熊公の独り言 W
◆ 山口県周遊の旅 @ ◆
2017年の夏の旅行は3年ぶりに本州です。3年前に計画したものですが、NHKの大河ドラマ『花燃ゆ』で吉田松陰がテーマになり、山口は沢山の人が押し寄せると考え、急遽四国の旅にして2年待ちました。
今回の旅は浜田−下関−宇部−柳井−岩国−廿日市と回ることでこれまで車で走っていない部分を走り、本州沿岸線一週を終える事になります。下関(彦島)まで走ると日本海側全てを走ったことになり、廿日市まで走るといよいよ本州一周達成です。今年のコースは下のコース図の通りです。最後に宿泊するのは京都府宇治ですから、コースが細長くなってしまい、亀山より西側を2つに分けて示します。
◇◇◇旅行のコース◇◇◇
1日目:
自宅−−−−掛川PA−−−−土山SA−−−−加西SA−−−−浜田−−−益田−−津和野
泊
2日目:
津和野−−−萩
泊
3日目:
萩−−角島大橋−−土井ヶ浜遺跡−−彦島・月の首−赤間神宮−関門トンネル人道−−下関
泊
4日目:
下関−−山口ザビエル記念聖堂−瑠璃光寺−龍福寺−−防府天満宮−−柳井
泊
5日目:
柳井−−岩国錦帯橋−−−−−三木SA−−−−−宇治
泊
6日目:
宇治−平等院・宇治上神社−−紫香楽宮跡(甲賀寺)−−−−−静岡SA−−−−−自宅
第1日目
8月15日(火)
走行距離:960.5km 歩数:17562歩
14日(月)の夜7時に出発しました。これまでの夜の走行から、出発の日の朝は早く起き出して色々仕事をしておき、昼ご飯食べたら寝ることにします。こうするとこの眠りが結構深く、深夜の運転に有効です。何しろどんどん遠くになるので、今年の出発はいつもより3時間以上早いです。
いつものように、新東名掛川PA・新名神土山SAで休憩をしました。いつもは土山SAでガソリンを給油するのですがHYBRID車は凄いです燃料は半分切った程度でした。
伊勢湾岸道を走っている時刻がいつもは2時頃で街が寝ているなと感じるものでしたが、今回は11時頃に通過していますから、街がまだ起きているという感じでした。同じ様な街灯りなんですが、動きがある感じでした。自動車のライトやテールランプが動くからでしょうか・・・。
今年は中国道を走ります。そのため残念ながら三木SA(下り)の『ぼっかけうどん』は食べることが出来ません・・・。中国道は社PA付近で日本標準子午線
(東経135度)
を通過しました。特別なことはないですが、ここまで来ると万歳がしたくなります。
東経135度通過
中国道加西SAで給油。まだ充分走れる状態でしたので、高速道は600km以上は走れそうです。
帝釈峡PA
(744.8km地点)
で眠気が出てきました。そこで4時50分から40分ほど仮眠しました。
浜田道の金成PAで休憩して、途中で買ったパンや柿の葉寿司などの朝食を食べました。金成PAを出ると間もなく浜田の料金所です。
浜田から益田に出て、津和野に来ました。計画通り9時に駅前の駐車場に車を止めました。一回で960km運転するのは今回が初めてです。
ホンダの運転支援システムは実に快適でした。東名高速に入ってから浜田で降りるまでの間でアクセルを踏んだのは、追い越しをかける時だけでした。ブレーキも料金所・JCT・SA・PAに入るときだけと、一回だけ馬鹿なトラックが走行車線を走っている熊公の車の前に突然車線変更してきた時だけでした。空いている高速道路で有れば本当に快適に走れる装置です。
津和野駅前の駐車場に止めて、すぐそばのレンタサイクルを借りて町を回ることにしました。浜田道を走っているとき、大雨警報が出ていましたが、自転車で走り出すときには晴れ間も見えていました。念のため、お店の方がポンチョ型の雨具を貸してくださいましたが、全く使うことはありませんでした。
15日はカトリックでは『聖母被昇天のお祝い日』です。本来なら教会でミサに預かる訳ですが、なかなかそうはいきません。しかし、今日は『乙女峠のマリア聖堂』に行くことができますから、一番最初に向かいました。ここは明治初期、『浦上4番崩れ』といわれるキリシタン弾圧により36名の殉教者が出た場所です。そこに建つ聖堂で聖マリアに祈りました。
