ELRANTY さん<1>

戻る HOME 次へ

 ◆「Yahoo!掲示板」より転載 (幸福の科学の教えについて)

454 件目  はじめましてー。   ELRANTY    1999年9月28日 17時8分

こんにちは。はじめまして。
ELRANTYです(なんていうと、会員さんには早くも憎悪の念を抱かれそうですが)。
他のトピックでAvalokite_Svaraとして自己紹介したあと、
ほとんど同名のかたがいらっしゃったので名前変えたんですが、
かつて1990年から1993年までのあいだに会員でした。

ご本尊の問題について、usokusaltuさんは疑問を抱いているようですが、
その質問に納得のいく答えを求めるのは、無駄だと思 「ます。
求めているのではなく、無駄とわかっていて攻撃をしているのならば別ですが。
わたしは会に所属した頃に、学生部の集まりというのに参加したことがありました。
1991年の秋、たしか中野富士見町だったと思います。
総合本部長をつとめている幹部のかたの話を聞けるというので行ったのですが、
ご本尊の存在や東京ドームでの御生誕祭、三種の神器に、
真理と反するではないかと疑問を持っていたある学生が厳しく質問をしたところ、
その幹部のかたは、しどろもどろになって、冷や汗をふきつつ、
ほとんどまともに答えることもできずに、適当に濁していました。
 (これは Silver_Code さんのMsg 453 に対する返信です )


455 件目  はじめましてー2   ELRANTY    1999年9月28日 17時10分

funaba_tufsさんみたいに正直に「お金が必要だから」と言える方がいるのは、
とても驚かれたでしょうが、幸福の科学では基本的にそういう説明がされます。
当初それを正当化する説明が与えられていなかったために、
なんとか理屈をこねようとして、その総合本部長さんはしどろもどろになりました。
とくに当初は宣伝費などで借金がかさみ、大変な時期だったようなので、
「今後の軍資金」どころではありませんでしたから、
総合本部長さんの後ろめたい気持ちは、なおさら強かったことでしょう。
その後、幸福の科学ではそれらの資金調達を正当化するために、
funaba_tufsさんのおっしゃっているように、
「軍資金」としてのお布施という説明とか、
あるいは、「功徳を積む」とかいう説明でお金を求めるようになりました。
しかし、usokusaltuさんの質問はもっともで、
実際にお金がそんなに際限なく必要なわけはありません。
借金で苦しい時期にはじめたご本尊を途中で止めるわけにはいかずに、
いまも売りつづけているというのが現時点での本音ではないか、と私は想像しています。
 (これは ELRANTY さんのMsg 454 に対する返信です )


456 件目  はじめましてー3   ELRANTY    1999年9月28日 17時11分

91年の大々 Iな宣伝と、それによる失敗。
そのせいでだいぶ借金がかさんだときに、もし幹部の人達が、
「このたびの短期の計画は失敗でした。借金が貯まってしまいました。
 幹部総辞職してお詫びしますので、どうかお金をお布施ください」
と正直に言ってくれたならば、
「すばらしい!。この世界で団体を経営していく上では失敗だってある。
 さすが幸福の科学の幹部。ぜひとも協力しよう」
と私は思ったのでしょうが、残念ながらそうはならず、
彼らは真理を曲げて、妙な理屈と物を作りだして、
借金の穴埋めに奔走するようになって行きました。
反省を教えている団体なのに、「すみません」も言えない人が、
会の幹部として上にたっていられる事実を見ると、
私は団体に対して幻滅せざるを得ませんでした。
いずれにしても、ご本尊がうまれたのには、
そのような背景があったのだということは知ってください。
そして、幹部のかたも人間である以上は、プライドがあり、
「すみません」とはなかなか言えなかったのだと思います。
 (これは ELRANTY さんのMsg 455 に対する返信です )


457 件目  はじめましてー4   ELRANTY    1999年9月28日 17時14分

完璧な団体などありえないと思うので、
大事なことはやはり本を読んで実践すること。それだけだと思います。
別に「幸福の科学」の本だけじゃなくたっていいですから。
まあ、usokusaltuさんが、真理を探究する気がなくて、
幸福の科学をただ攻撃したいだけなら、
こんな主張はなんの意味もないですけど。
ひとまずは参考までに。
>usokusaltuさん。

ID取得したものの、何もないところに自分の考えを書くのは難しいものでして、
いくつか投稿してみたんですが、なかなか・・・。
こういったところで批判的意見を述べることで、真理全般に対する自分の考えを、
整理する勉強になるので、失礼しました。
ちなみにわたくしは、いま特定の宗教に属していませんが、
ニューエイジ思想(バシャールとか)、仏教、キリスト教、サイババなどに興味を持っております。
このトピックや他のトピックでまたお会いしたときはよろしくお願いします。
nishida77さん、ここは見ていらっしゃいますか?
キリスト教のトピではお世話になりました。
またどこかでお会いできたら、お願いします。
 (これは ELRANTY さんのMsg 456 に対する返信です )


490 件目  ご指名を受けましたので。   ELRANTY    1999年9月29日 22時12分

ELRANTYです。こんばんは。
批判者は地獄に落ちる、という教えがあるかどうかについてご指名を受けましたので、
わたくしの知る範囲で、回答をさせていただきます。
わたくしがいた頃には「和合僧破戒の罪」というものが教えられておりまして、
会員のかたがたを故意にまどわしたりするような行為をして
教団を混乱に陥れた場合に、このような罪になると説明されていました。
これは幸福の科学には限らず、よき教団に対してそのようなことをした場合にも同様の罪となると考えます。
和合僧破戒の罪に当たる人を救うのが優先、というような考え方はされていなかったとは思いますが、
逆に身近にいる人を救うのが先というような考えもなかったように思 「ます。
縁あって接した人のことは、すべからく忍辱の精神をもって救うことのできるように、
という教えであったと理解しております。参考になりましたでしょうか。
その後教えも変わっていっておりますので、この理解に間違いがあれば、
現会員の方に訂正をしていただきたいと思います。お願いします。
 (これは usokusaltu さんのMsg 486 に対する返信です )


491 件目  サイババについては。   ELRANTY    1999年9月29日 22時14分

サイババについてどうして信じられるのかという質問を、
usokusaltuさんからいただきました。
サイババについてここで詳しく述べるのはふさわしくないですが、
以前にあったサイババのトピックもなくなってしまいましたので、
どこか別のトピックでふさわしい場所を指定していただければ、
そちらで一応簡単に説明をさせていただきたく思います。
わたくしは、仏教について、クリスチャンの広場、神はいるか、
ワクワク、などといったトピックをうろついております。
読むばかりでほとんど発言はないのですが。
お声をおかけください。
(ただし、熱狂的なサイババ信者というわけではありませんので、
 その言動のすべてにおいて完璧な理解をしているわけではないので、
 そのあたりはご容赦ください)

Silver_Codeさん、大文字小文字の争いをしていたのは、
仏教について、のトピックです。遅くなりまして申し訳ありません。

失礼いたします。
 (これは usokusaltu さんのMsg 482 に対する返信です )


495 件目  こんばんは。   ELRANTY    1999年9月30日 1時35分

こんばんは。遅くに失礼します。
ELRANTYというのが何かというご質問ですが、
これは幸福の科学の用語だとわたしは理解しています。
幸福の科学においては、世界は次元構造になっていて、
死後の世界も階層的なものなのだ、として捉えられております。
その次元構造の中で、人格を持って地上にうまれる神霊の住むもっとも精妙な世界が、
九次元宇宙界というところであると教えられ、
そこには10人の神霊が住んでいるということでした。
そこには釈迦やイエスなどもいるのですが、
そのなかに、アール・エル・ランティーという神霊がいるというのが、
教えの中にありました。
この神霊は、地球人類の祖先となる人達を、
3億6000年ほど前にベータ星というところからUFOの大船団で連れてこられた
偉大な指導者であるとされ、釈迦(エルカンターレ)と並ぶ二大神霊として、
地球霊団の指導にあたってきた神霊だと教えられていました。
(つぎに続きます)
 (これは funaba_tufs さんのMsg 494 に対する返信です )


496 件目  つづきです(すみません。レスのつけるところを間違えました)   ELRANTY    1999年9月30日 1時36分

このエルランティーという名前は、幸福の科学以外のところでも使われていて、
たとえばGLAという教団でも、釈迦の再誕と自らを認識していた高橋信次というかたが
晩年、実はご自分がエル・ランティーという神霊であることを悟られたらしく、
幸福の科学においても、高橋信次はエル・ランティーである、と教えられておりました。
この神霊は他の宇宙存在にも知られているのか、
あるチャネリングの集まりに行った折りに、チャネラーを通して語る宇宙存在に、
「エル・ランティーという神霊を知っていますか?」と聞いたところ、
大きくうなずき、「よく知っています」と答えられました。
わたしはこのエル・ランティーという名前が、
とてもすっきりした、きれいな響きで好きなので、使わせてもらっています。
長くなってしまいましたが、答えになりましたでしょうか。
つづりは、書籍などの表紙に記してあったのをそのまま使っております。
 (これは Silver_Code さんのMsg 493 に対する返信です )


559 件目  高橋信次さんのファンです。   ELRANTY    1999年9月30日 17時41分

こんにちは。一日経っただけなのに、
これほどまでにすすんでしまうとビックリします。
盛んなトピックなのですね。
私宛のものが少なくてホッといたしました。

funaba_tufsさん、レス ありがとうございます。
高橋信次さんファンですか?ということですが、
そうですね。そう思っていただいて構わないと思います。
ご生前から大変に立派な方であったとわたしとしては認識しております。
わたしは、すでに幸福の科学が、高橋信次さんのことを、
先に私が述べたような高い位置においていないことは知っておりますので、
こういうことを公言すると、なにか論争に発展しそうですが、
喧嘩を売っているわけではありませんので、
そちらが、「高橋信次を信じるのはおかしい」といいたいのでなければ、
「考え方の違い」として、この問題はどうか無視されてください。
お願いいたします。
 (これは funaba_tufs さんのMsg 499 に対する返信です )


560 件目  チャネラーについて   ELRANTY    1999年9月30日 17時43分

チャネラーのかたが、どちらかの本を読んでいた可能性があるのではないか、とのことですが、
わたしは多いにそれはありえると考えています。
ただ、普通チャネラーというのはニ ・[エイジの世界では外人さんが多いようで、
わざわざセミナーのために短い期間来日されるパターンが多く、
わたしのときもそうでしたので、それはあまりないかな、という気はしましたが。
それと、「エル・ランティーを知っているか」というような質問をしたときには、
相手は「エル・ランティー」という言葉自体を耳で聞くというよりは、
その言葉の持つ波動や発言者の心の中から、その存在を探してくるようで、
通訳者が「アール・エル・ランティー」という単語を言い終わらないうちに、
大きくうなずいてくれたのが、とても印象的でした。
どちらにしても、わたしはエル・ランティーという存在の根拠は、
そこには求めません(いえ、どこにも求めませんが)。
ただの高橋信次さんファンだということと、名前の響きが好きということですね。
 (これは funaba_tufs さんのMsg 499 に対する返信です )


