第2日目 3月26日(月) 歩数 23037歩 歩行距離 およそ18km
2日目、朝食は明太子食べ放題・・・。沢山食べました。9時にチェックアウトして地下鉄空港線で『西新』まで行きます。ここに西新地区の防塁があります。『西南大学1号館』の防塁は発掘復元されてほぼ当時の姿になっていると聴きます。1号館に入っても守衛さんはいないし・・・、そっとドアを開けて入りました。困ったな・・・、と思っているところに大学の職員さんが歩いてきたので、事情を話したら快く案内して下さり、「自由に見学して下さい」 と言ってどこかに行かれてしまわれました。一人で色々な角度から眺めました。この防塁は陸地側にもう一つ土塁のような高まりが確認されたと言うことで、それも復元されていました。
1号館の入り口 2階から見下ろした防塁
海岸線側の石垣 蒙古襲来絵詞 防塁の図
文永の役(1274年)では、この辺り(百道・赤坂)辺りは元軍本隊が上陸し激戦が繰り広げられた場所、戦法も武器も違うわけで、一騎打ちで戦ってきた日本軍は筥崎・博多を捨てて太宰府の近く水城まで敗走しています。
弘安の役(1281年)までに御家人達に命じてこの防塁を築かせたわけですが、元軍がこれを見た時にはギョッとしたことでしょうね・・・。1281年を覚えるのに『石に矢は射れぬ 弘安の役』と覚えましたが、まさしくです。ここを登ろうとする元軍、内陸側からは日本軍が矢を射かけ、薙刀で切り払ったわけです。陸地側はスロープになっていると聴いたことがあったのですが、二重構造になっていて、どんな風に戦ったんでしょうか・・・。陸地側に立つと御家人達が奮戦したことが目に浮かんできました。元寇は両軍にとって大変な戦いだったと思います。
次に100m位西側の防塁跡を見に行きました。
もう一つの防塁 福岡タワー 長男との待ち合わせ場所
こちらの防塁は半分埋まった感じになっていました。でも、確実に1号館からの延長線上にあります。更に200m位西側の百道地区にも防塁の跡が残っています。ここで大激戦が有ったわけですね。
元軍は大損害を受け撤退し、日本軍は新しい土地が手に入ったわけでもなく、次いつ来るか分からない襲来に備え警備し続ける・・・。結果、元も鎌倉幕府も衰退していくわけです・・・。
防塁の見学後は『福岡タワー』まで歩きます。2km位でしょうか、9時45分くらい、丁度タワーに向けて歩き出した頃に長男からこれからタワーに向かうという連絡が入りました。携帯は便利です。
タワー下には10時少し過ぎた時に着きました。ベンチに座っているといつの間にかスズメが沢山飛んできました。人を怖がらないスズメ、何か餌はないかと思ったら、おつまみに買った『イカソウメン』を思い出しました、小さくちぎって与えると喜んで食べました。中には空中キャッチするスズメも居ました。中学・高校の頃スズメを飼ったことがあります。毛も生えていないような卵からかえったばかりの雛でした。チュンコと名付け餌の食べ方を教え、飛び方も教えてやりました。本当に可愛い、いつも一緒に居るスズメでした。そのチュンコのことを思い出しながら遊んでいました。
遊んでくれたスズメ達
10時35分くらいでしょうか、長男と合流して、タワーに登りました。タワーの高さは234mで展望室の高さは123mということです。
エレベーターに乗る前に写真を撮られました。降りてくると小さな一枚は記念としてもらえて、大きな1枚は1100円で買うことも出来るというものでした。
展望室からは昨日走り回った場所が一望できました。志賀島・海の中道・博多湾・博多の街・太宰府方向、この時季博多周辺にはPM2.5情報がしきりに出されていましたが、黄砂とか沢山の微粒子が飛来しているようで、霞が掛かったようでした。
