熊公の独り言 W




◆ 山口県周遊の旅 A ◆
 第4日目 8月18日(金) 走行距離:182.3km  延べ走行距離:1382.2km  歩数:12603歩

 今日は8時45分からスタートです。まずは赤間神宮へもう一度行きました。昨日『平家ガニ』の写真を取り忘れたので行きました。これまで中国人の団体さんとは遭遇していませんでしたが、赤間神宮で遭遇、説明を聞くのは良いですが、通路をふさいで廻りを考えない姿には閉口します。『平家ガニ』の写真を撮った後、山口に向かいました。 今日からは瀬戸内海沿岸を走ることになります。
 回り道になりますが沿岸を走るのがテーマですから、宇部を経由します。宇部という街は小学生の頃から気になる街でした。それは、熊公の出た小学校の近くに『宇部興産』の社宅があって、そこに沢山の友達が居たのです。ですから、宇部という街がどんなところか一度は訪れたい場所でした。
 高い煙突など眺められ、『太平洋ベルト』の瀬戸内地域の一部であることが実感できました。

 
ザビエル記念聖堂と熊幸U世                      ザビエルの指の聖遺骨


聖堂内部

 山口ではまずザビエル記念聖堂に行きました。とっても綺麗な聖堂でした。まずは聖体訪問をしました。聖堂内や階下の資料館にはザビエルの聖遺骨やイグナチオの聖遺物、キリスト教が伝わった時代のお墓や、禁教となった時代の遺物なども展示されていて良い見学になりました。
 ザビエル記念聖堂の見学の後はすぐ前の亀山公園に登り、大内氏の繁栄させた山口の町を眺めました。その後、記念聖堂と『熊幸U世』の写真を撮りました。『熊幸U世』もよく走ってくれます。

 
    瑠璃光寺の五重塔                    龍福寺 大内氏館跡の土塁の復元

 ザビエル記念聖堂の見学の次は『瑠璃光寺』です。大内義弘の菩提を弔うために建てられたお寺です。塔の高さは31.2mです。応仁の乱以降の戦国時代、大内氏が治めた地域は戦乱がなく安定していたため、多くの文化人が身を寄せたところです。ザビエルもその力を知って山口での宣教の許可を得たわけでした。ですから文化的なものが沢山存在します。その一つがこの五重塔です。今回は行きませんでしたが、雪舟庭も有ります。ゆっくりと見学したいところです。

 門前のお土産屋さんで外郎などを購入して、次は大内氏の館跡に建つ『龍福寺』に向かいました。
 寺域がほぼ館跡と一致するということで、現在は土塁が復元されています。一辺が100間四方ということでした。見学の後、館の周りを一周してみました。戦国時代末に一大文化を創り上げた大内氏の館の広さを実際に体感できました。そして、ザビエルもここに来て布教の許可を得たものと思います。同じ空間を共有している感じでワクワクするものを感じました。

 龍福寺の見学の後は防府に向かいました。防府の最初の見学は『防府天満宮』です。宝物館の見学をしたかったのですが、社務所の巫女さんを呼びに行かなければならないため没にしました。
 社殿を見学した後、ワイフがお茶を飲みましょうということで、茶亭に入りました。対応してくださった巫女さん?がとっても綺麗な人でした。お抹茶のお手前、対応の仕方姿が美しい方でした。

 
 防府天満宮                          茶室芳松庵でのお茶

 
茶室芳松庵の茶室とお庭


天満屋のおじさん

 見学を終えて車に戻る時、門前のお土産屋さんの小父さんが面白可笑しく呼び込むのでお店をのぞきました。駄洒落いっぱいに応対する面白い小父さんでしたが、「東京の板橋から来た」 と話したら、「僕は学生時代東上線の東武練馬に下宿してましてね・・・」 と言われました。自分たちの最寄り駅である話をしたら、「駅から坂を下った・・・」 と、なんと熊公家から数分の場所に下宿していた事が分かりました。山口の防府でご近所に住んでいた人と会うなんて・・・、出会いって面白いですね

 防府天満宮の見学で30分くらい予定の行動が遅れていました。そのため、周防国衙跡と国分寺の見学はやむなくカットしました。古代の山陽道は九州の太宰府と奈良の都を結ぶ重要な官道、国府間ををほぼ直線で結び、幅は12m。およそ16kmおきに駅家(うまや)が設けられ、中国からの使者をもてなすため迎賓館のような施設であったとか。国衙はその上のものですから、見学をあきらめたのは一寸残念です。
 東京の国分寺にも官道の発掘が行われ、その幅などを体感できる場所があります。そして、大国魂神社の横に国衙跡の柱の復元がされていますが、最重要路線であった古代山陽道の国衙は武蔵のものとは違っていたのではないかと思っています。