561 件目  ニューエイジの思想について   ELRANTY    1999年9月30日 17時45分

そのニューエイジの思想を教え トください、とのことでしたが、
そのことについては、その宇宙存在によっておそらくは細かい部分で
異なってくるために、わたしには説明のしようもありません。
一番有名な宇宙存在でバシャールがいますが、その存在の教えは、
(彼は「彼の教え」と言われるのをいやがり、わたしの教えじゃないですよ。
みなさんの中にあるものですよ、というようなことを言われますが)
キーワードとしては、「ワクワクすることやりましょう」という単純なものです。
幸福の科学の教えと比較すると、幸福の科学の教えが人格向上を目指しているのに対して、
バシャール系統の教えは、意識の解放のようなものを目指しているといえると思います。
「なになにせねば」「こうであってはいけない」というような呪縛から逃れ、
「なになにしたい」「こうでありたい」というほうへ考えましょうというようなことです。
(つづきます)
 (これは funaba_tufs さんのMsg 499 に対する返信です )


562 件目  ニューエイジの思想について、の続きです。   ELRANTY    1999年9月30日 17時48分

これは、幸福の科学的に言えば、光明思想という感じでしょうけれども、
実際にはおそらくそれともちがうとわたくしは思っております。
その考え方は、地球人の意識(特に宗教をやっている人のそれ)からは、
余りに乖離しているために、その思想を理解し間違え、
刹那的になってしまうことがあるようです。「たのしければいいんだ」と。
わたしも彼らの考えは好きではありますが、よく理解できているとは思っていません。
このあたりのことについては「ワクワク」のトピックがあるので、
ご興味があれば、参照されてはいかがでしょうか。
ただ、おそらくは宗教系統の思想にどっぷり浸かっているうちは、
まったく理解できないものかもしれませんが。
わたしも幸福の科学にいる頃は、あまり好きな思想ではありませんでした。

ただ、わたしは、バシャールやエクトンなど宇宙存在の放つ暖かい波動が大好きです。
「ワクワク」を感じて生きていけるように、がんばりたいです。
(「NO、NO。がんばる必要はありません」とバシャールに笑われそうです;)
 (これは funaba_tufs さんのMsg 499 に対する返信です )


563 件目  法論について   ELRANTY    1999年9月30日 17時49分

>それは違うと思います。本を読んで実践しそれを学ぶものの集団であるサンガが最高のものを目指すべきだと思います。そこにユートピアも原形ができるからです
そうですね。
完璧な団体なんてありえないのだから、そこにいる人達はかぎりなく完璧に近い、
最高のサンガーを絶えず目指して、日々実践すればよいのではないでしょうか、
ということを述べたつもりでした。

法論でもしに来てくださいとの言葉、ありがとうございます。
ですけれども、法論するほどの知識もないですし、
いまのところこのままで素晴らしい毎日を過ごさせていただいておりますので、
また機会があり、気持ちがそういう方向にむいたらお邪魔させていただきます。
意見交換(これを法論とおっしゃっているのかもしれませんが)は、
楽しいので、これからもよろしくお願いします。

とても楽しいトピックです ヒ。
 (これは funaba_tufs さんのMsg 504 に対する返信です )


564 件目  仏教について   ELRANTY    1999年9月30日 17時54分

さて、仏教、釈迦の教えたことについて激しい論争がかわされておりますね。
わたしも、Rikimaru7さんに「仏教について」で薦めていただいた、
原始仏典の書籍をちらちらと読みながら、考えました。
釈迦の教えがどういうものであったかということは、
いまとなっては明らかではありませんが、
なんらかの信仰などをもっているのでなければ、
文献のみを参考に、釈迦が説いたことがどういうことであったかということを、
解釈し述べるということは、決して責められるものではないと私は考えます。
わたしにとっては、
幸福の科学において釈迦が説いたとされている悟り論や涅槃論が、
釈迦の教えと同じものかどうかについては、
原始仏典などを解釈した文献を読む限りは「違う」といわざるを得ません。
わたしも霊的な体験はありますが、それが、
「幸福の科学で説明される2 U00年前の釈迦の体験(あるいは、大川隆法さんの体験)」
に通じるものであるとはわかったものの、
「現実の2600年前の釈迦の体験」
に通じるものかどうかは、わかりませんでした。
 (これは ELRANTY さんのMsg 563 に対する返信です )


566 件目  仏教について、の続きです。   ELRANTY    1999年9月30日 18時3分

わたしは、中村元氏や、佐倉哲さんの釈迦解釈を、
幸福の科学とまたちがった魅力を持つものとして、感銘を受けました。
多くの幸福の科学の会員のかた(当時のわたしも含めて)や、
霊的世界を信じる人が、釈尊について、
「霊魂の話をしなかったわけがない」と考えたがるのは、大変よくわかりますが、
しかしながら、それはあくまで「そうであってほしい」という希望的観測や、
「こうであった」という教祖の独自の断定への信仰に過ぎず、
事実はそれとは裏腹で、
釈迦は、中村氏や佐倉さんが主張するようなことを説いていたのかもしれません。
幸福の科学の会員さんも、うちは釈迦の教えと一緒だということにこだわらず、
大川さんが示す、悟り・涅槃を目指して修行なされればいいのではないかと思います。
(実際、funaba_tufsさんは、そのようなことにはこだわっておられないようで、
 むしろ、非会員のSilver_Codeさんなどのほうが釈迦の教えがどうであったかに
 こだわっておられるように見えますね。
 体験されたと思っておられるのですから当然ですね)

では長々と失礼しました。
 (これは ELRANTY さんのMsg 564 に対する返信です )


576 件目  「神との対話」について   ELRANTY    1999年9月30日 22時39分

こんばんは。Silver_Codeさんレスありがとうございます。
「神との対話」という書籍を読んだことがあるか、というご質問ですが、
私は気にはなっていたものの、まだ読んでおりません(^^;)
ニューエイジ思想のような内容であるとは思っていませんでした。
今度時間があったら読みますので、感想など語り合いたいですね。
ご紹介ありがとうございます。
 (これは Silver_Code さんのMsg 565 に対する返信です )


577 件目  バシャールの思想   ELRANTY    1999年9月30日 22時42分

funaba_tufsさん、レスありがとうございます。
わたしはバシャールに「興味」はあるのですが、
「funaba_tufsさんと幸福の科学」と「わたしとバシャール」との関係は、
たぶん、まったく違うものです。
バシャールの本は、わたしの世界観や人生観を形成するのに役立つ、
ひとつの参考書のようなものです。
わたしの参考書の中には、もちろん幸福の科学の思想も含まれていますし、
サイババの教えも含まれていますし、中村元氏のいうような釈迦の教えも含まれています。
そしてそれらはもはやごちゃまぜに溶けてまざっていて、どこに何が書いてあったか、
そして、自分のこの考え方は誰の思想に影響を受けているのか、
あの考え方は誰の思想の影響を受けているのかなどは、
まったくわからなくなってきています。
バシャールについて述べたのは、本当に骨子の部分で、
精神世界の用語とし トは、あまりに有名な言葉だったので、
なんとか説明できましたが、それ以外の細かい内容や、
宇宙意識の思想は、どうもわたしには説明ができそうもありません。
 (これは funaba_tufs さんのMsg 567 に対する返信です )


578 件目  バシャールの思想2   ELRANTY    1999年9月30日 22時44分

あまり偉そうなことをいうのはいけませんが、幸福の科学の書籍のどこかに、
「本のどこに何が書いてあるなどということが記憶にあるうちはまだだめです。
 本を読んだのではなく、最初からそれらの教えが自分の中にあるように思えて、
 はじめて自分のものとなったといえます」
というようなことが書いてありましたが、わたしの状態は
いうなれば、そういう感覚に近いと思います。
もちろん、自分のものになったというものではまったくありませんし、
それは法体系のように確固としたものではなく、
まして、オリジナリティーにあふれるということではなく、
いろんな人の思想の寄せ集めではありますけれども。
ヌっちにしても説明がかなり困難な、あやふやなものですので、
わたし自身の考えを披露することはおそらくできません。
なるべくがんばって、書籍を参考にしつつ、オリジナルの思想を、
間違って伝えることのないようにしたいものです。

失礼します。
 (これは ELRANTY さんのMsg 577 に対する返信です )


585 件目  こんばんは。   ELRANTY    1999年10月1日 2時46分

funaba_tufsさん、レスをありがとうございました。
わたしが「funaba_tufsさんと幸福の科学」との関係と、
「わたしとバシャール」との関係がまったく違うものです、
と言ったのは、それなりの理由があります。
funaba_tufsさんが、現在も会員であり、
「三宝帰依した以上はたとえ殺人命令を下されても、
 死ぬまで大川先生についていくべきではないか」
と以前にこのトピックで述べられたかたであることを考えれば、
幸福の科学を真理を得るための一手段として口では述べられていても、
すでに「おそらくは最高の手段であろう」と少なからず確信を抱いているのではないか、
という推測がなりたちます。
一方でわたしはバシャールに対してそこまで絶大な価値をおいてはいません。
特別に疑ったことはないですが、
実際にはわたしはここ何年も、バシャールを読んでいません。
最近では、Rikimaru7さんがご紹介してくださった原始仏教の書籍や、
サイババ関連の書籍を読んでおります。
それを思い、それぞれの師(?)に対してとっている距離が、
まったく違うのではないか、という意味で先の発言をいたしました。
 (これは funaba_tufs さんのMsg 582 に対する返信です )


620 件目  ふたたび「わたしとバシャール」について   ELRANTY    1999年10月2日 11時14分

臨界事故、小康状態になったみたいですね。
これから食べ物とかがどうなるのか不安です。

funaba_tufsさん、レスをありがとうございました。
殺人命令を肯定したかどうか、という問題はあくまで例として出させていただきました。
わたくしの主張は、funaba_tufsさ ct大川隆法さんに対する態度です。
ここの過去の全書き込みを読みましたところ、
double_rlさんというかたとのやりとりのなかで、法を疑ったdouble_rlさんに対して、
「それはこう解釈すればいいではないか」という説明がほとんどなされていなくて、
「弟子ならばただひたすら法を実践するしかないのではないでしょうか」
と答えておられるのを読み、法を疑うことをよく思っていらっしゃらない、
ということを読み取ることができました。
あくまで「参考書」というレベルで捉えていたら、そこまでこだわりはもてないのではないか、と思いました。
それに対して、バシャールは自分を師だとは思っておりませんし、わたしも思っていません。
(つづきます)
 (これは funaba_tufs さんのMsg 586 に対する返信です )


621 件目  ふたたび「わたしとバシャール」について 2   ELRANTY    1999年10月2日 11時15分

またニューエイジにおけるチャネリングというのは普通、
確定した一個の団体や、チャネラーを持ってい 驍档bではありません。
チャネリングをとりあつかっている団体はいくつもありますが(VOICE社など)
たとえばバシャールを師とする団体はありません。会員などもおりません。
VOICE社などがそのチャネリングによって与えられる情報を、
一般人に提供する仲介をしている、というだけのものです。
また面白いのは、大川さんと違って、チャネラーにはスポットがあてられないことです。
そのためバシャールの名前を知っていても、チャネラーの名前は知らない、というのは、
バシャール好きの人の中にも充分ありえます。私もその一人で、
たとえばバシャールは通常外国人のチャネラー(名前を忘れました)に降りてきますが、
日本の「あやこ」という女性にも降りてきます。
わたしがこの「あやこ」という名前しか覚えていないのは、
外国人さんのときのバシャールと区別するために、
「あやこバシャール」というような呼び方をされていたからです。
(つづきます)
 (これは ELRANTY さんのMsg 620 に対する返信です )


