アンケートで寄せられた声<5>

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Date: 23 Mar 2001
[名前] mituba-nanten
[信者の別] 信者
[性別] 男性
[年代] 30代
[回答] 初めてではない


[幸福の科学に関する意見]
比丘尼さんへ

私は、昨年の秋、琵琶湖正心館に行きました。正心館は、反省や瞑想やセミナーなどの行事を通して自分の心を見つめるための場です。私は、礼拝堂で瞑想をしたく思い、二階のロビーでセミナーが終わるのを持つことにしました。ロビーには、二人の会員らしき人が静かに読書や瞑目をしていました。ロビーの向かいのガラス張りの部屋では、2,3歳の子供と母親が、幸福の科学の子供用ビデオを観ていました。しかし、その部屋から聞こえるテレビの音は、ロビーでもうるさいと感じるくらいでした。少しして、その母親の携帯が鳴りました。彼女は、ロビーの電話で相手にかけ直し、ロビーに居る三人を見ながら恐ろしく大きな声で話し始めました。

私は、あまりの大きな声に、耳を両手でふさぎましたが無駄でした。相手の方も活動会員らしく話の内容は次のようでした。(1)映画のチケットを思うようにさばけないこと。(2)支部長が頼りなく、気に入らない会員を指導してくれないこと。(3)ある会員が、自分が望むような活動をするようになってうれしいこと。(4)自分も自己変革して、さらなるエネルギーを得たいが、それがなかなかできないこと。(5)他の会員にやる気がなく、自分の仕事が増えることへの不満等の話を四十数分間、恐ろしく大きな声で・・・・。比丘尼さんは、この会員をどのように思いますか?

口は真理を語り、自分がいかに会のことを考え、会のために尽くしているかを語っています。
しかし、彼女は、たった今、自分が何をしているかも分からずに自己満足の中にいました。
彼女と目が合ったときには、誇らしげな表情をつくっているかのように思えました。私は、彼女には自分自身を見つめる修行が必要だと、率直に思いました。何を言いたいのか分かりますか?

私は、あなたのメッセージを読むと、あの母親を思い出します。ご自分の書かれたものを全て読み返してみるといいでしょう。すると、自己の不満を他の会員を使って正当化しようとする強い自我が見えるはずです。あなたはメッセージに、必ず、一回以上「シッポ」見せています。
会員・非会員に関係なく、中立の立場で物事を見ることができる人には、あなたの「シッポ」が見えているはずです。少なくても、これらは、地上を越えた世界からのメッセージではない!
それを人に聞かなくても、もう一度、よく、読み返せば分かる。メッセージによっては、三〜四回「シッポ」を見せている。比丘尼の名でキーボードを叩いている者よ、いい加減にしろ!

自己満足を得るための活動が、多くの会員を傷つけ、苦しむきっかけを与えていることはあなたも語っていることではないか。反幸福の科学の者の批判のための批判や、努力なく諦めた元会員の自己憐憫や愚痴なら放っておけばいい。しかし、「シッポ」を見せながら、会の発展を願う天上界からのメッセージと語ることを許すことはできない。会に問題がと言うのなら、会の発足から現在までの会員一人一人に少なからず責任があるはず。私も、問題のある活動会員の存在を認めながらも、同時に、私の会員としての力不足も認めている。このようなメッセージで自己満足を貪るようなことをするな。あなたのメッセージがあなたを裁いていることに気づけ。

「自分が(心)今、何を思い、行動しているかを見つめることが何よりも大切なのだ」と、会に距離をとりつつも、今後の会の発展を願う私のメッセージをあなたに送る。


Date: 28 Mar 2001
[名前] じょるびー
[信者の別] 元信者(元会員)
[性別] 男性
[年代] 30代
[回答] 初めてではない
[どこで知ったか] 検索


[幸福の科学に関する意見]
 かつて隆法ちゃんがドームでエルカンターレ宣言をする前、それはそれは大変な伝道期がありました。150万人集めるのだと言うことで1人が3人運動とか言ってノルマがありました。もちろんノルマといってもそれができないから殺すというほどのものではありませんが、とにかく支部長が泣くのです。泣く泣く。「このままではー!隆法ちゃんに申し訳ないー!あひーんあひーんおぅおぅ!」。支部長だけではありません、カリスマ幹部がはるばるやってきてはあひーんあひーんとやるわけです。とくに悪役俳優の南原さんとかは泣けたなー。「竜馬が泣いておるー!」ってね。

 ある時なんかは突然「仕事を休んでも来い」って招集をかけられて(当時はそんな事はしょっちゅうで)八王子だかの(忘れた)とある会館でのこと「おまえらそれでも仏弟子かー!!!」って日本刀を振りかざした幹部が狂ったように怒りまくってました(ステージ上に刀で傷つけた)。「伝道しないと地獄に堕ちるぞ」「伝道しないと次に転生したときはスラムの黒人になるぞ」といったFAXが流れ支部長がみんなを脅していました(怖)。婦人部は婦人部で伝道のできない青年部をふぬけ扱いして罵っていました。みんなみんな気が立っていました。私も喧嘩もしたこともありますよ「オレだってやりたいんだよ」って。

 ある人は夜中の3時に突然起きだし「あと二人足りない・・・」とつぶやいたと思うと友人に電話をかけまくり泣きながら頼んで勧誘していました。私はというと当然その当時は純な青年でしたので(じゃ今は?)学校名簿を片っ端から電話したり、学校を休まされて飛び込み伝道(ノックという)を数十件何日かやったり、駅前チラシ配り、拡声器、小冊子のポスティング、・・・あぁいろいろやったなぁ・・・(上を向きしばし懐かしむ)・・・支部にはグラフが張られ(会社の営業みたいだ)、「◯人伝道します!。」と壇上で叫ばされたり、結局何人もの口約束の入会費を立て替えたり大量の書籍を買い込んで学校中に献本したり、一生懸命、一生懸命やりました。「あと7年8年すれば必ず分かる」と何度も言い聞かされ我慢して心をむなしくしてがんばりました。

