Yahoo! 幸福の科学の教えについて<2> 3601-3650

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3601件目   訂正   投稿者:IT167123123145145167   2001年4月21日 午前 9時46分

申し訳ありません。

>他の物を愛せよ。
だと大変です。

>他の者を愛せよ。
です。おわかりとは思いますが。
(これは IT167123123145145167 さんのメッセージ3600に対する返信です)


3602件目   re:横レス失礼<追記   投稿者:papayohkoh(57歳/男性)   2001年4月21日 午後 1時10分

お返事ありがとうございます。
おっしゃるとうり、録再技術の進歩はすばらしいものとなっております。
ただそのすばらしいと見える技術も使う人の思い、コンセプトがどこにあるかによって音色あるは音質までが変わってしまいますが、ライブにはライブでしかない音、レコーディングにはレコーディングでしか作れない音もあると思いますからその特質を活かすことによってよ 閧謔「ものが造れるのではないでしょうか、
ただよくできたアナログには今設定されているデジタルデータ処理ではカッとされた情報が再生できやはりデジタルのさらなる進歩が望まれましょうか、ということもまた、私たちの教えにもあてはまることかもしれません。
(これは profiles_com さんのメッセージ3593に対する返信です)


3603件目   レコーディングもそうですが   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2001年4月22日 午前 0時07分

レコーディングについても様々です。

私はコンサートホール自体の問題をも
直す仕事もしております。

それは良く出来たホールのように見えても
音楽的に響かないホールもあります。
(あえて音響的とは言いません。)

そのようなホールでベストと思われる
位置にマイクを立てて録音しても
ホールの影響は免れません。

ホールの悪い癖を直して同じ位置で録音してみると明らかに、その差があります。
音楽がまるで違います。

正しいと思われて録音作業に従事している方を責めるわ ッではありませんが
、我々から見ると自分達の技術の範囲に目を奪われているようです。

自分の技術の範囲を超えると否定する人が多いですね。

皆さんベストを尽くすつもりで取り組まれていますが、マイクをやたら立てたがる方に生の良さを出している方は少ないように思いますね。

マイクを立てれば立てるほど厳密に言えば
個性が崩れていきます。
厳密にいえばマイクそれぞれが全く同じ性能ではないからです。
ましてやラインに引き回しでも音が変化します。

シンプルに取れる方の録音には香りを感じることもあります。

ミックスジュースもいいですが、シンプルな味の良さを知らないエンジニアが増えているのが昨今の録音界ですね。
古い録音にもその場の感動の熱が伝わってくる録音もあります。RCAやマーキュリーなどの古い録音には魂が感動するサウンドがあります。現代からみればノイズ成分が多いのでしょう。しかし、音楽の本質が伝わるのですね。

しかし、さらに新しい技術が入ればさらに革命的に現在の録音分野にも感動が生まれると私は思います。

それは宗教も同じです。
新しい教えは過去の遺 Yを引き継ぎながらも新たな教えをもっています。新しい宗教が生まれても、そこにある真実を規制の概念で打ち消してしまうことは新たな未来が開けないことでもありますね。

常識的発言が実は進歩を止める最大の悪でもある場合もあります。
(これは profiles_com さんのメッセージ3596に対する返信です)


3604件目   Re:レコーディングもそうですが   投稿者:profiles_com   2001年4月22日 午前 2時01分

gamandesuneさんが言われていることは、よくわかっており、踏まえて言っています。
ひとつのピアノでも、聴く位置によって、聴こえ方が違ってきます。
低域のズッシリした感じは、ここがよく聴こえている等々です。

>マイクを立てれば立てるほど厳密に言えば個性が崩れていきます。
>厳密にいえばマイクそれぞれが全く同じ性能ではないからです。
>ましてやラインに引き回しでも音が変化します。

ですから、それぞれの音域特性に応じて、マイクやプリアンプを選びます。
メーカーと機種、また同じものでも個体差があります。
多くのマイクで、多くのトラックに録音しても、
すべてのトラックを使うとは限りません。
捨てるトラックというのが、もちろん出てきます。

>シンプルに取れる方の録音には香りを感じることもあります。

>ミックスジュースもいいですが、シンプルな味の良さを知らない
>エンジニアが増えているのが昨今の録音界ですね。
>古い録音にもその場の感動の熱が伝わってくる録音もあります。
>RCAやマーキュリーなどの古い録音には魂が感動するサウンドがあります。
>現代からみればノイズ成分が多いのでしょう。
>しかし、音楽の本質が伝わるのですね。

ホールの空気感なども録音しておきたいと思えば、やはりマイクとトラックは増えます。
音の跳ね返りの位相のズレをエフェクトで作るより、
マルチマイク、マルチトラックで捕えたほうがナチュラルだからです。
編集のときに、不要なところは、捨てれば良いのです。
足らない場合には、ないものを足すことはできないからです。

アンサンブルの場合は、とくに聴くポイントによって、
楽器(演奏者)との距離、全体のバランスが違ってきますよね。
演奏者は客席のバランスを把握しているのではありませんから、
それぞれに別トラックに録音し、バランスを取り直してやるわけです。

私は、ライヴ、生の良さを否定しているのではありません。
生の良さと、記録され、整えられたものの良さには違いがあるということ、
どちらかがどちらかを否定するものではないことを言いたかったのです。

ですから、もういちど明確にしておきます。
私は「幸福の科学」、大川隆法氏に対する率直な感想と疑問を書いた。
あなたは、デジタルの記録メディアの限界をもって、
話を摺り替えて私が自分に囚われ、否定的に思い込んでいるからだと言い負かそうとされた。
それだけのことです。誤魔化さないでください。
(これは gamandesune さんのメッセージ3603に対する返信です)


3605件目   gamandesune様、御無沙汰しておりました   投稿者:BONFU_M   2001年4月22日 午前 2時35分

以前は、色々と、相談にのって頂き、本当にありがとうございました
苦しいときだったので、本当に助かりました
ありがとうございました
他の多くの方々にも感謝しております
ありがとうございました
私の停滞していた人生が
やっと動き始めてくれました
医療系の大学に合格しまして
引っ越し、入学式、バイト探し、授業、実習と
一通りのことを終え、後は授業料免除申請と、奨学金申請を残すだけで
生活も落ち着いてきました
それで、今日、一番近くにある支部に電話して
入会したら、どれくらいの費用がかかるのか?をお聞きしました
というのも、私はたいへん貧乏なので
それが一番の心配ごとなのです
でも何とか大丈夫そうなので
入会するつもりです
入会しましたら、連絡します
どうかよろしくお願い致します
それでは、失礼致します
(これは gamandesune さんのメッセージ3603に対する返信です)


3606件目   Re.まったく   投稿者:aogumyou(男性/jp)   2001年4月22日 午前 4時07分

>仏縁無きは正に真実ですね。
>その縁無き方が仏を批判している様は
>まさに度し難しですね。

私を含めて、批判者はOR氏を仏だと思っていません。
予言が全く当たらないし、成功哲学をいう割にKKの有名人は成功してないし、等々。
予言が当たらないというのは、やはり決定的です。
予言がはずれた場合の信頼の失墜を考えれば、出さなきゃいいと思うけど。
予言を信じた人、半信半疑の人でも、はずれれば騙されたと思うのは当然だし、
KKが批判されるのは、OR氏、KK側の落ち度、責任によるところも大きいと思いますよ。
KKの内部では予言のはずれをどう説明してるんだろうか?

