ELRANTY さん<2>

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 ◆「Yahoo!掲示板」より転載 (幸福の科学の教えについて)

974 件目  iroiroarimasuさんに質問   ELRANTY    1999年12月2日 17時31分

こんにちは、iroiroarimasuさん。

これまでここに来ていた会員さんと違って、ずいぶん自分の言葉で語られていますね。
12年間所属していたというだけあって、その勉強量にはただただ敬服します。
ところで12年間もいらっしゃれば、かなり多くの書物を記憶しておられるでしょうが、
在会当時からひとつ心の片隅で疑問に感じてきたことがありますので、
iroiroarimasuさんが、それをどう解釈されるのか少し教えていただきたいのですが、
よろしいですか?(単に日本語の解釈の問題です。追及でもなんでもありません)
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 972 に対する返信です )


975 件目  エリ、エリ、レマ、サバクタニについて   ELRANTY    1999年12月2日 17時32分

『キリストの霊言』における、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」の件です。
ここで、キリストを名乗る霊は、「そうは言っていない、エリヤとラッファエロに、
迎えにきなさいと呼びかけたのだ」というようなことを言ってますね。
エリヤとラファエルという、幸福の科学の天上界解釈からも不自然な組み合わせや、
エリヤだけを2回呼んでいることの、こじ付け的な不自然さも、
当時から疑念の元とはなっていたのですけれども、問題はそこではありません。
この霊言を講義したセミナーが収録されている『幸福の科学原論@』で、大川さんが、
「エリヤとラッファエロを呼んだのだ、とイエスキリスト本人は言っております。
そうだろうと信じたいと思います」というようなことを語っておられるという点です。
会員は当然大川さんが過去を見通す力を持っていると信じているわけで、
その会員を前にして「そうだろうと信じたいと思います」というような発言をする、
ということはどういうことでしょうか。
 (これは ELRANTY さんのMsg 974 に対する返信です )


976 件目  エリ、エリ、レマ、サバクタニについて2   ELRANTY    1999年12月2日 17時33分

通常の読解力を持ってすれば、「本当は、“エリ、エリ、レマ、サバクタニ”と言ったのですけどね・・・」
ということを大川さんは暗に示しているのだ、と解釈するのが普通ですね。
実際わたしは、「実は、イエスは“エリ、エリ、レマ、サバクタニ”と言ったのだ」
ということを大川さんは霊能力で確認してしまったのだな、と当時感じていました。
(いまでは、イエスが父と呼んだ存在が大川さんだと教義が変わりましたから、
 霊能力というよりは単にご自身の記憶を紐解けばいいだけ、という話になりますね)
そんなわけで、わたしはイエス霊と大川さんの「板ばさみ状態」になったのです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 975 に対する返信です )


977 件目  エリ、エリ、レマ、サバクタニについて3   ELRANTY    1999年12月2日 17時34分

いや、それどころではありません。もし大川さんが匂わせていた通り、イエスは、
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言ったのだとすれば、「イエスは霊言で嘘をついた」
ということになってしまい、そんな存在が9次元にいては、教義が根本から崩れてしまいます。
そのような、かなり困った状態にわたしは陥ってしまっておりました。
(退会の理由とはまったくと言っていいくらい、無関係な疑問でしたが)

さて、「先生はアカシックレコードなど簡単に読める」と信じる会員を前に言った、
「本人はそう言っています。そうだろうと信じたいと思います」の意味を、
iroiroarimasuさんは、どのように解釈されますか?
 (これは ELRANTY さんのMsg 976 に対する返信です )


978 件目  エリ、エリ、レマ、サバクタニについて4   ELRANTY    1999年12月2日 17時38分

ちなみに、そういう大川さんの霊能力云々の話から離れて言えば、
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」は、詩篇22の神を賛美する詩句の引用であって、
神を呪った言葉でもなんでもない、というのが通説でありますけれども、大川さんの、
「本人はそう言っています。そうだろうと信じたいと思います」という言葉は、
「イエスが神を呪う言葉を最後に言ったとは信じたくない」という気持ちの裏返しであり、
詩篇22の引用であるという、イエスに肯定的な説(イエスの偉大さを示す説)を、
大川さん自信がご存知でないことの顕れでしょう。
おそらくは同様に多くの会員の方が、詩篇22の引用だという解釈を知らないため、
「9次元霊であるイエスが神を呪った言葉をいうわけがない」との観点から、
「エリヤとラファエルを呼んだ」という解釈にさぞ納得していることでしょう。
わたしなどは、「エリヤとラファエルを呼んだ」という解釈よりも、
詩篇22を引用して神を称えたのだ、と考えたほうが素直な解釈だと思っております。
(これは余談です。わたしたちには確かめようもないことですからね・・・)
 (これは ELRANTY さんのMsg 977 に対する返信です )


981 件目  Rikimaru7さん   ELRANTY    1999年12月2日 23時3分

レスありがとうございます。

>たしかに、キリスト教ではこのような解釈をするのが一般的ですが、
>これも結構あやしかったりする・・・。
そうですか・・・。まったく不勉強でしたね。お恥ずかしい。
その解釈しか知りませんでした。
よければ、どのような意味で「あやしい」のか教えていただけますか?
以前に教えていただいた書籍などに書かれているのでしょうか?

>うーん、凄い解釈しますね・・・大川さんも(^^;;
正確に書くと(わかっていらっしゃるかもしれませんが)、
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」という言葉をそう解釈したのではなく、
「エリヤ、エリヤ、ラッファエロ、サバイタア!!」と言ったのであり、それは
「エリヤ、ラファエロ、迎えに来なさい」の意だったとされています。
聖書にも「エリヤを呼んだのだ、という人もいた」みたいなこと ェ書かれてありますので、
そこからヒントを得たのかな、なんていうふうにもわたしは考えました。
 (これは Rikimaru7 さんのMsg 979 に対する返信です )


986 件目  宗教と哲学   ELRANTY    1999年12月3日 0時19分

こんにちは。

>信じることを恐れそれから「逃げてる」方ですから、信仰とは何か
>信が土台にある「宗教」の存在意義などわかる術はないのです
では、
@信仰とは何でしょうか、
A宗教の存在意義とは何でしょうか、
B究極的真理を名乗る特定の宗教の教義を信じる意義とは何でしょうか、
Cそのような教義を信じないことの問題点とは何でしょうか。
 (これは funaba_tufs さんのMsg 984 に対する返信です )


987 件目  宗教と哲学2   ELRANTY    1999年12月3日 0時20分

>哲学の役割は「真理」を論理的に解き明かすことではないのでしょうか?
>故に彼は真の意味において「 N学」してるのではなく、
>真理を信じることを恐れ「論理」で自己満足な「遊び」をしているだけのように写ります
なるほど、哲学とは「真理を論理的に解き明かす」ことなのですか。それでは、
真理だとされる特定の教義を、論理を無視して信じてしまったら、哲学になりませんね?
「真理(とされる教義)を信じることを恐れ「論理」で」教義を検証する佐倉さんは、
哲学をしていることになります。どうお考えになりますか?
 (これは ELRANTY さんのMsg 986 に対する返信です )


988 件目  宗教と哲学3   ELRANTY    1999年12月3日 0時21分

>「真理を信じない」というのは、哲学者としても失格と言っていいと思います。
彼が信じないと言っているのは、「真理」ではありません。
「真理」は知るものです。彼が「信じない」と言っているのは、
知ることのできない、「究極的真理(を名乗る宗教的教義)」です。
最初からある特定の教義を究極的真理として信じてしまったら、哲学になりませんね。

>「哲学 キる」ということは真理を探求することであり、
>真理から目を離してはいけないんです。
そうでしょうね。では彼は真理から目を離しているでしょうか。違いますね。
何が真理かは自明ではないわけですから、真理だと信じ込まれている宗教的教義には、
疑をもって挑まなければなりません。それによってその教義が究極的真理であるか、
そうではないかを知ることができるでしょう。
 (これは ELRANTY さんのMsg 987 に対する返信です )


989 件目  宗教と哲学4   ELRANTY    1999年12月3日 0時23分

>精神の根底に流れてるものが「疑」であって、真摯に真理をもとめての意見ではない、
「真摯に真理を求める」ということと、「疑」とは相容れないものですか?
ただひたすら信じるのが、「真摯に真理を求める態度」なのでしょうか?
そんなことはありません。真理を「知る」には「疑」は決して欠かせないものです。

>良識のあるものがちゃんと読めば彼の批判が「批判のための批判」
良識のあるものが、彼の全 Gッセイと、来訪者とのやりとりをきちんと読めば、
このような歪んだ意見にはなりえません。完全に正見から逸脱しています。
彼の思想的立場を考えれば、幸福の科学が批判されるのは当然のことです。
それを理解すれば「批判のための批判」などという言葉は出てこないはずです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 988 に対する返信です )


990 件目  宗教と哲学5   ELRANTY    1999年12月3日 0時25分

そもそも、究極的真理を名乗る宗教の教義を信じないこと、それ自体を批判していますが、
知りえない世界のことについて、佐倉哲さんが懸命に何かをさがし求めて、
無理やりに信じこまなければならない理由がどこにあるでしょうか。
知り得ない世界のことを知りたい人だけが、それを懸命に探し求め、信じればいいのです。
そのような教義を信じずとも生きていられる人は、究極的真理とやらを探す必要も、
やみくもに信じる必要もありません。必要な人だけが、信じていればいいでしょう。
信仰を持つ必要のない人にまで、「 ≠゜よ」などという必要はないのです。
究極的真理なる、特定の宗教の教義などによらなくとも、人は充分立派に生きられるからです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 989 に対する返信です )


992 件目  追加   ELRANTY    1999年12月3日 0時38分

>だからその対象があるかどうか分からない、分からないからないんじゃないの?という論理、
どこを読んでそう考えられたのでしょうか。

http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/neo/n030.html
(神が“いない”ことは証明できるか)

http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/neo/n023.html
(人はなぜ宗教を信じるのか)
 (これは ELRANTY さんのMsg 990 に対する返信です )


993 件目  追加2   ELRANTY    1999年12月3日 0時39分

http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/neo/n043.html
(無神論は科学)

http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/neo/n040.html
(一無神論者のつぶやき)


>彼はキリストが永遠を生命を説いたことを否定しますし、
どこにそんなことが書いてあるのでしょうか。

>仏陀が天生輪廻や霊魂を教えたことをも否定してます。
では仏典のどこに、釈迦が転生輪廻や霊魂について教えている箇所がありますか?
 (これは ELRANTY さんのMsg 992 に対する返信です )


1051 件目  論点整理   ELRANTY    1999年12月4日 17時36分

こんにちは。
iroiroarimasuさん、funaba_tufsさん、masshi_26さん、レスをありがとうございます。
また、ahokusaiさん、オウムと幸福の科学に関するよき提言をありがとうございます。

対話をするうちに、話が関係のない部分にまで進みすぎて、
ひとつひとつの項目の結論があやふやになってしまいますので、
もう少し論点を整理しまして、ひとつの項目についての対話が終了したら、
次の項目へ、というふうに進みたいと考えておりますので、お願いします。

とりあえずは、

@佐倉哲さんはイエスキリストが永遠の生命を説いていない、と主張しているか。
A 〃    釈迦が無霊魂を説いたと、悪意をもって主張しているか。
B「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」について。

