熊公の独り言 X
◆ 奥出雲 鐵の旅 @ ◆
2019年10月に兄貴と二人で、『呉』・『雲南吉田』・『境港』を廻った旅をしました。『呉』では『大和ミュージアム』『鉄のくじら館』へ、『雲南吉田』では『菅谷山内』・『鉄穴流し跡』の見学、『境港』では第二次大戦末期にオヤジ様が居た場所なのでそれを偲び、帰路『余部』で『余部橋梁』を見学して、最後に『甲賀』と『伊賀上野』に行き、『忍者』の道具などを見てきました。
旅を終えて直ぐに、次は『鉄穴流し地形』を見て、『砂鉄』を採取する旅をしたいと計画を立てました。しかし、コロナ禍が有り、その最中に熊公の『動静脈奇形』が見付かり手術。その副産物で『膀胱の血管』が切れやすくなり、大量の血尿と血腫が出来、二回の緊急入院と三回の手術を受けるという事がありました。
コロナはまだおさまったわけではありませんが、充分気をつけて行動すれば何とかなる状態になってきましたし、熊公の体調もまだ時折血尿は出ますが、随分回復してきました。そこで5年間あたため続けてきた旅行を実行することになりました。
出雲の『神在月』の時期に実行することにして、出発を11月10日(日)の3時頃と決めました。車中1泊、旅館・ホテルに4泊する旅です。およそ2000kmの旅になります。
仮眠を取る場所 岡山県 蒜山高原SA
一日目の宿泊地 島根県 雲南吉田 『田村旅館』
二日目の宿泊地 鳥取県 境港 『御宿 野乃境港』
三日目の宿泊地 兵庫県 余部 『川戸屋』
四日目の宿泊地 福井県 永平寺 『東喜家』
◇◇◇旅のコース◇◇◇
1日目
自宅−−−鮎川PA−−−掛川PA−−−土合SA−−−加西SA−−−蒜山高原SA(仮
眠)−−−日野川上流部で砂鉄採取−−−斐伊川上流部で砂鉄採取−−−大呂周辺を廻
る(鬼神神社・稲田神社・原口の鉄穴残丘・福頼棚田・鳥上木炭銑工場-日刀保たたら-)−
−−金屋子神社−−−雲南吉田
2日目
雲南吉田−−−菅谷山内−−−
荒神谷遺跡
−−−西谷墳墓群−−−
出雲歴博or
日御碕
−−−稲佐浜で砂鉄採取−−−宍道湖SA−−−江島大橋−−−境港
3日目
境港−−−弓ヶ浜で砂鉄採取−−−古代出雲王墓の丘−−−道の駅 はわい−−−余部
4日目
余部−−−天橋立−−−三方五湖PA−−−永平寺
5日目
永平寺−−−荒磯海PA−−−名立谷浜SA−−−横川SA−−−自宅
第1日目
11月10・11日(日・月)
走行距離:859.8km 延べ走行距離:859.8km 歩数:6237歩
9日に兄貴の所に連絡して準備状況を確認しました。すると・・・、
「内の奴が発熱して目眩を起こし
て居るから明日旅行に行けるかどうか分からない・・・。明日の朝10時に決断して、仮に行けなく
なった場合はキャンセル料を支払うから・・・」
とビックリな返事が返ってきました。全てをキャンセルして別の日に実行することも考えましたが、そうなると年内の実行は無理だと考えました。2000kmを一人で走るのはどんなものか・・・。淋しいだろうなと思いましたが、砂鉄も採取したいし、出雲を中心として山陰と福井に分布する『四隅突出墓』も実際に見てみたいですから、寂しさよりもワクワク感が勝つ感じでした。
そして、10日(日)の10時に
「残念だけど、やはりいけそうに無い。しかし、3日目からは合流が
可能かも知れないから、宿のキャンセルは2日目までにしておいて欲しい。」
と言う連絡が来ました。いよいよ一人で2000kmの旅に出発することになりました。
学生時代にやはり兄貴と色々計画して奥秩父の縦走計画を立てました。しかし、出発前日に兄貴が行けなくなり、一人で縦走に出た事を思い出しました。あの時は4泊5日の山旅でした。50kg近いリュックを背負って一人で歩き続けるのはやはり不安でした。丁度あの時の気持ちでした。しかし、今回は歩くのではなく車です。山行きよりも気持ちは楽でした。兄貴が行かないとなれば、荒神谷遺跡と日御碕は行かなくても良い事に成りますから、出雲地域での行動には余裕が持てそうでした。
