熊公の独り言 X




◆ 奥出雲 鐵の旅 A ◆
 第3日目 11月13日(水) 走行距離:180.4km 延べ走行距離:1179.5km 歩数:5052歩

 朝ご飯は『お好み海鮮丼』です。自由にネタを持って来て酢飯に載せて食べる・・・。運転が無ければ一杯やりたいところです・・・。

 
お好み海鮮丼

 食事を終えてチェックアウトをして、荷物を車に積み込み、『稲佐の浜』の砂を女将さんの所に届けに行くことにしました。朝の『水木しげるロード』のお散歩です。
 居酒屋に到着すると「厨房まで来て!!」 と言われました。仲間が朝届けてくれた魚を5時から捌いていると話していました。この魚が今日提供されるわけです。

 
厨房では今日提供される魚たちを捌いて居ました

 
 『稲佐の浜』の砂を喜んでくれた女将さん          その場で捌いて食べさせてくれた鯵の刺身

 『稲佐の浜』の砂を渡すと喜んでくれて、これを食べていってと鯵一匹を刺身にしようとされたので、朝ご飯食べたばかりだからと半身だけ頂戴しました。今まで食べた鯵の刺身で一番美味しいものと思いました。まず甘くて、弾力もあって美味しかったです。次境港に行くときは必ず寄りたいと思っています。

 
     枕返し                           雑貨屋さんのような妖怪

 
境水道(ホテルから)                        『千代むすび』の酒蔵

 散策しながら『枕返し』と言う妖怪を見付けました。ワイフは「枕があわない!!」 といつも言っていますからこいつに取り憑かれているのかも知れないです。ホテルの目の前には『千代むすび』と言う地酒の酒蔵があります。大戦末期にこの境港に居たオヤジ様もこのお酒を飲んだかも知れないですね・・・。兄貴や長男夫婦、勿論自分用にもお酒を購入したら、会員に登録して欲しいと言われ、登録しちゃいました。帰りに食べて下さいと梅酒の梅を一袋貰っちゃいました。運転しながらは食べられないですね・・・。

 
朝の『水木しげるロード』                        境港駅ロータリー  

 境港を9時15分に出発しました。まずは居酒屋の女将さんに聞いた『弓ヶ浜』に出るのに良い場所へ行くことにしました。この『弓ヶ浜』の砂は『日野川』の砂が堆積したものです。勿論、『宍道湖』に流れ込む『斐伊川』も『中海』『境水道』を経てここに来ますから混ざっていると思います。

 
境水道大橋と島根半島                        弓ヶ浜と島根半島   ・・

 
     弓ヶ浜から眺める大山                 綺麗な花(ガザニア?)が咲いていました

 『弓ヶ浜』の砂は『稲佐の浜』とは違って砂鉄が磁石に沢山付いてきました。途中でジップロックが風に飛ばされて回収するのが大変でした。ライフセーバーのフラッグを取る競技のよう・・・。あと20cmと言うところでまた飛ばされて・・・。ヘトヘトになりました。
 島根半島の端っこが良く眺められました。オヤジ様はここで『機雷』の掃海作業をしていたと聞きます。きっとこの景色を見ていたんでしょうね・・・。
 『稲佐の浜』の砂と比較するためにここでも砂をジップロックいっぱいに採取しました。これで砂鉄採取は終了です。

 ここからは『古代出雲王陵の丘』に向かいます。ここにも『四隅突出墓』が有ります。玉造温泉を挟むように西に『西谷墳墓群』 東に『塩津山・仲仙寺墳墓群』が有ります。2大勢力があったのでしょうか・・・?
 米子に出て島根に戻るように高速の側道を走ります。車は塩津神社の前に駐めました。