 そんなんだからもう最初の東京ドームでのエルカンターレ宣言ではみんなで手と手を取り合って泣きました。私は獅子奮迅のハワイ旅行ができるほど勧誘はできませんでしたが、それでも結構がんばったほうだと自分ながら言うことができます。

(気がつくと文章が長げーのなんのって・・・ここらで中断)


Date: 28 Mar 2001
[名前] じょるびー
[信者の別] 元信者(元会員)
[性別] 男性
[年代] 30代
[回答] 初めてではない
[どこで知ったか] 検索


[幸福の科学に関する意見]
 私は最近から活動されている会員の方たちは別にどうでもいいのです。「信じています。幸せです。」けっこうなことです。今後もカゴの中のハムスターよろしく与えられた餌を食べてぬくぬく暮らしていけばいいのですから気楽なもんです。だけど絶対にいけないのは「会からは離れいますけど教えは信じています。」といってるヤツ。当時(今もかな?)隆法ちゃんがあれほど口すっぱくして仏法僧の三宝に帰依してこそ真の信仰と呼ぶぞと言っているにもかかわらず「私はお利口さん」とでもきどってるかのように「教えはいいのですが・・・」といっているヤツ。そいつらは正式な会員ではありません、野狐禅といいます、卑怯者です、ふぬけ野郎です。おまえらに幸福の科学のことを言う資格もなければ権利もありませんし、どうのこうの言われる筋合いもありません。元会員としてではなく人間としてその不誠実な態度が許せません。そんな奴らに私はこの言葉をプレゼントいたします、「くそして寝ろ」

 私が一番訴えたいのはサンライズ、ミラクル計画からずっと逃げずに今世紀まで耐え抜いてがんばってきた、会の土台を築き上げた同胞達です。危機の時代がきてしまう。多くの魂が地獄に堕ちてしまう。地震が起こる。核戦争が始まる。世界の経済が行き詰まる。UFOが来る、宇宙人が攻めてくる。オゾンが裂け地軸は回転し・・・人類の3分の2が死ぬ。幸福の科学に気づかずに死んであの世に帰ると地獄で反省する。ずーーーーーーーとこんな事を言われ続けてきてがんばってきた人よ。同胞よ。たとえ私が悪魔でもかまわないから耳をかたむけていただけないか。このままでいいのか?真理を求めるあなた方はそんなんでいいのか?わたしはよくない、やだ、こんなのやだ。

 たとえば心から信頼している親友に「おまえの心がよくないので放火魔がいま家に火をつけた」と言われたとする。あなたは大切な仕事をほったらかし汗だくになって家まで戻ってみると全然なんともない。どういうことなのかその親友に問いただしたところ「私が祈願したので放火魔は去っていった。あぁよかったな、はっはっはっは」と言ったとする。こんな親友あなたは許せますか?しかも何度も何度も・・・。私だったらぼこぼこにします。大川隆法のやったことはこれです。それに何となく結婚詐欺に似ているような気がします。

 とにかくもう予言ははずれたのです。はずれたどころではなく正反対のことになってしまったのです。宇宙をつくり、木の葉一枚落ちるのも分かる。太陽とも話ができると言っていた人が予言をはずしてはいけないのです。人の10倍自分に厳しくあれと言うのであればエルカンターレである本人は一千億倍自分に厳しくあらねばなりません。もし教えが大切なのであって裏の予言はよくないとするならば最初から予言などしなければいいのです。教え一本で行けばいいのです。いいかげんな予言で人目を引いて信者集めなどしなくていいのです。それは迷惑なことなのです。

 傷ついた人がたくさんいます。仕事も辞め家族も捨て行方不明になった人も少なからずいます。私は知っています。ウソをついていると思いますか?おおげさですか?ジャロってなんじゃろ?家族に友人に笑われました。今ではそんな過去を自分で笑っちゃってます。はっはっはでも笑えない人もまだまだいっぱいいるのです。それはかわいそうなのです。


Date: 4 Apr 2001
[名前] tenten
[信者の別] 信者
[性別] 男性
[年代] 10代
[回答] 初めて
[どこで知ったか] 検索


[幸福の科学に関する意見]
あんまり勉強してないのでいうこともないけど、僕は天国地獄はあると思う。それで死んだときに地獄に行きたくないからっていうとこから本を読んだり自分なりに「正しき心の探求」をやってるけどべつ悪影響みたいのはないし、どちらかといえば自分にとっていいことが多いと思うから信じてみて実践するのがいいと思う。信仰するのもなかなか難しい事だし。


[ホームページへの感想等]
あんまり批判しない方がいいと思うよ。


Date: 14 May 2001
[名前] じょるびー
[信者の別] 元信者(元会員)
[性別] 男性
[年代] 30代
[回答] 初めてではない
[どこで知ったか] 検索


[幸福の科学に関する意見]
もし、預言がことごとく当たり、
まるで都合の悪い、臭い物にふたをするような教義のねじ曲げもなく、
発展の原理という名の下につらい伝道を強いられることもなく、
心安らかに日々を過ごせる21世紀であったなら。

たとえガレキの下であろうとも、
空腹で眠れぬ夜であったとしても
愛する人とのしばしの離別に涙濡れようとも。
あるいは・・・幸せであったかも知れない
いや、幸せであると自分を固めざるを得なかったかも知れない。

たとえば水槽の中でも球根は一生懸命芽を出し、
必死に花を咲かせ、その存在を見せるが、
大地に根を下ろしたものはいつ降るとも知らない雨を待ち、
日の光の厳しさに耐え、強い風の冷たさに歯を食いしばる。
この空間の違う花は同じ花といえるのだろうか。

かつて牢獄に入れられた者が言った。「地球は太陽の下に丸い」と。
だが幸せだと勘違いした者が言った。「太陽は大地を元に回る」と。

しかして、真実と人間の幸せというもののベクトルは
かならずしもシンクロしなければならないということでもないのだろうか?
そうなのかもしれない。それもまた人間なのかも知れない。
そのような滑稽な存在が人間なのかも知れない。
だが、きびしくも