という順番で対話を進め、そのほかの項目はまたBまで終わったあとにします。
よろしくお願いします。
 (これは funaba_tufs さんのMsg 994 に対する返信です )


1052 件目  論点@イエスキリストと永遠の生命   ELRANTY    1999年12月4日 17時39分

ではまず、
@「イエスキリストが永遠の生命を説いていない、」と佐倉哲さんは主張しているか。
から検討をしてみたいと思います。funaba_tufsさんは、

>彼はキリストが永遠を生命を説いたことを否定しますし、

と主張しておられます。わたしはそれに対して、
「そんなことがどこに書いてあるのですか」と聞きました。
すると、funaba_tufsさんは、

>自分で彼と投稿者の意見交換のところ読んでくだされば分かりますよ

とお返事をくださいました。
そこで投稿者と佐倉さんとのキリスト教に関するやりとりを、改めて読みなおしました。
しかし、佐倉さんがそのように主張されている箇所はわたしには発見できませんでした。
funaba_tufsさんは、あのHPに訪れた来訪者との、どのやりとりから、
「キリストが永遠の生命を説いたことを、佐倉氏は否定している」
というご自身の主張をなされているのでしょうか。 
リンクを張るなりして、具体的に教えてください。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1051 に対する返信です )


1053 件目  論点@イエスキリストと永遠の生命 -2   ELRANTY    1999 N12月4日 17時45分

わたしが投稿者とのやりとりを読んで理解した限りでは、佐倉さんが書いているのは、
「旧約聖書には、永遠の命という概念がほとんどまったく出てこないのに、
 新約聖書(イエス)はその伝統に逆らって、永遠の命なるものを説き始めた」
ということです。funaba_tufsさんの言っていることとは、まったく逆だと考えます。

http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/eternallife.html
(「永遠の命」の思想)

このリンクを始めとして、いくつかのやりとりを読んで、そう結論しましたが、
膨大な量のエッセイですからわたしの読み落としがあると思いますので、
間違いであれば、どうぞ、指摘をお願いいたします。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1052 に対する返信です


1060 件目  >masshi26さん   ELRANTY    1999年12月5日 18時22分

こんにちは。
わたしは別に重要度の高い順番で論点を並 ラているわけではありません。
単に、簡単に結論が出るであろうと想像した事柄から並べただけです。
どうでもいいと思われるのならば、どうぞ無視されてください。

また、せっかくポイントを細かくわけて、順番にやろうとしているので、
Aに対するmassi26さんの意見は後回しにさせていただきます。
@の論点が終わったらお話しましょう。
 (これは masshi_26 さんのMsg 1058 に対する返信です )


1062 件目  >funaba_tufsさん   ELRANTY    1999年12月5日 20時7分

こんにちは。

>こちらもいきなり何個も質問や批判をされて、解答しているのですから、貴方もそれたいしてのなんらかの解答をすべきです

いきなり、という言葉に、
この「一気に全てのレスへの回答をする方法」への不満が表れています。
わたしもこの方法は大変に非効率的であり、面倒だと感じます。
ですから、わたしはそのような方法をやめて、順を追ってやりましょう、
という提案をしました。なにか御不満があるのでしょうか。
まさか「俺も面倒な思いをしたのだから、お前も面倒な思いをしろ」
というようなことは会員であるあなたが思われるわけがありませんが、
念のために言っておくと、もうレスはすべて用意してあります。面倒でした。
しかし、またそれを一気に掲載してしまえば、
またfunaba_tufsさんが一気に答えなくてはいけなくなり、
どこまでいっても、お互いが大変な思いをしなくてはいけなくなります。
ですから掲載を控え、ひとつひとつ小出しにしていくことで、
お互いの負担が少なくなるだろう、という観点にたって、
「順を追ってやりましょう」という提案をしたのです。
 (これは funaba_tufs さんのMsg 1061 に対する返信です )


1063 件目  >funaba_tufsさん -2 ELRANTY 1999年12月5日 20時9分

Bまで終われば、そのほかの問題についてのレスができることと思います。
@とAについては、これはひとつのfunaba_tufsさんへのわたしのレスです。

@について、わたしはfunaba_tufsさんから、

>自分で彼と投稿者の意見交換のところ読んでくだされば分かりますよ

というレスを頂いたので、「みつかりませんでしたが」というレスを書いたわけです。
今度この件に関してレスをするのは、funaba_tufsさんの番です。
「わたしの勘違いでした」ということか、「いや、ここに書いてある」ということか。
ぜひ教えてください。よろしくお願いいたします。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1062 に対する返信です )


1123 件目  >funaba_tufsさん   ELRANTY    1999年12月6日 18時5分

さあ、いったいどうして質問@に答えてくださらないのでしょうか?
「佐倉哲批判」を自ら始めた以上は、自らの意見への反論や質問に答えるのは当然です。
反論が来ても無視を決め込むというのならば、それこそ御自身が書かれた、

>自分の思想の主張だけをして、都合が悪くなると責任の取らずに逃げてしまう

という態度そのものです。そうではない、というのならば、レスをください。
申し上げておきますが、わたしがすでに用意し トあるすべての回答には、
@の問題は当然含まれているのであり、もし、その回答を一気に掲載したとし、
そのレスに対する返事をfunaba_tufsさんがたくさんしてくださったとしても、
@の問題に対する返答が含まれていなければ、返答がえられるまで@の質問をします。
遅かれ早かれ@の問題への答えをfunaba_tufsさんは求められるのです。
 (これは funaba_tufs さんのMsg 1105 に対する返信です )


1124 件目  >funaba_tufsさん -2    ELRANTY    1999年12月6日 18時7分

funaba_tufsさんは、もしかして、部外者であるわたしの批判に負けてしまったら、
幸福の科学のイメージダウンだとでも思っていらっしゃるのかもしれませんが、
もしそう思っておられるのだとしたら、それは完全な思い違いです。
仮に@の問題について、わたしの読み方が正しかった場合に、そのわたしの反論に対して、
(返事を頂いていないので、funaba_tufsさんの読み方が正しいことだってありえます)、
funaba_tufsさんが無視を決め込むのと、「その点は読み違いでした、すみません」と
素直に言うのとで、どちらがより世間の幸福の科学への評価をあげる態度なのか、
おわかりになるでしょうか? 当然後者ですね。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1123 に対する返信です )


1125 件目  >funaba_tufsさん -3    ELRANTY    1999年12月6日 18時11分

最終的には、私にたいして返事をするかどうかは誠意の問題であり、
無視を決めこむというならば、それはそれで別にかまいませんが、
そのような態度を見て、この掲示板に来られている人が幸福の科学に対して、
どのようなイメージを持つであろうか、ということぐらいはお考えください。
どなたかが以前述べておられたように、「会員にはいろんなレベルの人がいるなどと、
funaba_tufsさんに都合のいいように解釈する部外者などいない」のですよ。
「このトピックを読む人は、わたしの言動を見て幸福の科学を判断するのだ」という、
御自身の背負った責任の“重さ”をよくよく認識し、@への返事をどのようにするか、
お考えください。

佐倉さんがイエスが永遠の生命を説いたことを否定しているというのは、
どこから導いかれたのでしょうか? という簡単な質問ではないですか。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1124 に対する返信です )


1192 件目  佐倉さんの聖書観   ELRANTY    1999年12月7日 23時0分

funaba_tufsさん、こんばんは。
御丁寧なレスをありがとうございました。

では、以下に今回のレスの返事を書かせていただきます。
@は、佐倉さんはイエスが永遠の生命を説いたことを否定しているか、という質問なので、

>どこにも書いてませんでした。私の曲解です。すいませんです

というお答えで、終了となります。ありがとうございました。
わたしの日本語解釈が間違っていなくて安心です。

多少派生している問題がありますので、それについて考えたいと思います。

>でも高橋さんという(多分)会員さんとの意見交換にて、佐倉氏の唯物的「宗教解釈」が立派に書かれてると思います。

というご意見で、「唯物的仏教解釈」ではなく「唯物的宗教解釈」と書かれています。
それは、仏典に限らず、聖書においても唯物的解釈をしている、
というfunaba_tufsさんの見解から生まれた主張だと思われます。
それが今回の御主張にあらわれています。
 (これは funaba_tufs さんのMsg 1148 に対する返信です )


1193 件目  佐倉さんの聖書観 2    ELRANTY    1999年12月7日 23時2分

感想から言うと、「ずいぶん斜めから見てるなー」という感じがします。
仰る通り、旧約聖書を指して「本来の聖書」と書かれていますし、そのことは、
裏を返せば、「新約聖書は本来の聖書ではない」と言っているようにも読めます。
しかし、ここでいう「本来」というのは、「従来」という程度の意味だと思います。
とても簡単に言ってしまえば、キリスト教はユダヤ教から派生した宗教です。
イエスが出るまで聖書は旧約聖書のみ(外典などの話は省略)であったわけです。
それは旧約とはもちろん呼ばれていなかったわ ッですね。唯一の聖書だったわけです。
そしてイエスが出て新約聖書というのが生まれましたが、ユダヤ教はそれを認めません。
しかしキリスト教では旧約聖書も聖書としていままでどおり認めているわけですね。
そのような歴史的観点から考えて、両者に共通する旧約を「元々の」という意味で、
「本来」とされたことは、わたしは読んでいて非常にわかりやすいと思いました。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1192 に対する返信です )


1194 件目  佐倉さんの聖書観 3    ELRANTY    1999年12月7日 23時5分

「新約を異端視させ」とありますが、旧約からみて新約が異端なのは間違いがありません。
けれども、異端=悪ではありません。佐倉さんは新約が異端であることは書いていますが、
異端だから間違っているとか信用ならないというようなことはどこにも書いてありません。
だって、佐倉さんはユダヤ教徒ではないのですから。佐倉さんはただ単に、
「わたしは、本来の聖書であった旧約聖書の死後の世界への沈黙の伝統にしたが チて
(新約のように、伝統に反するのではなく)、死後の世界については沈黙いたしましょう」
と述べておられるだけのことだと思います。とても上手な書き方だな、と思います。
そもそも「聖書の間違い」シリーズでは、旧約のほうが槍玉に?あげられていて、
彼が旧約聖書を信用していないことがわかりますから、旧約に重きを置いた意味で、
また新約を軽んずる意味で「本来」という言葉を使っているのではないことは、
まったく明らかなことではないでしょうか。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1193 に対する返信です )


1195 件目  佐倉さんの聖書観 4 & Rikimaru7さん    ELRANTY    1999年12月7日 23時14分

それゆえ、佐倉さんが唯物的宗教解釈をしているというのは間違っていると思います。
佐倉さんは「本来の聖書(従来の聖書)」である旧約は永遠の生命を否定していたこと、
新約はその「本来の聖書」の伝統から逸脱し、永遠の生命を説いたことを書いておられ、
その解釈はまったくその通りであり、どちらを信用すべきかなどは書かれていませんから、
唯物的解釈でもなんでもないということです。

