記事タイトル:後継者(モーセ様の合体者)のこと 



お名前: ロジュ    URL
>価値というものは、相対的なもので、

新時代の倫理学から引用します。ご参考になれば幸いです。
************
ある絵を見て、みなさんは、それが高名な画家が描いた絵かどうかを自信を
持って判断することができるでしょうか。ある将棋の戦いで、最初の数手を見ただけで、
棋士が有段者かどうかを確実に言い当てることはできるでしょうか。
もし、それができるならば、あなたは高名な画家かまたは将棋の有段者に
違いありません。
「善」を判断するとき、これと同じことが起こります。

例えば、幼稚園児に、ピカソの絵とアマチュア画家の描いた風景画を複数見せた
とします。多くの幼稚園児は、奇妙にひんまがったピカソの絵よりも、
実写に近い素人の風景画のほうがうまいと言うことでしょう。

そして、どうしてピカソの絵にそんな大金を払う人がいるかを
理解することができないのです。人間は、ある事象のレベルがあまりにも
自分の能力を超えたものになると、その存在を認知できなくなることを説明する
好例です。この世には、「絵なんて人の好みなのだからその価値は絶対的な
ものではなく相対的なものだ」というかの如く、「善なんて人の立場によって
変わるものなのだから絶対的な善は存在せず、すべての善は相対的であると」
と誤解している人がかなりおりますが、これは絵を見る能力がないのと同様に、
善を感知する能力が欠如している結果だと考えられます。

絶対的な善はどこに当てはめても通用する道徳法則であるために抽象的な
ものに対する理解力を必要としますが、他方、相対的善の方は実際の具体的事象を
用いて論じればよいので大して理解力を必要としないため、
そういう力が乏しい人ほど相対善しか目に入らなくなる傾向があります。
さらに加えて、理性の乏しいわがままな人間にとって絶対善の存在は自己の
わがままを許さない重荷でしかないという理由で、理性の乏しい人間は絶対善と
いう考え方を意図的に排除しようとするのです。

この世には絶対的な善と相対的な善があります。簡単に説明してみましょう。
ここに「より多くの生命が肉体的・精神的に進化していくことはよいことだから、
これからは人は精神性の向上をなによりも優先して目指すべきだ」という
ひとつの考えがあります。
絶対善とは普遍的道徳的価値観のことで、先ほどの「より多くの生命が肉体的・
精神的に進化していくことはよいこと」がこれにあたります。
どこの国へ行っても、いつの時代にでも通用する善です。

相対的な善とは、時代背景や文化レベルによって変化を余儀なくされる
変動的な価値観のことで、先ほどの例では「これからは人は知識量よりも
精神性の向上に力点を置くべきだ」の部分が該当します。
大昔には、体力がもっとも重視されるべき時代があったはずです。

人は、この絶対的な善、すなわち、普遍的道徳的価値観を究めてはじめて、
間違いのない判断力がつくのだと思います。

相対的な善しか目に入らない人間が犯す典型的な間違いについて言えば、
「給料を高くすれば、会社にとっては悪だが従業員にとっては善だ。
給料を安くすれば、会社にとっては善だが従業員にとっては悪だ。
だから、この世には善悪はないのだ」と言う人がいます。悲しいことに、
この種の相対的な善しか見えない人間には、絶対的な善をベースに行動して
いる人間も、エゴイズムに基づく相対的な善のために行動しているように
写るようです。人間のすべての行為が醜いエゴイズムに基づいているのだと
誤解しています。これは、「相対的な善しか見えない人間は、エゴを超越した
人間の美しい純粋なる行動を信じられないかわいそうな人物」
であることを示しています。

さて、先ほどの「給料を高くすれば、会社にとっては悪だが従業員にとっては善だ。
給料を安くすれば、会社にとっては善だが従業員にとっては悪だ。
だから、この世には善悪はないのだ」という考え方のどこがおかしいのでしょうか。
こう主張する人は、善悪が総合評価で判断されなければならないことを忘れています。
つまり、「給料を高くした場合に生じる善悪の割合」と、
「給料を低くした場合の善悪の割合」を比較考慮して、
最終的な善悪を決定しなければならないということです。

人は、安易に「この世に絶対的な価値を持つ絵画などない」
「この世に絶対的な善などない」と言うべきではありません。
人の知覚にはその人に応じた限度というものが常に存在するものなのです。 
***********
以上、
http://www.geocities.com/Tokyo/Flats/2847/Rin2.htm
より引用。