不自然はやがて来る自然の朝陽によって胡散霧消するという歴史がある。

今もまだ、我が創造主とあがめ奉る者が言う。「大地は我の下に回る」と。
しかし
自然に活きようと、真実とは何かを問う者が言う。
                     「我らは大地の下に活きる」。



はぁーーーなんてな。
オレも宗教やってガッポリ儲かれば楽しいかなー。
東大でも出てなければできねーよって、まじすかっ!?
そんなことより早く新しい彼女さがそ


Date: 16 May 2001
[名前] じょるびー
[信者の別] 元信者(元会員)
[性別] 男性
[年代] 30代
[回答] 初めてではない
[どこで知ったか] 検索


[幸福の科学に関する意見]
やっぱおかしいよ
よーく考えてもみてよ
まぁ話をむし返すようで申し訳ないけども
方便の時代って言うのはやっぱりおかしいよ

日蓮の霊言を出版する際でさえ活字になっている100倍の霊言の収集から情報をチョイスし
その中からこれは世の中の常識でみても絶対間違いないであろうと思われるものを選んで書籍にしたと言ってたし
町を歩いていると様々色々な人たちの百万、千億年という魂の歴史が瞬時にしてどんどん見えてしまうので私の霊能力にはすごすぎて困ったもんだ。とかなーんとか言ってたし
だいいちエルカンターレ宣言する前から聖アントニウスの記述はあったし

そんな人がだよ、
「いままでのことはウソでした、高橋信次はクソミソです、霊界っていうのは難しいねー、オレもわかんなかったよ。いやーあぶないあぶない」って。あっさり言っちゃうんだよ。
その先月までモーゼやミカエルの特集を組んでいてだよ。

そりゃねーよな、いくらなんでも

隆法ちゃんも逆ギレして「そんなことは最初から予定していたことだ」なんて言っちゃってるし。
当時は支部長と一緒に「エルカンターレでもそんなことがあるのだねー。」ってマヌケ面してぽけーとしてたけど・・・
やーーーーっぱ、ぜーーーーったいぜーーーーったいおかしいよ。

それこそ大川隆法のいいかげんさの証明になってるよ
その方便の時代を言ってた頃からだよな。ハチャメチャの何でもあり状態になっていったのは
あのペンダントだってオレがなんだこりゃって思ったので
支部長に「これなんすか?」って聞いたら「なんだろう・・・わかんない」って
支部長が「なんだろう」だよ。「なんだろう」って、「なんだろう」って
おいおい!支部長が自分ちの商品を「なんだろう」ってそりゃないぜ!

隆法ちゃんは隆法ちゃんで「死んだらそれを目印に助けてやるよ」だって。うひゃー
あれだけ自分の心が変わらなければ先祖の供養をしてもダメですって言っといて、
「さぁ先祖供養まつりだよー、いらっしゃいいらっしゃい」っておもいっきり・・・まつりだぜ
・・・うー わらえねー。

まだまだ探せば腐るほどあるんだろうけど詳しい人がいるからいいや
東大出の大川さんは絶対自分にとって得になるようなことを考えてるはず
開き直ってしまったんだな。

でもさ、よく考えてもみてよ。
東大出のこのオレがトーメンでこのままサラリーマンで一生終わるのはつまんない。
官僚にもなれず大臣になる夢も遠ざかってしまった。
ここらで
ドーンと歴史に残るようなことをやってやろうって。
そうだ、神様やっちゃおうって。
おやじと組んであれこれ考えて太陽の法を書いちゃったんだな。
そんな野心家のおぼっちゃまが考えた箱庭の中で私もみんなも踊っちゃったわけだ。レッツダンス(舞)
こりゃマトリックスのキアヌリーブスもぶっとびだぜい。ひゅー(息)

そのときは「疑の心に魔が食い込み、そこから転落して地獄に落ちるぞ」って言われていたし、
「信仰に99%はない100%か地獄かだ」ともいわれていたし、
「おまえらの命が欲しい、命を布施してこそ仏弟子だ。」なんてヤクザの親分かおまえは、みたいなことを言っていたし、
とにかく思考停止されていたんだ。

だけど今だって最新の月刊誌の中でもまだ「みんな死んであの世に帰ると地獄に堕ちるから会員みなさんはたくさん信者を集めろ」のようなことをまだ言っている。
10年前は「予言が当たってみんな死ぬから信者を集めろ」って言ってて、今もまだ同じ事言っている。まだ脅してる。

最新刊の奇跡の法の中で「ほら、日蓮だって予言をはずしているぞ、やっぱり予言はむずかしいんだ、仕方ねぇんだよ、いいじゃんかよ」みたいなことをほざいてる。
(注:月刊誌はたまたま見たものです。奇跡の法は本屋でぽけーと立ち読みしたものです。)
UFOのふたがパカーーーッとひらいて中からグワーと上がってきた隆法ちゃん(おまえは峠の釜めしか)が「来るぞ。きてます。きてます。私にはみえーる。みえちゃうんでーす。」とあれだけぶっちゃけといて。まじかよ。
はぁーーーん(息再)

もうさぁ。やめようよ。ほんとに。ね。
やめてもだいじょうだよ。ほら。みて。ごはんはうまいし。お肌のつやものってるし。酒はうまいし、ねーちゃんもきれいだ。
魔が来たっていいじゃん。来たら来たでさとせばいいじゃん、マーマーって・・・(うっさむ。寒いの越えて痛いってか、いててててー)
でもさ、ほんとにほんとだよ、やめたほうがいいよ。本当の神様もどこかでそう思ってるよ。だから隆法ちゃんの予言したことがみんな裏返っちゃうんだよ。本当の神様が困ったと思ってやってくれてるんだよ。
日本人てのはなんか過保護にするんだよな、子どもでもろくな者に育たない。
教祖でも同じだ。あんまりあまやかすなよ。損するのはユーたちだよん、信者のキ・ミ。

p.s.
とにかく楽しくいこう。気楽にやろう。支部で脂汗たらしながらこちこちのがちがちで愛想笑いしていたんじゃ誰もついてこないぜ。

以上。おやすみ。


(管理人コメント)
Date: 23 Feb 2001
[名前] 天空の門
と同一人物です。
7月17日の深夜、この人は掲示板に不適切な書き込みをしました。

Date: 5 Jun 2001
[名前] 茶色のうさぎ
[信者の別] 元信者(元会員)
[性別] 男性
[年代] 30代
[回答] 初めて
[どこで知ったか] 検索


