反魂            

(死者を蘇らせる術)

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闇、そこに住む物の怪や魔物と人とが

同じ空間に暮らしていた時代…

平安京…その闇に潜む妖かし…魔物達…

怨霊…そして鬼達をこよなく愛する

人々へこの物語を贈ります。

さて、ここに登場するは稀代の陰陽師‥

安倍晴明‥平安京の闇を見通し、支配

する‥魑魅魍魎が跋扈する中を…

颯爽と行くは目許涼しき陰陽師一人…

さて、これより先は異界なり…

鳥辺野の怪

鴨川五条橋を過ぎれば程なく六道の辻…

そして一つの寺がある。六道珍皇寺…

あの世とこの世の境目である。六道…

それは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間‥

そして天上…人の一生、あるべき姿を

描いた屏風画が訪れた人の目を引き

教えを説くという。

夕暮れになるとこの辻を亡骸を背負い

一人二人と東へ向かう…そこは鳥辺野…

都の賑わいとは無縁の別世界である。

この時代、貧しき庶民にとって弔いとは

亡骸を背負って運ぶことなのだ。金が

あれば荷車に乗せて運べるが貧者は

身内が背負うのだ…子が死ねば親が…

親が死ねば子が背負う。墓穴は掘れない。

貧しさ故に鳥辺野にただ…置いてくる…

野晒しである。金さえあれば埋葬し

土饅頭を作り卒塔婆を立てもする…

公卿ならば五輪塔を建て僧侶に読経を

させる。そう…金次第なのだ。だが…

都の多くは貧しき庶民であり、故に

広大な鳥辺野は累々たる屍が横たわり

その骸を晒している。野犬が、烏が

死肉を食らい、目玉を鋭い嘴で突き破る‥

傍らを白髪を束ねもせず、絡み付くような

死臭の中を歩いている…死者の着物を

剥ぎ取り、女の死体から長い髪を引き抜き

集めるのだ…その日の糧を得る為に。

こここそが、地獄なのかもしれない。餓鬼

畜生、修羅…全てがここにはあるのだ。

物の怪…妖かし、怨霊…鬼もいる…

闇に住む者全てがいる…それらは夜毎

増え続けてゆく…未練を残し、忘れ去られ

怨念が募る…地縛霊となり、ひしめきあい

やがて浮かび上がり怨霊となり果てる…

そして新しい人魂を取りこみ彷徨う…

すると闇が、がばっと口を開けて

飲み込んでしまう…鬼である。怨霊さえも

餌食となるのだ。だが決して減る事は無い

悲しみ、悔しさが溢れ癒される事のない

苦しみが渦巻き、激しい憎悪が凝り固まり

時を経て魑魅魍魎…悪鬼怨霊となるのだ…

貧しきが故、死に、弔いも無いまま骨になり

野晒しになる…死して後も尚、貧者が

救われる事はないのだ…巽(南東)の

鳥辺野、乾(北西)のあだし野…

怪異…亡者の恨みがたち込めて朧月夜に

照らされた骸骨がぼうっと浮かび上がる。

かつて命の輝きを見せていたであろう

瞳は無い…だがその暗黒の窪みの中で

金色に光るものが二つ…それはやがて

血の様に赤い、鎌のごとき舌をちろちろと

出しながら‥ぬるりとその身をくねらせて

地を這う蛇が音も無く叢の中へと消えて

ゆく… やがて靄が漂い、濃密な乳白の

朧の中で、妙な音が聞こえる…ぴちゃ‥

ぴちゃ、ぺきっぎきぃ…ぬちゃぬちゃ…

ちゅるちゅる〜ばりん、ごりん…べりべり

…死肉を貪る野犬であろうか…或いは…

鬼なのか…しかし、どこにも姿が見えない

ますます濃密になった靄の為に何も…

見えないのである。前か‥後ろか‥

右のような、左のような…足元のようでも

あり…まるで分からないのである。

が…突然に静寂が訪れた。何の音もしない

…全ての気配が消え失せたようだ…

その時である…遥か靄の彼方にぼおっと

狐火ような淡い光りが見えて来た…

ゆうらりぃ‥ゆうらりぃ‥ゆうらりぃ‥

‥ゆうらりぃ‥そして少しずつ‥

大きくなっている。蝋燭か‥松明か‥

    どうやら近づいて

くるようなのだ…少しづつ‥少しづつ…

近づいてくる…輪郭が現れ始めて来た。

少しづつ…少しづつ…小さく、時に大きく

揺れている…それが松明と分かるには

少々、時が流れていた…靄が見極めを

阻むのだ。草木を踏む音が聞こえてくる…

揺れる炎と近づく足音…妖かしか…

それとも鬼か…薄墨色のような影が

現れてきた…それが徐々に人の姿に

なっていく…

靄の中から現れたのは闇のように黒い

衣冠姿の人物である。右手に松明を持ち

灯りに照らされた青白い顔が浮かぶ…

その面は刃先の様な切れ長の目…