てんとうむしさんの
>哲学の限界を感じますので、また、宗教も価値判断に入ると思いますので、
>重きをあまりおくべきでないというところでしょうか・・・
これもひとつ価値判断ですね。
この価値判断が間違っている可能性がないとなぜいえるのでしょうか。
新興宗教で行われている価値判断のすべてが間違っているわけではありませんから、
「宗教も価値判断に入ると思いますので」を理由にするのことは如何なものでしょうか。

宗教では「誤った事実を吹き込まれて信者が誤導される」場合も多く、
単に、「事実」「価値」で片付く問題ではないはずです。

誤った価値判断を他人に推奨するのも、ある意味私は、罪だと思っています。
ですから、てんとうむしさんは、意地をはらず、素直に私の言葉に耳を傾けて
ほしいと思います。

てんとうむしさんと正しい成長を共にすることを切に願っております。
[1999年8月10日 17時45分16秒]

お名前: てんとうむし   
ロジュさん

価値判断の全面否定ということではなく、価値判断は、意識せずとも
ものを考えているときに自然に行っているものでは、ないかと
いまでは、考えています。

倫理の教科書にありました
哲学=価値判断、科学=事実判断ということで考えてみているわけですが、
どちらも必要な気はしていますが、哲学の限界を感じますので、また、
宗教も価値判断に入ると思いますので、重きをあまりおくべきでないという
ところでしょうか・・・
つまり、ものごとの本質を考えていくときに、両方とも、帰納、演繹のように
働いているが、事実判断をもとにすべきだということです。
価値というものは、相対的なもので、ロジュさん主張される「絶対的価値」
という使い方は、矛盾した使い方なので、気を付けたほうがいいかも・・・
そう使いたい気持ちは、理解できますが・・・
別欄での文も用意していますが、あとで入れます。
[1999年8月9日 8時47分47秒]

お名前: ロジュ   
てんとうむしさんへ

下記のてんとうむしさんのお考えには大方賛成です。
ただ、「価値判断の全面否定」だけは、ぜひ、ご再考願います。
別のスレッドのお返事待っております。(^-^)
[1999年8月8日 23時55分50秒]

お名前: ロジュ   
NAOさんへ

しばらくぶりでした。(^_^)

NAOさんの投稿を読み、まるで別人のようで、驚いています!
つい最近まで千乃正法が白紙状態であったNAOさんが、
この短期間で、正法誌を一生懸命読み漁っていたことがうかかがえ、
嬉しく思いました。

1980年代初頭の希望に燃えた正法者をみる思いがします。(^_^)
[1999年8月8日 23時41分47秒]

お名前: 観ちゃん    URL
>>この「合体」は、JI以外では語られていないものですよね?

質問のご回答ありがとうございました。(^^)
むかし本屋で、似た概念のものを読んだ記憶がかすかにあったのですが、JIの本のようですね。
[1999年8月6日 15時50分56秒]

お名前: てんとうむし   
JUBILOSOさんへ

>ところで今回の話題ですが、次期正法の未来を語ることにつながる重要テーマ
である一方、一つ間違うと千乃先生見限りという意味に捉えるお方が出るか
も知れないデリケートな話題でもあります。私はそのことを心配しています。
「話題の趣旨をはき違えてしまったがために失うものがあまりにも大きかった。」
ということにならぬようにしたいです。
------------------------------
「千乃先生見限り」は、本当にデリケートな問題ですね。
1990年前後の状態を見てみると、みんなで原因を探り、いろいろ手だてを
考え、実行し、失敗したわけですが、そのあとのみんなの心の状態が
まったくバラバラで、これは、悪霊の思うつぼになったと思ったものです。

この事件で、道徳心が育っていないことを痛切に感じました。
正法を伝える今期の天の動きを「価値観」だけで捉えていた人が多かったのかも
しれません。
先生の状態が悪くなり、また、先生のみんなへの態度が変化すると
それに合わせて、心が変わってしまった方が多かったからです。
「霊に関するものは、もう、うんざり」という方。
「先生は、ひどい人だ、もう信じられない」という方。
「消滅は論理的に考えておかしい」という方。
「先生が病気だと判断できているにも関わらず、先生に自分側が正当だと
主張して去っていく」方。
  ・・・

