熊公の独り言 V




◆ 舘岩紀行 4 ◆
 またまた舘岩に行きました。このところ独り言は舘岩紀行だけになっちゃっていますね。
 8月18日(金)から、丁度1年前に初めて舘岩に行った時のコースで、舘岩から須賀川に出て、花火大会を楽しみ帰宅するコースです。コース自体は既に紹介済みですが、今回はオフクロ様が同行したこと、舘岩から須賀川、そして20日に帰る時の途中まで兄貴も行動を共にした事です。

 須賀川の伯父は91才、今年直腸癌の手術をしました。この伯父は「俺は死亡適齢期・・・」と言ってはばからない方、年齢的にも癌の手術をした方が良いのか、そのままにした方が良いのか、病院の方でも悩んでしまうような状態だったようです。
 伯父は、「そのまま手術をしなかったら何年ぐらいか?」と、聞いたそうで、「3年位でしょう・・・」と言われたそうです。伯父は体の中に嫌な物を残して置くのは本意にあらずと考え、手術する事を選択しました。しかし、この伯父の凄いところは、直腸の手術をしても、自分の肛門で排泄したいから残すようにと、医者に注文付けたところです。医者としてはバッサリ肛門も除去して人工肛門にした方が楽なわけですが、この伯父の願いを聞き入れて、肛門を残すことにして手術したわけです。
 1月に8時間に及ぶ手術を受けました。テニスをやり続けた伯父です医者もビックリするような快復ぶりでした。日帰りでお見舞いに行った時に、「俺は病人じゃない、もう悪いところ取ったんだから・・・・」と、ピンピンしていました。そこで、「そうか、伯父さんは今はけが人なんだ・・・」と、笑って来ました。小さな鉄アレーを枕の下に忍ばせ、筋トレしたり、リハビリを兼ね病院内を歩き廻る。パソコンを持ち込み、「病院にはインターネットのケーブル無いんだよな・・・・」と、メールのやり取りが出来ないことを悔しがる。(携帯電話を新しくして携帯からメールをしていました・・・、写メなんて撮っちゃって・・・・) 医者も看護師もこの伯父のバイタリティーに押されまくったようです。
 さすがにこの段階では人工肛門を付けていました。手術した部分の快復を待ち、6月にこの人工肛門の除去手術を受けました。これまた8時間に及ぶ手術でした。年齢的に癒着があったりするので手術は時間が掛かるそうです。除去手術から2ヶ月、はれて元通りに近い体になった伯父です。
 この伯父の快気祝い、お盆は過ぎていますが亡くなった伯母への挨拶、そして須賀川の花火大会。オフクロ様にこの機会に兄貴の勤務する舘岩の自然・山深さ、美味しいイワナ料理を味わってもらうべく、昨年同様の計画を立てました。コース図については◆ 舘岩紀行 ◆を見てください。

 オフクロ様は座骨神経痛が出てきているので同じ姿勢でいるのは辛い状態、まずは座席間を広くし、車内でも動き回れる状況にして、1時間一寸ずつで休憩を取ることにしました。
 まずは佐野S.A.に寄ります。ここには熊公の大好きな『薫製卵』が売られています。色々なところの『薫卵』を食べていますが、ここの物は美味いです。自分の分と兄貴の山でのおつまみに購入。そして、『熊さんカステラ』を宿泊する『福本屋』さんのお孫さん達のために購入しました。
 次ぎに休んだのは尾頭・山王2つのトンネルを越えたところにある『田島 道の駅』です。高速道を降りて40kmくらい走ったところです。この『道の駅』はなかなか面白い場所です。熊公はご飯に混ぜて炊き込むべく、『もちアワ』・『もちキビ』を買いました。また、現在使っている「曲げわっぱ」の弁当箱ふたが調子悪くなってきているので交換すべく、曲げわっぱの弁当箱を購入しました。オフクロ様も色々な物が出ているので楽しそうでした。
 野岩鉄道、『会津高原尾瀬口駅』を過ぎ、更に山深くなって行く様子にオフクロ様は「もっと山深いのか?」と問いますので、「まだまだ、これから『中山トンネル』を越えて、更に30kmくらいあるよ」と、答えますと、「いやいやいや、山奥に勤務してるんだな〜〜〜!!」と、驚いていました。
 昼食に、湯ノ花温泉の『伊勢屋』さんと考えていましたが、あいにくお休みであることを兄貴から聞きましたので、今回は『曲屋』さんで食べることにしました。