>しかし,深くイエスの教えを学べばイエスが過去にインドにおいて仏教を学んだ形跡が確認できるはずです。

キリストがインドに行ったかどうかは判らないけど、
キリスト教(新約)と浄土教はかなり似てると思います。
例えば、
キリスト教は旧約の十戒等の戒律主義を打ち破ってキリストの贖罪という他力的救いを説くし、浄土教も小乗の戒律主義を否定して阿弥陀仏による他力的救いを説いている事。
どちらも死後の安楽世界を重視している事。(キリスト教は天国、浄土教は極楽浄土)
阿弥陀仏は西方浄土の教主とされていて、キリスト圏はインドから見れば西方なので阿弥陀仏とキリストとの関連性が想像に難くない事。
などから キリスト教と浄土教に何らかの関連があってもうなずけます。


>掲示板で触れ合うも多生の縁ということに
>訂正いたしましょう。(^^)

了解です。

ps、言い方がきつかったところは勘弁して下さい。
(これは gamandesune さんのメッセージ3591に対する返信です)


3608件目   レスありがとうございます   投稿者:itinitiissyo(21歳/男性/other)   2001年4月22日 午後 3時26分

「ほんとうの自分に出会う」研修、言い変えるならば、「にせものの自分に気付く」研修
なのかもしれませんね。「本当の自分」って、信仰の道に入るまで、
思いもつきませんでした。今でもそうだと思いますが、
私は、とても自己卑下が強く、例え素晴らしいところ、例えば優しさ等が、
自分で見えても、
「いや、ほんとうの自分はそんなんじゃない。もっと汚いんだよ」と
自分を責めることを正当化するために、そんな自分が可愛い、悲劇のヒロイン
を気取っていたように思い ワす。あ、男だからヒロインじゃないか(笑)

 よく宗教は、弱い人間がすがるものだ、とかいう人っていますよね?
私は決して強い人間ではないと思います。そして、幸福の科学に救われた所が、
大きくあります。幸福の科学に救われ、そしてこれからも救われ続けていくのでしょう。

 自分と言う存在は、自分がどう考え、行動し、生きてきたか、ということで
形成されると思うのですが、それだけではないんだろうなとは思います。
誰でもそうだと思いますが、必ず人生のどこかで、生き方を変えられる人の存在、
まさしく、「貴人との出会い」があるのではないでしょうか?または、
思想というか、こういう風に生きたい、というような考え方といいましょうか。
そういった、他者からの影響っていうのは大きいですよね。
幸福の科学に入会したのも、最初は、自分の魂のうずきというのでしょうか?
そういったものではなく、他者からの影響でしたから。魂のうずきは、後々、
自分対法、自分対仏という経験をしていく中で、得られたように思います。
私には、素晴らしい法友と呼ばれる仲間がおります。
しかし、第一には、仏があ 閨A法があり、僧、すなわち法友がいるんですよね。
この視点が大事だなと思います。
(これは welcomeyama さんのメッセージ3599に対する返信です)


3609件目   続きです   投稿者:itinitiissyo(21歳/男性/other)   2001年4月22日 午後 3時42分

『奇跡の法』の中に、「そっ啄同時」ということばがあります。「そっ」は
口偏に卒です。変換できませんでした・・・
それで、「そっ啄同時」とは、卵からヒナがかえるとき、親鳥の外からのくちばしと、
ヒナの出てこようとする努力が一致して、ヒナはかえることができます。
というような意味で使われていと思うのですが、信仰もこれと同じで、
地上で人のために努力している人に、天上界は応援する、と言われています。
これは公平な観点ですよね。社会でも同じ事が言えるのではないでしょうか?
これが全てだとは言うつもりはありませんが。

 私は、社会だけではなく、生活していく上で、友達であっても、恋人であっても、
夫婦であっても、親子であっても、人間が関係していく中で、
同じ事が言えると思います。
お互いが向き合い、相手を理解し、愛を与え合い、生かし合い、許し合う。
さすれば、その存在自体、愛となっていくのではないかなと思います。
人から好かれる人は、おそらく、人に愛を与えている人であると思います。
逆に、人から好かれない人は、人から愛を奪っている人ではないでしょうか。
それでは、「そっ啄同時」でいう、ヒナはかえりません。より成功は生まれない
ということですね。自分だけの幸福というのは難しいと思うので、
やはり、皆が愛を与え合い、生かし合い、許し合うことで、「進歩と調和」の世界が
そこにあらわれるのでしょうね。

 ここで述べているのは理想論です。わたしは、まだまだ足りないところがあると
思っています。だからそういう世界が実現できるように、自分にできること、
最高の自己を差し出せるように、努力していきたいと思います。

 ついつい語ってしまいすみません(^^;
またご意見等がいただけたら幸いです。
ありがとうございました。
(これは itinitiissyo さんのメッセージ3608に対する返信です)


3610件目   おめでとうございます。   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2001年4月22日 午後 5時24分

人生を真剣に生きていればいるほど
解ってくることもありますね。

またボンフさんも試練に遭われていたようですが実は魂を鍛えられていたのですね。

また幸福の科学では本当にご自分が必要と思われる研修などに参加するときに費用はかかります。でも自分なりの立場で勉強することも可能です。

ですから様々な学び方がありますから
ご自分のペースを考えて学ばれることです。

短い時間で考えて焦る方もいますが自分は自分として望まれればよいと思いますよ。

本当におめでとうございます。

そしてこれからも宜しくお願いしますね。
(これは BONFU_M さんのメッセージ3605に対する返信です)


3611件目   いいえ   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2001年4月22日 午後 5時45分

私は貴方のような方は大歓迎ですね。
ご自分のポリシーをしっかり持ってお 轤黷、ようですからね。

また予言についての意見は私も解ります。「このままいけばこうなる」と言っていることを仏の力で変更されただけです。
こういうと更に怪しく思われると思います。

しかし、人間にとって悪しき予言が現実になることが人々にとって幸福なことでしょうか?

仏が子を愛しているなら天変地異などを現実のものとされたいとお考えとおもわれますか?

私が自分の子供がそのような目にあうことは望まないように仏も同じです。

高級諸霊の中には教育的見地からも天変地異を起こした方が良いといわれていた方々もいると聞いています。
しかし、仏はそれを認められなかったのです。
愛の深さの違いということであると思います。

我々大川総裁を真実の仏と理解し信仰している者から考えれば後から必ず「予言が当たらないではないか!」と騒がれることは
別に何らも気にならないのですよ。

本物だからこそ出来ることがあるからです。
ましてや大川総裁は最初から、そのような予言を外すために地上に生まれられたのでもありますからね。

貴方が言われるとおり外れる予言などしないでいた方が良いと考えるのが普通でしょう。

しかし、敢えて発言されていた意味を考えると貴方が発言されている考え方を超えた
考えをお持ちなのですね。

私はここに参加する批判者の多くは物事を多方面から見られていないようで残念です。

多面的に見ながら様子を眺めるということが出来れば後は時間が解決します。
また内部にいる我々は予言は予言。でもそれは仏のお仕事のほんの一部であると理解していますから、その他の部分を考えると
皆さんのような批判などは全く生まれる余地がないのですね。

またそれは皆さんには「?」と思われることかもしれません。
しかし,キリスト教徒でもローマの国教となるまでは迫害されライオンの餌になったり石をぶつけられたりしていました。
たとえ命を失おうとその信仰を手放すことはしませんでした。

本物だからこそ命を投げ打っても惜しくなかったのですね。
私は幸福の科学で学び初めて彼らの気持ちが理解できました。

本当の信仰にめぐり合えた人間の気持ちがね。
(これは aogumyou さんのメッセージ3606に対する返信です)