以上がわたしの読み方です。

>Rikimaru7さん
この佐倉さんの聖書観について、違うご意見もあろうかと思います。
わたしの佐倉さんの聖書観への捉えかたは間違っているかもしれません。
完全に中立の立場であるRikimaru7さんのご意見をよかったらお聞かせください。
あと、イエスの最後の言葉については、ご紹介くださった書籍で読みました。
たいへん興味深いですね。あれを読むと、やはり詩篇22だと考えるのは、
ちょっと困難だな、と考えられました。ありがとうございました。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1194 に対する返信です )


1271 件目  佐倉さんは仏教を曲げて伝えているか   ELRANTY    1999年12月10日 17時46分

funaba_tufsさん、こんにちは。
@の件の、わたしのレスへの返答がございませんが、
異論がないということなのでしょうか、平行線ということなのでしょうか。

とりあえず、先にAにすすんでしまいますね。
佐倉哲さんは、釈迦が霊魂を教えたことを、悪意をもって否定しているか、
という問題です。

>仏陀が天生輪廻や霊魂を教えたことをも否定してます。よくやります・・

これに関しては、@のキリストの件のときとは違い、
「釈迦は霊魂の存在について説いていない、と佐倉氏は主張している」
という捉え方自体はまったく正しいですね。疑いの余地がありません。
それが「悪意をもってなされたものかどうか」が問題です。
上記の文章の末尾に「よくやります・・・」とありますが、どういう意味でしょうか。
これはおそらくは、佐倉氏が悪意をもっている、という意味だろうと考えました。
 (これは kyully さんのMsg 1 に対する返信です )


1272 件目  佐倉さんは仏教を曲げて伝えているか   ELRANTY    1999年12月10日 17時48分

なぜそう思うかという根拠は、funaba_tufsさんの以下の発言です。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=yahoo.ab.02.835217&topicid=482m01&msgid=7stejv$1ii$2@m00.yahoo.co.jp

もし、考えを改め、悪意だとは思わないようになった、というのならいいのですが、
その場合には、「よくやります・・・」という言葉の意味がわかりません。
「よくみんな間違うんだけどね・・・」という意味でしょうか?
それによって、議論する内容が違ってきます。

さて、悪意だとおもっておられる場合、それは「正しい見方」なのでしょうか。
そう批判するには、釈迦が霊魂や転生輪廻を肯定している部分を具体的に示したうえで、
霊魂や転生輪廻について語らないといっている釈迦の無記の教えとの整合性を説明し、
さらに佐倉さんが意図的にそれを誤魔化している、という根拠を示さなくてはいけません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1271 に対する返信です )


1273 件目  佐倉さんは仏教を曲げて伝え トいるか   ELRANTY    1999年12月10日 17時49分

わたしは個人的には、佐倉さんが故意に釈迦の教説を曲げている、というのに反対です。
佐倉さんが釈迦の教説を曲げる必要など、どこにもないと考えられるからです。
今後更なる研究を経て、もし釈迦が霊魂などについて肯定していたことを知ったら、
佐倉さんはそれを隠すことはしないと思われます。なぜなら、その場合には、
「知り得ない世界のことについては沈黙するべき」という佐倉さん自身の思想的立場から、
「釈迦は、他の宗教家たちと同様に、知り得ない世界について語ってしまっている」
とバッサリ切り捨てれば済むからです。彼にとって釈迦はひとりの思想家に過ぎません。
したがって佐倉さんは、現時点までの研究の結果、釈迦は霊魂を説いていないようだ、
と素直に結論付けているにすぎないのではないでしょうか。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1272 に対する返信です )


1274 件目  佐倉さんは仏教を曲げて伝えているか   ELRANTY    1999年12月10日 17時50分

一方で幸福の科学(大川隆法さん)は、場合によっては仏典を曲げて解釈しなければ
ならない理由が存在します。幸福の科学にとって釈迦は単なる思想家ではないからです。
釈迦は九次元霊として「あの世や神仏の存在を教えるために」生まれた指導者であり、
大川さんはその釈迦の生まれ変わりである、と幸福の科学の教義にあるからです。
生まれ変わりであるゆえ、2600年前に自分が何を説いたかが手に取るようにわかる、
と大川さんは主張されており、それが幸福の科学の教義として確立されているわけですが、
その内容はたとえば以下のようなものです(SILVERCODEさん、手頃なのでお借りします)

>「涅槃の境地」ってのは、この世に生きているうちにあの世の世界を知って、この世に生きている意義だとかを、あの世の視点から考える事が出来るってこと
 (これは ELRANTY さんのMsg 1273 に対する返信です )


1275 件目  佐倉さんは仏教を曲げて伝えているか   ELRANTY    1999年12月10日 17時52分

このよ 、な仏教の涅槃の境地に対する解釈はかなり珍しいといえるでしょう。
このような幸福の科学の教義と合致しない部分が仏典にあった場合には、
「仏典は釈迦が直接書いたのではなく弟子が書いたのだから信用できない」とか、
あれこれ解釈をしなければならなくなるのが幸福の科学の立場であるわけです。

もちろん、幸福の科学が仏教を曲げているとまではわたしも言うつもりはありませんが、
動機という点から見れば、釈迦の教説を曲げる可能性が幸福の科学の側にはあっても、
佐倉さんの側にはないのではないか、というのがわたしの感想です。そうなると、
そこに残る問題は、単に「佐倉さんの解釈が正しいか間違っているか」という問題のみで
あるように思われますが、どうでしょうか。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1274 に対する返信です )


1279 件目  >funaba_tufsさん   ELRANTY    1999年12月10日 22時34分

こんにちは。レスをありがとうございます。

>解釈の仕方はそれぞれなので各自の思ったように著者の意図をくみ取れば良い、ただそれだけだと思います

人を批判するときにそれでは絶対にすみません。ただの中傷になってしまうからです。


>これ以上貴方と佐倉氏のHPについて対話する気はありませんので(なぜならどうでも良いことだから)、

「どうでもいい」とはどういうことでしょうか。批判を始められたのはfunaba_tufsさん
のほうです。わたしの意見はそれに対する反論です。「佐倉哲批判」を自ら始めた以上は、
自らの意見への反論や質問に答えるのは当然です。
反論が来ても無視をするというのならば、それこそ御自身が書かれた、

>自分の思想の主張だけをして、都合が悪くなると責任の取らずに逃げてしまう

という態度そのものだ、と前にもわたしは書きました。
 (これは funaba_tufs さんのMsg 1276 に対する返信です )


1280 件目  >funaba_tufsさん2   ELRANTY    1999年12月10日 22時35分

だいたい対話する気がないのに、いったいどうして

>双方の意見・情報 潟Lによる「素晴らしさの発見」

が可能になるのでしょうか。あなたのいう「すばらしさの発見」というのは所詮、
幸福の科学を否定しないレベルでのことなのでしょうね。幸福の科学を批判する人にも、
素晴らしさを認められるような気持ちがないのに、言葉だけは御立派ですね。


>また他の私のレスに対して貴方はいっこうに答える気配がありませんね

当たり前です。気配も何も、「順番にやりましょう」と何度も申し上げたではないですか。
順番にしようとわたしが考えた理由まで述べたところ、反論がなく、きちんと@から
答えてくださるから、「賛成してくれたのだな」と思いそのままにしたのです。
御不満ならば、最初から「不満だ」と仰ればいいではないですか。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1279 に対する返信です )


1281 件目  >funaba_tufsさん3   ELRANTY    1999年12月10日 22時37分

>そちらのほう(例えば貴方の「真理」についての考え)を聞かせていただくことの方が

いずれは 皷桙ィ答えしますが、わたしの「真理」についての考え方などそれこそ、
「どうでもいい」ものです。なぜなら、「真理」がなにか、という問題になったのは、
そもそも佐倉哲批判とわたしの反論があったからです。わたしの反論は、わたしの真理観
とはまったく関係がありません。佐倉さんの真理観に基づいています。もちろん、
iroiroarimasuさんからも質問を頂いておりますので、これとは別個の問題として、
自分の真理観をのべることは必ずしも「どうでもいい」ことではないですが。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1280 に対する返信です )


1282 件目  >funaba_tufsさん4   ELRANTY    1999年12月10日 22時40分

わたしには、こんなところで批判を始めること自体、まるで誠意を感じません。
佐倉さんのページに掲示板がないから、とこちらで批判をはじめられたようですが、
批判のメールを出せば佐倉さんがそれを読むのは間違いがありませんね。
そして、その批判と応答を掲載するかどうかは佐倉さんにゆだねられますが、
「掲載しないでください」というのでなければ、佐倉さんは掲載する人だと思います。
それを佐倉さんが掲載しなかったときにはじめて、「都合の悪い投稿は掲載しない人だ」
と言えるし、「ではしかたがないから、ここで批判します」ということになるのであって、
それをする前から、「彼は都合の悪い投稿は掲載しないかもしれないから」と決めつけて、
この掲示板で批判をすることはいったい正しい行為なのか、という疑問があります。
というのは、この掲示板は、佐倉さんが読んでいるのかどうかすら確認ができない状態で、
「言いっぱなし」になってしまい、逆に佐倉さんの反論を許していないからです。

Aについて、他の会員さんでご意見があれば伺います。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1281 に対する返信です )


1288 件目  funaba_tufsさんへ   ELRANTY    1999年12月11日 9時50分

こんにちは、返事をありがとうございます。

>だいいちここは幸福の科学についてのトピックです
>佐倉氏についてが本 ケではありません

その「本道でないこと」を自ら始めてしまったのがfunaba_tufsさんです。
反論が来てしまって本道に外れたことが大きくなったのは、自らがまいた種です。

>>わたしには、こんなところで批判を始めること自体、まるで誠意を感じません。
>だから私は辞めました

いつ「やめた」のでしょう? 今回ですね? わたしの反論に答えることで、
今回までご自身が始められた佐倉哲批判を継続してきたのですから。
さて、わたしが言っているのは、「ここで批判をすることは誠意がないのではないか」
ということです。したがって、もしfunaba_tufsさんが「確かに誠意がないから、
批判をやめよう」と思ったのならば、それを文章で明らかにしていただきたかったです。
 (これは funaba_tufs さんのMsg 1287 に対する返信です )


1289 件目  funaba_tufsさんへ 2    ELRANTY    1999年12月11日 9時51分

「こんなところで批判をするのは佐倉さんに失礼なので、批判を取り消します。
わたしの佐倉哲批判への反論はもうしないでください」くらいのことを書いてはじめて、
「誠意がないから、やめました」という言葉が意味を持つのではないでしょうか。
わたしの反論を「どうでもいい」と言って無視する態度が、「誠意がないから、
やめました」というfunaba_tufsさんの言葉と結びつくとはわたしには思えませんでした。

しかし、いずれにしても佐倉哲批判はこれ以上しないということですね。わかりました。
ところで、批判をやめるということは、わたしも佐倉哲さんへのフォローをやめたほうが
いいということでしょうか? msg1018〜1022などに対する意見は用意してありますが、
それは佐倉哲さんへのフォローです。佐倉哲批判をやめてしまったfunaba_tufsさんは、
わたしのその意見に対する反論はこれ以上できないわけですが、どうなさいますか?
読むだけ読もうというなら、掲載したいとおもいますので、その場合は要求してください。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1288 に対する返信です )


1290 件目  funaba_tufs ウんへ 3    ELRANTY    1999年12月11日 9時53分

>それでしたら、貴方が以前私を批判されてましたがそれについてのレスをするのが最も重要なことでないのでしょうか?(中略)
>もし貴方がそうではないのら、貴方の私についての批判についての私のレスに何らかの釈明のコメントを入れるべきですね

わたしは、以前にfunaba_tufsさん自身を批判した覚えはあまりないのですけれども、
いつのどの対話のことを指してそう言われているのでしょうか? 
わたしがfunaba_tufsさんへのレスをしていないのは、わたしの佐倉哲さんへのフォロー
に対するfunaba_tufsさんの反論(msg1018〜1022)についてくらいかと思っていました。
具体的にわたしがレスを付けていない投稿番号を教えてくださいますでしょうか。
レスをつけさせていただきたいと思います。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1289 に対する返信です )


1291 件目  funaba_tufsさんへ 4    ELRANTY    1999年12月11日 9時55分

>また幸福の科学について議 _したいのなら、もっと他に適した相手がいるのではないですか?