622 件目  ふたたび「わたしとバシャール」について 3   ELRANTY    1999年10月2日 11時16分

長々と書くほどのことでもありませんけれども、わかっていただけましたでしょうか。
誤解されたくないのですけれども、わたしがここでいっているのは、
funaba_tufsさんが盲信しているというようなことではありません。
たとえば、「わたしとサイババ」の関係は、「わたしとバシャール」よりかは、
「funaba_tufsさんと大川さん」にもしかしたら近いかもしれません。
教えの実践は、あまりしていませんけれども、
たとえば車に乗っていて、事故を起しそうになった瞬間には、
わたしは「神様!」と叫ぶ代わりに「サイババ!」と叫ぶ可能性があります。
サイババにそういう力があるのかどうかは、まったくわかりませんが、
エルカンターレファイトみたいな感じでしょうか?
そういうわけで、バシャールに限っていえば違いますよ、というくらいのことでした。

では、失礼いたします。
 (これは ELRANTY さんのMsg 621 に対する返信です )


623 件目  re:ニューエイジ思想について>Rikimaru7さん   ELRANTY    1999年10月2日 12時46分

Rikimaru7さん、こんにちは。
あれから少しずつ紹介していただいた仏教本を読ませていただいてます。
忙しさにかまけて、遅々として進まないのですけれども。

ニューエイジ思想について幸福の科学を含めて考えておられるようですけれど、
何をもってニューエイジ思想というかは、大変にむずかしいところです。
わたしがいつか聞いた話では、(先に述べた)バシャールもニューエイジ思想ではなく、
ニューエイジ思想というのは、もうすこし前の時代のものを言うのだ、
という解釈もあって、よくわかりません。
それですので、わたしはバシャールについても、
それをニューエイジ思想といっていいのかも、よくわからないのです。
そこでわたしは、
「バシャールなどに代表されるような
 宇宙意識(宇宙人の「肉体がないバージョン」?)が、
 チャネラー(一種の霊能力者)を通して伝える、
 人間に意識の解放を訴えるようなメッセージ」
のことを、ひっく 驍゜てニューエイジ思想と勝手に呼ばせてもらっています。
(つづきます)
 (これは Rikimaru7 さんのMsg 579 に対する返信です )


624 件目  re:ニューエイジ思想について>Rikimaru7さん 2   ELRANTY    1999年10月2日 12時50分

そしてこの定義で見ると、幸福の科学はこれには該当しません。
幸福の科学には、大川隆法さんというチャネラーを通したメッセージがありますが、
それは宇宙意識が降りてきたものではなく、
地球人の幽霊(わかりやすくいえば)が降りてきた、というものですし、
その内容は、人類の意識の「解放」というものとは、ちょっと違うと思います。
この「意識の解放」というのが、あまりにも抽象的ですので、
すこし具体的に問題を挙げて考えたほうがいいかもしれませんが、
非常に長くなってしまいそうなので、今回は申し訳ありませんが、
省略しようと思います。
いずれにしても、幸福の科学はニューエイジとは違う、ということです。

それにしても幸福の科学の何がわかりにく ゥったでしょうか。
ここでの会員さんの回答を見てそう思われたのでしょうか。
おそらくは本を読む場合には、バシャールよりも大川隆法さんのほうが、
予備知識のない人には格段にわかりやすいと思います。
比較的オリジナリティーがなく、常識的ですので。
バシャールはちょっと「とんじゃって」ます;
(つづきます)
 (これは ELRANTY さんのMsg 623 に対する返信です )


625 件目  re:ニューエイジ思想について>Rikimaru7さん 3   ELRANTY    1999年10月2日 12時53分

あと、ちなみに、宇宙意識とか幽霊とかが降りてくるのを、
本当に信じているのかというと、正直言ってわかりません。
こういうことには、インチキも多く含まれているでしょうし、
もしかしたらすべてがインチキなのかもしれません。
ただ、わたしにとってはあまり大きな問題ではありません。
メッセージが、自分にとって役に立つかどうか、という基準でみていて、
役に立つようだったら読むし、よくわかんないなーと思ったら読まな 「、
というくらいのものです。
また、釈迦の話に花が咲いておりますが、
釈迦があの世を説いたかどうかなどということも、
わたしにはどうでもいいことです。
興味があるのは語り主ではなくその内容です。
少なくとも本などを読んだところでは、
「あの世を説いていない(否定ではない)」としか読みようがないような気がしますし、
「説いていない」がゆえに、その教えはまた、
今日に至るまでのどんな宗教家とも違う種類の優れた教えである、と感じますので、
受け入れております。

なんだかいつも長くなってしまいますね。
失礼します。
 (これは ELRANTY さんのMsg 624 に対する返信です )


635 件目  RE:幸福の科学のわかりにくさ   ELRANTY    1999年10月2日 20時19分

>例えば、幸福の科学は仏教を名乗っているのに、イエスも登場したり
「みんな同じことを説いていた」と主張するいう点においては、
幸福の科学もニューエイジも共通しています。
大川隆法さんは、イエスや ゜迦が何を説いていたのかということを
「霊能力で知っている」と主張するわけです。
そして、現存している仏典や聖書はそれをよく伝えていないのだといい
(つまり釈迦の教えと仏教・イエスの教えとキリスト教は違う、といい)、
それが「みんな本当は同じことを説いていた」と主張できる一種の根拠
(厳密には根拠とは言えませんが)となっているわけです。
ですから、史実をもって彼らに向かっていったところで、意味がなく、
usokusaさんとSilver_Codeさんのような争いになるわけですね。
ニューエイジもほぼ同様ですが、彼らはそれほどそういう部分には触れません。
「教えはみんな違うかもしれないけど、たどり着く頂点は一緒だよ」という観点、
とてつもなくおおざっぱな共通項で、「みんな同じ」と言っている気がします。
 (これは Rikimaru7 さんのMsg 629 に対する返信です )


636 件目  RE:幸福の科学のわかりにくさ 2   ELRANTY    1999年10月2日 20時25分

>高橋信次を知っている人であれば、 キんなり入っていけるのかもしれませんが
わたしも幸福の科学に入るまで高橋信次さんは知りませんでしたが、
新宗教の研究では彼はとても重要な存在として捉えられているそうですね。
1991年頃の月刊ASAHIにも『新宗教の巨人・高橋信次の素顔』という、
特集みたいなのが組まれていたのを覚えていますが、
ファンであるわたしは、「すごい!」などと喜んでいたものです;
(特定の宗教団体の教祖を特集するとは、いま考えると変な感じがします)
しかし、一般的にはそれほど知られていないでしょうし、
生前の高橋信次さんを知る人は、その霊言を認めない人も多かったそうです。
結局はそれが本物かどうかなどという判断は、「信じる」人にはどうでもいいものでしょう。
幸福になるからといって、それが真理であるとは限りませんが、
かつてのわたしを含めて会員さんは、幸福になるから信じちゃおうという感じで、
受け入れているのだと思います。
それがいいのか悪いのか。難しいですね・・・。
 (これは Rikimaru7 さんのMsg 629 に対する返信です )


637 件目  RE:ニューエイジ思想について>Rikimaru7さん   ELRANTY    1999年10月2日 20時28分

>チャネリングというのは、現代版シャーマニズムであると認識してい
>たのですが、
そうですね。そんな感じかもしれません。
わたしも幸福の科学の大川隆法さんの霊言をチャネリングとして捉えています。
ただ、かつて90年ごろにチャネリングというのが流行語になったとき、
その火付け役は間違いなくバシャールだったのに、
幸福の科学が「当会が認められるようになった」と言ってたのには、口アングリでしたが。
さてわたしは、当のチャネリングで「何が降りてくるか、思想がどう違うか」という点で、
ニューエイジと幸福の科学を区別しているということになります。
「わたしの定義」に従っての違いをもうすこし詳しく以下に述べたいと思います。
 (これは Rikimaru7 さんのMsg 628 に対する返信です )


638 件目  RE:ニューエイジ思想について>Rikimaru7さん 2   ELRANTY    1999年10月2日 20時29分

>精霊の別名と考えれば、わかりやすいと考えていたのですが。
そうですね。神よりは精霊というほうがいいでしょうか。
といいますのは、ニューエイジの思想は、
「神は遍在しています。定義からしてあなたがたが神なのです」
という思想が根底にあり、バシャールはじめ宇宙意識は、
神のように崇拝されたり、師としてあがめられることを極度にいやがるからです。
その辺が幸福の科学と根本的に違うところです。
もちろん、幸福の科学において霊言のなかに登場してくる神霊は、
わたしをあがめよ、というようなことまではほとんどいいませんが、
神、というのを人間とは離れたところにおいていますし、
だから会員はみな、九次元霊(簡単に言えば「一番偉い」)などには、
神々として、完全な畏敬の念を持って接するわけです。
バシャールは畏敬の念を持たないでください、といいます。
(つづきます)
 (これは ELRANTY さんのMsg 637 に対する返信です )


639 件目  RE:ニューエイジ思想について>Rikimaru7さん 3   ELRANTY    1999年10月2日 20時42分

また、たとえば、funaba_tufsさんの、
>自分の仏性を顕現するためには通常、師が必要です
というような言葉は、幸福の科学の考え方を端的に表現されていると思いますが、
ニューエイジではこのような考え方をしません。
「あなたに師は必要ありません。あなたの師はあなた以外にいませんよ」というのが
その考え方だと思います。ニューエイジは、
「イエスや釈迦は先生として来たのではありません。ただの友達として来たのです。
 だからそろそろ彼らを崇拝・信奉するのは、やめましょう。
 そんなことをしていたら、いつまでたっても彼らには追いつけません」といいます。
彼らが果たして友達として来たのかは釈迦の仏陀宣言などを考えると疑問ですが、
これは先述べた「人間(というより存在するもののすべて)は「神」である」という思想
と、彼ら導師がそれを理解していたという思想によります。
汎神論にちょっと近い部分もあるかもしれませんね。
自分を神としてフォーカスするか、師 神としてフォーカスするかという点が、
ニューエイジと、幸福の科学の違いなのではないか、とわたしは思っています。
 (これは ELRANTY さんのMsg 638 に対する返信です )


640 件目  RE:ニューエイジ思想について>Rikimaru7さん 4   ELRANTY    1999年10月2日 20時43分

さて、意識の解放というのはちょっと難しい云いかたでしたね。
まず意識とは何かという説明が必要でした。
二重の円のようなものを想像していただければいいのではないか、と思います。
外側の円が「自我・表面意識」で、それにかこまれてうずもれているのが、
「真我・潜在意識」である、というふうに言えば、
ものすごくありがちな説明なのでわかっていただけるのではないでしょうか。
その自我によって鎖につながれている真我を表に出しましょうというのが、
「悟り」(必ずしも仏教でいう悟り、ということではなく)みたいなことです。
梵我一如思想みたいなものでしょうか?。よくわかりませんが。
幸福の科学もそれを説いてはいるので、この時点では「違う」とは言えません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 639 に対する返信です )


641 件目  RE:ニューエイジ思想について>Rikimaru7さん 5   ELRANTY    1999年10月2日 20時48分

その先が少し違います。
まず先に述べたように、自分を神とするか、師を神とするか
というような違いがあります。
>自分の仏性を顕現するためには通常、師が必要です
という考え方は、「それだけですでに自分に限定を課しているのですよ」、
というふうにニューエイジでは考えます。
真我とは神そのものなのだから、自分を掘り下げていけばいいのです、
というようなことですね。誰かを参考にするのはともかく、
崇拝してしまっては、そこでストップです、という感じの思想です。
これに関係して、悟ることを簡単だと捉えるか、難しいと捉えるか、
というような違いもまた見られます。
Silver_Codeさんは会員さんではないようですけれども、近いかたなので引用すると、
>だいたいにして、釈迦と同じ悟りに至ることは出来ないんだよ。
とあります。
つまり、幸福の科学やそれに類する宗教では「難しい」と捉えられています。
 (これは ELRANTY さんのMsg 640 に対する返信です )


