に共感した脱会者は、精神修養の努力は怠っていないはずです。
脱会者のグループが「神理ひまわりの会」を作り、いつか幸福の科学がまた設立当初の
ような形に戻る、そのときにそなえて、彼らが学習を続け、また意図的に絶版にされた
霊言集の保存に努めているのを見れば、「努力を放棄した」という言葉は出てきません。
次々と変貌していく幸福の科学についていける人を「柔軟」と形容し、ついていけない
人を「頑な」と形容するならば、わたしたち脱会者は喜んで、「頑な」でありつづけたい
と思います。自分の求める真理がどういうものであるか、という理念・理想・信念を
持っているからです。絶版になった『日蓮の霊言』で日蓮を名乗る霊が言っています。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2013 に対する返信です )


2015 件目  『日蓮の霊言』   ELRANTY    1999年12月22日 20時33分

「一人でも多くの人に神理がつたわればそれでよいではありませんか。宗団を作ろう、
ウ団を作ろう、教祖となろう、このような考えは持たないことです。
このようなことは、自然に人が言い、そうなってくるものであって、それを目指して
行けば大変な間違いになります。それもまた旧来の行きかたに非常に囚われている行き方
です。自らの教団作りに奔走して、教団の勢力を広げることに奔走するようでは、
今までの既成の新興宗教といったいどこが違うのですか。そんなものではないはずです」

「敵というのはどうしても出てきます。しかしながら敵というものは、積極的に
作り出していくものではない。できたら避けたほうがいいのです。本当によい教えで
あるならば、他のものの批判をせずともよいものは人から人へと伝わって行くものです」
 (これは ELRANTY さんのMsg 2014 に対する返信です )


2016 件目  絶版   ELRANTY    1999年12月22日 20時36分

このほかあげればきりが無いほどに、勢力拡張を目的とした宗教団体づくりや、
多宗派への攻撃・批判を戒める内容が、たくさん書いてあります。わたし ヘここに、
自分たちの教えに対する絶対的な自信と、愛をみます。口でいくら「他の宗教団体とは
違うのだ、アドバンスト宗教なのだ」と主張したところで無駄です。上に書いてある
ことひとつ実践できずに、どうしてアドバンストでありえましょう。他教団のやりかたと
なにひとつ変わりません。これらが会員に読まれたら都合が悪い(実際の会は、正反対の
方向を向いているから)ために絶版にされたのだろう、ということくらいは、
誰でも簡単に見抜けることです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2015 に対する返信です )


2017 件目  霊言集の位置付け   ELRANTY    1999年12月22日 20時38分

よく「霊言集の位置付けをわかっていない」などと仰いますが、諸会員は霊言集の
位置付けを「わかっている」のではありません。霊言集を軽視するようになった
大川さんの説明を信じているだけです。しかし、霊言集とはなんだったのでしょうか。
あれらはそもそも、霊天上界の証明のためだけに出したものではありません。
なぜ大川さんは霊言が81年から降りはじめたのに、5年間も雌伏していたのか。
霊の証明ということであれば、すぐにでも出せばよかったのです。そうしませんでした。
この霊言が神理であるか否かを判断するためです。5年間の慎重なチェックを終えて、
「これは疑いなく神理である」と判断して、はじめて霊言集を世に問うたのです。
そのような霊言集をいとも簡単に否定したことは、方便という言葉では
到底フォローしきれません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2016 に対する返信です )


2018 件目  家庭崩壊   ELRANTY    1999年12月22日 20時47分

>そして崩壊したということが仮にあったとすると原因は何なのか?
>と言うことを考えなければなりませんが、それは教義をしっかりと
>学んでいないことが上げられるでしょう。

なぜ、家庭崩壊が信者個人の学習不足が責任だなどと言えるのでしょうか? 
寄付も行事参加も求められもしないのに、自分で勝手に寄付をして借金を作ったり、
家庭の人との相互理解を無視して行事参加をしていたのならば、それは幸福の科学の
責任ではないでしょう。しかし、活動の柱として伝道・献金・献本・行事参加が指導され、
支部に行けば、献金の申し込み用紙が入り口にあり、行くたびに声をかけられ、
寄付をできない人がただ話をするために支部に行くのが辛くなるようなシステムで、
行事に参加しない会員を「休眠会員」となじり、「三宝帰依がなってない」と非難する、
そんな、行事参加や植福を半ば強要されてしまうような世界で、どうして信者個人が
それに逆らうことができるというのでしょうか。できるわけがありません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2017 に対する返信です )