乙女峠のマリア聖堂 三尺牢とマリア像
マリア聖堂の建っている場所は昔お寺があった場所、そこにキ
リシタンが幽閉され、ごうもんを受けたのですが、上の写真のよう
な三尺牢に入れられ、氷の張った池に入らされたりしたそうで
す。その池のすぐ上に左の織部灯籠があります。これはその昔
の隠れキリシタンのものだとか、牢に入れられたキリシタンはこ
れを見て、それに向かって祈ったということです。また、マリア様
が出現されたとも言われています。
熊公もカトリックの信者ですが、迫害を受けたとき、すぐに踏み
絵を踏んでしまうだろうと思っています。2000年前のイスラエル
に居たら、キリストを十字架に付ける側になっていたと思っていま
す。熊公は真理を見極めるのに疎く、弱っちい人間なので、殉教
地などに行くと、自分だったらどんなだったろうと考えてしまいま
す。
両親に幼児洗礼を受けさせられ、中高生の時には反発もしまし
たが、今では神様からは離れられません。常に守りを感じていま
す。感謝です。
しかし、江戸時代の禁教時代に250年以上信仰を保ち続けた隠れキリシタンは凄いです。全国に隠れキリシタンの遺物は存在するし、どの様に生活していたんでしょうか・・・。
続いて、永明寺(ようめいじ)の森鴎外のお墓にお参りしました。この永明寺は歴代藩主の菩提寺で、曹洞宗のお寺です。島根県最古の禅寺と言うことです。茅葺き屋根が印象的でした。
その後は太鼓谷稲成神社の1000本鳥居をくぐって見学をしました。太皷谷稲成神社は日本五大稲荷の一つと言うことです。こちらの神社は『荷』が『成』となっています。これは日本に一つだけと言うことです。
永明寺 太皷谷稲成神社
稲成神社の駐車場の先のリフトで津和野城址を見学に行きました。数年前の豪雨で石垣が損傷したということで、現在は石垣の修復作業中でした。暑くムシムシする天気、山城ですからリフトを使っても上り下りがありますから、大汗かいてグショグショになりました。ここで合戦があって攻める側だったと考えると、この辺でやられちゃうな、そこを抜けてもここでやられちゃうな・・・、なんて考えながら登りました。
仮設道の途中斜面の瓦片 本丸で記念撮影
・
津和野の町は本当に小さな町です。そして、細長い町
です。高校生の時にこの城に登り、石垣に腰掛けてお
弁当を食べたことを思い出しました。
翌日の朝のミニ観光でお聞きしましたが、『さだまさし』
さんの『案山子』という歌はこの津和野を歌っていると言
うことでした。
熊公は四日市に行く次男に、この詩同様の思いを持っ
たので、好きな歌の一つです。それがこの津和野を舞
台にしたものであったとは知りませんでした。
この町からは幕末から明治に森鴎外・西周という偉人
を排出した町です。藩校(養老館)での教育はどんなも
のだったのでしょうか、現代の教育に取り入れるべき所
沢山あるんじゃないかと思います。
石垣の修復中で道が斜面に桟橋のように付けられた仮設のものでした。その途中で斜面に沢山の瓦片が落ちていました。これは津和野城を廃城とする際に落ちた瓦片のようです。江戸時代以前の瓦と言うことですね・・・。仮設道だから見ることが出来たものでした。
津和野城は元寇の防備のために作られた城が元になっています。千姫を大阪城落城の際に助けた坂崎出羽守が居城した城でもあります。天空の城として有名な竹田城と同じように、低い雲が出ると天空の城となります。
降りてきて、自転車を置いた所の御茶屋さんで源氏巻きを購入。そして、源氏巻きアイスを食べました。冷たくて汗が引きました。津和野の郷土料理『うずめ飯』の話を聞いて、地元の方が美味しいと思うお店をお聞きして、昼食はそこで食べることにしました。
源氏巻アイス 西周旧宅
御茶屋さんから西周の旧家を見学しましたが、暑さにめげて、鴎外記念館や鷲原八幡宮には足は伸ばさないことにして、殿町に行きました。まずはカトリック津和野教会に聖体訪問をして、ここの売店に売られている乙女峠のマリア聖堂の記念品を購入しました。