642 件目  RE:ニューエイジ思想について>Rikimaru7さん 6   ELRANTY    1999年10月2日 20時58分

現実をみれば、それを「難しい」と捉えるのは、地に足がついた考え方で素晴らしいと思います。
ところがニューエイジはそれを「簡単だ」と説きます(少なくとも「難しい」とは、あまりいいたがりません)。
彼らは現実を見ていないのでしょうか。そういうことではありません。
彼らは「誰にでも共通するたったひとつの現実」というものをまったく認めていないのです。
パラレルワールドという考え方がここに出てきます。
「「現実」というのはあなたが創るのですよ。だってあなたは神なのですから」。
簡単に悟りたかったらそれができると信じればいい。あなたは次の瞬間にそういう現実にいます、というものです。
『怠け者の悟り方』という本がありますが、
前書きに「悟るのには一切修行なんて必要ありません」というようなことが
たしか書かれていましたが、上のような考え方によるものでしょう。

「トンデ」ますよね。わたしにも必ずしもすぐに受け入れられる考えかたではありません。
要するに、両者は多少「違う」ということですね。
 (これは ELRANTY さんのMsg 641 に対する返信です )


643 件目  RE:ニューエイジ思想について>Rikimaru7さん 7   ELRANTY    1999年10月2日 21時0分

両者が少し違う、ということくらいは、わかっていただけたでしょうか。
もしかしたら、共通項のほうが目に付き、「同じじゃないか」と思われたかもしれません。

書籍からの引用などはまったくしませんでしたし、全部が自分流の解釈で、
また、自分が当然として前提におく考えを、Rikimaru7さんが当然と捉えるわけではなく、とても難しいです。
長々と読ませてしまい、わかりにくかったら申し訳ありません。

ちなみに、幸福の科学は一 ツの統一された教えですが、
ニューエイジはいろんな種類があり、あくまでわたしの読んだバシャールとか、
エクトンといった本などの記憶を参考にして書いたので、
間違っている点もあるかもしれませんが、ご了承ください。

長々と失礼しました。
 (これは ELRANTY さんのMsg 642 に対する返信です )


647 件目  高橋信次さんについて 1   ELRANTY    1999年10月3日 3時24分

こんばんは。お返事をありがとうございます。

>当時幸福の科学はミラクル計画の中で真理の書が物凄く売れ(後略)
大川隆法さんの霊言があったからこそ、
一般人が高橋信次さんにスポットを当てるようになったというのは、
妥当な解釈だと思われますが、
先にも述べたように新宗教研究においては、
高橋信次さんという人はすでに大きな存在として捉えられており、
わたしはその類の書を3冊ほど読みましたが、
大きなページを割いていて、位置付けとしても大きなものでした。
本がものすごく売れたのは、自然な サ象ではないということは、
double_rlさんも述べていらっしゃいますが、
詳しい説明はやめておきます。

高橋信次さんについてわざわざ否定的な見解を書いていただきましたが、
以前に書きましたように、わたくしは高橋信次さんが、
いまの幸福の科学でどのように扱われているかは知っておりますし、
このことについて議論をしようというのでなければ、無視をしてください、
とそのとき申しあげたと思います。
 (これは kyully さんのMsg 1 に対する返信です )


648 件目  高橋信次さんについて 2   ELRANTY    1999年10月3日 3時26分

わたくしがその幸福の科学の見解を知っておりながら、
その考えを改めないというのは、大川さんの主張をまったく認めていないからだ、
ということは、普通に考えればおわかりになると思うのですけれども、
そのうえでこのようなことを書かれるというのは、
わたしが、自分の高橋信次さんに対する評価を改めるのを望んでいらっしゃる、
ということなのでしょうか?

わたしは基本的にはこのことについては、
funaba_tufsさんの主張によって考えを改めるつもりはありません。
funaba_tufsさんの主張の根拠が希薄極まりないと感じるからです。
根拠のないものを信じることを悪いとは絶対に言いません。
それが信仰というものだからです。
けれども、ただ信じているという事実のみにしか頼るものがない人が、
高橋信次さんの生前の著作を10冊近く読み、
講演界のテープをいくつも聞き、
宗教学者による研究を読んできたわたくしに、
いったいどのような意義のある主張することができる、
というふうに思われているのでしょうか。
 (これは ELRANTY さんのMsg 647 に対する返信です )


649 件目  高橋信次さんについて 3   ELRANTY    1999年10月3日 3時27分

本を読まれたことがありますか?
テープをお聞きになったことがありますか?
宗教学者達による研究を読んだことがありますか?
そういったことをしたうえで、
大川隆法さんの高橋信次に対する評価が的を得ていると判断し、
先のような主張をなされているのならば、
そして私の考えを直したいと思うのならば、
議論を交わすことは吝かではありません。
わたしもまた自分の彼に対する評価を改める気持ちがあります。
けれど、そういったことをせずに大川さんの意見を鵜呑みにしているだけならば、
話をする意味がないのではないでしょうか。
事実を検討しない信仰者の意見を覆すことは困難極まりなく、
またそのようなことをしたいとも思わないからです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 648 に対する返信です )


650 件目  高橋信次さんについて 4   ELRANTY    1999年10月3日 3時31分

おそらくは幸福の科学の会員さんだって、
たとえば池田大作氏の意見を鵜呑みにして、
幸福の科学の書籍をほとんど読んでいない
学会信者による大川隆法批判など、
耳を傾ける気はしないのではないでしょうか。


長くなりましたが、高橋信次さんに関しての議論へのわたしの見解です。
批判はどんな ノ気をつけても、攻撃性をその中に含む恐れがあると思います。
不愉快になられたならば大変申し訳なく思いますが、
わたしの反論として知っていただければ、
今後このような議論の成り立たない事柄に関してではなく、
お互いの知識や心境を高め合うような意見交換ができるのではないか、
と思いますので、どうぞご理解ください。

その他のお返事はまたいずれ日を改めて。
おやすみなさい。
 (これは ELRANTY さんのMsg 649 に対する返信です )


652 件目  自分で正しさを求める、ということ   ELRANTY    1999年10月3日 12時13分

double_rlさんというかたについてですが、
彼が自分で正しさを求めようとしていないとは見えません。
「正しさとは何か」を自分で考えようとする態度があるからこそ、
大川さんの話をそのままには受け入れずに、
ときに批判的な立場にも立つことができるのだと思います。
「自分で正しさを求めようとする」というのは、よくfunaba_tufsさんが言われている、
「素直に @を信じる」ということとは対極のことです。
信仰者の立場とは後者であり、それはおよそ、
「自分で正しさを求めよう」という立場とは相容れません。
「自分で正しさを求めよう」とすることがすばらしいのだ、と主張するのでしたら、
大川さんの教えを受け入れる人のことも、受け入れない人のことも、
「すばらしい」と肯定することができなくてはいけません。
「素直に法を信じよう」とすることがすばらしいのだ、と主張するのでしたら、
大川さんの教えを受け入れない人を批判できる変わりに、
「自分で正しさを求めようとしていない」という自分への批判は、
きちんと享受しなくてはいけません。
どちらの立場をお取りになられますか?
 (これは funaba_tufs さんのMsg 646 に対する返信です )


653 件目  申し訳ありません>funaba_tufsさん   ELRANTY    1999年10月3日 12時51分

こんにちは。funaba_tufsさん。
msg652は撤回します。
もう一度funaba_tufsさんの文章を読みなおしたところ、
「彼 ェ自分で正しさを求めていない」とは言っていなく、
「自分で正しさを求めてはいるが、
 それを他人にも強要するかのように、
 幸福の科学攻撃がメインになっている」
というような内容の主張だということがわかりました。
申し訳ありませんでした。
 (これは ELRANTY さんのMsg 652 に対する返信です )


654 件目  高橋信次さん お返事1   ELRANTY    1999年10月3日 15時22分

お返事をありがとうございます。
またご意見をくださいましたが、
議論をしたいのだ、ということでしょうか?
それでは一応、わたしの意見を述べさせていただきます。

わたしは高橋信次さんに重きを置かない考え方自体は批判しません。
彼は理系であったせいなのか、文章が上手とはお世辞にも言えません。
比べて大川さんは法学部出身のかたであり、
論理的に文章を書いていくということに慣れていたのか、
その文章はとても読みやすいものであり、
少なくとも大川さんの本を読んだすぐあとには、
高橋信次 ウんの書籍は読む気がイマイチしないものでした。

そして彼が九次元霊であったかどうかは、
すでに信仰を持たない私には、どちらでもよいことです。
そもそもそういう世界があるのかどうかすら、いまではわかりません。
それに、わたしは彼が実は七次元霊だったと言われただけだったら、
幸福の科学の見解に必ずしも反対するものではなかったでしょう。
(つづきます)
 (これは funaba_tufs さんのMsg 651 に対する返信です )


655 件目  高橋信次さん お返事2   ELRANTY    1999年10月3日 15時25分

納得がいかなかったのは、神理の歴史上における彼の分類です。
仙人であるというような分類を的確であるとはまったく思えませんでした。
表題に『悪霊』とあるからといって、
それが心の教えでないなどということはありません。
あれは、
「悪霊に憑かれたら、御祓いなどしてもらうのではなく、
 ただひたすら自らの心の調律をすることによって、
 それを取り去りなさい。それが波長同通の法 ・です」
ということをその本旨とする書籍です。

彼は確かに現象をかなりたくさんやりましたが、
決して心の調律と離れたような現象を求めませんでした。
彼は霊道を開いた幹部達に、常に1対1で対峙をして、
心の乱れを霊能力によって指摘し、
間違ったほうに行かないように指導していたそうです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 654 に対する返信です )


656 件目  高橋信次さん お返事3   ELRANTY    1999年10月3日 15時27分

そういった姿に加えて、
会員が50万人を超えたあとでも末端の信者と自宅で一緒に食事をするなど、
「決して奢り高ぶることのない人だった」という周囲の評価も、
「わたしを崇拝してはならない」という言葉も、
彼が、幸福の科学で言う「仙人」の定義にあてはまるような、
“現象を誇示して自らを偉しとする霊存在”の類ではないことを、
明白に示していると私には思えました。

