丸亀と長崎、福井の龍馬の顔

(1)丸亀の龍馬?文久元年十月(1861)二十七歳(26y.o.)
(2)長崎、下関商人伊藤助太夫と龍馬 慶応元年(1865)三十一歳(30y.o.)

(3)長崎の龍馬座像、慶応三年一月(1867)三十三歳(32y.o.)

(4)福井?(京、長崎)の龍馬、慶応三年秋(1867)三十三歳(32y.o.)

 一瞥にも(1)(2)はまさに同一人物か一卵性双生児ですね。 4枚を見ていると、「顔は男の履歴書」という昔からの言葉を思い出さずにはいられません。  
 龍馬の眉は両方とも薄かったようで、後世に流布する(3)
を元にしてはっきり写っていない右ほほを膨らませた肖像画より実物は頬がこけていたようです。頭は長頭ぎみ、鼻は狭鼻ですがさほど高くはなく、頤は長くとがっており、右の耳介も(1)(4)とも耳たぶが離れていない型です。下二枚の生え際の後退は月代とみられ、上二枚と下二枚はそれぞれ近い時期に撮られたと考えられます。(1)の目の大きな事を問題視する人が居ますが、(1)は剣術詮議という丸亀滞在の目的からして、交感神経緊張気味で、かっと見開いていて自然なのではないでしょうか。(1)の丁髷が無いのではという指摘がありますが(2)を見ていただければ横から撮られていて目立たないということが分かります。(4)はすでに海援隊という組織を持ち頭脳で勝負する経営者と政治家の顔ですね。軟部組織はいざ知らず骨格はすべて同じだと思われます。(1)だけ別人のものと断定することは出来ないでしょう。たった6年間でこれだけの変貌を遂げた龍馬は、太く短く駆け抜けたと言えるでしょう。

 世間に流布しているいわゆる坂本龍馬像 写真加筆説、キヨソネ筆の肖像画説もある。顔は肉付きが良い。日露戦争時に昭憲皇太后の夢枕に立ったのはこっちの美男系?の方らしい。この絵のせいで毛が三本立っていないとマンガじゃ龍馬で無くなったらしい。

湖海苔屋

丸亀の人物も本物の龍馬に間違いないと思えてきました