みな本質的なものを「事実を見つめる」ことで理解していなかったということです。
その都度の状態の変化に相対的な価値観で判断しています。
離れていった方の個別的意見を伺いますとみなばらばらです。
私が考えますに、まず、道徳心があるなら、先生の状態がわるくなっても
一人の人として、大事にしてほしいと思います。
状態の悪くなった以前には、いろいろな面で恩をうけたはずなんです。
それをちゃんと心に残していない人が多かった。
状態の原因がわからなくて困っても、困った気持ちを話しながら、先生への
尊敬する心は、なくしては、いけないはずです、それが人間としての正しい
姿勢だと思うのですが、そういう姿勢がみられなかった。
すぐ心が揺らぎ、変わっていき、適当な理屈をつけて去っていきます。
ジェイアイとの考え方、が違っていても、心に残しておいて欲しいし、
また、ジェイアイの変化がおとずれれば、道義的な動きをしようかというくらい
の考えは持っていて欲しいです。
[1999年8月6日 9時59分22秒]

お名前: NAO   
観ちゃん、こんばんは。

>この「合体」は、JI以外では語られていないものですよね?
---------------------------------------------------------
”合体者”の存在にビックリしましたか?
私も初めて知ったとき、驚きました。
守護霊・指導霊は、どこでも語られてますが、”合体者(合体霊)”の存在を明らかにした
のはJIだけでしょう。
”合体者”とは私たちにとって守護霊・指導霊と同価値、いやそれ以上の存在でしょう。
なぜなら、私たちの魂は”合体者”の魂のコピーであるからです。
また、”合体者”と自分の魂は、別々の魂です。
そこが、従来の”輪廻転生”とは違うところです。
別々の魂であるゆえ、”合体者”が偉い人だから、自分も偉いと増上慢になることも無意味で
あり、むしろ魂が堕落するおそれがあります。
従来の”輪廻転生”の証明で言われている「過去世の記憶」とは、”合体者”の生前の記憶で
あるので、世間で言う「過去世の記憶」そのものを否定するわけではないので、とても合理的
に理解できます。
私たちの魂は”合体者”の魂のコピーが基本になっていますが、その影響は自分の魂の半分
くらいです。
残り半分は、私たちがもつ、いくつかの”業(カルマ)”が影響してきます。
国柄がもつ業、自分の家系的な業、自分の周りの環境的な業などです。
結局私たちは、”合体者”を基本にし、守護霊・指導霊に守られ、いくつかの”業”の影響
を受け、その中で日々魂の向上に努めなければならないのでしょうね。
[1999年8月6日 9時38分7秒]

お名前: JUBILOSO   
観ちゃん、こんばんは。

厳密に言えば、JI以外にも合体霊の存在を暗に示していると思われる文献があったりします。
偽典書の一つ『パウロの黙示録』のなかにこのような記述があるのです。
以下抜粋です。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

その魂が体から出てくるのを迎えると、天使たちは毎日会っていた仲間であるかのように
彼に接吻し、『元気を出しなさい。あなたは地上にいる間、神の意志に忠実に従ってきた
のだから』と言った。そこにその魂を毎日観察していた天使がやって来て『魂よ、元気を
出しなさい。あなたが地上で神の意志に忠実に従ってきたことは私から全て神にお伝えし
てあります』と言った。さらに神の使いの霊もその魂を出迎えて『魂よ、恐がったり不安
がる必要はありません。私はかつて地上であなたの中に住んでいました。そしてそこであ
なたによって大変勇気づけられたのです。こんどはだから私があなたを助けましょう。あ
なたはこれから今まで知らなかったところへ行くことになりますが、恐れる必要はありま
せん』と語りかけ、その魂を力づけ、そして天使たちは彼を天へと導いていった。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

他にも探せばもっとあると思いますよ。
[1999年8月5日 23時39分35秒]

お名前: 観ちゃん    URL
この「合体」は、JI以外では語られていないものですよね?
[1999年8月4日 23時26分37秒]

お名前: JUBILOSO    URL
観ちゃん、こんばんは。
「合体」についてですが、これは合体霊によって行われるものです。
合体霊とは一度人間として生まれ、生き、死後に霊体となった者が
新たに生まれてくる生命を善導するために受胎3ケ月頃を目安とし
て胎児に入り込み、その他人の人生を通じてその人間を守護・指導
する霊のことです。
通常被合体者の一生涯にわたって守護・指導していることや善導を
目的としているといった点で憑依とは異なります。
また、従来言われてきた守護霊や指導霊とも異なる存在と言えます。
千乃先生の場合は珍しいケースで、先生が7歳になられた時からミカ
エル様の合体がなされたようです。
高次元の霊の場合は、合体と言っても被合体者から抜け出られて独自
にご活動をされることもあるようなのです。
[1999年8月1日 20時38分21秒]