今回の対話は、幸福の科学についてではなく、佐倉哲さんについてです。
ご自身が批判を始めてしまったのですから、その反論をするわたしの対話の相手が
funaba_tufsさんになってしまうのは仕方がありません。
幸福の科学についての対話は「もっと適した人」であるiroiroarimasuさんと
「イエスの最後の言葉」についてお話したいと考えております。

なお、何度か要求された、わたしの真理観についてですが、質問が漠然としているので、
もう少し具体的な質問に変えていただけるとありがたいです。

よろしくお願いします。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1290 に対する返信です )


1292 件目  masshi26さんへ   ELRANTY    1999年12月11日 9時57分

funaba_tufsさん同様に佐倉哲批判?をされていますが(msg1049など)、
佐倉哲批判を当トピックで続けるべきと考えるか否かで、レスをつけるかどうかという、
こちらの対応も変わってきますので、お考えを教えてください。
Aの問題についてですが、悪意かどうかというのがわたしの反論のポイントなので、
佐倉さんが仏教について誤った認識をしているかどうか、は別問題になります。
masshi26さんはレスを下さっておりますが、どの部分がどのように誤った認識なのか、
ということについて対話を望まれている場合は、そのように記してください。
わたし自身はそのことについて議論するほどの仏教知識はあまりありませんが、
佐倉さんがそれほどおかしな解釈をしているとは思っておりません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1291 に対する返信です )


1293 件目  iroiroarimasuさんへ   ELRANTY    1999年12月11日 10時5分

こんにちは、iroiroarimasuさん。
Bの、イエスの「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」の件です。

わたしの質問:
イエスを名乗る霊は、自分が地上で命果てる際の最後の言葉について、
「エリヤとラッファエロ、迎えにきなさいと叫んだ」と語っています。
大川さんはそのイエスの弁明について、「そうだろうと信じたいと思います」
と曖昧に濁しているので、「本当は、“エリ、エリ、レマ、サバクタニ”
と言ったのですけどね・・・」ということを大川さんは暗に示しているのだな、
とわたしは文脈から解釈しました。その解釈は正しいのでしょうか、
間違っているのでしょうか。

iroiroarimasuさんの答え:
さて今一度「幸福の科学言論1」を読み直してみて下さい。
貴方が言われる箇所からさらに大川総裁の話は続いております。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 1079 に対する返信です )


1294 件目  iroiroarimasuさんへ 2   ELRANTY    1999年12月11日 10時5分

問題を検討するまえに以下の質問に先に答えさせていただきます。

>貴方はこの事が理解できたとして貴方ににとってそれが
>どのような影響をあたえるのでしょうか?
>それを私は貴方に伺いたいですね。

この結論が、わたしにどのような影響を与えるかはわかりません。
この件ではじめに述べましたように、単なる日本語読解の問題です。
イエスを名乗る霊が「エリヤとラファエルを呼んだ」と言うのに、
大川さんが「そうではない」と言っているようにわたしには思えたので、
その読解が正しいのかどうか、という問題を「ただ知りたい」だけです。
魂にとって有用とか、幸福感が得られる、とかそういう問題ではありません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1293 に対する返信です )


1295 件目  iroiroarimasuさんへ 3   ELRANTY    1999年12月11日 10時6分

>さてイエス様は救世主であったということには私はキリスト教信者では
>ないですが異論はありません。エルランティさんは如何でしょう?
>それでは救世主だから「俺達を救うのは当たり前!、どうだ救ってみろ!」
>と言えるでしょうか?私はそれほど大胆な人間ではないのでいえません。

救世主という言葉自体が好きではありません。誰も他人を救うことはできません。
自分を救えるのは自分自身だけです。イエスにできるのは、救うきっかけを与える、
というだけのことです。きっかけを与えることのできる人を救世主と呼ぶならば、
イエスは救世主であったと認めます。イエスはすでにきっかけを与えました。
あとはわたしたち自身の問題です。「救ってみろ」など思いもよりません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1294 に対する返信です )


1296 件目  iroiroarimasuさんへ 4   ELRANTY    1999年12月11日 10時7分

>全世界の人々に神仏の存在とその心を伝えるという仕事がどれほどの困難で
>あるかということを考えたときに、どうでしょうか。
>「簡単だよ。」と言えるでしょうか? 私は言えませんね。
>その困難な仕事に携わる方のご苦労や心労などは私達が幾ら察しても察しきれないもの>があるのではないでしょうか?(後略)

これは「悟った」という状態の解釈によって違ってきます。
イエスが悟った(幸福の科学流に言えば)状態を、一切の囚われから解放されて、
二度と囚われの心境に舞い戻ることのない状態だと解釈するならば、
そのような困難な d事に携わるイエスに心労はまるでなかったことでしょう。
むしろ、すべてのことを楽しんでいたに違いありません。
囚われから解放されながら、救世という部分では囚われがある状態だったとするならば、
イエスもさぞや心労を重ねたことでしょう。あれこれ悩んだに違いありません。
どちらであるかなど知り得ないので、わたしはそのようなことは考えません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1295 に対する返信です )


1297 件目  iroiroarimasuさんへ 5   ELRANTY    1999年12月11日 10時8分

では、本論に入りたいと思います。

わたしの日本語読解が正しい場合:
 イエス霊は「エリヤとラファエルを呼んだ」と言っているのだが、
 「実は“神よ、神よ、なんぞ我を見捨てたまいしや”と言ったのです」
 というのが大川さんの結論である場合。

わたしの日本語読解が誤りである場合:
 イエス霊が「エリヤとラファエルを呼んだ」と言っているように、
 「確かにイエスはあのとき、エリヤとラファエルを呼んだのです」
 と同様に大川さんも認めておられる場合。

さて、『幸福の科学原論@』をもういちど読んでみなさい、とのことですが、
わたしの家にはその書籍はありません。記憶に依るしかないということになります。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1296 に対する返信です )


1298 件目  iroiroarimasuさんへ 6   ELRANTY    1999年12月11日 10時21分

まず、「イエスが父と呼んだ存在はわたしである」と大川さんは主張しているのですから、
イエスが死の間際に何を叫んで命果てたかということを記憶として持っているわけですね。
もし、イエスを名乗る霊が霊言で語っているように、「エリヤとラファエルを呼んだ」
というのが真実ならば、「イエスは、エリヤとラファエルを呼んだと言っておりますが、
まったくその通りでした。イエスの神への信頼が揺らぐわけがありませんね」
と主張されればいいところなのに、「そうだろうと信じたいと思います」という言葉で
オブラートに包んでいます。これはいったいど 、いうことなのでしょう・・・。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1297 に対する返信です )


1299 件目  iroiroarimasuさんへ 7   ELRANTY    1999年12月11日 10時22分

そういう疑問を感じながら、『原論@』の、そのあとに続いている文章を読んでみたら、
わたしの記憶では、「さすがのイエスも、地上にあっては完全な神への信頼のみで生きて
きたのではありません。さまざまな不安が心に去来したことは事実です」というような
人間的イエス像が語られていたわけです(具体的な言葉は違うでしょうけれど、たしか
内容としてはそんな感じですよね)。これらイエスに関する大川さんの主張はすべて、
「地上で救世主として生きるというのは本当に大変なことで、イエスほどの人であっても、
先行きには不安を感じてしまうものです」というイエスに対するフォローであるわけです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1298 に対する返信です )


1300 件目  iroiroarimasuさんへ 8   ELRANTY    1999年12月11日 10時23分

このように文章全体が構成されている場合には、どう解釈するのが正しいでしょうか。
普通に解釈すれば、大川さんの考えというのは、「イエスは実は“エリ、エリ、レマ、
サバクタニ”と言ったんです」というものなのだな、と考えるのが正しいと思います。
だからこそ、そのあとの文章で、人間イエスとしての苦労をひたすら述べることによって、
イエスが神への信頼を死の直前に失いかけてしまったことへのフォローをしているのだな、
と考えられるからです。

「イエスの最後の言葉」という、大川さんが当然霊的に知っているはずの事柄について、
イエスを名乗る霊が「エリヤとラファエルを呼んだのだ」と言うのに対して、大川さんは、
「そうだろうと信じたいと思います」という不自然な一言を残したこと、そのあとに、
人間イエスをひたすらフォローしていることを考えると、正当な読み方だと思うのですが、
どう思われるでしょうか。iroiroarimasuさんの解釈もぜひ教えてください。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1299 に対する ヤ信です )


1301 件目  iroiroarimasuさんへ 9   ELRANTY    1999年12月11日 10時24分

ちなみに同じく会員であるNishida77さんは、別のトピックでこの問題に触れておられ、
『原論@』の大川さんの言葉をどう解釈されたがゆえの結論なのかはわかりませんが、
霊言通りに「イエス様は最後にエリヤとラファエルを呼んだ」と考えておられるようです。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=yahoo.ab.02.835217&topicid=55m01&msgid=7i12hh$h4e$2@m01.yahoo.co.jp


http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=yahoo.ab.02.835217&topicid=55m01&msgid=7iocur$iuk$2@m01.yahoo.co.jp
 (これは ELRANTY さんのMsg 1300 に対する返信です )


1302 件目  iroiroarimasuさんへ 10   ELRANTY    1999年12月11日 10時24分

ところで、私の解釈が正しかった場合には、いったい何が問題になるのでしょうか。
もちろん、イエスが地上で命果てるときに神への信頼を失いかけたことではありません。
イエスのやってきたことは大変なものであり、最後に「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
と叫んだからといって、わたしの地上でのイエスへの尊敬が変わるわけではありません。
問題は霊言を降ろしてきたイエスのほうです。本当は「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫んだのに、「エリヤとラファエルを呼んだ」というふうに嘘をついたことになり、
教義の中に以下の重大な矛盾のどれかが生じてしまうということなのです。つまり、

1.「霊言を降ろしてきたのは確かにイエスであり、イエスは九次元霊である」
という2つの前提を守れば、「あの世で嘘をつく存在が九次元にいるくらいだから、
霊天上界は実は心の世界ではない」という矛盾が生じる。

(つづきます)
 (これは ELRANTY さんのMsg 1301 に対する返信です )