血の様に赤く、薄い唇…表情は全く無い

生きているのか、死んでいるのか…

それさえ分からない…男にも女にも

見える程、細面である。だが異様な

気配はそれだけではない…さらに後から

ぬうっと現れてきたのは身の丈六尺‥

見上げるような大男である。めらめらと

燃えるような赤い目‥腕はだらりとして

頭は大きく、所々に毛のようなものが

生えている。裸であろうか、ぬめぬめと

光り肉が腐っているところがある。

そこからぽとりぽとりと、蛆がこぼれ

落ちている…この男から漂う臭いと

辺りにたち込める死臭との区別が

つかない…のそりのそりと身体を揺らし

黒衣の男の後をついて行く…不意に辺りの

靄を震わせるような忌まわしい鳴き声が

響き渡った…鵺だろうか…しかし異様な

風体の男達には全く聞こえないのか鳥辺野

のさらに奥へと歩いていく…ぐしゃっと

音がした。大男の足の下からどす黒い

血が飛び散る…横たわる屍の頭を踏み潰し

たらしい…それが辺りの腐臭を濃いものに

したが何事も無かったかのように松明の

灯りが揺れて行く。ゆうらりゆうらり…

やがて蛍よりも小さくなり暗黒の闇の中へ

消え去って行った。…再びくちゃくちゃと

死肉を食らう音が聞こえてきた…

虫の声もする、ちろちろと…

ところがここに、一部始終を見ていた

男がいた。草叢の中で…長い間、病に

伏せっていた老父が亡くなりその亡骸を

埋葬して帰る途中、恐ろしい光景を

目にする事になったのである。震えて

いるのか歯がかちかちと音を立てている。

腰が抜けたのか長い間その場にいたが

漸くの事に、ふらふらと立ちあがると

脱兎の如く駆け出した!屍につまづき

倒れては起き上がりまた駆け出した…

卒塔婆を踏み倒し、無我夢中で走った…

そうしてどこを、どう走ってきたのか

鳥辺野から離れているのかどうかも‥

分からず‥その様は幽鬼のようである‥

やっとの事で家に辿り着くと、慌しく

木戸を閉めて閂を下ろし、布団を頭から

被り震えている。鼠の走る音にさえ

息を殺して…汗まみれのまま、歯の根も

合わず、震えつづけていた………

明くる日、日が高くなっても顔を見せ

ない為、隣家の顔馴染が男の名を呼び

木戸を叩いている。「作蔵はん?…

…おい、作蔵はん!どうしたんやあ?」

「いるのやろ?作蔵はん!…お〜い!」

「どこぞ悪いんかあ…」「作蔵はん!」

心配になってきた男は木戸をさらに強く

どんどんとたたき出した。そこへ大工の

棟梁、源佐がやって来た。都随一の匠で

七十人の弟子を持ち、百五十人の工匠を

従える師匠であり棟梁である。「ほお?」

「どないしたんや、戸がつぶれるぞぉ」

「あ、源佐師匠‥作蔵はんがでてきま

へんねぇ‥」「身体でも悪いのんか?」

「分かりまへん…閂下りたままやし」

「どれ‥よっこらしょっと」がたん…

木戸が開いた。部屋の中は薄暗い…

やがてぼんやりとながら見えてきた。

何やら部屋の片隅に布団が積まれて

あるのか…なんなのか…「うん…」

「へえ?布団被ってるのとちゃか!」

 「おお、そおか…」そういって源佐は

部屋に上がりこむと布団を引き剥がした。

「!…なっ‥直己!」立ち竦む源佐の

後ろから馴染みが作蔵の肩に手を掛けよう

とした。すると源佐が「善弥!待て!

触るなっ…」「えっ…」善弥は慌てて

手を引っ込める。そこにいるのは木乃伊

…だが息をしている。弱弱しいが…

目を大きく見開き恐怖の表情がべったりと

貼りついている…「作蔵…」光の無い

虚ろな目には心配顔の二人は見えていない

ようである。何やらしきりにうわ言を

つぶやいている。「あかい…あかいめぇ

…かげぇ…影が動くぅ…あかいぃ…」

「源佐師匠!」「うむぅ…瘴気やなぁ…」

「えぇっ…すると鬼…」「いやあ…

どうやろなぁ…そこまでは分からんわい

昨夜、鳥辺野へ送りに行った時に…

なんかあった事は確かや…」「それなら

坊さんでっか?」「護国寺のかいな…」

「へえ…」「いいや、もっと頼りになる

御人がいらっしゃるわい」「源佐師匠?

だれですねん…」「善弥、わしに任せ

とけ」「ほな、源佐師匠あんじょう

お頼みしときますぅ‥」「ああ任せろ」

「善弥、お前も聞いた事あるやろ?」

「へ?」「晴明様じゃ」「おおっ安倍

様かあ!」「ん、そうじゃ!」「そうか

…安倍様なら万事解決やわ!」

続く

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