 
蕎麦処 『曲家』                           兄貴の宿舎で

 いよいよ西根川沿いに木賊地区に向かって登っていきます。周りの畑では夏蕎麦が花を付けていました。秋蕎麦も10cm位に育っています。ススキの穂も出始めて、さすがに山深く秋の訪れが早いことを視覚的に感じましたが、この日はフェーン現象でおそらく30度以上あったと思います。でも、都会の30度とは違います。日陰に入ると涼しいし、吹いてくる風は爽やかです。
 兄の宿舎でしばらく休憩して、4時ごろ『福本屋』さんに入りました。今日は超満員です。早く汗を流したく『福本屋』さんのお風呂を家族風呂にして温泉につかりました。ところがです、お盆中にお休みしていたと言うことで、ボイラーの調子が悪くてお湯が出ないのです。そこで兄の施設へ行くことにしました。今日は団体は入っていませんので、大浴場を家族風呂にして入りました。オフクロ様と温泉につかるなんて小学生以来無かったことです。


大浴場で のんびり さっぱり・・・

 サッパリとして『福本屋』さんに戻り、夕食を待ちました。6時半、ワクワクするイワナのフルコース料理・・・。ビールで乾杯したあとは何といってもイワナの骨酒です。
 ご主人・奥様がいらしてご挨拶、1年に4回も舘岩に来たことで「弟さん本当に木賊が好きになられて、家に来てくださること感謝です・・・」と、奥会津の方言で言われました。熊公は今すぐにでも行きたいくらいです。本当にひなびた大自然だけの場所ですが、イワナは美味いし、何より木賊地区の皆さんの優しさが好きです。兄が山を下りてもきっと時々遊びに行くことになると思います。その時は兄と一緒に行きたいと思っています。

 
      外壁も新しくなった囲炉裏の食堂           骨酒の準備中です 三年物の頭をじっくりと焼きます

 
   骨酒で乾杯!!                    福本屋のご主人と奥様と記念撮影

 
     親子で楽しい一時を過ごしました             裏メニュー 次男の開発した鹿肉の串焼き

 今回もまたイワナを堪能しましたし。刺身・マリネ・塩焼き・山椒味噌焼き・唐揚げ・アラ汁・山菜・・・いや〜〜〜美味いです。取り立てトウモロコシを茹でた物も甘くて美味かったな〜〜〜!! オフクロ様もたいそう気に入ったようです。そして、兄貴が地区の人に大切にされている様子を見て感じて安心したようです。
 兄とは骨酒の杯を何杯も重ねました。美味いです。囲炉裏を前にして美味しい料理に酒、たまりません!!
 日が沈むとあれだけ暑かったのに秋のような涼しさに、実際秋の虫が鳴き始めていました。

 翌日(19日)、朝ご飯も美味しくいだき、福本屋さんのご主人・奥様に別れを述べて兄の宿舎に戻りました。途中、『福本屋』の若女将さんから南瓜を頂きました。心遣いが嬉しいですね。
 兄の宿舎の水は美味しいので、時々持ってきてもらっています。ここの水でコーヒーを入れると水道水で入れるのより数倍美味くなります。市販の美味しい水を使ったときよりもまろやかになり美味いのです。今回もペットボトルを持参しました。なんと20リットル分です。うち10リットルは須賀川の伯父にプレゼントします。
 水を汲もうとしているときでした。兄の宿舎の台所の外に(兄が?)間貸ししている蜘蛛さんの巣、とにかくデッカイのが居るんだと聞いていましたが、丁度この蜘蛛の巣にテントウムシが引っかかりました。すると窓ガラスにデカイ蜘蛛の影がスススーと、降りてきました。アッと言う間にテントウムシは糸巻き状態にされ、ガブリと噛みつかれました。いやその早さ、そのデカさに驚きましました。でも、もっと大きな蜘蛛が居るそうです。お尻の大きさがピンポン玉くらいあってそれに長い毛むくじゃらの足が付いているのでまるでタランチュラみたいなヤツだそうです。時々部屋の中に入ってくるんだよと、話してくれました。