3612件目   へえ〜っ   投稿者:thankyoujesus(男性/横浜)   2001年4月22日 午後10時45分

 じゃあ、安息日を日曜日と呼ぶのはいいの?
(これは gamandesune さんのメッセージ3611に対する返信です)


3613件目   こちらから言えば   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2001年4月22日 午後10時58分

おかしいのは貴方です。

大川総裁は最初から予言を外すために来ているといわれていますよ。
予言を当てることが霊能力の証とする基準は一面的です。

それならヨハネの黙示録はどうなるのか?
ということもあります。

谷口先生からは実直さ誠実さを学ばせて
頂きました。
丁寧に細かく指導されていますね。

そして幸福の科学における谷口先生関係の書物を学べば谷口先生が努力の方でも
あることが良く理解できるのです。

生長の家から入会された私の知り合いもいますが、貴方とは正反対ですよ。

貴方の狭い判断基準をここでご披露されても私には惨めに思えるだけです。

仏の教えの中身を知るということただ探究しているだけに過ぎず、それを実生活に
応用してみて初めて仏の教えの真実が
理解出来るのですよ。

学究的な判断は仏の教えを理解するには
至りません。

それに幸福の科学の教えは91年ころだけではありません。
それは一部に過ぎませんよ。

幹部ということにこだわりますが、
幹部ということで何があるのですか?

ユートピア創造論などをしっかり読み込めば幹部といえども弟子であり修行者であるということが解ります。

仏の能力を貴方は知らないので無理もないかもしれませんけどね。


3614件目   私には師なのです。   投稿者:IT167123123145145167   2001年4月22日 午後11時23分

信仰で一番大切な事は何か。
ひとそれぞれ考えはあると思いますが、
偉大なる創造主がいらっしゃりその方の愛、慈悲を実感しながら日々その方の願いを実践する。そうした中に人間の本当の存在意義を実感し、また他者へその幸福を伝えていく。
そうした事だと思います。

仏神の愛は観念的なものではありません。
実感すればわかりますが、あきらかに心が明るく建設的になり、その余波を他者も感じる事の出来る客観的なものです。自分を限りなく愛され、そして向上を願われ、そして限りなく許されている、言葉にするとそういう感じでしょうか。そうした中で生き努力、向上を目指していくそうした生き方が出来るものです。活動されている方であれば大なり小なりそういう感覚をもっていらっしゃると思います。

そしてまた、教学というのは信仰の後に出てくるものです。心が迷った状態では霊言どころか、他の書物も素直には読む事が出来ないのではないですか。御自分はどういう視点で事象を見ているか確認できていますでしょうか。正見の反省とはその事を確認する事だと思います。

大宇宙に光あり
光は仏の命なり
命によりて人は生き
命によりて歴史あり

これは根本経典の出だしの部分ですが、人間が自分を認識する上で最初にしなければならないことが書かれています。
人間は生きているのではなく、仏神によって生かされている存在である、という事を認識するという事です。そしてそれを信じ心からの感謝をする事によって、本当の仏神の慈愛が心に訪れるようになります。
信仰は、仏神へのチャネルを開く作法でもあります。本当にいらっしゃるので、応えてくださるのです。

教義は人を救済するために使うときに本当の光を放ちます。
理屈を追い求める前に、早く仏神の愛を実感できる人間になってください。
それでこそ、あなたの心は安心に到るでしょう。別に成長の家の教えでも構わないとは思いますよ。

PS:私はそんなに純粋ではありません。
宗教の脱会については、2、3経験していますので怖がる必要はありません。信仰は一つの道しか選んではいけない、と思う心こそうぶな心です。教えのバラエティはあるにしてもその中核部分は自分なりにつかむ必要があるでしょう。色々な宗教書を読み共通概念を把握した上で、各宗各派を見てみればいいのだと思います。現代はたくさんの書物が出ているのでこれが可能なのです。私は理性的アプローチをしていますので御心配なく。


3615件目   1989年第9回講演会(12月17日)   投稿者:The_Laws_Of_the_Sun   2001年4月22日 午後11時28分

>大川総裁は最初から予言を外すために来ているといわれていますよ。

1989年第9回講演会(12月17日)
「悟りの極致とは何か」より

私は、決して危機の予言者として現われたわけではない。
人類の危機のみを予言するために、
あなた方の前に立ちはだかる不幸の予言をするために
来たわけではない。
そうしたものが予想されればされるほど、
その危機の時代を切り拓き、
暗雲を吹き払い、
未曾有の人類の苦しみを消し去るために、
今、立ちあがっているのである。
危機の予言を、むしろ打ち砕くために、
危機の予言を外れさせるために、
闇のなかに希望を灯すために――。
夜が来るということを言いたいのではない。
夜が来てもそのなかに光を灯すと、
必ずや神理の光を灯すと、
世界が闇に没する時に、光はその時こそ必要なのだと。
それを言いにきた。
いや、言いにきただけではない。
まさに、私たち一人ひとりが一本の蝋燭となって、
そうした仕事をせねばならない時代にあるということを、
言いにきた。告げにきた。
告げにきただけで ヘない。
一本の蝋燭とならずして、
今世地上を去ることは許さない。
そう言いにきたのである。
(これは gamandesune さんのメッセージ3613に対する返信です)


3616件目   予言がまったく成就しない事によって、   投稿者:SOLNA_99   2001年4月23日 午前 4時27分

創造主とはまったく無縁の存在である、という事が完全に証明された、
と考えざるおえません。

それでもなお、創造主と何ら関係があるなどと言う人がいるなら、
それはその人自身に何か重大な問題があるのでは?、
と感じざるおえません。
(これは SOLNA_99 さんのメッセージ3440に対する返信です)


3617件目   創造主は   投稿者:IT167123123145145167   2001年4月23日 午前10時00分

あらゆる生命、物質と関係しています。
貴方も、仏神に真実触れたことが無いですね。
別に貴方を拝んでもよいのですが、幸せになれますか?
(これは SOLNA_99 さんのメッセージ3616に対する返信です)


3618件目   貴方は   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2001年4月23日 午前10時34分

創造主という存在に対して非常に失礼であると思いますよ。

貴方の小さな頭脳で創造主を規定していますね。
それがお解りにならないようですね。

創造主という存在の時間に対する考え方や
そのた価値基準は人間のそれを全く同じと思っておられるのでしょか?


予言が全て当たることが創造主ということならキリスト教もまったくいかがわしい教えになりませんか?