八正道についても、書きかえられた幸福の科学の教えよりは、
釈迦の教えに近 「であろうとわたしは考えています。

高橋信次さんの教えでもっとも大事なのは、
「自分で自分の心を見つめる」
 ~~~~~~~
というものです。ゆえにこういう見方は間違っている、とか
こういう見方は正しいなどというふうには答えを出しません。
書籍における八正道が簡略なのはそのためでしょう。
(つづきます)
 (これは ELRANTY さんのMsg 655 に対する返信です )


657 件目  高橋信次さん お返事4   ELRANTY    1999年10月3日 15時28分

一方で幸福の科学の「方便の時代は終わった」以降の書籍では、
たとえば正見について、
「まず幸福の科学的価値観を受け入れること。
 この教えを信じなければ正しく物事は見れないのだ」
というようなことが書かれていて、
答えは自分の心の中ではなく、教えにあるといいます。
幸福の科学の見解がイコール正見になるわけですから、
自分の心をみつめるということとはまったく無縁になります。
たとえば信次さんについての見方ですが、
信 氓ウんは仙人ではないのではないか、という疑いを持った時点で、
それは「正見」ではなくなります。
自分がいかなる疑問を挟もうとも、「疑問を挟んだ」という時点で、
「邪見」になるわけですから、それで「あ、いけないな」
と考えを改め、訂正すれば「正見」ができたことになってしまいます。
 (これは ELRANTY さんのMsg 656 に対する返信です )


658 件目  高橋信次さん お返事5   ELRANTY    1999年10月3日 15時31分

どちらがより自分の心を掘り下げ、認識を深めることができるでしょうか。
どちらが悟りに近くなるでしょうか。

そして付け加えなくてはいけないのは、
「方便の時代は終わった」とされる前は、
幸福の科学は八正道について、高橋信次さん同様に、
自分の心で真偽をはかるものとして捉えていました。

以上のような点をもって、わたしは高橋信次さんに対する評価を、
妥当なものとしては受け入れることができません。

これでひとまずは終わらせていただきます。
ク礼いたします。
 (これは ELRANTY さんのMsg 657 に対する返信です )


664 件目  恐縮です。   ELRANTY    1999年10月4日 18時7分

Rikimaru7さん、お返事をありがとうございます。
わかっていただき光栄です。
funaba_tufsさんから反論が来ていますので、
おそらくニューエイジと幸福の科学は違うのでしょう。
ただ、ニューエイジの本というのはとにかくたくさんあるので、
あくまでわたしの読んできた書籍の中での「ニューエイジ」であり、
今後どこかで「ニューエイジが好き」という人にであっても、
わたしの意見は絶対的な前提にしないでいただくとありがたいです。
以前にも述べましたけれども、
もう私の中では何が情報のソースだかわからなくなっちゃっているので・・・。

ではまた・・・。
 (これは Rikimaru7 さんのMsg 663 に対する返信です )


665 件目  funaba_tufsさん、前書き・・・?   ELRANTY    1999年10月4日 18時8分

funaba_tufsさん、こんにちは。
お返事をありがとうございます。
いただいたお返事への回答をしたいと思います。
あらかじめ申し上げておきたいのですが、
今回のことはわたしの考えではそれほど底が浅い問題ではありません。
幸福の科学が高橋信次さんを仙人だと主張するようになったことは、
「方便の時代」などの動きや、会の変容などの問題と切り離して、
単独の問題として捉えることはわたしには絶対にできない問題なのです。
今回は格別に長くなってしまうでしょうけれども、
そういうわけですのでお許しください
以下がわたしの見解です。
 (これは funaba_tufs さんのMsg 659 に対する返信です )


666 件目  @高橋信次さんは仙人か   ELRANTY    1999年10月4日 18時9分

さて、お返事は全般的に話がすこし抽象化されて難しかったです。
もう少し具体的だとありがたいのですけれども。たとえば、
意見を変えられないというのは、わたしの『悪霊T・U』に対する評価が、
どのように間違っていると思われるからなのでしょうか?
彼がどんな人であったとわたしが捉えたかはすでに述べましたが、
その意見がどう間違っていると思って、
高橋信次さんが幸福の科学で言う「仙人」の定義にあてはまるような、
「現象を誇示して自らを偉しとする霊存在」の類ではないという
わたしの意見をfunaba_tufsさんは退けるのでしょうか?。
 (これは ELRANTY さんのMsg 665 に対する返信です )


667 件目  A高橋信次さんは仙人か   ELRANTY    1999年10月4日 18時10分

またご意見は、いつのまにかGLAに集まった人の問題にかわっていますが、
ここで問題にしているのはGLAという教団に集った信者の質ではなく、
高橋信次さん自身が仙人の類であったかどうかです。

>GLAは真理学習を厭う団体であり霊現象主体の団体だったと聞いたことがあります
わたしは会員ではないので、大川さんの言葉が説得力ある主張ならば受け入れますが、
そうでなかったら、そのままには受け入れません。この文章はそれに当たります。

高橋信次さんが霊現象を相当数見せたことは確かですが、
彼は霊現象を心の問題と切り離して考えようとは絶対にしませんでした。
このことは、疑いようのないくらいに明白なことだとわたしは思います。

1976年の逝去直前の研修で、病んだ体に点滴を打ちながら教えの講義をして
この世を去っていった高橋信次さんのことを「仙人だ」というのは、
わたしにはあまりにも無理がありすぎる気がします。
 (これは ELRANTY さんのMsg 666 に対する返信です )


668 件目  B高橋信次さんは仙人か   ELRANTY    1999年10月4日 18時13分

>そういうのって幸福の科学の言う裏系の団体じゃないのでしょうか?
もし、先のご意見がいろんな人が共通して言っていることなら、
この推論は正しいと思いますが、あれは大川さん自身の主張です。
宗教学者の書籍を数冊読んだところ、そういう団体だという主張は聞きません。
心の調律という教えが重要のようだと、霊現象に触れない人もいるくらいです。
また裏系の人が集まったかどうかと師が裏系かどうかは因果関係にありません。

>だから教祖亡き以降教祖に霊道を開かれた弟子たちが人格異常になってばらばらになってしまたんじゃないですか?
信者のレベルが師のレベルを決定するというなら、
青年部の集まりで、日本刀を振り回し、
「反省なんていらねえんだ!」と叫んで、
「仏陀様のために命を捧げよう!」と雄たけびをあげる青年部部長に、
「ウオオーッ」と涙を流して叫んで追随する人達の集団を許す幸福の科学は、
大川隆法さんが地獄の指導を受けていると言えるでしょうか。
それを「真理学習」を厭う団体だと言えるでしょうか。
(まだまだ続きます・・・(^^;;)
 (これは ELRANTY さんのMsg 667 に対する返信です )


669 件目  D高橋信次さんは仙人か   ELRANTY    1999年10月4日 18時17分

もしfunaba_tufsさんがそれを「言える」というのならば、
師や団体をも批判できる一貫したご意見として尊重いたします。
けれども、幸福の科学については「弟子の責任」、
GLAについては「師の責任」というのではわたしには理解できません。

団体を構成する人にはいろんな人がいるのであり、
一部に“人格異常”者にあたる人達がいたり、
日本刀を降りまわし「反省はいらない」という集団がいても、
それだけで団体全体を、まして師の霊的立場を判断することなど決してできないと思います。
ここで「一部ではない、GLAは99%が人格異常をきたしたのだ」
という『太陽の法』のコピーは必要ありません。
わたしはいかにも誇張した「99%の人格異常者」という表現を信じられません。
確かに信次さん死後心境が下がられたかたがいるのはそのとおりだと思いますが、
99%という言い方は、子供が大きなお金を表すときに、
「100千万円」などというのに似て、ただ大きな数字を表したいだけにしか思えません。
これが2割くらいという表現であればまだ説得力もあったかもしれませんが。
 (これは ELRANTY さんのMsg 668 に対する返信です )


670 件目  E正邪判断の基準はどこにあるか   ELRANTY    1999年10月4日 18時19分

(すみません。Cが抜けました)

>それとも見つめるだけで十分ですか?心境は上がりますか?
これはただ言葉にひっかかっているだけではないかという気がいたします。
見つめるというのは反省の終了まですべてを含めて申し上げました。
お気に召さないようでしたら、別の言葉を使います。
反省というものを説き始めたのは高橋信次さんです。

わたしの説明が悪かったのは大変申し訳ありませんが、
高橋信次さんは反省について日常的な事柄の何から何まで、
一切の判断規準を与えなかったのではありません。
書籍を読めばわかるように、たとえば正語について、
「人を傷つける言葉はなかったか・・・・」と参考に示しています。
けれども、彼の教えというのは、
「このような書籍に依らなくても、人間は誰もが仏性というものを
 その心の奥底に秘めているのだから、心を静めて精神統一などをして、
 反省をすれば、自分の言動が正しいか間違っているかがわかるはずだ」
「神仏のお考えを知りたかったら、心を静めて己の真我に聞きなさい」
といえるところにその真髄があるのです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 669 に対する返信です )


671 件目  F正邪判断の基準はどこにあるか   ELRANTY    1999年10月4日 18時22分

その判断が決して自我によらないようにするために、
自分の心をひたすら見つめ掘り下げよ、と信次さんは言ったのです。
もちろん、信者さんは書籍を参考にもしたはずです。
幸福の科学とて同様です。人生で出会う問題のあらゆるケースを紹介して、
「このときはこうせよ」と提示できるわけもなく、実際提示していません。
それはかつてRikimaru7さんとNishida77さんが「応用」ということで、
お話をされています。読んでみてまったくその通りだと思います。
従って、この点で幸福の科学と高橋信次さんの違いはまったく見られません。
むしろ詳しく基準を教えられないほうが、真我を発掘する力を鍛えられ、
心境が上がりやすいはずです。

物事を判断する 蜻フは自分以外に絶対にありえません。
そして、幸福の科学の教えを正しい参考書として受け入れるのも、
funaba_tufsさん自身のモノサシによるものだということは、
すでにどなたかがこのトピックでご指摘されています。
悪いということではありません。
物事を判断するのは、それ以外に方法がない、ということです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 670 に対する返信です )


672 件目  G正邪判断の基準はどこにあるか   ELRANTY    1999年10月4日 18時24分

>その後にその心の過ちを修正し神仏の方向に向けるためには
>神仏のお考えを知る以外に無いじゃないですか。
その通りです。そしてどれがその「神仏のお考えを説く教え」かを知るためには、
神仏の心というものをまず最初に自分の心の中に求めなくてはいけません。
そしてその心と合致するものを、参考書・教えとして選ぶのです。
そうやって幸福の科学を選ばれたのですよね?。わたしもそうでした。
けれども、参考書として選んだって、それが変わ チていくものであれば、
その都度自分の真我に問わねばなりません。それが本物かどうかということを。
だから、高橋信次さんは万が一自分がおかしくなった場合を想定して、
そのときに信者までも道づれにしてしまわないように、
「わたしの言葉であってもおかしいと思ったら疑いなさい。
 真我に聞けば、神理かどうかがわかるはずですから」
と言ったのです。幸福の科学だってそうでした。基準は個人の真我だったのです。
ところが幸福の科学は、「方便の時代は終わった」以降、
本物かどうかという「教え自体に対する真我による判断」を一切禁止してしまったのです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 671 に対する返信です )


673 件目  H正邪判断の基準はどこにあるか   ELRANTY    1999年10月4日 18時25分

なぜなのでしょうか。「自信の現れ」ということをfunaba_tufsさんは仰っていましたが、
真に自信がある人は「わたしは正しい」などとは絶対に言いません。
幸福の科学の初期の霊言で日蓮を名乗る霊が述べているように、
「信じられるものだったら信じなさい、という態度で団体を運営していきなさい」
というのが、真に自信のある人の言葉です。
また『太陽の法』を旧版と新版で比べてみてもそれがわかります。

旧版:p88土屋書店刊
「わたしがみなさんにお伝えしている高級神霊の声が、
 果たして本物かどうかを知る基準は、
