丸亀の龍馬写真(矢野家伝来)に写っている紋章はこれです。

 残念ながら最初にこのホームページで証明しようとした紋章の一致は、間違いであることが判明してしまいました。
 少なくとも坂本家の紋章である
違い升に桔梗ではありえません。
坂本家の先祖が丸に田の字を使っていたと伝わっていますが、明らかにそれでもありません。ポピュラーな丸に稲葉九枚笹にも見えますが、違っているようです。紋帳をいくつか探しましたが分かりませんでした。丸亀のローカルな紋章かも知れません。
丸の中に亀甲があり三矢が重なっているようでもあります。
 もし矢野家、原家、百々家、土肥家などの紋章だとしたら、丸亀の龍馬が真正の可能性はまだ十分あるでしょう。急に写真撮影することになって、道場着しか着てなかったためその辺の誰かに紋付き羽織を借用した可能性も否定できません。というのは原家伝来の写真が自然体なのに比べて、矢野家伝来の写真は紋付き羽織が着ぶくれしていて冬なのに扇子まで持っており、写真家の構成が加わっているように思えます。この場合紋付き羽織は扇子と同じ写真家の小道具だとも考えられます。後世に紋章を拡大写真にされるなんて想定していなかったことでしょう。長崎の龍馬が着ている紋付き羽織は後藤象二郎がこさえて与えたと言われています。ということはそれまで紋付き羽織が無かったのかも知れません。長崎の写真をよく見てみるとそれもかなりボロボロになっています。刀が立派すぎるのに比べて、髪型や服装には無頓着だったようです。


相模原市、安寿さま、あだかず様ご提供

 この丸亀の龍馬写真に最初にであったのは、龍馬堂さんのHPからでした。龍馬堂さんにはこの写真が昔の龍馬研究に載せられてあったことを教わりました。そのときは高知県に住んでいましたから、県立図書館で龍馬研究のバックナンバーを調べることが出来ました。龍馬写真館さんにもいろいろご教示頂きました。さらに検索エンジンで偶然発見した安寿さまのページから発見があり安寿さまにもご協力いただけました。
この丸亀の二枚の龍馬写真が本当の龍馬か、そうでない他人の空似かは、今のところ鑑別不能であることが結論です。一致するのは骨格だけと言っていいです。
ですが高知の龍馬研究会の江藤治雄氏が昭和60年に見つけた原家伝来の原版も、今回ネットで見つかった矢野家伝来の原版もどちらの所有者も当時の矢野道場の関係者であり、別のルートで龍馬の写真であると言い伝えていた事は、羽織の紋章の不一致などよりも尊重されてしかるべきだと考えられます。
龍馬の写真をでっち上げて・・・・・・という恣意はどなたのご先祖にもなく、秘蔵の写真と、家の言い伝えとして残ってきたものだったからです。
複製して配った方がいたのも、写真から受ける印象が鮮烈であり、若々しい精神を他の中年の龍馬写真より鮮明に表している為でしょう。実際この写真を扱っていてこの若者の飛騰の心意気を感じました。
今後は歴史学のプロの方が真偽に決着をつけていただけると思います。2006.7.9
 湖海苔屋

おわり

参考図書:坂本龍馬 歴史群像シリーズ
       氷川清話 角川文庫
       共同研究坂本龍馬 新人物往来社
       龍馬百話 宮地佐一郎 文春文庫
       龍馬研究  龍馬研究会
       龍馬のすべて 平尾道雄
       坂本龍馬と刀剣  小美濃清明

リンク

違い升に桔梗(坂本家 家紋)

長崎の龍馬(立像)紋章