まずは1・2日目の宿の人数変更です。『田村旅館』は全く平気で、キャンセル料もいりませんという返答でした。次に『御宿 野乃境港』です。こちらはネットで予約しましたから、まずは電話を掛けました。当然キャンセル料50%が掛かると思っていましたが、空き室があると言うことで、部屋の変更で大丈夫という事でした。直前の変更にもかかわらず快く変更させて貰うことが出来ました。
3時出発の予定でしたが1時間早めて家を出ることにしました。ワイフは一人で出発するのは淋しいだろうと、熊公が可愛がっている『熊吉』という縫いぐるみを持たせてくれました。
旅のお供をしてくれたクマの縫いぐるみ 『熊吉』
自宅を出発してまずはセブンイレブンに寄り、お茶・コーヒー、目覚まし用のガム、チョットしたおやつを購入して首都高に乗りました。これまでの旅行の中で一番と言って良いくらいに道は空いていて、スイスイと進み、『大橋JCT』で『3号線』に『東名道』 東京料金所は出発48分で通過していました。
オートクルージングが付いたので一気に『掛川PA』まで走ろうと思って居ましたが、『秦野中井』すぎた頃から尿意を感じました。『都夫良野トンネル』付近からは雨も降り出しました。そこで『鮎沢PA』に寄ってトイレタイムにしました。鮎沢を出たのは16時45分でした。明るいうちに静岡県に入りました。鮎沢を出る時にワイフから電話、あと少しで静岡に入ると話したらビックリしていました。
『御殿場』を過ぎ『新東名』に入る頃、気持ちは淋しさや不安感はなくなり、これからの体験にワクワクするものに変わっていました。雨は『御殿場』ではあがっていました。
17時『大井川』を通過して、『掛川PA』には17時08分に到着でした。ここで夕食を摂りました。掛川はワイフの田舎です。『深蒸し茶』を購入しました。
掛川PA到着 夕食は『炒飯餃子』
夕食は『炒飯餃子』にして、本当は『静岡おでん』を食べたかったのですが、お腹がいっぱいになり過ぎると眠くなると考えてやめにしました。
40分強の休憩を取って出発しました。西に向かう時の楽しみの一つに、『伊勢湾岸道』の夜景があります。今回は19時過ぎに通過しますからまだ町には動きがあって、こんな所に観覧車が有ったんだというように色々発見もありました。
『伊勢湾岸道』で楽しみな夜景
本当にスムーズに走り、『四日市JCT』から『新名神道』に入り20時に『土山SA』に到着。ここで明日の朝食用に『柿の葉寿司』を購入しました。ここに来るまでに『草津JCT』から『大津』に掛けて渋滞という情報が入っていましたが、この時間になってくると渋滞は解消されたようでした。
30分休憩して『草津』からは『名神道』を使って、『吹田』に出るつもりでしたが、カーナビは『高槻JTC』から『神戸JTC』に誘導しました。これが『新名神道』ですから納得です。どんどん高速道路が新しくなっていること分かります。ただ、『吹田』での『太陽の塔』や『伊丹空港』や『六甲山』の雰囲気が味わえなくなったのはチョット残念な感じもします。今回は空いていましたから『吹田』経由でも良かった感じです。
『中国道』に入るとそれまでとは違い車の数はもっと少なくなります。ライトはアッパーにしてホグランプも点けて走りました。動物の飛び出しが心配になる道です。
中国道の場合は『社PA』付近が『日本標準子午線 東経135度』が通過しています。この近くからレーダーの東経・北緯とスマホの東経・北緯を確認出来るようにして走りました。
東経135度(日本標準子午線通過)
!!
標準子午線を通過したからどうということはないのですが、これまでの習慣で通過した際に
『ワォ〜〜
〜〜
!!