2019 件目  商工ローン   ELRANTY    1999年12月22日 20時48分

いま話題になっている、商工ローンの社員の脅迫まがいの取立てが裁判があります。
ノルマを課せられた社員は、成績不振が原因でクビを切られてしまう恐れから、
あのような脅迫まがいの、法に触れる取立てをしてきました。その社員個人に、
「従わない自由もあったのだから、貴方が悪かったのだ。会社は悪くない」と
あなたがたは言えるのでしょうか。もちろん、その社員個人に責任がないとは言えません。
しかし、人は皆働かなければならず、この不況化でクビを切られることは恐怖でしょう。
それを逆手にとり、新規の契約と債権回収をマニュアルをもって指示してきた会社に、
社員個人が逆らえないのは当たり前のことです。社員個人が責められるならば、
そのような社員を生んでしまった会社自体は、もっと厳しく裁かれるべきです。
(当の社長は、預かり知らぬといった顔で、傲慢に証人喚問を切りぬけました)
 (これは ELRANTY さんのMsg 2018 に対する返信です )


2020 件目  組織の長の責任   ELRANTY    1999年12月22日 20時49分

幸福の科学はどうでしょうか。活動に参加しなければいけないような雰囲気を創り出し、
参加しない人たちが、「三宝帰依がなってない」と非難されてしまうような世界で、
大川氏への生き神信仰を持った信者が、それに毅然と逆らえ 驍档bがありません。
逆らえるのは会を離れることができるくらいに確固とした神理観を持っている人だけです。
一部の支部のみでそういうことが起こっているにすぎないならば、信者個人は、要求に
NOと言えるでしょう。しかし、会の方針として献金や行事参加を奨励しているのだから、
どうして「会は正しいはずだ」と信じる信者個人が逆らうことができるでしょうか。
これを、どうして団体のせいではない、先生のせいではないと言えるでしょうか。
組織の長である人間が、「職員が悪い」で済まされるわけがありません。
組織の長である人間が、「知りませんでした」で済まされるわけがありません。
(そもそも、なぜ神通力を持つ人が、「知りませんでした」なのかが疑問です)
 (これは ELRANTY さんのMsg 2019 に対する返信です )


2021 件目  天上界の願い   ELRANTY    1999年12月22日 20時54分

ひとつだけ残念なことがあります。会の設立当初から、このような掲示板があったならば、
会の方向性が変わっていくこ ニに対して、ここで侃侃諤諤の議論を交わせたはずであり、
そうすれば、会はいまのような団体にはならなかったに違いありません。
しかし、もしかするとこれが天上界の意志なのかもしれない、と思うことがあります。
高橋信次や大川隆法の教えの意義は、外にいる神ではなく、内なる神を信じることでした。
高橋信次は徹底していましたが、大川隆法は徹底していません。逆に自分を根本神仏と
主張し、帰依するようにさせ、逆の方向を向いて歩き出してしまいました。諸会員に、
外に神を求める間違いを悟らせるために、天上界は、大川さんの転落をチャンスと考え、
そのままにし、『幸福の科学』を、大川さんの写真に手を合わせてありがたがっている
人たちのための団体として完全に放置することで、真に神理を求める諸会員たちに
会を去らせようとしたのかもしれません。なぜなら、天上界の願いというのは、
『幸福の科学』が存続することではなく、神理を知る人が増えることだからです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2020 に対する返信です )


2022 件目  回答   ELRANTY    1999年12月22日 20時56分

>さてさっそく質問なんですが、今のあなたの信仰体系を教えてくれませんか?
これがわたし宛なのかどうか、よくわかりませんが、お答えします。

@何に帰依しているのか(信仰とは少なからず何かに帰依していると思いますんで)教えてくれませんか
わたしは特に何に対しても帰依しているつもりはありません。
あえて何かに帰依している、ということを言うとすれば、自己の内にいる神です。