1303 件目  iroiroarimasuさんへ 11   ELRANTY    1999年12月11日 10時38分

2.「霊言を降ろしてきたのは確かにイエスであり、霊天上界は心の世界である」
という2つの前提を守れば、「あの世にあって嘘をつくイエスは実は九次元霊ではない」
という矛盾が生じる。

3.「霊天上界は心の世界であり、イエスは九次元霊である」
という2つの前提を守れば、心の法則に基づいてイエスは九次元に住むのだから、
「霊言で嘘をついたイエスを名乗る霊は実はイエスではない」という矛盾が生じる。


ということです。わたしの読解が間違っていた場合は、この教義の矛盾は解消されます。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1302 に対する返信です )


1304 件目  iroiroarimasuさんへ 12   ELRANTY    1999年12月11日 10時39分

ちなみに、当時この問題を発見したときには、団体には多大なる不満を抱いていたものの、
教義には矛盾がないと信じていた頃でしたから、疑いの心をもってこの文章を読んだわけ
ではありません。矛盾など発見したくなかったが、文章として普通に読んだならば、
そう解釈せざるを得なくて、どのように考えればいいのか困っていたものです。
特定の宗教を盲信していると、都合の悪いことは記憶の彼方にやってしまおう、
という心理が働くもので、この疑問は辞めるときにすら思い出しませんでしたが、
急に最近になってふと思い出したものですから、質問をしてみた次第です。

以上長くなってしまいましたけれども、よろしくお願いします。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1303 に対する返信です )


1324 件目  イエスの最後の言葉について、お返事   ELRANTY    1999年12月12日 15時46分

iroiroarimasuさん、こんにちは。
御丁寧なレスをありがとうございます。

>ただ、「知り スい」と言われるならエルランティさんが感じるままで
>良いんじゃないですか?
わたしが知りたいのは、「イエスが本当はなんと叫んで命果てたか」ではなく、
「イエスが本当はなんと叫んで命果てた、と幸福の科学では理解されているか」
です。霊言のイエスの主張と、大川さんの主張が正反対のように読めるからです。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 1310 に対する返信です )


1325 件目  イエスの最後の言葉について、お返事2   ELRANTY    1999年12月12日 15時47分

>さてその教義の理解の仕方は人それぞれで異なります。
>次にそれを同一の物としていくのは時間がかかります。そこに「修行」
>があり、それが個人に与えられた課題でありますね。
重箱の隅をつつくとおっしゃいますが、これはもしわたしの解釈が正しければ、
教義の土台をなす部分に関わってくる問題になり、重箱の隅どころではありません。
その見解が一致しないのでは困るわけです。それがわたしが書いた「矛盾」の意味です。
Nishida77さんが声を嗄らして「イエス様は本当はエリヤとラファエロを呼んだのだ」
とクリスチャンのかたがたに呼びかけておられますが、実は大川隆法さんの見解は違った、
というのでは、せっかくのNishida77さんの叫びも無駄になりますね。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1324 に対する返信です )


1326 件目  イエスの最後の言葉について、お返事3   ELRANTY    1999年12月12日 15時48分

>イエス様が残された結果をみれば、それをどう考えるかは自分の信仰心
>に問いかければそれで済むことでしょう。
もう一度書きますが、イエスが「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言ったとしても、
わたしにはまったく気になりません。地上でのイエスへの敬意も失いません。
問題はそこではなく、霊界にいるイエス(を名乗る霊)への敬意、そして教義の問題です。
つまり、本当はイエスは「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言ったのに、霊言では、
「そうは言っていない」と嘘をついた、ということです(嘘をついているのかどうか、
というところがまさに論点ですので、これについて意見をお願いしているわけです)。
そのような存在が九次元にいることが、教義上での矛盾だ、というのがわたしの意見です。
これは、「親不幸をしたのに九次元にいる」というのとはまったくレベルが違います。
イエスの仕事は、親孝行を犠牲にしてでもやらなければいけない仕事だったからです。
それは九次元霊の立場上しかたない、と幸福の科学においても認められていますね。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1325 に対する返信です )


1327 件目  イエスの最後の言葉について、お返事4   ELRANTY    1999年12月12日 15時49分

ところが、「嘘をつく心」というのはこれとはまったく違います。
許されるという言葉を書かれてありましたが、霊界のどの次元に住むかはエルカンターレが
決めるのではありません。その人の心の境地によって、自動的に決まるのです。
本当は命果てる前に、神への不信感から「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫んだのに、
「そうではない」と嘘をつくということは、地上で生きていたときの自分を飾る心がある、
ということになり、それは、九次元になどとてもいられないような境地だということです。

この矛盾を解決するための方法はただひとつしかありません。
それは、イエスが霊言で「エリヤとラファエルを呼んだのだ」といっているように、
大川さんもそれを認めている、ということを示すしかありません。
そうすれば、イエスは嘘をついていないことになりますから、教義の矛盾が解消されます。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1326 に対する返信です )


1329 件目  イエスの最後の言葉について、お返事5   ELRANTY    1999年12月12日 15時52分

わたしはこの問題について、いまはまったく悩んでいません。
幸福の科学の人がこの教義の根本に関わる問題にどのように決着をつけているのかが、
ただ単に興味があるだけです(もちろん、在会当時は悩みました。わたしの解釈が
もし正しいとすれば、それは教義の根本を揺るがす問題で、信仰に関わりますから)。

少なくともこの疑問すら解消されないのに、会に戻ることはできないでしょうが、
この疑問が解消されたからといって、幸福の科学に戻るというわけでもありません。
それなのに、一生懸命にお答えを用意していただいては申し訳ありません。
あまり会話がかみあっていないことですし、明確な答えがないようでしたら構いません。

それにしても、本当に心の調律ができていることが文章から伝わります。
というよりも、iroiroarimasuさんがもともと柔和な性格なのかもしれませんが。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1327 に対する返信です )


1330 件目  佐倉哲さんへの批判について   ELRANTY    1999年12月12日 15時58分

massi26さん、こんにちは。レスをありがとうございます。

>ここで佐倉哲批判をするのならば、ELRANTYさんも黙っちゃいない(?)
>ということでしょうか?
別にわたしは佐倉さんに完全に100%賛同するものでもありませんが、
本人が反論不可能な場所なのですから、かわりに誰かがフォローしてあげないと、
という感じです。少なくともいままでの批判はまるで当たっていないと観じましたので、
わたしなりに反論を試みました。佐倉さんとは見解が違うかもしれないので、
多少気が進まない部分もあるのですが。

>本人に悪意がなければすべて善いのか、ということではありませんね。
>「知っていて犯す罪より、知らずに犯す罪のほうが大きい」ことはあります。
「知っていて・・・」の文章は、ちょっと問題が違うのではないか、と思います。
ここで「佐倉さんの悪意」としているのは、「仏教について誤った解釈をすることが
罪である」ということを、知っててやっているか、知らずにやっているのか、という問題
ではありません。「釈迦が霊魂を説いたと知っているのに、知らないふりをしている」
という批判についての真偽が、ここの「悪意」の問題です。
 (これは masshi_26 さんのMsg 1321 に対する返信です )


1331 件目  佐倉哲さんへの批判について2   ELRANTY    1999年12月12日 16時0分

>思うこととしては、あれだけ大きく幸福の科学批判を
>しているのはインターネット上であのHPだけではないのか。
そうかもしれませんね。そして、批判は言論の自由として、当然許されることです。
問題はそれが間違っているかどうかであり、それを間違っていると思うのならば、
せっかく佐倉さんがオープンに対話をしてくださるのですから、ぶつければいいのです。
少なくともここで一方的にでも、批判する時間と気力があるのならば、
直接対話をしたほうがてっとりばやいと言えるでしょう。


>中立ではない人に対話を仕切られることは、公平ではないと思います。
「中立でない人」というのはわたしのことでしょうか?
わたしが仕切ると、どのような点で公平でないとお考えでしょうか。
わたしが仕切ったのは「順番決め」だけです。順を追って全部答える、
というのですから、中立かどうかは無関係だと思いますけれど。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1330 に対する返信です )


1332 件目  佐倉哲さんへの批判 ノついて3   ELRANTY    1999年12月12日 16時11分

>はじめに持ってきた人が中止されたのであれば、funadaさんが中止
>すること自体別におかしなことではないと思います。
funaba_tufsさんは、その「はじめに持ってきた人」への反論としてはじめたのではなく、
まったく別の観点からはじめたものです。そして批判を中止したのも、
「はじめに持ってきた人」が中止したからではなく、「本人不在で批判をするのが、
失礼だ」と考えたからだそうです。いずれにしてもまったく問題ありません。


>ELRANTYさんも「唯物論」や「無神論」に対しては、
>反対の立場なのではないのでしょうか?
少なくとも賛成ではないですね。そして佐倉さんも同様に「唯物論反対」の立場です。


http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/neo/n023.html
(人はなぜ宗教を信じるのか)

http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/neo/n030.html
(神が“いない”ことは証明できるか)
 (これは ELRANTY さんのMsg 1331 に対する返信です )


1334 件目  佐倉哲さんへの批判について4   ELRANTY    1999年12月12日 16時13分

http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/neo/n040.html
(一無神論者のつぶやき)

http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/neo/n043.html
(無神論は科学)

したがって、わたしは佐倉さんにはかなりの部分で共感ができます。
神がいようといまいとわたしの生き方は変わりません。
霊魂があろうがなかろうがわたしの生き方は変わりません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1332 に対する返信です )


1341 件目  お返事   ELRANTY    1999年12月12日 22時1分

こんにちは。レスをありがとうございます。

>幸福の科学で根本教義と言われるのは「太陽の法」「黄金の法」「永遠の法」です。霊示集とか霊言集は参考書と考えれば良いでしょう。
かなり無理のある解釈ですね。その「太陽の法」などの根本教義に抵触する部分を、
どう捉えるのか、という問題です。「参考書」だからどうこう、ではありません。

>例外的処置となるケースも有るでしょう。
おっしゃるとおりです。何が霊界次元構造をわけているのか、
ということに関する真実は結局はわたしたちには知り得ません。
だから「信じたいと思うもの、より納得のできるもの」を信じるわけです。
わたしは自動的に決まる、という説明の簡潔さに惹かれて信じていたので、
「例外的処置」などという誰かの意図が絡むような説明は、
まったく説得力もないし、魂に響きかけないから信じません。

>そしてイエスの真意と配慮については考えることは出来ませんか?
ここでいうイエスとは地上のイエスではないですよね。
霊言のイエスの真意と配慮をどのようにお考えですか?
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 1339 に対する返信です )


1347 件目  もっとも恐ろしいこと。   ELRANTY    1999年12月12日 22時45分

>9次元霊の気持ち理解できるほど「我々の認識が高いかのか」という
点もエルランティさんには考えていただきたいポイントです。

そうやって、クリスチャンたちは旧約にあるヤハウェの神の残酷性を、
「神の真意を人間心で計ることはできない」として肯定してきたし、
オウム信者も、ポアの思想を素直に否定せず、「自分が考えられる範囲を
越える考え方もあるだろう」と“柔軟に”考えてしまった結果、
あの悲劇的事件を起こしてしまったのです。

理解できないものを理解できないとして素直に拒否する心。
これが、宗教に接するときのもっとも大切な考え方といえるでしょう。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 1342 に対する返信です )