 毛利家の庭園は美しい場所と聞いていましたので、今日最後の見学地としました。明治・大正・そして戦前までの華族の庭園、明治維新の立役者の一つ長州藩の藩主ですから、当時は日本トップの華族であったわけです。その庭園の広さ美しさは確かにすばらしいものでした。また、お屋敷の一部が博物館になっていますが、その屋敷の広さが凄かったです。熊公家はこの屋敷の玄関くらい・・・。華族の生活を垣間見る感じがしました。

 
毛利氏庭園・博物館

 最後の見学を終えて一路海沿いを柳井に向かいました。天気の関係もあると思いますが、日本海と瀬戸内海では雰囲気が違います。瀬戸内海は明るく穏やかな感じがします。

 予定より50分遅れ、5時50分にホテルに入りました。夕食はつかないホテルなので荷物を置いてすぐに柳井の街に出かけました。白壁の町並みを見学しに行きましたが、6時でほとんどすべてのお店は閉まり、街が眠りについている感じでした。でも、白壁の町並みを静かに見学できました。

 
      柳井の郵便ポスト                    誰も居ない夕暮れの白壁の町並み

 お魚を食べたいのならとホテルの方に聞いたおすすめのお店『魚好人』に行きました。お店の大将の目の前のカウンター席に案内されました。たこワサビ・たこの天ぷら・海鮮サラダなどをまず最初に食べましたが、その美味さにうっとりです。お刺身を食べない手はないと一人前のものを頼みましたが2人で食べて充分な量、しかもその刺身の美味さにまたまたビックリでした。最後に『焼き鯖押し飯と』いうお店オリジナルのものを注文しました。お店の大将と会話することができて、年齢が熊公より一つ下の方で、旅の話とかいろいろ楽しく時を過ごしました。

 
一人前のお刺身                         焼き鯖押し飯

 
魚好人の大将                        柳井名物 金魚提灯

 ホテルに戻り最上階のラウンジに柳井の夜景を眺めに行きました。熊公はウィスキー、ワイフはカクテルを注文して、夜景を眺めながらなんかロマンチックな時を過ごしました。
 宿泊は柳井クルーズホテルです。ブライダルホテルでした。


 第5日目 8月19日(土) 走行距離:436.4km  延べ走行距離:1818.6km  歩数:7250歩

  今日は広島の宮島(廿日市)まで走ったところで本州一周を達成します。柳井のホテルを9時15分に出発して岩国の錦帯橋に向かいました。岩国に近づくと渋滞に巻き込まれ1時間かかりました。

 
   錦帯橋と岩国城                      挨拶しに来てくれた白蛇君

 錦帯橋を渡って白蛇を見に行きました。沢山の人がいましたが熊公とワイフが眺めていると、それまで動かなかった蛇さんが近づいてきてくれました。オオサンショウウオなど見学して、またその蛇さんの所に行くとさっきの蛇さんがまた2m位移動して熊公とワイフの処に来てくれました。沢山の見学者の中で何か特徴が有ったのでしょうか・・・。何か良いこと有るのかな? 何かもの凄く不思議でした。

 岩国城には行かず、錦帯橋を渡り車に戻りました。いよいよ中国地方での見学は終わりです。数キロ先の山陽道に乗りました。今日の宿泊地は京都府宇治です。岩国−自宅のほぼ中間点になります。岩国からおよそ400kmなので11時半に錦帯橋を出れば4時半には着けると踏んでいましたが、山陽道はけっこう混んでいて、流れが70km位になる時も有りました。