お名前: 観ちゃん    URL
最近、外出することも少なく、本屋に行くこともまれになったのですが、(^^;
JIでいわれる「合体」のとはどういったものなのでしょうか?
[1999年8月1日 12時54分43秒]

お名前: JUBILOSO    URL
皆様、こんばんは。

>NAOさん
私はしかるべき時に千乃先生が後継者の方のお話をされると思います。
もし、モーセ様が合体されたお方が天の法を説くのに真に相応しい成長を予定通りとげられ
たとしたら、きっとそうなることと思います。
ただし、成長が芳しくなかった場合はもっと違った展開になることも予想されます。
天の法を説くに相応しい器が予定通り出来ていない場合も可能性としては十分あり得るから
です。

>観ちゃん
実は私はもっと年長のお方である可能性もあると見ています。
と、申しますのも千乃先生にミカエル様が合体されたのが先生が7歳の頃のことだからです。
高橋信次先生や釈尊が悟られたのも壮年期になってからです。イエス様の活動期も30歳以降
がメインです。
20歳の若者ではさすがにかつての高橋佳子氏のような状況になることも予想されます。
とはいえ、通常の人のように0歳からの合体も有り得ない訳ではありませんので、今20歳で
ある可能性も無論あります。
年齢を最初から固定してしまうのは間違いをおかす可能性がありますので、ちょっと書かせて
いただきました次第です。(判断を誤らぬための予防線の意味もあります。)
条件をつけて探すことよりも、どうやら私は今の正法者としてやっておくべきことにより目が
いっているようです。

>てんとうむしさん
ありがとうございます。

ところで今回の話題ですが、次期正法の未来を語ることにつながる重要テーマである一方、
一つ間違うと千乃先生見限りという意味に捉えるお方が出るかも知れないデリケートな話題
でもあります。私はそのことを心配しています。
「話題の趣旨をはき違えてしまったがために失うものがあまりにも大きかった。」というこ
とにならぬようにしたいです。
[1999年7月31日 22時29分34秒]

お名前: てんとむし   
JUBILOSOさん

元気が出てきてよかったですね。
がんばりましょう。
[1999年7月31日 1時41分44秒]

お名前: てんとうむし   
観ちゃん・さんへ

高橋信次さんのときは、
たしか・・・ミカエル様から通信が信次氏にきていたなかで
それを娘の桂子さんがうけるときがあり、そのとき、高橋氏が
「桂子、お前が後継者だったのか」と勘違いされたと記憶しています。
高橋氏は、彼の定命最後の方で後継者を探していたんですが、それが
失敗だったかもしれません。
[1999年7月31日 1時32分24秒]

お名前: てんとうむし   
NAOさん
こんにちは。

「天国の証」の発表は、予定ですから、状況により、変わると私は
思います。
宗教の予言とは、違うので、あくまで目安ではないかと思います。
「天上界メッセージ集・1」の<問題の>P.188にもモーセ様のことに
触れていますが、いろいろな問題も考え、最初の発表のようには
ならないと考えていた方がよい気がします。
そうでないと、また、後継者はだれだと一騒動起きるかも知れませんし。
[1999年7月31日 1時22分33秒]

お名前: 観ちゃん    URL
1979年ということは、今年で二十歳ということですね。
でも、その気になってしまう20歳の人が多く出ないとも限らないですね。
高橋信次さんのとき、後継者は・・・ですと言わなかったのでしょうか?
[1999年7月31日 0時57分29秒]

お名前: NAO   
「天国の証」(p.134)
十七年後には、一九七九年にモーセ様が合体なさるかたが、男子ですが悟りを得られることを
予定しております。
------------------------------------------------------------------------------
「天国の証」は、昭和53年初版であるから、十七年後とは一九九五年である。
4年前にもう悟りを開かれているはずだ。

とにかく、千乃様の口から後継者は誰かを言ってもらいたい。
そうでないと、信次先生のときみたいに、後継者が誰かわからずに混乱が起きるでしょう。
[1999年7月30日 21時57分24秒]

お名前: JUBILOSO   
てんとうむしさん、こんばんは。
Eメールを出された方には本当に助けられました。
ここ最近、沈んだような文章しか書けなくなっていた私でしたが、そのお方の
Eメール文を読むうちに元気になってまいりました。
今は落ち込んでいる場合ではありません。