』
と、雄叫びを上げて祝います。今回も一人で雄叫びを上げました。
自宅のある板橋の東経は139度位です。やや南下しながら西進して4度移動するのに8時間位掛かるわけです。地球の大きさを実感します。
燃料は1/3くらい残っています。給油しなくてもまだ200kmは走れる感じでしたが、ここから更に山に入りますから『加西SA』で給油することにしました。ガソリンを満タンにした『FREED』は高速を走る場合は700kmは充分走れる感じです。加西までは577.8kmでした。
30分強休憩をして今晩仮眠を取る『蒜山高原SA』に向かいました。『落合JCT』から『米子道』に入りますがここからは前にも後ろにも車が居ない状態になります。動物が飛び出すことに注意をして走りました。
0時30分過ぎに『蒜山高原SA』に到着しました。此処のガソリンスタンドは夜中はお休みになって居る状態、『加西SA』でガソリンを満タンにした事は正解でした。ここまでで710.1kmでした。
静かな場所に車を置き此処で仮眠を取りました。1時間早く出発しましたから、計画よりも1時間早く到着、ダウンコートを掛け布団にして眠りました。
目が覚めたのは5時過ぎでした。これはいつものこと、4時間はしっかり眠れました。土山で購入した『柿の葉寿司』を朝食として食べましたが、8個入りだったので2つ残しました。
仮眠を取った『蒜山高原SA』 朝食の『柿の葉寿司』
・
トイレを済ませてまだ薄暗い中、6時に行動を開始しました。これも予定より1時間早いものでした。SAから少し走ると『江府IC』でした。ここからは走ったことのない道になります。
『日野川』と『伯備線』に沿って走ります。『日野川』は今回の旅の大きなポイント『船通山』を源にした川で、出雲側に流れ出す『斐伊川』と同じく砂鉄を沢山産出する川です。前日雨が降ったのでしょうか、水かさは増している感じでした。朝靄が掛かった川沿いの道を走り、砂鉄採取に良い場所はないかと探していたところ、『乗越橋』という橋の手前に駐車スペースがあったので、ここで最初の砂鉄採取に取り掛かりました。
今回は25mのロープ付き『ネオジム磁石』をゲットしてきました。砂鉄を採りやすくする工夫もしてきました。橋の高さはおよそ10m砂鉄が溜まっていそうな場所に何回も投げて採取しました。
1回目の砂鉄採集をした日野川上流部 そばを走る『伯備線』
・
さすがは『日野川』です。目標に投入できずとも砂鉄が採取出来ました。橋のそばには『伯備線』が通っていました。兄貴が一緒であれば写真を取るのに夢中になっていたと思います。
砂鉄採取はおよそ30分、ここからいよいよ『船通山』越えです。『矢戸』と言う所から県道9号線に入り、『大入峠』を越えます。ここはまだ『日野川』側です。続いて『万才峠』を越えるといよいよ『斐伊川』側になります。予想していた道は狭いだろうと思っていましたが全く問題無く走ることが出来ました。途中で『はがね街道』という看板も有りました。田の盆地で作り出した玉鋼を各地に送り出す道だったわけですね・・・。
大呂周辺見学コース
上の地図『
ア
』が日野川上流部での砂鉄採取地(乗越橋)、『
峠1
』が『大入峠』 『
峠2
』が『万才峠』。『万才峠』を越えることで『船通山
(1142m)
』の西側に抜け、『斐伊川』に入ります。此処が今回の旅の大きなポイント箇所です。ここは奥出雲 田盆地、『八岐大蛇』の伝説の有る場所です。
大入峠 万才峠 ここから島根県
日本書紀には、素戔嗚尊は新羅の『曽尸茂梨
(そしもり)
』から『埴船』でこの船通山
(鳥上峯)
に来たという話があります。
出雲風土記には神須佐能袁命
(かむすさのおのみこと)
として登場しますが、古事記や日本書紀と比べて登場回数は少なく、ヤマタノオロ退治の話は風土記にはないというミステリーが有ります・・・。しかし、オロチの尻尾から出たと言う『都牟刈太刀
(つむがりのたち)
』
(古事記)
・『天叢雲剣→草薙剣』
(日本書紀)
のお話しなど、鉄に関わる事柄はこの地が鉄の生産に重要な場所だったことの証だったと考えて良いと思います。また、スサノオが命名した土地の名『安来』『須佐』『佐世』などの郷のことや、クシダナヒメのことは登場することなどからスサノオと出雲国との関係はあったものと思われます。こんな田盆地には惹かれるものが有ります。
『万才峠』を越えて直ぐに『
イ