 
          塩津山4号墓                     山陰道が真下を通り抜けています

 
   塩津神社古墳(石棺式石室)                  下から見上げる塩津山4号墓

 『塩津山墳墓群』の6・10号墓は県内最大級のものと言うことですが藪漕ぎしなければならない感じだったので断念しました。4号墓の真下を『山陰道』が抜けています。ここに葬られた人は永遠の安息を妨げられちゃっていますね・・・。
 塩津神社の端っこには墳丘が無くなった『塩津神社古墳』が有ります。石棺と横穴式石室を合わせたような構造(石棺式石室)を持っています。石は『荒島石』が使われているということです。

 続いて『仲仙寺墳墓群』に向かいました。1.2km位離れたところにあります。住宅街の中の丘の上に有るので、道幅が狭く、車を駐める場所で苦労しました。元々は19基の古墳があったと言うことですが、現在は2基のみと言うことです。

 
    仲仙寺9号墓                      墳頂部から安来方面を眺める

 墳頂からは安来方面が眺められました。『西谷墳墓群』の豪族達とどんな関わりがあったんでしょう・・・。

 『塩津山・仲仙寺墳墓群』の見学を終えて12時半頃に『余部』に向けて出発しました。途中、2日前乗越橋で砂鉄採りをした日野川が大きな川になって流れていました。また、天気が良かったので大山が綺麗に眺められました。

 
日野川                               伯耆大山

 一方兄貴は新幹線『のぞみ313号』で京都に出て、山陰線の特急『きのさき5号』に乗り換え『豊岡駅』に向けて走っている最中のようです。鉄道オタクの兄貴ですから道中楽しんでいると想像していましたが、写真データを見ると楽しんでいたことが良く分かります。

 
京都駅到着                             山陰線乗り換え

 
特急『きのさき5号』

 
   豊岡駅で各駅停車に乗り換え             余部橋梁進入 間もなく余部駅到着 15時06分

 熊公は途中『道の駅はわい』に寄りました。ここでお昼にしたのですが、ここのお弁当が面白かったです。お弁当販売の冷蔵の場所に行くとタッパーの上にお弁当の写真が載っけてあり、中にはお漬け物とポテトサラダのみ入った状態でした。このままレジにお持ち下さいという事で持っていくと、ご飯の量を聞かれました。少なめ・普通・多めまでは料金は同じという事でした。熊公は普通でお願いしました。ここでほっかほかのご飯を盛り付けてくれて、デミグラスソースハンバーグを頼んだので、これまたあっつ温の状態にして詰めてくれました。受け取るまでに5分以上掛かったかと思います。東京では出来ない販売形態ですね・・・。

 
  道の駅『はわい』                            白兎海岸   

 山陰海岸はジオパークになるくらい自然が残り綺麗です。今度はもっとノンビリ行動出来るようにしたいと思っています。
 熊公も順調に走ることが出来て、余部の『川戸屋』さんには15時45分に到着しました。兄貴は余部橋梁下のモニュメントを撮影して居るとこでした。兄貴も熊公の車にすぐ気が付いてくれました。

 
   穴見海岸の展望所から                    余部橋梁が見えてきた!!

 
川戸屋さん到着 兄貴久し振り!!            やっと合流出来たな 弟よ!!

 兄貴と合流してこれからは2人での行動になります。やはり兄貴は大呂の周遊、砂鉄採り、四隅突出墓の見学、『神在月』の出雲を楽しみたかったようです。しかし、心の何処かに本調子でない義姉を置いてきたことに後ろめたい気持ちがあるようで、状況によっては明日帰宅することも考えているようでした。

 『川戸屋』さんでは『蟹のフルコース』をお願いしてあります。兵庫県 香住はズワイガニの産地です。夕食がワクワクでした。

 
『蟹のフルコース』 刺身・焼きガニ・鍋・・・大満足!!

 
待ってました地酒 『香住鶴』                 蟹何匹分有るんでしょうか・・・?

    
〆はカニ雑炊 鍋奉行におまかせあれ!!