A真理の判断基準を教えてもらえませんか。
判断基準は、論理として誤謬がないかどうか、です。
「99年12月20日東京は晴れていた」は真理です。
「99年12月20日東京は大雨が降った」は非真理です。
「肉体とは別に輪廻転生する主体がある」は真理であるか、非真理であるかは、
いまのところ知り得ない事柄ですから、判断したりはしません。
そこにあるのは単なる感想です。それは、たとえば、
-----知りません。あるのではないかという印象は持っていますが、拘りません。
というようなものです。
 (これは ELRANTY ウんのMsg 2021 に対する返信です )


2023 件目  回答2   ELRANTY    1999年12月22日 20時57分

Aの続き

また、もう少し大きな枠組で真理という言葉を定義づけた上でいうならば、
魂が共感するかどうか、ただそれだけです。書きかえられた教義にはまるで
魂が共感しません。したがって信じたいとは思いません。

(funaba_tufsさん、このAで、貴方へのお返事にもなっているでしょうか?)


Bなぜいつもそんなに悲劇の被害者っぽさがあるんですか。
悲劇でしたので、しかたがありません。しかし被害者だとは思っていません。
『幸福の科学』はわたしがいまの心境に至るためには、絶対に通らなければならない
道だったのです。幸福の科学と大川さんは、外の神(つまり大川さんと『幸福の科学』)
を信じようとしたわたしに、「外にいる神を信じても裏切られるだけですよ」という
ことを、そして、「最終的に信じるべきなのは、自分自身ですよ」ということを、
自らの言動の非真理性を持って、き ソんと教えてくれました。感謝しています。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2022 に対する返信です )


2024 件目  最後に   ELRANTY    1999年12月22日 21時5分

信仰の問題とは、かくも難しいものだ、ということを改めて知りました。
いくら意見を交換し合っても、かみあう部分は何一つ無く、これを続けても
双方の精神を疲弊させるだけでしょう。もうやめようと思います。

すでに書いていただいて、お答えしていない質問があれば、
御指摘くだされば、お返事を書かせていただきますが、
更なる新規の反論に対するレスは無駄なので、やめようと思います。
「意見言いっぱなし」の非難を免れないかもしれませんが、
会員さん側が「ELRANTYの言っていることは、嘘だ」とか
「間違っている」と一方的に反論してくだされば、充分だと思います。
(あとに意見を言ったものの勝ちだと思いますから・・・)
わたしは、それにたいする反論は可能であってももうしません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2023 に対する ヤ信です )


2026 件目  最後に   ELRANTY    1999年12月22日 21時13分

これから幸福の科学に入ろうとする人が、批判的意見と肯定的意見とが
たたかったこのトピックを、大いに参考にされることでしょうから、
このトピックを絶対に存続させるべきであるとわたしは考えますが、
なまじトピックが残っているから、昔の恋人を忘れられぬが如く、
(本当はいまの自分は、幸福の科学へのこだわりなどないのに)
過去の心境に舞い戻って、批判をしてしまう自分の心を思うと、
もう、このトピックは個人的には、消滅してほしい気もします。

では、長い間ありがとうございました。失礼します。
(答えていない問題には答えますが、なるべく御容赦ください。
 おそらく反論というかたちのレスになり、終わりませんから)
 (これは ELRANTY さんのMsg 2024 に対する返信です )


2059 件目  funaba_tufsさん   ELRANTY    1999年12月24日 3時13分

わたしは、「答えていないレスがあるなら、要求があれば答えます」と書いております。

そもそも、「真理観について」というあなたの御質問についてですが、もうずいぶん前に
「この質問は抽象的ですので、もうすこし具体化して書いてくださいませんでしょうか」
とわたしはあなた宛に書いております。そのお返事がないので、困っておりました。

そして、shihann23さんへのレス(横レス)のAである「真理の判断基準について」
への答えが、あなたへの返事も兼ねるのではないか、ということもわたしは書きました。