1367 件目  イエス霊は嘘を ツいたか   ELRANTY    1999年12月13日 17時40分

こんにちは。レスをありがとうございます。

>さて根本教義に抵触するとはエルランティさんは嘘をついた
>9次元霊と考えているからでしょうね。
もちろん、そういうことです。嘘をついていなければ教義には抵触しません。
ちょっと正確に書きなおしておきますと、イエス(を名乗る霊)が嘘をついた、
とわたしは書いてまいりましたが、正確に言えば大川さんとイエス霊の主張が
食い違っている、というだけのことです。そして大川さんを師として優先した結果、
イエスが嘘をついているとわたしは主張してきたわけです。まずこれが前提部分です。
そして、その前提部分から、「教義への抵触」という結論部分が生まれました。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 1348 に対する返信です )


1368 件目  イエス霊は嘘をついたか2   ELRANTY    1999年12月13日 17時41分

二人の主張が食い違っていないのならば、嘘をついた云々という前提部分が破綻し、
当然、教義への抵触という結論部分も導かれません。その結論部分の正誤をわけるのが、
「二人の主張が食い違っているかどうか」という前提部分の正誤なのです。
そして「食い違っている」という前提が間違っているかもしれないから、
「食い違っていない」とお考えであるなら、どのように『原論1』を読むことで
そう思われたのか、を教えてください、というのがわたしの質問だったのです。
そして、そのわたしの質問に対して、iroiroarimasuさんはまず最初に、

>さて今一度「幸福の科学言論1」を読み直してみて下さい。
>貴方が言われる箇所からさらに大川総裁の話は続いております。

と仰るから、「大川先生とイエス霊の主張は食い違っていないですよ」というのが
iroiroarimasuさんの解釈なのだろうと思ったのです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1367 に対する返信です )


1370 件目  イエス霊は嘘をついたか3   ELRANTY    1999年12月13日 17時42分

そこで『原論1』の内容を書き、「こう書いてあったら、やはりイエス霊の主張を
大川さんはそれとなく否定している、すなわち二人の主張は食い違っている、
と解釈するのが普通だと思う」とわたしが主張しました。すると、iroiroarimasuさんは、

>親不孝も許される状況が有ると言うことが考えられる
>ので有れば、その方の立場で許されることがあるのかもしれませんね。

と書かれました。すなわち、嘘をついているのに九次元ではおかしいという結論部分への
反論として、イエスの親不幸の話を出してきて、「そういう人でも九次元に帰るのだから、
嘘をついていても九次元にはいられるのだろう」と暗に主張されたわけです。
ですから、iroiroarimasuさんもイエスが嘘をついているという前提部分については、
認めておられるのだな、と思ったのです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1368 に対する返信です )


1371 件目  イエス霊は嘘をついたか4   ELRANTY    1999年12月13日 17時44分

ところが、イエスが嘘をついているという前提部分について、今回また、

>私はそう思いません。

というふうに書かれたので、「イエス霊は嘘をついていない」とお考えだとわかりました。
さて、ここで疑問があります。「二人の主張が食い違っていない」とお考えなのか。
それとも「二人の主張は食い違っているが、嘘ではなく事情があるのだ」とお考えなのか。
『原論1』をどのように読んだら、そのような解釈になるのかを含め教えてください。

>またイエスの真意と配慮は原論1の見解から導き出されて
>いるので私はその考え方を支持しています。
前に書きましたが、『原論1』はうちにはありません。
わたしの質問は、イエスの真意と配慮とはなんですか、ということではなく、
iroiroarimasuさんがイエスの真意と配慮をどう解釈しているのですか、
ということですので、わたしが『原論1』を読んだところで意味がありません。
もちろん、このイエスの真意と配慮というのは、最後の言葉に関するものですよね?
イエスのどのような真意と配慮をそこに見出されたのでしょうか。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1370 に対する返信です )


1372 件目  オウム真理教と幸福の科学   ELRANTY    1999年12月13日 17時53分

>さてエルランティさんの、この表現は私に飛躍し過ぎているように感じます。(中略)
>それは幸福の科学とは何ら関係のない話題です。

幸福の科学とも充分に関係がある話題であり、決して飛躍ではありません。
構造的には幸福の科学とオウムとは、宗教団体として何も変わらない、ということです。
オウムがサリン事件を犯してしまったのは、教義にポアの思想があるためではありません。
それだけでは決してあれらの事件は起こり得なかったのです。信者である人たちが、
己の心の声を最優先させたならば、教祖だけが取り残され、事件は起こらなかった。
けれども、納得のいかなかったその思想を、己の判断よりも優先させてしまった結果、
地下鉄サリン事件を始めとした一連の事件が起こったのです。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 1349 に対する返信です )


1373 件目  オウム真理教と幸福の科学2   ELRANTY    1999年12月13日 17時54分

善悪の基準を、自分の心という「内側」ではなく、教祖や教義という「外側」に持つ、
そのオウム信者の思考パターンは、幸福の科学の会員とてまったく同じです。
幸福の科学の会員たちにとって、あらゆる善悪を判断する基準が先に己の中にあって、
その基準に従って、大川さんの主張や指令をも裁く、ということはありえません。
大川さんへの信仰が先にあって、大川さんの主張や指令が善悪の基準となるのです。
だから、「大川さんが殺人の指令を出したらどうするか」との問い(以下のリンク)に、

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=yahoo.ab.02.835217&topicid=482m01&msgid=7r0g3h$f9o$3@m00.yahoo.co.jp

Nishida77さんが、
>「不殺生戒」に反するので、実行はしません。
>その時は、総裁を疑うでしょう。(本物?)

とお答えになられたのに、funaba_tufsさんはそのことに疑問を呈するのです。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=yahoo.ab.02.835217&topicid=482m01&msgid=7r4vkc$9te$1@m00.yahoo.co.jp
 (これは ELRANTY さんのMsg 1372 に対する返信です )


1374 件目  オウム真理教と幸福の科学3   ELRANTY    1999年12月13日 17時55分

しかし、funaba_tufsさんを責めることなど決してできるものではありません。
なぜなら『仏陀再誕』にこんな言葉があるからです。

探求心とは、猜疑心ではなく、疑念の心でもない。
そのような心が起きた時、もはや修業の途上にはないと言わざるを得ない。
そのような時、その者はもはや修行者とは言われない。
・・・・決して、何も批判を口にしてはならない。
(以上、『仏陀再誕』より引用)

100%の信仰を持つべく努めるfunaba_tufsさんとしては当然の発言でした。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1373 に対する返信です )


1375 件目  オウム真理教と幸福の科学4   ELRANTY    1999年12月13日 17時56分

自分の判断より大川さんの主張を優先する思考パターンを持たせている幸福の科学に、
麻原氏の命令を優先させてサリン事件を起こした信者を批判することは絶対にできません。
講談社への非人道的抗議行動をみればわかります。自分の心の声に耳を傾けず、
「仏陀様の指令」に盲目的に従ってしまった結果が、あの愚かしい抗議事件です。
教団の指示に基づいて、信者たちが起こした組織的抗議行動だったのですから、
オウム真理教の地下鉄サリン事件と、なんら本質的に変わるものではありません。
(しかも麻原氏が己の関与を否定して、「弟子が勝手にやった」と主張していますが、
大川さんも「有志がやったことであって、組織としては指令は出しておりません」
という嘘をついていたのですから、なにからなにまでまったく同じではないですか)
シ者の違いは、「この世の法律における罪の軽重の違い」にしか過ぎません。
両者に共通するのは、己の判断よりも教祖の指示を優先させる思考パターンです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1374 に対する返信です )


1377 件目  オウム真理教と幸福の科学5   ELRANTY    1999年12月13日 17時57分

自分たちがオウムと同じ過ちを犯し得るような信仰形態を持っている、ということに
無自覚であることほど恐ろしいことはありません。GLAの信次さんがご生前に、
「わたしの言葉であっても疑いなさい。最終的な善悪は己の真我に問いなさい」
と主張されたことは、宗教の危険性を見抜いたまったくすばらしいものでした。
幸福の科学も最初はそのくらいのことは言えていました。いつからかその健全な
信仰形態がいまのように変わっていったのです。それが一番悲しいところです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1375 に対する返信です )


1382 件目  オウム真理教と幸福の科学6   ELRANTY    1999年12月13日 18時10分

わたしが主張をしているのは、幸福の科学もいずれはオウムのように凶悪な殺人を
犯すだろう、という確信ではありません。たぶんそんなことはしないでしょう。
(ただ、何の書籍かセミナーか忘れましたが、「罪を犯させないようにすることも大事だ」
というような言葉があったことを思い出すと、なかなかに怖いものがありますが)

わたしの言いたいことはひとつだけです。外に価値基準を求めるのはやめなさい、
ということです。心を清ませば、何が正しくて何が間違っているかわかるはずですから。
「神仏の光求めて幾星霜 悟れば 仏わが心に在り 高橋信次」
 (これは ELRANTY さんのMsg 1377 に対する返信です )


1385 件目  もっとシンプルな問題   ELRANTY    1999年12月13日 19時4分

こんにちは。レスをありがとうございます。

>またキリスト教というものを見たときに完璧な教えでしょうか?
いつも、いろんな角度から説明を試みてくれてありがたいのですが、
もうしわけないことに、キリスト教云々、地上でのイエス云々は、
今回の一連の質問とはもう全くといっていいくらい関係がありません。
もっと問題はシンプルです。「イエス霊と大川さんの主張は食い違っているか」。
それだけです。地上でのイエスがどうこうとかいうのは考慮する必要がありません。
考慮する必要があるのは、『キリストの霊言』と『原論@』の一部分だけです。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 1384 に対する返信です )


1386 件目  もっとシンプルな問題2   ELRANTY    1999年12月13日 19時4分

>エルランティさんの主張は回りくどく言わないで「簡単」に言えば
>結局「幸福の科学の教えが矛盾している。」ということですね。

あそこまで詳しく書きなおしてまだこのような勘違いをされてしまうとは、
まったく驚いてしまいます。わたしは日本語がよほど下手なのでしょうか。
わたしの主張の「幸福の科学の教えが矛盾している」というのは、
「イエス霊と大川さんの主張が食い違っている」という前提部分について、
「正しい」とした場合の結論に過ぎません。前提部分が「間違っている」のであれば、
当然結論部分も生まれません。そしてわたしが聞きたいのは、その前提部分、
すなわち、「イエスと大川さんの主張は食い違っているかどうか」だけです。
まわりくどく答えられてしまい本意がわからないので、質問を箇条書きにします。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1385 に対する返信です )


1387 件目  もっとシンプルな問題3   ELRANTY    1999年12月13日 19時5分

@イエス霊と大川さんの主張は食い違っていると思うでしょうか?
 YES→Aへ
 NO→Bへ

Aどちらかが何らかの事情で事実に反することを言っているということでしょうか?
 YES→Cへ
 NO→Dへ

Bどのように『原論@』を読めば、食い違っていないという結論になるのでしょうか?

C事実に反することを言っているのはどちらであり、その意図はなんだ ニ考えますか?

D「主張は食い違っているが、どちらも事実に反することは言っていない」
 とは、どういう意味でしょうか?