ヨハネの黙示録などまるでキングギドラ出現のように騒いでいますがね。

頑迷さとは如何に人間から創造する自由を奪うのかが貴方の発言から学べることです。
(これは SOLNA_99 さんのメッセージ3616に対する返信です)


3619件目   私の見た予言者のすがた。   投稿者:aiai114   2001年4月23日 午前10時40分

昔、かなり知れ渡った予言者がいました。終戦 aJかえるとき宮内庁から内緒で陛下の身の安全をたずねに来られて、安全であることを予言したので終戦になったといわれるほど信頼を得ていたようです。

小さな頃、父に連れられて合ったことがあります。直接見てはいけないと言われていました。でも子供のことですので、そっと見てみると、手を上げて布団に寝ているのです。不思議に思っていると、横になっているその体に白い大きな蛇が巻き付いているではありませんか、白い蛇だから神様かな?人間より蛇の方が偉いのかな?と思っていると「見えるのか」と心に語りかけてくるのです。予言者は父と話しているので、蛇の方が語りかけてきたのです。
私は心の中で「はい見えます」と答えると、「見たことは誰にも話してはいけない」と語りかけてきました。子供のことですのでそれ以上は疑うことはしませんでした。
その後、その予言者はなくなり火葬し骨を分けることになったのですが、残った骨は真っ黒で分けることはできなかったようです。

このようなことから予言が当たる当たらないではないものを求めるようになりました。
(これは SOLNA_99 さんのメッセージ3616に対する返信です)


3620件目   神秘と合理的   投稿者:welcomeyama   2001年4月23日 午後 6時38分

そっ啄同時とは、一日一生さんのおっしゃる通り、親鳥と雛の両方の努力がいります。
 それと同様に、地上にいる私たちが、雛とするならば、高級諸神霊の方々は、親に当たる訳で、この地上とじっ在会が協力してユートピアにしなければいけないと思います
つづく。
(これは itinitiissyo さんのメッセージ3609に対する返信です)


3621件目   競馬の予想屋f創造主   投稿者:The_Laws_Of_the_Sun   2001年4月23日 午後 7時27分

>予言がまったく成就しない事によって、
>創造主とはまったく無縁の存在である、という事が完全に証明された、
>と考えざるおえません。

この考えでは、「予言が当たれば当たるほど、創造主に縁近き存在だと証明される」と言うことなのでしょうか?
そうしますと、良く当たる競馬の予想屋ほど、創造主に縁近き存在となるのでしょうか?
私は、あの予想屋さんを崇拝する気にはなれませんけど・・・

まぁ、これは半分冗談ですけどね。
ですが、SOLNA_99さんの創造主観では、人を誤った方向に導いてしまうと思いますよ。

私は、人類の危機や、立ちはだかる不幸が予想されればされるほど、その危機の時代を切り拓き、暗雲を吹き払い、未曾有の人類の苦しみを消し去るために、私たちの前に姿をあらわして、危機の予言を打ち砕き、外れさせ、闇のなかに希望を灯して下さるのが、創造主に縁近き方であると思っています。
どうでしょうかね?
(これは SOLNA_99 さんのメッセージ3616に対する返信です)


3622件目   なんじゃそれ?   投稿者:profiles_com   2001年4月23日 午後 8時32分

>1989年第9回講演会(12月17日)
>「悟りの極致とは何か」より

>私は、決して危機の予言者として現われたわけではない。
>人類の危機のみを予言するために、あなた方の前に立ちはだかる
>不幸の予言をするために来たわけではない。

*私は予言者ではない?
#なら、当たらない予言を、しなきゃーいいのに。と思います。

>そうしたものが予想されればされるほど、その危機の時代を切り拓き、
>暗雲を吹き払い、未曾有の人類の苦しみを消し去るために、今、立ちあがっているのである。
>危機の予言を、むしろ打ち砕くために、危機の予言を外れさせるために、
>闇のなかに希望を灯すために――。

*危機の予言を外れさせ、危機の予言を打ち砕き、
*闇のなかに希望を灯すために、今、立ちあがっている。
#で、どーやって希望の光を灯すのでしょうか?

>夜が来るということを言いたいのではない。
>夜が来てもそのなかに光を灯すと、必ずや神理の光を灯すと、
>世界が闇に没する時に、光はその時こそ必要なのだと。
>それを言いにきた。いや、言いにきただけではない。
>まさに、私たち一人ひとりが一本の蝋燭となって、
>そうした仕事をせねばならない時代にあるということを、言いにきた。
>告げにきた。告げにきただけではない。
>一本の蝋燭とならずして、今世地上を去ることは許さない。そう言いにきたのである。

*言いたいのではない。それを言いにきた。言いに ォただけではない。
*言いにきた。告げにきた。告げにきただけではない。そう言いにきたのである。
#‥‥‥な..なーんじゃ?それー?と思いますが‥‥‥

*闇の中で一本の蝋燭となって、仕事をせねばならない。
*一本の蝋燭とならずして、今世地上を去ることは許さない。
#つまり、大川隆法氏の示す修行せんのを、許さないの?
#私は、給料を与えると言って雇っておきながら、給料が払えなくなると
#修行という言葉を持ち出して、他人の人生を踏みにじるほうが許されないと思いますが?
(これは The_Laws_Of_the_Sun さんのメッセージ3615に対する返信です)


3623件目   あのー。。。   投稿者:profiles_com   2001年4月23日 午後 9時12分

>白い蛇だから神様かな?人間より蛇の方が偉いのかな?と思っていると
>「見えるのか」と心に語りかけてくるのです。
>予言者は父と話しているので、蛇の方が語りかけてきたのです。
>私は心の中で「はい見えます」と答えると、
>「見たことは誰にも話してはいけない」と語りかけてきました。
>子供のことですのでそれ以上は疑うことはしませんでした。

「誰にも話してはいけない、見たこと」を、思いっ切り話してません?....大丈夫?
(これは aiai114 さんのメッセージ3619に対する返信です)


3624件目   わからないのでしょうかね・・・   投稿者:The_Laws_Of_the_Sun   2001年4月23日 午後 9時39分

>まさに、私たち一人ひとりが一本の蝋燭となって、
>そうした仕事をせねばならない時代にあるということを、言いにきた。
>告げにきた。告げにきただけではない。
>一本の蝋燭とならずして、今世地上を去ることは許さない。そう言いにきたのである。

これを読んで、

「あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。また、あかりをつけて、それを枡の下になく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照らさせるのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめる 謔、にしなさい。」(マタイ5.14−16)

この聖句が思い浮かばなかったのでしょうかね・・・

イエス様の主が、「まさに、私たち一人ひとりが一本の蝋燭となって、そうした仕事をせねばならない時代にあるということを、言いにきた。」と言っているのがわからないのでしょうかね・・・
(これは profiles_com さんのメッセージ3622に対する返信です)


3625件目   クリスチャンの広場で   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2001年4月23日 午後10時07分

>神がいるなら宣教師が不幸な事故に遇うの>はおかしい。だから神はいないのではない>か?
>というのは、あまりにも安直すぎて、子供>じみた考えではないかなと思うよ。
>キリストは、この事故で、この宣教師と、>その娘の命を助けるという形では介入をさ>れなかった
>わけだけれども、それは、イコール、神、>キリストが存在していないというのではな>くて、必ずしも神、
>キリストは、 人間の都合に合わせて、そ
>ういう捉え方では捉えられないということ>ではないか。

クリスチャンの広場で神について良い発言をされているので参考にしたら?

危機の予言者ではないと言う意味が解りません?
予言者にも役割があるのですよ。
危機を専門にしているだけではないということです。

神様なりの都合があり、行動されているので
ですね。
それが理解出来ないとしても無理はありませんが、上記のクリスチャンの方なら理解出来るのではないでしょうか?