 食事をしながら熊公はこれまでの旅の報告をしていきました。兄貴が残念がっているのが良く分かりました。奥出雲・雲南は惹かれる物が有る場所ですからテーマを変えてまた計画したいと思っています。夜、義姉に連絡すると、熱は下がったもののまだ本調子ではないと言うことでした。明日朝連絡して状況によっては兄貴は帰路に着くと覚悟を決めたようでした。


余部橋梁とオリオン座

 夜空を眺めると星空でした。そこで余部橋梁とそこに掛かるオリオン座を撮影してみました。三脚無しでの撮影、奇跡的に一枚だけ見るに堪える撮影が撮れました・・・。すぐ傍が海ですから波の音を聞きながら眠りにつきました。


 第4日目 11月14日(木) 走行距離:272.5km 延べ走行距離:1452.0km 歩数:2889歩

 兄貴との行動の始まりです。朝食はなんとカニ飯でした。初めて食べたと思います。大満足・・・。出発準備を整えてチェックアウトをお願いすると、なんと涙が出るような報告が・・・。義姉はなんとか大丈夫という事で兄貴との行動は大丈夫なのですが、なんとです、大好きな『川戸屋』さんが今シーズン(カニの)で民宿をやめられるという報告です・・・。涙が出て来ました。後から来た兄貴に報告すると同様な反応でした。余部に来たら『川戸屋』さんと決めていましたから残念でなりません。ワイフ・次男は泊まっていますが長男は泊まっていませんから、今シーズン泊まりに来るように連絡することにしました。アア〜〜〜悲しい!!

 
  障子に写る余部鉄橋のジオラマの影           女将さん今まで有り難うございました!!

 車を置かせて貰い、余部橋梁 天空の駅に行きました。以前と比べて観光に来ている方達が多くなりました。以前は誰も居なかったのに・・・。余部に沢山お金を落としてくれれば良いですね・・・。

 
           天空の駅からの日本海            高校2年生の時ここが鉄橋だったときにここを通過しました

 高校2年生から3年になる春休みに山陰旅行をしました。その時この余部橋梁が鉄橋であるときにここを渡りました。もの凄くスリルがあったことを思い出します。お隣の『鎧駅』で停車中に小さい島が荒れた海に飲まれちゃうのを見ました。51年も昔の話しです・・・。あの頃は山陰本線に蒸気機関車が走っていました。

 
『一滴亭』での買い物                      列車転落事故の慰霊碑 

 道の駅の隣に『一滴亭』というお店があります。以前ここのご主人に余部鉄橋の部材を分けて頂きました。余部鉄橋の部材は1910年(明治43年)に『AMERICAN IRONBRIDGE COMPANY』という会社が作ったもので、ペンコイド工場という所で造られました。この部材を地金として刃物を造るともの凄く硬い刃物が出来ます。部材自体が鋼なので、単体で刃物を作った方が良い感じです。
 今日は鉄橋時代の蒸気機関車とディーゼルカーが鉄橋を渡っている写真をゲットしてきました。

 余部を10時20分少し前に出発しました。出発前にもう一度女将さんにさよならの挨拶をしました。義姉のこともあり、明日最終日は出来るだけ早く帰宅出来るようにするため、今日の予定である『天橋立』はパスして一気に『永平寺』に入る計画を立てました。早めに着けば今日中に『永平寺』を見学出来るから、明日は朝食後すぐに出発出来ると考えました。せっかくはるばる余部まで来た兄貴にはちょっともったいないですが、兄貴がそうしたいというのですから仕方ないですね・・・。

 道は渋滞も無くグングン進むことが出来ました。そこで兄貴にもう一度『天橋立』に行きたいかどうかを確認したところ、遅くならないのであれば見るだけで良いから行ってみたいという返事でした。そこで、豊岡の手前で『大内峠一字観公園』経由で宮津に出るコースに変更しました。

 
大内峠一字観公園からの天橋立

 
『一字観』が股覗き発祥の地と石碑に書かれてありました

 天橋立を高いところから眺めるのはここ『一字観』の他に『飛龍観』と『傘松』の3箇所が有りますが、おそらくはここが一番静かだと思います。そして、『一字観』という意味が良く分かります。