』の『羽内谷鉱山鉄穴流し本場』が有ります。この鉄穴流しの行われた横を流れる川で斐伊川上流の砂鉄採取を行いました。
鉄穴流しの跡 横を流れる沢
ここはさすがに鉄穴流しが行われた場所です。磁石にバンバンと砂鉄が付いてきました。川底の砂の色から見るに真砂砂鉄と思われます。
鬼神神社 神社入り口右側の埴船が石になったと伝わる『岩舟大明神』
『羽内谷鉱山鉄穴流し本場』での砂鉄採取を終えて4km位降りると田盆地に入りました。ただ、イメージしていた盆地とは違い、かなりの高低差がある丘陵地帯のような場所でした。まずは『
a
』の『鬼神神社』に行きました。鳥居の右側に素戔嗚尊が『曽尸茂梨』から乗ってきた『埴船』が石になったという『岩舟大明神』が祀られていました。
続いて『
b
』の『稲田神社』に向かいました。ここは素戔嗚尊の妻『イナタヒメ
(クシナダヒメ)
』の生まれた場所とされています。此処に八岐大蛇がやってきたのでしょうか・・・。
稲田神社 裏側の本殿
ポッチャリ系のイナタヒメ 荒ぶっていないスサノオノミコト
神社の前には『お蕎麦屋』さんもありました。出来れば食べてみたかったですが、9時ですからまだ開店前でした。『お蕎麦屋』さんの横の広場には、イナタヒメとスサノオノミコトの像がありました。姫はポッチャリ体型でした。また、スサノオノミコトは『石見神楽』に見る姿とは違い、荒ぶらない、すぐに話しかけられそうな姿でした。
神社周辺も『鉄穴地形』のようでした。田は鉄の大生産地だったわけですね・・・。
稲田神社の鳥居 鳥居のすぐそばの地形
稲田神社の近くには『産湯の池』とか、へその緒を竹で切ったと伝わる『笹の宮』などもありますが、今回はパスして『
c
』の『原口の鉄穴残丘』に向かいました。意識してみていれば鉄穴残丘は至る所にある事が分かりました。
原口の鉄穴残丘
『鉄穴残丘』とは砂鉄を採るために山を崩していき、お墓や祠、神社、家屋と言うものが有ってどうしても掘ることが出来なかった場所が丘として残った所です。『原口の鉄穴残丘』の上にはお墓がありました。
以前、菅谷山内で説明を聞いたとき、江戸時代には中国山地の山が幾つも削られて無くなったと聞きました。本当に凄い事です。ただ、砂を掘り出した所は田んぼや畑にして行きました。それが棚田として残っています。次は『
d
』の『福頼棚田』を見学に行きました。
福頼棚田のパノラマ写真
棚田に向かう際にカーナビでは展望台までの誘導が無くて、左に曲がるべき所を直進してしまいました。その為にメチャクチャ狭い道を走り、一つ尾根を越えて反対側から展望台まで行くというロスをしてしまいました。展望台までは結構な登りがありました。林の中を登っていくことになり、イノシシが飛び出してこないか少々心配になりました。
棚田の成り立ちの説明 福頼棚田の中心部
展望台になっている所の直ぐ下から砂鉄を採取した感じですから、現在棚田になっている所は何mも低くなっているわけですね・・・。水によって比重選鉱した残りの土はそのまま川に流したら下流では川が浅くなり洪水の原因にもなりますから、このように棚田にして、お米の増産にも繋がったわけです。
この辺りはあちこちに棚田、鉄穴残丘がありました。奥出雲の鉄生産の凄かったことが地形を見て居て伝わってきました。
棚田の見学のあとは『
e
』の『鳥上木炭銑工場
(日刀保たたら)
』へ向かいました。途中で、あれは確実に『船通山』だと良く見える場所がありました。その時に車を止めて写真を撮れば良かったのですが、まだ見える場所あるだろう・・・、なんて考えたのが大間違えでした。『鳥上木炭銑工場』は船通山方向に丘が有って見えませんでした。また、この工場は通常は入ることが出来ませんから外から眺めるだけでした。
鳥上木炭銑工場
この『鳥上木炭銑工場』は毎年たたらの操業を行っている場所で、此処で作られた玉鋼は日本各地の刀匠の所に送られています。最近では刀匠が個人的にたたら操業したり、町おこしなどの目途的でたたら操業をしたり、有志が集まって操業したりと、たたら操業をする人達は増えていると思います。
しかし、砂鉄を集め、木炭を作り、三日三晩の操業、更には玉鋼を折り返し鍛錬するのに掛かる木炭や時間・・・。一つの製品を作り出すのにもの凄い時間とコストが掛かるわけですね・・・。
『鳥上木炭銑工場』のあとは『
f
』の『金屋子神社』に向かいました。途中『
峠3