能古島と志賀島 長男がスタンプラリーをしているタワー
タワーのスタンプラリーにはスカイツリーは入っていないんだそうです。面白いですね・・・。長男は最後のタワーを東京タワーにすると言っていました。
降りてくると入り口で撮影された写真がもらえました。そして、大きな写真どうしようかと思いました。長男は要らないと言いますが、折角です。二人の記念撮影と考えて購入しました・・・。
次は自分としては『鴻臚館跡』を考えて居ましたが、長男は『舞鶴公園(福岡城跡)の桜』を見学したいということで、鴻臚館跡も近いですから、公園に行くことにしました。タワーからは路線バスを使います。東京で使っているSuicaがそのまま使えるのは便利です。
二の丸の桜は満開です 『福岡タワー』と『ヤフオク!ドーム』
桜は満開で花見客が沢山居ました。お城の石垣と桜はとても良い雰囲気でした。花見をしながら城趾を歩き回り、鴻臚館跡に向かいました。
鴻臚館跡
鴻臚館は迎賓館のような場所です。大陸からの使節の宿泊に使われたり、遣唐使が出発する時、帰国した時などにも使われた場所です。展示されているのはほんの少しの部分。壮大な施設だったようです。
鴻臚館の見学の跡はお昼を食べることに、長男は『水炊き』を考えて居たようです。「父さんは水炊きに食いついてくると思った・・・」 と話していましたが、『博多ラーメン』にしました。地下鉄空港線赤坂駅まで歩き、博多駅に出ました。
博多ラーメン ラーメンを食べたお店
やっぱり本場で食べるからでしょうか美味しく感じました。スープ全部飲んじゃいました・・・。血圧上がるな・・・。食べたあとは博多駅に戻り、下関に向かう『ソニック35号』の出発まで、お土産などを買いました。全部宅急便で送る手配をしました。
博多駅 大分行き 特急ソニック号
3時19分発の『ソニック35号』で小倉に出て、そこで下関行きに乗り換え、下関に到着しました。観光案内所で夕食のお店の良さそうなところを聴いて、ホテルにチェックインしました。
関門トンネル
門司側 下関側
JRの関門トンネルを通過するのはこれが初めてです。高校生の時通過するつもりで居たのですが、九州を拠点としてた国鉄のストライキに巻き込まれて、下関止まりとなり、東京に帰れなくなるかも知れないと言われて、上り列車に飛び乗り、岡山まで出て、新幹線(当時は東京−岡山間だけでした)に乗って帰ってきた事を思い出します。
下関駅で列車を待っている時に定刻に満員で通過する列車を何本も見ました。これが『集団就職列車』でした。自分より一才くらい上の人達が、一寸暗い顔をして乗っているのを見て、自分が恵まれていることを感じたことを思い出しました。あの人達も定年退職したんでしょうか・・・?
夕食前に門司の夜景を見ようということで路線バスで『火の山ロープウエー』1まで行ってみましたが、夕方の運行は無く残念でした。ここは去年下関で泊まったホテルのすぐ側です。
仕方ありませんから、関門人道トンネルを使って門司2に出ることにしました。向こう側にたどり着くと下関の夜景が綺麗に眺められました。
下関の夜景 門司の夜景
人道トンネルの県境線
下関3側に戻り、壇ノ浦の辺りをそぞろ歩きして下関駅に路線バスで向かいました。そして、夕食を食べるお店に行きました。ここは入り口がお魚屋さんのように沢山の魚が並べられていました。そして、お客さんは地元の方達ばかりでした。
『おかもと』4というお店です。
入り口 鮮魚店のよう 刺身の盛り合わせとふぐ刺し
鯨のセット お店の外観
長男は『ふぐ』を食べたかったようで『ふぐ』を、熊公は『鯨』です。上の写真の他にも、『ふぐの唐揚げ』・『鯨の竜田揚げ』を食べました。支払いをしようとしたら、長男がおごってくれました。嬉しいな〜〜〜!! 大きくなったな!!