宗派が変わるとわからなくなるのかな?
(これは profiles_com さんのメッセージ3622に対する返信です)


3626件目   おふたりへ   投稿者:profiles_com   2001年4月23日 午後11時44分

◎The_Laws_Of_the_Sunさんへ

*まさに、私たち一人ひとりが一本の蝋燭となって、
*そうした仕事をせねばならない時代にあるということを、言いにきた。
*告げにきた。告げにきただけではない。
*一本の蝋燭とならずして、今世地上を去ることは許さない。そう言いにきたのである。

>これを読んで、「あなたが スは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。
>また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。
>むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照らさせるのである。
>そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、
>そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、
>天にいますあなたがたの 父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5.14−16)

>この聖句が思い浮かばなかったのでしょうかね・・・

いや、聖書のここからヒントを得た話だというのは、いくらなんでもすぐに分かりますよ。
近くの、33〜37節を読むと、「誓うな」ということが語られています。
36節を取り出してみます。

 また、自分の頭をさして誓うな。
 あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。(マタイ 5:36)

>イエス様の主が、「まさに、私たち一人ひとりが一本の蝋燭となって、
>そうした仕事をせねばならない時代にあるということを、言いにきた。」
>と言っているのがわからないのでしょうかね・・・

つまり、イエス・キリストは、「あなたがた一人ひとりは、 рフいのちを受けずに、
一本の蝋燭となって、そうした仕事などできないのだから、そのために私はきた。」
と言っておられるのであって、意味が、もう、ぜんぜん180度違っているんです。




◎gamandesuneさんへ

>>神がいるなら宣教師が不幸な事故に遇うの>はおかしい。だから神はいないのではない>か?
>>というのは、あまりにも安直すぎて、子供>じみた考えではないかなと思うよ。
>>キリストは、この事故で、この宣教師と、>その娘の命を助けるという形では介入をさ>れなかった
>>わけだけれども、それは、イコール、神、>キリストが存在していないというのではな>くて、必ずしも神、
>>キリストは、 人間の都合に合わせて、そういう捉え方では捉えられないということ>ではないか。

>クリスチャンの広場で神について良い発言をされているので参考にしたら?

私は、「人間の都合のいい考え方だけでは捉えられない」と言っているのです。

>危機の予言者ではないと言う意味が解りません?
>予言者にも役割があるのですよ。
>危機を 齧蛯ノしているだけではないということです。

ですから、「危機の予言者ではない」のなら、はなっから「当たらない危機の予言」
なんかしないほうが、いいでしょ?「当たらない危機の予言」をしておいて、
>予言者にも役割があるのですよ。危機を専門にしているだけではないということです。<
と言うのは、もう、まったく呆れるし、人々を惑わしているとしか思えない。。

>> 神様なりの都合があり、行動されているのでですね。
>>それが理解出来ないとしても無理はありませんが、
>>上記のクリスチャンの方なら理解出来るのではないでしょうか?

>宗派が変わるとわからなくなるのかな?

宗派が違うとかいう問題ではなく、言っていることが、ハチャメチャなのですよ。
(これは gamandesune さんのメッセージ3625に対する返信です)


3627件目   それは   投稿者:aogumyou(男性/jp)   2001年4月24日 午前 1時12分

ちょっと変ですよ。

>また予言についての意見は私も解ります。「このままい ッばこうなる」と言っている>ことを仏の力で変更されただけです。

>高級諸霊の中には教育的見地からも天変地異を起こした方が良いといわれていた方々>もいると聞いています。
>しかし、仏はそれを認められなかったのです。
>愛の深さの違いということであると思います。

>ましてや大川総裁は最初から、そのような予言を外すために地上に生まれられたので>もありますからね。


予言は警告の為で、仏は愛のゆえに天変地異を起こさなかった・・・という事ですか。

残念ながら、そのお答えは理解できません。
仏は天変地異を許さなかったと言っておられるけど、
KK発足以降、既に『阪神大震災』、『台湾大地震』、『トルコ大地震』といくつも被害の大きな天変地異は起きています。

本来なら、これらの災害を予言して警告を出すべきだったし、
予言していれば、あるいは幾人かの人は救われたかもしれないし、KKの信頼も得られたでしょう。

『阪神大震災』、『台湾大地震』、『トルコ大地震』は、何故起こったんでしょうか?
また、何故予言しなかったんでしょうか?
(これは gamandesune さんのメッセージ3611に対する返信です)


3628件目   追記>Profilesさん   投稿者:papayohkoh(57歳/男性)   2001年4月24日 午後 1時00分

しかし一つの音源にマイクを多数個使用して良い音を拾うというのは一見ごうりてきですが、音源が多数個存在することによる矛盾や、位相の変化にうといかたがそれをもって良い音といっていることが多く見られますようにこれもまた科学的迷信と信仰の領域となっておりましょう。でそういうことは盲目てきに是非をいわず良しとしてこと信仰になるとわからなくなっているのがおおかたのごはつげんとみうけられますね、太陽の法さん、我慢さんへの反論を拝見していてそう思います。
(これは papayohkoh さんのメッセージ3602に対する返信です)


3629件目   そういうことです。   投稿者:gamandesune(43歳/jp)   2001年4月24日 午後 1時36分

マイクを多数立てるという問題はパパさんのご指摘の通りです。

また、それ以前に音響空間にマイ Nが多数立つということはマイクを構成している素材が音に乗るということなんです。

金属製のマイクやマイクスタンドは必ず共振しています。

これが音源の側にたてば必ず鳴いているのです。
しかし、それは現在の録音エンジニアの人たちはあまり気にしません。

譜面台でもそうです。あるオケのゲネプロに立ち会ったとき頑丈な譜面台が並んでおりました。

その譜面台は転倒しにくいのでオケには好評らしいのですがリスナー側で聴いておりますと譜面台が全て音響的に影響をしていてオケの正面の音は鈍く、譜面台の角度の延長線上の位置でははっきり聴こえます。

また金属譜面台の一つ一つが共振していますのでこれを調整しますと余計な響きがとれるのです。
マイクが乱立していれば楽器が生み出さない音をマイクが作り出しているのですね。
それを良い音というのは「おごり」というものですね。

また、これに気がつかないエンジニアの多いこと。

自分の領分において完璧と思いこんでいるようですが実はその行為自体に見直すべき問題が潜んでいるのです。

幸福の科学で学んでいることで、そのような点についても絶えず考えさせられておりますが(ものの見方としての中道ですね。)、何方かはそのような習慣を学んでいないようですね。
(これは papayohkoh さんのメッセージ3628に対する返信です)


3630件目   Re:追記>Profilesさん   投稿者:profiles_com   2001年4月24日 午後 2時42分

>しかし一つの音源にマイクを多数個使用して良い音を拾うというのは一見ごうりてきですが、

一つの音源にマイクを多数個使用して「良い音」を拾っているのではありません。
音は、摩擦から起こる振動が共鳴していて、周波数帯域が重なっています。
音というのは、例えば、低域は近くでズンズン響き、遠くまでは行きません。
中高域が、もっとも遠くまで飛んで行きます。
ですから、例えば、救急車やパトカーなどのサイレンの音は、中高域で作ってあります。
強い音は、摩擦が大きいですから、大きいだけでなく、堅くなります。
弱い音は、柔らかくて小さい。
音のニュアンス、微妙さを残しながら、うるさくなくて、
よく耳に入ってくる音、音楽の完成を目指して録音とミックスをしているのであって、
合理的という言葉とは、むしろ無縁であり、適切ではないと思います。

>音源が多数個存在することによる矛盾や、位相の変化にうといかたが
>それをもって良い音といっていることが多く見られますように
>これもまた科学的迷信と信仰の領域となっておりましょう。

音楽理論や音響理論を鵜呑みにしてやってきたのではなくて、
実践のなかで捉え、身に付けてきたことを言っているのです。
リスナーは、録音のときにマイクやトラックをいくつ使ったとか、
位相の違いをどのようにミックスしたかとか、関係なく聴いているわけで、
ただ、良ければ良いのですから、けっして理論、知識通りにというのではなくて、
良い音を求めている過程で、理論の意味が分かり、身に付いてきたことです。

>でそういうことは盲目てきに是非をいわず良しとしてこと信仰になると
>わからなくなっているのがおおかたのごはつげんとみうけられますね、
>太陽の法さん、我慢さんへの反論を拝見していてそう思います。

これは、私が、盲目的に是非を言わず良しとして、こと信仰のことになると
分からなくなっているように見えるという意味ですよね?
同じように、私もあなたがたを見ていて、まったく盲目的だと思うのです。
(これは papayohkoh さんのメッセージ3628に対する返信です)


3631件目   gamandesuneさんの「おごり」   投稿者:profiles_com   2001年4月24日 午後 3時03分

マイクやスタンド、譜面台の問題は、いつも感じていますよ。。

>それは現在の録音エンジニアの人たちはあまり気にしません。

録音をすることが目的ですから‥‥マイクとスタンドを使わないわけには。。。

>また、これに気がつかないエンジニアの多いこと。

「気付いていない」というふうに、思っておられるだけでは?

