コーヒーブレイク
     お城とお酒と一人旅の思い出を綴ります。



福島県二本松市の巻
お城  津本陽の歴史小説「独眼龍政宗」に、奥州の名門、二本松の畠山氏滅亡の一節がある。畠山氏の居城は二本松城であり、別名を霞ヶ城ともいう。白旗ヶ峯の頂にある堅牢な山城で、奥州街道の要衝にある。現在の福島県仲通り、郡山市の北方である。
 最後の城主は畠山義継で、義継は、小国畠山氏が生き延びるために、北の伊達氏と南の佐竹氏の間で、上手く立ち回っていたが、最後に選択を誤り、政宗に滅ぼされてしまった。
<二本松城本丸跡>
<二本松城搦手門跡>
<二本松城本丸跡より、阿武隈川、宮森城(現在の岩代町)方面を望む。>

 本丸からの眺めは抜群である。よくぞ、このような山頂に、石垣を積み本丸を建てたものと感心する。
 やはり、命(家名)を守る為の、命がけの築城だったのだろう。
 義継は、政宗の和睦の条件を受け入れ、仲介の労を取った政宗の父、輝宗にお礼言上の為、二本松城の阿武隈川対岸宮森城へ伺ったが、その時伊達方の不穏な動きを察知し、逆に輝宗を襲い、人質として二本松城へ連れ去ろうとした。
 政宗はその時鷹狩りに出かけていて不在であったが、その知らせを聞き、急ぎ駆けつけ、阿武隈川河原で、父輝宗の「義継を撃ち殺せ。儂が命を危ぶんで、伊達の名を汚すな。」との大音声の命を聞き、義継を憤怒の思いで討ち果たしたという。
 現在でも、この地(高田原)は粟ノ須古戦場として地元の有志に見守られている。
<粟ノ須古戦場>
田んぼの中に、ポツンと一郭があり、
奥には、粟ノ須古戦場の古びた石碑と、
畠山義継主従の鎮魂碑が佇んでいる。
お酒  二本松といったら日本酒の産地である。
 私の好きな銘柄は「大七」である。創業は古く宝暦二年(1752年)であり、今でも伝統の生酛造りを守っている。
 今回、初めて醸造元を訪問した。思いの外、近代的な概観で驚いたと同時に、若干、ガッカリもした。
 この酒蔵は、本物の味に拘り、尚且つ現代に適応し、繁栄しているようである。
 全国に先駆けて実用化した「超扁平精米」や窒素ガスを利用した「無酸素充填ライン」などその表れである。
 今では、日本国内は下より、ロンドンやニューヨークへも輸出され賞賛を博しているらしい。
 
<大七酒造株式会社 本社社屋>
2004年に完成した重厚で近代的な建築
伝統の酒蔵のイメージとは程遠い。
左は「大七純米生酛」である。720ml瓶 1,300円

味は芳醇で、スッキリ
フルーティーでこくがある。
酸味もあるがサッパリとした甘みもある。
正に生酛造りの深みのある味わいである。

色々純米酒を飲んでいるが、
値段の割りには上手い。
お勧めの銘柄である。
 「生酛造り」とは、日本酒の元である酛(酒母)を作るのに、酒造の邪魔になる雑菌の繁殖を抑える働きをする乳酸菌を酛の中で自然に培養する製法で、勘や経験といった職人技が求められる。
 これに対し、「速醸酛」は初めから乳酸を添加するので、職人の勘や経験も必要ないし、酛も短期間で完成する。
 味は、当然、速醸酛は、スッキリとした飲み口の酒になり、生酛は深みのある重厚な酒となる。
 美味しいお酒が生まれる条件として、良く、米と水があげられる。因みに私は寒冷な気候も重要と思っているが。
 ここ二本松は、米は、領内の新田開発の成功により良質な米が取れ、また、水は、日本三井の一つ「日影の井戸」があり、名水の地である。(他の二つは、千葉県印西市の「月影の井戸」、神奈川県鎌倉市の「星影の井戸」である。)
 したがって、二本松には大七以外にも多くの酒蔵がある。銘柄としては「奥の松」、「千功成」、「天三光」、「あだたら菊水」などである。
 特に、奥の松酒造は、滅亡した畠山氏の元家老が二本松に土着して創業した蔵元らしく興味深い。
<日影の井戸>