宿に戻り、明日の行動を考えました。『赤間神宮』を見学して『海峡ゆめタワー』登る、後は適当にすることにしました。
第3日目 3月27日(火) 歩数 17660歩 歩行距離 およそ14km
ホテルは8時30分頃チャックアウトしました。来た路線バスに乗って赤間神宮に向かったところ、『唐戸市場』7の所で違う道に向かうので慌てて下車し、唐戸市場の近くの巌流島へ向かう船着き場に・・・。900円で乗り放題と言うことで、それならと、唐戸7−−−巌流島5−−−門司港6−−−唐戸7と三角形に回る旅をすることにしました。
関門海峡上から関門橋 巌流島で 小次郎破れたり〜〜〜
関門海峡の上から関門橋方面を眺めるということは、源平合戦では平家方の景色ですね・・・。岸辺から見るのとは違った景色で良いものでした。巌流島5に渡り、武蔵・小次郎の像を見て、その当時のことを思いました。
旧門司税関 国際友好記念図書館と門司港レトロ展望室
巌流島から今度は門司港6へ向かいました。これで昨日から2回門司に着たことになります。関門海峡を渡る方法は6通りあるということです。1,在来線関門トンネル 2,新幹線関門トンネル 3,国道2号線関門トンネル 4,高速関門橋5,関門人道トンネル 6,渡船 の6通りです。
門司港には『門司港レトロ展望室』というものが有ります。これはスタンプラリーには入っていないものですが、登りました。関門橋が目の前で、足元に門司港の町並み、旧門司税関の建物や国際友好記念図書館のレンガ造りの建物がおもちゃみたいに眺められました。
門司港レトロ展望室から 門司港駅ビールを飲む
展望室は喫茶室にもなっていて、門司港駅ビールを楽しみました。苦みが効いたビールでした。運転しなくていい旅はこれが楽しめますね。
ビン越しに関門橋 お昼を食べた『伽哩本舗』
お昼は『伽哩本舗』というお店で『焼きカレー』を食べました。熱々で美味しかったです。自分でもやって見ようかと思っています。勿論ビールも飲みました。
焼きカレー(牡蠣) 九州の玄関門司港駅
門司港駅は九州の玄関だった場所です。連絡線が接続する場所で、ここから九州各地にレールが繋がっていく駅、函館や青森と雰囲気が似ています。
ここから架線もスタートです ザビエル本州上陸の地
門司港から船に乗って唐戸市場7に戻りました。ここは昔から『渡し』があった場所です。ザビエルは鹿児島から大内氏の所にくる時、ここから本州に上陸したということです。
唐戸市場を見学して、赤間神宮8まで歩きました。神宮では平家の七盛塚へ行きました。去年は雨が降っていて少々不気味な感じでしたが、今回は晴れていてお参り有り難う!! と言っている感じでした。
赤間神宮 平家七盛塚
平家ガニ 海峡ゆめタワー タワーで記念撮影
赤間神宮から路線バスで『海峡ゆめタワー』9まで行きました。本日のメインの見学場所です。展望台の高さは143mです。門司港方面、巌流島、勿論関門海峡全体、関門橋、日本海と瀬戸内海を眺めることが出来ました。このタワーに登って今回の旅行の見学地は全て回ったことになります。
最終日、路線バスが赤間神宮を通らなかったことから船に乗ることになり、まったく考えても居なかった、巌流島・門司港などへ行き、焼きカレーを食べることが出来ました。
門司の町並みと門司港レトロ展望室 関門海峡と巌流島 ・
関門海峡と関門橋 瀬戸内海 下関駅 ・
タワーを後に下関駅まで歩きました。高2の時に下関に来た時は三角屋根の素敵な駅でした。でも、自動車が突っ込み放火されて残念ながら今は普通の駅です。関門人道トンネルは下関・門司側でスタンプを押した物を駅の観光案内所に持って行くと通過証明書をもらえると言うことで、それをもらいました。
その後、駅のお土産屋さんで『山口ういろう』を買い、『鯨の竜田揚げ』と『鯨肉セット』を宅急便で家に送りました。
下関3時15分の山口宇部空港行きのリムジンバスに乗り込み、下関を後にしました。
山口宇部空港 夕食海鮮寿司
空港では海鮮寿司を夕食としました。冷酒『長門峡』を飲みました。羽田空港上空が混んでいるということで、JAL296便の出発時間は20分位遅れました。
JAL296便 東京まで宜しく!!
帰りも窓際に座り、飽きずに下を眺めてきました。ほぼ瀬戸内海上空を飛びました。鳴門海峡大橋が見え、神戸の灯りが見え始めた時、機長から「現在須磨上空を順調に飛行しています」 と機内アナウンスが入りました。
飛行機は奈良盆地から伊勢辺りを通過して伊勢湾に出ました。四日市の次男の勤務するコンビナート群が眺められ、帰りも何だか嬉しい気持ちになりました。対岸には中部国際空港も見えました。
大阪上空 右上は京都 伊勢湾上空 四日市のコンビナート群と中部国際空港
太平洋上を飛び、大島から九十九里浜辺りで左旋回して、今回もJFEスティール千葉工場を下に眺めつつ、東京湾を越えて羽田空港に着陸しました。千葉上空で高度を下げていく際に若干揺れた程度で快適なフライトでした。
千葉JFEスティール上空 羽田空港無事に到着
羽田には9時に到着、9時30分の西池袋行きのリムジンバスで池袋に出て、長男とは東上線の大山で別れ帰ってきました。駅に着くと終バスが待っていてくれたので飛び乗り、家には10時30分に着きました。
福岡での見学、下関・門司港の見学、実に充実していました。飛行機の窓からの景色を眺めるのも楽しかったです。長男には「また何か計画して!!」 と、お願いして別れましたが、こうやって大人になった息子と一緒に旅が出来るのは本当に嬉しいことです。今度はどこに行けるかな・・・。
(2018.03.29.)
|