3月25日(日)から27日(火)まで、2泊3日で福岡・下関を旅行してきました。東京では桜が満開近くなった状態でした。どんな服装で行けば良いか悩みましたが、少し厚手のシャツにベスト、その上にコートを着ていくことにしました。
この旅行は長男の提案でした。長男は飛行機に乗るのが大好きで、自分なりにテーマを持って動き回っています。今現在は日本全国のタワーを回るスタンプラリーをしていると言うことです。『福岡タワー』と下関の『海峡ゆめタワー』に行くから一緒に行かないかという誘いでした。
長男は熊公からすると「もったいないな・・・」と思う感じの旅行をします。弾丸旅行と言えば良いのか、例えばこの福岡・下関の2つのタワーを1泊で行くわけです。朝、羽田から福岡まで飛行機で飛び、タワーに登り、昼過ぎには福岡を後に、下関に、夕方または翌朝下関のタワーに登り、昼頃に宇部空港に出て帰ってくると言うような計画を立てます。その場所の美味しいものを食べる程度でササッと往復してくる感じです。
長男は熊公の旅行の仕方を知っていますから、「父さんは1日早く行って、見たいところを回って翌日タワーで合流しよう・・・。そして、次の日は父さんの旅行に合わせて遅めの飛行機で帰ってくることにするけど・・・。行かない?」 と、2月に提案されました。即答で『行くよ!!』と、答えました。
長男は『JAL』が好きで会員になっています。前日出発の飛行機の手配、空港からのレンタカーの手配、2日目のホテルと帰りの切符の手配をアッと言う間にしてくれました。
私のすることは1日目のホテルの予約と、レンタカーで回るコースを考えること、2日目タワーで合流するまでの行動計画を立てることでした。合流後はその場で考えることに・・・。
今回のコースは上の図の通りです。25日(日)の9時05分羽田発 JAL309便で福岡空港に行きます。一人で飛行機に乗るのははじめてです。長男は翼よりも前の富士山が見える側(左)の窓際の座席を予約してくれました。地図が好きで、日本の沿岸を車で回るのを旅のテーマにしていますから、見下ろす地形を見るのはもの凄く嬉しです。
第1日目 3月25日(日)
25日は今まで人任せにして、搭乗手続きなどしてきませんでしたから、少し早めに家を6時15分過ぎに出ました。予定していた電車よりも一本早いものになり、トントントンと乗り継ぎできちゃって、第1ターミナルビルには7時45分に着いていました。一時間前に着く予定で仕立てが、20分も早くなってしまいました。空港内ではコートを着ていると暑いくらい、そこで脱いでリュックに挟み込むことにしました。結局この後一度も着ること無く持ち歩くことになりました。
飛行機は定刻に出発、天気は春霞は掛かっていますが、快晴です。どんなコースで飛ぶのか、自分が走ってきた日本列島のコーストラインや地形で飛行している場所を確認していく・・・。子供が電車の窓から離れない感じで、熊公も窓から下を見っぱなし、写真撮りっぱなしです。
折り返し福岡に向かう飛行機 搭乗券 レシートみたいですね
機長さん福岡まで宜しく 鎌倉と江ノ島が見えます
D滑走路を北に向けて離陸しました。アクアライ上空を右旋回して横浜北部・町田辺りを飛行して上昇していきます。鎌倉・江ノ島を眺め、厚木基地が足元に見えました。そこから、丹沢を超えます。高校から学生時代歩いた山並みですから、嬉しくなりました。離陸時に富士山見えましたが、丹沢を超えると間もなく富士山の北側を飛行します。雪を被った富士山を綺麗に眺めることが出来ました。
厚木基地が見えます お目当ての一つ富士山
山頂のアップ写真 20年前家族でお鉢回りをしました
富士山を越えると南アルプスです。さすがに3000m級の山脈です。上昇気流が起きているんでしょう、機体がガタガタと揺れました。安部川、そして、大井川上流のダム湖が眺められました。続いて濃尾平野です。木曽三川、輪中で有名な海津町が足元に眺められ、遠く四日市のコンビーナート群が・・・。次男が勤務する場所です。嬉しくなりました。
安部川と大井川(南アルプス) 濃尾平野 木曽三川 輪中の海津町
伊吹山の南側を通過して琵琶湖の南側を飛び越え、京都盆地です。京都御所を確認した時に機長から、「只今、京都上空を飛行中です。」と機内アナウンスがありました。
京都市上空 京都御所 四国の山並み ・
大阪平野を通過する辺りから雲が出始めました。雲間から観察する感じでしたが、広島空港・安芸の宮島を確認。もうそろそろ山口上空かな?と、雲に被われたところを見ていると「これから降下を始めます。あと10分くらいでベルト着用のサインが出ますので・・・」と、機内アナウンスが入り、エンジンの音が変わりました。