>自分の領分において完璧と思いこんでいるようですが

完璧だと思い込んでいると、思い込んでおられるようですが‥‥。
gamandesuneさんが、幸福の科学で学んでいることによって、
人を見下しておられるようにしか見えませんが‥‥。
(これは gamandesune さんのメッセージ3629に対する返信です)


3632件目   突っ込ませて頂きます   投稿者:CIAKGBDEA(39歳/マル秘)   2001年4月24日 午後 5時52分

我慢さん、こう言う物の言い方は宗教家として恥じるべきではないでしょうか?

>貴方の小さな頭脳で創造主を規定していますね。

こう言う物の言い方をしている我慢さんに賛同しているKKの皆さん。う〜ん、本当に心の修行をしているのかな〜? あなた達KKの皆さんは今公共の場で発言をしている事を忘れていませんか? このような発言がKKのイメージを傷つけていると言う事も頭に入れておいた方がいいですね。

>そのた価値基準は人間のそれを全く同じと思っておられるのでしょか?

こんな事を言っておられるのですから我慢さんは創造主の価値基準をわかっているんですよね。わかってないのでしたらこんな事言えませんもんね。

>予言が全て当たることが創造主ということならキリスト教もまったくいかがわしい教えになりませんか?

人間が予言すればはずれる事もあるでしょうね。大川さんは自分で仏だと言っているんですよね。彼は神様なんですよね。予言が当らない神様。 どうでしょうかね〜。
(これは gamandesune さんのメッセージ3618に対する返信です)


3633件目   わはははは、   投稿者:Dakaranannda(不明歳/メリーの下)   2001年4月24日 午後 6時46分

 おいら出る幕無し。

 いや〜相変わらずですね〜

 相変わらずの傲慢ぶり、、、あきれた。
 貴方の考え方や価値基準はどれほど正しく高尚なものなのでしょうか?おいらにはまったく理解できないが、貴方は高いところから堂々と他者に対して「貴方の小さな頭脳」なんて言い放つのですね。

 相変わらずガマンさんはえらいんですね。

 ところで何をガマンしているの?とてもガマンしてるとは思えないけどね。


 しかし実際に「創造主」なる存在が実在するのなら貴方のほうが、

>創造主という存在に対して非常に失礼であると思いますよ。

じゃないのでしょうか。
貴方のトコの「創造主」じゃねぇ、、、
ちっちぇ〜
そのうち怒られるんじゃないの、本物にね。
いや、大丈夫か、本物はちっちゃ過ぎて気づかない。これなら安心してカタレるね!


 しかし何でほかの信者さんはこういう態度を注意しないのかな?皆さん同感なのかしら?だとしたらひじょ〜に嫌な感じだな。
 パパさん!いいの?大丈夫なの?
(これは gamandesune さんのメッセージ3618に対する返信です)


3634件目   自灯明(じとうみょう)   投稿者:The_Laws_Of_the_Sun   2001年4月24日 午後 8時21分

>聖書のここからヒントを得た話だというのは、いくらなんでもすぐに分かりますよ。

仏教では「自灯明」と言われる思想なのです。
これは、イエス様生誕よりも古くからある教えなのですよ。
イエス様がインドで仏教を学ばれた時に、お聞きになられたのでしょうね。
どうもニュアンス的に、「(総裁先生が)聖書のここからヒントを得た話をしている」と言っておられる様ですが、そうではないのですよ。
(これは profiles_com さんのメッセージ3626に対する返信です)


3635件目   >自灯明   投稿者:profiles_com   2001年4月24日 午後 9時03分

>これは、イエス様生誕よりも古くからある教えなのですよ。
>イエス様がインドで仏教を学ばれた時に、お聞きになられたのでしょうね。

あなたがたは、仏教が>イエス様生誕よりも古くからある教え<だから、
キリストがインドで仏教を学び、その教えの一部をここで説いていると、
そのように信じたうえで、言っておられるということも分かります。

>どうもニュアンス的に、「(総裁先生が)聖書のここからヒントを得た話をしている」
>と言っておられる様ですが、そうではないのですよ。

大川隆法氏自身の話しであれ、指導する高級(?)霊の話しであれ、
それを固く、正しいと信じ込んでおられて、「そうではないのですよ」と言われる。
それが、おかしいと言っているのです。
(これは The_Laws_Of_the_Sun さんのメッセージ3634に対する返信です)


3636件目   は?   投稿者:The_Laws_Of_the_Sun   2001年4月24日 午後 9時34分

>大川隆法氏自身の話しであれ、指導する高級(?)霊の話しであれ、それを固く、正しいと信じ込んでおられて、「そうではないのですよ」と言われる。それが、おかしいと言っているのです。

「自灯明」は、総裁先生自身の話とか、指導する高級霊の話とかではないですよ。
「自灯明」の思想は、伝統的な仏教にすでにあるのです。
別段、新しい話ではないのですよ。

伝統的な仏教にすでにある「自灯明」の話を、総裁先生が用いたことが、何かおかしいのですか?
仏教の自灯明の話は、仏弟子(あるいは仏教を学ぶ者)としての、「あるべき姿」を語ったものであって、「固く、正しいと信じ込む」という次元のものではないと思いますけど・・・

仏教の自灯明(一本の蝋燭となって、世を照らして行く)の教えは、キリスト教にも通じるものがあると思うのですけどね・・・
(これは profiles_com さんのメッセージ3635に対する返信です)


3637件目   キリストのいのち。キリスト教のいのち。   投稿者:profiles_com   2001年4月24日 午後 9時37分

イエス・キリストは、処女マリアが聖霊によって身ごもり、
そのことを、マリアとヨセフが信仰(神への信頼)によって受け取り、
イエス・キリストは、すべての罪を負い、父なる神にすべてを委ねて十字架に死んだ。
これが、キリスト教のいのちであり、信仰によって与えられるキリストのいのちです。

私は、これを鵜呑みにして信じたわけではありません。
聖霊体験を重ね、また聖霊と語るなかで得た確信、悟りです。

まず、大川隆法氏は、初めの頃出した「キリストの霊言」のなかで、
キリスト自らがこれを否定し、仏陀であると公言しました。
大川隆法氏は、高級霊(?)の指導のもとに、当時の弟子たち、
また現在のキリスト教が間違っていると断言したのです。
それを信じておられる。それが、あなたがたの「信仰」ですね。
(これは profiles_com さんのメッセージ3635に対する返信です)


3638件目   >は?   投稿者:profiles_com   2001年4月24日 午後10時02分

>伝統的な仏教にすでにある「自灯明」の話を、総裁先生が用いたことが、
>何かおかしいのですか?
>仏教の自灯明の話は、仏弟子(あるいは仏教を学ぶ者)としての、
>「あるべき姿」を語ったものであって、「固く、正しいと信じ込む」
>という次元のものではないと思いますけど・・・