以上よろしくお願いします。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1386 に対する返信です )


1388 件目  それは間違いではありませんね。   ELRANTY    1999年12月13日 19時16分

>ここでは信仰の基本の説明が有るわけです。
わたしはどこかでそれを否定しているでしょうか?
引用部分に幸福の科学の信仰形態の基本の説明があるのです。
それが「批判をするな、疑いを持つな」ということです。
そうではない、というなら、信仰の基本が何か、を教えてください。

>高橋信次信仰をお持ちのようですから、どうしても心にフィルター
がかかりますね。
大川隆法信仰をおもちですか? 心にフィルターがかかりますね?
わたしは高橋信次を信仰しているつもりはありません。
なぜなら、高橋信次は生き神信仰を否定したからです。
わたしは彼ではなく、彼の教えに賛同するだけです。

>疑いの中で広がるのは悪魔の領域である。
そうやって疑うことを禁じているのだから危険だといっているのです。
オウム信者がポア思想を疑うことも同じように「悪魔の領域」と言えて、
はじめて、この主張は意味を持つものだといえるでしょう。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 1384 に対する返信です )


1452 件目  >massi_26さん   ELRANTY    1999年12月14日 18時36分

masshi26さん、こんにちは。レスをありがとうございます。
一応整理をさせていただきますので、違ったら教えてください。

funaba_tufsさんやSilver_Codeさんのご意見であるところの佐倉さんの「悪意」とは、
「仏教をわざと曲げて解釈している」、すなわち「釈迦が霊魂を説いたと知っているのに、
知らないふりをして、説いていないと主張している」ということでしょうね。
masshi26さんはこの意味での「悪意(知らないフリ)」は特に認めていないわけですが、
「本人に悪意(知らないフリ)がなければすべて善いのか、 ニいうことではありません」
とあるように、「悪意がなくとも、誤った解釈をすることはいけない」という意見ですね。
 (これは masshi_26 さんのMsg 1432 に対する返信です )


1453 件目  >masshi_26さん2   ELRANTY    1999年12月14日 18時37分

さて、「知っていて犯す罪より、知らずに犯す罪のほうが大きい」とは、文脈からして、
仏教を誤って解釈してしまうことが罪なのだということを知っていて犯す(悪意)よりも、
仏教を誤って解釈してしまうことが罪なのだということを知らずに犯す(善意)ほうが、
罪は重い、ということですね。ここがどうもよくわからない、と思ったのです。
なぜなら、上の文(本人に悪意が・・・)で使われている悪意という言葉の内容と、
下の文(「知っていて犯す・・・)に含まれている悪意という言葉の内容が違うからです。
そこで、わたしは「知って犯す云々・・・はここで使う言葉ではないのでは?」
という意味で、「問題が違うのではないでしょうか」と書いたわけです。

ウて、いずれにしても、「悪意(知らないフリ)がなくとも、仏教について誤った解釈を
することはいけない」というご意見ですよね。では、佐倉さんが仏教について誤った解釈
をしているかどうかについて、ここでお話すべきか否か、お考えをお聞かせください。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1452 に対する返信です )


1454 件目  >masshi_26さん3   ELRANTY    1999年12月14日 18時39分

>有神論でもなく、無神論でもない、という思想的立場が見えてきました。
>結局のところ、「矛盾である」ということだと思います。
佐倉さんが、有神論の「神はいる」という断定に対して、「いや、神はいない」と断定し、
無神論の「神はいない」という断定に対し、「いや、神はいる」と断定するのであれば、
それは明らかな矛盾です。しかし、佐倉さんはそういう立場ではありません。
佐倉さんの有神論・無神論批判は、神はいるとかいないとかいう主張内容の否定ではなく、
「神はいる」とか「神はいない」とか断定してしまうその主張 フ姿勢の否定です。
「知り得ない事柄については断定を控える」一貫した態度です。なんの矛盾もありません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1453 に対する返信です )


1455 件目  >masshi_26さん4   ELRANTY    1999年12月14日 18時39分

>トワイスボーンとも言いますが、信仰を持った人の生き方は、
>信仰を持っていなかった頃と比べると、普通は違う生き方をしますね。
神がいようといまいと、霊魂があろうとなかろうと、わたしは自分を愛せるし、
他人を愛せるし、「人生は素晴らしい!」と肯定できます。
多くの、信仰を持っていなかった人が、信仰を持つことによって変わるのは、
その人が信仰なしに、自分や他人、人生や世界を肯定できなかったからでしょう。
でも信仰を持つことで素晴らしい人生に変わったのなら、それでいいと思います。
それが、佐倉さんの「自分の実益になるから信じるのだ」という主張の内容です。
そして、佐倉さんが言っているのは、「幸せになるからといって、信仰の対象になる
教 `が真理(真なる言明)とは限らない」という、ただそれだけのことです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1454 に対する返信です )


1457 件目  funaba_tufsさんへ   ELRANTY    1999年12月14日 19時23分

funaba_tufsさん、こんにちは。レスをありがとうございます。

>それだけで幸福の科学が「外に価値基準を求める」団体であると考えるのは、
>軽率過ぎますから、そういった判断はお止め下さい。
わたしの根拠は、あなたの発言ではありません。わかりやすく現れていたので、
引用させていただきましたが、わたしの根拠は、もっと別のところです。
しかし、三宝帰依をそのように解釈している人がいる、ということだけでも、
充分な危険性を顕わしているといっていいでしょう。もし他の方からの指摘がなければ、
三宝帰依とは現成の仏陀=大川隆法にただひたすら従うことだと考えていたのでしょう。
実際に師は師自身への疑いを否定するのですから、あながち間違った解釈ではありません。
すべての物ごとの基準は幸福の科学的価値観なのです。自分で判断することを「自分教」
と否定するのに、どうして「外に価値基準を持たせる団体ではない」と言えましょうか。
 (これは funaba_tufs さんのMsg 1456 に対する返信です )


1458 件目  funaba_tufsさんへ2   ELRANTY    1999年12月14日 19時24分

>その精神に於いて、「自分の頭脳を大川氏に預ける」などと言われた佐倉氏の「幸福の科学の信仰観」が【完全なる間違い】だとお分かりだと思います。
残念ながら「お分かりではありません」。高橋信次さんに対する接しかたの豹変から、
会員が「自分で考える」ということに如何に慣れていないかが明らかです。
『方便の時代は終わった』とされるほんの数か月前の月刊誌で、九次元霊特集を組み、
エルランティー「様」と呼び、褒め称えていたのに、高橋信次は裏だと言われるや否や、
手の平返して「信次」と呼び捨てです。自分より下の存在とでも思っているのでしょうか。
すべては「何次元」などという上下観で霊人を判断してしまい、本人が説 「てきたことの
本質すら自分で判断することができていない結果です。信次さんが否定されるべきは、
霊現象をやりすぎた、というだけのことであり、信次さん本人が主張していた内容は、
神理そのものです。それを裏だと言われて、「あー、裏なんだ」と納得する程度の人が、
どうして「自分の頭脳を大川さんに預けているのではない」などと言えるでしょうか。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1457 に対する返信です )


1460 件目  funaba_tufsさん3   ELRANTY    1999年12月14日 19時28分

すでにmsg1291において、
>なお、何度か要求された、わたしの真理観についてですが、質問が漠然としているので、
>もう少し具体的な質問に変えていただけるとありがたいです。
と書かせていただきましたが、読んでくださいましたでしょうか。
 (これは funaba_tufs さんのMsg 1459 に対する返信です )


1461 件目  続・イエス霊は嘘をついたか   ELRANTY    1999年12月14日 19時31分

こんにちは、iroiroarimasuさん。たくさんのレスをありがとうございます。

>さてこの状況を考えてみて下さい。これからは推理の時間でもあります。(略)
地上でのイエスの処刑の場面の再現や推理などは、まったく必要のないことです。
これらはすべて「エリヤとラファエルを呼んだなんて、めちゃくちゃな解釈するなよ。
聖書にちゃんと残っているじゃないか」という人に向けて言えばいいことですね。
わたしは、「聖書に書いてあることと違うから嘘だ」と言っているのではありません。
「『原論@』に書いてあることと違うから嘘ではないか」と言っているのです。
わたしは、『キリストの霊言』を読んで以来、「イエスは最後にエリヤとラファエルを
呼んだのだな」とずっと信じてきました。イエスの死の間際に近くにいた人達が
それこそiroiroarimasuさんやmichael_the_3rdさんが説明してくださったような状況の中で、
その言葉を聞き間違えてしまい、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と書き残したのだな、
とずっと理解していたのです。『原論@』を読むま ナは・・・・。
 (これは iroiroarimasu さんのMsg 1410 に対する返信です )


1462 件目  続・イエス霊は嘘をついたか2   ELRANTY    1999年12月14日 19時32分

そうです。大川さん自身が書いた『原論@』でその考えが覆されてしまったのです。
だって、どうみても、イエス霊の主張を暗に否定しているではないですか。
(これが論点です。あとで改めて詳述します)
大川さんは、イエスの父という立場で、霊言の解説をされているわけですから、
「イエス霊が嘘をついた」と結論せざるを得なくなってきた、というわけです。
それを「違います」というのが、iroiroarimasuさんの意見なのですよね。
だから、「どう読めばそういう結論になるのでしょうか」。それが質問なのです。
それをやっと、今回言葉すくなく説明していただきましたが、どうも理解不能です。
確かに、「そうは言っていません」という明確な否定はそこには書かれていませんが、
「そう言いました」という明確な肯定もそこには一文字も書かれていません。
そこで、大川さんが肯定しているのか否定しているのか読み取らなくてはいけないのです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1461 に対する返信です )


1463 件目  続・イエス霊は嘘をついたか3   ELRANTY    1999年12月14日 19時33分

さて、ここで、とある人間の父と子を一組考えてみましょう。そして、その一人の子供が
イジメの嫌疑にかけられたとします。ところが、子供本人は「やってない」と言います。
それが本当かどうかは、本人の証言では知り得ません。そこで父親に皆がつめよります。
父親は子供がイジメをしたかどうか知っています。皆もそれを理解しているとします。
つまり父親の主張で決定されるわけです。皆が見守るなか、父親は口を開きました。
「本人はやっていないと言っています。そうだろうと信じたいと思います」と。
これだけでも、充分におかしいですね。やったかどうかを知っているのだから、
そんな回りくどいことを言う必要はない。「やっていません」とか「やりました」
と言えばいいだけなのに・・・。疑問を感じながら皆は父親の次の言葉を待ちます・・・。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1462 に対する返信です )


1464 件目  続・イエス霊は嘘をついたか4   ELRANTY    1999年12月14日 19時34分

・・・父親はどのような言葉を続けるでしょうか。息子はイジメなんてしていないですよ、
と周囲の人に納得させるためには、あとに続ける言葉は「息子は、イジメなどするような
子ではない」という内容の主張でなければ意味がありません。たとえばそれは、
「息子は普段からとても心優しい子ですから、・・・」というようなものです。ところが、
ここで「息子はこれまでもイジメをしたことがあります。それは事実です」と言ったら、
どうなるでしょうか。「イジメなどしてない」という子供本人の主張を皆が疑わしく思う
ことはあっても、「あの子は今回イジメをしてないな」と思うことはありえません。
しかも父親は事の真偽を知っているくせに言葉を濁すのだから、ますます怪しいですね。
さて、本題に戻って『原論 @』を読んでみましょう。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1463 に対する返信です )