[幸福の科学に関する意見]
最近、幸福の科学の批判が多くあり、すべてが主宰の責任にされている傾向があるのですが、もう少し、冷静に「組織」としての幸福の科学を検証してもいいのではないでしょうか。
批判する側もされる側も感情的になった議論をしており、客観的な観点からの原因と改善の方法を模索するべきだと思います。
批判する人は「金儲集めの宗教」「カルト集団」等非常にエキセントリックに批判し、熱心な会員は「サタンに取り憑かれた」「霊格が低い」などまったくナンセンスな応対をしているので、平行線の議論のまま、最終的に主宰の方に議論の対象が向かうのだと思います。
確かに、組織のトップである以上、全責任は主宰にあるのは当然なのですが、少し冷静に「組織」としての「幸福の科学」を私なりに観察すると、職員や一部会員の質の悪さが最大の原因だと思います。トップからの理念が現場でうまく生かされないために、偏った伝道や布施の強要になるのだと思います。会員の大多数はまじめにやっていると思いますし、法が嫌になったのではなく、「組織」が嫌になって辞めた会員が多いのが現状ではないでしょうか。
私自身は現在の職員を1/10程度までリストラして「本物の職員」だけにするべきだと思います。
以前は感じなかったのですが、最近は支部の職員や精舎の職員の態度や応対が非常に悪い事が多いのが少し気になります。

「本物の職員」とは本当に気概を持って法に仕えようとする人の意味で、これはすべての職業にいえることかもしれませんが、世の中のモラルが非常に低下している中、現代では非常に難しいかもしれませんが...
また、今までの組織運営の方法も少し、「予言」のウエイトが大きかったと思います。今後は地味ではありますが「教え」を中心にした組織運営を期待したいものです。


[ホームページへの感想等]
初めて拝見させて戴きましたが、このホームページの意図がよくわかりません。
幸福の科学を客観的に検証するとはありますが、私は批判する事を目的に造られたように感じるのですが..
2chやYAHOOの掲示板で書き込みされている内容は非常にレベルが低いので、それらの引用を抜粋するだけでは、客観的かつ公正な運営する事は大変難しい事と思うのですが..
ここの独自の掲示板設置とかもう少し、客観的に運営を検討されては如何でしょうか?


Date: 9 Jun 2001
[名前] じょるびー
[信者の別] 元信者(元会員)
[性別] 男性
[年代] 30代
[回答] 初めてではない
[どこで知ったか] 検索


[幸福の科学に関する意見]
大川隆法の「俺の言うことを聞け、さもなくば死んであの世で地獄に堕ちるぞ」という言葉は盲信者にとっては人々への警告と捉えているのでしょうが、ではしかし普通の人から見れば脅しであり恐喝といったたぐいのものに思えるのです。「夜寝る時気ー付けろ」とか「生きてるだけありがたいと思え」といったヤクザの言葉そのものに聞こえるのですが、現信者の方から見ると私がこのような見方をするのは変でしょうか、悪魔に憑かれているからでしょうか?

レベル1.大川氏は永遠の仏陀エルカンターレであり全てのものを愛してやまず、また全てのものを幸福に導くために立ち上がられたお方であります。彼がした数々の予言は天上界の神々からいただいた現代文明に対する「警告」ではあるが個々の会員らの活動により悪想念が浄化され、またエルカンターレ自身の意向で予言のほとんどは回避された。また方便の時代というものも小乗から大乗へという計画の通りであり、霊界や高橋信次をはじめとする霊人の霊査の手違いは彼らのカリスマを押し上げようとするリカバリーであり、大川氏の思いやりであり慈悲の現れである。現在は救済仏としての光をますます強められ供養、祈願などは功徳をいただくチャンスでもあります。

レベル2.大川氏は霊能力はあるかもしれない、もしかしたらエルカンターレであるかも知れない。だがしかし、活動初期の頃は純粋に天上界に通じていたものが途中から組織の拡大欲が増し、その魂が次第に悪想念や他のものに通じてしまった。もしかしたら霊能力がなくなってしまったとも考えられる。その現れとして当たらない予言やいい加減な霊界情報、お布施、供養、祈願といった疑わしいものが台頭している。しかし彼の説く教えの数々は素晴らしいものがあり、心の支えになるものであるから都合のよいところだけをとっていくのがよい。方便の時代の前後する頃から他の邪教と呼ばれるそれと同方向の道へと落ちつつあるのが現状であるので会とは距離をとるのがよいと考える。

レベル3.大川氏はエルカンターレでもなんでもなく単なる人間のひとりである。霊言、預言、過去世、霊界の情報、アカシャーの記録・・・云々は全て彼の創作や彼を取り巻く三者のものである。ではあるが騙すと言った気は彼にはなく、あくまでも「かき集めの教義」によって会員にサービスを提供するものとして捉えている。彼自身は小説家気分でこれといった悪気はないが結果として被害者を出してしまったことには目をつぶっている。
今のところ危険性は薄いので放っておくのがよい。

レベル4.これらのものは彼のビジネスであり自己顕示欲である。最初からだますつもりでこの事業を立ち上げ彼自身は「あの世」などというものは100%信じていない。今後の目的は自分の生きている間にできるだけ布施を集め、万が一の場合(法の華に代表されるような諸宗教に対する訴訟など)にも対処できるようにすること。
会員とは自分にとって金儲けの道具であり、きれいごとを並べ立てた「かき集めの教義」はエサであり、そのために恥を承知で様々な供養、祈願のたぐいを行っている。このようなものはもちろん許されざるものであり粉砕されるべきものである。