』の『市原峠』を越えますが、工場をあとにしばらく走ると道は狭くなり、車1台しか走れない山道になっていきました。対向車が来ないことを祈りつつ峠を越えて市原の集落に出たときはホッとしました。地図上ではそんなに狭い感じはしなかったのですが・・・。
市原の集落の市原公民館の裏には『たたら』の痕があるのですが、車を止める良い場所が見付からなかったので眺めるだけで『金屋子神社』に向かいました。
この神社の石の大鳥居は日本で一番大きい石の鳥居という事です。この鳥居の下をくぐり抜けて神社までは2km位有りました。此処が金屋子神社の総社という事です。
金山彦天目一個神(金屋子神)は播磨国から白鷺に乗りここ
(出雲国 西比田黒田の森)
の桂の木に来たという話になっています。
日本一大きい石の大鳥居 金屋子神社本殿
・
神社前に奉納されている出土したヒ 砂利のように敷き詰められているノロ片
『金屋子神社』の手前にある『金儲神社』とその由来
本殿前には各地で出土したヒが奉納されていました。そして、その下には砂利のようにノロ片が敷き詰められていました。中国山地には結構残されたヒなどが有るということです。
お札など販売していれば『ACE−K』さんや『埼玉の村の鍛冶屋』さんに持っていってあげようと思いましたが人は見かけませんでした。
『金屋子神社』の見学終了は11時でした。途中食事が出来そうな場所が有ったらそこで食べることにして雲南吉田に向かいました。良い具合に食事処が見付からず今日宿泊する吉田に着いてしまいました。
ここでは鉄穴流し地形を見る予定にしてありましたから、計画した場所に行ってみました。調べてきた地形より整備された感じでしたが『真砂土』を掘った感じが残っていました。
吉田の鉄穴流し地形 吉田の金屋子神社
吉田の『金屋子神社』も神社があるから掘れなかったという感じが良く伝わってきます。手前は棚田になっています。この時点で時刻は12時でした。既に6時間行動したわけですが、宿に入るには早すぎますから、菅谷山内に行くことにしました。月曜日ですから見学は出来ませんが、前を流れる川
(三刀屋川
の上流)
の砂鉄を採取することにしました。
菅谷山内パノラマ写真
まずは駐車場の前を流れる川で採取してみましたが、ここはあまり取ることは出来ませんでした。そこで、山内の下流側の鉄穴流しの有った場所近くまで行って採取してみることにしました。
菅谷山内の高殿 桂の木が葉を落としています 鉄穴流しの跡近くの川で砂鉄採取
・
こちらは磁石に沢山付いてくれました。高殿近くで川が合流してここに来ますが、数百mの違いで砂鉄の量に違いが出て来るのは面白いことでした。
1時半頃に1日目の宿泊地『田村旅館』に到着しました。旅館の駐車場はお隣の建物の工事のために作業用の車が入っていたので、別の場所に車を止めてお部屋に案内して貰いました。結局昼食は摂れず、残しておいた『柿の葉寿司』 2つで我慢しました・・・。
1日目は砂鉄関係のことで動き回りましたから、全く一人で淋しいという感じはありませんでした。かえってワクワク感が半端ない状態でした。
少し昼寝をして、入浴、そして6時から食事でした。ここは会席料理が旅館よりもメインなお店、食事は美味しいです。兄貴は今回の旅行の計画を立てる際に真っ先にここに来たいと言っていましたから残念だったと思います。
一人で食べるご馳走は美味しさ半減しちゃいます・・・
食事は本当に美味しいのですが、話し相手が居ないご馳走は美味しさが半減してしまいますね・・・。食事中ワイフから電話が入り、テレビ通話出来たのが救いでした。
食後、兄貴に連絡を入れて見ると、義姉の熱は下がりはじめているので3日目の余部で合流出来そうという事、この旅の半分は二人で行動できそうです。
一人で859.8km運転してきましたが、運転自体は全く問題無く、オートクルージングシステムのおかげでアクセル操作がほとんど無く高速を運転できたことは楽でした。
第2日目
11月12日(火)
走行距離:139.3km 延べ走行距離:999.1km 歩数:12324歩
2日目です。今日は本来なら兄貴を『荒神谷遺跡』に連れて行くことにしていましたが、それはパスすることにしました。朝食を頂き、宿の方に見送られて出発したのは9時15分でした。まずは田部家の土蔵群を見がてら吉田のメインストリートを降りました。