 以前ここに来たとき、宮津川に降りるときは道が狭くて緊張しました。今回もそうだろうと思いましたが、なんと道が良くなっていました。

 
曲がりくねった道は同じですが道幅が広くなっていました

 宮津側に降りて、阿蘇海を反時計回りにおおよそ半分回って『天橋立駅』まで出ました。

 
天橋立と阿蘇海                              宮津湾

 知恩寺の前を通り宮津市の中心街を通過して、『宮津天橋立IC』から『山陰近畿道』に入りました。『綾部JCT』から『舞鶴若狭道』に入りました。100kmポストを越えた、『大飯高浜IC』を過ぎてすぐの所で高速道の左手に猿の一群を見かけました。そして、少し進むとなんと右側から小猿が飛び出してきました・・・。
 知り合いの従姉妹が夜間に中央道を走行中、キツネが飛び出して来たので、急ブレーキと急ハンドルを切ったことでスピンしてしまい、後部座席に乗っていたお母さんと妹が車外に放り出されて亡くなったという話を聴いていますから、動物の飛び出しの際は成り行きに任せることにしています。今回は小猿が1m位早く左側に走りきったのでセーフでした。ヤレヤレでした・・・。

 その後、『三方五湖PA』でトイレ休憩と昼食を摂りました。三方五湖は穏やかな湖という事で沈殿したものが綺麗な層になる(年縞)ということで、これが一つの物指しになるという事です。通常は1年に0.7mm位の厚さなのだそうですが、九州の姶良カルデラの爆発の際は30cmもの堆積物があったと言うことです。どんな爆発だったんでしょうか・・・。『三方五湖PA』を出て、『敦賀JCT』で『北陸道』に入りました。

 
   三方五湖の『水月湖』                         『年縞』の説明     

 予定では『南条SA』でガソリンを給油するつもりでしたが充分に残っているので新潟県に入るまでは持つと考え給油しないことにしました。
 『福井北JCT』で『中部縦貫道』に入り、次の『永平寺参道IC』で降りて『永平寺』に向かいました。車を今日の宿『東喜家』さんの駐車場に駐めたのは15時30分でした。熊公は少々お疲れさんだったので、ゆっくりお風呂に浸かることにして、兄貴だけで『永平寺』の見学に行って貰いました。

    
紅葉の進む永平寺の参道

 
 
紅葉に彩られた静寂な永平寺

 時間が遅かったからでしょうか見学者はほとんど居ない状態だったようです。お寺本来の静寂さを感じられたのでは無いでしょうか・・・。熊公も兄貴もカトリックの信者ですが、道元禅師の教えには共感するものが有ります。


この度最後の夕食

 熊公にとっては今夕の食事はこの旅最後の夕食です。兄貴と『麦般若』から『般若湯』へ、しまいには『般若湯』と『缶麦般若』をお部屋まで持っていきました・・・。
 いよいよ明日は最後です。今日『永平寺』の見学は済ませましたから、明日は帰るのみです。義姉はだいぶ元気になったようですが、兄貴は我が家には泊まらず、出来るだけ早く帰宅したいという事で、出来れば17時までには熊公家に帰り着きたいという事でした。

 『缶麦般若』と『般若湯』をお部屋で飲んでいたら、長男夫婦からテレビ電話が来ました。兄貴が合流したことは知っていたようで、色々話しました。お嫁さんには「お父さんやっぱり嬉しそう・・・」 と言われました。そりゃそうですね、運転しながら話が出来るのはどれだけ心安らぐでしょう・・・。


 第5日目 11月15日(木) 走行距離:554.4km 延べ走行距離:2006.4km 歩数:2401歩

 日曜日の午後スタートした『奥出雲鐵の旅』も最終日です。残念なことに前半の半分は熊公一人での行動になってしまいましたが、13日の夕方前からは兄貴との行動が出来るようになりました。楽しいことはアッと言う間に過ぎていきます。この旅行もアッと言う間に感じました。

 今日はひたすら帰るだけ、『東喜家』さんを8時50分頃に出発しました。まずは『永平寺』の入り口まで車で行き、写真を撮って帰路に着きました。

 
熊吉も『永平寺』に来ました・・・ 熊吉同行してくれて有り難う!!