以上4つのレベルを考えてみました。
考えればもっと細かく幾つもあるかも知れません。
本当に狂信している方はレベル1を選ばれるかも知れませんがごくごく少数であると思います。会員の多くの方は建て前上1と言いたいところですが心の中の本音ではレベル2であるかもしれないと仕方なく思っているのではないでしょうか。
退会者や一般の方で多いのはレベル3だと思います。いやしかし大川氏のあまりにも不誠実かつ滑稽きわまりない昨今の言動を見るにつけ3で考えていた人も次第にレベル4に変わってきたのではないでしょうか。
しかしこれは会員の方々でも議論されるところでしょうが、なぜこれほどまであからさまに子供でも分かるような外れる予言やおかしな教義を平気で出せるのかと言うことです。まるで会員達に「ほれ、これでも私を信じるんか?ついてくるか、辞めたいヤツは辞めてもいいんだぞ」と言わんばかりです。
予言を出したのが会員数がまだ5〜6万人ぐらいの時だったと思います。そこから人を増やすのが難しかったのでしょう「これだけの霊言集を出す意味が分かっているのかー」と怒っていたのですが、やはりこれ以上を爆発的に増やすためにはあえて外れる予言でも出さないとアピールできないと思ったのでしょう。このまま10万人止まりで細々やるか、それともっと規模を大きくするためにはウソをついてでもかまわない。その中でも残るものは残るからそこから搾取するか・・・頭の中で確率論的なものがよぎったのでしょう。そして彼は後者を取りました。
あれほど「これぞ奇跡の霊界存在の証明」と銘打って矢継ぎ早に霊言集や予言本を月に何冊も出版していたにもかかわらず、ここ数年まるで天上界の諸霊が夜逃げしたかの様にみごとストップしているさまをみても会員であれ疑問するところではないでしょうか。いくら何でもあんなに耳にタコができる程同じ様な教義や仏教用語を毎日毎日聞かされてよく飽きないなと、あくびがでないなと、まじめな現会員の方々の忍耐力には頭が下がります。
私としては「疑わしきものにいつまでも心とらわれているヒマは人生の無駄」と捉えてきっぱりと脱会したのです。
もうレースの結果は出たのです。賭けに負けたのです。
死人に口なしとは言ったものでほんとうに死んでから「なんだ、やっぱり」といっても遅いと思ったのです。


Date: 17 Jul 2001
[名前] rto
[信者の別] 信者
[性別] 男性
[年代] 20代
[回答] 初めて
[どこで知ったか] 他の掲示板


[幸福の科学に関する意見]
浪人時代、私は努力しなかったのですが霊道が開いてしまって、困っていました。
幸福の科学の本を読んでコントロールの仕方がわかって助かりました。
何がすばらしいのでしょうね?
自分の中で変化があって、世界がはっきりと見えるようになったと言うことでしょうか。
無門関、般若心経、法華経など過去の教えもよくわかります。
人格が練れてきたと思います。
同じ世界に住んでいるのだけど、なんかちがうんだな。
優しくなったといわれます。
真剣に物事に集中できるようになりました。(昔にくらべて)


[ホームページへの感想等]
えらい!!
よく会員になった。


Date : 22 Jul 2001
[名前] ユキ
[信者の別] 元信者(元会員)
[性別] 女性
[年代] 30代
[回答] 初めて
[どこで知ったか] 検索


[幸福の科学に関する意見]
89年入会、97年頃から疎遠になり、その後引越したら、支部からの連絡もこなくなりました。(手続きとってないから幽霊会員かも。)最近また本が売れてるようですが、読む気はありません。最初に不信感を覚えたのは、正心法語の改訂。次は、講談社とか学会とか「闘」の姿勢を出し始めたころ。次は「新」を付けた本を出しはじめたころ。極めつけは、「総本山」の設立。あと、「祈願」の種類かな。昔
は、「我欲を捨て去れ」とかいってたのに、「出世成就」とか「恋愛成就」とか。供養もそうです。「先祖供養は必要ない。金集めでやっていることだ」って言ってたのに、「生前供養」とか「永代供養」とかなんじゃありゃ?それから職員のワイセツ事件でしょ。あれこそ、今の教団を物語ってますね。

私が入ったころは、まだ地域の活動とか盛んじゃなくて、私も、そういうのは好きじゃなかったから参加してなかったのに、初めて参加したとき、伝道反省会みたいな雰囲気で、嫌いでした。
でも、熱心な人ばっかりだったから、むげにも断りきれず。今でも、御生誕祭とかやってるんですかね。あれも、チケット何枚さばけるか、とかありましたね。本当に熱心な人はすごいんだよね。私はついていけませんでした。何かが違う、と思ってたのかも。

でも、昔のころの講演会は、プラスの波動がでてたと思いますよ。会の目的は、心のうちなるダイヤモンドの原石を磨こう、ということだったと思いますが、今じゃいずこへ?
有名会員さんはどうなったんですか?小川知子さん、芦川よしみさん、原田真二さん、あと漫画家の菊池としをさん、美内すずえさんとか。
まだまだ書き足りないけど、今回はこの辺にします。


Date : 1 Aug 2001
[名前] 不思議
[信者の別] 元信者(元会員)
[性別] 男性
[年代] 40代
[回答] 初めて
[どこで知ったか] 検索


[幸福の科学に関する意見]
(その1)
私は初期の頃(90年頃)に入会し、その後断絶して7〜8年になる元会員です。会員になる前に大川さんの本をすべて何度も読んでいて会員になってからは、ほんの2〜3年で会から離れてしまいました。やめた原因は、運営上の問題(講談社問題、高橋先生仙人扱いの問題、関谷/原・両氏への罵倒問題)での不信感と、自身の生活上の悩みが幸福の科学に入ってからほとんど向上していないことに気づいたこととが、それぞれ半分づつでした。

数日前、このホームページで「比丘尼」氏の述べておられるのを読んで、まったくもっともなご指摘と思い感心いたしました。

それで、もう一度幸福の科学の真偽について確認してみたい気になり(すでに約150冊の本は全部廃棄しています)、「奇跡の法」(1999年の講演集)を買って先ほど読み終わりました。ところが法そのものは、まったく損傷がないのです。それどころか、組織は軍隊的でクレイジーに近い状態であるのに、法はきわめてすばらしく光に満ち溢れています。

