お名前:
JUBILOSO URL
観ちゃん、おはようございます。
「後悔せず。」は口で言うは易しですが、いざ自分に当てはめると難しいですね。
私など過去を思い返せば、後悔してることなんかかなりありますよ。
今更ぶうたれても仕方ないものは後悔しても始まりませんが、改善が効くか否かをみて、
出来るようなら改善する姿勢は崩さないようにしたいですね。
それから合体の場合、ズーッとあの世の生活になるという訳ではなく、合体霊として生き
る場合は被合体者の肉体に入り込むことになります。ただし、その肉体はあくまで被合体
者の方のものです。
恐らくは地上界の被合体者との体内の共同生活になるんでしょうね。それも被合体者がそ
れに気づかない形で。
[1999年10月11日 6時11分26秒]
お名前: 観ちゃん URL
うむ〜、悔いなくですか。(新たな観察!!)
どうやったら悔いなく生きられるかなぁ?
どうやってっも自分の選択したことに対して悔いが残りそうで、
どやっても「悔いなし」と言って、大きな悔いが残りそうもない・・・
大きな選択誤りさえ起こさなければ。う〜む・・・・
合体理論の場合だと、ズーッとあの世の生活になるのですか?
[1999年10月8日 23時4分41秒]
お名前:
JUBILOSO
観ちゃん、こんばんは。
確かに「こういうケースが考えられる」の域を出ていないお話ですね。
でも、今の私にとっては輪廻があろうとなかろうと、たとえ自分の人生がこの一回限り
であったとしても(合体理論だと私の私としての人生は一度きりです。)その人生を悔
いなく生ききるという意味においては同じですね。
宮本武蔵でしたっけ?「後悔せず。」が座右の銘だったお方は。
[1999年10月8日 1時2分8秒]
お名前: 観ちゃん URL
>それは、確か以前にもちらりと高橋信次先生のご本のお話と一緒に話題にしたことが
>ありましたね。
高橋信次さんの解釈では、
「解脱すると、輪廻は自分で選択できるようになるが、
輪廻という循環法則からは脱することはないだろう」
ということでしたね。
霊が様々な状態を体験して学習して行くとした場合、
あの世での学習、この世での学習、地球での学習、その他の様々な無数の天体での学習
を無限に繰り返して、輪廻を繰り返すと考えることもできます。
また、この世に生まれることになる要素があると生まれてきて
その要素がない場合には生まれてくる必要がないとした場合、
仏陀(またはその弟子)がこの世に再び生まれることを嫌ったら、
生まれてこないことになると考えられます。
>「思い残す」というよりも、自らの意思ではないかと思います。もし「思い残す」が
>転生の要件だと、どうもそのお方は悟っていらっしゃらないのではないかといったよ
>うな印象があります。
おっしゃる通りですね。
すると、解脱していながらも生まれてくる方は、
わざわざこの世に遊びにやって来るか(これはないかな)、または、
覚悟してわざわざこの世に何らかの重大な目的でやってくる
ということになるのでしょうか。
それにしても、あの世に関するテーマでは、
「こういうケースが考えられる」という程度でしか話し(考え)が進みませんね。(^^;
[1999年10月6日 21時24分35秒]
お名前:
JUBILOSO URL
観ちゃん、こんばんは。
それは、確か以前にもちらりと高橋信次先生のご本のお話と一緒に話題にしたことがあり
ましたね。
↓
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>何か思い残すことがあったら、仏陀や仏陀の弟子は生まれてくるのでしょうか?
「思い残す」というよりも、自らの意思ではないかと思います。もし「思い残す」が
転生の要件だと、どうもそのお方は悟っていらっしゃらないのではないかといったよ
うな印象があります。
[1999年10月6日 0時40分58秒]
お名前: 観ちゃん URL
輪廻を超えた仏陀は、果たしてこの世に生まれてくるのでしょうか?
生まれてくることを超越した仏陀の弟子達は、果たしてこの世に生まれてくるのでしょうか?
何か思い残すことがあったら、仏陀や仏陀の弟子は生まれてくるのでしょうか?
[1999年10月5日 19時8分11秒]
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