安芸の宮島 九州の山並み
その辺から九州の山の頭が雲の上に出ているのが眺められました。山は同定出来ませんが、大分・宮崎の山でしょう。さすがに雲が出ていますから、少し揺れがありました。
関門海峡が見えます 遠賀川 芦屋基地が見えます
高度がドンドン下がり、日本海上空に出た頃、関門海峡を眺めました。飛行機は九州北部沿岸を高度を下げつつ飛行していきます。遠賀川とその左岸に芦屋基地が眺められました。間もなく福岡です。
福岡筥崎付近 多々良川 福岡空港着陸寸前
左旋回して海の中道上空を通過して、滑走路進入コースに入りました。筥崎上空を飛び、空港に11時05分到着しました。まったく飽きない一時間半のフライトでした。
309便 福岡まで有り難う 福岡空港 いよいよ福岡での行動開始です
初めての福岡、ここからはレンタカーを使います。長男のパッケージによってレンタカー8時間くらい使用で500円・・・。そんなに安くて良いの?と、心配になるくらいです。少々不安もありますので、自損事故、車の傷つけの際も無料になるという、648円のプランも付けていよいよ福岡の街を走ります。今回の旅のテーマは『金印と元寇』です。
まずは、『福岡市博物館』1に向かいます。レンタカーはホンダのFITです。乗ってすぐに高速に入ります。初めての土地、まったく何も分からない中で車にも慣れていないところ、いきなり高速に入る・・・。家で確り地図を眺め道は頭に入れてありますが、やはり緊張します。
空港前のレンタカー屋さんを出発したのは11時半過ぎでした。博物館までは11km位です。12時前に到着、市立の博物館なんだと思いますが(どこにも市立と書かれていない・・・)、もの凄く立派な所です。常設展示の場所は入ったところが『金印』のコーナーでした。実物を見るのは素晴らしいです。
国宝 『漢委奴国王』印 出土した鍛冶資料 羽口・台石(金床)
刀子類 名槍 『日本号』 酒は飲め飲め〜〜〜 (黒田節)
全部をゆっくり見ていたら一日かかってしまいます。そこで金印・元寇、鍛冶関係・・・と要所を見て1時頃に見学を終えました。さすがに文化の玄関口になった地域です。出土する遺物など、レベルの違いを感じました。
ミュージアムショップで金印のレプリカを購入して、次の目的地に向かうことにしました。
福岡市博物館 レンタカー ナンバーは大分ナンバーです
次の目的地は金印発見地『志賀島』です。博多湾の東側をグルッと回り込む事になります。まずは金印が発見されたと言われる『金印公園』2に向かいます。28km位です。
福岡高速『環状線』 大きな客船が停泊していました
福岡の高速道路は東京のように防音壁などに囲まれているところがあまりなく、高いところを走りますから景色が良いです。博多湾が眺められるところでは、文永・弘安の役の時、元軍の船がここに押し寄せたことを考え、ここから遣唐船が船出し、帰国したことを思いました。
博多湾の東側を回り込み、西に向かって走る感じになると回りは砂丘のような感じになってきます。そして、いよいよ志賀島に繋がる砂州の上を走ります。この道は砂だらけでした。
元軍が押し寄せた時、御家人達はここを渡って志賀島来ていた元船を攻撃し、被害を与えています。
砂州上の道に入るところ 金印公園の入り口で
金印が発見されたと伝わる場所 そこからの博多湾 左に見えるのは『能古島』
金印公園は江戸時代に金印が出土したところと言われています。この場所は発掘した結果、金印の時代の遺構は発見されなかったと言うことです。でも、出雲の荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡の銅剣や銅鐸が大量に埋納された状態で突然出土するようなこともありますから、弥生時代人は大切な物を埋めるという習慣があったのかも知れないですね・・・。隠さなければならない何かが有ったのかも知れないですね。
この公園には見学しに来ている人が沢山居ました。ポカポカして気持ち良い日ですから、のんびり日向ぼっこをしている人も居ました。
次の目的地は800m位離れた所に有る『蒙古塚』3に行きます。ここは見学に来ている人はまったく居ませんでした。
蒙古塚 慰霊塔 金印海道 玄界灘側