津和野教会と教会の内部
津和野教会は畳敷きの聖堂で、第二バチカン公会議以前の後ろ向きミサの祭壇が残されていました。ステンドグラスから入ってくる光が綺麗でした。
その後食事をする場所に向かったところ、ホテルの近くなので、自転車をお店に返し、車を宿の駐車場に置き歩いて行くことにしました。1時頃でしたので、チェックインはあとにして、車だけ置かせて貰いました。歩いて行ばビールが飲めますからね・・・。
『うずめ飯』は干し椎茸を戻したもの、蒲鉾、人参、豆腐、などを細かくさいの目に切ったものをご飯の間に埋めて、刻んだ芹をかけ、ワサビをのせてその上にだし汁をかけて頂くものでした。また、高津川の天然鮎が有りましたので塩焼きにしてもらいました。うずめ飯も鮎も実に美味いものでした。
うずめ飯 食べるためかき混ぜた状態
高津川の天然鮎
この郷土料理には諸説有るようですが、山菜くらいしかない山の中、お客さんにお出しする際に恥ずかしいので具をご飯の下に隠したというのがなんとなく好きです。
食後は安野光雅美術館を見学しました。この最後にプラネタリウムの見学をしましたが、さすがに昨日からの運転での疲れで、途中居眠りをしてしまいました。
安野光雅美術館 殿町の堀割の鯉
津和野の町並み 石州瓦の屋根
武家屋敷がそのまま役場と教育委員会 武家屋敷から見た津和野城趾
・
美術館の後はまたまた殿町へ散歩に行き、お店を見て回りました。町役場・教育委員会が武家屋敷の中にありました。向かいは藩校養老館です。養老館は現在工事中、見学できませんでした。今日は盆踊りがあると言うことで、殿町には音楽が流れ、提灯が並べられて活気がありました。
宿に行きチェックインしました。部屋は古いですが食事は実に美味でした。決して豪華ではないのですが、素朴でおもてなしの気持ちが伝わってきました。その一つ『うるか茄子』は郷土料理だそうです。うるか
(鮎の内臓の
塩辛)
に茄子をあえたもので、ご飯に掛けると美味しいと言うことで、お料理の一部としてご飯が出されました。確かに美味しく頂きました。
9時からは餅つき大会が有って、熊公もつきました。よもぎ餅美味しかったです。
うるか茄子 餅つき大会熊公もつきました
さすがに前夜からの長距離運転、盆踊りを見学に町に出る気持ちには成りませんでした。
高校生の時、津和野を歩きましたがその時はレンタサイクル使わずに歩きました。ひたすら歩きましたが、やっぱり当時は若かったんですね・・・。疲れ知らずでした。
今日の宿舎は『津和野温泉宿 わた屋』です。
第2日目
8月16日(水)
走行距離:92.4km 延べ走行距離:1052.9km 歩数:14920歩
今朝は7時から、宿のバスを使ったミニ観光に参加しました。ガイドブックに載っていないポイントに行ってくださるということでした。いったん山口県に入りまた島根県に戻ってくるコースで、津和野の町を縦に一望できる場所でした。雨も降らず、津和野城の山に雲が漂っているのを眺められる、とてもすてきな所でした。さだまさしさんは『案山子』という詩の中で津和野の町を歌っているということも聞きました。ガイドをしてくれた宿のスタッフは実に面白可笑しく話をしてくれました。
天空の城ぽい津和野城趾 縦に見る津和野の町
津和野の町を縦に眺められる場所、ここは下を走る山口線にSLが通るときのベストロケーションとなっているそうです。安野さんの絵の中にもこんな感じの絵があったような気がします。
津和野に間欠泉が有り最大で55mもの高さに吹き上げたということです。これは日本一の高さだったそうですが、微量のヒ素が含まれていたということ。ちょうどヒ素事件が有った時期に噴出したということで、蓋をしてその封印を解く予定はないということでした。
宿に戻って朝食、朝飯前の観光でしたから、お腹がすいて美味しい食事がさらに美味しくなりました。
出発は1時間遅くなりました。そのため益田に戻り沿岸線を走ることができなくなりました。そのため県道315号線を使って、須佐に出るコースで走りました。益田−須佐間の約24kmは走れませんでしたが、朝のミニ観光はそれを補って余りあるものでした。
