コーヒーブレイク
     お城とお酒と一人旅の思い出を綴ります。

新潟県上越市の巻

お城

上越市は、1971年に直江津市と高田市が対等合併して誕生した都市である。「上越」という言葉は元々越後を3分割したときに「中越」「下越」と対比して使われ、越後で最も京に近い発展的な地域というイメージを与える。事実、越後の国府も置かれていたし、上杉謙信の越後支配の居城である春日山城もここ(旧直江津市)にあった。
 因みに、旧高田市には松平忠輝(家康六男)築城で、舅の伊達政宗が普請総裁を務めた平城の高田城跡もあり、現在三重櫓が再建されている。

<春日山城跡全景>

<高田城三重櫓>

<春日山城大手道入口>

この大手道を上っていくと、柿崎和泉守屋敷から景勝
屋敷、大井戸を見学し、本丸へ辿り着ける。春日山城
跡全景写真の左から上るルートである。

<春日山城本丸跡>

<本丸跡直ぐ裏の大井戸>

山のこんな頂上にあるこの大井戸は
今も水を湛えている。戦時はさぞかし
活躍したことであろう。

<本丸跡より直江津市街を望む>

<二の丸跡より本丸を見上げる>

二の丸は大井戸と反対の表側にある。
この下には三の丸、北条氏からの養子
上杉三郎影虎屋敷がある。また、この
辺りで、土塁や竪堀の跡も見られる。

上杉謙信は、ここ春日山城で天正6年(1578年)3月、49歳で亡くなった。脳溢血といわれているが、大出兵前の突然の死である。
 同じようなことが6年前の元亀3年、武田信玄にも起こっている。三方ヶ原の圧勝の後の撤退、肺結核による死(53歳)である。
 いずれも天下を見れば、信長にとって、西の脅威、本願寺・毛利に匹敵する東の脅威、信玄・謙信が、このように戦わずして消えていったことは、なんと都合の好い事だったのだろうか。歴史とはまさに偶然の積み重ねである。

謙信は、戦国大名の中では特異である。「欲」で動かず「義」を重んじた。信玄との5度に亘る川中島合戦や関東出陣での北条氏との戦も私利私欲ではなく、村上氏や関東管領家の再興を望んでの義戦であった。
 このような謙信の本分は、奇しくも次の景勝に受継がれ、関ヶ原の合戦時に会津上杉家の取った戦略行動を規定したように思われる。この時謙信の伝統が何と家康に好都合に働いたことか。

<謙信は春日山麓の林泉寺に眠る>

お酒

<春日山中腹にある春日山神社>

春日山神社は謙信公を祭神とし、旧高田藩士小川澄晴が浄財を募り、祭主となって創建したもの。ここに、清酒「春日山」の酒樽が三つ奉納してあった。
 この偶然目に入った酒銘に惹かれ、醸造元探しが始まった。神社の売店に「春日山」が置いてあったので尋ねると、旧高田市内の「武蔵野酒造」とのこと。「美味しいよ」とおばちゃんに奨められたが、こういう環境に置かれた酒を買うことは私の主義ではないので、丁寧にお断りし、早速住所を頼りに酒蔵に向かった。

<株式会社 武蔵野酒造 社屋>

<「春日山 純米」 720ml 1,050円>

この酒蔵は、大正五年の創業としているが、元々は江戸時代まで遡り、創始者が江戸で修行したので武蔵野という名を冠したらしい。
 新しい事務所建物以外は、重厚感があり歴史を感じる。事務員の明るい笑顔が、一層試飲の味を引き立たせてくれた。

パッケージの写真上は高田城三重櫓、下は春日山城本丸跡である。味は、清涼にして豊醇、渋味と辛味と甘味のバランスが良く、切れもある。思いの外美味しい。香りも爽やかな清流を思わせる。この清清しさは春日山城の謙信の伝統からきているのか?

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