 岩国から少し走ると広島県、そして、すぐに宮島です。そこを通過した際にワイフと握手をして、本州一周達成を祝いました。

 
宮島付近 本州一周達成                    西宮北−宝塚間の渋滞

 西宮北を通過する辺り、神戸の街が見えてくる景色がすきです。今日は渋滞ですから、ゆっくりと眺めることが出来ました。渋滞になっても焦らない焦らない・・・。


吹田付近 太陽の塔

 西宮北から宝塚までの12kmの渋滞で30分のロス。山陽道全体のゆっくりな流れとあわせて、本来なら宿に4時半頃着いたのが5時半に成ってしまいました。

 宿の部屋は次の間付きの宇治川を眺めることができるすてきなお部屋です。今回の旅行のホテルはみんなすてきでしたが、この宿が一番良いお部屋という感じです。
 今日は7時から鵜飼い観覧を予約していましたから、6時半までには夕食を終えなければならないので、美味しい料理をゆっくり食べたかったのですが、大急ぎで食べました。鱧・松茸などの美味しい料理でした。
 6時45分に乗船場に行くと最後の乗客でした。鵜飼い観覧は行って良かったです。川風に当たりながら目の前で鵜たちが鮎を飲み込み、鵜匠に吐き出させられる様子を見ることができました。篝火が近づくと熱さを感じ、その下で鵜たちが一生懸命働くのが愛らしかっです。そして、鵜匠は2人の女性でした。伝統の技術を継いで行かれることに感謝し、そういうことに関心を持ってくれる若い人達が増える事を祈ると共に、そういう事を仕事として選ぶ人たちに公的な援助がある事を願います。文化を消さないと言うことは、お金が掛かる事です。しかし、それをしなければ消えて無くなってしまうもの、何とかしたいですね・・・。

 
宇治川の鵜飼い観覧

 今日の観光も楽しく渋滞分の遅れだけで行動できました。いよいよ明日は最終日です。朝一番で平等院などを見学して、平場を信楽まで走り、紫香楽宮跡(甲賀寺跡)を見学して帰路につくつもりでいます。
 宿泊は光流園静山荘です。京団扇をプレゼントされました。


 第6日目 8月20日(日) 走行距離:469.7km  延べ走行距離:2288.3km  歩数:8424歩

 早いものです。いよいよ最終日となりました。車は宿の駐車場に止めて置いても良いと言われ、まずは平等院へ行きました。数年前に外壁の丹塗りを新しくしましたから、平安時代の色で眺めることが出来ました。

 
部屋から見る塔ノ島の十三重塔                十円玉でおなじみ平等院鳳凰堂

 
    源三位頼政の墓                      最古の神社建築 宇治上神社

 平等院は『藤原道長』の別荘を息子『頼道』が寺院としたもの。浄土式庭園は寝殿造りの庭園です。平泉の毛越寺の庭園の方が規模は大きく、教科書通りに思えますが・・・。末法思想が信じられ、極楽往生を願って作られたものです。『雲中さん』と呼ばれる色々な楽器を持った飛天が堂内に掲げられ、中央は金色の阿弥陀如来、壁や柱、天井天蓋には美しい装飾が施されているのは有名ですね。


庭園の中央から阿弥陀如来のお顔を拝む

 宇治川の平等院周辺は2つの中州があります。その中州の東側は塔ノ島と呼ばれ、十三重塔が建てられています。この塔は最古最大の塔と言うことです。部屋から綺麗に眺められました。
 また、平家物語の『橋合戦』の場所、源三位頼政が平家打倒のため立ち上がった合戦で、奮戦及ばず自害するところですが、熊公はこの場面も好きなところです。平等院の最勝院に宝篋印塔が立てられています。
 また、その後、平家を都から追い出した源義仲を義経達が打ちますが、その際、佐々木高綱と梶原景季(景時の子)とが先陣を争って宇治川を渡ったところです。佐々木高綱が頼朝から拝領した『生食(いけづき)』に乗り、川底に張ってある網を太刀で切り進んで先陣を勝ち取った場面の場所です。
 『宇治川先陣の碑』を見たかったのですが、護岸工事のため移動保存されていて、見ること出来ませんでした。残念!!
 次に宇治川を渡り『宇治上神社』へ行きました。ここは日本最古の神社建築ということで、国宝で有り、平等院と共に世界遺産です。この神社の手前に『早蕨の碑』が有りました。源氏物語は教科書で読んだ程度なのでよく分かりません・・・。この神社近くには源氏物語ミュージアムがあります。
 平等院の地が光源氏のモデルだった左大臣 源融の別荘で、それが巡り巡って道長の別荘になったということですから、源氏物語の里な訳ですね。

 京都の見学を終えて、いよいよ最後の見学地に向かいます。宇治から東京に向かう際、京滋バイパスを使い草津に出て新名神道に入るコースと、下場を走って新名神道の信楽ICに出る方法があります。バイパス使う方が若干早い程度、それなら信楽に出て、紫香楽宮跡(甲賀寺跡)を見学して帰るのが良いと考えました。甲賀寺跡が最終見学地です。
 山越えをして信楽に出ました。途中信楽焼の窯元が沢山有りました。あの狸の置物を見ると何か共鳴するものが有ります・・・。