宿から津和野野町を一周するような感じで走り、前日暑さにめげて行かなかった『鷲原八幡宮』に行きました。
鷲原八幡宮 鎌倉時代のままの流鏑馬馬場
ここの流鏑馬馬場は鎌倉時代に作られたそのままが残っていると言うことです。元寇に備えて作られた津和野城の麓です。御家人達はここで弓馬の訓練に励んだのですね。
須佐に出る県道315号線に向かう途中、近道をとったらもの凄い細い山道を走ることになりました。対向車がきたらどうしようと思いながら走りましたが、早く着くことができました。
山口県に入ると雨が降り出し、かなりの雨になる時もあり、萩に気象注意報が出ていました。予定では指月山の近くの駐車場に車を置き、そこからレンタサイクルで萩市内を回る予定でしたが、雨ですから松陰神社の駐車場に車を置きました。
まず東光寺を見学しました。東光寺は黄檗宗のお寺、毛利氏の奇数代藩主の墓所です。500基の灯籠が立ち並んでいます。殉死する代わりに寄進されたものと言うことです。
見学をし終えて、門前の萩焼のお店に入ったら、もの凄く気に入ったぐい飲みがあり購入しました。ぐい飲み集めをしている身として2つのぐい飲みが目にとまり、優劣付けられず2つとも購入してしまいました。兄貴の土産にもう一つ購入したら、なんとおまけしてくれることに、嬉しいショッピングになりました。
東光寺 毛利氏奇数代墓所 松下村塾
・
天気はどんどん良くなっていき、松陰神社・松下村塾の見学の前に傘を車に置きに行きました。松下村塾は本当に小さい建物、ここから幕末〜明治に日本を動かす偉人が何人も排出したことは凄いです。
現代日本の詰め込み式の学習ではなく、問題意識を自分から探し求め、そこから自分なりの意見を持つために学習を進める学問の仕方、メチャクチャ共感します。知識を多く持つことは重要ですが、そこに繋がりを持たせ、自分なりの解決法を持つ学習、現代日本の教育に欠けているものです。
詰め込み、競争の学習で潰れていった子供たちをたくさん見てきましたから、このことは本当に現代日本に欠けていると思います。文科省の役人は目先のことしか見ていません。現場の教員を馬鹿みたいに忙しくさせることばかり行い、総合的学習なんて5〜6名の子供相手に行うのであれば有効かもしれませんが、20〜30人の一斉学習でそれを行えなんていうアホな指導要領を策定する。現代の文科省の役人は100年先を見ていないし、学習の本質を見ていないですね・・・。
松陰神社の見学の後、車を指月山の最初に予定していた駐車場に移動し、まずはお城を見学。暑さにめげて指月山登山はパスです・・・。雨の心配は全くなくなりましたからレンタサイクルを借りて城下町を廻ることにしました。
まずはキリシタン殉教者記念公園に行きました。津和野のマリア聖堂のような観光地にはなっていませんから静かでした。殉教者の霊名が刻まれたお墓がありました。自分の信仰のこと、神様の平和について祈ってきました。ここの殉教者も津和野の殉教者と同様に『浦上4番崩れ』によっての殉教です。
萩城跡 キリシタン殉教記念公園
萩の殉教地は特別に聖堂などはありませんので見学者は無し、静かでした。目の前は萩湾です。
その後武家屋敷・明倫館などを見学して回りました。毛利氏が力を持った大名である事が分かる町並みです。石垣や土塀に囲まれた家々が並ぶ情緒ある町並みです。
武家屋敷の家並み 明倫学舎(小学校旧校舎)
明倫館の門 有備館(武道場)
夏みかんジュース 萩反射炉跡
自転車を返して、『夏みかんジュース』を飲みました。一杯に夏みかん2つを使うそうです。砂糖など入れていないので、酸っぱいですよといわれましたが、フレッシュで美味しかったです。あと数杯分しか無いと言うことでした。今年は夏みかんがあまり採れなかったと言うことです。貴重な一杯を飲みました。