今日の行動のメインは菅谷山内で瓶入り砂鉄をゲットする事と、『四隅突出墓』を見学すること、そして、『神在月』の出雲の様子を見ることです。
朝食 田部家の土蔵群
田部家は鉄師の筆頭、島根県知事も務められたりしています。最近は『たたら』を復活させて玉鋼で製品を作ったりしているということでした。ただ、宿の方の話では小さな靴べらでも5万円というような値が付いているとか・・・。現在のたたら製鉄はお金が掛かるわけですね・・・。
吉田をあとにして菅谷山内に向かいました。昨日帰り掛けに『船通山』と思われる山を遠望しました。宿の方にこの辺りで『船通山』を眺めることが出来る場所は無いか聞きましたが分からないという返答、今日は良い天気ですから写真を撮って後で同定することにしました。
今回の旅の大きなポイント『船通山
(1142m)
』
帰宅して地図と睨めっこ、『Google Earth』も使って撮影した山が『船通山』で有ることを確認しました。昨日は山の向こう側から左端の『万才峠』を越えて奥出雲に入りました。この山を目指して素戔嗚尊はやってきたわけですね・・・。素戔嗚尊が実在する一人の人物なのか、集団を現すようなものなのかは分かりませんが、砂鉄の一大産出地である事を知っていたわけでしょうね・・・。
『船通山』の6合目辺りにある『鳥上の滝』はヤマタノオロチの住処だったとか・・・。
菅谷山内では前日に砂鉄採取は済ませていますから、単純に高殿・村下屋敷などを見学して、出来れば砂鉄入りの瓶を購入するつもりでした。
受付で5年前に『砂鉄の瓶』を購入したが無いかを訪ねたところ、現在は販売していないという事でガックリです・・・。出来れば真砂砂鉄をゲットしたい旨を話したら、対応して下さった『Aさん』は
「それなら
私が集めた物をあげますよ・・・」
と、袋一杯分頂戴しました。そしてしばらくお話をしたところ、菅谷の地形は現在駐車場のあるあたりは『真砂砂鉄』が取れ、高殿の下流鉄穴流しの跡がある辺りは『赤目砂鉄』が取れると言うことでした。
また、この地は日本海から三刀屋川沿いに風が吹き込んでくるのと高殿の北東側の谷を吹き下ろしてくる風がぶつかる場所で、夏場は涼しいそうです。そして、たたらの操業中は高殿の両側からその風が吹き込んで炎を真上にあげるようになっている事を話して下さいました。そういう場所を見付けて高殿を作った昔の人達の知恵を感じました。しかし、夏は涼しいものの冬は寒いと言うことでした・・・。
採取した箇所は高殿の『村下坂』の下辺りで、確かに真砂土が出ていて、雨に流された土が自然に比重選鉱され黒くなっている部分がありました。お話し出来て良かったです。
三軒長屋は以前来たときは保存修理中でしたが、今回は覆いがなく良い雰囲気でした。高殿の裏側の紅葉も見頃になっていました。
三軒長屋 中央の村下屋敷
高殿裏の紅葉 砂鉄を下さった『Aさん』 大胴場の前で
秋の深まリを感じた高殿の大屋根 高殿前の桂の木
高殿と村下坂 手前:米倉 奥:元小屋
高殿の前に有る『桂の木』は葉っぱを9割方落としていました。最後に桂の葉っぱを押し葉にしようと考えて集めてきました。また、近くにブルドーザーが土砂をかき寄せたような所が有りました。よく見てみるとノロ片が沢山有りました。そこで幾つか頂戴してきました。
朝ニュースを聞いていたら松江道 吉田掛合IC近くで事故、上下線不通という情報でした。予定では菅谷川沿いに吉田川に出て、吉田掛合ICから松江道に乗るつもりでした。ここでルートを変更して、三刀屋・木次ICまで山越えして走ることにしました。松江道が見えるところまで来ると車が走っているのが見えました。三刀屋・木次ICに入ったのは10時40分でしたが20分に通行止めが解除されたという事でした。山越えが正解だったのかどうか・・・。
松江道で斐川ICまで走りました。途中『加茂岩倉遺跡』を見学したPAを眺め懐かしくなりました。湧水が赤かった所の水汲みに行こうかとも思いましたが、往復に20分以上掛かりますからやめにしました。
斐川ICからは『荒神谷遺跡』をパスして『西谷墳墓群』に向かいました。ここは『四隅突出墓』と呼ばれる古墳があります。この古墳の形態は山陰から北陸に掛けて日本海沿岸に見られますが、不思議なことに山陰と北陸の中間点の北近畿では見付からないという不思議なこともあります。
