ノストラダムスの予言の中の幸福の科学<7>

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ノストラダムスの予言の中の幸福の科学61 投稿者:比丘 投稿日:2001/12/16(Sun) 09:06

最後に,ノストラダムス預言の意義について,幸福の科学の初期の書物の情報とあわせて,私の現時点での考えを述べ,まとめに入りたいと思います. 
 さて,幸福の科学で理解されてきた世界宗教の構図として,ヤーベによる啓示型の宗教と仏教系に大別できるということは皆様の知るところと思います.
 謹直に考えれば,今回の天上界の計画について,この様な事態を引き起こすこと自体に無理があったという考え方もあると思います.しかし,計画は自分が作成して来るものであり,特に釈迦意識による宗教は,地球の主軸であるヤーベ系の宗教(仏教系以外のもの)とは,多くの部分で独立に展開されていますから,地上に出る時期も,ヤーベの命によって出たとは言い切れません.(実際キリスト教の伝道でもある時期までは,アジアに伝道することは天からの声で禁じられており,伝道に赴こうとすれば,「そっちには行くな」との天の声が聞こえたとの伝承があります.)仏教で神が直接に説かれていないのは,天にヤーベをあおがない姿勢があったためといっても間違いではないでしょう.(一説に神という言葉は中国から日本に仏教が伝来するときに消されたという論説もありますが,その神は当時バラモン教で信仰されていたものであり,これを踏襲して釈迦も言及しただけのものである可能性が大きいと思います.)

ヤーベは,人類救済のためには全力を挙げて釈迦意識をバックアップしサポートをするために最善を尽くすでしょう.実際霊言集が出ているときの状態を保っていけば(それは釈迦意識においてはそれほど難しいことではない)教祖の自覚も徐々に深まり,最後の悟りに達した可能性は高く,天もそれを願っていたはずです.
しかし,方針を変更したのは天ではなく教祖自身だったのです.その理由は,この解説でも述べてきましたように,一つは高橋信次に対する嫉妬です.「人間の本性は,最も艱難な状況にあるときに現れる.」とは釈迦の言葉ですが,実際今回のように9次元霊が二人同時期に出生したというのは,歴史上例がありません.


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学62 投稿者:比丘 投稿日:2001/12/16(Sun) 09:09

 自分が最強であるときにはカルマは潜在しますが,いざ比肩するものが現れた場合に,その本来の存在価値が問われるという厳しいものだと思います.
 高橋信次が,前もって法を説いてしまったので,それがじゃまになって今回の事件になった等というのは,それこそ,天と地獄をひっくり返した愚直な論法でしょう.良きものが先に現れているならば,よりよき者にならなくてはおかしいからです.しかも高橋信次は釈迦仏教を,その本質が分かるように説きなおし,「人間釈迦」シリーズにより,最大限に釈迦を励ましたと言うことが出来ます.こうしてみると責任を他に転居するのは大変おかしいといえるでしょう.そもそも自己に起こっていることのすべては自分の責任であるわけですから.

 更に,このような嫉妬は,この地上で今生生じたものとは考えにくい面があります.それは,釈迦意識であれば,その程度のカルマは直ちに反省できるからです.しかし,もし何億年もの間に培われてきた,魂としての傾向性に起因しているのであるならば,それから離れるのは,難しい面があります.
 幸福の科学の書物によれば,釈迦意識が,最初にこの地球に派遣されて来ましたので,後から来たアール神(ヤーベ)にたいし,指導的立場の9次元霊たちがすべてこれに従ったと言うことは,ある意味で,釈然としない思いがあったことも考えられます.プライドがあったといってもよい思います.出版物を読めばそのことは容易に想像できます.ここをサタンに巧妙にねらわれた可能性は高いと言えるでしょう.

 仏教では,他の宗教と違いただ一つだけ,天に神を仰がなかった理由もこう考えれば理解できます.このような9次元霊の間のある種の相克みたいなのがあった可能性も捨て切れません.今回,幸福の科学を中心とする運動が実験と言われたのは,この釈迦意識が,自分を神とせず,天に権威を預けられるかどうかということがその根底にあったと思います.これが出来れば先ほど述べましたとおり,最後の悟りに至る可能性は大変高いと言えると思います.このときには,めでたくノストラダムス預言は無効となったはずです.



 天に神を仰がないと,やはり人類救済計画は成功しません.それがこの実験で明確になったと言えます.ノストラダムスもその序文で,例え誰であろうとも霊の助けなくして何事も成就できないと語っています.であるからこそアールの称号をもつ真のメシアが派遣されこの地球をまとめ上げていく必要があったと言えます.主宰神は一人で十分で二人ではうまくいきません.しかもそれは神から認められた方がなるのは必定といえます.