“仏教の「自灯明」の話”をされること自体は、おかしいとは思いません。
仏教の「自灯明」の話自体を、聖書にヒントを得て作った話だと
私が言っていると思われたのですね・・・
それは違います。
先の投稿にも書きましたように、大川隆法氏は、聖書の内容を用いて本を書いておられる。
それに、あなたはマタイ伝の聖句(5:14〜16)を引用された。

>仏教の自灯明(一本の蝋燭となって、世を照らして行く)の教えは、
>キリスト教にも通じるものがあると思うのですけどね・・・

それは、あなたの捉えておられるキリスト教だと思うのです。
それに、もし、仏教の「自灯明」と、マタイ 5:14〜16 が通じるのであれば、
本来の仏教の「自灯明」の言いたいことは、何かもっと違うのではないかと思うのですが・・・
(これは The_Laws_Of_the_Sun さんのメッセージ3636に対する返信です)


3639件目   Erratum(3306)   投稿者:WW_R2(28歳/男性)   2001年4月24日 午後11時47分

Msg.3306 の訂正です。

  パーソナリティ → 性格

この用語は心理学では全く別の意味になるようなので,
さしあたり「性格」に変更させていただきます。
(これは WW_R2 さんのメッセージ3305に対する返信です)


3640件目   理神論的な信仰?   投稿者:WW_R2(28歳/男性)   2001年4月24日 午後11時53分

こんにちは。やや日があいてしまいました。


>> まず,それを人間が確認する手段がないのではないかと思います。

> はずれは確認できますよね。それとも仏だと確認できないって事ですか?

> 大川さんは自分が神だと言っているので少し違うのでは?


確かに予言の当たりはずれは確認できますね。
仏だと確 Fできるかどうかに関しては,私たち人間が「仏」について
どこまで理解することできるのか,ということと関係していると思います。

結論的には,「仏」そのものを確認することができないために「如来」と呼ばれる存在がいて,
如来が仏とはどういう存在であるかを私たちに推測させてくれている,ということになります。
さらに,如来よりもさらに個性化が進んだ「菩薩」と呼ばれる存在が,
人間の姿をとって衆生の救済等の実践をしていると考えるわけですが,
「神」という言葉は,その菩薩の補助者というぐらいの意味になってしまいます(仏教的には)。

なお「時空を超越した神は未来のことが完全にわかる」という考え方は,
一種の理神論的な信仰としてもありうるものだと思います。
私たち人間は,通常,時間が一つの方向に流れている世界(三次元世界)にいますので,
時空を超越していません。ここで問題としている予言の内容というのは,
誰か特定の人間の心の世界のことではなく,三次元世界で起こることを指しているでしょうから,
「未来のことが完全にわかる時空を越えた存在は,三次元世界で起こる未来の森羅万象を キべて予言できるのか」
ということが問題になります。

これが可能であると考えるのは「決定論」的な世界観です。
その一方で,人間には「自由意志」があるという考えがあります。

人間に自由意志を認める立場では,
例えば「よい作品を作ろう」「よい結果を出そう」「こちらを選ぼう」ということが,
何者にも強制されずに自発的に行うことができると考えます。
この立場では,予言が預言であると仮定した場合においても,その予言が当たった(はずれた)場合に,
それが「自由意志のためなのか,預言による予言だった(ではなかった)ためなのか」が
預言者でない私たちには確認できません。

決定論を採用する場合や,人々から自由意思を奪うような考え方をした場合には,
預言による予言の当たりはずれが預言者の真偽に直結するという考え方になるんじゃないかと思います。
(これは CIAKGBDEA さんのメッセージ3551に対する返信です)


3641件目   決定論と自由意志ni   投稿者:WW_R2(28歳/男性)   2001年4月25日 午前 0時27分

以下は「決定論と自由意志」に関係すると思われる具体例と思想の一つです。ご参考になれば幸いです。

簡単な場合として,3本からなる「アミダくじ」を考えます。
時間の流れは横(左から右)であるとします(右から左でもかまいませんが)。


 a −−−−−−−−− A
    |   |   
 b −−−−−−−−− B
      |   | 
 c −−−−−−−−− C


分岐点で縦方向への移動を最優先させることにすると(自由意志を認めない場合に相当します),
a-B, b-C, c-A が一対一につながるので,完璧な予言が可能です。
「アミダ」がもっと複雑になっても,完全な情報を知っていれば完璧な予言が可能です。

一方,分岐点で縦方向も横方向も可能であるとすると(自由意志を認めたことになります),
仮に a から出発した場合でも,A,B,C のいずれにも行き着くことが可能です(b,c も同様です)。
このように完全な情報を持っていたとしても,(a,b,c) から (A,B,C) のどこへ行くかは,
自由意志に委ねられる部分があるので 100%の予言は不可能となります。
(もちろん「A,B,C のいずれかへ行き着く」と予言すれば必ず当たりますが,
 予言として特に意味があるとは思いません。)


別の説明をします。
三次元世界を古典力学的な系とみなしてニュートン方程式(or ラグランジュ方程式)に従うと,

 「宇宙に働く力の全てが知られており,ある時刻での全ての情報が完全に知られているとした場合,
  原理的には未来の森羅万象をすべて曖昧さなく予知する(予言する)ことが可能である」

という結論が導かれます。歴史的には,ラプラス (1749-1827) という数学者・天文学者が,
そのような全てを知り得る理想的な知的存在があると考えて,

 「この知的存在にとっては宇宙の中で何一つ不確定なことはなく,
  未来のことを完璧な正確さで予見することが可能である」

という思想を『確率の解析的理論』(1812年) で発表しています。
この知的存在は「ラプラスのデモン(Laplace's demon)」と呼ばれています。

このような一種の理神論的な思想は,意思をもたないビリヤードの玉のような場合には当てはまります。
ただし,自由意思が認められている場合には,
ある時刻(予言が ネされた時)からある時刻(成就すべき時)までの間に,
人々の意思の介入が許されることになるので,古典力学の法則が当てはまりません。
このようにラプラスのデモンであっても,時間が流れていれば,予言は 100%は当たりなくなります。
100%当たるならば
「全ての人間の意思がそのような知的存在によって完全に制御されている」
ということになってしまいます。
(これは WW_R2 さんのメッセージ3640に対する返信です)


3642件目   決定論と自由意志について   投稿者:WW_R2(28歳/男性)   2001年4月25日 午前 0時31分

以下は「決定論と自由意志」に関係すると思われる具体例と思想の一つです。ご参考になれば幸いです。

簡単な場合として,3本からなる「アミダくじ」を考えます。
時間の流れは横(左から右)であるとします(右から左でもかまいませんが)。


 a −−−−−−−−− A
    |   |   
 b −−−−−−−−− B
      |   | 
 c −−−−−−−−− C


分岐点で縦方向への移動を最優先させることにすると(自由意志を認めない場合に相当します),
a-B, b-C, c-A が一対一につながるので,完璧な予言が可能です。
「アミダ」がもっと複雑になっても,完全な情報を知っていれば完璧な予言が可能です。

一方,分岐点で縦方向も横方向も可能であるとすると(自由意志を認めたことになります),
仮に a から出発した場合でも,A,B,C のいずれにも行き着くことが可能です(b,c も同様です)。
このように完全な情報を持っていたとしても,(a,b,c) から (A,B,C) のどこへ行くかは,
自由意志に委ねられる部分があるので 100%の予言は不可能となります。
(もちろん「A,B,C のいずれかへ行き着く」と予言すれば必ず当たりますが,
 予言として特に意味があるとは思いません。)