それらのわたしの意見へのレスがないのにも関わらず、

>自分の意見を言いたいのも分かりますが、こちらからの質問には一切答えて下さらないのでしょうかねぇ。。。

と言われてもわたしは困ってしまいます。どうしろ、と仰るのでしょうか?
 (これは funaba_tufs さんのMsg 2029 に対する返信です )


2060 件目  思考停止   ELRANTY    1999年12月24日 3 ・5分

レスをつけるべき相手を間違えてしまったことを、お詫び申し上げます。

>余談的になりますが、「思考停止」というのは、
>禅や老荘思想の無の境地にも繋がるので、
>「思考停止自体が悪いものではない」という意見については
>どう考えますか?^^

禅における思考停止と、いわゆるマインドコントロールを表す際の思考停止とは、
まったく使われている意味が違います。前者は一切の判断から離れるということでしょう。
後者は判断基準となる情報の一部をシャットダウンし、特定の判断に固執することです。
したがって、両者を同一の言葉として扱う、「思考停止自体が悪いものではない」という
意見自体が、賛成や反対を述べる文としては不適切だと思われます。
わたしは、禅における「思考停止」(詳しくは存じませんが)は大いに肯定できます。
マインドコントロールにおける思考停止は肯定できません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2059 に対する返信です )


2061 件目  真実>iroiroarimasuさん   ELRANTY    1999年12月24日 3時16分

>本当に真実を見極めたいのであれば、支部で学習をお奨めします。

御本尊・三種の神器への批判に、本部の最高位の職員がしどろもどろになったのです。
別の本部職員が「(すべての原因は)借金なんです」と正直に告白してくださったのです。
本部職員でさえ、わたしの批判に答えることができないのに、支部が答えられるわけが
ありません。『幸福を科学する』とは何だったのか、その根幹部分に関わる問題なのです。
8割どころか、1厘すらも疑問は解消しないことでしょう。視点が全く違います。

あなたの仰る“真実”なるものが、あなたの示してくださったご意見の延長線上に
あるものならば、わたしはそれを真実と認めることはこれからも決してありません。
わたしはすでに自分で真実を見極めています。過去を素直にみつめ、過去を反省し、
それらについて「申し訳ございませんでした」という単純な一言を述べることが
できないうちは、『幸福の科学』に“真実”はありません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2060 に対する返信です )


2062 件目  負けではありません>ikarugayamamotoさんへ   ELRANTY    1999年12月24日 3時18分

あなたの正義感にただただ敬服いたします。そして、このトピックが有用であるという
ご意見と、そうお考えになる理由に、全面的に賛成いたします。しかし、もう充分です。
あとはこのトピックが消滅しないようにする人(ikarugayamamotoさんなど)がいらっしゃれば
いいとわたしは思うのです。今日までの時点で、このトピックでは、すでに充分過ぎるくらいに
会の問題点が明らかにされています。あとは、このトピックに来られた方々が各々判断なされば
いいのではないでしょうか。わたしは別に脱会者を生みたいわけでもなければ、部外者への注意を
喚起したいわけでもありません。『幸福の科学』が素晴らしい団体になって欲しい、
ただただそれだけです。厳しい言い方の部分も多々ありましたけれども、究極的な願いはそれだけです。
そして、わたしは願いに基づいて、批判をしてきました。もう、わたしにできることはありません。
あとは受け取る方々の問題です。ですからこのトピックを去ろうと思います。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2061 に対する返信です )


2063 件目  Nishida_77さん   ELRANTY    1999年12月24日 3時22分

お久しぶりです。『神との対話』トピックではお世話になりました。

OBと部の話ですが、自分たちの時代とは違う、レベルの低い部になっていくことは
このうえなく残念なことでしょうね。しかし、努力した結果としてそうであるならば、
そして彼らがいまを恥じて、さらなる努力を目指す心が彼らにあるならば、OBとして
わたしがかける言葉はありません。また栄光を勝ち取る日が来ると信じられるからです。

一方、努力を放棄し、先輩たちの栄光に傷をつけてもなにも感じない後輩たちであれば、
それはそれで指導のしがいもありませんし、これまた、かける言葉がありません。
そのときには、わたしは悲しみとあきらめとが交錯する、苦しい心境になることでしょう。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2062 に対する返信です )