 
    宇治橋                           信楽焼のお狸さん

 紫香楽宮は聖武天皇が離宮にした地です。聖武天皇は遷都マニアです。平城京−恭仁京−難波京−紫香楽京−平城京と5年間で移動しています。紫香楽京はあっという間の期間ですが都でした。今回見学したのは『甲賀寺跡』です。ここが紫香楽宮跡とされていますが、実際は違うと思います。ここは大仏建立には関わったのでしょうが、都に出来るような場所には思えません。実際は北側、高速道路を越えた方に有ったと考えます。いずれそちらも見学することになると思いますが、今回は甲賀寺跡で終了です。

 
        金堂跡で                     甲賀寺入り口で FREED『熊幸U世』

 甲賀寺を出発したのは12時25分、高速に乗ったのは12時半でした。自宅までおよそ430km、6時間くらいの行程と考えていました。単純に考えると6時半に到着予定です。しかし、横浜町田を先頭にする渋滞に巻き込まれるはず。例年1時間半掛かっていますから8時到着と考えていました。
 帰りの流れは結構順調でした。運転支援システムは快適でした。ガソリンを給油しないでもギリギリ自宅まで走れる感じでしたが、渋滞などを考えたら怖いですから、静岡SAによって、飲み物とチョットした食べ物を購入して、トイレを済ませ、給油してすぐに出発しました。

 今日は日曜日、運転に慣れていない人も結構高速に乗る日です。案の定というか鮎沢辺りで事故があり、その渋滞にはまりました。丁度新東名と東名が合流する辺りからの渋滞でした。トロトロと進み、鮎沢を超えると流れだしました。ここの通過100分でした。そして、海老名で横浜町田を先頭にする渋滞に、しかし、手前の渋滞で詰まりは少なくて90分の予想は30分ですみました。
 今日は曇りで富士山を眺めることは出来ませんでしたが、裾野の斜面を眺めながら関東に戻ってきていることを実感しました。
 首都高速は順調に流れ、自宅に着いたのは8時15分でした。計画より15分遅れでした。

 FREEDはよく走ってくれました。運転支援システムは長距離運転を快適にしてくれました。チョット困ったのはカーナビです。インターナビ リンクはパソコンやタブレットで計画して車で受信でき、非常に便利です。そして、ホンダ車からデータが送られているのでその状況から新ルートを送ってくれるのも良いのですが、勝手にルートを変更することが困りました。
 新しいルートにするか、そのままにするかの判断は運転者の権限でするべきです。これが勝手に誘導するので、あまり地図を見ず、コース取りもカーナビ任せだったりすると、そのまま従ってしまうことになります。経由地は5つ設定できますから、それを上手く使うことは可能ですが、それを越えるとアウトです。1つのコースをいくつかに分けてコースを登録しておき、その都度設定するのも良いですが、現実的とは言えないです。改善すべき点は「新しいコースでご案内しますか?」 と、問い合わせてくれることだと思います。
 それとも、カーナビの設定の中にコースの自動更新をコントロールする設定が有るのかな?
 御殿場の渋滞直前で突然高速を降りろという案内にチョットビックリしました。これまで乗ってきた中で、工房往復のルートで渋滞など有ると別ルートを案内することを承知していたので良かったです。実は工房の帰り道に新しいルートを示され、それに従ったら返って大変だったことがありました。その経験や、バスの運転士さん達と話してきたことなどから、高速を使った方が渋滞でも早いことを実感しています。今回は案内を無視して高速に乗り続けました。正解だったと思います。ホンダに伝えるチャンスが有れば伝えるつもりです。
 県境を知らせてくれるレーダーですが、知らせてくれないことが何県か有りました。でも、知らせてくれるとここまで来たか!! という気持ちになりました。山口県に入るときは知らせてくれました。

 あっという間に5泊6日の旅行は終わってしまいました。今回も沢山の出会いと発見が有りました。次はいよいよ九州です。どの様にコース取りすれば良いか考えていきます。行きか帰りはフェリーを使うことになるでしょうね・・・。九州一周には3年くらい使うことになりそうです。

 今回の旅行も傘を差して見学したのは赤間神宮のみ、事故に遭うこともなく、ほぼ計画通りの旅行をすることが出来ました。本当に感謝です。
(2017.08.23.)






トップへ
戻る
前へ
次へ

熊公の独り言 T 熊公の独り言 U 熊公の独り言 V

熊公アニメの部屋 鍛冶屋の部屋入り口 好きな所入り口

高山植物のページ 菊谷さんのMIDIの部屋 リンクのページ お便りのページ