 永平寺から東京 板橋に帰る場合何も指示しなければ米原経由で『名神・東名方面』に誘導されます。『北陸道』から『上信越道』『関越道』の経由だと、20km位遠くなるようです。でも、『東名道』の横浜町田辺りで渋滞に遭うのは目に見えているので、『上信越道経由』のコースで帰ることにしました。
 糸魚川を越えれば何となく自分のテリトリーに入ってきた感じ、信濃町を過ぎれば戸隠を何度も往復していますから、自分の道路のような感じになります。

 『永平寺』を降り『永平寺参道IC』から『福井北JCT』へ、そこから『北陸道』を金沢方面には知ります。どの高速もリニューアル工事で車線規制がいっぱい有りますが渋滞することはほんの少しでスムーズに走ることが出来ました。

 『有磯海PA』でトイレタイム、『名立谷浜SA』でガソリンを給油しました。また、『ホタルイカの沖漬け』等のお土産も購入、昼飯に笹寿司も買いました。

 
親不知 子不知

 『親不知 子不知』は何度走ってもその険しさに驚かされます。北アルプスが日本海に落ち込む場所、高速道は道を陸地に付ける事が出来ず海上を橋で通過、途中に海上ICがあります。一度は一般道で通過してもらいたい場所です。

 
黒姫野尻湖PA辺りは紅葉が綺麗

 妙高高原・黒姫・野尻湖辺りは唐松の黄葉が綺麗でした。信濃町を越えれば完全に熊公のテリトリーです。本当は戸隠に行きたい気分です・・・。

 
久しぶりに眺める『浅間山』                     この橋を越えると『横川SA』

 上田を超えた辺りから『千曲川旅情の詩』を歌と朗読で聞きながら走りました。そして、今日は本当に久しぶりに『浅間山』を眺めることが出来ました。
 『上信越道』も車線規制が有り止まらないまでも、ノロノロ運転になる事がありましたが、全体としてはスムーズに走ることが出来ました。

 『横川SA』で夕食用に釜飯を購入して、そこからは自宅まで一気に走りました。渋滞の起きる嵐山辺りも練馬辺りもスムーズに走ることが出来て、自宅には16時20分に到着しました。兄貴から写真のデータをコピーさせて貰い、兄貴のことを埼京線の『浮間船渡駅』まで送って帰って来ました。

 今回の旅行も半分兄貴と行動出来ないという残念なことがありましたが、ほぼ予定通りに行動出来ました。そして、2000kmの運転を事故無く出来たこと本当に感謝です。楽しい旅行になりました。
 11月の最終週にオヤジ様の墓参に行きます。その際兄貴も合流し、帰りは我が家に泊まることにしているので、ここで今回の旅行の反省会をする予定で居ます。旅は良いですね!! 船通山を越えて奥出雲に入る、砂鉄採取、四隅突出墓の見学、神在月の出雲を味わう、カニを味わう・・・。計画していたこと全部実行出来ました。また、出会いもありました。この後は採取してきた砂鉄を更に砂鉄だけにする作業とサンプル作り、『稲佐の浜』と『弓ヶ浜』の砂の違いを調べる事など、ワクワクすることが沢山有ります。

 来年も鉄に関係する旅行を計画したいと思っています。岩手に『餅鉄』探しに行っても良いかな? 奥出雲はまだまだ見たいところがあるから今回のようなコースでも良いかな・・・。ワクワク感がおさまりません。
(2024.11.18)






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