別の説明をします。
三次元世界を古典力学的な系とみなしてニュートン方程式(or ラグランジュ方程式)に従うと,

 「宇宙に働く力の全てが知られており,ある時刻での全ての情報が完全に知られているとした場合,
  原理的には未来の森羅万象をすべて曖昧さなく予知する(予言する)ことが可能である」

という結論が導かれます。歴史的には,数学者であり天文学者でもあったラプラス (1749-1827) という方が,
そのような全てを知り得る理想的な知的存在があると考えて,

 「この知的存在にとっては宇宙の中で何一つ不確定なことはなく,
  未来のことを完璧な正確さで予見することが可能である」

という思想を『確率の解析的理論』(1812年) で発表しています。
この知的存在は「ラプラスのデモン(Laplace's demon)」と呼ばれています。

このような一種の理神論的な思想は,意思をもたないビリヤードの玉のような場合には当てはまります。
ただし,自由意思が認められている場合には,
ある時刻(予言がなされた時)からある時刻(成就すべき時)までの間に,
人々の意思の介入が許されることになるので,古典力学の法則が当てはまりません。
このようにラプラスのデモンであっても,時間が流れていれば,予言は 100%は当たりなくなります。
100%当たるならば
「全ての人間の意思がそのような知的存在によって完全に制御されている」
ということになってしまいます。
(これは WW_R2 さんのメッセージ3640 ノ対する返信です)


3643件目   お元気?   投稿者:WW_R2(28歳/男性)   2001年4月25日 午前 0時34分

烏山さん,お元気ですか?
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3644件目   Re:自灯明   投稿者:JuanGotoh(35歳/男性/神奈川県相模原市)   2001年4月25日 午前 1時38分

>仏教では「自灯明」と言われる思想なのです。

仏教の「自灯明」って、世の中を照らすというような意味はないですよ。
普通は
「自らをともしびとして他をともしびとするなかれ」
という意味で使われる言葉です。つまりここでの「灯明」は自分の行動とか修行とかそういうことのよりどころとなるもの、という意味です。ついでに、もともとの経典では「灯明」ではなく「島」なんです。漢訳の際に意訳されたわけです。

参考:
http://www.otani.ac.jp/read/backn/bnden/old/1994-06.html

もちろん、幸福の科学の解釈として、既存の仏教の解釈は違うというのは自由ですが、「仏教では……」と言っているのですから、ここでは既存の仏教の解釈を書くべきでしょう。
(これは The_Laws_Of_the_Sun さんのメッセージ3634に対する返信です)


3645件目   いきなり人気者になったようですね。(笑)   投稿者:SOLNA_99   2001年4月25日 午前 4時15分

赤信号、みんなで渡れば怖くない、という事でしょうか・・・。ハハッ
まぁ、ちょっとずつRESしていきますね!

ということで、IT167123123145145167さんこんにちは!

> 創造主は
> あらゆる生命、物質と関係しています。

そうですね。

> 貴方も、仏神に真実触れたことが無いですね。

『仏神に真実触れる』と言う事は、まさに宗教の奥義である、
梵我一如とか、神人合一とか、神と一つになるなどと言われる、
魂の完成を意味する言葉でしょうか?

> 別に貴方を拝んでもよいのですが、幸せになれますか?

諸行無常、諸法非我、あらずあらずのアートマンなどと言われるように、
人間ごときは、信仰の対象にも、崇拝の対象にも、断じてなりません。

正しく宗教を学んでいるならば、偶像崇拝(人物崇拝)する事などは、
まったくありません。
(これは IT167123123145145167 さんのメッセージ3617に対する返信です)


3646件目   WWさんへ   投稿者:CIAKGBDEA(39歳/マル秘)   2001年4月25日 午前 9時26分

ありがとうございます。勉強になりました。自由意志についてはわかりました。

大川さんって仏なんですよね。仏にも未来はわからんって事ですよね。ではなぜ予言がはずれる恐れがあるのに予言をするのか? 

わからん事を口にするのはいかがなものでしょう。口にしてはずれれば一般的には嘘付きです。嘘を何回も口にすると信用を失いかねません。それを神様である大川さんがあえて行う。とても不思議です。 
(これは WW_R2 さんのメッセージ3642に対する返信です)


3647件目   操作ミス(No.3641)   投稿者:WW_R2(28歳/男性)   2001年4月25日 午後12時11分

Msg.3641 は無視して下さい。Msg.3642 と同じ内容です。
(これは yukisan_kokodoko さんのメッセージ1に対する返信です)


3648件目   こんにちは   投稿者:IT167123123145145167   2001年4月25日 午後 7時15分

とりあえず質問です。

>正しく宗教を学んでいるならば、偶像崇拝(人物崇拝)する事などは、
まったくありません。

釈迦如来に対する合掌という行為は、何を意味しているのですか?

>『仏神に真実触れる』と言う事は、まさに宗教の奥義である、
梵我一如とか、神人合一とか、神と一つになるなどと言われる、
魂の完成を意味する言葉でしょうか?

まさか、そこまで自惚れておりません。
しかし如来とか菩薩、もしくは大天使、天使といった存在、更には守護霊、指導霊といった存在の実感ということです。
通常では、めったなことが無い限り私にはそうした @会は訪れませんが、精舎という特別な施設でのみ経験させていただけます。
私のような凡夫ならばエル・カンターレ信仰よる架橋によって初めて可能なことだと思います。

差し支えなければSOLNAさんの思想的バックボーンと、幸福の科学を批判する根拠を教えてください。
(これは SOLNA_99 さんのメッセージ3645に対する返信です)


3649件目   であれば何を持って良い音   投稿者:papayohkoh(57歳/男性)   2001年4月25日 午後10時02分

と判断されていらっしゃるのでしょうか。
一つの音源としてのたとえばピアノからでるさまざまなおとの重なりハーモニーによって単にピアノ固有の音色のみならずその形大きさまでが音のなかにみごとにふうじこめられていますが、本来うるさい音はそとうりのうるささ、やわらかいおとは柔らかくそのまま、届かない低音はとどかないレベルのまま忠実に再現できればその楽器の個性が歪むことなくつたわるのでありましょう、伝わらないものをわざわざ引っ張ってくることによって巨大なビルのようなピアノが表出したり、顔の大きさをこえて口が歌う現象があったりすることは音の世界ではよくしられていますが、あなたのいう芸術としての音楽性をいうのであればなおさらそこのところがたいせつとなりましょう、ただよければよいというあなたが、信仰のことになるとそうではないとおっしゃる、リスナーとして耳が肥え、よりよいもの、真実の再生芸術を求める方はいじくり回された音が、聞こえるものですよ、関係なく聞いている方もあるでしょうが。
それは信仰でも同じことでありましょう、良い音を求めるのとおなじようにすばらしい信仰をもとめることにおいて、世間の理屈どうりのものではなく信仰の意味が解り、実社会の中で実践ニ野中で捉え、身についた真理が幸福の科学であるということでしょうか。
(これは profiles_com さんのメッセージ3630に対する返信です)


3650件目   そうでしたか・・・   投稿者:The_Laws_Of_the_Sun   2001年4月25日 午後11時40分

>“仏教の「自灯明」の話”をされること自体は、おかしいとは思いません。
>仏教の「自灯明」の話自体を、聖書にヒント 塔Zて作った話だと
>私が言っていると思われたのですね・・・
>それは違います。

そうであれば、私の勘違いですね。
失礼しました。
(これは profiles_com さんのメッセージ3638に対する返信です)


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