 
台所の外にすむ住人 お腹の大きさは一寸小さめのたこ焼きくらい 全長7cmはありますか・・・

 自然の中に生活しているのを実感します。蜘蛛の写真の背景の藪のところにはマムシさんが居ますし、カモシカも通ります。そうそう、兄はツタウルしにやられと言うことで、顔や腕などにかぶれが起きていました。これもまた自然の中に生活しているしるしですね。注射を打ち薬を処方されていました。
 出発前に所により、兄は当直の方と仕事の話などをして、エントランスホールや食堂、当直室など、オフクロ様に紹介しながら見学しました。大宮市は25年前に25億円というお金を使ってここを建てたそうですが、その先見性に今回も感心しました。現在は浦和・与野・岩槻などと合併して『さいたま市立』の施設です。大きくなった市の学校がここを使うことになるわけで現在の職員数では到底手が足りない状況のようです。団体がひっきりなしに入る状態ですから緊張の連続、兄には健康に留意してもらいたいと思います。

 
兄のデスク(副所長席)                   玄関入り口で記念撮影


本当に良くできている施設です

 10時半、木賊地区をあとにして須賀川に向かいます。今回は兄も山を下りて月曜日に会議が本庁であると言うことで一緒の行動です。勿論車は別々ですが・・・。
 トマトの有名な南郷地区を通り、お土産にトマトを買った時でした。兄の宿舎に忘れ物をしたことを思い出しました。宿舎から28km位来たところです。戻ろうと言うことになり、もう一度木賊の兄の宿舎に戻り、冷蔵庫に入れて置いた「ズンダ餅」を取り出して一路須賀川に向かいました。28km×2=56kmのロス・・・。この間信号機は3つです。
 駒止トンネルを越えて田島に出て、『塔のへつり』で昼食を食べて、鳳坂峠を越えて須賀川に入りました。須賀川も33度の暑さです。幸いだったのは風があること、木々の間を抜けてくる風は東京とは違います。
 熊公と兄は車の運転をしなくて良くなりましたからビールを飲み始め、花火大会を待ちました。従姉がお寿司を用意してくれて、5時頃から伯父の快気祝いと花火大会のお祭り気分でパーティーを始めました。花火大会の会場は伯父の家から500m位の釈迦堂川の河原、仕掛け花火は樹が邪魔をするのですが4号玉以上の物は玄関前で見ることが出来ます。伯父の家の前の道は4時から通行止めとなり、道路にはレジャーシートを敷き、ビールやらご馳走やらを用意して須賀川のみんなが花火大会を楽しみにしている様子が伝わります。会場のアナウンスも手に取るように聞こえます。始まる1時間くらい前からは何とも言えない祭り前の興奮が伝わってくるようです。我々は打ち上げが始まるまで座敷で飲み食いしていました。
 昨年は雷が鳴り、雨が降ったりのさんざんな大会でしたが、今回はバッチリです。見物客の動きやざわつきから去年の分を取り戻すぞ!!と言うような感じが伝わってきました。


快気祝い    伯父さんおめでとう!!

 
 人で混雑する道路を尻目に玄関前でゆったりと見物    2尺玉は迫力満点です ズシンと衝撃波が伝わってきます

 
4号・5号玉は小さいな!!                   通行止めの道路は人だらけ

 ビールが飲みたくなれば座敷に入り、小腹がすいたら座敷に入りして2時間の花火大会を楽しみました。花火大会のあともチビリチビリと酒を飲み、伯父さんの元気になった様子や今回の舘岩での事など話して過ごしました。

 翌20日、伯父に頼まれた仕事などをして昼食を摂り、1時半過ぎに須賀川をあとにしました。『福本屋』さんの美味しいイワナ料理を食べることが出来ましたし、伯父さんの元気になった様子も確認できたし、亡くなった伯母にお盆には遅れましたが挨拶できたし、花火は見られたし、本当に楽しい3日間でした。


伯父さんまた来ますね!!

 熊公車は買う物があったので那須S.A.に寄りました。須賀川から一緒に走ってきた兄の車とここで別れました。チョット淋しかったですが、舘岩でサヨナラするのとは違いました。兄は明日から本庁の会議などに出て、またまた食料などを買い込んで舘岩に戻るんですね・・・。
 オフクロ様は『福本屋』さんを気に入ったようで、今度は練馬区 大泉に住む伯母と一緒に行きたいと話しています。その時はまたアッシー君を勤めようと思います。4回目になった舘岩紀行ですが、今回も充実した旅でした。2月に雪に埋もれた舘岩木賊地区を体験していますから、今回はまた見方が違いました。昨シーズンはトータル17m超の降雪があったそうです。
 お盆も過ぎ、舘岩は秋モードに入り始めていました。今年の冬はまた豪雪になるのでしょうかね? 兄貴の山でのお勤めは2年と聞いています。あと半年ですが、この冬の雪でも雪崩・落雪等の事故や病気に気を付けてもらいたいと思います。
(2006.08.21.)






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