元軍は自滅したと言うことが最近新聞に書かれていました。元船が手抜き作業で造船された為、嵐が来ずとも沈没したと言うことが書かれてありました。確かにそういうことが有ったのかも知れませんね。でも、ここで元軍として送り込まれた高麗や中国の兵士が沢山亡くなったのは事実です。
次は志賀島休暇村内の『志賀島資料館』4に向かいましたが、閉館したようで開いていませんでした。そのままグルッと玄界灘側を込み、砂州の方へ戻りました。途中食事するところが有ればと思いましたが、玄界灘側は岩場が多くて、集落は殆ど無く、食事処も有りませんでした。そこで、金印公園へ行く途中で見たお店まで行って、そこに入りました。
入ると「今日はお刺身類は全部無くなってしまいました・・・。」 と言われました。でも、幟で見た『サザエ丼』と言うものが食べたかったので、それを注文しました。お店には沢山のお客さんがいて、出てくるまでに40分近く掛かりました。そして、熊公が入店したらすぐに、営業終了の札が外に出されましたから、この日最後のお客さんとなりました。
サザエ丼 砂州上の道 砂だらけです
サザエ丼はサザエを卵とじにしたものですが、この下にワカメが敷いてある感じでした。美味かったです。良いものを食べました。
次の目的地は『太宰府政庁跡』5です。志賀島から41km位離れています。飛行機から見た筥崎から高速に乗り、1号線から環状線と乗り、およそ1時間です。途中、高速に乗る手前、香椎辺りで少し混みましたが、4時20分頃に着きました。
大宰府政庁跡は広い公園状態で、バトミントンをやっている人、ボール遊びをしている人など沢山いました。そして、桜がほぼ満開状態になっていますから花見をしている人もいました。
政庁正面から 政庁本殿のあった場所
太宰府は日本の玄関口、大きな政庁だったわけです。建物はありませんが、礎石を見ていると建物がイメージ出来ました。その後、『太宰府展示館』に行くと4時30分までとなっていました。まだドアは開いていたので覗くと、少しなら良いですよと、見学させてくれました。発掘時の溝がそのまま展示されていました。また、政庁の建物の復元模型もありました。想像した感じの物で、本当に壮麗な建物が建っていたようです。
政庁跡の見学を終え、『太宰府天満宮』6に向かいました。沢山の人がお参りしていました。小さな駐車場に車を入れて、天満宮の見学です。
太宰府天満宮で 道真公を追って飛んできた『飛梅』
二輪花が残っていた飛び梅 板付遺跡は閉まっていて残念
飛び梅には二輪花が残っていました。桜はほぼ満開ですから、桜と梅を見ることが出来ラッキーでした。天満宮から次の『板付遺跡』7に向かいますが、太宰府駅辺りから五条の辺りまで渋滞でした。やっと板付遺跡にたどり着いた時は5時50分、門が閉まっていて見学できませんでした。
板付遺跡は縄文土器の底に籾の跡が残っていたことから、稲作が縄文の終わりには始まっていたこと知る手がかりとなった遺跡です。見ること出来なかったのは残念でした。
板付遺跡は空港の南西端の近くです。空港の南端を横断するようにしてレンタカー屋さんに帰りますが、離陸する飛行機が頭の上を通過していくのは迫力がありました。
途中ガソリンを満タンにしたいものの、スタンドは全部反対側、グルッと回ってスタンドに出ようと試みたものの、失敗しました。土地勘が無いから仕方ないですね・・・。高くても仕方ないです、満タンにしないままお店に、距離から計算して貰いガソリン代を払いました。昼前から6時まで106.1km走っていました。
レンタカーを返して、地下鉄空港線を使って『中洲川端』まで行き、今日の宿にチェックインしました。6時半でした。フロントで『もつ鍋』の美味しいお店を紹介して貰い、そこへ行ってみました。
美味しい鍋でしたが、一人で鍋をつつくのは寂しいですね・・・、写真は上段『モツのポン酢の和え物+馬肉のユッケ』・『馬刺し』。下段は『もつ鍋』と〆の『ちゃんぽん麺』です。美味しかったですが今度は家族でつつきたいものです。
お酒は福岡の地酒2種類、焼酎を1種類飲みました。焼酎は酒粕焼酎、酒粕から作ったもののようですが美味く思いました。東京でゲットできれば買って飲みたいと思います。
今日歩いた歩数は15128歩でした。 およそ12km位歩いた計算です。見たいと思った場所はほぼ見学できました。板付遺跡だけが残念でした。明日、長男と合流するのが10時45分の予定です。それまで『防塁』の見学をしておくつもりです。
(2018.03.28.)
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