大川先生、偽キリストなの ?

戻る HOME 次へ

 ◆偽キリストの見分け方 ――幸福の科学、大川隆法氏の場合

麻原彰晃『キリスト宣言』PART1(オウム出版) 91.12.14.初版

付録 偽キリストの見分け方
  ――幸福の科学、大川隆法氏の場合

 「にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかいである。あなたがたは、その実によって彼らを見分けるであろう。」
(マタイによる福音書 第7章一五〜一六)

 この世紀の終わり、たくさんの偽キリスト、偽預言者が現われるであろう。これまでに見てきたように、『新約聖書』はそれを警告し、さらに偽預言者とキリストの再来とがどのように違うのかを詳しく語っている。
 そこで付録として、現在偽キリスト、偽預言者として最もわかりやすい例である幸福の科学、 蜷・イ法氏とその教えを真実のイエスの教えと対比しながら語ることにしよう。
 まず、何度もいうように、イエス・キリストの教えはこの欲望の世界を超え、神聖天界へ入ることを狙いとした教えである。つまり、現世否定の教えなのである。そして、キリストにとってこの現世を肯定し、人の心をこの現世に縛り付けるものこそ、悪魔サタンなのである。地上の主サタンは、この地上にできるだけ多くの魂を引きとどめ、支配しようとする。そして、そこから脱出させる魂、これが救世主なのである。例えば、次のような記述がよい例である。

「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人が押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。」
(マタイによる福音書 第六章一九〜二〇)

 このように、イエスはこの世の現象に重きを置いていないのである。ところが、幸福の科学の教えは、現世肯定である。つまり、この世に重きを置き、この地上に縛り付けさせるための教えを肯定しているのである。よって、 蜷・イ法氏はサタンの使いなのである。
 また、イエスの説く愛とは慈愛である。それは大神聖天の発する愛であるが、現世肯定である幸福の科学でいう愛とは、日本の伝統的な道徳愛、つまり夫婦愛に等しいのである。これは、イエスの否定した愛情と言い換えてもよい。
 そして、第二章でも詳しく述べたとおり、預言者の条件は「あかし」、証明である。例えばイエスが三日三晩地中におけるサマディをなすと言っているとおり、サマディに至らない者は預言者ではないのである。しかし、大川隆法氏はサマディに入ることができない。それどころか、二分間プラーナーヤーマ(呼吸法)をやるだけで呼吸困難に陥ることを著書の中で告白している。そして、彼は土中サマディや水中クンバカ(保息)を否定しているのである。これは、まさにイエスが言う偽預言者そのものである。
 そして、イエスは火と聖霊を使ったバプテスマ、つまりイニシエーションを行ない、軌跡を現わしたが、大川隆法氏はエンパワーメントができない。
 また、イエスは霊媒も否定している。ところが、彼は自ら霊媒となって、霊界から多くの霊を呼び寄せていると称しているのである。そして、イエ Xは自ら神秘力を持つ神秘主義者であるが、彼には神秘力はなく、単なる現世肯定者である。
 次に、幸福の科学の発行した雑誌、『サタンよ退け!』の、オウム真理教と幸福の科学の対比表を検討してみよう。これはまさに、楽しい内容が書かれている。そして、そこにはイエス・キリストの教えと相反することが堂々とうたわれているのである。
 ここで大川隆法氏は、「会員数、ミリオンセラー書籍、講演会」と教団の規模をもって、オウム真理教よりも幸福の科学がいかにも真理であるかのように語っている。しかし、『聖書』にも「滅びに至る門は大きい」と説かれているとおりであり、しかもその教えを実践しない者、つまり神聖行を実践しない者は、実際神聖天界へ至らないことをイエスははっきりと表わしているのである。
 つまり、幸福の科学の会員になることは簡単である。ただ、本を読み、試験を受ければそれでOKである。そこには真理の実践は全く存在しない。そこで存在するのは、偽預言者である大川隆法氏の霊媒的言葉を妄信的に信じ、そして悪趣へと転生する道なのである。「指導霊」として、「五百人の高級神霊」とあるが、

「愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。」
(ヨハネの第一の手紙 第四章一)

というイエスの言葉がまさにあてはまるのである。
 ところで、オウム真理教の教えとはどうであろうか。これは、第二章の「五つの柱」の項で述べたとおり、原始仏教、原始ヨーガを土台とする修行体系をもとに組み立てられた、科学的、そして論理的に全く矛盾のない体系なのである。しかし、この実践をすることは、たいへん難しいことも事実である。
 「ステイタス――納税額第七位」、これはおもしろい。文字どおり「地上に宝をたくわえて」いる。

  「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。また、あなたがたに言うが、富んでいる者が天国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい。」
(マタイによる福音書 第一九章二三〜二四)

 「団体の使命――全人類の救済」とあるが、幸福の科学にはオウム真理教の五つの柱のような、救済に必要な条件がない。この欲六界を出離し、超越する何の手 iもなく、どうやって人類を輪廻の苦悩から救済するというのであろうか。
 「活動――社会悪と戦う」。現世肯定、煩悩肯定、それこそがイエスの教えによる悪である。「悟りと社会性」「修行の目的」。現世から出離することなく、「納税額第七位」などと喜んでいて、一体どんな悟りがあるというのであろうか。
 「修行の形態」。イエスはあくまでも律法学者のいう『聖書』に対して法を説いている。いわゆる経典を土台とした宗教を展開したわけである。ところが、大川隆法氏はオウム真理教を経典宗教と批判し、幸福の科学は啓示宗教であるなどとうそぶいている。しかし、彼はもともと経典を正しく読みこなせる力がない。何しろ、パーリ語のパーラミター(Paramita)の音写「波羅蜜多」を「蜜が多い」と読んでしまうほどなのだから。経典宗教との批判は、少なくとも経典を正しく読めるという前提なしには言えることではない。これなどはまさに、キリストの教えと反するものといわざるを得ない。
 ところで、ここに来て大川隆法氏もようやく経典の勉強を始めたようである。それは、十月二十七日に放映された、テレビ朝日「サンデー・プロジェクト」に出演し、その中で「カルマの解放」と、私の言葉を使っているのである。いよいよ、わたしの真似をするようになってきたわけだが、これは大変いいことである。本書も含め、わたしの本をどんどん読んで、会員の方々を教化していただきたいものである。
 さて、これ以上語っても、単に時間と労力の無駄である。大川隆法氏がオウム真理教に対して何らかのリアクションを起こした場合、再び徹底的に検証することにしよう。

(その他、幸福の科学の教義上の矛盾は、『真実の仏陀の教えはこうだ! 幸福の科学の会員よ聞きなさい』オウム出版、を参照ください)


戻る HOME 次へ