 それによって、自らの心が感銘を受けるかどうか、
 自らの心が感動するかどうかです。
 最終的に正しさを決定するのは真我なる自分自身であり、
 自分自身の奥底にひそむ神性が納得し、共鳴するかどうかなのです」
 (これは ELRANTY さんのMsg 672 に対する返信です )


674 件目  I正邪判断の基準はどこにあるか   ELRANTY    1999年10月4日 18時27分

これは要するに、
「人間は神の子であり、誰もが己の心に神仏に通じる部分を持っているのだから、
 それを大事にして日々の生活をし、参考となる教えを選び取りなさい」
ということです。高橋信次さんとまったく同じことを言っています。
こんなすばらしいことを言っているところを、
書きかえるのがどういう意図によるものと思われますでしょうか?

新版:p118幸福の科学出版刊
「私がみなさんにお伝えしている仏法真理は本物です。
 悪魔や悪霊に降りまわされている人でない限り、
 それを読めば心は揺さぶられ、反省の涙が込み上げてくるはずです。
 私の教える正しさを人生のヒントとして生きていくべきです」

これは「教えは本物なのだから(疑うことなく)信じなさい」ということです。
裏返すと「この仏法真理を読んで心が揺さぶられない人は、
悪霊か悪魔に降りまわされている人だ」ということです。恐ろしい言い方です。
これが誰に向けられた言葉だかわかるでしょうか?
 (これは ELRANTY さんのMsg 673 に対する返信です )


675 件目  J正邪判断の基準はどこにあるか   ELRANTY    1999年10月4日 18時30分

これは一般向けの書籍ですが、会員向けに放たれた言葉でしょう。
「方便以降の教えについて、疑いを持つな」ということです。判断を禁じています。
それも「疑う人は悪魔や悪霊に降りまわされている」という脅しを伴ってです。

月刊誌におけるきょう子さんの立場も同様です。
「自分で考えるのはいいですが、仏と反対の方向に走り出したら、
 地獄への道が待っているということを肝に銘じなくてはなりません」
などと恐ろしい口調で言って、教えを“素直に”受け取らなくてはいけません、
と自分の真我に問うことを暗に否定しています。

すべてが大川さんにとって完全なる計画どおりのものであり、
自信のある行為であったならば、こんなところを書きかえる必要はありません。
読んだ人が己の真我に問えば正しいとわかってくれると自信があるからです。
旧版はそのような自信に溢れた書籍でした。
そこをわざわざ書き換えたということは、教えが変わったのちに
会員が真我に問うて会を去って行ってしまうことを怖れたからです。
自信があるどころではありません。自信がまったくないのです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 674 に対する返信です )


676 件目  K神霊に謹慎を命じたのは誰か   ELRANTY    1999年10月4日 18時35分

なぜ辞めた人は「方便の時代は終わった」という主張を信じなかったのでしょうか。
わたしの想像では以下のようなものです。

高橋信次はアール・エル・ランティーという九次元霊だと教えられてきました。
彼は生前「悪霊の大家」といってもいいくらいの人で、
彼らをさとし天上界にかえすことを頻繁にやっていました。
モーゼも同様に天上界で悪霊の指導を仕事にしていて、
ミカエルは地獄界の浄化をする存在として教えられました。
3人に共通するものは何でしょうか。魔が最も忌み嫌う存在だということです。
天上界は上意下達の一方的な世界ではなく自由な世界だ、と何度も教わりました。
「彼らに謹慎を命じる」などということは、
精妙な九次元に住む神霊は決してしないということ、
霊人の自由な意志と活動を束縛する、あの世の原理を無視した言動は、
エル・カンターレ意識によるものではないということが、
それまで真に神理を学んだものには明確にわ ゥったからです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 675 に対する返信です )


677 件目  Lサイババは仙人か   ELRANTY    1999年10月4日 18時36分

>サイババもにてますよね?
サイババがそんな存在でないことは書籍を読めばすぐにわかります。
従ってfunaba_tufsさんは「知らない」のだと断定せざるを得ません。
なにもわたしは幸福の科学を辞めたあとに、他の師を求めてさまよい、
サイババにたどり着いたのではありません。
わたしはサイババについて、幸福の科学をやめたあとも、
その教えの通り「マニトーラ」の生まれ変わりであり、
それこそまさに仙人の類だと信じて疑わなかったのです。
そして書籍をたまたま読む機会があったので、うさんくさいんだろうな、
と思いつつ読んで、ひっくり返りそうになったのです。
彼が幸福の科学でいう仙人などという類の存在ではないことに驚いたばかりか、
このような聖賢が同時代にいることに信じられない気になりました。
その奇跡の質は単に空中から何かだすという仙人のレベルではありません。
病気の治癒など聖書で書かれているイエス・キリストを凌駕するほどの奇跡です。
 (これは ELRANTY さんのMsg 676 に対する返信です )


678 件目  Mサイババは仙人か   ELRANTY    1999年10月4日 18時37分

さらに、その奇跡現象について、
「奇跡を決して重要視してはならない。
 こんなものはただのわたしのあいさつがわりだ。
 そうではなくわたしの教えに耳を傾けなさい」
という、霊能力を誇示するような仙人とはまるで正反対の見解をもち、
すべての宗教をよきものとして捉える寛容なる態度と、
愛・正義・平安・調和・真理の教えを中枢に置き、
講話で常にそのことを説く姿勢を貫き、会費を取ることも、
さらに募金すらも禁じている金銭面における健全な団体を有するサイババ。
いったい彼のどこに「仙人」性を見ることができるでしょうか。
普通の中立的な判断力を持っている人であれば、
それは絶対に不可能なことだとわたしには思われます。
 (これは ELRANTY さんのMsg 677 に対する返信です )


679 件目  Nサイババは仙人か   ELRANTY    1999年10月4日 18時38分

もちろんサイババの奇跡が本物かどうかは、わたしは知りません。
興味は尽きませんが、究極的には「どうでもいいこと」だと思います。
funaba_tufsさんが考えている(想像している)のと正反対に、
人間の心の修養と利他行をサイババは説いているのだということです。
サイババの奇跡を手品だとするマジシャンですら、
「彼は自分の愛の教えにみなが耳を傾けるきっかけとして、
 手品をもって奇跡だと称しているんだし、
 数々の慈善事業をしているんだからいいんじゃないか、と思いますよ」
というのです。まして奇跡が本物ならばなおさらです。
サイババを批判する雑誌が幸福の科学から出ていました。
サイババを日本で有名にした青山圭秀さんの書籍からサイババの言葉を、
幸福の科学の見解に都合のいいようにカットして引用していたのを読めば、
記者が、会員の目をサイババに向けないよう ノする意図を持っているのは、
書籍を読んだ人からすれば、否定のしようもないことです。
funaba_tufsさんがそれをそのまま信じているのだとしてもしかたがありません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 678 に対する返信です )


680 件目  Nサイババは仙人か   ELRANTY    1999年10月4日 18時39分

高橋信次さんへの評価にしても、サイババへの評価にしても、
あまりに主張の根拠が希薄すぎるのはいったいなぜなのでしょうか?。
なぜ彼らを認めてあげることができないのか。
彼らを真理を互いに広めている友としてみることができないのはなぜか。
それは、彼らの主張が幸福の科学にとって都合が悪いからでしょう。
過去の霊言集が絶版になったのも同様です。
やってることがなにからなにまで彼らの主張や過去の霊言集と反します。
読まれてしまっては困る、と思うからこそ、
過去の教えは方便だと言ったり、書籍を絶版にしたり、
高橋信次やサイババは仙人だという無理のありすぎる主張をして、
会員が目を向けないようにしているのです。
初期の教えに反する、会の一連の活動を教えとして正当化できるように、
「方便の時代は終わった」ということが言われるようになったのです。
それ以外にかつて神理をきちんと学んだ人が納得できるような説明はありえません
 (これは ELRANTY さんのMsg 679 に対する返信です )


681 件目  P「方便の時代は終わった」という主張の真意   ELRANTY    1999年10月4日 18時41分

(すみません。今度はがNが二個になっちゃいました)

わたしはサイババや高橋信次さんを重視してほしいとは思いません。
同じようなことを説いているのだから、
幸福の科学一つで、funaba_tufsさんには事足りると思います。
わたしとて大川さん・信次さん・サイババの三人のうちの、
大川さんの本が一番教えの幅が広く、平易で読みやすいと思います。
(いまはニューエイジが一番好きですが)
言いたいのは、上の三人に大きな違いを見ることはできないということです。
心の調律と利他行という教え 説auているという点に関して「同じ」なのです。
その共通点に目をふさぎ、重箱の隅をつつくような、
たとえば「信次は自分を釈迦だと勘違いしてけしからん。仙人だ」とか、
「イエスの前身がクリシュナなのに、サイババは自分がクリシュナだと言ってる」
という、まるで無意味な主張を持って彼らをけなすのは、なぜでしょうか。
それが、上に書いた「都合が悪いから」ということです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 680 に対する返信です )


682 件目  Q幸福の科学の運動の意義   ELRANTY    1999年10月4日 18時42分

わたしは他宗を次々と邪教と断罪するその態度に、疑問を感じました。
実際幸福の科学の初期の理念は他宗攻撃を否定するものでした。
幸福の科学のかつての理念は諸宗教の統合だったのです。

ここで、幸福の科学が諸宗教の統合といっていたのは、
現在のように、世界中を幸福の科学一色にするということではなく、
すべて同じ神からでている多種多様なる教えだということをしめし、
宗教 ヤの争いをなくそう、というものでした。
そのようにして諸宗教を統合して行くためには、
相違点よりも共通点を重視しなくてはいけません。
いろんな宗教の教えを自らの教えの中に含み、
他宗を寛容に「同じような考えですね」と認めることができるからこそ、
諸宗教の統合、宗教間の争いの回避ということが可能になってきます。
だから幸福の科学は単一の宗教であろうとしてはいけませんでした。
それゆえに「幸福の科学」という透明感溢れる団体名が生まれ、
(いまではそのイメージは歪んでしまいましたが)
そのスローガンは、「人生の大学院」とされたのです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 680 に対する返信です )


683 件目  R幸福の科学の運動の意義   ELRANTY    1999年10月4日 18時45分

それが幸福の科学を宗教法人化してしまい、
「現代の仏教教団」というある偏った場所に位置づけてしまったことで、
そしてまた他宗を積極的に排撃するようになることで、
自らもまた宗教間の対立の渦のなかに gをおくこととなってしまったのです。
多くの宗教学者が「幸福の科学はGLAの教えをベースにしている」
と指摘するくらい、両者の教えは類似していますが、
そのくらい類似している教団までも「邪教」であると断罪するようでは、
どうして諸宗教の争いをなくすことができるでしょうか。
自ら争いの火種を生んでいるようなものです。
宗教という信仰の分野で人を論破することなどできません。
幸福の科学一色に染めるなど土台無理なのです。
ミラクル計画・ビッグバン計画と途方もない計画をたてたことに、
「このままじゃ他の宗教と一緒になってしまう。
 『急がば回れ』だ。ノルマ制度をやめ自然に広がるのを待つべきだ」
とわたしも他の人も本部に論文を提出し、その方針を改めるように提言しましたが、
聞き入られることはなく、計画が失敗に終わったのです。
そして他宗排撃に走るようになったのです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 682 に対する返信です )


684 件目  S最後に・・・   ELRANTY    1999年10月4日 18時51分

失敗だとはお認めにならないでしょう。
けれども少なくとも他宗と比べて顕著な特徴を持たなくなったのは確かです。
強引な勧誘があるかどうか。お金を求められるかどうか。
他宗を攻撃するかどうか。人が宗教の正邪を判断するのは、
このような単純な点であり、そこが違わなくては教えなど見てもらえません。

funaba_tufsさんが教団にいつづけることを私は否定しません。
私の高橋信次観・サイババ観を受け入れてもらいたいとも思いません。