>だれかと探すより、正法を学んでいる一人一人が後継者の意識でなにを
>するべきなのかを考えることが大切だと思われます。

これは私も重要なことと思います。

そして、てんとうむしさんはやはり教育問題に焦点をあてられましたね。
私もこれは不可避の重要テーマだと捉えております。頑張っていきましょうね。

後継者問題のお話は「自称モーセの合体者」の続出、混乱を避けることは勿論、
その人物の識見、資質、器量、精神性等が千乃裕子先生や高橋信次先生との比較
において遜色無いか否かが問われることは当然かと思います。
この作業を真摯に行えば行うほど、千乃先生の資質・器量の再確認、再評価がな
されることになるのではないでしょうか。そして千乃正法の偉大さに気づかされ
ることになるでしょう。
それに千乃先生のバトンをお受けになるお方の課題はあまりにも重大かつ困難な
テーマです。
安易に名誉欲や功名心等で「私がモーセの転生である。」などと言うお方には到
底解決が出来ないお仕事であることでしょう。
そのようなお方ではせいぜい一新興宗教の教祖の椅子でふんぞり返って信者を食
い物にして一生を終わるのが関の山です。(現にそのようなお方がいらっしゃる
ようですが。)
天上界はそのような人類の発展に何ら寄与せぬ寄生虫のような人物を天の仲介者
として地上界に出されるような愚かな真似は決してなさりません。

後継者の問題を語るのであれば、噂や井戸端会議などではなく、真剣に、しかも
慎重に行うべきだと私は思います。
[1999年7月30日 1時21分20秒]

お名前: てんとうむし   
JUBILOSOさんのおっしゃるとおり、慎重であるべきだと思います。
メールで励ましてくれる方のお気持ちを感謝しつつも、
そして、探すという者では、なく、必要ならば、天上界が高橋氏や
千乃先生のようにされると考えたほうがよいと思います。

だれがと探すより、正法を学んでいる一人一人が後継者の意識でなにを
するべきなのかを考えることが大切だと思われます。

では、何をすべきか・・・私は、
日本では、道徳の教育が「欠落」してきたことがいろいろな問題を
起こしているので、まず、これを回復させることが 重要に
思います。

正法の流布と併行に伝えられればよかったですが、それは、望めません。
ですから、正法と言う言葉で伝えなくともその本質は、
正法は、自然法則と人間のあり方なのでこれは、
道徳教育を回復する延長で教えられると希望をもち、まず、道徳教育を
日本人にいかに定着させるかを正法者以外の人とも力をあわせ
工夫し、行動していくことが大切だと思っています。
自然法則と人間のあり方は、本質を語ると
科学者や知的レベルの高い人には、よく理解できるはずですから。

そして、勿論、自分たちも道徳的な生き方を心がけ、科学者の間違った
行動、政治家、教育者、医者・・・その他全ての人の公の発言、行動に
注意して、道徳的生き方をしないものは、それを正す行動を
とらなくては、ならないと思います。
[1999年7月29日 8時22分13秒]

名前: JUBILOSO    URL
私が落ち込んでいたら、ある正法者の方からEメールを頂戴いたしました。
「千乃先生のご昇天の後はモーセ様の合体者の方が出られるはずだから何ら絶望
することはない。」とのことです。

そのこと自体はおっしゃる通りで、正法を継承されるお方が出られるであろうこ
とは私にもわかります。

ただ、それは極めてデリケートな話題であり、私達が現時点で安易に「あの人が
そうなのではないか?」と噂話のように扱うことではないと思うのです。

(一部の集いで、あくまで集いの中ではなくメンバーの他愛ない噂話のレベルで
  あるとはいえ、「○○さんがそうではないか?」というお話が出たとのことで
  す。噂話には尾鰭やデフォルメがつきものであり、要注意です。)

それに「JUBILOSOは頭が固い。」という批判を受けることを覚悟で申し
ますと、千乃先生が現在この世にいらっしゃる上で、しかも先生を抜きの状態で
この話題について語るのはあまりにもデリカシーを欠きます。またとんだ過ちを
おかし、混乱を呼ぶことにもなりかねません。
こういう話題のスキにつけこんで悪事を働くのは悪魔の十八番です。
ですから私はこの話題につきましては、特に慎重に扱うことに致したいです。
[1999年7月28日 22時54分25秒]


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