熊公の独り言 T




◆ 墓参り ◆
 カトリックの教会の暦では11月は『死者の月』です。クリスマスの準備を始める待降節第1主日(11月30日に一番近い日曜日)が教会の暦の新年に当たりますから、丁度11月は最終の月。この11月に死者を思い、自分自身もいずれ死ぬ者であることを考える月で、墓参をする月となっています。秋も深まり、紅葉し、木々が葉を落とす時季は『死』を考えるのに丁度ぴったりの季節でもあります。
 今日、2002年11月4日(月)お墓参りに行って来ました。オヤジ様のお墓は、五日市(あきる野市)のカトリック墓地です。圏央道が「日の出IC」まで延びたことで、実にお墓が近くなりました。このIC、熊公のために出来たみたいと、考えています。1時間10分ほどで行くことが出来ました。30分以上短縮されました。



 熊公の父親は、1992年7月12日(日)早朝に虚血性狭心症で帰天しました。その日は実にさわやかな朝で、救急隊が来るまでの間、心臓マッサージをしながら、オヤジ様の所に天使が来ているな、これでオヤジ様とお別れになるのかな?と、思いながら、緊迫した時を過ごしました。
 数日前から「胃が痛いな!!」と、言っていました。7月7日、熊公の兄が久しぶりに遊びに来て、オヤジ様と3人で楽しくお酒を飲みました。その時に飲み過ぎたみたいだと、自分では思っていたようです。考えてみれば、この飲み会が息子との別れの杯になったわけです。
 七夕の短冊にオヤジ様は『良き死を迎えられますように』と書き、家族のみんなから、「そんなお願い短冊に書くなんておかしいよ!!」と、批判を受けたのも何か不思議な事でした。
 この年の夏の家族旅行は秋田県の象潟と、自分(オヤジ様)で決めて、着々と準備をし、6月には宿まで取っておいたのですから、よもや自分がそれを前にして天国に行くとは考えてもいなかったでしょう・・・。
 胃の痛みで、前日病院に行き、月曜日に胃カメラを飲むことにして来たのですが、その痛みは胃ではなく、心臓だったのですね。医者もそれを見抜けなかったわけで、素人は勿論分からなかったわけです。
 発作の起きる直前、床の中でお袋様と話をしていました。それは、何とオヤジ様らしくもない? 聖書の言葉です。

      『人 全世界を
        もうくるとも
       もし 魂を失わば
         何の益かあらん』  (マタイ16・26、マルコ8・36、ルカ9・25)

 お袋様がふとこの言葉を思い出して、オヤジ様に、「この言葉はフランシスコ・ザビエルがイグナチオに言われた言葉だったわよね」と、話しかけ、オヤジ様は「ウン」と、答えていたそうです。これは、4時50分頃のことでした。その直後に発作が起きて、心臓も、呼吸も停止・・・・。
 すぐに熊公の所に内線がかかってきて、慌てて行ってみると、脈もなく、呼吸もなく、勿論、意識もありませんでした。(エ〜〜ッ!! 心臓マッサージを実際にやるのか!!)頭の中が真っ白になりそうでしたが、気道の確保、吐瀉物の有無を確認して、マッサージ開始。「グブグブ  オゥ〜」と言った、マッサージに伴う肺からの空気の流れによる、声とも付かぬ音がしたのは、ドッキリしました。でも、サーッと、顔に赤みが差してきたのを見て少し安心して、「救急車」「兄貴に電話」「神父に電話」と、指示を出せたのは、日頃オヤジ様に言われていたことが役立ちました。
 10分ぐらいして救急隊員が駆けつけて、マッサージを交代、酸素マスクを付けられちょっと安心。救急隊員に「おまえ、血圧計を付けろ!!」と、命令され作業を続けました。
 4才だった長男は大好きなお爺ちゃんの足元で足をさすりながら、お祈りをしていました。そこに、神父様も駆けつけてくださり、救急隊員に「お前は誰だ!!」と、言われたときに「私は神父です。この方のために祈ります。」と、救命作業の傍らで「病者の塗油」「臨終間際の祈り」をして下さり、やがて救急車で搬送される時には、車で後を追って、病院まで付いていってくださいました。
 日曜日の朝、救命救急センターはどこも一杯、30分も立ち往生する状況下、オヤジ様は2度目の発作を起こして帰らぬ人になりました。近くの病院に運び込まれ、心電図の波がフラットになるのを確認して死亡が伝えられました。死亡時刻6時10分。
 日曜の朝はちょっとした発熱などでも救急車を呼んで、救命救急センターに行くのですぐに一杯になると聞きました。現在では軽度の人は断ることが出来る体制になったようですが、このころはまだそうでなかったのです。コンチクショ〜〜〜!!と、思ったのは確かですが、命を召されるのは神様です。仮に救命救急センターに入ってもオヤジ様は神様のところに行くことになっていたのかも知れません。
 死亡確認が終わって、どうしたらよいのか分からないでイスに座っていると、救急隊員に「マッサージを良くやった!! 救急車内で1分間に8回の自呼吸が戻った。 しかし、残念ながら待機中に2度目の発作があって、その後はどうにも出来なかった。申し訳ない!!」と、言われました。これを聞いて、少なくとも、オヤジ様に対する最後の親孝行が出来たかな?と、不思議な気持ちになりました。
 『良き臨終』なのでしょう。あまりに突然の死でしたが、苦しむ時間はほとんど無かったし、寝たきりで介護が大変と言うこともなかったわけですから・・・。 生前ふざけながらも真剣に、「俺が脳溢血かなんかで倒れたら、逆さまにして振り回してくれよ、寝たきりにはなりたくない!!」と、話していましたから、自分の望んだ死だったのかも知れません。
 死ぬ1ヶ月くらい前でしょうか、オヤジ様の机の所を通ったときに、「オイ、俺が死んだ時にはな、この引き出しを開けるんだぞ、ここに全部必要なことが整理されているから・・・」と、呼び止められました。「何言ってるんだよ!!全く変なこと言ってさ!!」と、笑ったのですが、実際に開けるときが・・・・。何と連絡するべき所、必要な書類などきちんと整理されて保管してありました。「お見事!!」と、言いたいくらいです。いつでも死ねる準備をしてあったのです。マタイ福音書(24:46)に 『主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。』と、あります。おそらくオヤジ様は心も身の回りについても、それを実行していたのだと思います。

 オヤジ様の残した聖書の言葉は、熊公のいや、熊公家の、一生涯大切にするべき言葉になりました。この言葉は墓碑にも(上の写真)刻まれています。オヤジ様の生き方を示す言葉です。地位も名誉も何も持たなかったオヤジ様は、天の国に生きることの大切さを身をもって伝えてくれました。

 今日の五日市は紅葉が少し始まった状態で、青空。やっぱり墓参の季節です。沢山の方がいらしていました。ここには熊公の教会の方のお墓も沢山あります。ご自分の墓参の帰りに寄ってくださったりするので、オヤジ様はきっと嬉しいでしょう。

 
           墓前でお菓子を食べながらしばらく過ごします            紅葉が始まった周りの山の木々

 お墓を掃除して、しばらく座っていると、なんだか元気をもらえます。「良く来たな!! お前達のことはいつも祈っているよ!! 小さな事にクヨクヨしないで、元気に頑張れよ!!」と、言ってくれているような気がします。
 日当たりが良くて、北と西側が山で季節風はほとんど遮られ、真冬でもポカポカする場所。春は新緑、桜が沢山咲き、秋は紅葉。大好きな場所です。
(2002.11.04.)






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