これからも心の修養をされれば結構だと思います。
それだけのものを団体はまだたくさん残していることでしょう。
ですが、彼らを誹謗するのは、心に毒を生むだけだと思います。
彼らが聖者だから跳ね返ってくるということではありません。
誹謗中傷は常に心に毒を生むからです。
他宗批判や霊人批判は大川さん自身が行なうのみで充分です。
弟子は常に他宗の人と分かり合えることを目指さなくてはいけません。

以上がわたしの見解です。
長々と読んでいただき感謝いたします。

これで今回は失礼いたします。
ありが ニうございました。
 (これは ELRANTY さんのMsg 683 に対する返信です )


709 件目  はじめに・・・・・   ELRANTY    1999年10月6日 17時57分

こんばんは。funaba_tufsさん。
お返事をありがとうございます。
納得の行くまで話し合おうとの言葉大変ありがたいのですが、
今回の問題は究極的にはもはや今のわたしにはあまり関心のない問題です。
「関心がないなら書くな」といわれそうですが、辞めてからかなり時間が経った今では、
幸福の科学の教えがどう変わったかということは、もう関心外なのです。
サイババの「あらゆる宗教はただひとつの真理の多様なる表現なのであり、
その精髄において一致しているのだから、キリスト教とはよりよきキリスト教とに、
仏教徒はよりよき仏教徒になりなさい」という言葉の通り、わたしは現在では、
幸福の科学を頂点に至るひとつの可能性としてきちんと認めているのです。
(「幸福の科学は最高の教えを有している」という手放しの賛美とは異なりますが)
それが現在 フ心境なのですが、幸福の科学の教えの変容について述べるためには、
幸福の科学の神理(仏法真理ではなく)を、教えの正邪判断の基準にするという、
辞めたばかりの頃の過去の心境に戻らなくてはいけないために、大変苦痛なのです。
 (これは funaba_tufs さんのMsg 688 に対する返信です )


710 件目  はじめに・・・・・2   ELRANTY    1999年10月6日 17時59分

そして高橋信次さんが仙人だ、といわれるようになったことが、
会の変容と大きな関わりがあるということと、
会員の方々からどのようなご意見が来るかということをわかっていたので、
「議論をしたいのでなければ、無視をしてください」と申し上げてきました。
それでもご指摘をいただいたので、今回まで返事を用意してきましたが、
実際、今現在こだわりのない事柄に関する議論の応酬は疲れてしまいます。
そこで申し訳ないのですけれども、この問題に関するfunaba_tufsさんへの意見の掲載は、
今回でひとまず終了させていただきたく思うのですがどうでしょうか。
funaba_tufsさん側からの反論が最後になる形であれば、
幸福の科学側が正しいというイメージで終われるのでよいのではないかと考えるのですが。
とりあえず、以下がまたわたしの「神理」の観点からの批判です。
ちなみに現在の心境と違うといっても、この分析が間違っていると思っているわけではありません。
「神理の観点からの分析は今でも正しいと思っているが、関心外だ」ということです。
ご理解くださり読んでいただければ幸いです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 709 に対する返信です )


711 件目  青年部部長の破門について   ELRANTY    1999年10月6日 18時0分

>良くそんなこと知ってるね。懐かしい・・彼、破門されました、とりあえず理由は知りませんけどね。
あれはわたくしの実体験です。1991年3月のことです。
彼というのが同じ人を指しているのかわかりませんが、
わたしが指摘したのは、あのように叫んだ彼に「追随した人がた ュさんいた」ということです。
その人達が残らずみな「あの件が理由で91年3月に即」破門されたというのであれば、
このレスもイメージ回復の意味があるかもしれませんが、そのような破門はありませんでした。
そもそも、そのとき会の本部講師もその場で拍手などしておられたのですから、
会自体がそういう方向性をもっていたのだということをこれは指し示しています。
 (これは ELRANTY さんのMsg 710 に対する返信です )


712 件目  如実知見について   ELRANTY    1999年10月6日 18時1分

>貴方の読み方は「ありのままに正しく物事を見たか」(如実知見)に反してるように思えます。そういうい邪推を邪見をしてること自体に貴方になんらかに囚われ、引っ掛かりがあるように思えます。
この文章はそのままfunaba_tufsさんにお返しします。
ありのままに見るとは、なんでもかんでも肯定的に捉えるということではありません。
わたしは例の新版の文章がはじめから『旧版・太陽の法』にあったならば、
このような推測は オませんでした(いい言葉だとは決して思わなかったでしょうが)。
「書き換えた」というところには、よきものであれ悪しきものであれ「意図」が
必ずあるものです。そして旧版のままにしておいても何も問題がないところを、
わざわざ書き換えた、というところにわたしは先に述べたような意図を見たのです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 711 に対する返信です )


713 件目  本物だと自分で主張すること   ELRANTY    1999年10月6日 18時2分

>人間は皆仏性があり仏性を顕現しうるこの真理に自信があるからこそ「本物です」って言ってるんじゃない?
最初から常にずっと自信があるのならばここは旧版のままでいいはずです。
また、わたしのこの部分についての意見のポイントは、
「本物です」と言っているところではありません。以下に説明をします。

>疑いを持つな!じゃなくて素直に読めば「みずからの心が感銘を受けて」「反省の涙が流れる」んじゃないの?
自分で「本物です」というのが自信の現れだとしても、
そして自分で「本物です」というのが特に悪いことではなくても、
それはあのような書き方をせずに充分に顕わすことができます。
「この真理は本物です。心を静めてこの教えを読めば、感銘を受け涙が流れでるでしょう」
と書けば、旧版ほどの透明感はないものの、新版のようには濁っていません。
ところがそのようには書き換えられることはありませんでした。どうしてでしょうか。
それはこのような書き換えでは、旧版とたいして変わり映えがしないからです。
「旧版と違うことを書こう」と思って書き換えるのですから、これでは意味がありません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 712 に対する返信です )


714 件目  悪魔や悪霊という言葉を付け加えること   ELRANTY    1999年10月6日 18時7分

それでは旧版と違う内容にするには、どう書き換えたらよいでしょうか。そうです。
この文は「悪魔・悪霊」という言葉を伴うと、ガラッとイメージが代わるのです。
もちろん、このように書き換えても、一般人にとっては相変わ 轤ク同じ印象の文章です。
「悪魔・悪霊」というような存在を信じていない一般人には、
この文章中の「悪魔・悪霊」という言葉がまるで意味をもたないからです。
もし一般人向けだったら、ここは書き換えなくても同じということです。でも書きかえられました。
そして、この文章は既に教えを信じきっている現会員にも何も意味がないものです。
この文章は、「悪魔や悪霊」という地下の存在をすでに信じていながらも、
この変わってしまった教えに疑いを持ちつつある現会員に対してのみ威力を発揮するのです。
会員は「悪魔や悪霊に支配される」ということを恐れるからです。
これが「この文章は、会員向けに書きかえられたのだ」とわたしが推測した理由です。
 (これは ELRANTY さんのMsg 713 に対する返信です )


715 件目  人間・神の子の思想   ELRANTY    1999年10月6日 18時12分

旧版が先に述べたように書かれていたのは、仏性に対する深い信頼と愛からです。
人間はみな心に神とまったく同じ仏性という性質を持っているのだから、
これを大事にし、「自分の力で」諸々の教えが本物かどうかを見分けなさい、ということです。
なんのためにわたしたちは三次元現象界に生まれているのでしょうか。
玉石混交の多種多様なる宗教の中から本物の教えを選びとる力を自ら培い、
その教えを参考に生きていくためです。
その意図が明確に表されていた旧版を書きかえる意味がどこにあるでしょうか。
地獄に落ちないために「本物だ」と言ってあげているのだ、という論理は通用しません。
「本物です」などと自分で声をあげたところで、結局人は自分で判断するものです。
それがわかっているから「悪霊・悪魔」という言葉を付け加えて強制力を持たせたのでしょう。
このような言い方は高度な認識力・判断力を個々の魂が作り上げる場をくじくものです。
まして、それでは仏性を有する個々人の判断力をまるで信用していないことになります。
神の子思想などあってないようなものに自分でしてしまっているではありませんか。
 (これは ELRANTY さんのMsg 714 に対する返信です )


716 件目  素直とは何か   ELRANTY    1999年10月6日 18時16分

>仏陀の本体が法を説いていて仏性を持ってる人間は皆素直な気持ちで読めれば「分かる」って思いがあるからこう書けるんだよ。
素直な気持ちで読めばわかってくれるだろうという師の思いは、
すでに旧版のときに言葉にならない内なる自信として現れています。
わたしは、「素直な気持ちで読めばわかるという自信があるならば、
あの部分を書きかえる&K要がなかっただろう」ということを主張しているのです。
素直という言葉を好んで使われていらっしゃいますが、
それは「真我に素直になれ」という意味においてのみ意義ある言葉になります。
単に疑いを持たないことを「素直」だと誉めることはできません。
それは、権威ある師のいうことをただ受け入れようとする無批判な態度であり、
「自我に素直」なだけです。心の修養とはまるで正反対の方向を向いています。
きょう子さんの、「仏陀の教えを素直に受け取らねばなりません」
というのはまるで間違っています。
それが真にすばらしいものならば、ねばなりませ clどという必要はありません。
これは疑いの心を持つということ自体を否定しているのです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 715 に対する返信です )


717 件目  恐ろしい言い方   ELRANTY    1999年10月6日 18時17分

>別に恐ろしくないよ。大体現代人の7割が地獄に行ってるって言ってるのだから、
わたしが恐ろしいといっているのは、それが事実ではないということではありません。
事実だとも思っていませんが、事実だとしてもそのような言い方をするということが、
「恐ろしいのだ」ということです。
一連の文章をfunaba_tufsさんが「恐ろしい」と感じないのは当然のことだと思います。
なぜなら、funaba_tufsさんは既に教えを完全に信じている側におられるのであり、
悪魔や悪霊にふりまわされている側ではないと自分で確信されているからです。
自分に言い聞かせる必要のある文章ではありませんから、サラッと読めるのです。
それ以外の、悪魔や悪霊を信じ、なおかつ教えを信じられない会員にとって、
この セ葉が大きな不安をあおる「恐ろしい言い方」になっているのだということです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 716 に対する返信です )


718 件目  本物ですと主張する教祖   ELRANTY    1999年10月6日 18時20分

「教えは本物です。受け入れない人は地獄に落ちるでしょう」というようなことを主張する教祖さんは、
他にも日本中にたくさんおられることでしょう。
そのようなすべての教祖さんを、「自信があるのだ」とfunaba_tufsさんは受け入れられるのでしょうか。
そうであるならば、一貫した主張ですが、しかしあまりにも幼稚な推測です。
そんな推測はしないでしょう。普通は「地獄」という言葉を持って信者をつなぎとめるためだと推測するものです。
それをまた自ら邪推・邪見だと反省をし、すべての「本物です」主張者のことを、
「ああ、本当に自信があるんだな。おそらく本物の教えなのだろう」
と思うことができてはじめて、わたしの見解を邪見だと批判することができます。
そうでなければ、ただ幸福の科学のみを弁護しているに過ぎません。

主張のポイントは書き換えの意図です。
funaba_tufsさんが、先生がわざわざあの部分を「書き換えた」意図を、
どういうものだと思われているのかが今回のお返事ではわかりませんでした。
 (これは ELRANTY さんのMsg 717 に対する返信です )


719 件目  最後に   ELRANTY    1999年10月6日 18時20分

以上です。読んでいただきありがとうございました。
最初に述べましたが、今回で最後にしようと思っております。
それでも、とことんまで話し合われたいということであれば応じますが、
少し身の回りが忙しくなってきたので、続ける場合でも、