これはいったいどういうことだと思い、いまその理由を考えているところです。法には、今も最高の知恵と人間に対する最高の暖かさがあり、私の見たところ、あきらかに正法として風格と威厳を備えています。まことに不思議です。

にもかかわらず、宗教学者の方や外部の幸福の科学を真摯に批判されている方々の意見は本当に的確なものが多いように私自身感じますし、幸福の科学という組織自体は何の反省もすることなく、幼稚園の生徒でもわかるような問題もおざなりにしてしまっているように私には見えるのです。

これほど、すばらしい思考と洞察力をもった人物が率いる団体がなぜ、そのようになるのでしょう。不思議です。まったく不可解です。


(その2)
私はこの団体の現在の状況を当ホームページで知り、いくばくかのさびしさを感じざるを得ません。

大川さんが講演会に冠(法王ふうの帽子)をかぶって出てきたり、三宝帰依(人への帰依の強制はいまの時代には合わない)を団体の方針にする前は、この団体はまさしく朝日の昇るような発展状況にありました。会員数も激増し、大川さんとこの団体は並の新興団体ではないと、知るひとぞ知るような状況にあったのです。じっとしていても、会員は増えていきおそらくは現在の会員をはるかに超えていたのではないでしょうか? 自然と三宝帰依の状況が出てきてもおかしくないぐらいすばらしい思想を提供してくれていたのです。じっとしていても、大川さんは人々に多大な尊敬を受けるようになっていたでしょう。まことに残念に思います。

いばったり、押し付けたり、情報を隠蔽(情報公開の反対)することは、現在の時代の流れに逆行しているだけでなく、時代の価値を損なうものでしかありません。まことに残念です。時代の価値を創造しうるだけの知恵を備えた団体が、なぜそのような選択をしてしまったのか。たとえ仏陀の生まれ変わりであっても、当時のサンガーの基本方針をそのまま現代に適用できるはずがどうしてできましょうか。人類はバカではないのです。仏陀の時代から3000年という年月の中で人類は数多くの失敗から学び今に至っているのです。

当初は、大川さん自身が、「すべての会員にずっといてくれなどとは思わない。当会で一時期学んだだけでもいいのではないか。その後のその人の発展に役立ってくれれば、たいへん喜ばしいことだ。」という趣旨のことを述べていたのです(大洗海岸での合宿だったと思います)。その頃は、じつに常識にかなったすばらしい団体でした。大川さんという存在そのものが「福音」でした。

「転落はその99%が傲慢が原因である」というのは、大川さんから何度も何度もうかがいました。しかし仏陀だけは、反省などの法をいっさい必要としないというのはいかにもカビ臭いと思います。今はそういう時代ではありません。もうすでに、幾多の文明実験を通じて、あらゆる分野で多かれ少なかれ民主的な方法が不可欠ということが明らかになってきています。

「御生誕際」という名称についても、違和感があったのは私だけでしょうか。だれが自分の団体のリーダに対して「御」生誕などという言葉を使いましょうか。すべて三宝帰依の一つである「仏への帰依」から来ているようです。リーダへの帰依の強制は人々から主体性をうばいます。現代では、それは人間性を奪うことを意味するのです。納得した上でリーダを信頼し、自ずと尊敬するようになるのです。尊敬はけっして押し付けるものではありません。


[ホームページへの感想等]
いいことだと思います。
世間の風がこの団体には、いい方向に働くはずです。


Date : 12 Aug 2001
[名前] 星川★法明
[信者の別] 信者
[性別] 男性
[年代] 20代
[回答] 初めてではない
[どこで知ったか] Yahoo!


[幸福の科学に関する意見]
いろいろな掲示板で活躍している、現役の会員名簿を作ってください。
ハンドルネームでOK


[ホームページへの感想等]
本部へ いい加減、ホームページ作ろうよ。


Date : 13 Aug 2001
[名前] roka
[信者の別] 元信者(元会員)
[性別] 男性
[年代] 40代
[回答] 初めて
[どこで知ったか] 検索


[ホームページへの感想等]
みなさんこんにちは.比丘尼様のご意見を読みたいへん驚き,感動しました.天は,人々を見捨てていないということを確信いたしました.このようなメッセージを受けて送られる方が存在することに,心より感謝いたします.
 比丘尼さまのメッセージにありますとおりのことが起きたこと,これを認識し,人間にとって最も大切なことは,正しい情報(高橋信次先生の御著書や初期の幸福の科学霊言集)を,自らのものとし,自分のうちを深く掘り下げ,相対から離れ,神理の実践を行うことにつきることと思います.また,この場を神理を正しく伝えあう場とすることを希望いたします.最後に本HPの作者に感謝申し上げます.


Date : 25 Sep 2001
[名前] goldensoul
[信者の別] 元信者(元会員)
[性別] 男性
[年代] 30代


[幸福の科学に関する意見]
五万とも、五億とも、星の数ほどある宗教の中で
幸福の科学とはどのような位置づけなのだろうかと思ったことがありました。

我々人間は神から二つの自由を与えられました。
ひとつは死を選べるという自由です。もうひとつは心を信仰と妄想の中におけるという自由です。
肉体とは五体満足であればなるほどそれなりに自由を謳歌しているように見えますが
その実、真実をつかみ、本当の自由をつかむことの難しい物だといえます。
未来が見えません、なぜどこから生まれてきたのかわかりません。
あの世もあるのかないのか、
気がつくと自分がここにいて、文明の波間に揺れながら浮かんでいる自分がある。
そして人の心が読めません、そして多くの場合自分の心すら読めません。
悩み、苦しみ、悲しみ。時には笑い、感動し、わけもわからず他界してゆきます。
世界中の砂の数ほどの宗教が、文化が、自分流の神様を作っては見せ、
ひとはそれを心に抱くわけです。そしてそれを抱きしめたまま死んでゆきます。
死ねば本物がわかるかもしれません、しかし、死んでもわからないかもしれません。
だからこそ信仰が必要なのかもしれません・・・
と、ここまでは既存の幸福の科学の教義の中で出てきたことです。

