コーヒーブレイク
     お城とお酒と一人旅の思い出を綴ります。

長野県諏訪の巻

お城

<上原城跡へ辿る山の中腹に、諏訪氏館跡の碑があった。この1ヘクタール余りの平坦地に板垣邸も造立され、故に現在この地の字名を板垣平というらしい>

<杖突峠から諏訪市内・諏訪湖を望む>

<諏訪大社上宮本宮拝殿>

<左:上原城跡、この祠の右手前には清水が沸いていた。この祠の奥を登ると物見岩があり主郭(上の写真)へと続く>

<高島藩3万石の居城高島城>

お酒

<「舞姫」 純米吟醸生酒
720ml 1,300円>
原料米:美山錦、精米歩合:49%

酒箱の「舞姫」の題字は、3代目蔵主が文豪川端康成から頂いた手紙に書かれた「舞姫」の字が優雅で気品があることから了承を頂き使っている直筆の書である。
 題字のごとく爽やかな口当たりに高貴な香り。澄んだ辛味のある芳醇な淡麗である。

諏訪市には、国道20号線沿いに酒蔵が5件並んでいる。その中で最も惹かれたのが舞姫酒造である。
 この酒蔵は上諏訪駅に一番近いのであるが、駐車場が店前を3回通っても見つからない。Pの看板はあるが肝心の場所が見つからない。
 社名から「由布姫」をイメージしていたので、どんなお酒かどうしても知りたかった。もう諦めかけて別の店に行こうと思ったとき、やっと見つかり無事店内に辿り着いた。
 店員に「駐車場分り辛いね!」と言ったら「よく言われるんです。社長に言って置きます」と言った。
 さて、分り易い看板に変わったかどうか・・・?
 因みに、小売の店舗はこの右隣にある。

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舞姫酒造株式会社

諏訪湖は、長野県諏訪市、下諏訪町、岡谷市にまたがる信州一の湖であり、厳寒期の「御神渡り(おみわたり)」という氷結した湖面が裂ける自然現象で有名です。
 また、諏訪湖の周辺には、7年に1度の「御柱際(おんばしらさい)」で有名な諏訪大社(上社本宮・前宮、下社春宮・秋宮)があり、この御神渡りは上社の男神が下社の女神の元へ通う恋の路との伝説もあるそうです。
 そんな諏訪湖から南東へ五百メートルほど内陸に入ったところに諏訪氏の居城高島城はある。もっとも築城当時は諏訪湖畔にあり、「諏訪の浮城」とも呼ばれた美しい城である。

この高島城は、豊臣秀吉の武将、日根野高吉が1598年に築城し、関ヶ原の役後、諏訪頼水が旧諏訪領に帰り藩主となり明治維新まで10代270年余り高島藩諏訪氏の居城となった。
 しかし、諏訪には戦国時代、諏訪氏が5代70年余り諏訪地方を統治した居城、上原城があった。この山城は、最後の城主諏訪頼重が武田晴信に滅ぼされた後は、武田の重臣板垣信方が諏訪郡代となり在城した。そして今度は武田氏が滅亡するまでの40年間、武田氏の諏訪統治の拠点となった。

<上原城跡から遠く諏訪湖、小坂観音院を望む>

<由布姫が甲斐から戻り過ごした小坂観音院のある諏訪湖南西岸の高台>

諏訪頼重は、武田信虎(晴信の父)の政略により、1540年(天文9年)三女禰々(ねね)を妻に迎え、諏訪家は武田家と姻戚関係となった。頼重にすれば武田が攻めて来るとはゆめゆめ思っていなかったのであるが、しかし、晴信にすれば諏訪は信濃侵略の入口であり、どうしても支配したい土地であった。
 晴信は諏訪氏内部の紛争を利用し、1542年(天文11年)、突然諏訪上原城へ出兵し、忽ち頼重を降伏せしめ、甲斐の東光寺で自害させた。
 そして、戦国時代の因果であるが、頼重の娘、由布姫(ゆうひめ)は、晴信の側室となり、後の当主となる勝頼を生んで、その後病となり25歳で儚い生涯を閉じた。

<逆に小坂観音院より諏訪湖の向こう上原城方面を望む>

<岡谷市にある小坂観音院本堂>

<本堂の左後方の高まった所に由布姫の供養塔がある>