週一度くらいのペースのお返事になるかと思います。
どうかご理解ください。


なお、今回レスをいただけるならば、その際に本文中に、
続けるかもうやめるかの意思を示していただけますでしょうか。
よろしくお願いします。

失礼いたします。
 (これは ELRANTY さんのMsg 718 に対する返信です )


720 件目  追伸   ELRANTY    1999年10月6日 21時32分

ELRANTYです。こんばんは。
あらためて自分の文を読みなおしてみて、
現在の自分がいかにこの問題に関心がないかを気付かされました。
これらのかつての疑問(解消されたわけではないですが)に対する明確な答えが、
たとえいまfunaba_tufsさんによってわたしに与えられたとしても、
わたしは幸福の科学に戻るつもりはないわけですから、
(特定の団体に属する気がもはやありません)
funaba_tufsさんも、そのあたりのわたしの心境をご理解いただき、
適当なところで切り上げられますよう、お願いいたします。


以上です。
失礼します。
 (これは ELRANTY さんのMsg 719 に対する返信です )


728 件目  最後の投稿@   ELRANTY    1999年10月8日 20時41分

こんにちは。時間があったので来てみたところ反論が来ていましたが、
読み終わって、正 シ、もはや議論に疲れました。堂々巡りだからです。
funaba_tufsさんは師の意見をただ鵜呑みにしているだけです。
まったくご自分の考察のあとが感じられません。
GLAの話など、もう問題にならないくらいに稚拙な推論であり、
反論する気すら失なわせます。
わたしは何故Silver_Codeさんが、funaba_tufsさんを偽会員と呼んだのかわかりました。
回答にまるで説得力がないために、会のイメージがさがると思ったのでしょう。
それゆえに同じクリスチャンである会員Nishida77さんの意見を援用して、
funaba_tufsさんにここから去らせ、このトピックを消滅させようと、
Nishida77さんの投稿を読むように薦めたのではないでしょうか。
部外者のかたなのにわざわざありがたいではありませんか。
わたしのほうとしてもその意見に大賛成です。
もともとそちらの反論から始まった議論です。まったく依存はありません。
一方的で申し訳ございませんが、これで最後にします。
 (これは funaba_tufs さんのMsg 727 に対する返信です )


729 件目  最後の投稿A   ELRANTY    1999年10月8日 20時42分

>疑いなさいなんて言った信次氏こそ、偽善っぽくて嫌だね。
なぜGLAがばらばらになったか、根本的な原因をご存知のはずです。
それはご長女である佳子さんが一時期おかしくなったからです。
彼女はミカエル宣言をして、幹部や肉親に膝をつかせ帰依をさせたのです。
信次さんの「疑いなさい」というのは「真我に基づいて判断せよ」ということです。
そして、お弟子さんはそれぞれみな佳子さんのミカエル宣言を真我に基づいて
「おかしい」と判断し、法灯を守ろうとして、それぞれ教団を作っていったのです。
佳子さんのミカエル宣言を弟子が疑わずGLAが続いたら、どうなったと思いますか?
佳子さんへの生き神信仰をもととした問題のある団体になっていったに違いありません。
もし大川隆法さんの死後、幹部から後継者が出て自分への崇拝を説いたらどうしますか?
会を離れるでしょう?場合によっては元会員達で集まって教えを残そうとするはずです。
ばらばらになるではありませんか。GLAの高弟達の動きはそういうものだったの ナす。
 (これは ELRANTY さんのMsg 728 に対する返信です )


730 件目  最後の投稿B   ELRANTY    1999年10月8日 20時43分

それが失敗したのは、師である高橋信次さんから最重要としつこく教えられた、
「謙虚であれ」というたったひとつの戒めを高弟達が守ることができず、自らを偉しとしてしまったからです。
「真我で判断せよ」という信次さんの主張が混乱を生んだのではないのは明らかです。

>まあ、信仰がない宗教の末路はあのようなものなのかもしれないね。
信仰心と謙虚さ。両方とも信次さんは説きました。それも徹底して、です。
彼は個々人の心に仏性が宿ることは説きつつも、生き神にならないようにと、
増上慢の心を厳しく批判し、神への感謝・祈りの気持ちを忘れぬよう説きました。
『心の原点』が手元にあります。
神への信仰、自分への謙虚さ、利他の心、一日一生、心の調和・・・・。
ページを無作為にめくっても、裏のにおいなど微塵もありません。
ばらばらになったのは、彼が神への信仰を説かなかったからではなく、
佳子さんが信次さんの否定した生き神信仰を説くようになったからです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 729 に対する返信です )


731 件目  最後の投稿C   ELRANTY    1999年10月8日 20時50分

大川さんは、生き神信仰と神への信仰をまぜこぜにして信次批判をしています。
信次は生き神信仰を説かなかったといっては、彼が裏でないことの証明になります。
ところが、神への信仰を説かなかった、と言えば、信次さんを裏だと結論付けられて、
「神への信仰を肯定し、生き神への信仰を否定した」教えに目を向けないようにできます。
さらに、ばらばらになったのが、神(生き神)への信仰を説かなかったせいだと説けば、
幸福の科学の三宝帰依(生き神信仰)を、教団維持に必要だ、と正当化できるからです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 730 に対する返信です )


732 件目  最後の投稿D   ELRANTY    1999年10月8日 21時2分

投稿Cを稚拙な推論だといわれた場合のために申し上げておきます。
大川さんが事実に反する事柄を挙げてまで突然GLAや信次を否定するようになった理由をなんだと思うか。
方便だったなどという言葉で片付けられないくらいに、
信次さんはかつて幸福の科学で褒めちぎられていたのです。
信次さんやGLAに対する遠慮などという理由で、
裏の霊だという信次さんを多くの会員に尊敬させていたのですから大問題です。
法を守るために命を投げ出せといっているのは主宰自身ではありませんか。
根本神仏の個性化したものがエルカンターレであるなどというのに、
自分の「部下」である霊に遠慮して法を曲げたなどと笑止です。
金星での実験は失敗だったと旧版で書いていたのに、新版で成功だと言い直したり、
「臥竜の時代」で、自らの優秀さを点数を上げて誇示するなど、
もはや自分が失敗もする霊だということを認めたくないだけなのです。
法を曲げざるをえなかったなど誤魔化しに決まっています。
あちこちに論理の穴が生じています。なぜそれがわからないのでしょうか。
 (これは ELRANTY さんのMsg 731 に対する返信です )


733 件目  最後の投稿E   ELRANTY    1999年10月8日 21時3分

>俺が大事だと言ったのはね、「素直に法を実践すること」なんだよ
>そうすれば本物か否かが「自然と判る」ってこと
「素直に法を信じる」というのと「素直に法を実践する」というのは、
基本的に何も変わらないことだと思います。
変えられた八正道において正信というのがすべての八正道の前提に説かれています。
幸福の科学の教えというものをまず全面的に受け入れること、
これがなければ八正道はできないというような感じのことが書かれています。
従って、信じる→実践という流れになりますから、
funaba_tufsさんが「素直に法を実践することが大事だ」という意見は、
「素直に法を信じることが大事だ」という意見を既にその中に含んでいると思います。
明確な言葉でそれを主張していなくても、結局funaba_tufsさんの意見というのは、
「素直に法を信じることが大事だ」というものでしょう。
そもそも、問題として議論しているのは、実践するような事柄に関してではありません。
 (これは ELRANTY さんのMsg 732 に対する返信です )


734 件目  最後の投稿F   ELRANTY    1999年10月8日 21時4分

高橋信次・サイババが仙人かどうか、太陽の法が書きかえられたのはなぜか、
というまるで実践とは無縁の部分についてです。実践してわかる問題ではありません。

>別にあれは会員が疑うのを阻止してるんじゃないよ。
そう主張する根拠をわたしは聞いているのです。
なぜ「書きかえる」必要があったと思っておられるかがまるで示されていません。

>全部鵜呑みにして信じるのが探求なのか???それも違うね
>素直な心で学ぶのが「探求」の姿勢なんじゃないのか?
上の文と下の文とが違うことを言っているようには思えませんが、文章の構造上、
「素直な心で学ぶ」というのは、「全部鵜呑みにして信じる」ということとは違う、
ということをここではおっしゃっています。
ということは、「素直な心で学ぶ」というのは、「この教えが本物かどうか」について、
どちらの結論でも受け入れられるという完全な中立の立場で学ぶ、ということになります。
まったく正しいことをおっしゃられています。続けます。
 (これは ELRANTY さんのMsg 733 に対する返信です )


735 件目  最後の投稿G   ELRANTY    1999年10月8日 21時4分

>素直な気持ちで読めるから「貴方の真実の心」で大川隆法がエルカンタ-レか否かが判るんだろ?初めから疑ってたら、見えるものも見えないぜ
「初めから疑ってたら、見えるものも見えないぜ」。
この意見もまったくその通りです。逆もまたまったく正しいでしょう。
「初めから正しいと信じてたら、見えるものも見えないぜ」です。
誰かオウム真理教を盲信している人がいるとしましょう。
そうしたら、funaba_tufsさんは、後者の意見を言わなくてはいけません。
つまり最初から疑うことも最初から信じることもしない。
どちらの見解でも受け入れられる立場で教えを見て、判断すべきだということです。
これもまたあらゆる宗教に接するときの態度として、まったく正しいものです。

>全部信じてしまうこと、全部疑ってしまうこと
>どちらも中道ではないと思う。その両極端を去った中に真実の信仰が芽生えてくるんじゃないのかな?
そして、この文章が先の2つの意見の総まとめになっています。
最初から全部信じることからも、最初から全部疑うことからも離れて、
両極端を去った中道から判断せよ、ということです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 734 に対する返信です )


736 件目  最後の投稿H   ELRANTY    1999年10月8日 21時6分

funaba_tufsさんのご意見というのは、こうして途中まで正しいことを言っているのに、
その正しい意見というのが結論にまるで生かされていません。
最後には「素直な気持ちで読め」という結論がでてきてしまうからです。
もし中道を重んじることができるならば、funaba_tufsさんの反論というのは、
常にわたしの意見の内容に対する反論でなければいけません。
ところが、反論はいつもわたしの態度に対するものです。
わたしは中道を外れているでしょうか。そんなはずはありません。
わたしは会員だったのです。辞めた後も彼を釈迦の生まれ変わりの魂だと思っていました。
いまでも「そうだろう」とまでは思っていませんが、「違う」とも思っていません。
したがって、彼がおかしいと結論付ける必要性は私の中のどこにもありません。
そのようなどちらの結論でも受け入れられる立場から、
変わった教えを検討したところ、間違っている、という結論に至ったのです。
 (これは ELRANTY さんのMsg 735 に対する返信です )


737 件目  最後の投稿I   ELRANTY    1999年10月8日 21時16分

わたしの態度を批判するのではなく、その意見内容を批判していただきたかった。
書き換えたのはどういう意図だと思うか、という反対意見を述べていただきたかった。
説得力のある指摘さえあれば、いま現在の自分の意見などいつでも捨てられますから。


以上です。他トピックでお会いできたら、
そのときはまたよろしくお願いします。
ありがとうございました。
失礼いたします。
 (これは ELRANTY さんのMsg 736 に対する返信です )


741 件目  ご丁寧な説明を・・・   ELRANTY    1999年10月10日 10時4分

ELRANTYです。michael_the_3rdさん、はじめまして(これはルパンV世をもじったのですか?)。
聖書に精通していらっしゃるようですけれども、クリスチャンの方ですか?

今回、funaba_tufsさんとの対話をしてきたのですが、
わざわざ横からご指摘をありがとうございます。
すでにもうこの件に関しては議論をしない、と決めておりますので、
反論はいたしませんが、ご丁寧な説明に感銘を受けましたので、
お礼だけ述べさせていただきたく、書き込むことにしました。
ありがとうございました。
 (これは michael_the_3rd さんのMsg 739 に対する返信です )


戻る HOME 次へ