宗教経験の前後における 精神的・心的な劇的変化と苦痛は・・・
絶望と断罪と懺悔・・
無価値感 恐怖・・常に教祖に見られている感じ・・
数限りない 教祖の教え 戒律、道徳、 法、命令・・
守らなければ地獄、という恐怖 人生の目的の全ては
魂修行・・そんな感覚の毎日・・
宗教を経験した後の 意識の変化は大きなものでした。
初めて書籍を読んだ時は その書籍に 人生の疑問の答えが
全て書いてあるようで、そのときは 興奮し感動しました。
教祖は 絶対的に 何もかも知っていて 人生の答えの全てを知っていると
教祖自身が言っていたわけで・・自分を信じろと命じてる・・
彼は 著書の中で 人類の過去を何十億年もさかのぼって
歴史書を書いていて、未来のことも書いています。
最近の予言は 当たりませんでしたけれど・・
でも、つまり 自分は 何もかも知っているし、誰も知らない事を
知っていて それを教えようというのだから 自分に従いなさい。
と 言ってる・・・。
信ぜよ 信ぜよ と命じて 信じられない者は 霊の格が低いのだ
ということでしたし、誹謗中傷したら もう 人として生まれ変われないのだ・・と
経のなかには書いてあります。毎日それを読んで・・
でも、何かが違ってる・・気がしたのです。
教祖の 独断だけが 信じられたら 専制政治になってしまう。
独裁国家と同じ・・。
やめた後 いつまでも続いた 奇妙な恐怖心。強烈な無価値感・・
断罪と絶望と懺悔の意識・・
そんなものをどうして 人の脳に送り込む必要があるのか・・??
宗教によって生まれた変化ー主に心的・意識的なーは、
ひとえに システムによるものであって、個人個人の
力で それを解除する事は とても 難しいしくみになっていると思います。
誰も 自分の心で何かを決定することや判断する権利を
何かの操作によって 奪われるべきではないと思います。
教団の本を読んで 経を読んで 一番変わった事は
いつのまにか 自分の心のなかの最高司令官の椅子には、
自分でなく教祖が座っていたということです。
教団というのは、しくみとしては、絶対的な独裁教祖王国なんだと 思います。
誰も、教祖を罷免できないし、非難できません。もちろん 民主主義のように
リコール制度とか、弾劾裁判制度とかもありません。
教祖は、絶対的に完全に偉い 最高霊格の魂であって、
地球人類の誰よりも 一番 魂の格(存在価値のようなもの)が、高いのだと・・
教祖自身が、そう言っていて、みんな信じているのですから・・。
霊界の世界とは、信者にとっては想像の世界です。
教祖は見てきたと言っているけど、他の人はそれを信じるしかないわけです。
教祖は 信者の脳の中の空想の世界(おとぎの国)を 教祖中心の世界観にして
それ以外を信じるものは霊格が低いとか、魂が目覚めていないとか 言います。
裸の王様の市民のように誰も自分がばかだとは いわれたくありません。
絶対的な 善悪の決定者 (だとみんなが信じてる人に・・)に
ばかにされるのは 怖いのです。
霊界つまり おとぎの世界で一番偉いのはいつも 教祖です。
その下に天才達、偉人達、魂の修行者たち、そして、善人、一般人です。
ピラミッド構造です。一般人よりも教祖はすごくすごく格が高いのです。
みんな 少なくとも教祖より、ずっとずっと、偉くないのです。
ほとんどの人の格は 教祖の半分くらいしかありません。
しかも 半分以上 心が悪だと その下の地獄に 落ちてしまいます。
そちらの世界が本当だと教祖は言います。誰も見る事ができませんし、
信じられないものは、格が低いといわれますから、みんな信じてます。
信者は 毎日
「霊こそ全ての全てにして・・この世は仮のせかいなり」
と、声をそろえて 唱えます。そのうちに その通りだと思い込みます。
「おとぎの国こそ 実在」と唱えているのと同じですから・・。
そして、「仏法僧への中傷は極悪非道の所業なり」
「もはや 人間として生まれるはこれが最後と悟るべし」
「地上の悪魔は撃退せん」「地下の悪魔は粉砕せん」
「如来の法を妨ぐる悪はこの世に許すまじ」
「降魔の剣を振り下ろし 最後の悪を打ち砕かん」
というのも 毎日唱えます。唱えてる時はただの歌のように感じてます。
「おとぎの国の王様の悪口を言ったら人として生まれ変われないのだ」
「悪魔はどこにいても 撃退して粉砕しなさい」(教団員全体への命令)
「最後まで 剣を振り下ろして 打ち砕きなさい」
悪魔とは教祖の教えに従わなかったり 信じない人の事です。本人の心の中も含まれ
ます。仏法僧とは 教祖と教祖の本と教団の人です。教団員は悪魔を見つけ出して
撃退して粉砕して 打ち砕け・・・という意味ですよね。これは、教祖の命令です。
これを歌のように唱えてる。毎日毎日・・