2064 件目  Nishida_77さん 続き    ELRANTY    1999年12月24日 3時30分

その苦しみから逃れるには、方法は2つ。徹底的に指導するか、執着を去るかです。
しかし、徹底的に指導をしたところで受け取るのは後輩。思い通り行くものではない。
したがって、ある時期がきたら、それはあきらめるしかないときもあるかもしれません。
もはや自分はOBに過ぎず、部は自分の手の届かないところにあるのだ、ということを
悟り、また再び自分たちで生まれ変わることをただ祈るだけです。
 
 (これは ELRANTY さんのMsg 2063 に対する返信です )


2065 件目  Nishida_77さん 最後   ELRANTY    1999年12月24日 3時34分

わたしにとっては、『幸福の科学』は後者です(受け入れられないでしょうけれども)。
したがって執着を去るしかありません。わたしの執着とは『幸福の科学』が、設立当初の
心を取り戻し、すばらしい団体に ネってくれることです。しかし、ここでの議論を通し、
もはや教団が、わたしの手に届かないところにいってしまったことを感じざるを得ません
でした。だからといって、『幸福の科学』が素晴らしい団体になることが無理だ、と結論した
わけではありません。あなたのような方がおられれば、会はきっと素晴らしくなるはずです。
教団をどうか厳しく見てあげてください。思考錯誤はあります。しかし、支部ひとつでさえ、
過ちをおかしたならば、それを会全体の責任と捉え、会誌を通じて謝罪できるような、
透明感溢れた、素晴らしい団体にどうか育て上げてください。過ちは過ちなのです。
それを認めることができないから、これまでのフレディさんの批判があったのだし、
脱会者がたくさん生まれてきたのですから・・・。

これが、“OB”としての、わたしの願いです。お読みくださりありがとうございました。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2064 に対する返信です )


2191 件目  fredy99様   ELRANTY    1999年12月26日 15時27 ェ

ありがとうございます。

投稿の端々からはなたれる軽やかで暖かい波動によって、
fredy99様は『幸福の科学』を離れられて本当に幸せなのだな、
ということが、わたしには手に取るようにわかりました。

>特定の宗教団体に属さなくても、たとえ無宗教・唯物論者であっても、
>すべての人たちには存在の価値があり、それぞれの使命があると私は
>思っています。

その通りだと思います。教団のおかしな活動からの解放もさることながら、
こうして、唯物論者を含めたあらゆる人々を“完全に”肯定できるようになったことが、
わたしたち脱会者の最大の幸せだといえるのではないか、と思います。

>残された人生を“思考・言葉・行為”というツールを用いて自分らしく素敵に
>“創造”していきたい

とても素敵な文章ですね。まったく同感です。
さらなる素晴らしい人生をお互いに築いていけますように。
 (これは fredy99 さんのMsg 2087 に対する返信です )


2211 件目  re:本当に・・・・   ELRANTY    1999年12月26日 19時27分

>結局貴方達の参加する目的は何だったのかな?
幸福の科学の問題点を指摘すること、です。

>誰がいつ否定したのでしょう?
誰が? 「幸福の科学が」、です。
いつ? 「常に」、です。
幸福の科学はいたるところで、それこそ暇さえあれば、
唯物論者やそれに類する考えの人を否定しています。
わたしやfredy99さんは、彼らを肯定できるようになった、
ということです。なんという幸福でしょうか。

失礼いたします。
 (これは shihan23 さんのMsg 2192 に対する返信です )


2215 件目  三度質問します >全ての会員さん   ELRANTY    1999年12月26日 23時9分

これは幸福の科学批判とはかならずしも関係がありません。
以前に二度ほど掲載して、どなたもお答え下さっていないようなので、
(もし、わたしの見落としでしたら、投稿の番号をお教えください)
もう一度、あらためて質問を掲載したいと思います。

『幸福の科学』はフライデーの頃から、大小20程の裁判を起こしていた、
と記憶しております。その中には、講談社や『虚業教団』を書いた関谷さんも
含まれておりました。それらの裁判の結果などを知りたいのです。

@勝訴した判例は、どの相手とのどの件でしょうか。
 敗訴した判例は、どの相手とのどの件でしょうか。
 継続している判例は、どの相手とのどの件でしょうか。
 判例さえ教えていただければ、内容の詳細は自分で調べます。
 あるいは、裁判の結果は会誌にまったく掲載されないのでしょうか?