1465 件目  続・イエス霊は嘘をついたか5   ELRANTY    1999年12月14日 19時39分

「イエス本人はそう言っています。そうだろうと信じたいと思います」のあとに続く
大川さんの言葉はどんな内容か。「イエスは、神への信頼を失うような人ではなかった」
というような内容であれば、イエス霊の主張を後押しするものになるでしょうね。
ところが実際は逆です。むしろ、「本当に復活できるのだろうか」とか、「この教えは
本当に広まるのだろうか」というような、神への信頼の欠如が事実として語られています。
これらは、イエスが神への不信によって「神よ、なんぞ我を見捨てたまいしや!」と
叫んだ可能性を示唆することはあっても、神への信仰に満ちて「エリヤ、ラファエロ、
迎えに来なさい!」と叫んだ可能性を示唆することは決してありませんね。
それが、普通の文脈解釈だと思いますが、どうお考えになられるでしょうか。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1464 に対する返信です )


1468 件目  続・オウム真理教と幸福の科学   ELRANTY    1999年12月14日 19時45分

>何故ならこれまで一度たりとも私は大川総裁から、貴方が心配されるような
>ことを言われたり、指示されたことはありませんね。
そういうことではありません。主張の意図を読み違えておられるようです。
わたしは大川さんが麻原さんのように殺人を指令するだろうと言うのではありません。
自分の判断と、教義や教祖の主張のどちらを優先させるのか、という
信仰形態の話をしているのです。オウムは当然、教祖の主張を優先させました。
幸福の科学はどうですか。「決して、何も批判を口にしてはならない」とありますね。
信仰形態はまったく同じです。幸福の科学にオウムを批判できる点があるとしたら、
教祖がポア思想を説いた点のみであり、教祖の指示を自分の判断よりも優先させた弟子を、
決して批判することなどできません。もしこの「信仰形態は同じである」という意見を
「違う」 ニいうのならば「幸福の科学では教義や教祖の主張よりも、個人の心を優先する
ように指示している」ということを示してください。自分教の否定からして、
とてもそんなことを認めてくれている教義だとはわたしには思えません。
疑問をもてば、返ってくる言葉は「素直に学べ」それだけです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1465 に対する返信です )


1469 件目  フライデー事件   ELRANTY    1999年12月14日 19時45分

フライデー事件についてはどうお考えなのでしょうか。会員が本当に教祖の主張よりも、
自分の真我が語る声を優先できたならば、あの事件は起きることはなかったでしょう。
前日、わたしたちは支部に呼ばれました。何事かと思ったら、まずビデオ再生。
ビデオには講師向けに話す大川さんが出てきました。諸葛孔明の霊指導だとかで、
三国志の挿絵などでよく孔明が持っているウチワ?のようなものを手に持ち、
「イエス様も怒っています。信次先生も怒っています」と言って、講談社への
抗議行動を、長自ら ェ号令しました。そのあと、支部で具体的な説明がありました。
翌日の○時○分頃から、音羽の講談社へ抗議デモをしに行く、ということ、
「有志が偶然集まった」という形にするため、一般人を装う役目の人も作ること、
会の指示があったことは他言無用だということ、デモに参加できない人は、
その間、家から電話(無言も可)とファックス攻撃をすることが指示されました。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1468 に対する返信です )


1470 件目  フライデー事件2   ELRANTY    1999年12月14日 19時46分

小賢しいことをするものです。徳島にいらっしゃった善川顧問がこれを聞きつけ、
「お前たち、幸福の科学をつぶす気か!」と急遽上京なさったそうですね。
しかし、そんな顧問の警告も無視し、抗議デモと電話・ファクス攻撃がなされました。
大川さんの絶対的な指示に、諸会員が良心を見失ってしまった瞬間でした。
一回だけ電話をかけた知人が言っておりました。「わたし、無言電話をしたら、
『お前ら、良心っていうの ェないの?』と怒鳴られて、怖くて切っちゃったよ。
怖さのあまり悪魔の声だと思ったけど、よく考えたらあれは神の声だったんだね」と。
当たり前のことです。そんな当たり前のことを見失ってしまうのですから、
会員は自分の心よりも、教祖の指示を優先させる信仰形態を持っている、
と言われてもいたしかたありません。素晴らしい教えをもった団体だったのに、
いつからか変わっていってしまったのですね。もったいないことです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1469 に対する返信です )


1471 件目  shihann23さん   ELRANTY    1999年12月14日 19時48分

こんにちは。
重複すると無駄なので、iroiroarimasuさんとわたしとfreddy99さんなどのやりとりから、
お察し頂きたいのですが、ただ誤解をされぬように申し上げておくことがあります。
幸福の科学がオウム真理教のように殺人事件を起こしてしまう危険性はきわめて低く、
わたしはそれを「危険性が高い」と主張しているのではありません。
ですが、信仰形態(すなわち、自分の判断よりも、教祖の判断を優先させる思考パターン)
がオウム(のみならぬ、ほとんどの宗教)と同じであることを考えれば、幸福の科学が
ポア思想を説いた麻原さん自身を批判することはできても、自分の判断より教祖の判断を
優先させた信者達を批判することは決してできない、ということです。
信者のほうまで批判をすることができるのは、違う信仰形態を有する団体や教祖のみです。
 (これは shihann23 さんのMsg 1449 に対する返信です )


1472 件目  shihann23さん2   ELRANTY    1999年12月14日 19時49分

また高橋信次信仰とか言われそうですが、高橋信次さんのように、個々人の心に神が宿り、
すべての善悪を判断する基準が備わっている、と徹底して説いた人でなければ、
オウムを批判することはできません。幸福の科学は信次さんの教えを基本にしていますが、
真我ですべてを判断するべき、という教えは徹底されていません。徹底するとは、
幸福の科学の教団としての方針や大川さんの指示でさえも、真我で裁くことを肯と言えて、初めて徹底していると言えます。オウム信者がオウム真理教を疑うことを肯定するのに、
幸福の科学会員が幸福の科学を疑うと「素直になれ」「批判するな」などと言うのは、
「真我」「神性」を都合のよいように使っているに過ぎません。
そのような教団に所属する人は、教祖や教団が反社会的な行動を指示したときにも、
己の真我に問うということができません。そうしてフライデー事件が起こったのです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1471 に対する返信です )


1476 件目  また手一杯になってきました   ELRANTY    1999年12月14日 19時59分

またあちこちの人と対話する状況で大変ですので、ゆっくり順番に書きます。
funaba_tufsさんの「真理とはなにか」という問い(もうちょっと具体的に
書きなおしてくださったもの)に、はじめに答えていきたいと思います。
その他の批判への意見はまたのちほどゆっくり・・・。
よろしくお願いします。>all
 (これは funaba_tufs さんのMsg 1475 ノ対する返信です )


1483 件目  FlameTongueさん   ELRANTY    1999年12月14日 22時9分

こんにちは。
リンクを張っていただいたところは、ずいぶん前にすでに読みました。
Nishida77さんとのやりとりをしておられたところですよね。
わたしには、イエスが最後に言った言葉がなんであるかは、
正直まったくわかりません。ここで議論しているのは、
幸福の科学の教義同士の矛盾についてなので・・・。
でも、詩篇22の引用だという説はそれなりにわたしは好きです。
少なくとも、イエスが最後に神への不信を持ったとは個人的には
あまり信じたくないから、詩篇22の引用だったら素敵だなーと思います。

>これはガリラヤ訛のアラム語で「サバイタァ」(?)が「迎えに来い」という意味になるのか,その道の権威に聞いてみればすぐに判ることなのでは?
まったくその通りですね。でも、どうやって調べればよいのやら・・・?
在会当時から、「もしその道の権威に『サバイタアなんて言葉はありません』
って批判されちゃったらどうしよう?」などと恐れていたものですが、
すでに退会した今では、ぜひ聞いてみたいところですね。
 (これは FlameTongue さんのMsg 1477 に対する返信です )


1484 件目  funaba_tufsさん、shihannさん   ELRANTY    1999年12月14日 22時12分

すいませんが、お返事はまた明日・・・・。
失礼いたします。
 (これは funaba_tufs さんのMsg 1478 に対する返信です )


1514 件目  批判するな、素直になれ。   ELRANTY    1999年12月15日 17時29分

こんにちは。

>結構長く支部にも行ってましたが、その様には一度もいわれたことはないんですけど。
きょう子さんの言葉がありましたね。「仏陀の教えを素直に受け取らなくてはいけません」

><批判するな>も言われたことも無いんですけど。むしろ私は批判しまくってよく話し合ったタイプなんですが。
『仏陀再誕』にこうあります。「絶対に批判を口にしてはならない」。

曲解だと言われるなら、これらの言葉がどのような意味なのかを教えてください。
わたしの疑問は、「批判を歓迎し、自分で考えることを奨励するならば、それを否定している
かのような誤解をされる(佐倉さんが“誤解”していますね)これらの言葉を、
なぜ師は書いているのか」というものです。ある時期から急に自分で判断することが
否定的なニュアンスで言われるようになったのですから、意図を疑うのは当然です。
 (これは shihann23 さんのMsg 1480 に対する返信です )


1516 件目  盲信とは   ELRANTY   1999年12月15日 17時30分

>大川隆法総裁の言われることに確信を抱く方もおられる中、結局いくら論じても<そう確信しているあなた>がいるだけであって、あなたもその言葉に盲信していることにはならないでしょうか。

わたしは、幸福の科学に会う前から信次さんの書籍は読んでおり、信次さんへの評価は
ずっと一貫しています。人の評価を受け入れているのではなく、自分で判断しているの
ですから、それを「盲信」とは言いません。その判断が正しいか間違っているかだけです。
「わたしは大川さんに対して盲信しているのではない」ということを言えるのは、
高橋信次さんに対しての評価が高かった頃から、「いや、信次はたぶん裏だろう」と、
大川さんの評価をずっと否定してきた人だけです。霊的能力のない一般会員が信次さんを
判断する材料(生前の書籍)は変わらないからです。大川さんが「高橋信次先生は表です」
と言えば信じて追随し「信次先生、アールエルランティー様」と呼び、「信次霊は裏だ」
と言われれば追随して「信次」と呼び捨てる。盲信といわずしてなんというのでしょうか。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1514 に対する返信です )


1517 件目  高橋信次   ELRANTY    1999年12月15日 17時31分

>反社会的なのかどうかに関してもあなたがそう判断しているのであって、果たしていろいろな資料や、情報を集めたときに、(略)

いろんな資料や情報とは、どんなことをさしているのでしょうか?
一定の時間に集中して電話とファックスをしかけ、編集部の機能を麻痺させた、
というだけでは、反社会的というには不充分でしょうか?

>あなたが高橋信次氏の言われたことが正しいと核心に至った過程をもう言いたくないかもしれませんが、できればお聞きしたいです。

funaba_tufsさん宛のお返事を読んで頂けますか。
ちなみに、高橋信次さんが言ったことが正しい、と考えているのではありません。
信次さんに対するいまの幸福の科学の評価は妥当でない、と考えているということです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 1516 に対する返信です )


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