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学63 投稿者:比丘 投稿日:2001/12/16(Sun) 09:18

今回の,希有な事件を短期的視点から理解しまとめるとすれば次のように言えると思います.運命というのは,高次元にいくほど正しく見ることが出来ます.神は全部知っているわけです.一方,釈迦はアール神に従いません.自分で下界に出る時を決めますが,逆にずっと前から,その使命が定められていたと言うことも出来ます.釈迦自信もその中核部分の下生という大いなる覚悟の下に生まれてきた事も間違いありません.その運命は,釈迦意識からみれば,下は地獄上はユートピアであり,その意味で実験であったわけです.しかしより高次の存在のアール神からみれば,結果はほとんど確定的でありましたが,釈迦の意思をたとえアール神といえどもまげるわけにはいきません.そこで,運命を好転させるべく最大限の努力をすること.また,実際に起こることに対して,預言をしておき,最悪の事態に備えるということ.このような秘技の下に,人類最大の実験が行われたと解釈できると思います.預言の役割は,正しいものを後世に残し,悪しきもの,間違ったものを刈り取るためであると言えます.それは指導者の責任といえるからです.

ノストラダムスの預言はそのためになされたものであり,人類にとって重要な責務を負っていたことになります.このため預言には,アール神,キリストをはじめとする最高の霊が関わり正確無比かつ入念な計画の下に行われたわけです.預言がすべてに対して秘されてきたわけは,もし明らかにすれば,地獄の王は,正法を葬るべく別の手を考えてしまうからでしょう.その場合には収拾ががつかなくなるおそれがあります.

 今回は最終ユートピアへの布石であるため,メシア単体での宗教づくりではその実現は困難といえます.そして宗教統合への布石のためには,人類の真の主が,その存在を明らかにしなくては成りません.姿を明かしておく必要があります.そのため,釈迦一人の思想で時代の変革を任すわけには行かないのは当然といえます.霊言はそのために行われたものでしょう.もし,今回の幸福の科学に先立って,高橋信次の下生がなければ,統合の望みは消え,世は暗黒の縁に沈んだことでしょう.例え,その先立つ下生がなく,釈迦に任せられたとしても,釈迦は,アール神の介入をすんなり由とはしないでしょう.これでは,宗教は分裂したままで,人類救済は不可能となってしまいます.高橋信次は人類最後の仕上げをすべく3億6千万年ぶりにこの地上に下生し,人類初めての法を説きました.その著書で証明されている法の存在は,現時点では偉大さが,あるべき姿としては理解されていないと思われます.しかし,誰の目にも,その内容が偏りのない普遍的なものであることは分かります.この主の法はやがてボディブローのように,少しずつ効いて,最終の人類光明化の礎になっていくことは間違いありません.それは決して表で華々しくと言う意味ではありません.人類の最深奥の部分で,光の柱となって人類を導いていくことでしょう.


ノストラダムスの予言の中の幸福の科学64 投稿者:比丘 投稿日:2001/12/16(Sun) 09:19

いつの時代にも大変革はメシア下生とともに始まります.そして今回も同じです.異なることは,今回は宗派形成ではなく,宗派統合という大目的のもとに行われたという点でしょう.この大変革は,今はまだ人々の目には見えないかも知れません.しかしそれは時代を進むにつれてだんだんと明らかになっていくことでしょう.最終の布石であるからこそ,主宰神が姿を現す必要があったこと,その点において今までの大変革とは質が異なることが重要な点です.すべてはこのための布石であったからです.そのときにメシアが自分の教えを出すだけのために下生などということは許されません.なぜなら宗教統合なくして地球ユートピアの実現は難しいからです.キリストの言う天の父とアラーの神が同じであってそれは地球の唯一神であったという理解が定着したとき,どのような変化が起きるのかは想像に難くありません.

 さて,まとめが長くなりましたが,そろそろお別れを言わなければなりません.私の役目は,最後の走者として,ノストラダムス預言を伝えること,そしてアール神の降臨・再臨の真の意味を,預言に基づいて説明することまでです.

 ここで引用した解釈者すべての方々に感謝します.彼ら無くして,この解説も出来なかったからです.それらの方々の解釈はすべてインスピレーションを得て行われたものであること,そしてそのまとめとして,私が引き継いだものであることをここに明記したいと思います.とくに参考引用した訳はすべて日本人の手によるものであったことは注目に値します.ノストラダムスも序文で述べているとおり,日本で真の解読がされることになっていたからです.本解読が,仮にいつの日にか名誉に預かるとするならば,それはすべてその方々に帰するものです.
 終わりに,8月に,本投稿を開始して,4ヶ月余にわたり,拙い文章をお読みいただいた皆様には心からの感謝の意を表したいと思います.どうか,皆様の願いが現実となってユートピア実現に前進しますようお祈りしたいと思います.
 またこのホームページが存在したことに感謝いたします.「幸子」さん,長い間どうもありがとうございました.
 いつの日か,また皆様とどこかでお目にかかれることを願い,筆を置きたいと思います.
         
          キリストの生誕にそれほど遠くない 師走の良き日に

                       比丘


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