ただしかし
その信仰が多くの苦しみと悲しみ、疎外と矛盾を産むものであるのならば
我々は勇気を持って新たな信仰を持たねばならないようです。
それは神が見えたふりをしている信仰を捨てるという信仰です。
これは唯物論でもなければ言葉の遊びでもありません。
あえて概念のくくりに信仰としたのは、我々は盲目の上に平等であるからです。
釈迦は死後の世界の有無に対して沈黙で答えましたがそれは
あるとも言っていないし、無いとも言っておりません
ただ、今ある現実の問題を大切にせよと言っております。

ここでは我々の霊体が個体的循環であの世はあると仮定します。
あの世に行った私は考えます。ではあの世はどうしてあるのか?
あの世の奥にまた神の世界があったとします。では神とはいかに・・・?
なんとも永遠のパラドックスに入り込んでしまいます。
(もっともあの世は観念的な世界であるという説ではこの様な論理は成り立たないかもしれませんが)
見えないことを見えないとはっきり自覚し、自らの手足でしっかり生きていくことは基本だと思います。
しかし、見えないものに対して見えないとは言えないのもまた真理です。
そこには中道理論で説かれているところの二元的無の存在の空色的なリアルタイムの解釈
すなわち、現実のほかに非現実的思考を客観的に取り入れアバンギャルドに生きましょう、
という時間軸から見た可能性という寛容性の発揮を肯定しております。
しかるにポジティブかつ冷静で人間らしい見方で宗教も見ましょうということです。

た・だ・し・だからといって短絡的に幸福の科学の所業を容認するわけではありません。
言動の結果に対する責任と矛盾は追及するべきだとおもいます。


Date : 3 Oct 2001
[名前] るどうゆうき
[信者の別] 一般
[性別] 男性
[年代] 20代
[回答] 初めて
[どこで知ったか] 検索


[幸福の科学に関する意見]
1、私は宗教というものすべてを否定します。
  宗教がどんなによかろうと、信者、信仰者は別だからです。
  組織になると、いろいろな考えの人がいて、同じ組織でも反対の考えや解釈を
  持っていたりします。今現在の問題とは、同じ言葉を言っていながら、
  違う考えや解釈を持っているということではないでしょうか。
  つまり、同体異心なのです。同じ組織に所属しているなら仲間。
  違うところなら敵みたいな風潮が世界的に横行していると思います。
  これは、キリスト教やイスラム教だけでなくすべての宗教団体に当てはまると思います。

2、大川さんは、大本教の予言の中身を具現化させる手法を取っているのでしょうか。
  私が見た限り、今度は教ではなく理なんんだというところを
  十分に意識して本をかかれたように思いましたが。

3、もっと具体的なアドバイスを本に書いていただけるとありがたいです。未来の構想。
  予測をできる限り載せてください。たとえば、日本の教育制度。これは文化を無視した
  教育制度です。ヨーロッパから取り入れたので、キリスト教のようにひとつの
  統一された価値観のない国では、この宗教教育制度は役に立ちません。
  大川さんもご存知でしょう。グラスゴー大学など、世界の名だたる大学の創立目的は
  キリスト教の伝道者を作り上げることにありました。日本はキリスト教のような
  統一された宗教、価値観のない国です。つまり、真理は発見するものではなく
  個人で作り上げていくもの。それぞれの真実がある国、それが日本だと思います。
  私は仮説教育制度を導入することを文章に書き政党に送りました。
  簡単に言えば、ひとつの物事に対して、何通りもの見方や情報を教師が提示し
  子供たちに勝手に選ばせて、自分と他の人が選んだものとはどうして違うのか。
  また、一週間後、一ヶ月後では選ぶものがどうして違うのかという
  違いを学ぶ教育の仕方に変更したほうがいいといったのです。国際社会で違う文化に
  接し、また交流していく時代には、文化の違いが認められないのは致命的になります。
  グローバリゼーションの時代ですから。

4、私は学生ですが、いろいろな宗教の資料を集めています。正しいとか間違っているとかは
  別にどうでもいいのですが、つかえる部分があればどんな教義でも、情報でも、
  参考にするのが私のやり方です。およそ誰が提供していようがいいものはいいと
  はっきりいいます。悪いところは悪いともね。この世に生きている限りいいところが
  ない人間はいないはずですよね。どんな人間でも社会に役立てる情報、知恵、価値観
  思想、まあそのほかいろいろなものがありますよね。