Aオウム真理教問題の解決の手助けのために、『幸福の科学』が警察から
 表彰されたということについて、なにか資料があるのでしょうか?

以上、よろしくお願いします。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2211 に対する返信です )


2271 件目  訂正   ELRANTY    1999年12月27日 23時39分

>「すべての人を肯定できた」とか言ってますが、
>では何故、ここで幸福の科学を批判してるのですか?
そうですね。すみません。訂正します。
唯物論者などを批判するような心境から離れることができた、
ということです。批判する境地から離れるということは、
要するに「相手を許す」ということです。これは幸福ですね。
批判はどうして苦しいのでしょうか? 相手を変えようとし、
それが思う通りにならないからです。相手を変えようとしないで、
自分が、相手をあるがままに受け入れられるように変われば、
そのような苦しみから逃れることができるでしょう。
これがわたしの「許す愛」です。その境地に至りたいものです。

>地獄に言った悪霊、悪魔も肯定するんですか?
もちろん肯定したいですね。すべては神の現れですから。
 (これは masshi_26 さんのMsg 2240 に対する返信です )


2272 件目  訂正の訂正   ELRANTY    1999年12月28日 0時13分

論点がすこしずれていますね。訂正を更に訂正します。
下の、「許す愛」の一般論はそのままでいいですが、
唯物論者に対する肯定はこれとは別 フ話ですね。
つまり、唯物論が問題だとは考えないようになったので、
許すもなにもない、ということです。

それから、fredy99さんに失礼かもしれませんので、
この一連のわたしの意見はfredy99さんとは切り離してください。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2271 に対する返信です )


2273 件目  最後の質問   ELRANTY    1999年12月28日 0時18分

もうすぐ2000年ですね。
12月31日をもって、このトピックと縁を切ります。
それまでに裁判の話を、どなたか教えてください。
もちろん、月刊誌に掲載されているのでしょう?

それから、会員は霊言集が真実かどうか、いろんな書物を読んで
ちゃんとチェックしている、とのご意見(shihann23さん?)ですが、
具体的な例をぜひ教えていただきたいです。
たとえばキリストの生誕は12月25日でもなければ、
雪が降るような時期でもない、という説がありますが、
それを知った上で内村鑑三霊言集の、キリストの生誕に関する
矛盾した供述をどのように解釈するのか、などです。
Rikimaru7さんが、具体例の提示を要望していましたね。

お願いします。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2271 に対する返信です )


2312 件目  shihan23さん   ELRANTY    1999年12月28日 18時15分

レスをありがとうございます。
霊言集の事実性の検証については、もともとRikimaru7さんの
御質問であり、わたしとしては、会員がそのような検証を詳しく
やっているというのは、聞いたことがなかったので、質問しました。
レスを読ませていただいた限りでは、それほど細かい検証はしていない、
という印象です。もちろん、わたしはそれでいいとは思いますが。

ただ、統一教会のトピックでRikimaru7さんが述べておられますが、
自分たちの教義の正統性を後押しするような説については大いに利用し、
自分たちの教義の矛盾を示すような説については否定し無視する、
という態度は、間違いなく批判されることでしょうから、
「学説と反するということは、これは○○の霊ではないかもしれませんが、
わたしは信じていて幸福なので、一応これを実践していこうと思います」
程度の、客観的な立場を崩さないようにしたほうがいいでしょうね。
それが、基本的に主観的にならざるを得ない信仰者が持ちうる
客観でしょうから。自分の信仰が主観だと認識すること、ですね。
 (これは shihan23 さんのMsg 2305 に対する返信です )


