これまで不明であった丸亀の龍馬写真2の
ガラス原板が現存していた!

 何処に現存していたかは残念ながら私も知らず許可も頂いていませんのでここで公開できませんが、矢野道場主の子孫に当たる丸亀の方がガラス原版を保管しておいでたそうです。今まで知られていた硬い焼きの写真とは違って、細部まではっきりしています。おそらく矢野道場主にはアメリカに移民された直系の方以外に御子孫がおられたのではないかと思います。

高知県大豊町出身で、子供のころ(昭和30年代と推定)に香川県丸亀市に住んでいらした、現在神奈川県相模原市にお住まいの、安寿さまという方がホームページを開いておいでますが、昔お母様が矢野道場主の子孫の方から丸亀の龍馬写真の複写版を貰ったそうです。それで右のような丸亀の龍馬を掲載しておいでです。送っていただいた解像度の高いコピーを検討しました。(安寿さまのご厚意にて転載許可をいただいております。安寿さま夫君のあだかずさま有り難うございました。)

この4つを比較しますと、左耳がかなり違って見えます。長崎の龍馬は耳介の変形が認められるのに対して丸亀の龍馬の左耳にはこのような変化が有りません。撮影角度が異なっているせいもあるでしょう。柔道家の耳というのがあり、耳介血腫といいますが、それもしくは事故や闘争で耳朶の部分を損傷した跡とも考えられます。龍馬が柔術をしていた事は有名です。またいろは丸沈没や寺田屋での遭難で危険にあっていましたが、両手を負傷した記録はあっても、左耳を斬られた記録は無いようです。数え年27歳と33歳ですから時間の隔たりはあります。その間に起きた記録されていない変形でしょうか?それとも丸亀の龍馬はぴったり目鼻口が重なっても空似でしょうか。

長崎の龍馬

丸亀の龍馬?(矢野家蔵)

丸亀の龍馬?(原家蔵)

龍馬最後の写真

安寿さまのホームページへリンク

「私のふるさと」に丸亀の龍馬写真が掲載されている。

龍馬が丸亀に滞在した時の関係者二家からそれぞれ別のガラス原版が発見され、言い伝えも同じで、同じ時に撮影されたと考えられ、体格、頭骨の骨格、所持する刀剣、右手の骨折跡などは一致するのに、左耳が一致しません。紋章はどうなのでしょうか。矢野家伝来写真の紋章をもう一度検討してみました。

矢野道場、原 吉雄 指南役

伝 坂本龍馬27歳

湖海苔屋