『西谷墳墓群』は墳丘を持つ墓だけで27基あると言うこと、弥生時代後期〜終末期に造られた『四隅突出墓』は6基有ります。墳墓群の位置とその規模などを考えると出雲平野を治めた王族の墓と考えられますし、大国主命などとの関わりの有る場所のように思えます。
墳墓群手前には大きな川となった『斐伊川』を渡りました。岸まで降りて砂鉄採取をしてみたかったです。
斐伊川 四隅突出墓 西谷三号墓
三号墓墳頂から出雲大社方面を望む 張り石が復元された二号墓をバックに
『四隅突出墓』何処かで見た形だなと思っていたらドローンでした。なんでこんな形になっていったのでしょうか・・・。二号墓は復元されていて展示室があるのですが、なんと火曜日がお休みでした・・・。
墳頂から出雲方面を眺めるとますますここに埋葬されたのは大国主に関わってくる王族であったと感じました。
この場所は個人が所有されていた場所で、なんとそれを寄付されたという事です。二号墓の下の崖には横穴墓が何基かあるようでした。
一旦駐車場に戻り、少し離れた九号墓へ行きました。全国最大の四隅突出墓でおよそ62m×55m、高さは5m、西谷に造られた最後の王墓です。現在は『三谷神社』があります。
三谷神社(九号墓) これが突出部の一つでしょうか・・・
九号墓は独立した丘の尾根筋に在り少し雰囲気が違いました。最後の王墓というのが気になるところです。古代の歴史はロマンがあります。
12時過ぎに『西谷墳墓群』を後にして、『古代出雲歴史博物館』に向かいました。おおよそ20分でした。ここの駐車場に車を止めて、まずは出雲大社に行くことにしました。出雲蕎麦を食べることにして有名なお店は混んでいるでしょうし、大社近くのビジネスホテルのレストランで出雲蕎麦を食べることにしました。普通は三段ですが二段増やして貰いました。
五段にした出雲蕎麦 『神在祭』真っ最中の出雲大社
出雲蕎麦を食べたあとは出雲大社に。見学前に『ご縁横丁』に寄ってワイフに勾玉のプレゼントを購入、神在月にだけしか造らないという羊羹も購入しました。
この一週間は『神在祭』の真っ最中、日本全国の神様達が会議をしているわけです。昨日行った鬼神神社・稲田神社・金屋子神社は神様不在だったわけですね・・・。
いつも人が多い神社ですが、今回はいつもよりも沢山の人が参拝されていました。しかし、初詣の時はこんなものではないと言うことです・・・。
『東十九社』『西十九社』ともに扉が全て開かれて、御簾が掛けられていました。そして、瓶子や果物などが献げられていました。
東十九社 西十九社
献げられたお酒や供物 『素戔嗚尊』を祀る神社 参拝の方が行列を作っていました
『宇津柱』の位置を示すマークと本殿の屋根
(奥)
拝殿と本殿をバックに
・
出雲大社を後にして歴博に戻り、ミュージアムショップに寄りました。そこに『鉄のまほろば』と言う本があったのでこれを購入しました。
歴博の次は『稲佐の浜』に行きました。ここは出雲大社に集まる日本中の神様が通る浜という事です。熊公は勿論、海砂鉄を採取するためです。
現在は『神戸川』が土砂を運んでいる感じですが、その昔は『斐伊川』も流路を変えてこちらの方にも流れていたこともあるでしょうから、さぞ沢山採取出来ると思っていましたが、磁石を使っての採取ではほんの僅かしか採取出来ませんでした。何故なんでしょうか・・・。そこで持っていったジップロックいっぱいに砂を入れて持ち帰り、色々調べてみることにしました。
弁天島
稲佐の浜
三瓶山
『稲佐の浜』を出たのは13時55分頃でした。ここからは『境港』に向かいます。山陰道 斐川ICまではおおよそ20kmという感じです。途中『宍道湖SA』で『シジミの佃煮』をお土産に購入しました。以前ここで買った『シジミの佃煮』を贈った人皆が喜んでくれました。兄貴、長男夫婦、義妹夫婦、自宅・・・結構買いました。
コースの計画を立てているとき、『ベタ踏み坂』と呼ばれる『江島大橋』を通りたいと兄貴は言っていました。ワイフと次男で境港を訪れたとき、『ベタ踏み坂』のことを知らずに走って来てビックリしたことがありました・・・。今回も通りました。兄貴は来たかっただろうな・・・。
宍道湖 大根島から眺める『江島大橋』
ベタ踏み坂 『江島大橋』
今回は前にトラックなどが居たのでそんなに凄い坂という感じはしませんでしたが、それなりに急な坂です。ここは徒歩でも渡ることが出来る橋です。