笠山そばの宿に戻りながら反射炉を見学しました。反射炉は鉄を精錬するための炉、萩の炉は試験炉と考えられています。現存する反射炉は静岡県の韮山反射炉とこの反射炉の2基のみです。佐賀藩では反射炉を使って『アームストロング砲』を元に改良した『施条砲』を製造したと言われていますが、長州藩では大砲の製造はされていませんから、試験炉であったと考えられています。
5時に宿に入りました。お風呂は天然岩風呂が有りました。ここが凄くて、本当に海岸の岩をくりぬきお風呂にしてあり、部屋の中なんですが岩の穴が開いているところに波が寄せてくるのが分かる、本当に天然岩風呂でした。熊公が入浴しているときは誰も人が居らず、ノンビリ岩風呂を楽しみました。
部屋は2階で10m先は海、実に綺麗な景色を眺めてのんびりできる場所です。このホテルのすぐそばに高校時代に修学旅行で泊まったホテルが有ります。そこに宿泊してもいいかと考えましたが、このホテルにして良かったです。
笠山に沈む夕日 チョットだけどテッサが美味
食事もさすがに目の前海、お刺身がコリコリしていて美味しかったです。また、ふぐ刺しもついていて大満足。夕日が沈んでいくのを眺めながら食事をしました。
宿泊したのは『ホテル萩小町』です。『空から日本を見てみよう+』にも出てきたホテルです。
高校生の時は萩を歩き回りました。今日は車とレンタサイクルで回りましたが、それを徒歩で回ったと考えると、若かったんだな〜〜〜
!!
と、懐かしく思い出しました。
第3日目
8月17日(木)
走行距離:147.0km 延べ走行距離:1199.9km 歩数:10083歩
ホテルを9時過ぎに出発して、『萩しーまーと』という道の駅へ行きましたが、オープンが9時半ということで、毛利家偶数代藩主の廟所『大照院』に行きました。殉死代わりに納められた石灯籠
(600基)
がすてきでした。大照院は臨済宗南禅寺派の寺院です。
大照院 毛利氏偶数代墓所
大照院の後は道の駅『萩往還』へ行き、萩最後のお土産を購入しました。そして、下関に向けて出発です。次の見学地は『角島大橋』です。この橋は車のCMなどに使われる綺麗なロケーションの橋です。ここを渡って、島側の橋の駐車場に車を止めて写真を撮ったりして、もう一度橋を渡り、本州に戻りました。聞くところによるとお盆の頃は大渋滞で渡るのに数時間かかったと言うことでした。
角島大橋 島側の展望台から
次の見学地は土井ヶ浜遺跡です。この遺跡の見学は熊公にとってこの旅の大きなイベントです。学生時代から行きたいと思っていた場所。実際に見学できて本当に嬉しく思いました。縄文時代の人骨から急激に変化が見られる場所。渡来人の集落があったと考えられる所です。下関から日本海側を北上していくと、この土井ヶ浜・角島の場所まではほぼ南北に海岸線が続く場所です。
対馬海峡
(南側)
から日本海側に入ってきて東に進んでくると、この下関−角島にぶつかります。渡来人がこの地域にたどり着き、そこで生活をした事はあり得ると思います。人骨の急激な変化はそれを物語っていると考えられるし、おそらく現代日本人のベースを作る事になった人々の遺跡と考えられます。
実際に、元寇の際にも元軍の船がこの辺まで来ていたようです。意識的にか流れ着いたのかは分かりませんが、この辺でも戦いがあったようです。
土井ヶ浜遺跡 復元された墓地の様子
実際に人骨や装飾品などを見て、ここが日本人のルーツの一つになることを感じました。目の前にある人骨は二千数百年前に生きていた方たちです。そのことを考えると、その時代に泣き笑いがあり、送られる時に家族や親戚、仲間たちによって暖かく埋葬されたのでしょう・・・。今の自分たちと同じような生活をしていたのだと思います。
博物館の隣にある『ほねやすめ』という処で食事をして、おフクロ様の好きなせんべい
(薬師せんべい)
を見つけ店の人と話したら、作られている方が生産を今月でやめられ、ここにあるものが最後といわれました。そこで一袋購入することにしました。残りはあと一袋だけになりました。試食用の割れたおせんべいを「道々食べて」と、沢山頂きました。
