コーヒーブレイク
     お城とお酒と一人旅の思い出を綴ります。

石川県七尾市の巻

お城

ここ七尾市には、守護大名能登畠山氏の居城七尾城があった。七尾城は険しい山頂にある山城という感は無いが、名将謙信をもってしても容易には落とせない、わが国五大山城に数えられた堅城である。事実、謙信も力攻めでは落とせず、調略して七尾城へ入城している。
 調略というと清廉潔白な謙信に相応しくないので付け加えるが、追放した畠山義綱の子義隆を傀儡として牛耳っていた重臣団(長氏、遊佐氏、温井氏、三宅氏など)の隙を突いて、長Vs.遊佐・温井・三宅の内乱を起させ、越後上条家の入り婿義春(畠山義綱の弟)を正統な能登畠山氏の後継として推したのである。

<七尾城本丸跡を展望台から望む>

<本丸跡にある七尾城址碑>

<七尾城本丸跡>

この階段を登り切った左が、上の写真(本丸跡)の場所、本丸三段積の石垣が左手にある。一番上の展望台からの写真で全容が解る。

<七尾城本丸へ通じる階段>

<本丸跡から七尾南湾を望む>

謙信は、七尾城入城後、ここ本丸で有名な「九月十三夜の詩」を詠んだと謂われている。

<五段積みの石垣の左脇を登ると案内板がある。左へ行くと遊佐屋敷を経て本丸(上の写真)へ、右が桜馬場>

<広大な桜馬場を支える五段積の石垣、不規則なようで規則正しい野面積みの石垣は美しい。>

この七尾城を巡る攻防戦に私が興味を覚えるのは、当時天下布武に向けて着々と各地を手中に治めつつあった織田信長との北国路を巡る謙信との駆け引きがあるからである。
 七尾城の重臣の一人長綱連は越後勢の七尾城包囲に対して織田方の重臣柴田勝家の加勢を求めたが、同じく重臣の一人遊佐続光らは、長綱連の独断専行に反発し、旧交のある謙信の申し出に応じ、城内にて綱連を討ったのである。
 有名な手取川の戦いは、この時加勢に向かっていた織田勢が手取川を越えたところで、越後勢がそれを急襲し、織田軍に大打撃を与えた戦いである。羽柴秀吉が、この時手取川の渡河の判断で柴田勝家と激論し、秀吉指揮下の軍を撤退し、後に信長の勘気にふれたことでも知られている。結果は、勝家の渡河の判断が大きな敗因となったのであるが。

お酒

<合資会社 布施酒造店>

七尾城址へ向かう途中、電柱に「鬼ころし七尾城」の看板を見つけた。布施酒造と書いてあった。七尾城と言うと大分「厳めしい」というイメージがある。相当辛口の酒なのだろうと興味を持った。宿で訊いてみたがはっきりしない。翌日GSで訊いてみたら大体の場所が分かったので地図を頼りに訪ねてみた。
 布施酒造店は、旧市街地の三島町にあった。七尾町家の登梁構造の、歴史を感じさせる重厚な外観で趣がある。「天平(てんぺい)」の看板が目に付く。早速中に入ってみた。

<「五年大古酒」 500ml 1,100円>

店内も風情が感じられる。ちょっと雑然としているが興味深い。色々な銘柄の酒があるように見える。
 何度も声を掛け、やっと出てきた店員さん(といってもご家族の様)に「鬼ころし七尾城」を尋ねると「ない」と言う。え〜・・・。
 電柱の看板の話をすると、今は古酒しか扱っていないという。鬼ころしは相当辛いので、古酒にして円やかさを出しているとのこと。

古酒は、三年古酒、五年大古酒、延命十年酒の三種。上の「五年大古酒」は古酒の名の通り、芳醇で円やかな口当たり。甘さと渋さとのコラボレートされた高貴な香りと熟成度を誇示する透き通った琥珀色の輝きが更に旨みを引き立てる。元々辛口の「鬼ころし七尾城」を熟成させて、この旨みを引き出しているので、喉ごし後は辛さも残り、重厚な味わいである。
 尚、「良く熟成された上質の酒は、かなり飲んでも二日酔いしない」と言われ、長期熟成酒は新酒に比べ体にやさしく、アルコールの分解が速いことが立証されているらしい。

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<布施酒造店 店内>