この日泊まるのは『御宿 野乃境港』です。境港駅・境水道のすぐ前に立つホテルです。駐車場に行ってみると前回は無かったゲートがありました。利用料金は500円ということは聞いていましたが、ガソリンを入れるためゲートを出るとまたまた面倒なことになる感じだったので、チェックインをする前にガソリンを入れに行きました。給油を済ませてチェックインをしたら宿泊客は何度でも出入り出来ると言うことでした。
ホテルには17時少し前に到着しました。
朝食は付けましたが夕食は外に食べに行くことにしていました。この時季はちょっとした料理店はカニばっかりになってしまいます。入りやすい居酒屋または海鮮丼屋さんを探して夜の『水木しげるロード』を歩きました。ところがです、以前は開いているお店それなりにあったのですが、ほとんど全部しまっていました。『水木しげるロード』を外れたところにある居酒屋はいかにも地元常連さんだけという感じでした。仕方なく『水木しげるロード』の端まで歩き、更に少し歩いたところにちょっと雰囲気の違う居酒屋が有りました。そこで入ってみたところ、カンウター席4〜5席にテーブル席2つというお店で、熊公とほぼ同年代の女将さんが一人でやっていらっしゃいました。カウンターには初老の男性(常連さん)が居ましたが飲み終えたようで帰って行かれました。
女将さんは釣りを趣味にされていて、お店には釣った魚を手にした写真が沢山貼ってありました。メニューは白板に手書きされていて、『ヒラメの一夜干し』と『タコの唐揚げ』を頼みビールをジョッキで注文しました。なんとお通しは4品も来ました。女将さんと一対一ですから、自然と釣りの写真の話しになっていきました。熊公は海釣りの経験はありませんから色々質問したりしていました。その内にご出身が徳島県の祖谷の手前の山の上の方で有る話になり、その辺に『しか』さんという友達が居る話をしたところ、『しか』さんの名字の地名が有る話などになって、やはり先祖は『平家』であると伝わってきているという事でした。そして、大社の『神在祭』に東京から友達がバスツアー出来て、境港に寄っていくということでしばらく話したという事から、このお祭り期間の稲佐の浜の砂がとても大切にされると言う話になりました。日本中の神様が通られる浜の砂ですからね・・・。実は今日ジップロック一袋分持って来た話をしたら、ビックリされていました。そこで明日少し届けると話しました。
お店の様子 女将さんとお守りを届けに来たお友達
そんなこんなと話をしていたら女将さんのお友達が
「今日大社さんに行って来てお守り買って来た
から届けに来た。このお守りはこの神在月だけのお守りで日本中の神様に守って貰えるものな
んだって!!」
と話されていました。そんなことからまた稲佐の浜の砂、本来なら兄貴と2人で来る予定だったこと、境港の夜が以前と違っていることなど話しました。
女将さんもお友達も、今ある事、人との出逢いは『縁』なんだから、それを受け入れて生活していかなければいけない。と話していました。
このお店は今年2月にオープンしたばかりということでした。コロナ禍でやはり撤退したお店もあったようです。『水木しげるロード』の方は知名度もあり、家賃は高くそれなりの財力が無ければやっていけないということで、かなり境港以外のオーナーが店を持っていて、ちょっと昔の雰囲気とは違って来ていると話していました。
お話ししながら熱燗2本も開けちゃいました。最後に『焼きめし』を作ってもらいホテルに戻りました。女将さんとの出逢いはなかなか良い出逢いになりました。今度また境港に行くときは足を運びたいと思っています。
お店を後にホテルに戻りましたが、5年前の光の演出とは違っていました。熊公としては5年前の電灯がチカチカとしてス〜〜と消えて、路面に妖怪の影絵が投影される方が良いと思いました。ホテルに戻ってフロントの方に話したら、私たちは毎日普通に見て居るから余り感じないと話していました。
夜の水木しげるロード
ホテルでは22時〜23時まで半ラーメンのサービスがあります。食べにいってみました。醤油ラーメン、飲んだ後には美味いですね・・・。
兄貴に連絡を入れたところ、義姉の熱は下がってきているので明日『余部』で合流すると言うことになりました。後半の2泊は楽しいものになりそうです。
(2024.11.17.)
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