2313 件目  許す愛   ELRANTY    1999年12月28日 18時16分

お返事ありがとうございます。

「許す愛」についての解釈が『幸福の科学』においてすこし変わり始めたのは、
やはりフライデー事件の頃からでしょう。91年の『希望の革命』という講演で、
「許す愛」についてのあらたな説明がされました。それは、今回masshi26さんが
説明してくださったのとほぼ同じような内容ですね。主宰は演説上手でしたので
(いま聞いてもそう思うかどうかはわかりませんが)、その日のうちは、わたしも
「ああ、そうか」と見事に納得してしまいましたが、帰宅後、 ス日か考え直したら、
やはり「変だぞ」ということに気がつきました。相手の悪や間違いを指摘し、正し、
相手がそれを反省したら、相手の過去の過ちに囚われず、相手のことを許すこと、
それが「許す愛」だというのですが、よく考えてみると、これは誰でもできる事です。
 (これは masshi_26 さんのMsg 2287 に対する返信です )


2314 件目  許す愛   ELRANTY    1999年12月28日 18時17分

なぜなら、相手が反省し、許しを希ったときには、その人はもはや敵ではないからです。
その人すら許すことができなかったらおかしいですね。許せるのが当然でしょう。
これは、菩薩界の境地では決してありません。極めて人間的ですね。

「許す愛」とは、相手が悪を犯していても、それをあるがままに受け入れ、
許すことができる境地でしょう。時間論の話として考えれば、masshi26さんとわたしは
まったく逆だといえます。すなわち、短い時間では悪と見えるであろう諸々の物事も、
長い時間で考えれば、その人の成長にすべて必要なことなのである、と捉えて、
それを許すことができるのが「許す愛」だということです。すべての人を神の子として
捉えることのできる、一般人には、極めて到達困難な境地だといえるでしょう。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2313 に対する返信です )


2315 件目  許す愛3   ELRANTY    1999年12月28日 18時19分

そして、「許す愛」というのは、そもそも「実践項目」ではありません。
人生そのものにたいする、あるいは人間存在そのものに対する深い洞察のもとに、
自然と到達する、「境地」です。したがって「許す」というよりは「許せてしまう」という
感じでしょう。ゆえに、殺人=悪と物事を短絡的に捉えているようであっては、
この境地には決して至ることができません。そして、この境地に至った人にはもはや、
「許したら悪が助長する」などという考えは浮かびません。もっと長いスパンで考える
ことができるからであり、また、許されることで人は救われることを知るからです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2314 に対する返信です )


2316 件目  許す愛4   ELRANTY    1999年12月28日 18時22分

神・宇宙・人生・人間・善悪といった、根幹部分に関する解釈の相違によって、
まったく意見が異なってくる難しい問題ですので、このあたりにしましょう。

なお、わたしが幸福の科学を批判してきたことを考えればおわかりになるでしょうが、
もちろん、わたしもこの「許す愛」の境地には到達しておりません。
ただ、許す、という境地がどんなに素晴らしい境地であるかはわかっています。
それゆえ、『希望の革命』などで示されたような「許す愛」は、わたしからすると、
真の「許す愛」ではない、と考えざるを得ないのです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2315 に対する返信です )


2317 件目  許す愛 最後   ELRANTY    1999年12月28日 18時32分

せっかく、団体批判から離れ、すこしは意義深い話もできました(?)ので、
気分のよいこのあたりで、このトピックを離れることにしたいと思います。

ただ、最後にもう一度だけ。教義については、どうこう言っても仕方がありませんが、
団体のありかたについては、何度もいうように、どうか厳しくみてください。
「思考錯誤」という言葉で、これまでの過ちをあやふやにすることは絶対にできません。
可能であるならば、やはりメディアを通じた、(元)会員への謝罪も必要と思います。
また、布施をしていただいたお金をいったいどのように使っているのか、ということを
毎月月刊誌で明らかにすることだって、(やましいことがなければ)できるはずです。
そういうことができてはじめて、他の宗教団体とは決定的に異なる、透明感溢れた、
真なる意味での「アドバンスト宗教」たりえるのです。素晴らしい団体を築いてください。

長い間ありがとうございました。失礼いたします。
 (これは ELRANTY さんのMsg 2316 に対する返信です )


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