遺跡見学の後は本州の最西端下関に向かいました。下関の南側に彦島という島があります。平家の拠点となったという島、馬関戦争後、租借地になりかけた島です。ここの一番南側(田の首)まで行きました。ここが今回の旅行で最西・最南端といって良いと思います。柳井の手前でチョットここより南になる感じの場所がありますし、近くを通過してきた『毘沙ノ鼻』がもう少し西側になります。しかし、ここを最西・最南端と考えることにします。北緯33度54分48秒、東経130度54分59秒の地点となります。目の前に関門海峡とその向こう側に九州が眺められる場所です。天気はずっと良く来ましたが、下関の町に近づくと雲が多くなり、突然雨が降り出すような天気になりました。
彦島 田の首到着 門司をバックに記念撮影
この田の首で本州の日本海側をすべて走破したことになりました。本州沿岸走破は残り下関−広島廿日市市間だけとなりました。
田の首から下関駅の方に戻りました。山陽本線の関門海峡は彦島からトンネルに入りますが、トンネルに入る直前の山陽本線の所を通って下関駅へ。そして、赤間神宮に向かいましたが、駐車場が反対側で入れることができず、いったん今日宿泊するホテルの近くまで行きUターンして、車を止めました。
赤間神宮 平家一門墓所(七盛塚)
ヘイケガニ 平家一門墓所前の芳一堂
安徳天皇陵と赤間神宮見学頃からまたまた雨が降り出し、神宮を見学した後、左横手の平家の墓(七盛塚)と芳一堂に行った時にもの凄い雨が降り出しました。薄暗い平家の公達たちの墓と芳一の木造の前で凄い雨です。タイミングと雰囲気がもの凄くあっていました。この雨は10分くらいで上がりました。公達たちの無念の気持ちがなんだか伝わってくる感じでした。
これまでの旅行で一ノ谷・屋島と見学してきましたが、今回は壇ノ浦です。源平合戦
(治承・寿永の乱)
の平家滅亡の地で、見学完了です。公達たち現地を歩いてきたことに喜んでくれたのでしょうか・・・?
神宮見学の後、早めでしたが4時に宿に入りました。この宿メチャクチャ嬉しいことにロビーで生ビールとアイスが飲み・食べ放題です・・・。熊公にとっては天国です。しかし、すぐに飲んだりしません。この宿は『関門トンネル人道』のすぐ側です。目の前は『壇ノ浦の古戦場』、『馬関戦争の砲台』が置かれたところです。義経と知盛のモニュメントと長州藩の大砲のモニュメントが置かれています。荷物を置いたらまずは歩いて福岡県まで海底トンネルを歩いて往復してきました。観光客も多いですが、地元の方がウォーキングされたりしていました。海底を歩いている事を考えると、頭上を船が通過しているのかな・・・、平家の兵たちの武具などがまだ海底に横たわっているのかな?なんて考えながら歩き、県境では行きも帰りも写真を撮りました。
関門トンネル人道 県境 北九州 門司側から関門海峡を望む
壇ノ浦古戦場 馬間戦争長州砲台跡
福岡県まで行き、帰ってきた後はモニュメントを見学ました。平家物語の壇ノ浦のヶ所、平知盛は鎧を二領着てこの海峡に飛び込んだわけです。高校生の頃から鎧が好きで、この場面は何度も読みました。お話ですが芳一は平家一門の墓前で琵琶をかき鳴らし語ったわけです。安徳天皇も二位の尼に抱かれて、波の下の都に向かったわけです。
門司側から本州を眺めたとき、潮流は瀬戸内海から日本海に向かっていました。源氏の船が乗った潮です。なんだか目の前に合戦の様子が浮かんで見えました。
宿に戻りました。汗をかいてビショビショになりましたからすぐにお風呂に入り、出てきたらビールを飲みました。美味し・・・。何杯でも飲めるなんてこんな嬉しいことはないですね・・・。ロビーに寝たいくらいでした。
ビール飲み放題・アイス食べ放題
\(^O^)/
地ビールと地酒 ふぐの刺身・たたき・皮・煮こごり・寿司
夕食は下関ですからフグ尽くしコースを頼みました。写真はその一部、鍋に唐揚げ、ふぐシューマイにふぐ飯・・・、大満足の夕食でした。
ちなみに宿泊したのは『源平荘』です。お部屋のお菓子に『源氏パイ』と『平家パイ』が置いてありました。
(2017.08.23.)
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