最後に、私は仏教関連の資料も持ち合わせていますので公開しておきましょう。

瀞(せい)(じょう・じゃう) 10−108 清、浄の意味の本字 
浄(せい)(じょう・じゃう)  10−23、10−128、10−262144、10−108 
清(せい)(しん)(しょう・しゃう) 10−22、10−120、10−131072、10−96
空(こう)(く)(くう)  10−21、10−112、10−65536、10−84
虚(きょ)(こ)  10−20、10−104、10−32768、10−72
六徳(りっとく)   10−19、10−96、10−16384、10−60   
一昼夜(イッチュウヤ)   12000弾指。
刹那(せつな) 10−18、10−88、10−8192、10−48
弾指(だんし)  10−17、10−80、65刹那、10−4096、10−44、60念
瞬息(しゅんそく)   10−16、10−72、 10−2048、10−40
須臾(しゅゆ)  10−15、10−64、 10−1024、10−36
逡巡(しゅんじゅん)  10−14、10−56、 10−512、10−32
10−13、10−48、 10−256、10−28
漠(ばく)  10−12、10−40、 10−128、10−24
渺(びょう)  10−11、10−32、 10−64、10−20
埃(あい)   10−10、10−24、10−32、10−16
塵(じん・ぢん) 10−9、10−16、10−12
沙(さ)(しゃ) 10−8 
繊(せん)   10−7
微(び)(み)  10−6
忽(こつ)  10−5
糸(べつ→べき)(し) 10−4
絲(し) 10−4
毛(ぼう・ばう)・(もう・まう)  10−3
毫(ごう・がう)  10−3
厘(り→りん・てん)(り)  10−2
倡( 10−2
分(はつ→はい→ふ・ふん)・(ブ)・(ブン) 10−1
零(らい→れい) 
一(いつ)(いち) 
壱(きつ→いつ・いん)(いち) 
没(もと) 
二(じ)(に)  
弐(じ)(に)
台二(はい) 
哈(はい) 
三(さん) 
参(さん)(しん)   
巴三(ば) 
巴(ば)  
四(し)  4 
跂(
本(ばん)
五(ご) 
伍(ご) 
南五(なむ) 
南(なむ)
六(おく→りく)
陸(りく)・(ろく)
老六(そう)
老(ろう)
老陰(ろういん)
七、(せつ→しつ)(しち)
漆(しつ)
&#26578;(しつ) 
罷(ばい)
八(はつ)(はち)
捌(はつ)(はち)
&#31965;(たむ)
参(たむ)
九(きゅう・きう)(く)
玖(きう) 
老陽(ろうよう)  9 
診(ちゃん)
十(しん→しゅう・しふ)(じゅう・じふ)(じっ) 10+1
拾(しゅう・しふ)(しょう・せふ)(じゅう・じふ) 10
什(じゅう・じふ) 10
i( 10
小衍(しょうえん) 10
念(ねん)  20
廿(にじゅう)  20
山漆(さんしち)  21
卅(さんじゅう)  30
&#21324;(しじゅう) 40
衍数(えんすう) 50 天地を合わせた数
大衍(だいえん) 50
半百(はんびゃく) 50
災歳(さいさい) 57
白(はく) 99
百(はく)(ひゃく)  10+2
陌(はく)(ばく) 100
佰(はく)(ひゃく) 100
一干(いつかん→いっかん) 1000
千(じん→しん→せん) 10+3
阡(せん) 1000
仟(せん) 1000
千雙(せんそう)  2000
経歳(けいさい) 4560
常歳(じょうさい) 4560
一方(いつぱう→いっぽう) 10000
万(へい→ひん→ばん)・(まん) 10+4
卍(まんじ)(まん)(ばん) 10000
昜( 10000
選(せん) 10000、10+9、10+10
億(おく)・(よく) 10+5、10+8
&#23007;(かい) 10+8、1億、100兆
阜亥(がい) 10+11、10+32
補(ほ)(ふ) 10+9、1億、、10垓
兆(たく→とう→ちょう・てう)(じょう・でう) 10+6、10+9、10+12、10+16、萬萬億
経(けい)  10+7、10兆
京(けい)(きょう・きゃう)(きん) 10+7、10+16、10+20、10+24、10+32 
垓(がい)(かい) 10+8、10+9、10+20、10+24、10+28、10+32、10+64 
禾予(じょ) 10+9、10+24、10+40、 10+128
&#31213;(し) 10+8、10+9、10+12、 10+24、10+40、10+128
穣(じょう・じゃう)  10+10、10+28、10+32、10+48、10+256
壌(じょう・じゃう) 10+13、10+48
黄(こう) 10+56
溝(こう) 10+11、10+14、10+32、10+36、10+56、10+512
澗(かん) 10+12、10+14、10+36、10+40、10+64、10+1024
正(せい)・(しょう・しゃう) 10+13、10+15、10+40、10+44、10+72、 10+2048
載(さい) 10+11、10+14、10+16、10+44、10+48、10+80、10+4096  
極(きょく)(ごく) 10+12、10+15、10+48、10+52、10+88、 10+8192
恒河沙(ごうがしゃ) 10+16、10+23、10+52、10+56、10+60、10+96、10+16384、1億極
阿僧祗(あそうぎ) 10+17、10+31、10+56、10+60、10+64、10+72、10+104、10+32768  
阿憎祇(あそうぎ) 10+104
阿曽祇(あそうぎ) 10+60
那由他〈なゆた) 10+39、10+60、10+64、10+72、10+84、10+112、10+65536
那田他(なゆた) 10+112
不可思議(ふかしぎ) 10+47、10+64、10+68、10+80、10+96、10+120、10+131072 
無量(むりょう) 10+68、10+72、10+88
大数(たいすう) 10+72、10+76、10+96
無量大数・無量数(むりょうたいすう) 10+55、10+68、10+88、10+108、10+128、10+262144 


これは、漢数字といいます。算法統宗などという時代もあったようです。
つまり、宗教とは知識や情報を集め、提供する場所であったのかもしれません。  
+やーは乗数のことです。10のー30乗という感じになります。 

これからは激しい変化の時代で、犠牲者もたくさん出るでしょうが
最後は自分の責任です。自己選択自己実現を目指して、お互いに努力をしていきましょう。


   2001年 10月 グローバリゼーション21  
                        
                          るどうゆうき  20歳 

[ホームページへの感想等]
批判と賛同が両立していて、案外宗教団体としてはいいほうかな。

意見が反映されるところも、公開されるところもなかなかいい。


Date : 9 Oct 2001
[名前] こんち
[信者の別] 信者
[性別] 男性
[年代] 30代
[回答] 初めて
[どこで知ったか] 検索


[幸福の科学に関する意見]
ある人に薦められて、というか強引に会員にされました。とかれている教えや支部の雰囲気も良いのですが今日は何人の収穫、とか、人を落とす方法のような会話を聞きそれ以来支部には足を運んでいません。

インドにも一度訪れたのですが、(会員になる前)信じることのすばらしさと同時に愚かさのようなものも見えてきます。何が大切なのでしょうか、信者を増やすことなのでしょうか?増えた信者をそのあとどうするのでしょうか。派閥が生まれ、分裂していくだけなのでは?派閥同士の争いが始まるのではないのでしょうか。社会の始まりですね。戦争でもしますか。

生かされてある喜びを知るには、朝の太陽と鳥の声、自然の風それと家族。じゃあ無いでしょうか。(ちなみにその会員のかたは、独身です。元某レコード会社のディレクターだったということです。とても攻撃的な性格に見えました。)皆さん本当の意味でご自分を大切にしてください。


[ホームページへの感想等]
ここは、大変面白いと思います、それにとても勉強になります。壁紙が黄金じゃなくてよかった。


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